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2026-03-11 16:23

72|ホークス斉藤和巳2軍監督にとって「人生変えてくれた師」、背筋が伸びる唯一無二の存在とは誰?

西日本新聞で記者生活の大半をスポーツ取材で過ごしてきた大窪正一記者が、アスリートの素顔や裏話、スポーツの可能性についてお話しする「西日本新聞スポーツ余聞」。ホークス斉藤和巳2軍監督と小久保裕紀監督との絆を語ります。1998年右肩手術時に隣の病室でリハビリに励む小久保選手の姿に感銘を受けたという斉藤選手。その後、沢村賞を2度受賞しました。現在は監督として共演中。大窪正一記者が師弟の感動ドラマを紹介します。

◆出演:大窪正一(スポーツ記者/宗像支局長)、中富一史(販売部)、横山智徳(MC/メディア戦略局)、音声編集:中富一史、映像編集:井上知哉(ビジネス開発部)

◆収録日:2026年2月25日

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#西日本新聞 #西日本新聞me #西日本新聞ポッドキャスト #西ポキャ #西日本新聞スポーツ余聞 ♯西スポ

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西日本新聞ポッドキャスト
西日本新聞スポーツ余聞
この番組は、記者生活の大半をスポーツの現場で過ごしてきた大久保さんが、
アスリートの素顔やスポーツの可能性についてお話しします。
こんにちは。福岡のニュースアプリ、西日本新聞民の横山智則です。
西日本新聞社の大久保翔一です。
同じく、西日本新聞社の中富一文です。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
今日はですね、斉藤和美二軍監督のお話なんですが、
随分前なんですけど、僕、生で見たことあります。
昔、ホークス野球教室やってたじゃないですか。
西日本新聞で。
いわゆるシーズンオフに、子供たちに野球教室を各地にしてくれる。
ホークスさんと、西日本新聞で一緒になって、
多分、読者のお子さんとかを呼んでさせてもらってたんですけど、
その時、北九州の大谷球場に。
やっぱね、そりゃ一目見ればわかるんだけど、
背が高い。
大きいですよね。
大きいでしょ。
他の選手ももちろん180あって当たり前の人たちばかりだったけど、
そっから頭一つ抜けて、高いですもんね。
190くらいあるでしょ。
値もいいですね。
ちょうど自分が、それこそアルバイトしてた時は、前世紀で。
そうですよね。
斉藤和美さんの前世紀だったですね。
で、私は前世紀が過ぎた後、高番になってる。
私、2009年から高番なんで、
斉藤和美さんが、沢村賞は党首の最高の栄誉と言われる。
それをバンバン取ってらっしゃるとか、
ものすごい強烈な活躍なさってましたね。
20勝とか。
で、負けない党首として。
ああいう時代というよりも、僕の印象が残ってるのは、
肩を負傷、怪我して、
それから復活をかける、
地道な、ひたむきな取り組みの姿。
その姿の印象がありまして、
そこをちょっと今日話していけたらなと思ってるんですけど。
今は二軍蓄後に行っているんですが、
僕が高番当時は、まだ二軍がガンノス球場で、
リハビリとか、あと選手の寮があったのは、
斉藤崎に合宿所があって、
そこでリハビリの人たちもいたんですけど。
僕、高番の担当の時は、
大体二軍とか斉藤崎を午前中は見て、
夜はナイターの試合に行くという。
それがPTなんですね。
昔だからできたプラッグですよね。
そうですね。
労働者の労働時間なんだ。
なんだっていうようなことをやってた時代もあったんですけども、
その時に午前中、斉藤崎とかに行くと、
斉藤一さんがそこにいて、
黙々とリハビリをしてみたんですね。
もう空気感がですね、
03:00
人を近づけないオーラが出てました。
気に迫るというか、
張り詰めた空気感が出ていて、
声をかけるのが、
はばかるような緊張感みたいなのがあって。
それはリハビリ中でもそんな感じだったんですか?
そうです。だからリハビリの場所から、
例えばグラウンドに出てとか、
移動する最中とかも、
本当に汽車を寄せつけない空気感が出てました。
なので、引退なさって、
引退なさった後に、
高校野球から取材で私は甲子園に行った時に、
斉藤一さんも来てた時があったんですね。
その時にものすごくニューアンになってて、
もうその時は話しかけやすくなってたんで、
だいぶ柔らかくなったねって言われて、
みんなに言われますって。
たぶん本人も自覚してたんでしょうけど、
なぜそこまで張り詰めるというか、
とにかく復活にかける思いというのが、
そこにあったからだとは思うんですけど、
そこに僕自身は、
死と仰いでいる国母さんの存在があったんじゃないかな、
というお話をしたいなと思ったんですけども、
斉藤一さんって、
1998年に右肩の手術されたんですね。
その時に、
同じ時期に国母さんも、
右肩の手術をして、
2人とも右肩なんですね。
約1ヶ月半の入院を同じ病院で、
病室も隣同士みたいな形で、
復帰の時間を共有した時があるんですけども、
その時に、
斉藤一さんに私自身取材した時に聞いたんですけど、
国母さんは朝一番に動き出して、
一般の患者の邪魔にならないように、
早朝から時間を惜しんで、
リハビリに励んでいたそうなんです。
今まで斉藤一さんが見てきた先輩とは、
違うと。
こういう選手に、こういう人間になりたいという、
心の底から思えたという。
そういう不況の中で、
前だけを向く真摯な姿、
そういうのに心を動かされたというのを、
このインタビュー、
お話を聞いたのは、国母さんがちょうど、
2000案だに向かう最中の時にインタビューしたんです。
だから先ほど言ったように、
普段はお話をするのも、
幅を変えられるような緊張感とか、ピリピリしていたんですけど、
国母さんの話だということだと、心よく取材に応じて、
今のお話とかしてくださって、
その衝撃みたいなのを受けた、
感動、衝撃みたいな、
すごく心に響いたそうなんですね。
本当におっしゃっていたので覚えているのが、
国母さんにそこで出会っていなければ、
間違いなく野球を辞めていた。
06:01
なぜかと言ったら、
当時、斉藤一美さんは、
今、前世紀に走り出す前の状況の時は、
故障が結構多くて、
ドラフト1位で入団なさっているんですけど、
その期待に応えられないというプレッシャーもあって、
実際、野手転向も進められた時期もあったそうですね。
そうなんですか。
僕はそれを知らなかったんですけど。
自分自身の中では、
現役引退も浮かんだんだけど、
踏み止まっているような時期だったらしいです。
自分は国母さんの姿を見て、
全てをかけて野球に打ち込んだか、
自問自答してみた。
国母道場に飛び込む覚悟を決めて、
自主トレを一緒にお願いしたんです。
斉藤一美さんはおっしゃっていましたけど、
最初は全然国母さんに相手されてなかったはずだ、
みたいなふうにおっしゃっていました。
ある種若手の一人がいて、それがついてきただけ、
みたいなイメージですかね。
どうせ根を挙げるんじゃないか、
みたいなふうに思われていたんじゃないか、
って回想されていましたけど。
自主トレに志願して参加して、
国母さんの自主トレって毛練習で有名なんですけど、
それに食らいついて、
そこでアドバイスを始めてもらったんです。
そのアドバイスが、練習は自分のペースで、
群れずに黙々とやりなさい、
それが生きてくると。
そういうことを言われて、
僕自身も少しは期待されているんじゃないかな、
というふうに嬉しかった、
というふうなことをおっしゃっていて、
それを呪文のように心で唱えて、
自分を立して野球に集中するようになった、
というようなことをおっしゃっていました。
群れるなっていうのは、
ちょっとわかる気がしますよね。
海の向こうの大谷翔平さんも、
群れるというイメージはないですもんね。
自分のことをやり切るんだ、
みたいな感じで。
一流選手は共通する部分なのかと思うんですけども。
国保さんが有名な2003年に
右膝の大怪我をしましたね。
あのシーズンに恩返しをするように
勝ちまくりました。
澤村賞に勝った。
でもその年は国保さん、いわゆる怪我でいない。
そうか。
グラウンドで僕が成長したというのを見てもらいたかったという
悔しさをマウントでぶつけたと。
それをインタビューでおっしゃってました。
2度目の澤村賞も取られ、
複数回の澤村賞って
早々になるんですよね。
なるほど。一回は取れても、
そういうことなんですね。
それを短期間に、
09:00
9回を代表するワン、
一気に上り詰めました。
ただ、その上り詰める過程というのは、
国保さんは2003年に大怪我をして、
その後、巨人。
斉藤和美さんは大衛星と成長するということで、
同じホークスの一員として、
お互いに一緒にプレイする。
トップレベルですね。
そういう時期がないまま、
過ごしてたんですよ。
同じ時期のスター選手の2人という印象が
僕にはありますが、
そうなんだけど、少しすれ違い。
すれ違いなんです。
斉藤和美がカンプを取った、国保がホームランを打った、
というような試合というのは、
記憶の中ではそんな試合がたくさんあったような気になっているけど、
実はそうなんです。
皆さんの印象では、同じ時期のスター選手の印象ですが、
実は国保さんと斉藤和美さんは、
すれ違っているというか、
ホークスという球団ではすれ違っているわけですね。
国保さんが今度、巨人から
ホークスに戻ってきたら、
いわゆるそういう経緯があったわけですよね。
リハビリしていて、
すごく取材して印象に残っているのが、
僕がベストパフォーマンスだった時期は、国保さんは巨人になった。
その時に同じグランドに至ったら、
どんな感じだったんだろうと考えると、
その、いわゆる共演ですね。
共演を諦めたくないというその思いで、
リハビリをされていたという話がすごく印象に残って、
だからこそこの危機を迫るような
リハビリ生活を送られていたんだなというのを
その取材をして思いましたし、
実際残念ながら、
結局共演というか、
現役時代はプレーするということは
叶わなかったんですね。
叶わなかったんですが、今年ですよ。
斉藤一美さんは4軍、3軍、2軍と
ずっと監督を上がっていっているんですけど、
国防さんが今1軍の監督でいて、
2軍の監督に今年から、今シーズンから
斉藤一美さんになって、1軍と2軍って
選手の入れ替えだとかやり取りとか、
非常にコミュニケーションを密に取る関係性になるんですね。
だからいよいよ
プレイヤーとしての共演はなかったですけど、
指導者としての共演みたいな形が、
それもこの福岡の
福岡移転後初のアリーグ3連覇という
歴史的異業を目指すときにこの2人が
タッグを組むというので、私自身
お2人を取材したこともあったので、
感慨深いなというお話を今日はさせていただきます。
そうですね。
12:00
それこそ中止さんがアルバイト自体は、
それは何年頃で、2000年?
2003年に受賞しているんですけど、
2002年から2006年まで大学生活の時に
ボールボーイをしていたんですけど、
その間、斉藤和泉さんは2003年から
2006年までここだけで64勝しているんですよ。
とにかく斉藤和泉さんが
マウンドに立ったらもう負けない。
マウンドから降りない。
本当にその印象が強くて、絶対負けないエースだったですね。
すごい。
それを大エースに成長させた根っこには
先ほどおっしゃったお話というか、
国防さんとの病室で
出会いみたいなものが
斉藤和泉さんにとっては大きかったとおっしゃった。
しかも2002年、まだ20勝する前、
この4勝しか上げていなかった投手を
開幕投手で上げているんですよね。
20勝になる前ですよ。
その年20勝になる年の
開幕投手。
めちゃくちゃ期待されて、本当に期待通りに20勝上げているんですよ。
実績のない投手だったんですけどね。
その前の年は4勝しかしていない。
斉藤和泉さんにとっては
国防さんは人生を変えてくれたし
ということです。
この関係が
僕はちょっとマニアックですけど
感慨深いなと思った。
ファンから取ったら本当に感慨深いです。
キャンプで2人が並んでいる写真とかも
紙面とかで撮ったりしてたんですよね。
YouTubeの背景は
大泉とはっていうことで
大さんの話を2人でしている対談というのを
しているときの紙面を
使わせていただいてますけども
他にも結構2人で並んでいる写真というのはありましたね。
この写真を選ぶ中では。
絵になるからですね。
斉藤和泉さんって最善自若としているイメージですけど
国防さんの前では
教え子みたいな感じ。
一気に変わる。
相当リスペクトしている。
しかもお二人
体型全然変わらない。
かっこいい。
引退すれば多少なりと思えば筋肉落ちていくし
脂肪もついていくんでしょうけど。
そういう方ってフォークス結構いますよね。
秋山さんも
結構維持なさってますし
工藤さんだってトレーニングなんかしてない。
そうなんですね。
斉藤和泉さんはスラッとしてかっこいいですよね。
ユニフォームが似合ってます。
時々現役のときはかっこよかったのに
15:00
引退した時に
そのクリップで見たらあらって思う人もいるけどね。
ぜひ若手で負けないエースを
育ててほしいですよね。
それこそ二軍監督もされてるんで言わずもがなかもしれませんけど
指導者としてもっていうところは優秀でいらっしゃるんでしょう。
じゃないと4、3、2じゃないと
絶対来ないですね。
ということは4軍
そこから上を見ていってるんで
斉藤和泉さんが一番ファームの選手を
知っているからね。
だからこその
大久保さんとの表現なんじゃないかと思うんですけどね。
それではここまで聞いていただき
ありがとうございます。大久保さんのスポーツ余分は
西日本新聞とスマホアプリ西日本新聞ミーで
好評連載中です。ぜひご購読お願いいたします。
本日はありがとうございました。
どうも西日本新聞ミーです。
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