1. 佐々木正悟の自由連想
  2. 移行対象はもの思う?
移行対象はもの思う?
2026-09-18 41:25

移行対象はもの思う?

クラインとかウィニコットとかビオンとか。
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00:06
おはようございます。 佐々木正悟の自由連想をお届けします。
いやー、9月18日ですよ、皆さん。 まあ、日本人に限るのかもしれませんが、シルバーウィークの金曜日がついになってきましたね。
こういうの必要ですよね。やっとここまで来たぜ、みたいな、そういうね、もう本当に、新学期始まって、やたらと早く叩き起こされて、
弁当は作って、朝ごはん用意して、車で送って、5時台ですからね、本当に起きる時間だけど。
何なんだこれは、という、1週間がようやく全部平日だしね。 最悪だよね、のび太くんの言う気持ちがよくわかりますよね。
6月には絶対ぐーたら感謝の日が欲しい、みたいな。 えー、つまりですね、
まあ、今日乗り切れば、5連休みたいなね、朝早く起きなくて済むぜってことだけでも、僕の場合5連休って言っても、全ての日で仕事をするんだけど、そんなことは大した問題じゃないんですよ。
5連休だということが大事なわけですね。
えー、はい、ようやくだから金曜日がやってきました、ということですね。 9月18日、金曜日、7時48分です。
なんかちょっと今ラジオっぽく喋れて、あのー、パーソナリティ感を小さく自己愛的に得ているわけですけれども、はい、えー、繰り返しのお知らせになります。
とりあえずですね、でも多く集まってきていただきましたので、あの神保町で開催する。
えー、この日はですね、ゲストの方を2人、1人は山崎孝明さんで、もう1人が、あのー、タスク主導のニーテイトレーナーさんがやはりゲストで、えー、当日、えー、神保町までお越しいただけるということになっております。
まあ何かの手違いでね、オンラインになっちゃうということも、あの遠方からのお越しなので、やはりエグとは思うんですけど、とりあえず、えー、現地参加していただくということになっておりますので、現地はそろそろ満席かなと、まあ狭いんですよ、現地はね。
だけれども、あのー、なんていうんですかね、えー、オンラインですから、まあ何名様でも当日、あの回線の不具合でもなければいけるということで、まあ最悪でもね、あのー、アーカイブはとっておきますので、あー、皆様、あのぜひよろしくお願いしたいと思います。
ではですね、えー、ではっていうほど強く主張できる何かは、この番組はいつも全くなくて、だって僕の自由連想ですから、ないわけですけれども、あのー、まあ今日はね、でもいろん、まあ今週全部外出だったんですよ。
なんか、なぜそんなことをしてしまったんだろう的な感じもあるんだけど、今週全部外出だったんで、疲れ切ってしまってるわけですね。普段外出とかしないんで僕は。ほとんどの場所が、しかも埼玉県付近と来ているで、まあ2時間かかっちゃうんですよ、ここからね。2時間って本当に往復4時間ですからね。
03:03
神奈川の外れから埼玉に行くとなるとそういうことになってしまう。金も結構かかるし、まあ今月、今週絶対赤字だなっていう、まあ何を持って赤黒を決めるのかがわかんないけど、まあひどいわけですよね。
それで、まあこの話はお祝いしますけど、母親とも昨日壮絶な喧嘩をして、私あれほど母に腹を立てるという、わかりましたね一つね、あのPSポジションというものの恐ろしさが。
なんかもう気がついたら、あの冷静な自分も半分どっかに、半分はいないけど、いるんだけど、なんか止まらないんですよ、本当に。私多分人に怒った中ではMAX、いや絶対俺にMAXで怒られるべき人は他にいただろうとか、僕いじめられっこだったし。
なのに、なんかMAXで怒ってる相手に、そこまでひどいことをされてはいないんだけど、累積なんですよね。CPTSDっていうんですか、いやそんなことを母に言いたいわけでは全然ないんだけど、なんかもうここのところ集約されているというか、ここのところっていうのは、ここ5年とかね、10年とかに集約されているあらゆる怒りが母に向かって。
なんかちょっとね、詫びを入れておきましたけど、ほぼ認知症で、かつ80前に、あそこまで、向こうも気強いんで、一方的にやられはしないわけですよ。逆襲にしてくるんですよ。止まらなくなって、珍しく父に止めてもらって、その父にも巻き込んでやったんだけど、やばいよね、やっぱりね。
50で80はね、本当においおいこの話はしますが、今日はこの話はしません。
だいたいね、この家族内の喧嘩の話を精神不適的にするとはいえ、聞いてて面白いかどうかも相当疑わしいものですし、聞きたいって人はいらっしゃると思うんだけど、まあまあもう少し整理してからにしようと思いまして、今日はタイトルにはどうつけるかわかりませんけど、コンテインですね。コンテインと移行対象について最近長々と考えていて。
ちなみにですね、私のこの話がまあどの人のどの話でもある程度知名度が高い、ちゃんとしたりでも、それもね相当疑わしいなって最近思うようになった。だって言ってることが違うんですよ、本当に。対価中の対価でも。だから結構違うところを探っていくと、藤山さんと松木さん、日本で言ったらまあこの2人対象関係論の対価中の対価2人代表みたいなもんじゃないですか。
でも明らかに言ってることがここのところでは食い違うだろうっていうところってあるから、やっぱりその教科書的に佐々木の言うことはもちろん当てになりませんが、教科書的に正しいことってどれなんだよっていうのはやっぱりね、ありますよね、この世界は。しゃあないと思うんですよ。仮説ですからどこまで行ってもっていうふうに思っておくしかないなと。
06:03
私の仮説より当てになりますよ、もちろんね。でもそれって結局のところ、だって2人の人間がどう考えても相入れないことを言っていたらどっちかはどっちも正しいということもあり得なくはないと思うんですけどね。
こう思ってほしいんですよ、この番組を聞いていただく方は。専門家であれ非専門家であれどんな方でも。私は対象関係論の本をとにかく読みまくってると。読んでない日は1日もないと。そういう人間が読んでいて、勝手に考えたことを勝手に喋る。真剣に考えてはいるけど正しく考えているかどうかは誤読は絶対するし。
というかそもそも語気がありますし、はっきり言って。語気があって誤読もするところをしかも考えを喋ってるのであって、正しい情報を伝えましょうって思って、自由連想ですからね。
情報を正しく伝えましょうとか思って喋ってるわけではないということを、しかしそれを聞く意味って例えばなんですけど、専門家の人がいやこいつどうしてこんな間違うんだろうってところを聞いていただくといいかもしれないわけですよ。
大事なのはですね、私のかかったことが4回ぐらいはあるので、アメリカでやらされるんですけどね。IQは100はあるわけですよ。平均よりはIQがあるわけですよ。全人類的に言って知らんけど、IQが正しければね。
で、そんなことはどうでもいいんだけど要するに何が言いたいかというと、松木邦博の本を読んで楽しめるぐらいの能力を持ってるわけですよ。そいつが読んでですね、一読してさっぱりわからない本は絶対売れないっていうことなんですよ。
本ってどういう要素で売れるかわかんないから、このような法則はないんだけど、でも僕が読んで、この本は少なくとも黒字に、ちなみに黒字の赤黒分岐点は最低で2000部です。2000部売れない本は誰かに迷惑をかけてます。
特に今の時代は地球環境とかにも本出すっていうのは結構迷惑なんで、いやいいんです。2000部だって僕が読んでる本は2000部いってない本いっぱいあるんで、いいんです。いいんですけどそれは信念の問題で、これは本を出す価値があるんだということで出す分はいいけど、世の中とか人間とか社会とかには負担をかけて出すものです。そういう本は。
で僕が思うに、僕が読んで1万部以上売れてる本で一読して、面白かったかどうかは別で、一読して1万部以上売れてる本でわからなかった本はない。だから一読して意味が全然わかんねえと。
例えばメラニー・クラインの戦亡と感謝、私最終人だったとき意味が全然わかんなかったけど、ああいう本は1万部はいかない。普通に考えると。だから社会に迷惑をかけます。そういうふうに思っていてもらえるといいわけですね。
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こいつにわからせるぐらいの本でないと、佐々木翔子に一読してわからせるぐらいの本でないと、ベストセラーはまず絶対望めないということですね。黒字にはできると思うんです。私にわからん本を黒字にするというのは、やりようではなんとかなると思うんですけど、私が一読して、二読は別ね、一読してわからない本は1万部は無理です。無理だと思います。
今の時代1万部出すというのはそんなもんでは済みませんけれども、ものすごい難しくなってますけど、でもとにかく本で少なくとも出したコストをかけるに値する収益が得たければ、私に一読でわかる本にしてくださいと。そういうことですね。こいつバカだなと思ってるだけでは、社会に迷惑をかける本しか出ませんみたいな、そういうまたどうでもいいことをしゃべってしまいましたが、全くどうでもいいことでしたね。
10分近いと。10分で終わるポッドキャストならにありますからね。これは僕の趣味みたいなところもあるんで、趣味ではないんだけどね。仕事のつもりではあるんですけどね。まあまあ本題に入りましょう。
で、ビヨンですよ。ビヨン。まあビヨンじゃないんだけどね。物思いです。そう、物思い。で、誰だっけ誰だっけというか手元にあるんで読みますね。精神分析的体験。ここからでも入るとよくわかんないことになっちゃうんだよな。
物思いって、なんかこうビヨン読んでるとですね。だんだんこの問題に私はまってきたんですけど、なんか抱える抱えられるっていうと、ある種一写二画みたいになっちゃうんじゃないですか。抱えられさえすれば何でもいいんかいみたいな感じになるじゃないですか。
ただ、ビヨンの本読んでると、おっぱいに抱えられるとかいう表現が、ビヨンの本じゃないのかもしれないけど出てくるわけですよ。いや、おっぱい抱えないでしょっていう。どっちかっていうと、あの戸畑海斗の絵に書いてあって、だから戸畑海斗さんはあのビヨンの宇宙からの絵から引用しましたみたいなノリだった気がしたんですが、要は口が渋さを根底にするよねっていう話をしてますよね。
でも、おっぱいが抱えるとか平気で言うわけですよ。どっちがどっちを根底にしてるんだよっていうこの考え方から脱さないとダメだなって思うんですよ。で、私物思いって苦手な方ではないつもりなんですね。
で、一番物思いといってパッと思い浮かぶのが不思議なことに桜桃子さんで、あれね、ちびまる子ちゃんを描いた人。コジコジとか私の奥さん好きなんですけど、ビデオまで持ってるんですけど、あのビデオでも再生する装置がなくなっちゃったんですけど。
コジコジというのがあるんですが、桜桃子さんエッセンの中で、なんでぼーっとしてちゃいけないんだろう。私ぼーっとするの好きとか、中学生が高校生の頃言っていて、ぼーっとしてるってわるちゃんのお母さんにまたぼーっとしてとか言って怒られてるわけですね。
12:06
あれが僕は物思いだと思うんですよね。で、物思いって一体、じゃああれを赤ちゃんのためにやっていいのかっていうと、あのビデオも書いてるんですけどね、物思いって言葉は何でも対象を持つことができるんだと。だから私は憎しみと愛情だけにここで絞っておきたいみたいなことを書くんですよ。
要するに赤ちゃんの愛するという物思いをお母さんがするって話に絞りたいって話ですよね。ところがこれは客観的には赤ちゃんを思いで包んでるのかもしれないけど、それはそのから見た光景でしかなくて、赤ちゃんはその時、まあ美音的には東洋ドイツ化してるというか排出してる。だから東洋ドイツ化してるわけですよ。赤ちゃん泣いてるはずなんですよね。
泣いてるということは赤ちゃんはそこに、まあ不在はまだ難しいと思うので、おっぱい、悪いおっぱいを見てる。要するにお母さん何もしてくれないとか、お母さんは私のことを恨んでるとか、憎んでるのか、まあそれを言語的じゃない気持ちになって怒ってるわけですけど赤ちゃんは、あるいは泣いてるわけですけれども、その時に赤ちゃんから見る、見る、見るものとして、多分見るしかないと思うんですよね。聞くことはできないと思うんだよね物思いは。
だから見るものとして、まあおっぱいを見るのはいいとしても、物思いしている母を見るっていう、物思いしている母を見るっていうのが、まあ愛情というものにもしかすると気づく契機になるっていう、なんでこういう言い方してるかというと、赤ちゃん泣きまくってる時にはそんなものは目にも入らないからだと思うんですけれども、肺にうるものとして、そこに物を思っている母親というものを見る。
だから赤ちゃん側の視点を取らないと、赤ちゃん側の主観を見ないと、この精神分析の場で何が起きてるかの話、精神分析の場で、あの先日もその山崎さんとちょっと話をしたんですけど、ビデオ撮っても無駄だと、この話はつまり他人の精神分析は絶対本当は見ることができないはずなのに、精神分析とは何かを誰かが決めるのはおかしいじゃんっていう話になっていく話の連なりにあるわけですけど、
これが精神分析的に最近こだわってるって話と妙に絡んでくるわけですが、ビデオに撮ったって撮れないんだよっていう話、これは藤山さんが言いそうなことなんだけど、撮れないそれは確かに。
だから私も一時ですね、許可を得てですけど、Google Meetのチャレでやってるセッションを撮っておいて、嫌ですけど、嫌ですけど撮っておいて、後でつぶさに見て、うわ俺ダメだわって思ったんだけど、でもあれを見ても無駄だっていうのはよく分かるんですよね。
特にセッションが精神分析的になればなるほど、ここには何も映ってない気がするって感じがするんですよ。いや映ってますよ。顔の表情とかも映ってるし、喋ってる話も録音されてるからその通りなんだけど、でもこれは結局自分がやったからこれを見て自分には分かるのであって、ここで黙ってた時はこうだったなみたいなのは見れば分かるけど、他人が見たって分かんないじゃないですかそんなもん。
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だから客観的性っていうものがここには結局ないなって感じがするわけですね。直に見てれば別かもしれないけど、直に見てる人が目線を持ってるってなってくると多分いつも通りには絶対できないから、やっぱり無理なんですよね。量子力学みたいな話になってくんですよ。観察者対象が強すぎて、観察者の影響が強すぎて、観察できないものになってるという感じがする。
というか感じがするんじゃなくて、実際観察なんて絶対できないなって感じがしますね。なのに精神分析とはこれがあってこそ精神分析であるっていうのはおかしいと思うんですよ。それがあったっていうことがどうして証明できるんだっていうと絶対証明できないじゃないですか。
これは私は知りませんけどね、インスティチュートで超訓練してすごい頑張ってる人だから、それがあるということが客観的には絶対わからなくても私の主観は絶対なんですよって言ったらかなりやばい人みたいになっちゃうじゃないですか。でもそういうことしか言えないはずなんですよね。
また話が盛大にそれてるんで戻しますと、要するにこの物思いなんて特にそうですけど、見たって物思いに振ってるという証拠はどこにもないわけですが、でも赤ちゃんからしたとき母親がまあそうは決して考えることはないんですが自分のために物を持ってくれて、でもねやっぱそれをそうじゃないような気がするんだよね。そうなのかもしれませんけどね。でも私はそうじゃない気がするんですよ。
物思いというのは桜桃子さんがその学習机の上に頬杖ついて学習をせずに、ここが大事ですよね。勉強せずになんか夕焼けの空を見て物を持ってるわけですよ。これが物思いだろうってやっぱ思うんですよね。
それはまああえて無理やりこういう言い方をすればですけど、現実を愛してるって感じがしますよね。まあこれはちょっと無理があるか。でも夕焼けが好きだぐらいならおかしくないですよね。別に夕焼けを愛してるっていうことはないかもしれないが、でもやっぱ物を持ってるっていうことですよね。
夕焼けは桜桃子さんを見るかというとそれはおかしいですよね。見ないですよね。でも桜桃子さんは物を持ってる自分を感じることはできますよね。これと赤ちゃんが物を持ってる母親を感じるのは相当近いんじゃないかと。
ここでクライーンだと取り入れって話になっちゃうと思うんですよ。母親機能の取り入れとか母親のアルファ機能の取り入れとか。でも私はなんかねここに取り入れ同一化とか取り込み同一化、見せ切ることにこだわるならそうでしょうけど、私はここではやっぱりミニコットに傾くんですよ急に。今までの話は全部ビオンだと思うんだけど急にミニコットに傾きたくなるんですよ。
だけどやっぱりこれは空間、心的現実でも考えるべきであって物理的現実はここではもう考えるのやめた方がいいんじゃないかろうかと。つまり口がおっぱいをコンティニしているのかおっぱいが赤ちゃんをコンティニしているのかミルクをかきますもんねビオンとかミルクを消化管があってまあ胃でいいと思うんだけど別に食堂でもいいですけど要するにミルクを胃がコンティニしているのかとかっていう意味ってあんまないと思うんですよ。
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確かにミルクはアルファ要素ですよねこの場合。だからミルクベータ要素だったらやっぱりちょっとやばいじゃないですか。なんかちょっと悪くなってるとかね。赤ちゃんの胃が強ければ。だからこういう話にする理由が何もないから
ビオンも書いてますけど物思いはアルファ要素の因子であるって。そういうのであるならばこれはどっちがどっちをコンティニしているかはビオン的なモデル図式では大事かもしれないけど消化管に立てるぐらいですからね。でそれはなんて言うんですかね。それこそ教科書的に理解するときに必要な概念だと思うんですよ。絵にも描けませんってのは困るんで。だからユニコットの世界困るんだけど。
でもユニコットの方がこういう時の実感には合うなと思うんですよね。つまり例えばテリペアを抱っこしている女の子がいるとして。これはテリペアが意向対象って話ですよもちろん。でテリペアを抱っこしているから女の子がコンティニしているのかって言うと逆だろって感じが。だけれどもテリペアは女の子を抱っこしないじゃないですか。
この際意向対象っていうのは母親の代理みたいなもんだと思っていいと思うんですけど。この際にどっちがどっちをコンティニしているかということを物理的現実から測るのはやっぱり無理があると思うんですよ。
物思いということを言ったとして、だからつまり物思いとコンティニは違うんですよって話を盛んにするわけです。盛んというかでもしてますよね。このビヨンの宇宙の中では。私は松木さんは絶対ビヨンに圧倒的に寄っていると思うんで、堅入れしているというのかな。そこが藤山さんと違うところだと思うんですけど。
それは全然いいんですけど、その方がいいぐらいなんですけど私にとっては。そうじゃないとあのお二人を往復する価値が僕的に下がるって非常に僕の都合なんですけどね。
でそのテディペアのことを考えた時に、でも人によりますけど女の子とかを考えた時に、なんか悲しいことがあった時とか寂しい時にギュッと抱くとかってするじゃないですか。このギュッと抱くっていうのはつまりコンティニされてるってことじゃないですか。決してテディペアをコンティニしているわけじゃないじゃないですか。コンティニ的には心理的にはですね。
で時々、時々というかやっぱり結構いると思うんですけど、テディペアと喋る、そういう漫画とかだとテディペアが喋るじゃないですか。つまりテディペアに物思いさせるじゃないですか。
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でこれはなんていうのかな、投影って投影だと思うし、もう空想、無双っていえば無双だと思うんだけど、でも私はこれと物思いは酷似してくるだろうって思うんですね。さっきのさ、クラマモコさんの夕焼け目で物思いにふけるっていうのと、お母さんが赤ちゃんを見て物思いにふけるっていうのと、
テディペアが私と話し相手になってくれる、お母さんいなくて寂しいみたいな時にですね、なってくれるっていうのは全部同じような状態だと、心理的にはですね、酷似してくるという感じがするんですよ。
で、この時にハナシーガルが言ったって言葉があって、ミニコットとビオンはしばしば似てるって言われるけど違うんだと。これ違いを言うよね。そういう学派的な世界ですよね。違いを言うけど。つまりミニコットは投影同一化を用いない。
でも私はですね、まあそうですけど、つまり投影同一化をコンテナーがアルファ機能を使って変形させるってこの図式を取る限りはそうですけど、でも、だからですね、ボラスのように言っちゃった方がむしろいいのかなって時々思うんですけどね。
例えばお腹が空いたとか、苦しいっていうか、腹減ったんですよね。腹減って赤ちゃんが泣いてると。それはだから投影同一化ですけど、泣きまくってるとミルクがやってくる。だからミルクに変形、思考っていうか、まあでもβ思考がミルクに変形されるみたいな。そういう風にもう変形なんだって言ってしまってもいいとは思うんですけれども、ここの細かさをあえて頑張っていくならばですね、頑張らなくてもいいと思うんですよね。
変形が大事だって言っちゃうっていうのも一つの手だと思うんですよ。要するに脳みその中で思考物はできないっていうことなんですよ。なんかこうよく言うんですよね。ライフファクトが本当好きなんで、でもあれも変形かけてるんでね、実はね。だってメモをなんかいい感じにエヴァノートの中で発行させるとか、発行しないでしょ。
エヴァノートの中にメモを入れて発行してるってことは、なんかエヴァだと異臭がなちそうじゃないですか。そういうところはなんかこう、なんか厳密に行く必要があると思うんですよね、僕はね。発行とか言ってたって、いいアイディアとか出てきませんからっていう感じがするわけですよ。その入れ物をオブシリアンにしたって、こういうこと言うと炎上するからやめよう。炎上しないかもしれないけど、感じ悪いからやめましょう。
別にただですね、発行いかんだろうって思うんですよね。変形しないっていうことなんですよ。人間が変形させるのであって、AIは変形はさせてないと思うんですよね。今のところは少なくとも。
で、この変形ってすごくこうやっぱり一つのポイントになっていて、つまりですね、なんだろうなぁ。テディペアは変形させてはいないんだけれども、テディペアを毎怪物にして、女の子は自分の寂しさをテディペアと話し合って寂しくない状態、つまり一人でいられる能力に近いと思うんですけど、この一人でいられる能力も一人で寂しさに耐える能力みたいなんじゃないですか。
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そうじゃなくて、やっぱり二人で一人なんですよね。二人がバラバラにいるんだとすると寂しいわけですよ。何人といたって。よくあるじゃないですか、都会の雑踏でこんな1万人に囲まれて寂しいみたいな。普通ですよね、それはね。
だけど、お母さんと二人でいると寂しい。二人きりしかいないのに寂しくなくなるわけじゃないですか。これが人間のこう一人でいられる能力だと思うんですよね。
で、これは物思いっていうものに限りなく近づくと思うんですよ。あるいは一緒なんじゃないかと思う。なぜならば、そこにアルファ要素が散出されているって状態になっていると思うんで。
結局テディペアと話し合うというのは、なんかそれ自体は病的だって考える人もいるかもしれないけど、テディペアとお話しするというのは心の中の出来事じゃないですか。つまり明らかにこれは夢思考になっていますよね。
夢思考になっていない時、テディペアは物を言わないと思うんですよ。だからこの時にすっごい寂しくてつらければ、そこはもうβ要素でいっぱいってことになっていると思うんですよね。
取り扱えなくなってるんで。だから寂しいから泣くみたいになってくると、涙が出るみたいになってくると、非常に具体的になってくるじゃないですか。
つまり考えられなくなっていくわけじゃないですか。考えるというのは別に誰が考えてもいい。すっごいオカルトでよければテディペアが考えてくれてるでもいいと思うんですよね。
アメリカとはギリギリそういうことは、その辺はお医者さんであり科学者なんでしょうね。言わないんだと思うんですよ。でも代わりに母親の一体的交流とかそういう、だからそこ批判されるんでしょうけど、2者いるだろうってことでしょ。
でも2者いるかもしれないけど、アルファ機能って言った時にこれは母親のアルファ機能なのかどうなのかみたいなことを母親のアルファ機能に決まってるんだけど、それはそれでいいんですけど。
でもそこに女の子しかいないのに女の子がアルファ機能を使えるようになりましたって時に、クラインが言うみたいに取り込みとかいう言い方をしなくていいんじゃないかと思うんですよ。むしろ英語とか言ったみたいに環境としての母親、つまりそこに別に母親いなくったって、
例えばテディペアと2人で話し合えているっていうのは環境が支持的であるっていうか、でも環境に感謝しましょうって話じゃないですよ。そういう話にすぐさせられてしまうんですけど我々は。環境が支持的だからできることじゃないですか。ドローンとか爆弾落としてきたらまた極端なこと言うようだけど、そういうテディペアとお話ししてる場合じゃないんですよ。
でもむしろ地下に避難した時にテディペアとお話ししたりしそうじゃないですか。そういうニュアンスっていうのが物思いっていうのでは欠かせないなって感じがするんですよね。守られているという環境の中でアルファ機能が誰のともなく、この言い方がやっぱり良くないですよね。女の子のですよ。もちろんそれはそうなんだけど。
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でも移行対象あってのことだと思うんですよ。だからその移行対象は何やってるかというと、まあその見出される環境って言えばいいんですかね。だからそれはつまり赤ん坊から見たときにアルファ物思いにふけてる母親が見えるのか見えないのかは大事だと思うんですよ。
東映ドイツカは、だから恥ずかしいがに言わせるといいにこった東映ドイツカを用いないのかもしれないけどそれはただ東映ドイツカが大量に大量にと言っていいかな。大量に発されている時の理解としてはビヨン的でなければならないかもしれないけど常にそうだとも限らないじゃないですか。だから年齢が違うということなのかもしれないですよね。
ビヨンのコンテナモデルはゼロ歳でもなぁ。最早期って言うでしょ。ミニゴッドだって。10日とかでしょあれ多分。一時的母性的没頭ですよね。でも一時的母性的没頭ってのは結局物思いの極端な形態だと思うんですよ。
赤ちゃんのそのなんていうのかな。僕やっぱりこれは藤山直樹の事例が一番いいなと思うんですよ。僕自身の体験からしてもあれですよ。ミラーを壁に擦ると車のなんか体がうっとくるやつですよ。あれが一時的母性的没頭だと思うんですよね。赤ちゃんが苦しんでるとお母さんが苦しく本当に苦しくなるみたいな。東映ドイツカでいいと思うんだけど一時的母性的没頭なんですけどそれは物思いの極端形態だと思うんですよね。
ってなるわけですよ。それがだから要するにこの状態でない時に発生したらそれは精神病だからっていう話になるんだけどそんなこと言わなくていいと思うんだけどね。そうなんだけどそうなんですだと思うんですけどそんなこと言わなくていいと思うんだけどね。
なんかわかるじゃんではダメなのかもしれないですけどねわかるような気がするとかそうじゃない母親もいっぱいいるでしょうみたいな話になったりしてややこしいわけですがでもここのところにやっぱりそのテリペアみたいな話が出てきてると思うんですよね。
つまりその取り込みではなくてアルファ要素を取り込み機能を取り込んだ取り込んでるのかもしれないけどそれが心のベースにだから規定ですよね心の規定には母子という配分母配分子があるんだっていうそれでその方が綺麗に説明できる気がするんだけど物思いっていうのはですね一時的母性的没頭だとしても
結局人間のこの要するに物理的現実を心的現実にそして夢思考にしていくというこれみたいなだからまあ美音が言う通りですよあの物思いはアルファ要素の因子であるっていうそういうことだと思うんですよね
30:17
赤ん坊から見たときに物思いしてる母親が目に入るとこれがベータ要素とアルファ要素を分けるんだっていうような感じの話だと思うんですよだから僕はそれをもちろん持ちこたえないとできないとひたすら苦しんでひたすら排出しているときには母親の物思いさえも目に入らないであろうみたいなことはあるのかもしれないけどそれはそれとしてつまりなんか現実の中でですね現実はもう本当にお母さんいないし寂しいしドローンだし
いやドローンよくないねとにかく現実はダメすぎるとだけどここに希望の光みたいなのがあってそれが例えばテリペアであり物思ってる母親でありえっとそういうものですよだから僕はやっぱりこうもなんか持ちこたえるというのは初動だって感じがするんですよねそれは気づきだと言ってもいいのかもしれないんですけどこの現実があるっていうこの現実を目に入れればいけるっていうのかな
そういうなんかこうPSの時とか本当そうだと思うんですよねめちゃくちゃもう離婚するしかないみたいになってるときにでもご飯作ってくれたなみたいななんかそういうチンプなことを言ってますけどなんかそういう感じがするんですよね現実の中のこれを見ましょうねみたいななんかこう昔まつきさんがそのどう見ても壁しかない立ちふさがってる壁しかないもうここまでだと思ったときにふと見ると壁に穴が開いてる
おかしな話だと思うんだけどその壁の穴を見ていると気がつくとあのさっきの立ちはだかってる壁を突破するああいうふうになる瞬間の感じのことを言っている気がするわけですよね
そうでそれは人間にとってそれがもっと原始的に重要なものでありましたみたいなそういうそのだって一時的母性的没頭に入った母親というものをミニコットが言う通りならばあそこに大事な前男とかそういう話では全くなくてという母親を赤ちゃんは目撃したり体験したり感知したってことだと思うんですよ
だって私が例えば肩凝ってるんですけど肩凝ってるなって時に整体のところ行って
佐々木さんと全く同じように私も肩の痛みを感じますみたいなこと言ったら絶対毎週痒みたくなるんですか
なんかこう分かりますか分かられないかそんな言い方ではなんかそういう人のところに行きたくなりません
歯の治療とかでも例えばこうガーってやられてなった時にすいませんマスキン切れてましたねみたいな人
33:08
腕が良ければそっちでいいんだけど別にだからと言って同じように自分の歯も痛くなりましたみたいな人は超良心的かもしれないけどそれはそれで困るかもしれないけど
でもなんていうのかなだったら手打ってくれそうじゃないですかっていうかそういうそういう感じなんですよね
テディペアが話を聞いてくれる感じがするというこの感じとそれとは相当似てくると思うんですよね
でこうこの機能だと思うんですよ夕焼け見て桜本子さんが物思いにふけていると何もしてないわけですよ別に何もしてないんだけど
これが人間の活動の全ベースだっていうこれがないとそれこそ交差点に行って黄色になった時どうするかの判断すらできないはずなんですよねっていう感じがするわけですよ
夢思考ってのが勝手に進む黄色はあれ注意だったっけとかじゃ間に合わないじゃないですか絶対に時速80キロとかで動いてる場合もあるわけだから
そのそうはなってないはずだってことなんですよほとんど無意識に思考は終わっててで執行が無意識にほとんど終わるということはその頭の中でアイデアを練ってるとかでは全くないという感じがするんですよね
外を見ててそこに意味を見出して意味ってのはつまり人間にとっての意味でしかないから家だとかって家って人間しか知らないもんじゃないですか
煙突が立ってるとかって肺育とかにも出てくる死とかにも出てきますけど煙突って人間にしか意味のないものじゃないですか完全に
そういうところに自然みたいなものまで見ちゃうわけじゃないですかだから赤ちゃんがすっごい苦しそうだとか言うのは母親が見ると非常に意味があるわけですよね
それはだからどんなに優しくてもそこにいる犬とかにはさほどの意味はないわけですよ
意味あるのかもしれないすっごい優しくしてくれる犬とかもいるみたいだから最近そういうテレビがしょっちゅうやっていて思った以上に関心はさせられるんだけどでもやっぱ母親が打てる手と犬が打てる手じゃ全然違うと思うんですよね
最寄りの病院に電話かけるとかどんなに賢くて良心的で思いやりがある犬でも電話はかけてくれないわけだから
そこのところに電話をかければいいでしょうではないと思うんですよね将来相棒でもできますとかそういう話であってはいけないと思うんですよ
いけないと思うところにこの物思いに意義を見出せるかどうかみたいな感じがあって
そういう意味ではテディペアじゃダメな感じもするんですけど
ただ子供の側から見た場合その心的現実として非常にしばしばめっちゃこれを機械的にやるお父さんよりはテディペアの方が心の救いにはなるってことはあり得ると思うんですよね
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だからアルファ機能ってそういうもんだと私は思うし今の時代ってそこのところが難しくなってるぐらいですよ
問題解決がないでしょって先日もねある人とタスクシュートとかの話をしてるときに
佐々木さんは3ヶ月チャレンジとかチャレンジっておっしゃってますねまだ名前がチャレンジですからね
3ヶ月個人コンサルに改名してますが3ヶ月チャレンジとか3ヶ月もやっていて
要するに何をしてるんですかみたいなどうやって問題を解決するんですかっていうような話になるんだけど
問題の解決は一切していないなみたいなタスクシュート進めないのかっていう
進めたことは間違って進めたような感じになったことはあるけど基本進めたことはないなみたいな
これも協会理事としてはどうなのかって話になるんですけど
要は問題の解決を試行していけないわけではないんですよ
赤ちゃんが苦しんで困っているときに電話をかけるのはいいというか絶対にいると思うんですよ
ただそれはその前にかけたくなるというかこの苦しみを何とかしてやりたくなるというか
それを基本それをですよね結局ねそうなるべきだと思うんですよね
そうなったら赤ちゃんにそれは目に入るし
この段階でもう東映同一化が夢思考に変わっていく変形
だからやっぱりボラスなんだなそうなってくると赤ちゃんが変形するわけですよね
非常に極端に言うとだって赤ちゃんの心的世界変わるわけだから
そういうふうに太い夕焼けを見るとですね綺麗だなと思うというのは
さくらももこさんが変わっているわけですよねその段階で
そういうものをだから気づく対象が物を持っている母親であれテディペアであれ
つまりあえてこういう言い方をするならば現実が敵にしか見えないときに
ここに味方がいたっていうことに気づくみたいな
私は持ちこたえるっていうのはそういうふうに感じるんですよね
気づくの結構大変だと思うんですよ
周り敵だらけですみたいなよく言うじゃないですか
統合執著の世界みたいな話で敵に囲まれているんだみたいな話が出てくるじゃないですか
あれは本当に近くが敵に囲まれているつまり近く対象はみんな敵だから
ウェブカメラとかがあるとそれは監視装置だし
ATMがとかがあるとそれは思考を吸い取る装置だしみたいな感じになっていて
だって思考ってのは心的現実の中では外に向かいますからね
テレパシーでしょっちゅうやってるじゃないですか
吹き出しから何か言葉喋ってたりするじゃないですか
心の中ではそうなってますよね心の中ではですよ
だから機に考えが伝わるとかそういうことが心の中だったらできますよね
39:02
そういう時にただ機に考えが伝わる時には滅多に機は仲間じゃないわけですよ
だから機が仲間であるような世界
それはだからアニミズムみたいな世界になっちゃうんだけど
そういう感じで僕らは機は喋んないでしょうけれども
ほとんどの人の世界では心の中だとしても
でもどっちかというと世界がテディペア的であるという
だからつまり私はやっぱりその意向対象っていうのは
フニコットはそれこそ東映ドイツから使わなかったのかもしれないけど
それはやっぱり彼の見ている世界はややここが不人気なんでしょうけれどもね
甘いのかもしれないですよね
でもそれは目指す方向としてはそうなんだよなって感じがするわけですよ
その物思いにふけてくれるのが見つかるか見つからないかを問題にしている時に
意向対象を話題にするのは甘いのかもしれないんだけれども
でも結局のところそこにいるっていう風になってるわけですよね
精神分析の話であれば
精神分析家は要するにクライアントの味方なんですというのは
前提として置いてるわけじゃないですか
その敵に見える時がただあるにしても味方なんですみたいな含みは
ビヨンでもクラインでも絶対あるはずだと思うんですよね
それを信じてもらえない話の難しさを書いてる
信じてもらえないことが難しいことだって言ってるってことは
味方であることは自明であるみたいなノリがあるわけですよ
それがそもそも自明じゃないから話が始まってるわけだと思うんですよね
だからそういう意味ではミニコットは甘いとは言えない気が
僕は逆説的になってるかもしれませんけれどもするわけですよ
結局物を思うテディペアなわけですよ
物は思わないじゃんっていうのはそうなんですよ
思っちゃいけないとも思うんですよね
あの中にAI仕掛けておいて本当に物を思うようにすればいいのかっていうと
それはたとえどれほどそれがよくできていても
火の鳥のロビタみたいな問題を引き起こすような気はするんですけど
41:25

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