00:06
はい、というわけで、感想戦でございます。
乾杯!
はいはい、何度もすみませんね。
いや、今日も減ってまいりました、感想戦の時間が。
今日、早いですね。
まあね。
中、4日5日?
そのぐらいかな。
1週間経ってないから。
バーフバリもだいぶコテがしていたんですが、今回の喰らい方っていうのがありますからね。
だいぶ喰らってしまったなっていう。
ここまで喰らえるのもいい映画の証拠ですよね。
そうね、そうだよね。
なんか別に痛くも快感もない映画。
ない。
何の面白い映画もないですよね。
ないですよね。
でもちょっとそういうのが見たかったでしょ?
まあそうそう。
軽く、本当は。
いや、痛くも快感もない。
いや、そんな、結局それ…
なんだっけ、一番最初の方にやった人魚のやつなんだっけ?
人魚姫?
人魚姫ぐらいの感じがある。
いや、あれも、あれももっと喰らうかなって思ってたんですよ。
ちょっと良かった。
良かった。
まあね、この機会がなかったら全く見てない可能性があるものの1個ですからね。
そこは宿題がやっぱり良さそう。
そうですね。
1個気になってたことがあって。
広島、僕広島出身で、地方の人からすると
言っても埼玉、千葉とかって都会なイメージがあるんですけど
その深谷は全然違うん?
そうだと思います。
埼玉も広いんで。
結構な。
だってそれは群馬だって栃木だって山奥はあるわけだから
そういうとこからねっていう話。
だって全然違うよ。
例えば酒井さんとしても温泉街とかだったらさ
かれちゃんとしては全然違うことになる。
むしろもっと地方の都会の方がより都会都会っていう。
そうかもしれないね。
だから全然距離が離れてるけど
福岡、中津で生まれましたって言ったら相当な都会の人だよね。
全く思って。
札幌で、鈴木の辺りで飲んでましたって言ったらそうだかもしれない。
そこの受け入れが地方の人がなかなか始めできないんじゃないかなって思う。
でもね、やっぱ思うけど
自分の身に照らしたらほんと恵まれたと思う。
だってすぐそばにいるんだもん。ラッパーの先輩は。
いないじゃん。
彼らに唯一優しかったの、竹田くん。TKD。
03:01
TKDだけじゃん。
すげえ病弱で最後かわいそうなことになっちゃうけど。
あの人だけが唯一タッグ作ってくださいって言ったら
具合は悪そうだったけど、できたよとか言ってた。
で、無くなっちゃうんだけど、その後にもいい曲、君らに残しておきたいみたいな感じもあったし。
あいつだけがいいやつだなって。
謎になんであいつが作れるんだっていうのもあったけど。
関係値もわからない。
伝説のトラックメーカーを竹田くん、TKD。
俺たちもそうだった。やっぱりオリジナル作れるっていうのが結構すごくて。
ヒップホップって簡単で、入り口としては既存の曲ってレコードとかだと特に普通に12インチのシングルを買いました。
A面はその曲で、B面はそのインストになってるから。
そのB面使ってみんな勝手にやれるのよ。
ステージ上ではそれができるから。
それはもちろん発売はできないけど。
それで録音して発売はできないけど。
そういうことができるから。
参加するってことに対してはすごいハードル低いはずなんだけど。
オリジナル作るってとこが結構最初のハードルっていうのがあって。
それができるやつが近くにいるっていうのはかなりでかいアドバンテージがあるかなって思いながら。
うちはもう俺とイル君と、ライブDJは当時いたんだけど。
その子たちはレコードスピンはできるんだよね。DJはできるんだけど。
音源作ることはできなかった。
そこにうちのペス君が、俺も先輩たちと一緒にやりたいんですけど、まず止まっていいですか?みたいな。
マジで。どんな曲やってるの?って。
5曲入りくらいカセットで持ってきて。
しかも全部オリジナルっていう。
すげーと思いながら、結構やるな。
俺たちオリジナル1曲もないから。
結構やんな。いいね。一緒にやろっか。
ぐらいの感じで最初のペースが入ってくるっていうのがあった。
フミヤは後に入るんだけど、フミヤもオリジナル曲作ってた。
やっぱりそこが結構でかい。
PKDはうちにもいた。
俺逆にハードルが高そうに見えたな、当時。
本当?
18から25くらい。
結構見に行ってたでしょ?ライブを。
クラブに行って、日本のヒップホップ好きで見に行ってたんだけど。
しかも日本語自体が好きだから、自分でもやりたいなってちょっとあるわけですよ。
ハードルが高い。
しかも韻を踏むっていう制約自体がすごく面白い。
06:05
とかって考えてたんだけど、
別に誰と一緒にやろうよ、かっこいいねってやつはいる。
一緒に。この曲かっこいいねって周りにいたんだけど。
一緒にやろうよってやつが誰もいないから。
そこはもう決定的に何か違う世界なんだなと思って行ってたかな。
そういう意味では今喋りながら思ったけど、
結局自分の世界じゃない世界に遊びに行ってた楽しさなんだと思う。
ここが俺らのフィールドっていうよりも他の人たちのフィールドに遊びに行かせてもらってて、
そこはすごい確かに憧れがあるんだけど、
そこには入ってく勇気がなかった。
ラップあったわけでしょ?近くに。
ラップ…
あんまなかった?
ラップって僕、ミクスチャーの…
あー、そっか。
ドラゴンシュとか、山嵐とか、そこら辺がちょうど僕が高校の時にガーッと来てるんで。
俺たちはまさにそれだった。
割とファニーなキャラクターのイメージだから、
FGの中でも結構なファニー感があるから、
ハードコアがブワーって流行った時にヒップホップのね、
いわゆる京王の将軍たちが最初にやろうとしてたような、
一番最後の曲はどっちかというと俺たちより空気だけど、
それじゃないパーティーラップじゃない感じのブームというかあったから、
その頃は相手されないんだよね、あんまり。
他に。
ミクスチャーに言われんの、俺ら。
山嵐も対バンしたし、当時に。
マッハなんかもいたけど。
そうそう、そばにいた。
そういうミクスチャー系に、
ドラゴンもボッツがDJで入ってから、
日本語ラップ聴いてて、リップセラムってのが面白いから。
で、KJに聞かせて、いいなってなって、
こいつらがこうやってなったっていう。
だからそっち系にすごくフックされてた。
でもあれがなかったら俺たち出てないからね、4人。
ドラゴンマッシュだってさ、
ドラゴンマッシュ単体でどこだってツアー行けたよ。
当時だってホールツアーだって自由自在に彼らがやるぐらい人気ある。
1組で行けんのに、わざわざ6組連れて、全員。
すごいっすね。
そう。そこをギャランティーしながら、
どうやってその内訳決めてたかわからないけど、
全員を連れて6組で全国ツアーしたから、
広島ももちろん行ったし、TMCで。
あれがなかったらないね、未来は。
ってぐらい、あそこでかかったなーって。
09:02
こうなっちゃった。
結局俺のラップの話でこうなっちゃうね。
そういう映画だから。
若い頃に周りにいたっていうのがでかいんだよな、俺は。
だって見に行ったのが、
そもそもダンスから入ったけど、この業界に。
ミュージックシーンに。
ダンスっていう角度から行くってことはまずないでしょ?
ない。
ないでしょ?
それも時代だったと思うんだけど、
ダンスブームがあったから。
ダダとかダンスダンスダンス。
あったけど、自分の文化圏に。
TMCやってんの。
だけど、ちょっと俺踊ってみようかなっていうところが、
全然アメリカでの出来事みたいな。
全然すげー遠いところでやってる感じがして。
でもそこ決定的だったんだと思うんだよね。
ちょうど高校まだ入ったばっかりの頃は、
それこそバンドやろうって思ってたぐらいだった。
K-1部に行って、
K-1部の先輩のクッソダッセー。
それを見て、
もう失望して。
こんなの俺やりたくねーと思って。
ダサいと思ったところにヒップホップを見て、
かっこいい、なんだこれ。
見たことないこんなの。
思いっきりアメリカの音源ばっかりじゃない。
ダンスだけ最初やってるから、
それこそ日本語ラッパーって聞いてなくて。
スチャダラパーとか、
なんとなく過労死で認識できるぐらい。
日本語のラップの人もいるんだなみたいな。
そこがまずすごいでしょ。
今でこそスチャダラパーってなるけど、
だってまだまだとかあれでしょ。
そうだね。
ブギーバックより前だからね。
ブギーバックより前にスチャダラを知ってる人だと、
本当に限られた文化圏の人だと思う。
それも東京だからだろうね。
だって周りには、
俺はダンスだったけどスケボーやってる子もいたし、
地元にはDJやってる先輩がいたから、
そこの入り口が圧倒的に深い後は違うよね。
本当におしゃれアドバンテージがすごい。
そうだと思う。
演才教育だと思った。
今思うとね。
今思うと、
ビデオレンタルショップがあるんだけど、
興味を持つMCハマーとかが出てきて、
俺の友達はMCハマーより周りにエレルクルチェとランディムシェが聞いてるわけ。
しょっちゅう遊んでる仲間は。
俺にとってのトムはもうすでに。
で、俺はMCハマーとかそういうとこから入ろうかなと思って、
そのCDレンタル屋さんに行くじゃん。
先輩たちも働いてるけど、
なんならDJでバリバリ元気でやってるような人とか、
プロで俳優さんに出る人とか、
おしゃれな方たちがいて、
それで俺が借りようとすると、
12:02
お前ヒップホップを聴いてるんだろ?
MCハマーじゃねえよって。
まずはジェームス・ブラウンカーって言われて、
ジェームス・ブラウンカーを借りたいとかするくらいだったから、
これ聞いてればわかるのかなって。
後にすごいことがあった。
しかもKW社員にディスられてね。
ジェームス・ブラウンカー聞き直せって言われた時には、
本当に俺のことわかってるんだなと思ったくらいびっくりした。
それは、
きっと埼玉のラッパーのモデルになった深谷とたけもたはない。
ないね。
きっとそこは年の恵まれた環境にいた。
レコード屋で働くって言った時もないみたいな話でした。
レコード屋がないって言ってたもんね。
でも渋谷行くのも恐怖だったよ最初。
上野がギリ。
学生で、高校生ぐらいからだよね。
中学生ぐらいからファッションとか目覚めてくるんだけど、
それでも近所で手に入るようなものだったと思うんだけど、
高校生ぐらいの時は古着とかを求めて、
上野とかぐらいまで買い物の範囲を広げるけど、
渋谷は恐怖だったな。
渋谷は小学校1年生から通学路だった。
街のシティボーイだね。
超シティボーイ。
俺がシティボーイ?
そう。
今デザイナーって言われても俺はそうかなと思う。
今の感じで。
その頃かなデザインを学んで。
クワサワでデザインを学んでとか言われたらそうなのかなって思う。
小学校1年生からですもんね。
すごいわ。
ずっと。
ここまで全然違うね。
ランドセルショって、日の貸し屋線で渋谷まで来て、
そこからバスで。
そこが違うもん。
そこも全然オシャレさ。
だから渋谷に対する怖さは全然なかったけど、
逆に言うと、
学校私立だったから、
学校の規則が厳じがらめ。
厳しいっていうか、
それは施設だもんね。
そうそう。
高校から中学から入ってくると、
なんか窮屈だなって思うんだけど、
小学校から入っちゃうとあんまり思ってないんだ。
思ってたけど、
それを破る力がなかった。
そんな小学校で渋谷散歩してみたいなのはないから。
途中で下りて渋谷散歩するってことはないわけね。
15:00
そうそう。
そのとき散歩する勇気があったら、
また全然違う街の見方がね。
ジブサみたいな見方ができたかもしれないけど。
いたわけだよ。
その頃渋谷とかには。
ジブサの先輩なのかな?
あの人。
普通だと中学が一緒だから。
そうなの?
ジブラさん。
だからさ、
エリートだよね。
不良なんだけどさ、
遊び人だったわけだし、
六本木とかでガンガン遊んでたんだけど、
すごい金持ちの不良って感じ。
イメージとして、
こっちは本当の貧乏貧乏。
逆にそんなさ、
社会に不満とか言ってる。
むしろあんまりない。
リアリティが沸かない。
楽しいことを考えていたいっていう、
現実逃避の方向に逃げるタイプ。
そういう意味ではニューヨークの、
ひっぽく生まれた感じの、
パーティーだ!っていうことだ。
パーティーラップはそういうことだから。
抑圧を受けるからこそ、
週末ぐらいは楽しく、
ブルーズもそうだけど、
教会のお参りが終わった後に、
みんなで夜、酒飲みながら
ブルーズをやるっていうのが、
なってるわけだ。
そういう感じでは普通だったんだけど、
何の不満もない。
めちゃくちゃ持ってたんじゃない?
その頃。
そんなことない?
中高はありましたね。
中高はすごい。
出してくれ!この檻から。
牢獄から。
そういう意味でその辺を共有できる
友達もあんまりいなかったし。
高校からアイスポート始めたから。
今度そうすると、
かっこいいね。
なんか聞いてるよね。
アイスオッケー行くでしょ?
すごいキムタくんのドラマが
出てくるわけよ。
聞こえはね。
それでも俺、
インターハイ出場選手。
すごい。
神奈川県代表選手。
にもかかわらずっていう。
そこは。
にもかかわらず。
青春街道の日向を歩いてる人たちを
日陰から見て。
うがった感じで。
転べばいいのに。
ちょっと大きな声出して転べばいいのにって聞かれて
バッと振り返ってパッと隠れる。
そうそう。
みたいな学生生活を
送ってきたわけです。
素人で言うと、
りょうじさんが一緒に
ラップダンスやる友達いたから
自然とそこに行ったっていうのがあるけど
俺、そういう意味ではね
18:01
小説書いてる奴いたんですよ。
そういえば中学生。
すげー。
それでへーって思って
自分でも書いてみよう。
しかも小説書くの一人でできるから。
それはあったかもしれないですね。
見せ合いっ子とかするわけ?
そうそう。
それは完全に
その育みになってるね。
ストレンジャーシンガーと近いですよね。
そうね。オタクな感じで。
ライブボードゲームやったことがあるし。
あと通信するわけじゃん。
結局。
あいつは。
スティーブ?
スティーブじゃない。
僕大好きなのに。
そうそう。一番好きなの。
ビビ?
一番好きなのにダスティン。
ダスティンと
ダスティンとホラー。
3で彼女が出てきて
あのような繋がりというか。
バインディングストリートの曲をね。
歌うというか。
だからそういうのがないとな。
なんかこう
ちょっと確かに
仲間がいなかったら
俺も一人でやってて
ソロを考えたことないんだよね。
あーなるほどね。
やるのは全部グループみたいな。
3組ともグループ。
やってるグループだし。
で、はるかに
プロデュースユニットだからあれなんだけど。
そうそうそう。
ソロってないな。
やりたいと思うことはない?ソロで。
あのね。
営業みたいなことを
いっぱいしたいなと思うと
ソロの方が動きやすいんだけど。
俺楽器できないから。
チンザドッペンスのようにね。
レコードを自分でかけて
やるって言っても
なきにしもあらずはあらずだけど。
わかんない。
まだあんまり覚えてない。
一回
ギターの友達の男の子で
やろうと思ったんだよ。
そしたら
ギターとラップって
ユニット結構あって。
だんだん女の子で
弾き語りでギターを弾きながら
ラップする子もいるのよ。
ものすごいなそれが。
勝負にならないなと思って。
女の子がいたら。
勝負にならないなと思って。
これはちょっと保留と思って。
まだ保留にしている。
その時一瞬
ソロちょっとやってみたな。
そんななんか
でっかいとこじゃない。
ちっちゃいギターで回って
ソロやるのも悪くないかと思ってたんだけど。
あんまないんだよね。
だから仲間がいたから
始めたんだと思う。
たぶんいきなり寄せてくれる。
そういう出会いがあるわね。小説からとか。
まあそうですね。きっとね。
ガジェットの出会いがあったんだよね。やっぱり。
僕、そうっすね。
バイト探してたら秋葉原で
21:01
パソコン売るっていうバイトあるよって言われて
そっから
完璧だね。
広島に帰った時に
秋葉原のお店の
広島支店みたいなとこで
10日間くらい働いて
パソコンの内部見て
こんなの作れねえと思って
ただ
東京帰った時に秋葉原で働いてくればいいじゃん
って
カオスな状態の秋葉原で
もういろいろができてましたね。
オタク的なところが
グッとなっていくところだね。
僕そこの多分
差分を
変な話秋葉原に常識人が
入ってくるんで
景色が全部違うんですよ。
なんでこの人たち
カレーをお店で食ってんだろうとか
当たり前の気持ちじゃないですか。
お客さんが入ってきたらカレーの匂いがすごい
お店の中が
いらっしゃいませっていうのがカレー食ってんすよ。
おかしいじゃないですか。
あの人たちからすると
普通なんですよ。
それが普通じゃないっていう人間が
入ってきたんで秋葉原に
普通の人が来ると
お互い話があって
普通じゃない人たちが普通じゃないと喋ってんすよ。
安い買い物をしに来た
賢い買い物をしようとしてきた
普通人が僕とすごくあって
オタクの人たちは
その人の接客とかしたくないんですよ。
なるほど。
もっと濃い話したいか
接客自体したくないか
僕はそういう人としか喋れないから
それで
お店にこいつ入れれば
すげえ食うぞってなって
それで
連れ回されるんですよ。
20か21
まさに
今日の年頃の
すでに水を得てるわけ
そこで
まさか
僕じゃなくてよかったですよ
いやいや
そこにあったんだポジションが
しかも
悲しなうやつもいるわけだから
そこがないと
どこにも進まないもんね
水を得たよね
その
そこの間の4年くらい
失敗したんですよ
中学の時から
東京に行きたいっていう
強い思いがあって
アルバイトして貯めたお金で
東京に行って
原宿とか渋谷を見て
東京に行くことを本当に決めるんですけど
東京はあまりに知らないので
池袋ウエストゲートパークくらい
東京は知らないわけですよ
知ったよっていうくらい
行くなら池袋くらいかな
と思ってたらまさか
多摩センターに行っちゃった
多摩センターを知らない
大学ここら辺だったら
その距離の遠さも
知らないじゃないですか
多摩センに住んじゃったもんで
大学生活の
大半が八王子と
多摩なんですよ
24:01
全然東京じゃない
全然違うことない東京なんだけど
失礼失礼
全然違うんすよ
深谷ほどじゃないかもしれないけど
なかなかだよね
テレビでイメージされる東京ではないよね
全くない
当時は多分
新宿まで早くて
50分くらいで
そんなだ
東京駅とか
遠すぎる村
連絡なんて絶対行かない
みたいな距離だったんで
その後東京知るのが
気羽原なんですよ
そこで東京
すごいな
縦断してるね
そこの4年くらいの
暗いというか
東京に来たのに東京じゃない
わーってなってる部分が
なぜか気羽原で弾けて
いとこが多摩センター住んでてさ
いとこんちに遊びに行った時に
寝袋があったの
寝袋ってすげーな
これさえあればどこでも寝れる
みたいな
小学校の高校の時に
初めて家出をするんだけど
その時にどうしよう
夜風をしのぐのは
っていうので
そうだいとこんちに
寝袋があったから
それを借りれば
俺はずっと夜風をしのげると思って
行くんだけど
弾センターから
何も分かんない
喫茶店でスパゲッティを
食って帰ってたんだけど
結局借りれず
連絡もできず
できない
何も分かんないのを体当たりに
行ってしまう
多摩センターは
そのくらい思い出しかないけど
普通に高段住宅の
密集した
住宅街だよね
今は映画館とかできて
結構イケてる感じなんですけど
当時もサンリオピューロランドがあったんですけど
逆に言うとピューロランドがあるだけの
街なんですよね
大学生は多いんですけど
新興住宅が
でき始めた
多摩地区とかいっぱいできたじゃないですか
そのイメージ
その世代が大人になったくらいの時
僕一丁目行ってるんで
その意味ではいい感じの
文化圏ができあがってしまったところに
ハマったんで
出ないんですよ
一応その中で一通りできるんだ
で
町田とかくらいのほうが
まだ近いわ新宿よりと思っちゃって
町田でいい
新宿に出ないって
東京に行きたくて
原宿に憧れた
俺はそこで行っても
原宿でバイトしてたもんね
渋谷も
渋谷も
渋谷も働いてた
27:03
すごいよだから
うちのメンバーほとんどいたもん
原宿には
フミヤも原宿に住んでて
レスはクレバーと一緒に
クリームってところで働いてて
俺の店には思えないけど
どん月まで行くと
イルマリと
ニトロのスウォーダ君とかが
働いてて
近所には
DJはじめがやってる靴屋に
ダブが毎日来てて
すんごいラップ
これからラップをやるぞ
連中ストリートなんだよ
もちろんエイプとかも
できてる時だったんだけど
90年代のカルチャーから
そいつらが身になっていく
って感じの
ど真ん中でいたっちゃう
98年とか
そうね
78年原宿だったね
原宿の店の店長に
ジャケット作ってもらってた
原宿じゃなかった
その時は渋谷だったけど
フミヤは原宿に住んでるから
バイト終わるとフミヤに来て
私だけで来たんですよ
これどうやってやろうか
ヨギーさんの師匠が
原宿に住んでるから
実際のレコーディングは
そこ行けばできる
ただでつかしく
酒だけ持ってきて
先輩飲んでください
やってたっていうのも
完全な関係だったんだよね
そうすると確かに
ヨギーさんよりは
バドマ店長が完全に
あったところではある
それはなるべく
シンプルになっていく
そういうのに憧れてたはず
高校生の時
お金握って
北東京は
確かにね
タマセンターじゃなかった
タマセンターではなかった
居心地が良すぎたのが
ダメですけど
それも運命だもんね
そこによっては
原宿で働いても
全然違う未来が待ってる
秋葉原には行ってなかったと思う
笑ってたと思うんですけどね
普通なんだもんね
いきなりオタクじゃないわけだから
僕、接客中
お客さんもパソコン知らなくて
今よりみんな知らないんで
僕も知らないので
実際が分かる単語が
ドラゴンクエストとか
ファイナルファンタジーの呪文とか
これは
メラです
こっちはメラゾーマです
すごいなって
当時パソコンの
脳みそが2つになる
30:00
CPUがデュアルになる
これはギラです
なるほど複数で攻撃できるのね
ずっと僕は
RPGやってましたら
ドラクエFFどっちが強いか
FFFで
そういう
接客の仕方ですよ
面白い
その方が伝わってるわけだから
お互い知らないんで
すごい
今振り返ると面白いですけど
環境が育むな
サイダムのラッパーって
そのままタイトル通りだけど
ここにいるからこその
感じっていうのは確かにあるね
偶然もあるし
諸余の設定とか
出演的なものもあるし
なんか
なるべくしてなるんだろうな
ライブ見て
すごい俺たちのライブ見てる人
例えばゆうさん
タレントリーゆうさんいるでしょ
ちょっと似てる
すっごい東京っぽいな
とか言って
出自が東京だから
間違いないんだけど
グループで言うと
2人からだから
全部が東京なわけじゃないんだけど
でもよくよく考えると
フミヤですら東京に住んでるのが
20年くらいになったから
結局東京の子だったり
スウ君もそうだし
結局みんな東京で
会えてるわけだもんね
そういうグループであるから
東京なのか
っていうところでかい
どうしても
すいません深夜の皆さん
文化はやっぱ土地と
密接な関係あるから
俺三原寺
その時に三原寺住んでたらわからない
三着連帯のあいつは
そっちに入んないかな
ボコボコいじめられたら
終わりかもしれないなそれは
妄想族には慣れてない
と思うけど
だから東京にも
そういう文化あるんだよね
ちょっと周りは
妄想族いっぱいいるから
なんでそういう風にやっぱり
ならなかったのかなと思う
持ってるものがやっぱ
先輩かっこよかったんだよ
DJやってたりとか
どの先輩を
かっこいいと思うか
そこが重要だった
いろんな先輩いるから
その中で
かっこいいバイク乗ってる先輩なのか
あの人になりたいが
重要だもんね
それでそこはやっぱ
DJの先輩だった
DJの先輩とその俳優の先輩の影響が
大きかったと思う
じゃなきゃヒップホップなんて
そんな濃ゆく聞けてないんだから
だって最初聞いたさ
ヒップホップの
33:00
例えばジェームスブラウンを聞いて
どういう風にかっこよく思えばいいのっていう
分かんないでしょ
すごいコアなヒップホップ
例えばギャングスターっていう
ラップグループの
ドジャツだった
基本のループネーターが
そんなのを聞いて
これってどうかっこよく思う
日本のバンドしか聞いてないからさ
これどうかっこよく思えばいいのかな
と思ってるけど
聞き続けるのよ
せっかくお金出して借りてるし
カセットにもダビングしたから
ウォークマンで聞き続けてると
かっこいいが足りないから
もうついなもんで
そういうの
濃いところから入ってるから
確かに
他の人たちとは違うドバンデージが
すでにそこに生まれてる
今のすぐに
でも
埼玉のラッパー見ると
痛いわけじゃん
俺もこんな分かってない
何も分かってない
ダマダマ
もう本当に
武田くんばり
音楽も知ってて
みたいな先輩がいた
っていうのはデカいけど
デカかったな
じゃなかった
イルマリは近所に住んでるわけだ
イルマリはインターナショナルスクールに行ってる
おっしゃれ
おっしゃれだよ
最初に転校したときあいつもボンと吐いて
言ってたんだ
ダメだボンと
あいつも
インターナショナルスクールは誰もいないから
なにそれかっこいい
普通にブレザーの学校なのに
バッシュとかを
履いてるわけさ
イルマリもバッシュ履いてたから
俺が
中学の途中転校するから
そのときに会ってない時期がある
高校のときに一回
帰ってきて
で
小学校のときずっとローラースケート
一緒にやってて
とにかく隣町に
うめえのがいるそれが圭佑ってやつで
どのくらいできんの
まあまあできんじゃん
でしばらくだって高校のときに
隣町にダンスやってるやつが
ダンスなんつーの
でけえつけぇ
おーいつか
ちょっと一緒に練習しようやったら
なかなかできる
だってそうで中学生くらいのクラブいってた
ああそうだ
渋谷とか六本木のクラブ
いってた
そんで
じゃ連れてってよ
俺と三本木のテンと
3人で
でクラブいって
六本木の最初ディスコだよ
あれほれね、サーカスっていうディスコがあって
そこには、棚に出てるような本物たちが
バー店やったりとか、そのフロアで踊ったりとかしてるから
それ行けない、それもう無理
5階にバズっていう不良外人が集まるディスコがあって
そこだったら行けばパーティーって
36:01
で、バーカンに並んでさ
で、なんかチケット制だよね当時
で、チケットでパッて買う
なんかドリンク買うとか、何飲んでいいか分からない
で、イルマリーが最初並んでて
なんか白っぽいんだけど
ブラックライトに反射されて
青白く光ってるやつを飲んでるわけ
で、その後ろにオサムが並んでて
で、また同じようなやつ頼んで
なんだと思って、どれも3番目に来たから
前のやつと同じやつって言ってた
で、オサムに、お前これ何頼んだんだって
前のやつと同じやつって言った
そうだよね、分かんないもんね
それがジントニックだったっていう
初めてジントニック飲んだ時の感じだったけどね
それはならではだよね
6本木に遊びに行けんだもんね
終電で帰ってたよ
行くんだよ、もう10時くらいに行って
終電で帰るって
みんな家近いんですか?
家近い
歩いて行ける距離?
歩いて行ける距離
それがでかいな
まさにストレンジャーシングス的な感覚で
ディスコにまで行っちゃう
オサムん家は京都の真っ赤い
オサムん家は成田家の真っ赤いって言って
2人、イル君はもう遊びバリバリしてたから
3人で抜けて
それこそ6本木や渋谷のクラブみたいなとこで
オールナイトで朝まで遊んでた
なんかすっかり昔話になっちゃった
いやいやいや
だってもうその頃の映画だったからね
そうそうそうそう
まあまあそんな感じですかね
これ月内でもずっと喋っちゃうんだよ
一晩中
ただもう3時までは持たない体になってきた
疲れが抜けなくなっちゃうから
そろそろお開きしょうがないといけないということで
じゃあまた来週のクラウドアトラスで
皆さんのご経験を伺いたいと思います
ありがとうございました