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47|【城井谷編】黒田長政はなぜ正面を避けたか 城井谷の山城群を現地踏査で読み解く
2026-05-10 12:48

47|【城井谷編】黒田長政はなぜ正面を避けたか 城井谷の山城群を現地踏査で読み解く

福岡県内だけでも1000近くあったとされる戦国時代の山城の魅力をお届けする「西日本新聞 戦国山城ポッドキャスト」。城井谷シリーズ第2回は、郷土史家の清田進さんの案内で、築上町安武から車で谷を遡ります。清田さんによると、天正15年に城井谷を攻めた黒田長政は、この堅固な入口を避け、隣の小山田谷から回り込んで侵入を試みたといいます。谷が最も広がる場所には、宇都宮氏居館跡の台地がぽつんと残り、中流域に入ると本庄城・小山田城・小郷地城など標高約400mに達する山城群が両岸にひしめきます。「谷全体が要塞だった」という前回の言葉を、車窓の景色が証明していく回です。次回はいよいよ城井氏の主城・大平城に足を踏み入れます。

◆出演:清田進(郷土史家)、中山 紘一郎(しかのすけ/販売部)、横山智徳(MC/メディア戦略局)/ 映像編集:中山 紘一郎/音声編集:中富一史(販売部)/ディレクション:坂本信博(メディア戦略局兼編集局上級専門委員)

◆収録日:2026年4月14日

◆「空から攻める」堀切凡夫Neo2(YouTube)
https://www.youtube.com/@horikiri

◆城・ドローン+(関連記事)
https://www.nishinippon.co.jp/serialization/castles_in_kyushu/

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#戦国山城ポッドキャスト #城井谷 #城井氏 #黒田長政 #山城 #西日本新聞mePodcas

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サマリー

このポッドキャストでは、福岡県内に点在する戦国時代の山城の魅力を紹介します。今回は築上町の城井谷を訪れ、郷土史家の清田進さんの案内で谷を遡ります。天正15年に黒田長政が城井谷を攻めた際、堅固な入口を避け、隣の小山田谷から回り込んで侵入を試みたという歴史的背景を解説。谷が広がる場所には宇都宮氏居館跡が残り、中流域には本庄城、小山田城、小郷地城など標高約400mの山城群が両岸にひしめき、谷全体が要塞であったことを現地踏査で明らかにしていきます。

城井谷への導入と黒田長政の戦術
西日本新聞Podcast
西日本新聞 戦国山城Podcast
この番組では、福岡県内だけでも戦地核あったとされる、戦国時代の山城の魅力をお話しします。
こんにちは、福岡のニュースアプリ 西日本新聞Bの横山智則です。
こんにちは、西日本新聞の鹿之助こと中山小一郎です。
はい、歴史研究会中小工の教室の清太です。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
ひょっとしたら車の音がうるさいかもしれないですけど、一旦ここでオープニングだけ止めましょうか。
前回ですね、平原谷の紀伊神社、紀伊家の宇治神、もともとのおったところから現在移動しまして、紀伊谷の入り口に参りました。
これを遡っていきますとですね、前回説明しましたように、
この右岸、左岸、左右にですね、紀伊氏が築いた山城があります。
いよいよ今からですね、谷全体が要塞であるというですね、紀伊谷を遡ってまいります。
じゃあ行きましょうかね。
はい、行きます。
紀伊谷に入り口があるわけですが、築城町安竹交差点です。ここを伏設して入っていきます。
このすでにですね、この辺りにも紀伊氏山城がありまして、今の紀伊谷が見えてきましたけど、
左側、川からすると右岸側ですけどね。
この車から左手にはですね、赤旗城というのがあります。
この今、森っていうか。
多分この森が赤旗城と思いますけどね。
右側にはですね、茶臼山城というのがあって、
右岸、左岸、谷の出口にですね、右岸、左岸、守りの城があるということですね。
ただちょっともう一つ向こうの谷の入り口にもですね、広畑山城というのがあって、それは後ほど行きますけども、
前回の紀伊神社でちょっと触れました、
あ、触れんかったか。
天章十五年の黒田長政がですね、紀伊谷を攻めるということがあったんですけど、
紀伊谷を攻めたときの、私は第一次紀伊谷戦と名付けてるんですけども、
最初の戦いは、実はこの紀伊谷の入り口を避けてですね、もう一つ向こうの谷、
尾山田谷、それと岩丸谷っていうのがあるんですけどね。
先ほど言いました、尾山田谷の入り口の広畑山城辺りから遡ってですね、
向こう側からぐるっと回って、この紀伊谷に侵入しようとした戦いがありました。
ここから、いわゆる紀伊谷の河口から上っていくんではなくて、隣の谷から行こうとしたってことですね。
第一次紀伊谷戦の一回目の戦いはそうなんです。
城井谷の地形と山城の分布
今はずっとこの遡ってきましてですね、
この辺多分、ちょっと霧が出とって残念なんですが、
多分この辺標高は、両岸の山の高さは100メートルぐらいでしょうけどね。
だんだん奥に向かってですね。
中流域になると大変山城が集中してあるんですけども、
その辺だと300メートルぐらいの標高になっていってですね。
一番奥まで行きますと、今の入り口から18キロぐらいあります。
谷の一番奥までですね。
その辺になると標高500メートルのところに山城があったりとかですね。
いうふうになっていまして、この川は久保手山から流れてきてるんですよね。
久保手山の隣の山ですね。
結局久保手山は信仰の山ですけど、
この谷もですね、実は戦国時代の武将の谷というのとはまた別にですね、信仰の谷でもあります。
鶴見屋市館跡と宇都宮氏の移住
ずっとですね、遡っていきますと、
右手にですね、鶴見屋巨巻跡というのが見えてきます。
この谷が一番広いところにですね、ちょっと大地があってですね。
ぽつんと大地がありまして、ちょっと今日霧があれでね。
たぶんその正面にちょっとほんもり森が見えてるのが鶴見屋巨巻跡の大地じゃないかと思うんですけど。
まあ看板が川沿いにあるはず。
右側ですね。
右側です、右側です。
右側に見えてきまーす。
こうだ?違う?
これはなんかクラウスで。
なんかクラウスさんというお金持ちが持ってた屋敷です。
観光名所ですけど。
結局、前回お話ししましたけど、南北朝時代に、
武前宇都宮、紀伊五代、頼夫沢がですね、
いらはら谷からこっちに谷一つ、紀伊谷に行きまして、
その頃ですね、たぶん今から行きますところの、
鶴見屋巨巻跡、紀伊巨巻跡はですね、
五代頼夫沢がこっちの谷に移ってきた頃、
築かれたのではないかと言われております。
まだもうちょっと先ですかね。
たぶんね、間違いなければ。
ちょうど家の影になった。
右側に。
森が見えますね。
あれがそうであろうと。
もうすぐ看板が見えてきて間違いないことがわかるんですけど。
これね、築城町が撮ってる航空写真が。
止まってしゃべろうと思ったことが起きました。
一旦ここで切りましょうか。
切っても大丈夫です。
はい、一旦切ります。
中流域の山城群:本庄城、小山田城、小郷地城
はい、それでは先ほど、
紀伊谷の入口、安武という交差点からですね、
車で移動してきました、
鶴見屋市館跡ということで、
ここに案内板がありますけども、
あそこに見えてる台地がですね、
台地が鶴見屋市の館跡であります。
これあれです。
築城町がホームページからなんですけど、
このようにですね、
ここがですね、紀伊谷に一番広がったところなんですよ。
この一番広がったところの真ん中にポツンとありましてですね、
ここにですね、南北朝時代に、
後代、よりふさが、
いらはら谷から引っ越してきまして、
それ以降、ここに鶴見屋市は常に平時、平和な時には、
ここを許可にしてたというところであります。
またそしてですね、
さかのぼりますと谷がそぼまって、
丘陵が出てきたところに、
登山城というのがありますけども、
今からですね、またさかのぼって、
それは向こう側ですね。
そうですね、向こうが上流域に、
上流に向かっていきまして、
そうしますとですね、
かなり谷が狭くなるんですけども、
その両岸にですね、両岸に山次郎が点在してます。
じゃあ今度また向こうに移ってですね、
ここに南寺という山次郎がありますような、
案内したいと思います。
よろしくお願いします。
お願いします。
はい、お願いします。
それではですね、今の、
さっきが鶴見屋間でしたね。
鶴見屋間から中流域でもですね、
中流域でも随分上手のほうまで上がってまいりました。
鶴見屋間から5、6キロは進んだんじゃないかね。
そういうことですね。随分と。
ところがまだですね、谷の奥までは7キロあるんです。
7キロ。
7キロあります。
いかにですね、この木谷が深いかということが分かるんですけども、
この両岸がですね、大変、木石の山次郎がですね、
山次郎が集中してます。
ちょうど背中、そこ木が流れてますけど、
この背中の上はですね、
大変、ちょうど旧春な峰が2つ見えてますけど、
ちょっと霧が出て特定できないんですけども、
この方向にはお山田城という山があります。
これはですね、後ほど黒中正と木重夫さんの戦いの中でですね、
重要な役割をする山であります。
こちら側の山にはですね、根性城というのがありまして、
右の方に、右の方にカメラを振ってきますと、
お号地城というのがあります。
このお号地城がですね、確かもう400メートルぐらい、結構高いところにありまして、
そのお号地城から両線、右の方に両線を伝えまして、
かや霧城というのがあって、さらにですね、ずっと…
霧で見えないあたり
そうですね、ずっと高度が下がってきまして、
洞山城というのがあります。
結局一番ですね、この木谷が狭くなった部分にですね、もう一度申し上げますと、
まず下流域から行くと、洞山城があって、かや霧城があって、
ちょっとこれもう一つ谷が入っているんですけども、
お号地城があってですね、現在私たちが本城城と尾山田城の間に挟まれているということであります。
でですね、この川沿いにはですね、巨巻、先ほど宇都宮は巨巻跡ということで、
一番大きな巨巻跡を先ほど見て上がってきたんですけども、
このあたりには溝口館というですね、朱城であります、
紀朱城であります大平城のですね、大平城のふもとの巨巻、溝口館というのがありまして、
溝口館の奥には大平城がありまして、
そしてさらにですね、坂を登りますと紀の古城があります。
紀の古城まで登っていけるんですね。
登っていきます。紀の古城は最後にですね、
1時間半ほど歩かなくちゃいけないんですけども、登りますけども、
ここでの説明はこれまでにしまして、第2編はここまででございます。
番組の締めと今後の展望
はい、ありがとうございました。
鹿之助さん。
ということはあれですよね、かなりお城というよりは砦に近いような意味ですね。
かなり小規模な。
そうですそうです。
あ、それで忘れてた、最後最後。
鹿之助ドラマの言う通りなんですけども、
この回を終えまして、この後はですね、大平城というですね、
大平城という車で近くまで行けるんですけども、
この紀氏の主城、紀氏のといってもその紀、
しげふさの時代の主城ということですけども、の方に参ります。
それでは2回目、第2編目終わりでございます。
はい、ありがとうございます。
西日本新聞の城戦国ドローンプラスは、
西日本新聞とスマホアプリ西日本新聞MEで連載中です。
ぜひご購読をお願いいたします。
本日はありがとうございました。
ありがとうございました。
はい、ありがとうございました。
どうも、西日本新聞MEです。
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