そうですね。
2018年から20年くらいまで、私大分にいたので、その間は大分で、
村山さんのご自宅の近くに私も住んでて、
それはオマージュでですか?
オマージュで。
あえて寄せたんですか?
自宅内なんですよ。
大体近くに住むなら、あそこら辺。地名は避けますけど、あそこら辺。
大親しみの認識があるんですか?
あります。
オマチのことね。
岩谷さんが言ったように、すごい親しみやすい方で、
朝、ご自宅の前でラジオ体操をされている姿を何度も。
家の中じゃなくて、前で?
前でとか、家の近くにでかい建物があって、
そこのガラスに自分の姿が映るじゃないですか。
それを見て屈伸とか、アキレス腱を伸ばしたりっていうのをやられてる姿とか。
とにかく動いてるトンちゃんで行く流れでつかんで。
親しみを込めて。
近いに行ける元首相ってことですね。
近アイドルみたいな。
近アイドル。
でも元首相って、東京にいらっしゃる方も、
そんなにすぐ、とこどこに行ったらすぐ会えるとかはないんじゃないですか。
ないですね。
お祭りとかにも来賓でもちろん呼ばれるんですけど、
内輪とかを持ってるお母さん。
キャーって。
お仕方っていないんですか?
本当に本当に。
トンちゃん。
2018年から?
うんうんうん。それでも。
知事が当時、広瀬さんっていう。
今、ぐす子さんが主任議員だから。
広瀬さんよりもやっぱり元気があるんですよね。
これ大丈夫、大丈夫。
知覚しちゃった。
大丈夫、知覚してたね。
知事に聞いたら。
仕方ない、仕方ない。
レジェンドだから。
知事がその時おっしゃってたのが、
自分は知事だから人前に出れるけど、
トンちゃんはトンちゃんだから皆さんに愛されて、
愛せるようになるんだっていうのも、
知事が言ってたことがあって。
それもオンで?
いや、これはオフです。
オフ大丈夫?
大丈夫、大丈夫。
大丈夫らしい。
もう限りなく、オンに近い。
オンに近い。
しかも君の話でも大丈夫。
確かに。
知事も追いつけないぐらいの民法的な知名度っていうか。
愛され方がすごいですね、県民からの。
ゆるキャラ髪ってこと?
違う違う違う。
失礼ですよ。
失礼ですね。
もっと総理ですね。
本当に愛されてる。
チャリとかで動き回ってるんですよね、自転車で。
自分で車の運転もされるし。
特に秘書とかそういうスカイの人をやらせるわけじゃなくて。
ミストリさんが身の回りのお世話をされるんで。
ファーストリーディー役もされてた中原さん。
中原さんがされてて。
ですけど、自分がやれることは自分でやるかポリッシーらしく。
多くの政治家聞いてください。
ドアも閉めない政治家とか。
荷物すぐ持たせる政治家とかいっぱいいますけどね。
全くないです。
何かの逮捕に来られる時も、確かに僕も見たけど。
村山さんが運転する車で来られてる姿とかもありました。
お元気です。
すごいね。
目線の低さというか、当時の庶民宰相って言われてましたが、
本当にそういうところは引退されたことも徹底されたということですね。
ちなみに、昨年10月に亡くなられて、大分でもお別れ会というのもされたんですけれども、
2月20日に都内のホテルで改めて大きなお別れ会が催されまして、
当時の自殺殺生権の関係者が自己委員会を務めたんですよね。
その中で敷地を読み上げられたのが、村山内閣で副総理兼外務大臣を務めた
河野陽平さん、元自民党の総裁。自民党の総裁で首相を務めてないというレアな方ですが、
この方も人格者として名前が挙がる方ですけれども、
この河野さんも色々と生涯国民目線、労働者目線の政治を貫かれたというふうに
言及、称えられておられる通り、
国民目線がすごいですね。
社会党ということもあって、労働者、働く人の目線というか見方なんだということも、
ずっと強く根底にあられたというのも特徴なのかなと思うんですよね。
歴代の首相の中でも圧倒的に親しみやすさ、ナンバーワンみたいなところはありそうですね。
何でしょうね。
支社派政権の時に、自民党側で動いていた一人である山崎拓さん。
村山さんがお亡くなりになられた時にお話も。
記事で紹介しましたね。
聞かせていただいたんですが。
通称山崎。
山崎。
どこかで聞いたことがある。
親親。
お話を話す時の東京報道部の部長が、山口拓と言って、本市の山崎と言う。
紛らわしい。
紛らわしいです。
山崎がそれを言っていたの?というようなことを言うと、
山崎拓さんのことを言っているのに、俺のこと?と言ってたまに反応される。
説得される。
山崎拓さんの方が、本家ですか?と言ってしまう。
本家。
本家山崎と、うちの山崎の古くから始まる。
ちょっとイチらせていただきます。
はい、すいません。
山崎拓さんが、本家の方がおっしゃっていたのが、村山さんは非常に人格者で、精神的に綺麗、さっぱりした人だったと。
精神的に綺麗。
だいたい相談に行く時は、自分と小泉純一郎さんですね。いわゆるYKKと呼ばれていた。
小泉さんの首相ですから、合格メンバーですね。
加藤さんですね。
加藤光一さん。
話に行って、自民党と社会党でどうしても相入れない政策、これをどうするかって話す時にも、
必ず君たちの立場、君たちの言っていることはよく分かる。
一回理解に示してくれる。
その上で、じゃあこうしようか、ああしようかっていう提案をしてくれると。
こういう人はなかなかいないわな、というようなことをおっしゃってましたね。
そうですね。今は全く意見が違う野党をそういうふうに言える。
じゃあ逆に言うと、自民党の人がいるかっていうと。
それはなんかね。
照らし合わせると、なかなか本気が深いというか。
精神的に綺麗。
包容力があったということですね、今の話。
そうですね。一回受け止めるという話だったですね。
結論がその通りにならなくても、
ちゃんとそこから土台にして話を考えていくというか、
そういう姿勢があったということですね。
じゃあ今、岩谷さんのパスが出たところで、
首相時代のトンちゃんをもう少し深掘りできればと思うんですが、
岩谷さんは別の取材で、
近づいたって言ったんですかね。
近づいてごめんね。
言い方が。
他の取材でいろいろね、我々業界ボーリングっていうんですけども、
どんな人の話を伺えるかなと、どんな人がよくお尻かなっていうので、
いろんな人にもアプローチをして、
この問題について考えたいっていう取材を、
大きな企画の時にするんですけれども、
それの一環で、平美音さんと村山さんをよく知る方に話を入れて、
その21日の上巻でもご紹介したので、
スマホアプリみでも見れますので、見ていただけたらと。
その方は、当時の村山首相の秘書官を務めた方。
詳しく平美さんを紹介してもらっていいですか。
当時、首相秘書官を務められた古田はじめさんという方。
後に岐阜県知事を20年近く務められることになるんですが、
ものすごい、当時は通産省から出身で、
秘書官として総理の最側近として、
1年半の間を支えてきたという方に、
なんとか見つけて連絡が取れて、お話をお伺いすることができ、
平美さん、岐阜まで行きましたよね。
行かせていただきました。
ひだ牛食べた?
ひだ牛、食べさせていただきました。
さすがストッパーの都知事。
簡単にしていただいて、岐阜を好きになってほしいという風に強く言われました。
話が上手いんですよ。
まず、岐阜の魅力を聞くところから始まりました。
いやいや、そこは、それよりもとんちゃんに言わないと。
そうです。
ところでという風に。
とんちゃんの味噌が欲しいですね。
大変おいしい。
大変おいしい。
お肉とお野菜と米と一緒に食事をしながら。
大変というか、ありがたいですね。
ありがたいことですね。
言われることも多いことですから。
けむたがれることなく。
ありがとうございます。
ありがとうございます、古田さん、本当に。
平美根に代わりに。
ありがとうございます。
お伝えさせてください。
手帳や日記は当時つけていらっしゃらなかったんですけども、
全部大事なことが頭に入っているって言って、
その通り全部覚えていらっしゃって、
村山さんとのやりとりを。
この1年間がすごい、1年半が濃密で、
確かに阪神淡路があったり、地下鉄サリンがあったり、
道兵衛首脳会団や三日寺が間に入り、
確か消費税の増税とかもあったり、
村山談話も出す出さないの話があったりとかって、
とにかく目まぐるしくて休む暇がなくて、
で、おっしゃられてました。激動の561日。
激動だったとおっしゃってましたね。
おっしゃってましたね。
しかも官邸でね、住める秘書官でずっと室の室のところに部屋もあって、
すぐ呼ばれたらいかなきゃいけないし、
常時打ち合わせをするような関係だから、
ほぼこの在任期間の間、毎日顔を合わせてご飯も一緒に食べてた。
3食一緒に食べてた。
たとえかもしれないですけど、それぐらい。
休暇も一緒に過ごす。
ご家族で村山家と古田家で同じ旅館に泊まったりとかされてたって。
すごいね。
すごいね。
そこまでするんだって。びっくり。
おそらく古田さん、秘書官当時4人ぐらいいらっしゃったらしい。
確かにね、各省庁がだいたい。
多分今も4人ぐらいいらっしゃいますよね。
今も4人以上。
4人以上いらっしゃいます。
8人。
8人。
昔はね、それこそ大倉省とか限られた省庁から出てた。
だんだんこう。
増えてきて。
増えてきて。
古田さんはその中でも広報をご担当された方だったので、
個別の政策、通算省のことはもちろんやるんですけど、
それ以外の全体の談話であるとか会見であるとかっていうのを全部、
一度相談相手になるじゃないですけど、
目を通す方であったので一番近かったというところですね。
たまたまお会いできたのがそういった催促金の方で。
催促金で、日田牛好き。
日田牛好き。
恐縮です。恐縮ですね。
美味しかった。
恐縮。
美味しかっただろ。美味しかったのに。
岐阜はいいとこですね。岐阜はとっても。
みんなで岐阜に来ましたね。
岐阜に来ましたね。
なんでさ。
記事でもご紹介したんですけど、
劇堂を一番象徴するのがやっぱり政権発足から、
本人がね、首相になろうと思ってなる人たちが最近はほとんどですけど、
自民党の中で何回も総裁選に出たりする方、
5回総裁選に出た人が。
なんだね。
なんだ、なんだね。
ややモノマネよく。
でも本人はね、首相になろうと思ってなったわけじゃないのに、
いきなり政権発足から1週間ぐらいで、
在校の中でも最も最重要、最も最重要って言葉が重なってますね、すみません。
最重要な日米首脳会談が控えて、控えたとかやられて、
あとですね、先ほども申し上げた社会党という、
アメリカからすると、
イデオロギー的に警戒度MAXっていう感じですよね。
で、かなり論調も米国内で厳しい中行くっていうことなので、
村山さん自身も相当緊張というか悩まれて、
それも古田さんは。
はい、とても印象に残っている予定で、
一緒についてもちろん行かれてますし、
たぶん荷造りも並んだままというか、
官邸に入られる木の幹ままで身の回りのものだけ持って官邸に来ましたって、
村山さんと挨拶をしたのが初対面で、
そこからわずか1週間後にイタリアのナポリに一緒に行って、
日米海外に臨まなければならないという状況で、
確か村山さんも海外にそもそも行ったことが数回しかないという方で、
党の中のそれこそ、お仕事じゃないですけど、
それので行っただけで。
外交経験というのもそこまでない。
そこまであらないという中での、
そういうアメリカの目線と言いますか、
社会主義者というのがありながらで、
行きの飛行機の中でみんなで作戦会議をしたっておっしゃられてました。
そうですね、アメリカの大統領はクリントンさんということで、
民主党ですかね、
より社会主義、社会党の考え方とは距離があるということも言えるので、
どういう打ち出しを日米首脳の会談でやるかと。
どうやったら安心させられるかが一番の課題だったということで、
外交は継続、内政は改革というメッセージを強く打ち出しましょうというのを、
飛行機の中で決めたということでした。
これがその、なので、外交は継続ということが、
つまりは当時からの日米安全保障条約を維持するということを案に示していたという。
それは村山さんが委員長を務めていた社会党は、
反対の立場をこれまでしてきていたので、
その時点でその立場を180度変える決断をしていたんだと。
今思えばあの飛行機の中の話、
日米首脳会談がその後の内閣の方針を決めていたんだということを言われていましたね。
ターニングポイントに機内がなったということですね。
やっぱり相当春秋というか悩まれた上で、
でもやっぱり外交を一からひっくり返すというのは、
村山政権としてもやっぱりかなりリスクが大きいということだったんでしょうね。
もう倫律を組んだ時点で覚悟していたことではあっただろうと。
でも時間がなくその後表明する、
初心表明で表明するのはその後になったのでですね。
社会党も大変混乱したということで。
内部でも反発も相当あったし。
そもそも村山さんの首相指名選挙で村山さんに投票しない。