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57|元首相「トンちゃん」ってどんな人? 元側近の話を交えて偲びます(前編)
2026-04-28 35:30

57|元首相「トンちゃん」ってどんな人? 元側近の話を交えて偲びます(前編)

日本の国政の中心地・永田町で日々取材をする西日本新聞東京支社報道部の記者たちが、本音をぽろりして、政治を身近に感じてもらえるように、ゆるりとニュース解説や裏話をする番組です

昨年10月に亡くなった村山富市元首相。大分市出身「トンちゃん」の知られざるあんな顔、こんな顔を、大分にゆかりがある記者が解き明かします。しめやかに、だけど湿っぽくなく、語り尽くしますよ。
(番組内で村山元首相の退陣が2000年と紹介しましたが、正しくは96年です。2000年は本人が引退した年です。引退後、大分市内で記者が車を運転する姿を見たというくだりがありますが、村山さんはその頃免許の返納後とみられます。記者が自転車を乗る姿を誤って車と表現しました。合わせて訂正します)
 ◆出演:久保田かおり(MC/東京支社報道部デスク)、岩谷瞬(東京報道部記者/首相官邸キャップ)、平峰麻由(東京報道部記者/日本維新の会担当)/音声編集:中富一史(販売部)

◆収録日:2026年4月23日

◆東京支社報道部
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◆収録スタジオ「N-Studio TENJIN」(福岡市)
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#西日本新聞 #西日本新聞me #西日本新聞ポッドキャスト #西ポキャ #西日本新聞東京報道部 #政治 #首相官邸 #永田町

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サマリー

このエピソードでは、昨年10月に亡くなった村山富市元首相、愛称「トンちゃん」の人となりを、大分出身の記者が故郷との繋がりを交えながら偲びます。村山元首相は、社会党委員長から、自民党などとの連立政権を経て首相に就任し、阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件など激動の時代を乗り越えました。大分では、親しみやすく、地域に根差した存在として多くの人々に愛されていたことが語られます。元首相秘書官の古田肇氏への取材からは、首相就任からわずか1週間後に控えた日米首脳会談や、社会党の方針転換を迫られた苦渋の決断、そして「激動の561日」とも称される濃密な政権運営の様子が明らかになります。特に、日米安保条約の維持や自衛隊の合憲性といった、それまでの社会党の立場とは大きく異なる政策への転換は、政権安定のために不可欠な、村山元首相の苦渋の決断であったことが語られています。また、当時の自民党との交渉においても、互いの立場を理解し、歩み寄る姿勢があったことが、政権が安定した要因として挙げられています。

村山富市元首相「トンちゃん」を偲ぶ企画の趣旨説明
西日本新聞ポッドキャスト
皆さんこんにちは、西日本新聞ゆるり政治考。この番組では、日比永田町で取材をしている
西日本新聞東京報道部の記者が本音をぽろりして、
イランネさん、携帯を引き、
失礼いたしました。
政治を少しでも身近に感じられるようなニュース解説。そして裏話をゆるっとしている。
さっきまで取材をね、皆さんしていただいていたから。
失礼いたしました。
かつてはね、電話すぐ取らないと怒る情緒とかね、言いますから。
気づかないことが恐怖です。
恐怖です、恐怖ですね。
文記者あるあるで。
失礼いたしました。
いえ、とんでもない。お忙しい中あざます。
収録日は今日4月の23日でよろしかったですかね。
はい。
ありがとうございます。雨は降っています。
東京永田町から少々しめやかにお届けしたいと思っています。
テーマはですね、とんちゃんを自由に忍ぶということでやりたいと思います。
あれ?自由?
自由に忍ぶ。
私たちらしくという。
らしく忍ぶ。
とんちゃんといえば、一定の年齢以上の方は、
相当若い人ではない限りは多分ご存知だと思うんですけれども、
昨年10月に亡くなった村山富一元首相のことですね、
愛称とんちゃんということで、
本当当時幅広く親しまれた方で、
本市との関係と言っていいのかは分かりませんけど、
大分市出身ということもあって、
今回取り上げたいなと思って、
今日のメンバーは大分関係者を集めました。
メインは日本維新農会担当で、
大分市出身の平峰真由さん。
よろしくお願いします。
次は大分総局を経験された関係キャップの岩谷俊さん。
よろしくお願いします。
司会は私ですけども、
こんな香りでお届けします。
私と大分のつながりなんですか?
どうぞ。
どうぞどうぞ。
手短い。
大分県旧山賀町。
今の木月市になるのかしらね。
ありますっていうだけです。
終わった?
いや、終わってない。
大分ちゃんと幼少期は毎年のように帰ってて、
1ヶ月とか風薫る山賀町で過ごした。
大分を愛してるし。
いいとこですね。
いいとこです。
木月せんべい。
それは薄木せんべい。
木月ですね、木月。
今ハーピーランドとかもよく行ってるし。
ひじまちですね。
速攻出てくる。
城下カレーの。
そうです。
住吉浜とかでチャプチャプ遊んでるし。
いいですね。
いいですね。
大分を愛しているということを言いたい。
別話ですね。
別話いいですね。
別話いいですね。
そんな風光明媚な大分が生んだ首相です。
やっぱり大分の方にね、
こちらでもそうですけど、東京でもそうですけど聞くと、
やっぱりトンちゃんの特別な存在だという感じは、
すごいいろんな人から聞くので、
まずそっから行こうかと思ったんですけど、ごめんなさい。
大分との繋がりと「トンちゃん」への親近感
ひょっとしたら若い方で、
トンちゃんって誰なの?っていう方いらっしゃるかもしれないので、
ほんとごく簡単に経歴をご紹介すると、
もともとは今は社民党になってますけど、
当時は社会党という、
しかも自民党に匹敵まで言ったらあれか。
ずっと争っている。
争っているというぐらいの大きな政党として、
社会党があった時代のことです。
社会主義を掲げていて、
その社会党の委員長トップも務められていて、
それが1994年の6月に、
自民党と、もう今はないんですけど、
新党先駆けという政党と連立政権を組む。
今でいうと自民党と維新が組んでますけど、
それと同じような形で連立政権が誕生して、
その時に押されて、
え、村山さんじゃね?みたいな感じになって、
自分はいやいやいやって言いながらも首相になったという方です。
1年半で首相の座を退陣したんですけれど、
それが2000年のことになります。
その1年半、短いと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、
阪神淡路大震災があったり、地下鉄サリン事件があったり、
皆さんも一度お耳にしたことがある、
いわゆる村山談話というのが発表されたり、
かなり時代の節目に、
日本のカジトニを狙った方だということで、
昨年10月に浪水のため100人被災で亡くなりました。
お顔ね、音声だけのポッドキャストなので見せられませんが、
皆さんスマホとかで検索していただくと、
特徴的なお顔が出てきて、
眉毛が長い、
しかも白髪になったという表現でいいのかしら。
白くなられた長くて下がり気味の眉毛がトレードマークで、
あれをキュキュッと動かしながら表情を作って喋られる姿も、
テレビで記憶している方も多いかなと思います。
というのもあって、特徴的な眉毛もあって、
とんちゃんとんちゃんと、
当時ワイドショーでもかなり取り上げられた首相でありました。
すいません大分の皆さんに伺いたいのは、
特別な存在と、私は大阪出身なので、
大分の雰囲気も若干は分かるんですけども、
やっぱり特別な存在なのかなと思うので、
特に平美音さんは大分市出身だから、
子供の頃からとんちゃんって感じですか?
私94年の6月に村山さんが総理になられて、
9月に生まれているんですけど、
パクシーじゃないんですけど、
村山世代ですか?
村山世代です。
いわゆるそうですね、連日政権下に生まれている。
お父さんとかお母さんとかは連日テレビで映る村山さんを見ながら、
されたんでしょう。
されたんでしょう、すいません。
物心が空いてないと覚えてないですけど、
大分市出身の総理がいるっていうことと、
村山さんのご自宅が結構身近に現れるということと、
テレビとかでもすごく素朴な、
その辺にいるみたいな、とってもいい人だ、
でも総理だったんだよ、みたいな感じのイメージはうっすらある。
私は市の郊外に住んでいたので、
高校に通うときに街中を通るんですけど、
多分その辺りに自宅があったとされて。
ここが村山さんの実家だよ、というか、
じゃあ実家じゃない、自宅だよ、みたいな。
知っている人、親とかはあの辺だよね、みたいな感じで知ってたみたい。
みんな知ってる。
ですよね、なんかそんなありえない親近感。
ありえない親近感。
しかも誰も悪く言う人がいない、みたいなのは聞いたことがあります。
悪く言う人がいない政治家なんているよね。
ですよね、ですよね。
文句とか、あの人派手やもんねとか、あの人飲み歩いてたもんねとか、
なんかそういうね、全然見かけんもんねっていう悪口か。
勉強の時しか。
ありがち、ありがちですね。
政治家で悪く言う人がいないと。
すごい。
中学校とかだと、小学校後半とか中学校になると公民とか、社会とかとか。
実写政権とかは確かに習ってはいましたけど、
いまいち結びついていない。恥ずかしながら、恥ずかしながら結びついている。
昨年の不法に際して私も、ああ、みたいな。
ずっと大分にいらっしゃった方で、お会いしてみたかったなーって。
96年まで総理ですけど、2000年に引退されてから大分にいらっしゃったわけなので、
ああ、ってちょっと悲しい気持ちに残念でしたね。
じゃあ、功績という意味では、たぶん取材で知り合った岩谷さんの方が、
たぶん生溝というか、村山さんにもお会いされた記憶?
元首相秘書官が見た「激動の561日」
そうですね。
2018年から20年くらいまで、私大分にいたので、その間は大分で、
村山さんのご自宅の近くに私も住んでて、
それはオマージュでですか?
オマージュで。
あえて寄せたんですか?
自宅内なんですよ。
大体近くに住むなら、あそこら辺。地名は避けますけど、あそこら辺。
大親しみの認識があるんですか?
あります。
オマチのことね。
岩谷さんが言ったように、すごい親しみやすい方で、
朝、ご自宅の前でラジオ体操をされている姿を何度も。
家の中じゃなくて、前で?
前でとか、家の近くにでかい建物があって、
そこのガラスに自分の姿が映るじゃないですか。
それを見て屈伸とか、アキレス腱を伸ばしたりっていうのをやられてる姿とか。
とにかく動いてるトンちゃんで行く流れでつかんで。
親しみを込めて。
近いに行ける元首相ってことですね。
近アイドルみたいな。
近アイドル。
でも元首相って、東京にいらっしゃる方も、
そんなにすぐ、とこどこに行ったらすぐ会えるとかはないんじゃないですか。
ないですね。
お祭りとかにも来賓でもちろん呼ばれるんですけど、
内輪とかを持ってるお母さん。
キャーって。
お仕方っていないんですか?
本当に本当に。
トンちゃん。
2018年から?
うんうんうん。それでも。
知事が当時、広瀬さんっていう。
今、ぐす子さんが主任議員だから。
広瀬さんよりもやっぱり元気があるんですよね。
これ大丈夫、大丈夫。
知覚しちゃった。
大丈夫、知覚してたね。
知事に聞いたら。
仕方ない、仕方ない。
レジェンドだから。
知事がその時おっしゃってたのが、
自分は知事だから人前に出れるけど、
トンちゃんはトンちゃんだから皆さんに愛されて、
愛せるようになるんだっていうのも、
知事が言ってたことがあって。
それもオンで?
いや、これはオフです。
オフ大丈夫?
大丈夫、大丈夫。
大丈夫らしい。
もう限りなく、オンに近い。
オンに近い。
しかも君の話でも大丈夫。
確かに。
知事も追いつけないぐらいの民法的な知名度っていうか。
愛され方がすごいですね、県民からの。
ゆるキャラ髪ってこと?
違う違う違う。
失礼ですよ。
失礼ですね。
もっと総理ですね。
本当に愛されてる。
チャリとかで動き回ってるんですよね、自転車で。
自分で車の運転もされるし。
特に秘書とかそういうスカイの人をやらせるわけじゃなくて。
ミストリさんが身の回りのお世話をされるんで。
ファーストリーディー役もされてた中原さん。
中原さんがされてて。
ですけど、自分がやれることは自分でやるかポリッシーらしく。
多くの政治家聞いてください。
ドアも閉めない政治家とか。
荷物すぐ持たせる政治家とかいっぱいいますけどね。
全くないです。
何かの逮捕に来られる時も、確かに僕も見たけど。
村山さんが運転する車で来られてる姿とかもありました。
お元気です。
すごいね。
目線の低さというか、当時の庶民宰相って言われてましたが、
本当にそういうところは引退されたことも徹底されたということですね。
ちなみに、昨年10月に亡くなられて、大分でもお別れ会というのもされたんですけれども、
2月20日に都内のホテルで改めて大きなお別れ会が催されまして、
当時の自殺殺生権の関係者が自己委員会を務めたんですよね。
その中で敷地を読み上げられたのが、村山内閣で副総理兼外務大臣を務めた
河野陽平さん、元自民党の総裁。自民党の総裁で首相を務めてないというレアな方ですが、
この方も人格者として名前が挙がる方ですけれども、
この河野さんも色々と生涯国民目線、労働者目線の政治を貫かれたというふうに
言及、称えられておられる通り、
国民目線がすごいですね。
社会党ということもあって、労働者、働く人の目線というか見方なんだということも、
ずっと強く根底にあられたというのも特徴なのかなと思うんですよね。
歴代の首相の中でも圧倒的に親しみやすさ、ナンバーワンみたいなところはありそうですね。
何でしょうね。
支社派政権の時に、自民党側で動いていた一人である山崎拓さん。
村山さんがお亡くなりになられた時にお話も。
記事で紹介しましたね。
聞かせていただいたんですが。
通称山崎。
山崎。
どこかで聞いたことがある。
親親。
お話を話す時の東京報道部の部長が、山口拓と言って、本市の山崎と言う。
紛らわしい。
紛らわしいです。
山崎がそれを言っていたの?というようなことを言うと、
山崎拓さんのことを言っているのに、俺のこと?と言ってたまに反応される。
説得される。
山崎拓さんの方が、本家ですか?と言ってしまう。
本家。
本家山崎と、うちの山崎の古くから始まる。
ちょっとイチらせていただきます。
はい、すいません。
山崎拓さんが、本家の方がおっしゃっていたのが、村山さんは非常に人格者で、精神的に綺麗、さっぱりした人だったと。
精神的に綺麗。
だいたい相談に行く時は、自分と小泉純一郎さんですね。いわゆるYKKと呼ばれていた。
小泉さんの首相ですから、合格メンバーですね。
加藤さんですね。
加藤光一さん。
話に行って、自民党と社会党でどうしても相入れない政策、これをどうするかって話す時にも、
必ず君たちの立場、君たちの言っていることはよく分かる。
一回理解に示してくれる。
その上で、じゃあこうしようか、ああしようかっていう提案をしてくれると。
こういう人はなかなかいないわな、というようなことをおっしゃってましたね。
そうですね。今は全く意見が違う野党をそういうふうに言える。
じゃあ逆に言うと、自民党の人がいるかっていうと。
それはなんかね。
照らし合わせると、なかなか本気が深いというか。
精神的に綺麗。
包容力があったということですね、今の話。
そうですね。一回受け止めるという話だったですね。
結論がその通りにならなくても、
ちゃんとそこから土台にして話を考えていくというか、
そういう姿勢があったということですね。
じゃあ今、岩谷さんのパスが出たところで、
首相時代のトンちゃんをもう少し深掘りできればと思うんですが、
岩谷さんは別の取材で、
近づいたって言ったんですかね。
近づいてごめんね。
言い方が。
他の取材でいろいろね、我々業界ボーリングっていうんですけども、
どんな人の話を伺えるかなと、どんな人がよくお尻かなっていうので、
いろんな人にもアプローチをして、
この問題について考えたいっていう取材を、
大きな企画の時にするんですけれども、
それの一環で、平美音さんと村山さんをよく知る方に話を入れて、
その21日の上巻でもご紹介したので、
スマホアプリみでも見れますので、見ていただけたらと。
その方は、当時の村山首相の秘書官を務めた方。
詳しく平美さんを紹介してもらっていいですか。
当時、首相秘書官を務められた古田はじめさんという方。
後に岐阜県知事を20年近く務められることになるんですが、
ものすごい、当時は通産省から出身で、
秘書官として総理の最側近として、
1年半の間を支えてきたという方に、
なんとか見つけて連絡が取れて、お話をお伺いすることができ、
平美さん、岐阜まで行きましたよね。
行かせていただきました。
ひだ牛食べた?
ひだ牛、食べさせていただきました。
さすがストッパーの都知事。
簡単にしていただいて、岐阜を好きになってほしいという風に強く言われました。
話が上手いんですよ。
まず、岐阜の魅力を聞くところから始まりました。
いやいや、そこは、それよりもとんちゃんに言わないと。
そうです。
ところでという風に。
日米首脳会談と社会党の方針転換
とんちゃんの味噌が欲しいですね。
大変おいしい。
大変おいしい。
お肉とお野菜と米と一緒に食事をしながら。
大変というか、ありがたいですね。
ありがたいことですね。
言われることも多いことですから。
けむたがれることなく。
ありがとうございます。
ありがとうございます、古田さん、本当に。
平美根に代わりに。
ありがとうございます。
お伝えさせてください。
手帳や日記は当時つけていらっしゃらなかったんですけども、
全部大事なことが頭に入っているって言って、
その通り全部覚えていらっしゃって、
村山さんとのやりとりを。
この1年間がすごい、1年半が濃密で、
確かに阪神淡路があったり、地下鉄サリンがあったり、
道兵衛首脳会団や三日寺が間に入り、
確か消費税の増税とかもあったり、
村山談話も出す出さないの話があったりとかって、
とにかく目まぐるしくて休む暇がなくて、
で、おっしゃられてました。激動の561日。
激動だったとおっしゃってましたね。
おっしゃってましたね。
しかも官邸でね、住める秘書官でずっと室の室のところに部屋もあって、
すぐ呼ばれたらいかなきゃいけないし、
常時打ち合わせをするような関係だから、
ほぼこの在任期間の間、毎日顔を合わせてご飯も一緒に食べてた。
3食一緒に食べてた。
たとえかもしれないですけど、それぐらい。
休暇も一緒に過ごす。
ご家族で村山家と古田家で同じ旅館に泊まったりとかされてたって。
すごいね。
すごいね。
そこまでするんだって。びっくり。
おそらく古田さん、秘書官当時4人ぐらいいらっしゃったらしい。
確かにね、各省庁がだいたい。
多分今も4人ぐらいいらっしゃいますよね。
今も4人以上。
4人以上いらっしゃいます。
8人。
8人。
昔はね、それこそ大倉省とか限られた省庁から出てた。
だんだんこう。
増えてきて。
増えてきて。
古田さんはその中でも広報をご担当された方だったので、
個別の政策、通算省のことはもちろんやるんですけど、
それ以外の全体の談話であるとか会見であるとかっていうのを全部、
一度相談相手になるじゃないですけど、
目を通す方であったので一番近かったというところですね。
たまたまお会いできたのがそういった催促金の方で。
催促金で、日田牛好き。
日田牛好き。
恐縮です。恐縮ですね。
美味しかった。
恐縮。
美味しかっただろ。美味しかったのに。
岐阜はいいとこですね。岐阜はとっても。
みんなで岐阜に来ましたね。
岐阜に来ましたね。
なんでさ。
記事でもご紹介したんですけど、
劇堂を一番象徴するのがやっぱり政権発足から、
本人がね、首相になろうと思ってなる人たちが最近はほとんどですけど、
自民党の中で何回も総裁選に出たりする方、
5回総裁選に出た人が。
なんだね。
なんだ、なんだね。
ややモノマネよく。
でも本人はね、首相になろうと思ってなったわけじゃないのに、
いきなり政権発足から1週間ぐらいで、
在校の中でも最も最重要、最も最重要って言葉が重なってますね、すみません。
最重要な日米首脳会談が控えて、控えたとかやられて、
あとですね、先ほども申し上げた社会党という、
アメリカからすると、
イデオロギー的に警戒度MAXっていう感じですよね。
で、かなり論調も米国内で厳しい中行くっていうことなので、
村山さん自身も相当緊張というか悩まれて、
それも古田さんは。
はい、とても印象に残っている予定で、
一緒についてもちろん行かれてますし、
たぶん荷造りも並んだままというか、
官邸に入られる木の幹ままで身の回りのものだけ持って官邸に来ましたって、
村山さんと挨拶をしたのが初対面で、
そこからわずか1週間後にイタリアのナポリに一緒に行って、
日米海外に臨まなければならないという状況で、
確か村山さんも海外にそもそも行ったことが数回しかないという方で、
党の中のそれこそ、お仕事じゃないですけど、
それので行っただけで。
外交経験というのもそこまでない。
そこまであらないという中での、
そういうアメリカの目線と言いますか、
社会主義者というのがありながらで、
行きの飛行機の中でみんなで作戦会議をしたっておっしゃられてました。
そうですね、アメリカの大統領はクリントンさんということで、
民主党ですかね、
より社会主義、社会党の考え方とは距離があるということも言えるので、
どういう打ち出しを日米首脳の会談でやるかと。
どうやったら安心させられるかが一番の課題だったということで、
外交は継続、内政は改革というメッセージを強く打ち出しましょうというのを、
飛行機の中で決めたということでした。
これがその、なので、外交は継続ということが、
つまりは当時からの日米安全保障条約を維持するということを案に示していたという。
それは村山さんが委員長を務めていた社会党は、
反対の立場をこれまでしてきていたので、
その時点でその立場を180度変える決断をしていたんだと。
今思えばあの飛行機の中の話、
日米首脳会談がその後の内閣の方針を決めていたんだということを言われていましたね。
ターニングポイントに機内がなったということですね。
やっぱり相当春秋というか悩まれた上で、
でもやっぱり外交を一からひっくり返すというのは、
村山政権としてもやっぱりかなりリスクが大きいということだったんでしょうね。
もう倫律を組んだ時点で覚悟していたことではあっただろうと。
でも時間がなくその後表明する、
初心表明で表明するのはその後になったのでですね。
社会党も大変混乱したということで。
内部でも反発も相当あったし。
そもそも村山さんの首相指名選挙で村山さんに投票しない。
政権安定のための苦渋の決断と交渉
党のトップなのに投票しないというようなこともね。
社会党の議員の中でありましたね。
それでも村山さんとしてはやっぱり政権を取るというか、
そういう思いだったんですね。
道部首脳会堂は何とか乗り切って、
帰ってきてからも結構ドタバタ。
帰ってきても週間数日の間にも臨時国会で
初心表明演説を前に。
政権の台本を語るやつですね。
高市さんもやったかと思うんですけど。
みんなやるやつ。
みんなやるやつ。あれやります。
今後の方針を一番固める場面ですよね。
それで改めてその日米安保体制を堅持しますということ。
堅持って結構ね、強い言葉ですね、政治的には。
維持ではなく堅持。
全体変えましょうみたいな。
堅く持つといって堅持されるということを表明されて、
もう一個争点だった自衛隊についてもその後の国会答弁で、
憲法の認めるものだ、つまり合憲にあって認めますと。
これまで違憲という立場を取っていたのに、
やはりそこもこの日本柱が社会党の方針の大転換で。
社会党の中心がなくなったっていう。
なるほど。
苦渋の決断。
古田さんはそれもずっとそばで見ていらっしゃったので、
意見と村山さんが自衛隊意見とした場合に、
これまでの主張を繰り返すと数十万人の自衛隊員を
解雇しないといけなくなるんだろうかっていうふうに
自問されて思い詰めた表情で、
しかもずっと首相になってから不眠不休で寝ずに
大きな決断を迫られ続けていた姿を
ずっとそばで見てきていたとおっしゃって。
あの時の大きな決断があったから、
政権はすごく信頼関係で結ばれて
安定することができたというふうに。
特に連立相手の自民党からすると、
社会党が従来のままの主張だと、
岩谷さん、どう考えても連立組めないっていう話。
そのことについても、
本県山田区が、
本県山田区さんが語ってて、
元自民党の副総裁。
当時は副総裁をやられて、
やられて経験されてて、
当時は国対委員長をやられてたというふうに。
その立場で村山さんを支えていると。
で、その多分後ほど出てくるであろう
村山ダウマーとの絡みでもあるんですが、
やっぱり村山さんには、
どうしても自衛隊に関する解釈を
改めてもらわなきゃいけないというのが、
総理の座に据えることの条件だった。
自民党側からすると最低条件みたいな。
そこはこっちとしても譲れないということで交渉して、
大体条件みたいなもので、
さっき言った村山ダウマーは、
自民党としても認めようと。
要は出すことをその時点で。
あれも本当は自民党としては、
なかなか受け入れがたいもの。
今でも自民党内ではそういう声もありますけど。
そういう歴史認識のところですね。
特にある。
ただそれはもう村山さんは、
戦争、特に反戦ですね。
の部分は譲れないというお話だった。
保険的な平和憲法。
そういうところで、
互いにそこは膝詰めで話し合って、
お互いが織り合うような形にしていった。
そんなことを解読されていました。
本家の方が。
本家の方が。
熱い。
熱いですね。
それをやっぱりしっかりと国会で打ち出したということで、
自民党側から安心できたという。
ちゃんとやってくれたということになって、
古田さんが言うように連立政権の信頼はいろいろになるものになったし、
政権としても安定したということですね。
全然離脱しようとか、
そんな話一度も出なかったって古田さんが。
1年半の挨拶に。
連立で崩壊するんじゃないかとか、
駆け引きがあるとか、
そういう話って出なかったって言われてて、
私今維新担当だからね。
ほんまかよ。
ちょっとこの前チラつかされてた。
条件を固定して守らなければみたいな交渉があったのかなと思って。
そんなのは今のそれと全然違うんだよって言われてましたね。
そういう本家山田さんみたいに、
しっかり話し合う相手が、
ちゃんと相手がお互いあったということなんでしょうね。
相手と立場が相当違うっていうのを分かった前提で、
お付き合い、結婚まで行かれたわけだからっていうことかもしれないですね。
そういうことですね。
面白いですね。
エンディングと番組告知
政権の形で全然違うということもよく分かりました。
それではエンディングです。
お付き合いくださりありがとうございました。
長時間になり申し訳なかったです。
我々西日本新聞東京報道部と一緒に
長田町の政治をウォッチしたいという方は、
ぜひとも西日本新聞、またはスマホアプリ西日本新聞Bのご購読をお願いします。
概要欄にリンクがあります。
番組へのメッセージもお待ちしていますので、
こちらも概要欄を覗いてみてください。
それでは皆さんも体調を崩さないように、
引き続きご自愛ください。ありがとうございました。
ありがとうございました。
そう!福岡の味方西日本新聞ME
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