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46|【城井谷編】谷まるごと要塞だった 城井谷に眠る14の山城と、黒田に抗った一族の物語
2026-05-03 10:22

46|【城井谷編】谷まるごと要塞だった 城井谷に眠る14の山城と、黒田に抗った一族の物語

福岡県内だけでも1000近くあったとされる戦国時代の山城の魅力をお届けする「西日本新聞 戦国山城ポッドキャスト」。今回から新シリーズ「城井谷編」がスタートします。舞台は福岡県みやこ町。城井氏発祥の地とされる木井神社を訪れ、郷土史家の清田進さんが城井谷の全体像を解説します。清田さんによると、城井谷は入口から上流まで約18キロ。大平城や本庄城など十数か所の山城・居館が谷の両側に連なり、「谷全体が一つの要塞」だったといいます。次回以降、この要塞がどのように使われたのか、黒田vs城井の戦いを具体的に読み解いていきます。

◆出演:清田進(郷土史家)、中山 紘一郎(しかのすけ/販売部)、横山智徳(MC/メディア戦略局)/ 映像編集:中山 紘一郎/音声編集:中富一史(販売部)/ディレクション:坂本信博(メディア戦略局兼編集局上級専門委員)

◆収録日:2026年4月14日

◆「空から攻める」堀切凡夫Neo2(YouTube)
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◆城・ドローン+(関連記事)
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#戦国山城ポッドキャスト #城井谷 #城井氏 #黒田官兵衛 #山城 #西日本新聞mePodcast

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サマリー

今回の「西日本新聞 戦国山城Podcast」では、福岡県みやこ町にある城井谷を特集します。郷土史家の清田進氏を招き、城井氏発祥の地とされる木井神社を訪れました。城井谷は入口から上流まで約18キロにわたり、大平城や本庄城など十数か所の山城や居館が谷の両側に連なり、谷全体が一つの要塞となっていたことが解説されました。この要塞がどのように使われたのか、そして黒田氏と城井氏の戦いについて、次回以降詳しく掘り下げていきます。

番組紹介とゲスト紹介
西日本新聞Podcast
西日本新聞 戦国山城Podcast
この番組は、福岡県内だけでも戦地核あったとされる、戦国時代の山城の魅力をお話しします。
こんにちは、福岡ニュースアプリ、西日本新聞Bの横山智則です。
こんにちは、西日本新聞の鹿之助こと中山小一郎です。
歴史研究の会、中高の教授の清太です。
今日はよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
木井神社と城井谷の地理的説明
鹿之助、もう久しぶりよね。番組的には久しぶりの登場ですよね。
そうですね。
宮崎さんが途中つないでくれたりしてましたんで。
今日は清太さんも。清太さんは何ぶりの登場って言ったらいいんですかね。
福岡城ぶりですね。
いやいや違う違う違う。
障子がたけ。
障子がたけ。
障子がたけも行きましたね。
編集中ということで。
そうか、障子がたけはアップしてるんですよ。Podcastでは。
YouTubeは出してないのかな。
障子がたけも年末頃にはアップをしてたんですが、
その後また別の収録があっての久しぶりの清太さんですね。
今日はどこに来てるっていうことからいきましょうか。
ここは木神社といいます。木、樹木の木に井戸の井なんですけど、
福岡県宮古町川ですよ。
宮古町川の山の中腹にあります木神社であります。
どういう神社かと言いますと、
字が変わるんですけど、お城の城に井戸の井と書きまして、
木一族というのがいましたけども、
その木一族の発祥の地であります。
だからこの木神様、木一族の字が違うんですけどね。
木神様がここに祀られてるということなんですけど、
地理的な説明を地形的な説明をしたいんですが。
まずは福岡の町の中から言うと、1時間半ぐらいはかかる。
今かけてきましたね。
2時間ぐらいかかるかもしれない。
福岡県の東海岸といいますか、諏訪長沿いであります。
北九州の南、行く橋を抜けて武田の手前みたいなところですね。
北九州南区、行く橋から中津市にかけて、
彦さんの流れが作った谷がいくつも何本もあります。
ちょっと数えてみると20ほどあるんですけどね。
細かく数えれば、もっと小さな谷も数えると、
多分行く橋から中津市までの間、30は谷があると思うんですよ。
その中で今、宮古町のいらはら谷というところ。
この木神社は、いらはら谷の山の中腹、丘陵にありまして、
ここにですね、最先御家人ですけども、
鎌倉時代に、頼朝の鎌倉幕府ができたときに、
頼朝の子害の御家人たちが全国に散らばっていきます。
その中で、元は宇都宮市、宇都宮宇治、宇都宮一族なんですけど、
武蔵国のですね、武蔵の国の宇都宮一族が、
このいらはら谷に下ってきまして、最先御家人として下ってきまして、
5代の間ここで過ごします。
宇都宮、最初は信久というんですけど、信久が初代で、
武蔵宇都宮5代目の頼朝のときにですね、頼朝のときに、
隣の一つ隣の谷、木谷に移って、そこから木をですね、名乗るようになります。
隣は木谷ってことですね。
隣は木谷ですね、木谷。
北側が今僕らが立っている、いらはら谷です。
で、一つ南に行くと広くて深い、一つ大きいですね、木谷のほうが。
さらに向こうは小山田谷、岩丸谷と。
今日1日ですね、この小山田谷、岩丸谷も話が出てきますけども、このシリーズでは。
ついでですね、宇都宮氏がですね、こっちに来まして、鎌倉からですね、関東から来まして、
5代経って、5代を経て向こうに移るんですけども、
その頃ちょうどですね、ちょうど南北朝時代に入るところで、かなり動乱の時代だったわけですね、動乱の時代だったんですけども、
そういう状況の中で、5代、頼朝のときにですね、
この宇都宮氏はですね、武善を中心にですね、
畜善畜後の神も応接かりました。
そういうこともあってですね、勢力が伸長したということもあって、おそらくこの
伊良原谷が手狭になって、より広い木谷に移ったのではないかと。
これは私の推測です。考えられます。その状況も考えるとですね。
今日は実はこの、いくつもいくつもいくつも谷がありますけども、
今日は主たる話題としてはですね、木谷が主たる話題になります。
城井谷の山城と要塞としての構造
この木谷というのはですね、実はですね、これが木谷です。
こっちが伊良原谷で、伊良原谷に木神社があってですね、木神社があって、
ちょっと話を忘れましたけど、木神社の裏、この山の上にですね、
神羅山城というのがあります。神羅山城というのはですね、
それがこの伊良原谷に住んでた頃の宇都宮市、後の紀伊市の主なる城だったわけでありますね。
木谷に移りますと、五台建ってですね、南北省、始まりの頃、時代始まる頃に
木谷に移りますと、木谷はですね、上流から行きますとですね、
これ、紀伊川というのは流れてるんですけども、谷の上流、紀伊の古城というのがあります。
で、次に大平城、これが紀伊市の主城なんですね。
その下には芽属地館という館がありまして、中流域からですね、本城城、小山田城、
大高地城、足切城、道山城と。
中流域だけ、中流域が一番固まってるんですけどね。
で、その中流域ちょっと下流に行きますと、宇都宮館と、
ここはですね、築城町に、現在の住所というと築城町に入るんですけども、
築城町からですね、宇都宮館入口という印を立てまして、巨館があるんですね。
イコール、紀伊の巨館ってことなんですけど、谷の出口近くになりますとですね、
鎌倉城、チャウス山城、赤旗城、谷一つ向こうに行って広旗城というのがあります。
これ結局ですね、標高にしますと一番遡って、紀伊の古城の両岸はですね、
標高600メーター程度の高さがあるんですけど、
下っていきますと400メーター、300メーターと下っていきますけども、
その両岸にですね、山城がありまして、谷全体がですね、谷全体が要塞になっているというような谷であります。
黒田氏と城井氏の戦い
この谷がですね、歴史の中に一番出てくるのは、
天宗15年ですね、秀吉が九州征伐を行いまして、
その後ですね、その後はこの武全の国は、この紀伊谷があります。
武全の国は黒田、吉高、長政、富士が領有することになります。
与えられたわけですね。
そこでですね、そこで、そこで、ちょっと後ほど詳しいことは話しますけども、
そこで黒田が武全に入ってきたときに、
最も反抗したのはですね、この紀伊一族、元の宇都宮、宇都宮、武全、
武全、宇都宮、紀伊一族であります。
せっかくですから、今回はですね、この紀伊谷全体の定格の配置、構造もお知らせしますけども、
同時に具体的にですね、これが要塞としてどう使われたか、
その天宗15年のですね、黒田、黒田対武全、宇都宮、紀伊氏の戦いをですね、
話をしまして、具体的に要塞としてですね、
どういうふうにこの紀伊谷が使われたかと。
なるほど、これは面白いですね。
城井谷の規模と今後の展開
水辺にわたってお話しできればと思います。
どうですか、楽しみですね。
そうですね、こんな要塞としていうかですね、こんな知らなかったんです。
知らなかったですね。
今で言うと、水域とか行く橋の街の中が海沿いで、
今の話だけ聞いても、いわゆる大正がおるのは山の奥の奥ってことですね。
一番上流までしますとですね、谷の入口からだいたい18キロあります。
それに黄色塗りだけでも、1・2・3・4・5・6・7・8・9・10・11・12・13・14の城があったと。
山城あるいは巨漢があったということであります。
ということで、このあと少しずつお話を聞いていこうと思っておりましょう。
エンディングと告知
左に場所を移しましてですね、話していきます。
わかりました、ありがとうございます。いいですかね。
それではエンディングです。
西日本新聞の白戦国ドローンプラスは、西日本新聞とスマホアプリ、西日本新聞MEで連載中です。
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本日はありがとうございました。
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