出会った人にいろいろ聞いてみるシリーズの「にほんごクロストーク」。 

今回は、マレーシアからの元留学生のハルメットさんにインタビューしました。

子どもの頃から日本の電化製品に囲まれて育ったハルメットさん。

いつしか、日本への留学の夢が膨らみ、成績優秀者だけが認められる日本への留学制度で夢を叶えました。 

そんなハルメットさんにいろいろ聞いてみました。

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00:05
みなさんこんにちは、MIKIです。 MIKI senseiの日本語ラジオへようこそ。
このポッドキャストは、日本や日本語について楽しくお話ししています。
今日は日本語クロストークです。 ゲストとのおしゃべりを楽しんでいます。
今日のゲストは、マレーシアの元留学生でエンジニアのハルメットさんです。
ハルメットさんは、3年ほど前に私が日本語を教えていた学生です。
元教え子です。そんなハルメットさんとは、フェイスブックでつながっていて、
ハルメットさんは今年、日本留学を終えてマレーシアに帰り、
エンジニアとして働き始めたという話を聞きました。
今回ぜひ日本語クロストークでお話を聞きたいと思い、ゲストにお迎えしました。
とても長いので、2回に分けてお届けいたします。
第1回目は、私が教えていた学校について思い出を話してもらいました。
そこでは、まだつながりを持っている留学生同士の話をお聞きしました。
第2回目は、大学に遍留し、どんな研究をしていたのかについてお話をお聞きしました。
後半では、ハルメットさんに10の質問ということで、いろいろな質問に答えていただきました。
第1回、第2回と最後までお楽しみください。
それではお聞きください。
今日のゲストは、マレーシアからの元留学生エンジニアのハルメットさんです。
今日はよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
では早速なんですが、簡単に自己紹介をお願いします。
マレーシアから来ました、ハルメットです。
日本で5年間留学していて、今年の3月卒業したばかりです。
日本では3年間、長野高生を勉強して機械工学を卒業して、
その後に2年間、新潟大学へ遍留しまして、
今年の3月に機械工学システムプログラムを卒業したばかりです。
私は日本にいたときに、さまざまな国際交流力会に参加して、
日本の学生、日本の友達だけでなくて、
他国の友達、他国の文化も深く知ることができました。
それが一番楽しいんじゃないかなと思っています。
日本では私は旅行することが好きです。
日本の違う都道府県の違う特徴を知ることが好きです。
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だからそれが暇なとき、休みのときよくやりました。
はい、今日はありがとうございます。
はい、ありがとうございます。
すごいしっかり自己紹介してくれた。ありがとうございます。
長野高生で留学生として、
あのときは、あれですかね、初めて日本に来たばかりのときでしたか?
そうですね、高生の3年生でした。
高生の3年に編入したときは初めて、
あのときが1年目、日本生活。
そうです。2017年ですね。
2017年、そうなんですね。
では、マレーシアで日本語は勉強してたんですか?
そうですね。マレーシアのインタックコレッジというコレッジで、
2年間くらい日本語を勉強しました。
そうなんだ、そうか。
なんかね、みんなに聞かれてると思うんですが、
なんで日本に留学しようと思ったの?
そうですね、みんなが知ってる通りに、
日本のイメージはとても技術的に優れてる国とかって言われてる。
技術的に?
技術的に。
マレーシア人は本当に日本のイメージはそんなもんですね。
テクノロジーとかとても蒸発している国だと見てます。
だから、そこで留学することがなかなかできないって思いました、私が。
そして、高校生のときに初学期をもらって、
日本に留学する機会があって、とてもうれしかったんですね。
なるほどね。
でも、あれだよね、これも多分みんなに聞かれてると思うんですが、
日本に興味を持ったのっていうのはやっぱりテクノロジーからなのかな?
ハルメットさんの場合は。
そうですね、そうですね。
私はからはテクノロジーですね。
アニメとか、みんながいつも言うのはアニメとか漫画とか。
でも私からはそうでもないです。
アニメというとどれもちが分からないですね。
そうか、そうか。
今、日本語を勉強したいとか、日本に行きたいという人たちは
やっぱりアニメだったりとか、漫画から入る人が多いんですが、
ハルメットさんはそうではなく、テクノロジーから。
でもさ、本当に純粋に思うんですが、
世界地図を広げると、
中国があって、
ちょっとその端の方にちょろっとある国じゃないですか。
ここだ、日本だって思ったのは、
その強いきっかけっていうのは何だったんだろう?
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日本のイメージは、
私はマレーシア人として、
例えば、うちの電気製品とかパニックの時に
車だとトヨタとか、
そういうイメージは、
これは日本から、
そのものは日本からのものです。
そのことを見て、
日本はとても優れている国のイメージですね。
だから、
この優れている国でエンジニアの勉強をすると、
何とか将来も、
何とか学べようかなという気持ちがあって、
だから日本を選びました。
なるほどね、そうだったんですね。
だから、ハルメットさんのお宅には、
日本製品、日本の電化製品が多かったということなのかな?
密地化だったということなのかな?
そうですね、一応あります。
例えば、私、テレビとか、
パネソニックのテレビとか、
それはもう小さい頃からそのテレビを見て、
名前が下にあるパネソニック。
書いてあるもんね。
そうそう。
これはロクロクリから、
ってよく思います。
なるほどね。
なんか小さい頃からやっぱりテレビって楽しいものだし、
これを作っているのは日本なんだっていう風に思ってたんだね。
そうか、ありがとうございます。
本格的に日本語を勉強しようって思ったのは、
高校生の頃からなのかな?
そうですね、高校生の頃から。
あと、私、高校生の時に一回日本に行ったことがあります。
あ、そうなんですね。
ジェネシスっていうプログラムがあって、
その中から私が一人、
マレーシア人として一人が選んでて、
日本に行ったことがありますから、
そこから、それはもともとリラックス的なプログラムなんで、
日本に行って、なんかやることじゃなくて、
ただ行って、日本の文化とか、
それを分かるようにするプログラムです。
日本の体験、文化体験みたいな。
そうそう、文化体験です。
で、そこからホストファミリーも一応ありました。
で、そこから日本、とてもいい国かなって思って、
すごい、勉強も一生懸命に頑張りました。
そしてその後に奨学金もらって、日本へ留学しました。
あ、そうなんだ。
その、留学する、奨学金もらう時っていうのは、
その条件は厳しいんですか?
そうですね、高校の一番最後の受験があります。
で、そこから、とてもいい成績の人だけが選ばれる。
だから、私も一生懸命に勉強しました。
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でも、あれだよね、高校生の時に、
そのマレーシアの中で一人だけ行かれたっていうの?
あ、いえいえ、そうではないです。
マレーシア全体だと40人で、
私のグループは20人に分かれて、
20人は、一応ホストファミリーは岡山で、
この20人は岡山に行きました。
あとの20人は、多分京都、京都県かな、京都府。
そうなんですね、そっか。
あの、初めての日本は、その文化体験した時に、
初めての日本はどうでしたか?
あー、初めての日本はね、
その時、日本語も全然分からない時ですね。
その時、初めての印象は、
東京は建物が高くて、
あと、とても綺麗でして、
もちろんマレーシア人としては、
例えばゴミとかも多いし、
とても綺麗なところです。
綺麗っていうのはクリーンな感じ?
そうです、クリーンな感じで、
建物もすごい高いで、
あと、電車も本当に速いし、
ずっと苦しい。
そうですよね、そっか。
その初めての日本は、どのくらい滞在してたんですか?
一週間で、最初に到着は東京で、
その後に岡山県に行きました。
そこはメインかな、ホストフェミリーの一緒に住んでて、
ホストフェミリーな感じで、
その後、最後に大阪も一応行って、
大阪に行って、
大阪に行って、
そうか、これでもうその時にも、
日本に絶対また来るって思ってたんですか?
そうです、また来るって絶対に思ったけど、
でも、初学期にもらったのは別のラッキーなことで、
でも、もちろんもう一回絶対に来るって思いました。
思ってたんだ、そうなんだ。
そうですよね、そうですよね。
で、初学期をもらうまでの、
初めての日本からマレーシア帰りました。
初学期もらうまでの、この間は日本語は勉強してたのかな?
なんか何かやってました?
何もやってなくて。
何もやってない。
その時はまだ高校生なので、
高校生の勉強もあるし、
勉強の生活、学生の生活はちょっと忙しいで、
何もしてない。
ただ、また絶対に行くって思いました。
家族も連れて行きたいです。
そうだったんですね。
ご家族は何人というか、いらっしゃる?
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そうですね、お父さん、お母さんと上のお兄さんがいます。
上のお兄さんはマレーシアでいるんですか?
上のお兄さんはマレーシアでいるんですか?
それとも他に留学しているとか?
そうですね、お兄さんはもう留学生で、
インドネシアでお医者の勉強をやっていて、
去年から戻ってきました、マレーシアで。
そうなんですね。
じゃあ、今マレーシアでお医者さんをされているのかな?
そうです。
そうなんですね。
留学するのは楽しいというか、
それも進路、進学の一つとして、そんなに抵抗はないのかな?
そうですね、実は留学生はいますけど、
マレーシアの留学生はもちろんたくさんいますけど、
でも私はね、もともと留学することが全然考えていないです。
あ、そうだったんだ。
ただ普通にマレーシアで大学を進めて、
就活、就職することを、もともとそんな感じで思いました、私は。
でもラッキーなことで、初学期にもらって、
あと私の第一希望で日本に行くことができて、
それが本当に人生的にも忘れられない経験ですね。
それはどこでも得られない経験。
そうですよね。
生まれ育ったところから飛び出すっていうのは、
かなりの勇気と努力というか、
本当に勇気がないとできないなとは思っていて、
すごい素晴らしい。
私もそこまで勇気あるかは思わなかったんですね。
でもあれかな、
とにかく日本に行きたいとか、
興味の赴くままみたいな感じなのかな。
そうですね。
そうか。
ご両親も、いいよ行っておいでっていう感じ?
そう。もちろん家族も、
日本の国で留学するのは全然思わなかったんですね。
だからこれは、このチャンスもらって、
ぜひ行ってくださいって言われました。
そうなんですね。
よかったですね。
反対もなく日本に留学できたんですね。
それで奨学金をもらって、
日本に来たのが長野高専だった。
そうです。
なるほどね。
長野はどうでしたか?初めての長野。
長野は本当に、
日本では地元だと思います。
周りの人も本当に優しくて、
長野は元々山がたくさんありますよね。
それは私のマレーシアの地元とほぼ同じです。
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私の地元の山でもいいです。
そうなんですね。
そうなんだ。
じゃあ少しマレーシアに似ていたのかな?
そうですね。雰囲気はそうで。
あとは山もあって、とても綺麗な、
長野県は本当に綺麗なところで、
だから私は平日として新潟に行っても、
何回も何回も長野に来ました。
その後も。
スキーしに来たわ。
そうそう。
何回もスキーとか、
あとは友達までいますので、
後輩たち、高生の後輩もいました。
だから何回も行って、
みんなと会って、とてもいいと思いました。
そうなんですね。
長野県長野市には、
長野市には3年間いたんですね。
高生3年、4年、5年。
長野県で、長野市でもどこでもいいんですが、
長野県内で、
何だろう、忘れられない思い出とかってありますか?
長野県、
そうですね、多分長野で忘れない経験は、
高生の生活かなと思います。
高生の場所もとてもいいで、
そんなに町ではない。
だから混んでるとか、町が混んでるとかじゃないし、
あとはお店とか全部近くにあります。
だからそんなに遠くは離れてないところです。
それも、だから生活しやすいんじゃないかなと思います。
本当に住みやすい場所です、長野県は。
そうですね。
ただその駅からね、JRの駅からとかね、
結構離れてるんですよね。
でも駅で電車乗っても、長野駅から電車乗っても、
高生はね、10分の電車でもうすぐ行けます。
10分で。
そうなんだけど、
寮から駅までって遠くないですか?
それはね、歩いて15分、
自転車だと多分10分、7分ぐらいで行きます。
もう慣れてた間で。
そうか、こういうもんだろうみたいに。
そうですね。
そうか、そうか。
日本に来て、その高生で授業をやって、
その日本に来る前までは、
日本語を勉強してたわけじゃないですか。
それを日本に来たら、
日本語の授業は本当に週に1回だけ。
だけど後はもう全部専門の勉強、
日本語で専門の勉強をするっていう。
あれはね、かなりきついんじゃないかなって私は思うんですが、
アルメットさんどうでした?
私はね、マレーシアで日本語を勉強したって言っても、
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勉強しただけ、授業だけ受けたんですね。
学校の外はもちろん友達もみんなマレーシア人なので、
英語とかマレー語だけ使ってました。
日本語は全然使ってないです。
ただ授業の時だけ。
授業だけ。
そうです。
だから初めて日本に行って、
最初の授業を受けた時に、
やばいこれ無理だ。
全部日本語だし、
もちろん先生の話し方もすごい早いので、
それがきついと思いました。
でも本当に本当に嬉しいなことは、
先生とか周りの同じクラスメイトの日本人の学生とか、
みんな本当に私に対して優しかったんです。
先生は本当に留学生のことを大切にしていて、
何回も繰り返します。
説明がわからないときは何回も繰り返します。
あとできるだけ、
しゃべりもそんなに早くない。
留学生がわかるまで何回も説明してて、
そう、そんな感じで授業を受けました最初に。
だからそれは本当に先生たちとクラスメイトたちに本当にありがたいですね。
みんなのおかげでどんどん授業が大丈夫だった。
聞き取れます。
あと授業のときもしゃべります。
みんなとも一緒に何とかいろいろこともできます。
それが本当にありがたいです。
なるほどね。
そうか、もう日本語これで大丈夫。
自信持って日本語の授業を受けられますってなったのは何年目ぐらいですか?
実は3年目じゃなくて、3年生のとき。
最初の2、3ヶ月は難しかった、もちろん。
でもその後はもう慣れてて、この授業はこんな感じでやっていますとか、
日本の授業は日本の友達とかこんな感じでできます。
それでもう習ってきて、
本当に1年目の日本に行って、あと2、3ヶ月後、
多分6月、7月ぐらいはもう慣れてて、もう大丈夫です。
ここから頑張ります、勉強も。
もうじゃあ3ヶ月目、4ヶ月目ぐらいではもうほぼこんな感じかなっていうのは分かってきたっていう。
そうです、はい。
あと、後世にマレーシア人の先輩も行ってて、
そんなに多くはないけど、でも何人か行って、
私は後輩だから、本当に私も大切にしてくれました。
大体の日本とか大体の授業とか、後世の生活とか全部説明してくれました。
そうなんですね、やっぱり先輩がいるとすごく安心ですよね。
そうです、安心で、あとは分からないところがあったら困ったことがあったらすぐ聞きます。
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みんながもう慣れたから。
そうですね、今もそうなんですけど、留学生同士、
そんなにね、後世はそんなに留学生の数が多いわけではないので、
みんながみんな助け合いながら仲がいいですよね。
すごくいい雰囲気だなと思います。
そうですね、それも本当に大事だと思います。
留学生はみんな一緒に、後世だと国際交流旅行会があって、
みんな留学生が本当にそこからの行動活動してて、
その中からの仲間が本当にいい仲間じゃないかなって思いました。
今もよくインスタストーリーでリプライするとかあります。
そうなんだ、留学生同士でつながってる。
そうなんだ、いいですね。
そこから仲間が作ってて、これからも進んでいくかなって思います。
それが一番いいステップでしたね、初めのステップ。
いいですね。
仲間が作るのが。
そうか、そうなんですね。分かりました。
ハルメットさんとのクロストーク、いかがだったでしょうか。
第2回もぜひお聞きください。
ゲストへの質問やメッセージがありましたら、メッセージフォームでお送りください。
また、日本語ラジオへのメッセージもお待ちしています。
日本語ラジオへのドーネッションは、コーヒーから寄付ができます。
私、ミキへのコーヒーを送ることができます。
皆さんからのおいしいコーヒーで楽しいエピソードを作っていきますので、よろしくお願いいたします。
それでは、次回のエピソードでお会いしましょう。バイバイ。
23:43

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