1. 宮崎の時間
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Vol.30-1 | 僕の中では、一貫してるんです。
2026-07-29 30:07

Vol.30-1 | 僕の中では、一貫してるんです。

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今回のゲストは、株式会社宮崎医福サービスの伊藤智彦さん

介護施設、おじいちゃんおばあちゃんへの食事作り、スポーツジム、子どもの英語アウトドアプログラム。

一見すると異なる事業も、伊藤さんの中ではすべてつながっているーー。

なぜ福祉の道を選んだのか。

宮崎に戻った理由とは。

伊藤さんのこれまでの経験と、一つひとつの事業に込めた想いを伺いました。

感想

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ゲスト紹介と過去の思い出
はい、今日も宮崎の時間をやっていきたいなというふうに思います。 この番組は、宮崎で活躍している方に来ていただいて、いろんな話を伺いしている番組となっております。
お届けしている場所は、町中にあります、 新公民館VOL.のポッドキャストルームより、総工館たれ島がお届けさせてもらっております。
ということで、本日のゲストをご紹介させてもらいたいと思います。 株式会社宮崎衣服サービスの伊藤さんです。よろしくお願いいたします。
はい、よろしくお願いします。
もう、ここに来させていただくのが夢でした。
伊藤さんは、僕の一番最初は多分2年ぐらい前に、 もうちょい前かな、3年前ぐらいに、
うすもっさんから繋いでもらって、一緒にギャップに海に入りに行って、 雷が鳴ってすぐ上がったときに一緒に一回海に行った。
しかも、膝の中に無理矢理入ったから。そんなイメージですね。
確かそうですね。しかも僕、すっごい雷恐怖症なんですよ。 遠くでゴロってなったら、もう上がろうと思ってすぐ上がっちゃうんですけど。
関西、結構、海行くまで、一番近くても2時間とか3時間かけて行くんで、 多少鳴っててもね。
本当ですか。
はい、そうですね。で、近づいてきたら上がろうかの感覚があって。
そうなんですね。
でもこっち、僕ももう今鳴ったらすぐ上がりますけど、 なんかね、ガッついてる感は関西もあるかもですね。
僕、高校大学三学部で、ずっと山登ってたんですけど、 一回ですね、大学のときに北アルプスを登っていて、
しかもちょっと難易度の高いバリエーションルートを登ってて、 腰とかロープとか、じゃらじゃら金属のカラビナとかをたくさんつけている状況で、
ほんと雷雲に囲まれて、金属のカラビナとかがキンキンって共鳴しだして、 それでもロープがないと逃げられないから、
もちろんそこで捨てたら逆に逃げられなくなる、下れなくなっちゃうから、 必死の思いでロープで懸垂河口っていうんですけど、
テントのあるところにワーッと降りていって、 でもここから先ロープいらないっていうところで全部投げ捨てて、
テントに隠れて、雷を。それからも雷が怖くて。
山も僕も登るんですよ。ただそういういわゆる命かけてみたいな、ではないじゃないですか。 なんでまたちょっと違うんやろうなと思いました。
高校時代の部活動と宮崎の高校
山、高校も山岳部だったんですか?
もともと高校で、宮崎の大宮高校です。
大宮高校は山岳部があるんですか?
そうなんですよ。その当時スタレ掛けてて、 僕が1年生の時に女子の3年生の先輩で何人かだけいただけで、男子はもうなくなってたし。
山岳部っていわゆるコースをこういってタイム競ったりとかする、あれ?
いろんな、そこはまた長くなるんですけど、高校の場合はみんなで一緒に山に登って、
例えば10チームあったら、1人4チーム、学校が4人1チームで、40人がアリの行列みたいに登っていって、山の中に震災が隠れてて、
スペースが空いてきたら、あそこのチーム体力がないっていう風に原点されて。原点性の部分とか。
そんな競技があるの?
そうなんですよ。料理をちゃんと作って、震災に出して、お料理コンテストみたいなのをしたりとか。
天気図読んで、それが当たっているかどうかの、多分ご存知ないと思うんですけど、
タンパ放送で鹿児島、北東の風、風力さんとかっていうのを永遠と言っているタンパラジオがあって、
それを拾って、自分で県庁所在地の天気図を作っていって、
ああいう輪っかとかがあるじゃないですか。低気圧、高気圧、台風の位置みたいなやつを完成させるっていうテストがあったりとか。
それを高校の時にやっていた。全然意外ですね。今もあるんですかね?
今もあります。逆に大震災の後から、アウトドア系の部活が再注目されるようになってきて、
結構宮崎市内の高校でも山岳部が増えてきているみたいですね。
それこそ、僕周りに南高出身の人が多くて、
なぎなた、フェンシング、普通の高校にはない種目が宮崎の高校には結構あるんですよ。
山岳部も関西はほとんど多分なくて、
本当ですか?
兜山高校が1個山にある高校があるとかくらいです。乗馬とかもあるんですか?
乗馬も今、確か私の友人の子供が大宮高校で乗馬していたって言ってた。
大宮高校って公立ですよね?
公立です。
そこで、兜山の延長でロッククライミングとかウォルダリングを高校生の時にやるようになって、
そこにサーフィンをしているおじさんたちとかがクライミングとかもやられてて、
僕が浪人した時に、宮崎にあと1年どうせいるんだったらサーフィン始めた方がいいよって言われて、
そのタイミングなんですか?
そうです。高校生の時も友達からボディボード借りて海でやったりとかはしてたんですけど、
本格的にマイボードみたいなのを持っていくようになったのが浪人生の時からです。
宮崎とサーフィン、そして大学進学
宮崎の人ってみんなサーフィンしてるって思ってるんですよ。
僕ら県外サーファーからすると。全員やってると思ってるんですけど、
やったことない人の方が多いじゃないですか。
むしろやってる人の数と一緒だと思うんですよ、全国地は。
多分人口の1%がサーフィンをしている。
その1%大阪で1%千葉で1%栃木で1%が宮崎に集まっているから、
サーファー多いよねみたいな話になっているっていう感じなんですね。
実際僕も青島住んで東京から帰ってきてから大学卒業してすぐ帰ってきて、
そこから青島に住み出して20年ぐらい経っているんですけど、
ローカルサーファーみたいな人ってどうですかね。
僕の知ってるだけでも10人ぐらいしか青島にいなくて、
あとはほぼ移住の人だったり旅行で来てる人とかですね。
大学は東京に出てた和世田でなかったですか。
そうです。
こんな言っちゃちょっと怒られるけど。
頭いい大学じゃないですか。
一応ですね。
一応も何も頭いい大学じゃないですか。
見えないです。見えないと怒られるか。
やっぱり失礼ですよね。
イメージが全く。
本当ですか。
なんで和世田に行くことになったんですか。
もちろん10代の時に若干は東京に対する憧れがあるみたいなのもあるし、
一応心理学みたいなことを勉強したいと思って受験して、
心理学の中でも結構有名なところなので、
そこに行けて一旦は嬉しかったんですけど、
当時就職氷河期の僕末期の方だし、
そこはいくつでしたっけ。
僕今44ですね。
就職氷河期でクールビズとかウォームビズとかまだない頃に、
朝の6時台7時に満員電車でも押しつぶされそうになる、
24時間あったら開けますかの企業選手の人たちを見て、
それこそ宮崎に残るんだったらサーフィンした方がいいよって言ってくれたおじさんたちとか、
やっぱ宮崎の大人たちって僕の知っている大人たちはかっこよかったし、
すごい生き生き生きていたし、
それと比べて当時の東京のライフスタイルっていうのを比べたときに、
東京って自分が40代50代過ごせているイメージが全く湧かないなと思っても宮崎に帰ってきたって感じですね。
宮崎へのUターンと起業への道
戻ってきて仕事は何しようったんですか。
一応ですね資格とかも取ったので、
医療福祉系のそれで病院とかで働いたり介護施設で働いたりとかはしてたんですけど、
大学で心理学を学んで東京での生活の未来が見えず宮崎だなぁで戻ってきて、
医療福祉系で仕事をして独立した感じなんですか。
そうですねただ僕も20代でサーフィン馬鹿だったので、
ちょっとお金が貯まったら辞めてメキシコにサーフトリップ行ったり、
追突されて崖から落ちて死ぬ目にあったりとか、
今度はロープとクライミングシューズバッグに詰めて大変に旅しに行ったら背中に固いもの突きつけられて、
怖い人にお金渡したりとか、
そういう生活だったので。
結構わりとプラプラした20代は。
結局もちろん自分で会社した人に堂々と言えるような理由もあるはあるんですけど、
サーバーとしての僕の理由からするとやっぱりいい波のピークにいつでもいたい。
そのためにはヒッピー的なフリーター的な生き方をしていくか、
もう経営者になるしかないなっていうのが、
その当時、今はまだ選択肢あるけど、
その20代の時の僕の選択肢の中ではどっちかしかなくて、
一旦ヒッピー的なフリーター的な生き方もやってみたけど、
あんまりやっぱり性に合わないなと。
仕事は仕事で好きというか、
確かにそうですね。
仕事をするということ自体も楽しいものだし、
ということは自分の中で逆に気づけてきたから、
じゃあもう一つの道の経営者の道でやったら、
最初はもちろん大変ですけど、
いつかいい波の一番いいところに、
好きなタイミングでね。
タイミングでいけるようになるかなと思って、
今でも努力しているところです。
何歳で会社で起業するんですか?
29歳の時に起業して、
実動しだしたのが30歳ちょうどですね。
介護事業の拡大と福祉への思い
一番最初の事業は何々?
一番最初は介護施設を始めて、
衣服サービス、最初からこれ?
最初からこれが会社で、
宮崎市の中心部の新別部町というところに
1店舗やって、
それから2年ごとに1個ずつ増やしていっている感じですね。
メインは介護の中でもどの領域なのですか?
いっぱいあるので、ざっくり分けると、
一番最初に始めたのは在宅型サービスと言われているので、
家で暮らしているおじいちゃんおばあちゃん向けのサービスですね。
通いで来てもらって、レイサービスで帰ってもらう。
ショートステイもしているし、
お家に行く訪問介護とかもしているんですけど、
そういうのを提供しているようなのを一番最初始めた感じですね。
大きくなっていって、今は有料老人訪問をしたりとか、
逆にもっと元気な人向けのスポーツ事務をしたりとか、
今度はそこでたくさん食事を作るようになったから、
食事の部門をまた作ったりとか、
という感じでちょっとずつ大きくなっていっているという感じではありますね。
福祉の仕事に一番最初に着手したのって何でなんですか?
心理学で宮崎、サーフィン、
資格を取ったのが大学の時とかですか?
一応大学から帰ってきて、宮崎で南学園という学校があるんですけど、
そこで1年間だけちょっと変わった精神保険福祉士という資格があるんですけど、
大卒じゃないと取れない国家資格があって、
それを取って、いわゆる相談業務の仕事なんですけど。
そこから福祉かな?
そうですね。
幼少期の経験と社会への思い
内面的にそういう、どう言ったらいいかな。
奉仕というか、人に福祉の仕事って何て言うんですかね。
人として、僕は例えばやりたいって思うタイプではないんですよ。
でも別にもちろん否定もすることも当然あり得ないし、
ただ何かあるんだろうなと思って。
そうですね。それで言うと僕が結構小中学校の頃いじめられっ子で、
結構当時インターネットとかスマホとかまだないけど、
結構学校も荒れてて、
地元はどこですか?
宮崎です。
どこですか?
中学校で言うと宮崎東中というところなんですけど、
大宮高校の裏ぐらいにある中学校なんですけど、
荒れてていじめられっ子で、
その当時今みたいに社会がしっかりしてないし、
また今だと不登校って言うけど、
その当時は登校拒否っていう、
本人の都合で拒否をしているっていうような、
そもそも言い方じゃないですか。
だから登校拒否も悪いことしてるみたいでできなかったし、
嫌でも学校行かないといけなくて、
もちろん今でこそ社会問題すぐになっちゃうから、
社会も学校も動いてくれるんでしょうけど、
その当時も先生たちも見て見ぬふりだし、
むしろ先生たちもいじめのターゲットになっている先生たちもたくさんいたし、
先生がいじめられている?
いじめられている先生もたくさんいたし、
もう本当、何て言うんですかね、
昔の学校のビニールレザーみたいなの張ったパイプ椅子みたいなのがありますが、
あそこの後ろのカッターでピーって切れ目入れて、
その中に画鋲をいっぱい仕込んでおくんですよ。
それはもうパッと見た目見えないんだけど、
座ったら画鋲が突き抜けてお尻に何十本刺さるんですよ。
そういうのを仕掛けられる先生とか、
本当見ててかわいそう、だけど自分もそのターゲットだったから。
なんで社会は、その一方で神様助けて、
キリストでもブッダでもいいから助けてって思ったけど、
もちろん助けてくれないから、
それでも僕は超無神論者なんですけど、
正月に神社行ってもおみくじも引かないぐらい無神論なんですけど、
なんで社会は助けてくれないんだ、
なんで神様は助けてくれないんだっていうのがずっとあったので、
困った人を助けたい、
こんな世の中じゃいかんっていうのがベースにあってあるから、
特に福祉というわけではないんですけど、
弱者が救われる社会とか、
普通の人も幸せに生きれる社会が、
今風の言葉で言うとウェルビーングっていうような言い方をするんですけど、
そういう社会を作りたいなっていうのがあって、
食事も人件費も高くなってるし、
材料とかも上がっていってるから、
介護施設の食事とかって外注するとか、
冷凍食品で温めるだけっていうところがほとんどなんですけど、流れとしては。
やっぱりおじいちゃんおばあちゃんと話すと、
この年になったら最後の楽しみはもうご飯ぐらいしかないなって、
結構多くの人が言われるんですよ。
ずっと自分の中でもそれがなんとかできないかなって、
言えばおじいちゃんおばあちゃんにとっての一番のウェルビーングが食事だっていうことを聞かされてるから、
ただ時代に逆行して、できるだけ手作りに近い食事が提供できるかなっていう。
事業展開の背景と一貫性
全くだから、和世田のくだりもですけど、想像ができないですね。
だけど自分で言うのもなんやけど、就職氷河期とはいえ、
同級生はフジフィルムだ、朝日新聞だみたいな感じで、
みんな有名ないいところに就職していくんですよ。
だけど僕宮崎に帰って介護施設でおじいちゃんおばあちゃんのおむつ交換とかをしていて、
それを自分で選んだ道だし、これでサーフィンできるんだったら、
夜勤明けとかだったらサーフィンも行けるし、それで満足している部分もあったけど、
これでいいのかなって思ってた自分も一方でいたりとかはしたんですけど。
さっき世の中的に安定した社会というか、みんなが快適に暮らせるがいいよねっていう方に向かったわけじゃないですか。
自分の実体験のことに。ちょっと違うしレベル感も全然違うと思うんですけど、
僕も幼稚園とか小学校の低学年ぐらいはいじめられっ子だったんですよ。
多分ね、これちょっと記憶が曖昧なんであれなんですけど、いじめられっ子といじられっ子って、
これってこっちの捉え方になるじゃないですか。
僕多分いじられてるっていうふうに解釈をして、
そうなってそういうキャラクター作りみたいなのをやってたんだと思うんですよ。
なので多分同じような感じにいったけど、僕は多分福祉の方には向かなかったのかなっていうのを聞きながら思ってたんですよ。
だから何も全くないんですけど。
でも僕個人的にもそうだし、うちの会社もそうなんですけど、
人にしか僕は興味がなくて、関わった人がちょっとでも良くなったらいいっていう考えの人間なんですよね。
だから一部福祉の要素はあるのかなと思うんですけど、
その事業を福祉っていうので結構拡大されていってるんで、
モチベーションというかどんなアレなのかなっていうのが気にはなってたんですよ。
そういう感じなんですね。体験のもとに。
だから自分に近い人でもいろいろやりすぎて、何がしたいのかわからんみたいな人も近くにいるけど、
自分の中では結構一貫してるんですけどね。
例えばその延長になんでスポーツジム急に始めたのみたいな話だけでも。
一緒ですよね。
なんで急に食事始めたの?なんで急に青島で子どもの教育とか英語教室みたいなことをアウトドアで提供するみたいなことをしてるんですけど、
そういうのもなんでそれ?って言うけど、その方が子どもたちより良い社会じゃんって子どもたちのためにっていう。
自分の中では何かしら一貫してるんですけど。
事業説明と今後の展望
それってどっちがいいんですかね。
例えば僕はリノベーションの建築の会社をやってるけど、もちろん不動産もやってるし、
不動産はまだなんとなく理解いただけるんですけど、
例えばこれなんかはなんでそんなシェアオフィスやってるの?とか、
映画のイベントをやってたりするんで、映画のイベントはなんでやってるの?とか、
一貫して全部リノベーションしてないけどなっていう感じなんですけど、
これってちゃんと伝えた方がいいんですかね。
どうなんですかね。
だけど結局受益者というかサービスを受けたりする人が満足してれば、
規模が小さかったら社長の顔が分かって物事が進んでいくけど、
大きくなっていくと別に社長がどんな顔をしてようが、こんなテンパーだろうが、色黒だろうが、
メガネかけてキッとしてようが、結局受益者にとっていいものが提供できてたら、
別に僕のマインドはどうでもいいかなと思って、あまり人には説明しないですけど。
だからその今、宮崎服サービスっていうのがメインであって、
さっき言ってた青島の子ども向けの英語プログラムは?
英語アウトドアーズっていう名前のサービスなんですけど、
会社でいうと3PMっていう名前で。
そこは基本的には英語と子どもとアウトドアが組み合わさったもの?
そうです。今年で3年目なんですけど、
基本的に今までは東京とか大阪とか、できれば海外の方とか向けのサービスで、
英語と宮崎ならではのアウトドアスポーツ、サーフィンだとか川遊びだとか、
いろんなアウトドアアクティビティを外国人スタッフを雇って英語で提供する。
1週間単位で東京とか大阪から子どもたちが来て、
人によってはお父さんお母さんたちと来て昼間だけ来るって子もいるし、
ジュニアパイロットで自分たちだけで来る子どもたちもいるんですけど。
それはやってる、さっきの流れでいうと、子どもたちこんなあったらいいよね。
で、やりだした。それと医療と、あと何があるんですか?
あとはさっき言っていた食事部門が最初部門でやってたんですけど、
会社を分けて?
はい、去年の年末ぐらいに子会社化して、
自分たちだけじゃないところにサービスを提供していきたい将来的にというのがあったので子会社化して、
ちょうどタイミングよく一つ場有料道路パーキングエレの指定管理に手を挙げたら、
あの物件ね、めちゃくちゃいいですよね。
運営させていただけることになって、一応本格オープンは今年の10月か11月ぐらいに本格オープンですね。
あそこの有料道路の海側のちょっと独特の形の建物、多分皆さん知ってますよね。
あそこで一応立て付けとしたら飲食店的な感じのカフェを運営しつつ、そこがセンタラルキッチンになっていて、
今のサービスにいろいろ届けるみたいなそんな感じです。
そうですね、収益というところで言うとメインの事業は配食事業の方にはなるんですけど、
ただ表側というか見た目はカフェ形態でやっているという感じですね。
あの時いろいろアイデアベースで喋っていたじゃないですか、あれはどんな実装をするんですか。
一応ですね、とりあえず県の工事とかの兼ね合いもあって、一応7月にオープンはするんですけど、ちょっとぬるっとオープンみたいな感じなんですよ。
7月オープンなんですね。
一応海の日を目標に今いろいろ。
海の日、7月の20分ですか。
20分くらい、ただ一応もうドリンク、バーとちょっと軽食があるぐらいで、でもキャッシュレスオンリーで基本人多くないスタイルで。
基本的に無人で成立するような感じで一旦リリースするんですね。
やって、そこからちょっとずつ作り込みしていったりとか、ちょっとセンターキッチンも今回移設したばっかりなので。
まだ全然です。
新しい場所に移設したばっかり。
移設するのが10月の予定なんですけど、それでどれぐらい料理する方たちの余力が生まれるかとかいうのがまだ10月にならないとちょっと未知数なので。
面積は増えるってことですか。
そうですね。今はちょっと厨房広めの施設でまとめて作っているぐらいのレベルなので、そのキッチンの大きさでいうと倍ぐらいの大きさにはなるので。
何食ぐらい作るんですか。
今ですね、1日180食ぐらい、全施設分を一箇所で作っていて。
180食は朝昼晩。
そうです、朝昼晩。
朝昼晩。
それをそこに持っていって、セントラルで作って、他の外部の施設とか。
そうです。当面は自分の今ある5個の介護施設に食事を配っていて、最終工程は各施設で盛り付けしたりとかはしていくんですけど。
配達もいるんですよね。
そうなんです。配達も行ったりとか、そこの結構時間との勝負なので、タイムマネジメントしたりとか。
その中で生まれてくる容力、僕の理想的な、実際開けてみたら違うかもしれないんですけど、
だいたいセントラルキッチンの仕事は午前中のしかも早めに一番忙しいんですよ。
カフェだったら昼からの忙しさじゃないですか。
だから場所も人的リソースもカフェやってもやっていけるかなっていうようなので考えてはいるんですけど。
なるほど。場所はたまたまですか?
場所はたまたま。
海やし、海のポイントやし、僕らも何かできたら面白いかもぐらいの感じで物件は見に行って、なんとなくこうかなとか考えたりはしたんですよ。
たまたまうちが担当する前の方知り合いで、その人が手を引きますよっていう情報をもらったので、それでちょっと次うちでやってみようかという話が出た感じですね。
あそこの場所だからっていうのはどこに関係?
そうですね。もともと青島なので、青島でできるといいねと思って青島で物件探してたんですけど、物件もないし高いしみたいなところで、
いいのがあった時にはセントラルキッチンに設置しようかぐらいの、そんなにスケジュール考えてなかったんですよ。
いい話があったので手を挙げたらいただけた。
そこはなんとなく現在までで言うとそういう。
今後の放送内容について
この後、とりあえず今日は時間ごちごちなので、一旦これで終わろうかなと思うんですけど、
青島、軸青島に置いたんじゃないですか。僕も青島に住んでますし、青島がどうなるのかなとか、
あとイベントを企画されている話とか、その辺の話を次、実習ですかねって話できたらなと思いますので、
一旦今日の分はこれで終わりたいなと思います。
ありがとうございました。
30:07

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