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2026-03-04 14:02

71|東日本大震災から15年 忘れられない福島で見せた「人間・内川聖一」

西日本新聞で記者生活の大半をスポーツ取材で過ごしてきた大窪正一記者が、アスリートの素顔や裏話、スポーツの可能性についてお話しする「西日本新聞スポーツ余聞」。2011年3月11日に発生した東日本大震災から15年。寒気がほおを刺す季節になると、元ホークス選手として黄金時代を築いた内川聖一さんの、福島での姿を思い出す大窪機記者。今回はそのお話です。

◆出演:大窪正一(スポーツ記者/宗像支局長)、中富一史(販売部)、横山智徳(MC/メディア戦略局)、音声編集:中富一史、映像編集:井上知哉(ビジネス開発部)

◆収録日:2026年1月15日

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サマリー

この記事では、西日本新聞の記者である大窪さんが、プロ野球選手の内川聖一さんの東日本大震災後の福島での活動に焦点を当てています。内川選手は野球教室の開催や被災地の視察を通じて、スポーツの枠を超えた人間性や支援の重要性を示しました。また、彼の多岐にわたる興味やセカンドキャリアへの挑戦は、多くのアスリートにとってのモデルケースとなっています。

番組紹介と東日本大震災への言及
西日本新聞ポッドキャスト
西日本新聞スポーツ余聞。この番組は記者生活の大半をスポーツの現場で過ごしてきた大久保さんが、アスリートの素顔やスポーツの可能性についてお話しします。
こんにちは。福岡のニュースアプリ西日本新聞民の横山智則です。
西日本新聞社の大久保翔一です。よろしくお願いします。
同じく西日本新聞社の中富一文です。よろしくお願いします。
まもなくですね。東日本大震災から15年になるというタイミングでもあるので、ちょっとそれもあって、大久保さんに今回は取り入れていただこうと思っている話題がありましてですね。
2011年3月11日。この放送がされる頃にはまもなくという状況だと思うんですけども、この寒い時期を思い出すことがあるんですね。
これがこの動画を見ていらっしゃる方はわかると思うんですけども、ものすごく神妙な顔で左端に映ってるかしら、内川誠一さん。
フォークスでも大活躍されたプロ野球選手で、今解説されてるんですかね。
この選手のいわゆるプロ野球の選手とはまた違う一面を見たというお話をちょっとさせていただきたいなと思いまして、この話題を取り上げました。
内川聖一選手の経歴と福島での活動
今内川さんをざっくり説明しましたけど、まず内川さんですね。内川さんというのは九州出身で大分工業高校から2001年にドラフト1位で横浜。今のDNAに入団なさって、
2008年には右打者史上最高打率の3割7のハチリン、首位打者にも輝いたバットマンですよね。フォークスには2011年に移籍してきまして、その当時僕が高番記者だったこともあって、すごく内川さんを取材することを目の当たりにすることが多かったもので印象に残ってるんですけど。
ヒットとしては通算2186アンダー、奇大のヒットマンというか。野球選手という意味での素晴らしさっていうのはすごくわかっているんですけども。でも内川さんを思い出すときに、意外と言ったらおかしいんですけど、自分がすごく脳裏に刻まれてるのはプレーメンというよりも、
実はこの冷たい北風が吹いている福島県ですね。福島の地で見せた人間性あふれる内川さんの姿、これなんですよね。そこをちょっと説明したいんですけど、2013年の夏に福島県のいわき市でオールスターが開かれたんですよ。
珍しいですよね。 そうですね。たぶん復興とかそういう意味合いもあったかと思います。このオールスターの第三選だったんですけど、最優秀選手に選ばれたのが内川さん。内川賞金300万円をこの福島のいわき市で獲得したものですから、福島の子どもたちに使いたいというふうにおっしゃった。
で翌14年ですね。翌14年の12月に東日本大震災の被災地の激励として福島県伊達市で野球教室を初めて開いた。このお金を活用しようというところですね。
当時僕東京の運動部の記者をしていまして、同行取材とか内川さんの車に一緒に乗せてもらって一緒に回ったりもしたんですけども、内川さんと共にですね、震災の爪痕というか、福島第一原発事故による放射の汚染という二重の被害ですよね、震災と。
福島の今というか、現状を巡る機会もその時にありまして、野球教室以外にですね、その時間をとって。当時はまだ田畑に放射能に汚染された廃棄物の仮置き場が点在していた。黒い袋に土、放射能汚染された残土、そういうのが点在していて。
そういうところを見て回ったり、あと震災で壊れたそのがれきですね。それに花の絵を描くプロジェクトをやってらっしゃる地域プロジェクトみたいなものがあって、その地元の高校生に内川さんは会いに行って、そこで一緒に内川さん絵を描いて。
先を繰り返しますけど、動画のあるように福島の現状をすごく神妙な面持ちで聞いていらっしゃって、すごく印象に残っている言葉として、実際に見て感じることができて本当に良かったということをおっしゃったとともに、自分が何ができるかわからないけど、息の長い支援が重要ですね。
僕自身が忘れないことが何よりも大事って噛み締めるようなように言葉を言ってですね、すごく僕の心に響いたというかですね。
まあ要はスポーツをするだけじゃなくて、スポーツっていうのは平和で平穏な暮らしがある毎日があるからこそ堪能できるんだと。そこを内川さんというのは理解されているというのをすごくその言葉から伝わってきてですね。
野球としても素晴らしいし、人間としてのこの器というか、この素晴らしいなと思ってですね。でそのもう内川さんは有言実行されてですね、その以降もですね福島での野球教室を毎年継続されていたんですよ。
2022年で野球選手を引退したというところもあって、サポートには一区切りをつけてはいますけども、実際に福島第一原発や中間貯蔵施設を視察したり、立ち逃ざるを得なかった二葉町を実際に足を運んだりもなさったり。
内川選手の人間性と多競技への関心
新たな形での支援を考えている今ところというふうに聞いておりますけども。内川さんって大震災のことでこういうふうに感じ入りましたけどもともとですね、吸収力旺盛な方なんですよね。
大相撲だとかバレーボールだとかラグビー、時間とタイミングが許す限り多競技の会場に足を運んで、自分に野球選手として何か活かせないかというアンテナをすごい張ってた選手なんですよ。
そうなんですね。
個人的には2019年、僕ラグビーの話よくしますけど、ワールドカップが開かれた日本で。この時は内川さん、選手としてシーズン中ですよね、9月。シーズン中だったんですけども、日本代表にエールを送るインタビュー企画を私、内川選手に持ちかけたら心よく応じてくれるので、
ラグビーボール持ってポーズを立てて、ラグビー愛の持ち主でも張って、そこもあって僕は大好きな選手というか大好きな方の一人に持ってきたんですね。
で、引退の報告を受けた時も報告いただいたんですけど、その時もいろんなことに挑戦させてもらいたいっていうことをおっしゃってて、実際今もですね、野球開設以外でもいろんなところに顔を出されてますし、野球以外のところにも顔を出されてますし、やっぱり有言実行の方なんだなと思いますし。
また内川さんの生き方って、アスリートってセカンドキャリアっていうのが一つの課題だと。
そうですよね。
燃え尽き昇降軍ではないですけど、野球を終えた後、その野球、内川さんであれば多分というか間違いなく野球の道にそのままずっと使っていくことも可能なんでしょうけども、
そうやってアンテナを広げるのは忘れてないっていうところ、でもこの姿っていうのはセカンドキャリアの社会課題の一つになって、これをもう他の、要は野球だけで生きていけない、例えば引退したプロ野球選手、野球だけで限らずアスリートという方々の生きる道をどう歩んでいくのか、違う分野でどう生きていくのか、
そういう固定観念にとらわれないモデルケースを石川さんの生き方って示してるんじゃないかなっていうふうにも思うんですよね。
震災からの学びと復興への思い
すごくそれをすごく感じさせてくれたのがこの東日本大震災に絡む、野球教室とか福島への関わりですね、そういうことがあったもので、この3月11日に近づいてみんな内川さんもおっしゃっていると忘れてはいけないと思うんですね。
今こういう毎日がありますけれども、いつどうなるかっていうのもわかりませんし、まだ現状復興完全に終わったわけではなくて、まだまだ半ばであるのも間違いないですし、こういう気持ちっていうのは忘れてはいけないなっていうのを改めて噛み締めたいなと思いまして、今日ちょっとお話しさせていただきました。
ちなみに今そういうことYouTubeの画面に映ってるのはこれ何をしてるところ?
これはですね、ちょっと僕の記憶もあやかになってきてるんですけど、除染した汚染土壌の仮置き場を見学してて、その汚染状況とかそういうのを関係者に説明を内川さん受けてる写真ですね。
なのでここにどれぐらいの汚染土があって、除染してとかいうお話を聞いてるのを、僕この写真を撮った記憶があります。
この写真、ちょっと資料確認したら2014年の12月21日とありますから、本当にもう寒い季節のときだったので、すごく野球選手以外、この姿が結構僕の中で印象に残ってますね。
内川選手の人間性と今後の期待
今日は中富さんいかがでしたか?
内川さんって素晴らしい野球選手なんですけど、めちゃくちゃ理論派なんですよ。だからこう打ったらどっちに飛んでいくとか、もう全部計算のような形で考えてて。
だから本当いろんなものを見て、いろんなものを感じて、いろいろ理論づけるというか、たぶん頭の中で考えてるんじゃないかなと思うんですけど。
そういったところで言うと、本当に人間内川誠一でずっと野球選手の時もやってたんでしょうね。
本当、僕は国母番というのをさせてもらったから、よく国母さんの名前を出しますけど、一流選手っていうのは野球だけじゃないんですよね。野球だけやってたらということではないというのはすごく感じます。
国母さんは新人の頃、全体練習が終わった後、何百本もパッティングの練習をしよったっていう内川さんで、他の競技を暇さえあれば見て回ったっていう話もあるし、やっぱその一流と言われる人たちっていうのは、人の努力、もう一つ違う努力っていうのも併せにするんやろうね。
引退なさったんですけど大相撲のことしょうきくぜきとすごく親しくされてました。九州場所に見に来たり、支度部屋のところまで来てた記憶も、私取材で行ってたりして、二人がお会いしてるところ見たりもしましたしですね。
だから今後は指導者内川誠一さんが見たいですね。
見たいですね。
見たいですね、確かに。
そうですよね。
すごいみたいですね。
どんな野球をするのかとか興味がありますね。
やっぱ指導者、人間性もやっぱ大事じゃないですか。そういうところも含めて多分指導できる人じゃないかなと思います。
確かにそうですね。
エンディング
ありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
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