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おはようございます。ライフハック時代の精神分析、第1325回をお送りします。
はい、3月3日、ひな祭りですね。火曜日、7時57分。
まあ、うちもね、飾ってありますね。ひな祭りに入った途端、思った途端、やたら寒くなりましたけど、多分今のこういう日って、
秦野とか八王子とかの方では、みぞれ混じりになっちゃうんじゃないかと思いますが、
まあ、もうちょっとこう、 まあでもまだ3月なんで、やたら暖かくなるというのも、どうせこれね、温暖化なんでしょうから、
4月5月になると、やたらと暑くなってみたりして、当然のように、この放映をやるにあたって、
あれ、またネッククーラーとか押しないと、頭が持たないみたいなことが起きるわけですよ。
ああ、起きないでほしいですね。そろそろ。あれ、光年被障害なんで、まあ、
解放されているといいんですけどね。今寒いから、 十分やってられるんですけど、この流れで。
えーとですね、ようやく、この話はポッドキャストじゃなくて、YouTubeでやろうと思ったんですけど、ようやく本が一冊、
脱稿し、表紙も出来上がったようですし、まあ、出るでしょうと。これなんですよね。これを実現してくれるのはスクシュートだなって思うんですよ。
もちろん、私の心理状態を安定させるということは、ことのほか大事だなって、自分ではわかるようにはなってきたんですけど、とにかく、そうはいっても、
やっぱりタスクシュートがないと、心が安定しているだけだと、こんなに特感では書けないなっていう、本当に切ってきますからね、今の時代はね。
その年月で、著者に本が書けると思うのが不思議だよねっていう、だんだん日数になってきたんで、なんていうのかな、人間って本当にやることがエスカレートすると言いますか、極端ですよね。
昔は4ヶ月は見てたと思うんですよ。で、むこそまが3ヶ月半で、みたいなこと言う時は、結構心苦しそうだったんだけど、今なんかもう、出来れば1ヶ月未満で、みたいなノリになっちゃってて、
もうなんかこの流れで行くと、3分の1でしょ、それって。4分の1から3分の1。この流れで行くと、なんか1週間でって、まあそのうち言うだろうなっていう、1週間とかって。
企画案が来た時に言う話がそれなんで、その企画で本が書けるかどうかがまだわからないじゃん。まあ、編集さんはそうは思われないのかもしれませんけど、
本が書ける企画とそうでない企画ってあるんですよね。これは長くやってて少しわかったことでしかないんですけど、
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この企画で本が出せると思うわけですよ。でも本というのは、目次ってのは本が出た後に書かれるもんだから、企画すなわち目次になるというのは、実は論理的ではないんですね。
この本になるというのは、勝手な妄想であって、多分に万能空想的な何かであって、やっぱり本にならない企画ってあるんですよね。
大体なるっちゃなるんですけど、ならない企画もあるんですよ。でも、なんかこう、ある種の人の手にかかると、全ての企画は本にはなりうる、売れる売れないは別としてとか、
書きたいか書きたくないかは別としてみたいなノリがあるんですが、そんなことはなくて、本にはならない企画と本になる企画っていうのが、これは嫌な思いをいくらかしないとちょっとわからないですけれどもね。
で、嫌な思いをいくらかしてみると、本にはならない企画っていうものがこの世の中にはあるんだなっていうことがわかってくると、
そうするとですね、本になるかならないかを、まず著者っていうのは実は、ただ感覚で理解しないとならなくて、その期間が最低でも、僕は恐い方じゃないと思ってますけど、できれば1週間は欲しいわけですよ。
ところが各期間が1週間ですとかになってくると、その企画が本になるのかならないかを見極める前にすでに書き上げなきゃならないみたいな話になってきて、
いやーそれはもうちょっとね、なんかこう、荒技を使わなければならないっていうことになってしまうわけですよね。
これを大体の人が当然喜ばないわけですよ。荒技なんで。いい技じゃないんで大体。荒っぽいなーって感じにどうしてもなるんですよね。それがやっぱりこう、
まあ、
なんですかね、いろんな要素がありますね、私はね。まあまあ早く書けるというところもあるし、まあまあ周知心というものがどっか少し欠けているということもあるし、
まあその人の、なんていうのか、長所を買うということにあまり興味がないということもあれば、実際お金があまりないということもありますね。
こういう要素がいろいろある。金がないだけだと書けないし、早く書けないっていうことも人もいらっしゃるし、それは早く書きたくないってこともありますしね、多分ね。
僕は早く書きたくないとは思ってないんですよね、多分ね。早く書きたいとは感じてるんですよ。
ゆっくり丁寧にっていうのはまさに正しいんですが、まあでも人間やっぱりせっかしな人とスローペースな人ってのはいて、僕は間違いなくせっかしなんですよ。
あの母方の家系が全員せっかちなんで、血もあるよねっていうのはちょっとありますね、やっぱりね。せっかちだな、あの家系はっていうか、本当せっかちなんですよ、母はね。
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まあでも代わりに母は走るのがめちゃくちゃ早かったですからね。
今でこそ本当にこうおばあちゃんになっちゃってますけど、テニスとかしても下手なんだけど追いつくんですよね。
早いなっていう感じが。
で、あの、なんだっけな、朝日川にいた頃は市内でも一番早い女子だったぐらいな。
で、なんか、なんていうのかな、捕まり出しとかも早かったらしいんですよ。6ヶ月で捕まり出し、8ヶ月でも走ってたみたいな、本当なのかっていう感じもするんだけど、遅くは絶対なかったんだろうなってのはわかるんですよね。
今でもおばあさんにしては早いですね、歩くのは。
だからやっぱり足がよっぽど上手いことできてるんだろうなと思うんだけど、性格はめちゃくちゃせっかちなんですよ。
非常にこれは私の皮膚炎と関係があるんだよな。
なんでも早く解決したがるというのは、あの病気には大変良くないんですよね。
まあまあ、皮膚炎の話は散々、ポッドキャストじゃなくてYouTubeでしてるから置いといて。
今日はですね、ローゼンフェルドの最近本をちらちらですよ。
なんか頭から読み直すなんて気にはもうならないんで、ちらちら読んでいて、いやー、なんて言うんだろうか。
彼は別に全然正しいんですけど、すごい人なんですけど、すごいなって、アネスト・ジョーンズもすごかったんだなっていう、そういうこう、視観が異深いものもあっていいんですけどね。
でも美音が正しいんだなっていうのはやっぱり思い知るんですよね。
美音が一番言った中でもですね、まあその前にポーリンっていう、またこれ絶対仮名だと思うんですが、出てくるんですね、女性が。
で、この人の読んだ時、前も腑に落ちなかったんですけど、今回なんで腑に落ちなかったのかがよくわかったんですよ。
ローゼンフェルドは陰性治療反応っていう言葉を強く打ち出しただけのことはあって、
陰性反応と陰性治療反応を分けてるんですよ。
これもね、微妙なこと言うよなって思う。
このね、えーと、いやいいんですよ、いいんですっていうのはつまり僕には関係ないことなんで、つまり私は治療やってないから、ここでこういうのが聞いてくるんですよね。
治療だと陰性治療反応と陰性反応は確かに違うだろうと。
で、ローゼンフェルドはこの本の中で、慢性的な陰性反応を陰性治療反応と見極めることは大事だって、まあそういうことになるだろうなって思うんですよね。
だって陰性反応が慢性化してるのはそれは反復なんじゃないかと、ちょっとだからね、そういうことを突っ込んで、突っ込む資格が必ずしも私はないが突っ込みますが、
あの、つまり治療につながらない陰性反応はまあよろしくないというか、要、大いに警戒すべしってことなんでしょ。
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治療につながるからこそ陰性治療反応はこれは成功につながる大事な鍵だ頑張るぞみたいになるっていう話でしょ。
実際頑張るぞって雰囲気あるんですよ。
お好みさんが徹底操作っていうふうな言葉を作り出した、翻訳したためにワーキングスルーするぞっていう意欲が徹底操作をしなければならないって書かれると、なんかもうすごい徹底しなきゃいけない気持ちになってきたわっていう、まあなってこないですけど僕は別に。
読者的にはね、非常にでもここでローゼンフェルドが密かにやる気を出しているっていうのは感じられるんですよね。
ただですね、この治療の行き詰まりと解釈を読んでいると、やっぱりつくづくクライン派なんですよね。
多分こうしないとクラインは波紋とかにするから、やっぱり頑張ってたんだと思うんですよね、クライン派の方々は。
どう考えてももうここは本人出てきていいはずだってところに、透明人間のように出てこないんですよね。
ひたすらピーター、ピーター、リチャード、リチャード、ポーリン、ポーリンなんですよ。絶対に、なんていうのかな。
それはローゼンフェルドが思ってたことだよってことであったとしても、ポーリンは私がと思っていたと思っていたの書き方なんですよ。
徹底してんなって感じがするんですよね。だから、なんていうのかな。
要するに、サンチュリーでそんなことにここまで固執する理由は全くないんでいいんですが、参加者さんが、
佐々木さんはこう思ってるんでしょう、に対して参加者さんは佐々木がこう思ってると思っているようだったって書くわけですよね。
その思考を絶対ずらさないように頑張るわけですよね。
頑張らないと多分、大御所に波紋って言われる可能性が出るから、多分そこはあるんだと思うんですよね。
ローゼンフェルドとビヨンはやっぱり立場が違うと思う。
でもビヨンは我慢してたんだと思うんですよね。
そういう我慢とかいう、そういうなんていうのかな。
頻度ないことではないのかもしれないが、やっぱり我慢っていうのが妥当な気がするんだよな。
いやローゼンフェルド頑張ってるよなっていう、そういう無意味な共感をしてしまいますね。
ビヨンのやっぱり言う通り、逆定義は使えないわけですね。
逆定義というのは無意識なんだから、使えないはずなんですよね。
私は逆定義も使ってますっていう、無意識はあるけれども逆定義も使ってますっていうのは、
逆定義という言葉の使い方が多分微妙なものになってしまっていると思うんですね。
そこがビヨンの偉いところなんですよ。
ものすごく数学的で、いや逆定義は使えないんだよ。
だって無意識なんだからってこういうふうに定義上原理を無視するようなことは避けなければいけないわけですね。
避けるというかできないという。
そこに限界線とか、だから潜在意識みたいな世界はないわけですね。
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あるのは無意識か意識かなわけですよ。
無意識、意識、全意識なんですよね。
全意識は意識できるから無意識じゃないわけですよね。
意識できるものは全部意識できるんだけど、意識できないものは一切意識できないんですよ。
こういう区分線をきちっと引くことが、こういう時にはすごい効いてくるんですよね。
だからロデンフェルドは逆定義って言っているだけあって、
どこが無意識になっててどこが意識されているのかというものの曖昧になっているわけですよ。
分けられないものを分けているっていう話になりやすいんだけど、
でもここは分けられるとビオンなら言うんですよね。
ここを分けないと結局逆定義使ってるつもりになって、
自分の無意識の部分がこんなにあるのにそこはどうするんだよっていう、
無意識の部分がないっていうのはやっぱりおかしいわけじゃないですか。
そうするとロデンフェルドは全知の人になってしまうわけですよ。
ここを我々はものすごく警戒しなければ本当は多分いけないわけですよね。
全知の人になってしまうっていうことはつまりよくよく起こることなんですよね。
これは転移の世界で起きることでもあるし、
陰性治療反応とロデンフェルドが言ってることでも起こることではあるし、
クライアントさんがよく考えてしまうことでもあるんですよね。
クライアントさんはどうしても上からものを見られてるっていう転移を抱きやすいんですよね。
これが転移だというのは上からものを見られているというのは
どこかであからさまに治療者は全知だと思ってしまっているんですね。
見抜かれているという感じを抱えている。
でも治療者には無意識の隆起があるんだからそういうふうに考えるよりは
これやっぱり攻撃性の転移が自分に発しているというふうに考える方が
依然だと思うんですよね。
このポーリンって人はやっぱり非常に攻撃的な気分になってるわけですよ。
ここが面白いんですよね。
僕が釈然としなかったのは多分ロゼンフェルドは
これは陰性反応なのか陰性治療反応なのかっていうことと
そこのところが見極められなかった失敗だったっていう気持ちがあるものだから
もちろんこの文脈で言えばそうなんでしょうけど
アーネスト・ジョーンズの助けを借りるんだけど
私はこれ全体が転移に見えるので
だってロゼンフェルドが意識できてない部分があるのは当たり前だろうと思うんだけれども
そうはここではあんまり考えられていない感じがするんですよね。
意識しておくべきだったっていうニュアンスがあるんですよ。
そういうふうに言うじゃないですか。
あなたはカウンセラーなんだからこのぐらいのことは分かってくれるはずでしょうと
ここで両人とも同じ罠にハマるわけですよね。
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これがつまり治療的万能感っていうやつだと思うんですよ。
患者も抱くし治療者も抱いちゃうんですよね。
べきだったそうだったみたいになるんですよ。
迂闊だったみたいな。
迂闊じゃないんですよね。
それが転移だってことじゃんっていうことなんですよ。
逆転移はニオンが言う通り使えないんだから
つまり迂闊だとかそういう言い方がそもそも本来的に言うとおかしいんですよ。
上からだとか高圧的だとか
だからあのいわゆる水平的な話とか
権威の勾配とか権力勾配とかって言うんですけど
あれだってそこを気をつけるべきっていうのも
倫理的な話として重要なのかもしれないけど
そんなことを言えないだろうって感じがするんですよね。
権力勾配に無意識に乗っかっちゃうでしょうっていう
それは転移として見るべきなんではないだろうかと
私なんかやっぱり思う。
どうこすのは確かに問題だと思うので
なんつーのかなぁ
ここのところほんと微妙ですよね。
メタには自分には無意識という
そうじゃないんですよね。
やっぱりこういう時はむしろ
ロゼルヘルドの本を読むとかがいいと思うんですよ。
自分だってこういう目に合うんだし
必ずこういうことがなるんだと。
これを何かの教科書を読むかのように
こういう目に合わないようにしなきゃ
っていう風に読んではいけないと思うんですよね。
こういう目に合わないようにするために
選脱から学ぶのだみたいな
そういう発想ではここはないと思うんですね。
こういう目に合っているんだ。
すでにっていう
そういう風に考えることによって
なんつーのかな
その方が
なんつーのか
権力勾配的でない気がするんですよ。
権力勾配に乗るんだっていう風に
考えていくことの方が
権力勾配的でない気がするんですよね。
権力勾配は避けられるんだっていうことが
一番おかしいんですよ。
それは意識して避けられるんだな
みんな大体避けるんだと思うんですよね。
乗っかってマウント取るのが
俺大好きですっていう人が
あんまりカウンセリング的じゃないんで
カウンセラーの人って
外してそうじゃない気がするんですよ。
そうじゃなくて
乗っかるのは嫌だし
乗っからないように
これを読んで気をつけます。
自分は対等な風にやるんですっていう
その発想のまま乗っかるところに
意味があるわけじゃないですか。
それを天意と言うんじゃんっていう感じなんですよ。
これに気づけないはずなんですよね。
気づける
逆天意で気づくんだって言ったら
病院に
逆天意は無意識なんですから
あなたが無意識に気づくのはおかしいでしょう
っていう話になっちゃうわけですよ。
相手は気づくかもしれないですよ。
だから相手は
あなたは権利購買に乗ってますっていう
これを陰性治療反応っていうのはやっぱり
ダメとは言わないまでも
なんかあれじゃないですか。
実際この見えてないことがあるというのを
人は恥ずかしがってしまうわけですよね。
恥ずかしがるのもいいわけですよ。
あ、見えてなかったと。
しかし見えてるべきだった
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そこまで含めてもそうなのではない。
でも見えうるって考えるのはないなって思うんですよね。
見えないから
逆天意なんじゃんっていうことなんですよね。
見えないからこそ逆天意
終わるまで気づかないに等しいと思うんですよね。
気づかない中でもできることは
つまり見るってことなんですよ。
決してこれは気づくってことではないし
ましてわかるってことではないはず
ただ見えはする。
なぜなら天意状況が展開するからなんですよね。
だから松木邦路さんがすごく強調して
天意は見るんだって言ってるわけですよね。
天意は聞くんじゃないんだと。
解釈はするのかもしれないけど
解釈する前にまず天意を認知しなきゃならないじゃないですか。
どう認知できるのかというと
それはシナリオとか気持ちとか
そういうことよりも何よりも
まず目の前に見えてるはずだと。
なぜならば天意というのは行動家だからなんですよね。
行動は目に見えるからなんですよね。
思考は目には見えないけど
そこに展開されてる
劇でもなんでもいいですけど
心理劇は劇である以上は見えるわけですよね。
聞こえもすると思うんですが
でも沈黙っていう場合も多いですから
聞こえなくたって見えはする。
この見えるっていうことだけが唯一の手がかりなわけですよ。
ただし見えているが気づかない
それが無意識ですから
つまり自分が持ち込んでる分は
おそらくあるんですよねやっぱりね。
そしてそれは気づくことはできないんですよ。
あるいは切り分けはできない。
ただそこに展開している天意という
天意劇みたいなものを
天意状況と私は言いたいんですけど
見て考えるしかないんですよね。
考えられる分。
見えていて気づけていて考えられている分は
もはや相当どうでもいい部分なんですよ。
だから私は夢解釈ってやつを
あんまり気が乗らないんですよね。
あれはやっぱりフロイトの責任が大きいと思うんですね。
フロイトが夢は危険なものだから
危険なものを安全なものに変えたっていう
あの提示を持っちゃったから
我々は夢解釈に走るんですよね。
ユングも私はなぜこれをそこまで踏襲しているのか
わかんないんですけど
集合無意識があろうとなかろうと
夢を解釈していて何かを解いているような感じがするんですが
私はそうではないようにやっぱり思うんです。
自分の経験から照らすと。
問題なのは夢になっているところではなくて
夢になっていないところであって
問題なのは夢になっていないところは見えないんで
気づくこともできないんで
夢をいくら追っていっても
なかなかそこから見えていない部分は
見えるようにはならない気がするんですよ。
既に夢になっているということは
覚醒水準がある程度低下させられることができてしまっているわけだから
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つまり安全なわけですから
そこにはいろんな情報が入ってはいるんでしょうけれども
やっぱり大事なのはベータ要素だと思うんですね。
ベータ要素というのは夢にならないから
本当に見ちゃうと幻覚になっちゃうんで
これもどのくらい厳密に考えるかという問題があるんですけど
ただつまり覚えている夢を話題にするのは
だからそれなりに意味があるわけですよ。
というのはつまりフロイトが言っていることとは
多分ここは逆になっていて
夢を解釈することによって
危険な願望をあらわにするのではなくて
夢を覚えているということは
覚醒水準が高すぎるということであって
そもそもだからなんていうのかな
夢を解釈するというよりは
そんなにたくさんの夢を覚えているという
心理状態そのものを取り上げるみたいな
取り上げると言っても簡単に何を取り上げるんだって話にもなりますが
それでも覚醒水準が高すぎるよね
それはっていう話にはできると思うんですよ
中身の話をするというよりは
その状況そのものですよね
完全に夢を眠ってしまって
落としているほうが
おそらく安全なはずなのに
ここではほとんど使ってない理由かもしれないので
あれなんですが
受付の人と応接室の中の話なんですよね
受付の人は
この人はちょっと取り付けないなっていう人を
はめるわけじゃないですか
すいません社長現在ちょっと外出中でとか何とか言って
だけどそこに牧刀とか持っている人がいて
それなとか言っていた場合
やむを得ず通すこともありますよね
これがベータ要素だと思うんですね
覚醒されてしまうわけですね
入っている人は既に危険なのを偽造させているわけじゃないんですよ
受付の人が
フロイトの解釈だとそうなっちゃうわけですよね
やばそうな人が変装して入ってきて
この変装を見破るのが精神分析家の
だから解釈解釈って話になっちゃうんだと思うんですよね
ちょっとその顔あたりおかしくないですか
みたいなそういう話ですよね
そういう話ではなくて
本来入ってきている人は大丈夫なんですが
つまりそこをいくら掘っても大したものは出てこないわけですが
やばい人が突入してきた場合
夢は破れるわけですよね
にもかかわらず突入してきてしまうと
こいつは幻覚になるわけですよね
これがベータ要素っていうものの考え方だと思うんですね
本来はちゃんとこの原律はスルー
こっちの原律は加工して入れる
そういうナンバープレートとか出すとか
まさにだから
中入っていいですカードをあげるみたいなのが
アルファ機能ってことだと思うんですけれども
24:01
そういうものを持ってもいないのに入ってきましたみたいなのが
つまりベータ要素ってことになると思うんですけど
それについて基本的にできることはないよねっていう
ただいやいやって感じがなってるだけになるわけじゃないですか
その感じになるっていうのが
私たちがベータ要素に直面したときの
考えられていないっていう状況だと思うんですよね
考えられていないことが
陰性治療反応的なものが
発生してるときが
あるはずなんですよね絶対に
考えられていないっていう人は
ローゼンフェルドのはずなんですが
そこでローゼンフェルドの主体というものが
どのようにクライアントさんに
移るのかっていうことこそ問題だと思うんですよ
店員に大きく貢献すると思うんですよね
つまりそれは考えられてないので
エナクメントになっちゃってるので
この考えられていない状況というものを
どう取り扱っているのかというのが
描かれてない感じなんですよね
ここは本当に驚く感じがするんですよ
つまり逆転移は
扱えないんだっていう風に
徹することによってあくまでもこれは
患者さんがまず起点となっている
転移状況なんだと今やどちらが主体とかは
ないかもしれないがとにかく
例えば二元戦のなるシズムなんだっていう言い方なんですよね
ビオンがしてるのはその線で追えば
もっとローゼンフェルドの姿が見えていいはずなんだけど
見えてこない
それはさっき言ったようにクライン派だからなんだと思うんですけど
家紋になる恐れがあると思うからなんですけど
そこの描かれてなさが面白いんですよ
ちょっとだけ本当はこういう時に
あれがいいんですけど読むとですね
このポーリンの話っていうのが非常に面白いんですよね
分析は行き詰まり失敗に終わった
こう書いちゃうんですよね
30年前に治療していた6年間の分析の後
突然彼女は私に妄想抱いた
まずこの突然妄想抱いた
こういうことはよくあるんですみたいな話
よくこういう本ではされてるわけですけど
ここがメーター要素じゃないですか少なくとも何が起きたにせよ
絶対ギョッとするじゃないですか
さっきの僕と思った人がやってくるのと同じで
やべえって感じがするじゃないですか
何もそれについて考慮も思考もできてないってことじゃないですか
失敗に終わったって
考え抜かれたっていう感じとちょっと違う感じがするんですよね
なんて言えばいいのかな
こういうのをですね
非常に面白い話がありまして
ある日突然
やっぱり突然なんですよね
なんかこうメーター要素と突然感ってセットな気がします
やっぱなんかあるんですよね
普通に考えると
だって僕と思っている人が会社の応接に押しかけてきたときは
27:03
絶対前兆的な何かがあって叱るべきじゃないですか
でもああいうのってすごい突然感があるじゃないですか
この話なんで私が何度もしてるかというと
派遣社員時代に近い経験があったから
まさに突然なんですよ
そしてメーター要素以外の何者でもなくて
かなりのお偉いさんが対応することになるんだけど
そこまではもう何も考えられませんよね
いいなりに人を応接室のいい部屋に通すみたいなことが
なんとなく起きてしまうみたいな
そういう感じがするんですよ
あとでもちろん派遣は
そこの正式の人たちじゃないから
なんとなく対岸の火事感があって
どうなるんだろうねみたいな感じになっちゃうんですけど
このいかにも単なる反応の連続みたいになってるところが
やっぱり突然感がある
ある日突然ポーリンは
何が彼女を引き止めているかが分かったと私に語った
最初私は彼女が自分自身を解放させようと
はっきり決心したのだと思い
幸せな気分になりほっとした
この辺がいいなって思うんですよ
いいっていうのはあんまりローゼンフェルドさんは
こういう書き方をしてないところでは徹底的に避けているんですね
幸せな気分になりほっとしたっていうのは
多分こういうことを見せちゃいけなかったり
言っちゃいけなかったりしていた時代なのかもしれないですよね
こういうの逆転医だとか言うんだけど
私そうではないと思うんですよね
いずれにしてもこれって伝わると思うんです
幸せな気分になりほっとしたところが
これこそまさに
このポーリンが利用しているというか
違うんだよな
ポーリンの転移状況と言っていいと思うんですよ
二人の転移状況ですけど
あくまでもポーリンが起点となった転移状況に
この筋書きが加わってる感じなんですよね
と思うんですけどね
しかし彼女が自宅の部屋の色が全て不満であると語った時
正直なところショックを受けたと言わざるを得ない
これが僕は一番非常に面白いポイントだと思うんですよ
なんでショックを受けたのかを書いてないんですよね
書くべきだろうと思うんだけどせめて
本来ならポーリンに伝えたっていいはずじゃないかと
伝えてない感じがするじゃないですか
伝えたのかもしれないけどね
とにかくこのショックを受けたって
ベータ要素感満載じゃないですか
ほっとしたこの人はきっとこれから
治療に向けていいこと言ってくれると思ったが
家中の部屋の色が不満だって言って
部屋をすべてキッチンや風呂場も含めて
すごいですよね
ダークブラウンに塗ることを彼女は決心していたのであった
もちろん一部屋や二部屋なら
ダークブラウンは魅力的であるかもしれないが
しかし私は不安を感じ
直後に完全な妄想体系が出現したために
それを罵いた
なんですかね妄想体系なのかな
30:02
それだから彼が正しいんでしょう
でも私はやっぱり
部屋の色を全部塗り替えるぞって
言っているっていうこの状況を
もちろんここに解釈を書く書かないは
それは完全にローゼンフェルドさんの本ですし
文章なんだから書く書かないは
どっちでもいいわけでしょうけど
もちろんこれは媒体放送というふうに
私それは言葉を知っているから
そういう言い方をするだけなんだけど
美音を読んだからと後じえなんですけど
後じえだからこそなんですよ
つまり紛れもなくローゼンフェルドには
この瞬間に少なくともこういうことがあったと仮にして
このタイミングでは多分
わからなかったことがあると思うんですよ
で分かるべきだったわけではないと思うんですよ
これが逆転医が使えないってことだと思うんですね
絶対あるはずじゃないですか
何もかも治療状況を把握できているわけがないと思うんです
それはそれこそ治療的万能感っていうもので
全部を把握できていないからこそ
ポーリンは塗りたくりたくなるわけじゃないですか
自分のコンテナを
つまりこのもちろんローゼンフェルドは不満に思われているわけですよね
だからこのセッションは塗り替えなければならないというふうに
私はそういうふうに素人でもやっぱり
だって家全体塗り替えるって現実にやろうとしたら
いかにそれが大したことではないとも言えなくはないですけど
今日にでも実家とかご家庭ある方は
一度天井から床から全部ペンキで塗り替えていくっていうことをしだしたら
だからローゼンフェルドが精神病だ妄想体験だって言って
おののくのは無理はないんだけど
でもそこは治療状況の中にいるわけですから
やっぱり現実と非現実というかサイキックリアリティですよね
つまり心的現実の中で何を言われているのかというと
この天井状況だと僕は思うんですけど
天井状況が気に食わんと塗り替えてやると
やっぱりだからこれがですね
そのポーリンが私はついに分かったと
要するにあんたが全部悪いんだっていうことですよね
でこれほどあからさまに言われていてもですね
あからさまに言われていてもちろん気づいてない
もはや気づくと思うんですけれども
その他にいろんなことがあったはずなんですよね
ローゼンフェルドが傷つけたことが
33:01
後ほど出てくるんですけどねこれはね
この傷つけたことも含めて天井じゃないですか
で失敗に終わったというふうに書いて
私はもっとこういうふうにするべきだったというふうに書いて
でそれはいいと思うんですよ
そういうふうに思うと思うんです
ただそれができたと考えるのはおかしいんじゃないかな
たとえローゼンフェルドだとしてもやっぱり
できないだろうって思うんですよね
というかできないことが意味があるんじゃないんだろうか
っていう感じがするんですよ
この話の先にすっごい本当にいい本で
細かく大量の事例が書いてあって
できることはこういうのを読むことしかないなって感じが
私なんかほんとするんですけど
エリックって人が出てくるんですね
このエリックさんは妊娠治療反応だってなっていて
もっとローゼンフェルドさんはポーリンのことを
書き方が慎重なんでつまり出てこなくなるわけですよ
どういう書き方になるかというと
こういう書き方になるんですよね
次のセッションの始めにエリックですね
エリックは連会のセッション終わった帰宅後
一人でいるときにリラックスすることができたと
真っ先に語った
彼はそんなにも気分よく感じられたことに驚いていた
なんとなくクライン的な世界でいうと
排出が激しくなっているんではないかっていう
不安がある気もしますけど
彼は私が彼のことを心配し続けており
多分頭の中から彼のことを追いやることが
できないでいるだろうと考えていた
それで私が不安とともに取り残され
彼は自室で気分よく楽しむことができるという構造が
私には理解できた
つまりこういう書き方になるんですよね
ローゼンフェルドさんは理解してばっかりいる感じに
書かれているわけですよ
よくそういう言い方しますよね
心理カウンセラーは黒子であるべきだみたいな
でもそうするとみんな同じようなことを
同じような性格の人がやるってことになっちゃわないかな
っていうのは余計なことなんでしょうね
大事なのはただ心理カウンセラーさんはともかくとして
この場合ローゼンフェルドさんの場合
これにカチンと来ないだろうかってやっぱ思いますよね
訓練されてるからカチンと来ないんですって言われてしまえば
はいそうですかなんだけど
いやカチンと来ないかっていう
つまりエリックが気分よくあるためには
ローゼンフェルドがエリックのことを
一生懸命心配している必要があるんだと
このカチンと来ることと見下しているってことが
セットになってるはずじゃないですか
だってどう考えてもそういうことになると思うんですよね
36:05
このように私が幸せに生活していることに対する
彼の扇望に関係するこうですよね
私が幸せに生活していることに対する彼の扇望
これを扇望ということになるんですよね
そうなんでしょうね
分析の中で展開している
強いサディスティックな関係の存在が明らかになってきた
彼は彼をエリックですね
彼を援助しようとすることで得られる
私の喜びをダメにすることで
明らかに満足を得ていたが
そのためには彼が何の心配もなく
自宅で心地よく過ごしている間
私が彼のことを心配しなければならなかったのである
まあそういうこともあるんだと思うんです
でもこれはこう書く
まあどう書いてもいいわけだから
こう書いてはいけませんみたいなことは
もうこう書いてくださいとか言うのは
全くナンセンスでそうじゃないんですけど
ただですねやっぱり
私はエリックじゃないんですけど
でもこういうふうに書かれてみると
うんわかった
で質問があるんですが
ローゼンフェルドさんは
自宅では実際幸せなんですかって聞きたくなるよね
したくなるのが病理だとか言われると
非常に困るよね
と私なら思いますね
もちろんなんか昔なりずさんが書いてましたね
それはそれで別の問題を引き起こすかもしれませんけど
でも結局これって
それを気にするというのが天意だというならば
でも本当のところはどっちなんだっていう問題は
残るわけじゃないですか
残るというかあるはずじゃないですか
本当にエリックの心配をしているとか
本当にエリックが爆発しないかと思って
自分結構つらいんだけどっていうのなのか
いやいやもうそんなセッション終わっちゃってるんだから
自宅でこうなんかチキンローストでも食べて
めっちゃ幸せにやってますみたいな
幸せだと思ってるかどうか
それは現実原則として本当に幸せかどうか
ローゼンフェルドが本当に幸せかどうかは
エリックにとっては現実原則に照らし合わせれば
関係ないことだっていうことになるとは思うんです
でもことがこういうふうになっている以上
エリックはやっぱりそういうことを考えちゃう人だと思うし
思ってる以上
幸せなのかそうでないのかは
この際全くどうでもいいことなんであって
あくまでもローゼンフェルド
エリックの中のローゼンフェルドがですね
どういう状態にあるかということ
それが幸せだと自分は腹が立つし
相手が不幸で自分の心配いっぱいしてくれると思うと
満足する
そこを母子関係から転移解釈をする
転移解釈をするってのは分かりますよもちろんね
でもそれは
なんて言うんですかね
あまりにもローゼンフェルドがいなすぎると言いますか
39:00
いないことにしようとしすぎていると言いますか
もちろんそんなことをやってたら
なんて言うのかな
何年も何年もあるわけですから
エリックだけは相手にしているわけじゃないんで
ポーリンみたいな人もいるわけだから
肩やエア充を塗りまくるぞ
ってやってる人がいて
結構困ってるわけですから
それは分かるんですよ
いちいちいちいち全部ね
リアルには接してられんみたいな
しかしリアルに接していると
相手は信じきっちゃっている状態だし
リアルに接してもいるわけじゃないですか
間違いなくバーチャルのローゼンフェルドが
そこにいるわけではないんだから
やっぱりこの
転移性恋愛というのは
恋愛でないという権利は
誰にもないという風にフロイトが
言ったのは私は
対ユングの話ですけど結局あれは
正しいと思うんですよ
ユング対ユングに対して
フロイトの方が凍結していると思うんですよね
やっぱり
恋愛を始めてしまったら
それはもう精神分析は終わるんだ
っていうこういうことだと思うんですよね
そこのところには
かなりの部分
本当に恋愛をしているわけですよね
それが
なんて言うんだろうな
私は本当はそこにはいないんです
みたいなのがあまりにも
なってくると
現にポーリンのところでは
もっと書いてあるんですよ
はっきりと
ポーリンは
自分が妊娠しているんですけど
リューザンすることをロゼンフェルドは
望んでるんだろうっていう風に考えて
怒ってるわけなんですけれども
書いてるんですよね
ちゃんとそういうことだよね
って感じがするんですけれども
ポーリンのように
分析化のすることに批判がある場合には
戦亡を繰り返し解釈することは
患者にとっては
分析化が自分の中で
起こっていることを分かっていないと
分かっていないことを
意味することになる
完全にそう書いてありますよね
これは
エッグにだって当てはまるんではないか
と思うんですけど
そこは徹底操作だってことに
だから切り分けるべきなんだって
話なのかもしれないんですけど
これはやっぱり負に落ちないんですよ
どうしても
患者は分析化が効く気がないのだと思い
そう思いますよねやっぱりね
効く気がないのだと思い
拒否されたと感じより一層
批判を表出することに恐れを感じる
このような場合には
分析化と患者の関係が
極めて悪化することや
患者の精神・身体状態が
徐々に悪化していくことは避けられない結果となる
でも
避けたいじゃないですか
だからこの後の展開
現代クライニアンに
繋がっていく展開ってものが
あって
多分今やこうではないと思うし
だからすごいやっぱり
ローゼンフェルド頑張ったと思うし
42:00
そして後知恵になってしまうと
いやそういうのは
普通じゃないですかみたいなのは
まさに後知恵で
人間の知力では
このくらいのレベルの
私より全然ものを考えられると思うんですよね
やってることが凄まじいんでね
これをだってこれをやってたのが
今から70年ぐらい前
ってことだと思うんですね
しかもビオンが
後期ビオンみたいなものは
いない時代の話で
これはすごいやっぱり
すごいなって思うんですよ
ここに僕はオリジナルってものに
こう
ある種
異形の念を持っちゃうんですよね
オリジナルはすごい苦しんでるって感じが
するんですよ
だからついつい言っちゃうんですよね
タスク周到みたいなのでも
いやオリジナルだからねあれはみたいな
大橋絵通は
他にいろんな課題がある
とかそんなにないけど
あるんだと仮にしたって
オリジナルなんだからさっていう
そういう風に考えるんですよ
後からボタンを
こうするああするっていうのは
めちゃくちゃ簡単なことだと思うんですよ
私だってこんなにローゼンフェルドが
こういう話を書いてくれておいて
書いてるんだよ彼は
書くのだって嫌じゃないですかある意味
書いてくれてるのに対して
あだこだここで言うのってめちゃくちゃ簡単なことなんですよ
これははるかに考えられない
人間でもできちゃうことであって
これぐらい考える
っていうことがこの世界
求められるんだなっていう
事情もありますからね
クライミアンですからね
実際あのあれは
ウェーヌスアイレスなのかなビヨンが
セミナーしているところでローゼンフェルド
博士はそのようにはおっしゃってなかったぞみたいなことを
質問者のそれも結構
また名の知れた質問者が
言ってくるわけですよ
すげえ大変だと思うんですねビヨンが
でもビヨンはそれに全然
こう考え抜いてるよな
って感じがするんですけど
それが逆転医ということならそれは間違っている
みたいなさらっと言って
のけちゃうわけですよね
だから彼に言わせると逆転医なんて使えないんだ
ってことになってて
やっぱりこの部分でも
ポーリンについてこういう風に
その
せんぼうせんぼう言ってる
ということは要するに精神分析科
は効く気がないんだと思ってポーリンみたいな
人は怒っちゃうっていう風に書いていて
そこまで考えきれている
ということを考えると逆転医は
使えないんだっていうのは
ビヨンが言ってる通りじゃんっていう感じがやっぱり
するわけですよね
使えるということになってくると
それは意識してるということであって
意識してるということは無意識ではない
ってことであってつまり転移じゃない
ってことになるから当然逆転医でもない
逆転医でこそないわけですよね
逆転医っていうのは分析科が持ってくる
転移ですから
だから
見るしかないんですよね
できれば見えませんが
自分を見るっていうことが必要になってきて
見えないんですけれども
これからはあれなのかな
自分のことをビデオで撮って
それを後から見る
でも後からではダメなんですよね
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後からだったら気づきうることは
いろいろあったりするわけですよ
でもそれは
転移状況における無意識を扱えていることには
全くならないんですよね
それはセッション終わってるわけですから
しばしばそうですけど
このポーリンなんかの場合もそうですけど
中断というのは突然起きることなので
不意を打たれるわけだから
やっぱりこう
事前に扱えない
というか最中に扱えないんだったら
ある意味
良くないわけじゃないですか
それはあれなんだと思うんです
槍業とか
いろいろその後の展開とかも
もちろんあると思うんで
後から見直すことが無駄だとは
言えないと思うんだけども
少なくとも最中に
できることを
もっと検討していく必要というのは
あるんだと思うんですね
でもこの
私に考えつく解決策は
ないんで
あんまりビオン読むとか
しかないんですけど
ローゼンベルド読みまくるっていうのは
本当に大事だなって思いました
やっぱり
消してるから余計なんですよね
可能な限り黒子なんだっていうことで
透明人間になっちゃってるから
余計なんですよね
見えないんですよ
ローゼンベルドが
でもほっとしたり安心したり
垣間見えるわけですよ
これは間に伝わってるはずなんですよね
そうすることによってまさに
だからローゼンベルドが幸せだと
腹が立つわけだから
なんでなのかっていうことを
それは扇望なんです
じゃなくてなんでしょうけれども
なんでなのかということを
思ったらやっぱり
なんでローゼンベルドが幸せであってはいけないのか
ということ
その転移状況の中での
話ですから結局のところ
そうなんですよ
本当にローゼンベルドが幸せかどうかは
誰も問題には実はしてないんですよね
まさに転移状況なんですよ
一見そういう風な
話になっていくんだけど
フロイトが書いてる通りなんですよ
どこか転移とは非現実のものとして
扱うしかないんだっていう
転移性恋愛は恋愛感情と
全く同じものだけど
でも転移性恋愛で
それがある以上どこか非現実のものだと
扱うしかないんだという
全くあの通りだなって感じになってるんですよね
どこか
やっぱりこの
ローゼンベルドの
幸せというのはどこか
それは非現実の問題なんですよ
実際にはだって
家に帰ってチキンローストが食べられようと
最愛の奥さんがいようと
いつもいつも幸せの絶頂なんてことは
ありえないわけだし
喧嘩もするだろうし
だからといって不幸かっていうと別にそういうわけじゃないし
ポリンのことだけをずっと考えて
ずっと落ち込んで
居続けてるわけでもないし
つまり現実というのは
そういう
定義しがたいものじゃないですか
一言で言えないものじゃないですか
で結局のところ
あの
エリックの中のローゼンベルドが
幸せな時は
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めっちゃ不幸にしてやりたいと思うし
不幸でエリックのことで頭がいっぱいになってる時は
自分は自宅ですごい幸せだ
って思えるっていう
そういう心理状態になる
なってしまってるっていう
そういう関係は進行してるわけですよね
やっぱそれはなんでかっていう
話を
ローゼンベルドだからの部分が
あるわけで
ないってことになってるんですけれども
そんなはずはないんですよね
やっぱりあるはずで
だから社会性
社会性定義みたいな表現が
ビヨンから出てきているわけだと思うんです
この二人だから起きていることが
やっぱりあるわけで
それは非常にややこしい話ですけど
私のような立場の人間にとっては
さらにややこしい話ですけど
しゃーないですよね
そこに生身の人間が
いてしまってる以上っていうか
いるからこそそうなる
っていうのが大事なんだろうな
というか
ここから
もうさらに
行こうとした時に
避けられないことだよなと
透明にも黒子にもやっぱり
どんなに訓練積んでも
むしろそうなると
話がこじれてくるんでは
こじれてくる部分があるんではないか
っていうことかなと
どうもありがとうございました