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おはようございます。健康を走らせるねごラジオ。ランニングドクターねごが、日々の出来事を学びのジョブに変える15分。
今日のテーマは、時間の流れと環境の関係。では一緒にスタートしていきましょう。
皆さん突然ですか?こんな経験はありませんか?日常の忙しい時間はあっという間に過ぎるのに、旅行先ではなぜか時間がゆっぱりゆっぷり流れているように感じる。
そんなことはありませんかね?先日私は伊豆半島に行ったときにまさにこれを感じたんですよ。
ここでは時間がゆっくり流れているなあというふうに思ったんですよね。でもね、これってなんか不思議じゃないですかね。
時計の針は同じ速さで動いているはずなのに、なぜか体感する時間の流れは変わるということですよね。
今日はこの時間の体感速度について、医師であり旦那である私なりに思考を走らせてみたいなというふうに思います。
私がですね、先日行きました伊豆半島というところですね。静岡県にあるところですかね。
私は三島駅というところですよね。そこに品川線で行きまして、レンタカーで、どこだったっけな。
集電寺という場所ですね。というところに行ったんですよね。本当に自然が豊かで、海もありつつ山もあるというね。
海と山に囲まれた美しい場所ということなんですよね。そこで過ごした時間というのは、普段の働いている日常ですよね。
病院でアクセクト働いているわけなんですけど、普段の日常とは明らかに違う流れをしていたんですよね。
時間がゆっくり流れているなというふうに感じるということですね。充実感をすごく感じたということなんですよね。
この感覚は何でなんだろうなというふうに疑問に思ったので、考えていたんですよね。
そこには二つの要素があるのかなというふうに思っていまして、一つは情報量の少なさということがありそうだなというふうに思ったんですよね。
またもう一つは日常のストレスから切り離されて、ストレスから解放されているという状況に置かれているという二つの要素に気がついたんですよね。
一つ目なんですけども、情報量が少ないというふうに感じたわけなんですよね。
情報量と時間の関係の、時間間隔の関係について考えてみましょう。
仕事が忙しすぎる日というのはどういうふうに感じますかね、皆さん。
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もうこんな時間かよみたいな感じで驚くことがあるんじゃないかなというふうに思いますよね。
逆に例えば病院の待合室で何もないところで待っててくださいねというふうに言われるときとかどうですかね。
どちらかというと待たせてしまう側の立場ではあるんですけども、想像すると辛いですよね。
動く時間、長く感じますよね。
これに関してなんですけども、一つの仮説をちょっと考えたんですよね。
刺激量と時間の流れには、時間の計画速度には比例関係があるんじゃないかなというふうに思ったんですよね。
つまり刺激が多ければ時間は早く感じて、刺激が少なければ時間はゆっくり過ぎるというような関係性がある程度あるんじゃないかなというふうに思ったんですよね。
もちろん例外というのもありそうだけど、ある一定の再現性はありそうだなというふうに思ってるんですよね。
例えば具体例としては、スマホでショート動画を見るときとかですかね。
次から次へと新しい刺激がどんどん与えられて、気づいたら1時間もたってんの?みたいなことありませんかね。
僕ね、たまにやっちゃうんですよね。YouTubeとかInstagramとかですよね。
気づいたらショート動画のほうに誘われてしまって、永遠と縦スクロールしているというようなことがあるのかな、皆さんもあるかなというふうに思うんですけども。
これは脳が大量に情報をインプットされて処理していくわけですよね。
その中で時間の間隔が麻痺してしまうからなのではないかというふうに思うわけですよね。
もちろんこういうことが続くと脳の疲労につながるわけなんですよね。
だから昨今ではデジタルデトックスというようなことも注目されているのかなというふうに思うんですよね。
この情報量を減らすことで時間の流れを取り戻して脳に休息を与えるというようなね。
ランニングと一緒で適度な休息が必要なんですということなのではないかなというふうに思います。
なので1個目ですね、情報量が少ないことによって時間の流れはゆったりと感じるのではないかということですよね。
続いてね、伊豆半島において時間の流れがゆっくり流れているなというふうに感じた要因の1個ではないかというふうに考えたのが、
日常のストレスからの解放ということですよね。
要はストレスですよね。悪性化を働いているときと比べて、ゆったりしているというか、仕事がないってすごくいいじゃないですか。
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スッキリしているというか、本当にゆったりしているという状態だと思うんですよね。
でもですね、1個ね、飛行実験じゃないですけど、単純に想像してみますと、
例えばこういう自然豊かな、いわゆる田園風景のある田舎だったとしても、
今と日常生活と同じような仕事量、同じような仕事をこなしていたとしたら、
果たして時間がゆっくり流れているなというふうに感じることができるのかなというふうに想像してみたんですよね。
これを考えると、無理かなというふうに思ったんですよね。
要は仕事が悪性化と同じようにあったらですね、同様に忙しいなというふうにテカテカとしてしまうのではないかなというふうに思ったんですよね。
ここから考えられることっていうのは、田舎とか自然とかいう要素も一つ、情報量が少ないという要素で重要かもしれないが、何かに従事するということですよね。
仕事とかに従事するときに影響として受けるストレスの要が、時間の感じ方、時間の体感の仕方に影響しているのではないかという仮説が出てくるわけですね。
ざっくり言うと仕事ですよね。仕事のストレスの度合いについて、2つの要素があるんじゃないかなというふうに思っています。
単純に量と質ですよね。分かりやすいのは量的な側面ですよね。単純に仕事の量が多すぎると時間って瞬く間に過ぎていきますよね。
充実感はないのに疲労感とかがたまってドッと疲れる。これまさにストレスですよね。
どんだけ自然豊かなところで過ごしていたとしても、自分が処理しきれないぐらいの仕事の量があったら、やっぱりゆったりはできないだろうなというふうに思うんですよね。
もう1つが質ですよね。仕事の質ということになります。これは単純ではないかなと思うんですけども、仕事の質って何かなということを考えてみたんですよね。
そもそも仕事って何だろうなというふうに思うんですけど、現代において仕事っていうのは、いわゆるビジネスとかそういったものを連想されるかなと思うんですけど、
これって産業革命以降、近代社会では仕事と日常生活というのが分断されてしまったわけですよね。父親は家から出て行って、それで工場で働いて、そして帰ってくるみたいな形で、奥さんは家で日常の家事をするというような構図になってから、
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仕事といえば工場で働くとか、そういうビジネスの要素というかそういうニュアンスが出てきたのかなと思うんですけども、家事もどう考えても仕事ですし、それも含めて充実することを仕事というふうに考えたほうがいいんじゃないかなと思ってるんですよね。
近代よりも前の社会では、農耕時代とか生活と仕事っていうのはもっとシームレスだったはずなんですよね。保健の時間じゃなくて自然の時間に従って太陽が出たからとか、暖かくなってきたからというような中で日常生活を変化させながら、日常生活の中で農耕したりとかいうような形ですよね。
これも現代、今当たり前と思っている仕事の在り方というのが昔とは違うということを示しているんだなというふうに思うんですけど、ちょっといろいろ脱線しましたが、仕事というのはいわゆるビジネスだけではなくて、日常生活全体における充実することというふうに定義したとしてですね、その質が高いとはなんだというふうに思うわけですよね。
この仕事における質ですよね。これに関しては、僕は他者貢献感を感じることができるかということが一つすごく重要な要素かなと思います。
仕事、何か充実することによって誰かに喜んでもらったり、誰かの悩みを解決することを通して、自分は誰かの役に立っているんだというような感覚、他者貢献感を実感すること。
そして、それを通して主体的に自分がその充実すること、仕事に対して関わっていくことができるような仕事内容というものが、仕事の質が高いものというふうに僕は考えたんですよね。
要は、そういった仕事の質が高い内容に関しては、いっぱい働いたとしても充実感が得られて、ストレスレベルとしては少ないんじゃないかなというふうに思うということですよね。
このように仕事の量と質のバランスを取ってあげることによって、同じ仕事の量をしたとしてもストレスレベルが変わってしまうよねというふうに思うということですね。
今、ストレスについて話したわけですけども、やっぱりストレスレベルが低いと時間がゆっくり流れているのではないかなというふうに思うということですよね。
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ここまでの考察から時間間隔ということに関して、もう一回考えてみたんですけども、なぜ時間がゆっくり流れているなというふうに考えたかということなんですけどね。
要は、時間間隔を左右するのは環境、どこでですよね、と、活動ですよね、何をするのかということの組み合わせだということが見えています。
要は、伊豆のような田舎でも仕事量が多ければストレスは高くなるし、逆に都会でも人の高い活動に従事していれば時間は充実したものになり得るということで、場所だけではなくそこで何をするかという要素も一つ大きな要素ということですよね。
時間間隔を整えて、いわゆる時間がゆっくり流れているなとか、充実しているなというような感覚を得るためにはどうすればいいのかなというふうな考えですけれども、これは二つの要素ですよね。
情報量が少ないということとストレスレベルが管理されていて高くないということをもって、理想的な時間間隔、ゆっくり流れているなというような充実した時間だなというふうに感じることができるのではないかというふうに思うわけですね。
なので、それぞれの要素ですよね。一つ目として情報量の調整ですよね。情報量を少なくしてあげることも必要なのではないかなと思うんですよね。意識的に情報遮断の時間を作る、つまりスマホを置いて散歩するとか、いわゆるデジタルデトックスをするとか、マインドフルネスで瞑想するとか、そういった要素も関わってくるなというふうに思います。
次、ストレスのレベルですよね。仕事の量ですよね。なかなか調整するのはむずいんだよというふうに思いますけども、仕事の量をなるべく少なくしたりとか、仕事の質ですよね。
自分の仕事によって誰にどのような貢献を与えているのかということを意識して、主体性を持てるようにするとか、そういったところで時間の感覚、充実した時間というのを送れるようになるのかなというふうに思ったわけですよね。
ということで、今回は伊豆半島での私の体験ですよね。時間がゆっくり流れているなという体験から、時間感覚を左右する要素、要因について思考を走らせました。
情報量とストレスレベルが時間の流れ方に大きく影響し、特に仕事の量と質が重要な要素になっているということですよね。場所や環境も大事。さらにそこで何をするかという活動の質も同様に重要ということになります。
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時間は客観的には一定のペースで流れているんですが、主観的な体験は大きく変わるということですね。忙しさに追われる日々の中で時折時間がゆっくり流れる瞬間を意識的に作ることは、心身の健康にとって重要なリセットになるのではないでしょうか。
皆さんは最近時間がゆっくり流れている、充実しているなと感じる瞬間はありましたか。もしくはあっという間に過ぎてしまう状況というのはどんな状況でしょうか。ぜひ自分の時間感覚を観察してみてくださいね。そして時には意識的に時間の流れを変える実験をしてみるのもいいかもしれません。
時計の針が刻む時間は一定でも、心の針は自在に動くもの。たまには意識して心の針をスローモーションに設定してはいかがでしょうか。以上、ねごラジオでした。次回もまた一緒に走りましょう。それでは。