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おはようございます。グッドモーニングボイスです。
1125回をお送りします。
1月の23日、木曜日、朝8時7分です。
昨日ね、なんかちょっとつぶしゅうと公開しようかなみたいなこと。
なんでなのかよくわかんないんだけど、思わずSNSでつぶやいて、
思わぬ反応をいただいて、なんかもう公開しなければ。
いや、公開するのは全然いいんですけど、めんどくさいという気持ちがあるんですよね。
別にいいんだけど、どうせみんなすぐ飽きるんじゃないかなというのが一つあるのと、
飽きるというのはなぜなのかを今日少しお話しようと思っているんですけどね。
昨日3ヶ月チャレンジでの成果についてしゃべろうと思って、あんまりうまくしゃべれた気がしないんですよ。
で、結局誰もこれ成果についてしゃべってるというふうには思ってないっぽいんで、
一部の方には好評だったんですけど、それは全然違う文脈で好評だったというね。
あんまり慣れないことはするもんじゃないかなと思いつつですね。
成果ね、何が成果なのかが僕にも定義できないんですが、
成果っぽいものはしゃべっていきたいんですよ。
ただなぜ成果をしゃべれないかということについて、こういうことならしゃべれるんですよね。
成果を出すのが自慢話っぽいから嫌だとかそういう話では全然ないんですよ。
ただ果たしてそれが成果なのかどうかがよくわかんないっていう、
だったらなんで参加している人は増えているんですかと言われると、
それはつまり困ってるからなんだと僕は思うんですね。
これを聞いている人の中に正規の人はいるかもしれないしいないかもしれないけどいないと思ってるんだけど、
公認心理師さんとかが困ってるなら公認心理師頼れよっていうのかもしれないんですよ。
だからそういうことについても僕はしゃべりたくなるんだけど、
でも困ってる人が公認心理師さんなりに頼る気がしないというのはですね、
私は無理からぬことだと思ってしまうんですよね。
そういう話をここではしばらくはしたいんですね、僕はきっとね。
だからそういう話をしばらくはしましょうね、やっぱりね。
そのうち成果についてもっと語る準備ができるようになるかもしれないですね。
このそもそもなんで正規の人に頼る気がしないのかすらだいぶ明るみになってきたんですけど、
僕はそこが僕の仕事のポイントだと。
言ってみればこれ隙間産業なんだと思うんですよ。
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じゃあ隙間がなくなったら君の仕事なくなるじゃんっていうことかもしれないんだけど、
僕はそれは全然いいと思うんですよね。
この隙間がなくなるのにあと50年は絶対かかると思ってるんで、
これは私はもっと本当はかかると思ってるんだけど、
この目論みは楽観的すぎるのか暗すぎるのか知りませんけど、
人によって立場によって違いますからね。
でも私の見たてでは、実は今後100年はこの隙間埋まることはないだろうぐらいに思っていて、
短く見積もっても30年は絶対ある。
つまり僕は30年後は80なんでね、この仕事は難しいと思うんですよ、はっきり言って。
技術が進歩すると80歳がどのぐらい元気かって予測できないものだろうと思ってるんですね。
だって昔の50歳ってもっと大変そうでしたもん。
今の50歳とかも30歳ぐらいに見える人いるじゃないですか。
僕は全然違いますけど。
だから技術が進歩すると80歳がどうなるかなんてわかんないから、
なんとも言えませんが80歳になると結構これ厳しいと思うんですよね。
少なくともこの人数ではもう無理でしょうって思うんで、
なので別にこれね、スキマ産業でも全然いいんですよ。
僕この産業自体を、産業自体のビジネス自体を3ヶ月チャレンジのことですけどね、
どんどん引き継いで大きくするぞみたいな気持ちは全くなくて、
僕一台で終わろうぐらいに、今のところは絶対的にそう思うようになってますから、
いいんですよ、これはスキマで全然。
で、今手元にですね、この精神分析を語るという、
藤山直樹、松木邦博、細河ひとしさんなのか、じんさんなのか、
つまりその読みで悩むお方ですね。
どこにもローマ字とか書いてあった、細沢じんさんですね。
細沢ひとしとか呼んでいた僕が大きな間違いで細沢じんさんでした。
いずれも私よりは年上なんですが、細沢さんという方はちょうど10上っていう感じですね。
で、これ大変良い本で、良い本というのはつまり、
今私が考えたがっているようなことについて考えると良い本で、
一般の人にとって良い本かどうかは何とも言えないところもあるんですけど、
私はこの本は何かもう、この本が分かるようになっているだけでも、
私は以前とは全然精神分析に対する感覚が変わったなとは思うんですね。
以前だったらこの本多分、最初の30ページぐらいで完全に読むのを諦めていたぐらいつまらなかったと思うんですね。
その以前って言ったってそんな大昔じゃないですよ。
せいぜい5年ぐらい前ですよね。
だから河合駿さんの本とかは読みまくっていたり、
私すでにその頃は読みまくり終わっていたし、
そのうちまた読みまくろうかなと思っているんですけど、
留学とかもちろんしていたし、アメリカで心理学士は取っていたし、
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実験心理学科の博士課程とか行っていた後ですよ。全然後ですよ。
もちろんフロイトだって一通りっていうのかな、有名どころは読んでいたんですよ、その前には。
読まされていたと言うべきですけどね。
でもこの本、たぶん全く理解できなかったですね。
全く理解できなかったです。
この本はその3ヶ月チャレンジの参加者さんが教えてくださった本なんですけど、
僕もこう、藤山直樹、他って書いてあったから、
藤山先生の本なんだと思って、そのうち思うぐらいに思ってたんですけど、
他じゃないですよね、この本ね。
この本は細沢ひとしさんの本ですよ、はっきり言って。
で、松木さんと藤山さんは、この番組ではおなじみの大名前ですね。
一番出てきてるぐらいに出てきてるね。
クラゾの形像の次ぐらいに出てきてるんじゃないかと思うんですけど。
まあわかんないですけどね、トータルで数えたことはないんで。
昔、ドコンジョウガエルの娘の話しかしてなかった時期があったから、
その名前も相当出てきてますし、
あとその前ぐらいには、イブホワイトとブラックの話。
あれはヒステリーでもう一回語り直したいと思ったんだけど、
めんどくさくなってもうそのまま売っちゃってあるんですけどね。
ヒステリーなんだなぁということが、当時はわからずに喋っていて、
でも別にいいんですよっていうことを今日お話ししたいんですけどね。
でも良いも悪いもないんですけど、
つまりですね、この本、この精神分析やカタルを読むとですね、
なるほどなと思うんですよね。
何がどうなるほどかというと、精神分析家が本気ですっごい頑張っちゃったら、
人間の営みっていうものは、こんなにその説明がつくんだな。
ただしその説明のつけ方っていうのは、
その人が納得できる説明のつけ方ができるっていう意味なんだなっていう、
全然何を言ってるのか自分でも十分にでも不十分にでも伝わってる気がしませんね。
要するにですね、こういうことなんですよね。
許可なく登山をしちゃいけませんって話なんですよ、これ。
で、でもね、山登りたくなるような話をされてしまうんですよ、ここで。
あたかもですね、精神分析家の藤山さんでも松木さんでもほぼ同じようなことをおっしゃってるんですけど、
おっしゃることは最もなんですよ。
素人が迂闊にエベレストに入ると死ぬからねって書いてあるんですよ。
まあそりゃそうだよねと。
でも次にこう書いてあるんですよ。
でもエベレスト登ると人生わかるんだよね。
なるほどなって思うんですよ。
でも素人山登っちゃダメだから。
なんかそう言ってはいないんだけど、そう言われているようにしか聞こえないんですよ。
で、エベレストって本がここにあるわけですよ。
そりゃ登りたくなる人いるじゃんって思うわけですよ。
これがもう言ってる通り間違いなくそうだって言うんなら、この本出版しちゃダメでしょっていう、
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そういう感じなんですね、これはね。
エベレストっていう本出すのやめろよっていうか、
せめてそれは登山家の間でしか読まれてはいけない禁書みたいにしてよっていう、
まあそれは日本で今では難しいでしょうけど、
なんかエベレストは素晴らしい、人生知るにはエベレスト登るしかないって書いておきながら、
エベレスト登る人は世の中にほとんどいませんって書いてあるような本なんですよ。
これを読まされた人がすっごい微妙な気持ちになるのは当たり前じゃないですか。
いや、なんか読んですごい良い本読んだなと思っておきなさいねって言われても、
ほぼ納得できないですよね。心の底からそれ納得できる人は、
僕はほぼ皆無だと思うんですよね。
という本なんですよ。
でも、大西洋横断、あれ漂流期なんですけど、漂流期ってそういうもんじゃないですか。
漂流すると人生感変わるよね。
でも漂流をしちゃダメだよねっていう本じゃないですか。
あれ見て、漂流してみたいって思う人は僕いると思うんだけど。
いると思うんだけど。
でも、まあ好き好んで漂流はしません。
だからある意味精神分析の本だけじゃないですけど、心理臨床の本って結局人生漂流期なんで、
これに引き付けられる一定の人がいるのはやむを得ないと思うんですよね。
だって漂流期ばっかり読む人って、私の友達にすでに高校時代いましたから、
こいつも漂流期ばっかり読んで大丈夫なの?みたいなそういう、
いっぱいありますからね、漂流期って。
遭難期ですよね。
で、遭難期いくら読んでもその人が遭難したいがってるとは言い切れないじゃないですか。
同じようなもんなんですよね、精神分析ってきっと。
で、この漂流のこの時のこの判断どうだったの?って言ってんのがスーパーバイズみたいなもんだと思うんですよ。
ここやったのは良かったかもしれないけど、本当はこれやばかったんじゃないの?みたいな感じなんですよね。
スーパーバイズってきっと。
確かにそれは一理ある。
例えばだからつまり、もっと登山家としてね、年金入った人なら、
いや俺ならそこでそうはしないなとかって言うわけですよ。
その意見は最もなんですよ。
ただ、そんなこと言われても困るじゃないですか。
で、我々も山登っちゃうじゃないですか。
例えば私だってエベレストはそりゃ登らないし、日本人としてどうかと思うけど、富士山も登る予定はないけど、
東山とか登りますからね、地元にある。
いやまあ丘以前ですけどね。
小学生でも登る山ですけど。
それは登りますよね。
それは登るじゃんっていうことなんですよ。
つまり登山家じゃないし、ベテランではサラサラないけど、
間違った山の登り方はするよね、それは。
別に。
しょうがないじゃないですか。
だから3カ月チャレンジがどれほどやってることが浅かろうと間違ってるようとやるんですよ。
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だって人生相談って人はやるものなんですよ。
猿は山に登るじゃないですか。
登山家じゃないけど、酸素ボンベ持ってないけど。
我々はもともとはギャートルズだったんだから、
そんなね、宇宙海辺以来、
登山家認定証という知りませんけど、
そういうものがこの世にあったわけじゃないわけですから、
だけどこれは人間社会では通らないんですよ。
人間社会は免許証がなければ車の運転者はダメだということになったんですよ。
これを現実原則って、
まあ私は、つまり現実原則ってつまらんものだなってみんな思ってると思うんですよね。
こんなものに縛られてなきゃならないんだけど、
これに縛られないと我々はむしろ不自由になっちゃうよね、
っていうような話だと思うんですよね、現実原則っていうのは。
好きに山登りたいじゃんっていうのが一時過程だと思うんですよ。
快楽原則だと思う。
それはだってみんな動物山登りますもんね、別にね。
でもそういうことしてると死ぬから。
むしろかえって不自由。
つまり人間ってのはこういうふうにして自由を拡大したんですよね。
免許証みたいなものを作ることによって、
むしろ自由を拡大してるんですよ。
二次過程っていうのはそういうこと、そこに価値があるんだって。
でなきゃ何にもならないじゃないですか、こんなもん。
っていうような話だと思うんですよね。
人生相談も同じなんですよ。
たぶん彼らは正しいんだけど、間違ったこともするんですよ。
間違っていようとあざかろうと。
だって、エベレスト登らなければ人生分からないんだったら、
普通の人には人生分からないじゃないですか。
で、昔の人は誰も人生分からなかったことになるじゃないですか。
エベレスト登れた人いないんだから。
だからそこは限界があると思うんですよね。
その感覚、その路線は。
もちろんそういうふうに言ってるわけじゃないんですけど、
でもあれを読んでるとあたかもそんな気になって来させられるぐらい解説は鮮やかなんですよね。
この話、いくら抽象的にぐるぐる回しててもしょうがないんで、
この本の紹介しちゃいますけど、別にネタバレ全然いいと思うんですよ。
この本読んでる人って僕ほとんど見たことがないんでね。
精神分析を語るですね。
だいたいタイトルからしてもそうだよね。
精神分析を語るって、売る気ないだろそれって感じがします。
エベレストを語るぐらいな感じですよね。
とにかく、というか登山家が登山を語るみたいな。
ある意味引きつけられそうな雰囲気はありますけど、
普通、飛ぶようには売れるような感じではないですよね。
で、ここの最後の方に出てくる事例がいいんですよ。
とてもいいんですね。
なんてことはない。
もうこのなんてことはない感じがする事例っていうものは素晴らしいと思うんですよね。
そこに何が、どれほどのことが読み取れるかって、
結局そういうことだと思うんですよ。
ちょっとね、なんて言うんだろうな。
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普通にきちんとしている感じの人が、
ただすごく孤独感が、やっぱり最初からそういうふうに書かれて、
これ細沢ひとしさんが出す事例なんですね。
それを松木さんと藤山さんが好き勝手にコメントすると言いますか、
きちんとコメントすると言いますか、
そういう非常に興味深いでしょう。
多分全然興味惹かれないと思うんですけど、
これはある種の人にとってはめちゃくちゃ興味惹かれる話だと思うんですよ。
こういうのがもっと大量にあればなって思うんですけどね。
なんていうのがいいのかな。
まだエベレストを登庁するのが相当無理のある時代に、
有名な探検家3人のうちの1人のちょっと漂流しかかった話を、
超有名な2人が後で好き勝手言うとか、面白いじゃないですか、
登山家にとっては。
そういう感じがする話ですね。
要するにビッグネームの対談って興味惹かれちゃうってことですよ。
一郎と松井の対談とかって見るでしょ。
そういう話ですよ。好きならですよ、野球部。
つまりですね、なんてことはない女性が登場するわけですよ。
きちんとした感じの頭の良さそうな、孤独感、孤独癖のありそうな女性が登場するわけですよ。
普通にいますよ。普通にいらっしゃいます。
僕の知ってる人でも何人も顔が思い浮かぶっていうぐらいいます。
で、この話どこが大事なのかな。
一番大事なのはですね、僕が思ったのは、後からそういう話になってるし、
僕もさすがにここが大事なんだろうなってのは分かるんですけど、
3ヶ月後に転居するから、その人はですね、
単に適応が良さそうで孤独癖がありそうなだけで心理療法家に来るわけじゃないですよ。
心理療法って高いし、なんかわけわかんないものなので、世の中的には。
そんなにそんなに来ないんですよ、やっぱり。
この人はですね、理人症っぽいっていうふうに書いてあったけど、
理人症っぽい、急性精神病みたいな、そういうのにかかったことがあって、
もうなんかこう、自分の体が自分の感じがしないみたいなんですね。
そういうふうになったんだっていう話なんですよ。
感情的にどんましちゃうっていうのかな。
何も感じなくなったみたいな、そういう感じの話。
泣くこともできないとかね、すごい悲しいことがあったはずなのに。
そういうところを訴えてこられて、結構そのこと自体は急性とはいえ、
重度な感じがする話もあるわけです。
でもまあ今はそれは消えているみたいな。
で、なんか彼氏に振られるんだけど、
あの彼氏は、要するにこの彼氏に連れられて診療ないか最初に受けに行くんですよ。
そういう関係が嫌になったっていうようなところがあるんですよ。
要するに、もうそれ恋人同士じゃないじゃないですか。
なんかこう、ケアする人とケアされる人、そういう言い方に近いんですけど、
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そういう関係になっちゃってると。
これも昔ですね、最近言論に山田玲司さんって出てきたんですけど、
山田玲司さんが紹介されてましたね。
あれは私大変、ある種残念な話だと思うんですけど、
カウンセラーさんの話があって、
私女の人と付き合えないんですよ、なんか患者と医者みたいになっちゃうんですって。
これはつまりそういうことなんですよね。
ユングが患者といい仲になっちゃうっていう、あの話そっくりですよね。
だからそういう関係って恋愛関係じゃないんですよね。
上下関係になっちゃうじゃないですか。
対等じゃないですよね。
対等な恋愛ってどのぐらいあるのかって話も僕もあると思うんだけど、
頑張るべきですよね。
対等感っていうのは、恋愛においては。
私のように全然モテなかった人間でも、そのぐらいのことはなんとなく感じるんですよ。
上下関係いかんだろっていう、
お医者さんに連れて行く人と連れて行かれる人っていう恋人ってどうなのって感じがやっぱちょっとするんですよね。
親子みたいじゃないですか、それじゃ。
これが苦痛になって、売られたのか分かれたのか分かりにくいところなんですけど、
しかもその連れて行かれた方は感情的に平板になって、
ふーんふーんって感じになってるわけじゃないですか。
もっとそれよりもないですよね。
基本的に喋らないとかになっちゃったり、
壁を見てずっと、ずっと壁を見ているみたいな、退屈割りしているみたいな、そういう話なんですよ。
だけど3ヶ月で終了しなきゃいけないんですよ。
引っ越すから。
ここがポイントなんだろうなってやっぱり感じがしたんですよね。
まあ、くしくもでもなんでも全くありませんが、ごめんなさい。
くしくもと言ったこと自体がもうどうかと思いますが、3ヶ月チャレンジですね。
私のやってるのもね。
3ヶ月で転居しますっていうのはですね、
引っ越しますから、3ヶ月でやめますから。
この態度って何かものすごくこうなんて言うんですかね。
まあ私が言うならば、
対人不信感を匂わせてる感ってあるじゃないですか。
いや、もちろんありますよ、そりゃ。
当然、3ヶ月チャレンジの人の話を聞かれるという話、
お試し今やってますけれども、
まさにそういう話って出ますよ。
しょっちゅうです。
かなり露骨におっしゃる方もいます。
だいぶ前になります。ほんと1年ぐらい前かな。
いやもう全然期待してませんけど、
私今佐々木さんのこういうのをちょっとね、
知っておきたいと思ってみたいな、そういうね。
分かりますよ。
お気持ちはよく、お気持ちっていうのか、
何を言わんとしてるのかよく分かるんですよ。
タスクシュートとかやったけど、
あっちやってたほうがよかったのにね君っていう感じなんですよ。
もうあからさまに見下されてるというか、
あなた間違った方向に向かってるみたいだけど、
ちょっと見といてやるよ。
あ、金払うからさみたいな。
もうそれに近いんですよ。
そこまでじゃないんですけど、
この細沢ひとしさんの実例はそこまでじゃないんですけど、
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でも3ヶ月で引っ越しますからみたいな。
その誰だったっけ、ウルフマンだったっけ、
フロイドの事例にもありましたよね。
次元切らないんですよね普通は。
切るってことはもう強いんですよ。
ものすごいそれは言い分として強い。
タスクシュートでも逆算順算って出ますけど、
逆算というものの一つの態度のその凄さっていうのは、
結果出せやって話なんですよ。
しかもお前に結果出せないの分かってるからなみたいなノリすらあるんですよ。
1年で結果出せよ。
でもお前なんか結果出せないだろ。
でもやるだけやってみろよみたいな。
なんかそういう異様に体育会系的で、
ややこうやっぱりこうね、
そこには万能感というものを感じるんですよね。
だって1ヶ月で絶対成果出すとか1年で絶対成果出すってのは、
どの分野においても万能感があるじゃないですか。
例えばなんかビル作るとかでもそうじゃないですか。
特幹工事で1ヶ月で作るんだみたいな。
それって何があっても作れみたいな。
でも物理的なものなんだから、
できないものはできないじゃないですか。
できない時には。
でも何があっても作れっていうのって、
つまり魔法じゃないですか。
万能じゃないですか。
これを心理療法に適用しないっていうのが、
僕は精神分析の基礎中の基礎だと思うんだけど、
いきなり3ヶ月というふうに時間区切られるわけですよ。
まあこれ、だからこういう場合は断るってことになるんじゃないかなっていう事例だから、
小沢さんはわざわざ出してきたんだと思うんですよね。
いやいややりましょうみたいな。
これってすごいんですよね。
すっげー前のめりだなって感じがするんですよ。
やっぱり。
で、しかも週3回にしましょう。
3ヶ月じゃ成果出ませんから、
出すためには週3回にしましょうみたいな話になるんですよ。
日本では精神分析適心理療法とか、
精神分析用とかって言い出すんですけど、
週3回とかやらないとダメだよっていうのに対して週1回。
だって現実的には週1回。
大畑海人さんが先日書いてらっしゃいましたけど、
各週がいいんだみたいな。
各週って2週間に一遍じゃないですか。
もう全然なんか雰囲気変わりますよね。
2週間に一遍とほぼ毎日会うのとでは。
だから週3回やるから成果出るよねみたいな。
そういうもんじゃない気がするんだけど、
そこにトレーニング感が出ますよね。
だからこの女の人は別に私いいけどみたいな雰囲気のように書かれてるのに、
週3回来ちゃうわけですよ。
週3回3ヶ月に聞く言ったけど週3回なんだみたいな。
お手並み拝見感と前のめり感がごっちゃになってますよね。
それがポイントなんだと思うんですよね。
で、なんて言うんですかね。
この細澤さんのすごいところはですね、
事例の紹介がわかりやすいんですよ。
これは、あの、
死に臨床的受臨床なんで、
事例紹介ってすごく出てくるじゃないですか。
で、小説家の人ってみんな苦慮されてると思うんですよ。
漫画家さんもそうですけど、
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最近あのね30年戦争っていう戦国って書いて、
大乱石ヶ原書いてる割と売れっ子の漫画家さんなんだけど、
まあその最初に必ず人物紹介してくるんですよね。
この人の名前はこういう人だからみたいな。
そこをなんかものすごく演出っぽくしてくる。
私あれはなんかおかしみがあるんだけど、
ちょっと違和感もあるなみたいに思うんだけど、
頭には残るんですよね。
だって困るじゃないですか。
なんか長井大輔という男はとかって言われても、
いやだってそんなすぐ忘れそうだしね。
そんなめんどくさい名前はね。
まあメロスは激怒したとかならいいんでしょうけど、
なんかこうね、
人物紹介をするっていうのは大変難しいし、
私も昔黒歴史的小説書いてみたりするんですけど、
ここで嫌になるんですよね。
星の頃はとか、地の頃とか書きたくねえとか思うんですよね。
だけどそういうの書かないわけにいかないから、
20代女性でとか書くんだけど、
細沢さんのパチッと頭に入るんですよね。
これは私は松木さんの辞令紹介よりも数段入るなと。
文章が上手いとか下手とか関係あるのかもしれないけど、
なんかこう別に小説じゃないんで、
うわ興味深いわみたいに入っていくわじゃないんで、
辞令ってすごい難しいと思うんですよ。
姉はとか父はとかよりでもどうでもいいんで、
しかも固有名詞すら出てこないから、
どんどんわかんなくなっていっちゃうわけですよね。
下手をするとどんどんわからなくなっていくんですよ。
これが私は細沢ひとしさんのって今回初めて読んだんですけど、
林翔の背景がスーッと頭に入るんですよね。
これはこういう才能だなって思ったんですよね。
だから珍しいんですよ、そういうことがそもそも。
やっぱ小説家が書いてるのとは違うんで、
文章能力とかは高いんですよ、やっぱりね。
そういう著名な精神分析家の人となると文章を書くのもこなれてますし、
上手いんでわかるんだけど、
でもわかりやすいかというと別段わかりやすくはないんですが、
やっぱりわかりやすい人とわかりにくい人がいるのは確かなんですよね。
この話はもうちょっとめんどくさい部分がありまして、
あえてわかりにくく書かれている可能性もなくはないんですよね。
これの3ヶ月チャレンジやってよくわかるようになったんですけど、
これは聞いている人で参加者さんの人がいるとちょっと気分良くないかもしれませんけど、
そういうことではなくて、
背景説明がものすごく頭に入ってこないっていうことは確かにあるんですよ。
それは私の説明の仕方が悪くてってすぐ思われそうなんだけど、
そうではなくて、分かられたくはないっていうお気持ちがやっぱり、
これは完全にお気持ち、つまり無意識なんですよ。
分からせてやらないよっていうことなんですよ。
27:00
説明がすっごいあるのに全然分からない。
だから私は相関関係図とかノートとかを書かないんですよ。
分からないっていうことはすごい大事なことだと思うんですよね。
分かってほしくないんだっていう気持ちが、
そういうふうには言わないから、おっしゃらないからどなたも、
分かられては困りますっていうその気持ちを持ったまま、
自分の背景を尊く説明されるっていうそういう分裂ってこの世にはあるんですよ。
私の中にもきっとあると思うんですよ。
これはそれこそ精神分析的心理療法を受けたときに分かったんですよ。
分かりにくいって思ったんですよ。自分の説明分かりにくいって思ったんですよ。
ちょいちょいメモされてしまっていて、
ちょいちょいメモされてるわって思って、そもそもそれを考えるのも転移なんだけど、
それにしても私は分かられたくないんだなっていう。
分かりやすく説明してるつもりでいるけれども、
全然分かりやすくなってないっていうふうに思ったんですよね。
そして分かりやすい説明が実はできない。
こういうときに自己責任論みたいになるのが現代じゃないですか。
分かりやすい説明を心がけましょうみたいな。
分かりやすくない説明とはみたいな、そういうビジネス書がすぐ出てくるじゃないですか。
でも分かられたくないという気持ちはどうするんだっていう。
その人がどんなに分かりやすい説明をアウトラインで書いて過剰書きにして、
要点は一文につき一つにしてとかやったって分かりにくいものは分かりにくいですよ。
声のトーンで分かりにくかったり、話す順序で分かりにくかったり、
間の置き方で分かりにくかったり、分かりにくい円幕を貼る方法はいくらでもあって、
それを無意識のうちにバンバン貼っていけば、
どんなに分かりやすい話もかなり分かりにくくできちゃうんですよ。
っていうことを体験できるんですよね。
だから福津川さんが事例を出したときに、
えらく分かりやすいっていうのにはいろんな意味が実はあると思うんですよね。
ある種の才能だと思うんですよ。
分からせないと思っている人の話を、
例えば雰囲気で引っ張り出せるとか、そういうことがおそらくあると思うんですよね。
で、話としてですね、
私がそういうことは一旦置いておいて、面白いと思ったのがですね、
福津川さん、松木さん、藤山さんの今順番真逆になったけど、
話が全然なかなか噛み合わないというか、全然解釈が違うんですよ。
これってどういうことなんだって感じがするじゃないですか。
で、この解釈が正しいっていう態度なんですよ。
態度としてはですね、これはすごい面白いなって思うんですよ。
結局人生相談において、相談に対してまず解釈を出しますよね。
こういうことが起きていたんではなかろうか。
3ヶ月で辞めるというふうに最初に区切ったというのは、
この人は孤独癖があるんだみたいな話が始まってくるわけですよ。
30:00
これって解釈じゃないですか。
そんなことは誰も別にその段階でなお言ってないわけですから。
だから細沢先生はなんで3ヶ月で区切るなんていう無茶な設定なのに引き受けちゃったのみたいな、
そういう突っ込みなんですよ、最初から。
で、なんとなくわかんないんですけど、細沢さんは、
まあそうは言わないんですけど、いやだって別にそれはみたいな感じなんだけど、
対談、叶えたんですよね。
まあ興味ある方は読んでください。
私が感じたのは、やる気になっちゃったんだよなって感じなんですよ。
で、これは精神分析なんで、やる気になっちゃったんだよなでもいい世の中もいい分野もあると思うんですけど、
そうでは許されないんですよね、この世界って。
いやいやいや、やる気にならされたんでしょってことになっちゃうわけですよ。
この患者さんの無意識の力によって、細沢先生はその気にさせられちゃったんでしょって、
力度が働いたんでしょってことになって、私もそうだろうなって思うんですよ。
でも、なんとなくそれを認めたくなさそうな細沢さんの方に、
僕は読んでいて堅入れしている自分がいたんですよね。
いや細沢先生の気持ちはよくわかるがんばれみたいになっちゃってたわけです。
これって変だよなと思うんですよね。
松木さんの言ってる方が正しそうに僕には読めるんですよ。
わかんないんですよ、そんなことは。
でも正しそうには一番説得力を感じるんですよ。
でも細沢さんは松木さんの言うことは全然説得力がないみたいに言うんですよ。
このやりとりが非常に興味深いなって思うんですよ。
これとさっきの漂流とか遭難を考えてみてほしいんですよね。
言うなら細沢さんの事例なんだから、細沢さんはこの遭難を生き抜きました気なんですよ。
僕はここで眠らずに頑張ったんですとか、
私はここで雨水を貯めて頑張ったんですって書いてある。
いやこの雨水の貯め方だめでしょって言われるのって納得いかないじゃないですか誰も。
でもあの遭難を100回切り抜けてきた私としてはここならばこうする、そうしないと死ぬみたいな。
あなたが今回生き延びたのはたまたま偶然だみたいな、そういう感じなんですよ。
で、ああなるほど説得力があるって読んでて思っちゃうわけですよ。
でもそれはあくまでもそれはそういう解釈もできるという話であって、
やっぱり細沢さんにしてみれば、この時はこうだったんだからっていう風になるわけで、
それはそれなりに説得力あるわけじゃないですか、自分の事例なんだから。
スーパーヴァイズと臨床例の関係ってこういうことなんでしょうね。
もっとスーパーヴァイズはきちんとやるのかもしれないけど、とにかくこういうことになるんでしょうね。
で、僕が思ったのはそうじゃなくて、こんな風に解釈されてみると、どれも間違いだとはとても思えないって感じなんですよ。
最終的には、結局のところはありとあらゆる素材と指し示されている実際の行動とか言動がですね、
全部包み込めるだけの納得のいくナラティブをいかに語れるかを競ってるっていう感じもしなくはないですよね。
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否定されるかもしれないですけど、読み手としてはそう読めますよ。
で、それって結局広くなれば広くなるほど無意識化していくんで、
池賀雄二っていう脳科学者さんが好きな話なんですけど、ぼーっとしているとひらめくみたいな話。
よく聞く話なんだけど、つまり目に意識しきれないほどのシャールコホームズ的ですよね。
ヒントやら素材やら伏線やらを全部回収できるほど、その解釈は正解に近づいてそうな感じがするよねみたいな。
私この感覚の方が大事かなってよく思うんですよね。
漂うってのはそういうことなのかな。平等に漂う注意とかってフロイトの言葉にありますけど、なんかそういうことなのかなと。
なんか無意識を深く掘っていくとかじゃなくて、記憶を含めていろんな出来事が漂っていく、
その全ての説明が総合的につけばつくほど、どれをもう捨てずにおけるっていうほど、やっぱり説得力って増すよなとは思うんですよね。
だから3ヶ月でやめますっていうのを最初に決めていたと。
これはマスキさんがそういうふうによく指摘していたと思うんですけども、近づく、すごく近づく、すごく親密になる。
でもバチッと切ってしまうっていうのが最初から決まってるわけじゃないですか。
そういうのがこの人にとって都合が良かったんだ。
つまり言ってみればですよ。言ってみればこの治療のやり方は何にもならなかったんだみたいなのに近いですよ。
だからヤッタホ相談さんとしては納得できるはずがないわけですよね。
どう考えたってそう言われて喜ぶ人はいないと思うんですよ。治療わざわざしたんだから。心理療法したんだから。
でもこのやり方っていうのは、このクライアントさんが最初に狙った通りの結果になっちゃってるんだと。
だからぐーっと近づいていく。結局のところ人恋しいんだと。
すごく人と仲良くなりたいんだけど、すごく仲良くなって見捨てられるとかすごい嫌じゃないですか。
それぐらいだったら、いやいやだって3ヶ月で引っ越すことも最初から決まってたんだから、この別れはしょうがないよねっていう。
こういう付き合い方の病理なんだっていう言い方なんですよ。
でもこの、やっぱり私はこれに説得力を感じちゃうんですよね。
私にはこの感覚は十分理解できる気がするんですよ。
だいたい人に見捨てられたい、親に見捨てられたい子がいるものかって思うんですよ。
だから子供の方がお母さん大好き大好き大好き大好きって一生懸命行くのにカーネーションとか作ったりするのに、
お母さんがふーんって言ってカーネーションは翌日捨てられるとかね。すっげー傷つくじゃないですか、それをやられると。
だったら、いや私最初からお母さんのこと別に好きじゃないしって言いたいじゃないですか。
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あるいは疑似的なものにしておきたいじゃないですか。
この日は母の日だから、お母さん大好きカーネーション作りましたみたいにやるけど、それを自分でゴミ箱に捨てるとかね。
最初から、いや5月最初の日曜日だけどの話ですから、翌日関係ないですからみたいな。
そういう風にすると子供がそれをするようになったら、それを結構危ぶまれるじゃないですか。
でもこれは大人がしたってやっぱり危ぶまれるべき話なんじゃないだろうかっていうような話が最初の設定の時からあったっていう話をしてるんですよね。
やっぱりこれはすごく精神分析的だなと思うし、人生相談でもすごい突き詰めたところまで、
なんていうかな、ものすごく細かく一生懸命見ていく見方なんだよなと思うんですよ。
で、それはエベレスト級だから、そこまでしなくても何か成果出せるようなやり方、つまりあずま山でも登山は登山だよねってことですよね。
私はそこをつまり考えてるわけですけれども、結局この期限区切る区切らないっていう話はどうしたって重要性を帯びてくるんですよ。
この番組でも散々やりましたけどね、正規の方なのかあれは非正規の人たちはダラダラと時間をかけて搾取して無駄金をむしり取っていて悪いんだみたいな。
でも松木さんはこう言ってるんですよ。先に次元を切るのはナンセンスだに近いんですよ、言ってることとしては。
だからやっぱりフロイトにあったと思うんですよね、ウルフマンが。もう2年で終結するんだみたいなことを言っちゃったんですよね。
で、それってやっぱり精神分析ではなくなるよねっていうような意見ってあると思うんですよね。
だってそれがわかるんだったら精神分析しないだろうみたいなところあるんですよ。
最初に別れが、別れとはいつ来るのかが、つまりこういうことなんですよね。
この場合恋人が絡んだから余計わかりやすくなったんだけど、はい私たちは1年後に別れるカップルです、それまで熱愛しましょうみたいな。
それはおかしいでしょって話なんですよ。
何が起きるかわかんないから熱愛とかがスタートの怖さっていうものがあるんですよ。
そういうものを抱え込めるようにならないんだったら、この人のコンテナーはどこか不全ですよって言ってるんですよ。
多分松木さんがおっしゃってるのはそういう話なんだと僕はすごくおっしゃる人だよなとは思うんですよね。
なんとなくこれまでのいろんな臨床例とかを読んできて、で私はそこはすごくそうだと思うんです。
なぜなら特に現代のこういうビジネス書とかを書いてる人間としては何かにつけて逆算が好きだし、
少し言うと相当長くやってると逆算って本当無理があるってわかってくるはずなのに、それでも逆算逆算にこだわりたがるんですよ。
なんか不意に何ヶ月先まではお金がこうでみたいな計算を始めたくなるんですよ。
何が嫌って、これらの人たちの感覚は不意打ちが嫌なんですよ。
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先日ですよね、ちょうど先日、先々日か、トランプ大統領就任演説で株式投資家の話があって、この話、
昨日も少ししたかもですけど、投資家は何よりも不透明感を嫌うみたいな、でもトランプ大統領は不透明の塊のような人だみたいな、そういう話あったんですけど、
それなんですよ。投資家はそうかもしれないけど、心というものは不透明感を保持できて持ちこたえられないとダメなんですよ。
だって人生は不透明なものだから。人生に透明感だけを求めるっていうのは、すでにその人の精神状態における何かに不全をきたしていかねないということなんです。
恋愛関係なんてまさにそうじゃないですか。先が読める恋愛なんておかしいじゃないですか、最初っから。先が全て読める恋愛。
この時はこういうふうにデートすれば、次はこうやってうまくいくみたいな。
ラブホテルにはいつ行けるとかって決まってるわけがないじゃないですか。決まってないと嫌ですっていうのは、その人の不安がでかいっていう話でしょ。
だから最初に集結期が決まってちゃいけないわけですよ。ちなみに私がやってるのは3ヶ月チャレンジですね。
このことはとても大事なんです。しょうがないんですよ。どっちかしか選べない。
先に集結が決まっているか集結は決まっていないか、私は節中を取ろうとして継続っていうものを実はセットしてるんだけど、つまりそういうことなんですよ。
ダラダラといつまでもやってるって言うけど、正規の人が非正規を批判してね、でも精神分析とはまさにダラダラといつまでもやるという前提で始めるものなんです。
正規かもしんないけど。いや、精神分析こそ非正規だっていう人もいそうな気もするんですけどね。
でもまあどっちであったとしてもですよ。先に次元なんか切れないんですよ。次元切っておいたから良心的ですっていうのは実にいい加減な言い分なんです。
次元を先に切っちゃうことによって、松木さんの指摘がやっぱり私は響いてたんですけどね、このカナエ弾の中で。
次元を先に切ることによってもう治療状況がセットできなくなるっていうことが起きてくるんですよ。
だからね、別れる日が先に決まっていたら恋愛ってやっぱり疑似的なもの以上には多分ならないじゃないですか。
別れる日は2年後のクリスマスの日に別れましょうみたいに、それまではもう熱烈に付き合いましょうっていう、その熱烈さ嘘だろってこと絶対本物になりそうな感じがしないでしょう。
明日にもいきなり、それは良いことだとは思わないけど、彼氏の心変わりをして、あなたとはもう別れます。私はあっちの方が好きになりました。
これが起きうるから恋愛なんじゃないですか。嫌かもしれないけど、でも起きうるから恋愛なんですよね。
そこで、こういうのは誰にとっても傷つきますが、特に不意にお父さんが出て行った、私が5歳の時のことでしたっていう人にとっては傷つきますよね。
嫌でも大でも転移が起きるじゃないですか。そういう情緒的な。起きないようにでも心は構えちゃいますよね。
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つまりだから、顔なしなのかな、わかんないんだけど、無表情になって、私はいつひどいことを言われても大丈夫なんですモードっていうものを発動しちゃうじゃないですか。
それをスキドイドって言うんだと思うんですよ。分裂させて排除しておく。心の中に抱えておけないほどきっついことは最初から心に触れてこないように。
ここから先は侵入禁止ですみたいなものを作っておくってことですよね。だからスキドイドなんだし、だから平板なんですよ。
いやそれはひどいよね。いやそんなことはない。私別に何も感じなかったしみたいなのって、何かがどうかしてるだろうっていうような、でもそれは悪いことだとか批判するっていう対象の話じゃないし。
だからそこは難しいんですよ。最初に3ヶ月でこれを片付けましょうってわけにはいかないと。でも引き受けた人には引き受けた人なりの言い分があるわけですよね。やっぱりね。
いやでもなんかやってあげたかったんだよかもしれないじゃないですか。でもそれだって、そんなにストレートというか率直な話を細田さんがされてるわけではないんですよね。
やっぱり喋ってることを読んでいくと別にそんな風に思ったわけじゃないしみたいになるわけですよ。なんかそれはそんな風に思ったわけじゃないんだろうなっていうのもわかるような気がするんですよ。
いやあなたは思わせられたんだよそういう風にみたいなことも言われるんですよ。だからやっぱりそれはスーパーバイズなんだろうなとは思うんですよね。
で、私はこれを読むのは大変良いことだと自分では思ってるんですね。自分はこうはできるわけないけれども、そういう風にするっていう設定にもなってないけれども、やっぱりこういう風なものを読んでおかないと今の世の中ではこうは考えなくなっていくんだと思うんですね。
私は3ヶ月というものにセットさせられたんだとか。わかんないけど本当のことは。でもその可能性は相当程度考えておかないと最初から別れる気満々の付き合い方をする人っていうのはどういう人なのかっていう。
自己責任ですとか言ったって無駄だって感じがするんですよね。そういう時に。無意識とかを仮定せずに、だって3ヶ月後に分かれる、転居するのは決まってることだったし、スキゾイドなのはたまたまだしみたいな見方でもいいんでしょうけれども、そうじゃないような見方をやっぱりする世界があるっていう。
でも相当程度真剣に頑張っちゃってそういうことをやってる。見ようによって相当ずれたことやってるように見えるとは思うんですよ。特に現代的じゃないと思うんですよ。私は全然少しでも私はこういう見方をするより他ないんじゃないかなって思うんですよね。
だから孤独って怖いよねっていう。究極的に言うと松木さんと藤山さんどっちもそういう見解を取ってる感じがあったんですけど、復讐って言葉が出てくるんですよね。結局のところ、別れられた彼氏とか自分のことを排除していた家族とかにやり返してやりたいと。何をどうやり返すか。
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親密になってその関係を断ち切るってことがきついよね、辛いよねってことをやり返してやりたいと。ここまでいくと相当解釈感が出てきますけどね。だからそれが精神分析の佐田さんとその女性の間で、女性の側から起こしたことなんだよっていうような考え方ですよね。
本当にそういうふうに解釈するのかどうかわかんないですけど、そういう考え方もあるよねみたいな感じ。でもこれは単にそういう考え方っていうんじゃなくて、そういうものに精神分析家って巻き込まれちゃう人たちだよねっていうような僕は意味だと思うんですよね。
だからやっぱりその女性がどっちに主導権があるのかなんてわからないんだよってことなんですよ。最初からそういう設定で始めたということはなんでそんなに急にやる気満々になったのか。リベンジしたいからだっていうような解釈を多分あの2人、藤山さんと松木さんのあの金枝の中ではそんな風な感じがするわけですよ。
相手としては家族ですよね。やっぱり多分ね。家族に復讐してやりたかったんだと。すっげー親密になってこの人のためにいろんなことをしてあげたいと思っちゃう。思っちゃわないかもしれないけど、藤山さんは。心理カウンセリングの時、カウンセラーがそう思っちゃっても別に違和感ないですよね。
この人のためにすっごい一生懸命頑張ろうみたいな。私この人、助けてあげたいわってなった。はい3ヶ月経ちましたから。あなたは私を助けることできませんでしたか。これってすっごいこう自己破壊的な復讐なんだけれども、それぐらい怒ってるんだよっていう考え方もあると。
それがだから精神力道っていうものなのかなと。欲動ってやつですね。欲望って感じじゃないですよ。欲の動きっていう感じがなんとなくしっくりきますよね。そんなことしたって、藤山さんは痛いわけじゃないし、少しは痛いかもしれないけど、結局のところ一番本人にとって辛いだけっていうことになるじゃないですか。
だから僕はここで自己責任論とかを出してくるのって虚しい感じがするんですよ。こういうふうな自己破壊衝動みたいなもの、私たちはみんなもきっと持ってるんだと思うんですよね。それは私が持ってるだけだって言われればそうなんですけれども、まあまあ持っていて不思議はないと思うんですよ。やっちゃうと思うんですよね。別にね、機会があれば。やっちゃったってそんなに不思議なことじゃないと思うんですよ。
幼稚って言われる幼稚かもしれないけど、幼稚な情緒っていうものの課題なんで、これはある意味では。扱ってるものがそもそもということですよね。
だからそうなんですよ。やっぱり私の最初からね、佐々木がいかに間違ったことをやってるのかをちょっと一目見てやろうと思って、金払うからみたいな、そこまで露骨な人はいらっしゃらなかったけど、そういう心理の方があってもおかしくはないと思うんですよね。
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私が考えるべきことは、そこでそういう人であったとしても、出会った人がそうであったとしても、何か役に立つっていうことを考えるとすると、何ができるんだろうって考えるべきだと思うんですよ。自分の立場からすれば。だって結局お金をいただくんだし、これは仕事でやるんだから。
救うっていうのはいかにもあれなんですけれども、だってこの感覚そのものだけだったら不毛じゃないですか。松木さんがやっぱり結局僕は松木さんB期なんだろうか。B期されたくはなさそうな人なんだけど、そうなのかもしれないと思うんですけどね。松木さんがその変転させることが最後は大事なんだ。
最初は復習心から始めたことなんだけれども、最後は単なる復習で終わらせないことによって、少しでも不毛でないように変転させることが大切なんだみたいな。やっぱりそこは説得力を感じるんだけど、小沢さんはそんなことには説得されないぞっていう、その気持ちもよくわかりますっていう感じなんですけどね。
でも私はやっぱり、その、佐々木がいかに間違ってるかを見て、やっぱりこいつ本当ダメだったわみたいに終わるかもしれないけど、そういう人は絶対結局しないじゃないですか。まさに3ヶ月でバチッと切りますよね。それはある種の復習というか、自己破壊的な何かだと、少なくとも盗作的な何かだと。だってお金と時間かけてまでやるほどのことじゃないですからね、そんなこと。
だけれども、そういう気持ちがあるにせよですね。そこを何とか少しでも、建設的な何かに少しでも変えておく。大半は復習というか、小バカにしたいという気持ちをただ満たすだけかもしれないけど、そしてそういうものに数万円って人は払えるものなんですよっていうことも確かにそうなんだけど。
でもやっぱりそこで何か少しでも、ちょっとは何かこう人間味のあること、ここで起きたよねみたいにしておくっていうのが3ヶ月チャレンジでは私は。だからこれを成果だと言ったとき、成果って言葉と全くマッチしないなとは思うんですよ。
でも私としてはそういうことを、何て言うんですかね、いろんな機会を捉えては拝見していくとですね、いわゆるビヨンの言う松木さんの書いているコンテナーというものが少しずつ機能を取り戻すっていうことは起こるんじゃないだろうかと。
もともと社会適用していて、現状水準にある人が人生相談をするっていうレベルにおいてはですね、コンテナーの再起動させていくっていうことをほんのわずかでもやれば違ってくると思うんですよ。
特に仕事の場とかでは違ってくると思うんですよ。短期記憶を建設的に活用するとか、人との社交性を何か生産的なものに向けて活発化させるとか、それは非常に単純な話ですよ。
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お願い事をするメールにもう一つ、相手の気持ちが動くような言葉を少し挟めるように、ほとんど無意識のレベルでですね、なるとか、そういうことを目指すってことなんですよ。それがまあ働くメンタルってことなんじゃないかなというふうに一応思ってるわけですね。