00:00
はい、というわけで、じゃあ前回の続きをやっていきたいと思います。 お願いします。
一応あの、なんでこれ第1回目の放送、放送というか収録か、を撮ったのが昨日で1日、1日経ちました、経ちました。
そうですね、ちょうど24時間経ちましたね。 24時間経って、で、前回は簡単な自己紹介と、
そもそもこのポッドキャストの目的である対話についてちょっと考えてみようということで話してたと思うんですけど、
多分2回目の配信の方では結構風呂敷を広げて、いろんなリワードだったりとかテーマが出てきたのかなと思ってて、
で、ちょっと振り返ると、対話ってなんだろうって考えた時にAIの話とかが出てきていて、
その中では意味の浅い会議だったりとか打ち合わせみたいな話とか、
で、その対話の機会自体が失われてるよねみたいな話。
で、そうしたところの揺り戻しがポッドキャストのタイトーだったりとかコミュニティが流行ってきたりしてるようなところにつながってるかもねみたいな話があったりとか、
で、そこから実際谷口さんがやってきたサークルだったりとかイベントの活動、今やってるシェアオフィス、シェアハウスかの話とかが出てきたのかなと思います。
で、キーワードとしては人生の交差点を作りたいと。
来ましたね、そんな話。
まあいいな、面白いな。で、やっぱそれって人が好きだからなんですよねとかっていう話をしてたのかなと思います。
そうですね。
で、結構話題がとっちらかってきたなというか、かなり風呂敷を広げた感じがあって、
ここからはちょっと収束に向けて話をしていきたいなと思うんですけど、
で、あれから昨日話した後考えてて、やっぱりそもそもその対話とは何かって考えたときに、
より価値があって意義がある、やるべき対話ってどういう条件が揃っている必要があるのか。
なるほど。
深さ、浅さみたいなこともあると思うんですよ。
で、いろいろ考えてたときに、例えば本当に気心知れた相手、恋人とか友達でもいいと思うんですけど、
その対象とする言葉のやりとりも普通に今日調子どうみたいな。
で、特にそれって中身はないじゃないですか。
そうですね。
深い中身はないんだが、やっぱり相手の調子とか安全を確認するためだけの挨拶。
03:06
なんだけどこれって、そのいつもの調子を確認する対話とも言えるなとか。
なるほど。
そうかって考えていくと、例えば自然と対話するとか、自分と対話する。
みたいなことにも対話って使うなとか。
確かに。
なんかいろんなところで対話は実際はしてるんだけど、
例えば自然と会話するって言いますよね。
言いますね。
そう、なんでそうしたときに得られるものって相手の調子だったりとか、
言語化できない情報がその対話を通じて得られるっていうこともあるなと思ったんですよ。
なるほど。
それは非常にノンバーバルなコミュニケーションで、
日本人って特にそれが特徴として強いって言われてると思うんですよ。
はいはいはい、そうですね。
要は本音と立て前みたいなことと一緒で、暗黙の了解とか、空気を読むみたいなことが。
言いますね、行間読むとかね。
行間を読む。それは対話ではないのか。
なるほどなるほど。
まあいろんな見方があるなと思ってて。
例えばそうだな、谷口さん釣りが好きじゃないですか。
谷口 そうですね。
なんかそうしたときに自然と対話してる?魚と対話してるのかわかんないですけど、
もしかしたら道具と対話してるのかもしれないし。
そういったことってなんかあったりしないですか。
それはですね、非常に面白い問いであります。
ありますか。
ありますあります。
対話っていうものをちょっと言葉を置き換えるとするとですね、情報収集みたいなところがあるんですよ。
釣りにおける自然との対話っていうのをフォーカスしたときに。
それは何かっていうと、例えば釣り竿、釣り道具を持って港、海とか川とかどんなところでもいいですけど立ちますとなるとやっぱり気温だったりとか、
日差しの強さだったりとか、あとは風の強さだったりとかっていうのはまずもう第一義的に自分の体で感じますよね。
雨が降ってれば当然雨も感じるしとかっていうところなんですけど、そっから先に例えば釣竿があって糸があって、
僕はルアーを使った釣りをするんですけど、ルアーがあってっていう話になると、
例えばそのルアーを投げましたと。着艇するまで、要は水の底に着くまでに何秒かかるかっていうのによって、
今日は潮の流れが速いななのか、水深が何メーターぐらいあるななのか、とかそういうことまで分かったりするんですよ。
06:04
あとは投げて水面にポチャンって落ちたところの底が砂地なのか岩なのか、もしくは海藻が生えてるところなのかとかっていう情報って、
結構釣竿とか糸を通じて結構ビンビンに伝わるんですよね。
もちろん目で見て、こういう形の港だから多分この辺がえぐれてて深いからとか、
この辺が潮の流れが速そうだからこういうとこにいそうだよねとか、なんとなく予想を立ててから物を投げたりとかするんですけど、
その確認作業みたいな、目では見えてないし、実際そこの中にいるわけでもないんだけど、
その道具を通じて聞こえてくるというか感じられるものっていうのがやっぱりあって、
さらにその得た情報からじゃあこういう状況だからとかこういう時間帯だから、もしくは気温がこれぐらいだから、
おそらく魚はこういうところにいて今こういう時間帯であろうみたいな、
例えば今はやる気がなくてそんなに餌食わないから今たぶん釣れないよねなのか、
いやこれからちょうど今から晩飯時だから活性上がって食うようになるぞとか、
っていうのに合わせて戦略を立てて、そのルアーを通じたりとかっていうことをしていって釣れた時の快感みたいなものはやっぱりありますよね。
僕もあれは対話なのかもしれない。
実は釣りはするんですよ。
そうなんですね。
はい、でも中学生の時ぐらいにバス釣りがめちゃくちゃ流行ってましたよね。
はい、僕らが小学校から中学校にかけてぐらいの時ですね。
そうなんでそれはもう中学生の時は近所に川があったので、
瓶沼って知ってます?
え、わかんない。
わかんないか、まあわかんないですよね。
結構有名なバス釣りの場所で、毎週友達と行ってましたけどバス釣りで、
今もバス釣りはやんないですけど、川で管理釣り場ですよね。
はいはい、管理釣り。
あれ確実に釣れるじゃないですか。
そうですね。
だから釣ってしかも食べれるし。
うん。
だからそう、釣りはねもともとするんですよ。
ほうほうほう。
でも確かにまあそれはあるよな。
言葉ではないけれども、今ちょっと話を聞いてて確かに顧客と対話するとかもあるなと思って聞いてました。
確かに確かに。
今日ちょっと読んでて、なんかある記事を見つけたんですけど、
これ大学教授の人ですね、
河野哲也さんという方の立教大学文学部教授博士、哲学の先生の記事を読んでいて、
この方もすごくその対話を重視していて、
教育の現場に対話を組み込もうとしていたりとかっていうことをしてるのかな。
09:06
中には哲学カフェとかサイエンスカフェっていうのもあるみたいですね。
面白そう。
哲学的な対話を実践してきた方で、それを読んでて結構面白いなと思ってたのが、
自分がどうあるべきかという問いに対する答えとしての真理であると。
そうした問い、自分がどうあるべきかという問いについて、
人と対話することの目的としては、自分の意見に対する応答が欲しいからであると。
レスポンスが欲しいってことですか。
レスポンスが欲しいと河野先生はおっしゃっていて、確かにそれはそうだなと。
僕も結構自分のことを考えると、例えば釣りにしてもいいと思うんですよ。
その戦略が差し引きにあって、こうしたらどういうフィードバックが返ってくるのかっていうのを自然に対して試している。
それはそうですね、おっしゃる通りだと思います。
っていうことですよね。
ですです。
だからあることに対してこういうふうに思うんだけど、
それが本当に正しいかどうかわからないが、自分の真理思想を信じていたいし、
それに対してどういう応答が返ってくるのかっていうのを確認したいっていうのはすごいあるなと思いました。
なるほど。
一方でレスポンスが欲しいのはあるんだけど、そのレスポンスをもらうことってちょっと怖くもありますよねって僕は聞いてちょっと思ったんですよね。
やっぱりその否定的な意見が入ってきた時とかっていうのが怖いじゃないですか。
全てが肯定されるという確信は絶対にないわけで。
でも怖いもの見たさみたいなところもあるのかな、そのレスポンスが欲しいっていうのは。
ジェットコースターとか、ちょっと一瞬話飛びますけど、ジェットコースターとかお化け屋敷ってあるじゃないですか。
あれにホラー映画とかなものを見たい人間の本質的な真理って乗った後に、
あー良かったって、大丈夫だったって思いたいかららしいんですよ。
なるほどね。
最後の安心を得るためにわざわざ恐怖の中に身を置く。
それはなんかでもわかるな。
行動心理的にはそういうのが働いているみたいです。
確かに。
それもありますけどね。
そうですね。
いやなんかこれ、SNSとか見てるとこんなことで盛り上がっちゃってるけど実はこうじゃねみたいなことを、
12:03
いやなんかちょっと議論の筋がずれてきてるんじゃないみたいなことを思ったりするじゃないですか。
ありますね。よくありますよそれは。
すごい突っ走ってここにすごい集中して話してるけど全然本質じゃないなとかありますよね。
ありますあります。そもそもなんでそこに切れてるんだろうかみたいなことよくあります。
そこに石を投げたくなるわけですよ。
あえて空気を切り裂いて全然関係ないこと、関係ないというか本質に戻そうとする石を投げてみて、
その波紋を確かめるみたいな。
こういう反応になるのかとしみじみにしたりするわけで。
なるほどね。そうすると確かそのレスポンスというか反応をやっぱり見たいんだな人間っていうのは。
そうそれでこの話を読みながら対話がどうあるべきかということを考えたときに、
よくその対話とは何かを調べるときには立場が対等であるべきである。
そういう状態にする上下関係がなかったりとか何かの権力構造の中にいるわけではない。
いない状態が前提としてあって、だからこそ質の高い対話が担保される。
ということは心理的に安全であるっていうことが確実である必要があるなと思って。
どうしてもそこに権力構造が生まれると遠慮してしまったりとか。
やっぱりその最初にあった否定されたら嫌だなみたいなのが働いちゃうので。
そうですね。
対等な意見を安心して発言できるためにはやはり立場は対等ではいけなくて、
立場が対等っていうことは心理的に安全である。その安全が確保されている状態である。
これが大事なんじゃないかなと思いました。
フラットな状態ですよね。それが理想な形。
なかなかでもフラットな関係って難しいですけどねっていうふうには思いますけどね。
いわゆる日常の社会を生きていると。
やっぱりなんか利益関係だったりとか上下関係だったりとかって必然的に生まれるじゃないですか。
そうですよね。だからあえてそういう場を作らないとなかなかフラットな意見を言い合える場がなくなってきてるのかもしれないですよね。
15:02
結局考えるとそうした方が社会的にはいいと思うんですよ。その権力構造を作った方が。
まあそうですねそれはそうだと思いますよ。
その社会は効率よく回っていくと思うので。
確かにね社会、経済活動っていうところ、主に社会っていうと経済活動なんだろうと思うんですけど指すところって。
そこが全て対等な立場でっていう話になったらまあ回らんすよ。いろんなことが滞るから、まあそれは無理だよねって話ですよね。
確かにそうですね。
弱き者の多数の声は聞かない方がトップダウン的に物事を進めた方が多分効率がいいはずなんですよ。
それこそさっきの話に戻るとコミュニティとかそういう話出たじゃないですか前回のあれで。
一時期そのまあアサカツとかサードプレイスみたいな言葉が流行った時期があったじゃないですか。
っていうのってそのこれなのかもしれないなって今思ったんですよね。
そのいわゆる心理的安全性を担保できるような場所を、
そのいわゆる現代社会経済的な現場において皆さんは求めていて、そういう中にはないから求めていて。
いわゆるその対話みたいなものが制度の高い対話みたいなものができる場所を求めてそういったものを自分の生活環境の中に取り込みたい取り入れたいと思ってそういう場所を探し始めたのかなみたいなこともあったのかもしれないですよね。
だからツイッター日本人がツイッター好きなのってなんかすごいそれありそうですね。
結局やっぱり黙り続けてることってできなくて、やっぱなんか言いたいわけですよ。
そうした時に特に日本人社会においてはツイッター、今はGENXがどうなんすかねユーザー数、でも日本のマーケット多分でかいと思うんで。
そうだと思いますよ。そして140文字っていうのは私ちょうどいいんですよね。
ちょうどいいですよね。
かつなんか匿名で別にこういうことをつぶやかなきゃいけないみたいな制約もないし、裏赤みたいなの作っていたいこと言ってるとか、毒吐いてるみたいなのって、そういう吐け口に確かになったから流行ったのかなっていうところもありますよね。
だからこれはまたちょっとどっかでも別のテーマで話したいなと思ってて、そういう匿名性があるがゆえに、匿名性の話とその言論の自由の話が行き過ぎてしまってねじれてくると結局誹謗中傷が起こったりとか、
18:00
今開示請求でしたっけ、ができるようになってきたりとかいうことが起こって、あれで結局命を絶っちゃう人とかも出てきたわけで。
でも、弱気の声は聞かないぞっていう社会が確かに強いのは確かで、でも今それがようやく時代的には変わってきたのかなと思って。
結局、社会保障の話とかにもなってきちゃうと思うんですけど、そういう弱気者の声にも耳を傾けて保障していきましょうっていうような世界観。だから本当はみんなもっと言いたいんですよね、いろんなこと。
いや、だと思いますよ。じゃなかったらみんなにあんなツイハイにならないわって。 ツイッターやってます?やってますよね。
やってますやってます。僕はねでも始めた理由は、別に自分で呟きたいからみたいな前向きなものではなくて、単純に僕はキャリアを広告代理店からスタートしたっていう時に、
ちょうどね、あれ2008年とか9年じゃなかったかな、日本に上陸したの。僕いまだに覚えてるんですけど、広告代理店に入った時の、日本広告業協会だったかなっていう業界団体みたいなものがあって、
そこがやっている新人研修みたいなのに、要は全国の広告代理店の新入社員たちが一同に参加するわけですよ。その時にまだアメリカ、日本に入ってきたばっかりかなんかのツイッターのことを紹介されていて、
そう講師の方が紹介してて、これは絶対来ると、やった方がいいって言われて、その場でアカウント作るみたいな。 2008年4月らしいですよ。 じゃあちょうどだから僕が入社した年ですね、入社した年の入社した月だ。
なんかその時はツイッターっていう風に言ってなくてその人は、正式な英語の発音で言うとツイートじゃないですか。だからツイッターって言ってて、あとツイッターツイッターってみんな言い始めてて、本当はツイッターじゃねえのかよって僕は思ってたみたいな話があるんですけど、
そうそう、その時からアカウントは僕作ってたんですよね。 今と同じやつですか? ヤンヤンそうですよ、ずっと使い続けてます。使い回してます。多分一番最初まで遡ると僕の最初のツイートは2008年になってるはずですよ。 それ何を呟いてたんですか? 全然覚えてないです。 それちょっと見たいですね。
多分ね、しょうもないことっていうか、なんかとりあえず使ってみようと思いますみたいな一言だったんじゃないかなっていう記憶だったけど、どうなんですかね、何言ってたんだろう。だってもう今から20年近く前ですよ。 へえ、なるほどな。でもSNSの中で起こっていることは対話というよりも。
そうですね。ずいぶんかけ離れてる感はありますよね。だって精神的安全性なんてない、心理的安全性なんかないじゃないですか、SNS上に。 まあ匿名性の中にしかないんじゃないですか。 そうですね。 でもまあそうですよね、それで誹謗中止を受けたって言ったら。
21:15
だっていいね欲しいじゃないですか、やっぱり。っていうところでもうなんかそれってもうなんかレスポンスを期待するみたいな話ありましたけど、レスポンスの中でも特定されたレスポンス、特定のジャンルのレスポンスを期待してる時点でもう心理的安全性なんてみじんもないと思いますよ。
だから社会がもういいねを集めるためだけの活動をしているような社会になってきてると思うんですよ。 そうね。 それは企業側もサービス何かを提供する側も、お客との対話を重視していますとかSDGsやってますとか、ああいったいわゆるCSR的な活動も結局いいねをもらうためじゃないですか。
そうですね。 いいねっていうのはもうあらゆるものですよ。 あらゆるもの。まあ確かにねそこに集約されるっていうか、何だろうまあそんたくっていうとあれなんですけど、なんかもう今そのいいねに支配されてる感ってすごいなと思いますけどね、SNSが登場する前に比べると。
だからいいねがもらえなさそうな対話をここでやっていきたいと思います。 そうですね、まあ多分真逆ですよね。この場っていうのはそういう世界観とは。もらえないというか、もらうこともあるんだろうけど、もらおうがもらわなかろうがどうでもいいみたいな。
そうですね、どうでもいいの極地に行きたいですけどね。 いいんじゃないですか、なかなかどうでもいい度を極めましょうよ。 昔ちょっと前は本当に思ってたのは仙人みたいになりたいなと思ってた時期があって。