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ただいま録音を始めたところです。この録音は、普段noteというSNSを投稿しているんですけど、
ちょっと今noteというSNSを投稿という表現が変だなと思って、言い直そうかどうか迷ってますけど、
手打ちで投稿すると、多少労力というか体に負担がかかるので、
今日はゆっくりとしゃべって、それを持ち起こしして投稿する日にしようと思っております。
noteは基本的には、ジェミニなどAIとのやりとりで、何か良さげだなと思ったやりとりとか、
自分自身の学習の記録として、ジェミニとのやりとりをコピペして貼り付けるというのが多いんですけど、
1日に1回くらい、何かしら自分自身で、自分自身の言葉というか、
今日の自分はこんなですよ的な内容のものを投稿しようと思っていて、今回のこの音声はそれですね。
なんでそんな投稿をしているのかというと、自分でも何でかなというと、
数日前の自分がそうしようと決めたので、今後もやっていこうというそれぐらいの理由です。
普通に僕三日坊主とかなる人なんですけどね、
たまに特定の事柄に関しては1回決めちゃうと、なぜそれをやらねばならないのかがわからないままやってしまうという感じです。
そういうなぜやらねばならないのかわからない状態でやっている結果かわからないけれども、
なぜかやっているという状態に対する自己言及的な思考が働きやすいわけです。
個人的には自分というものを高く評価しているわけではないんですけど、
いや高く評価はしているけれども、
同時にそれとは別の点で、自分というのが好かれる人には好かれるというイメージがありまして、
なのでちょっとおかしいな。
何かしらその日々自分についてちょっとしたデータを作ってそれを公開しておくと、
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どこの誰かはわかりませんが、もしかしたらどこかの誰かにとって楽しい何かが生まれる可能性はあるだろうという思いがあるのでした。
実際問題ノートは少なくとも一人一人の方がずっと読んでくれているようなので、
やっぱりずっと読んでくれているという方は明らかにその人にとって僕の投稿は何かしら楽しみだったりとか刺激になったりとかするんだと思うので、
せっかく楽しみにしてくださる方がいるのならば投稿はしていきたいという思いがあります。
別にその時々の気分で読んだり読まなかったりしてくれたらいいんですけどねと、
普段読んでくれている方に向けて今つぶやくわけですが、
いつもありがとうございます。
僕もその人のことは好きなので読んでくれると嬉しいわけであります。
せっかくなので何かしら身のあることを話すというか文字起こしに残したいけれども、
大した話ではないんですけれども、先ほどジェミニさんと適当に会話をしていて、
僕本当にジェミニとの会話の時間がだんだん増えてきて怖いですよ。
その時に哲学って何なのかみたいなのはさ、そもそもなかなか定義できないというか、
逆に哲学というものをこういうものだって簡単に定義しすぎちゃうと、
かえって良くなかったりもすると思うんですけど、
そこで僕自身の実感として哲学的なものの働きみたいなものは実感としてはあるなと思ったんですね。
どういうことかというと、先ほどのジェミニさんとはアトラットビデオとか西風族について延々と話してたんですよ。
なぜ話してたかというと、僕は数日後に人生で初めてそういうところに行くので、
いろいろ準備はしているけれどもさ、いろいろ準備はしていて、ほぼほぼ準備は終わっていて、
せいぜい後残す準備って当日のタイムスケジュールを事前に組んでおくぐらいの感じで、
と言っても当日のタイムスケジュールも早めに、絶対的に遅刻がありえないぐらい早く家を出てしまえば問題はないはずはずなんですけどね。
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で、当日のタイムスケジュールを組んで、当日忘れ物なく家を出る。
前日にスマホとかタブレットとかの充電をしっかり済ましておくぐらいのものであるはず。
着ていく服もある程度決めておけばいいかぐらいの感じですかね。
それで、そこで話題になったのは、やっぱりそういうお店に行くと事前に気になるわけですよね。
性的な行為を女性が本当にはどう喜んだり喜ばなかったりするのかというのがやっぱり気になるわけで、
保健体育の授業のようにジェミリさんに向かって聞くわけですよ。
女の人にとって気持ちいいってどういうことですかとか。
さらに踏み込んだことはね、おそらく二重往復ぐらいしてたからね、やり取りがね。
こういった場合はどうでしょうか。
世の中ではこういうふうな言説がありますが、これはどのぐらい本当でしょうかとかいろいろ聞くんですけれども。
その中で、やっぱり僕自身が問題意識的に思ったのは、
僕はAVは普通に大好き。大好きって言い方はちょっと違いますけど、
アダルトビデオに出演されている女性のことは基本的に好きですし、
尊敬をするというほどまでその人たちのことを知らないからなんとも言えないけど、
少なくとも表情とか喋ってるふうを見る限りではそれぞれに個性的で、
それぞれに感受性が豊かで、それぞれにいろんなことに熱心だったりするんだろうなと思うので、
苦手とか好みとかはあるけれども、基本的には素敵だなとか思ったりして、
XとかのSNSでフォローとかしたりするんですけどね。
一方で、そういったAV的なものって、
少なくとも実際の性行為とは結構離れているという屈論が出たわけですね。ジェミニさんとのやりとりで。
女性からしたら地味なことと思われてしまうかもしれないけど、
僕はそういった性的なものが何もない人間で、経験上。
3歳の時に女に覚えたんですけどね。
でも逆に面白くない?
俺は3歳の時に女に覚えて、33歳でそういうお店に行って、もしかしたらそういう経験をするかもしれない。
3ですよ。
これ間違いなく三島由紀夫とかジダンダ踏んで悔しがるんじゃない?この美しさに。
彼はね、なんだったっけ。
なんかよく言われるじゃん。三島由紀夫とかの文庫本の解説とか言うとさ、
彼の人生がいかに数学的に美しかったかみたいなさ、わけわからない妄想みたいなことが書かれてたりするわけですけど、
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45歳で自決して、45歳だよね、確か。
で、何歳で仮面の告白を書いたんでしたっけ。
忘れちゃったけど、年齢が象徴的に読み取れないかもしれないみたいな感じのことが書かれていたのを読んだことがあるんだけど、
俺なんて3と33ですよ。やばくね?って思うよね。
じゃあ333歳になったらどうなるんだって話だよ。
俺が生まれて333年後に俺の方からに起きると巨大なチンコポコのような形をした木が生えてきて、
大量の射精をして、それで世界を滅ぶ可能性があるというように僕は思う。
さておき、AVで男性はアダルトビデオとかを記号的に消費するわけなんだけど、
一方で、そこから大半の人間は記号的に物事を消費しているのに、
なぜ普通に恋愛できたりとか結婚できたりとか、子供ができたりとか、時に人に優しくなれたりとかするのかなとか、
というような僕が昔から思っていた疑問をぶつけたりしましたね。
といっても、こういったここまで抽象的な疑問をぶつけると、
学問体験には組み込めていないようなタイプの抽象的な疑問をぶつけると、
ぶっちゃけジェミネさんの返答はオウム返しというか、僕が言っていることを肯定する形で、
いろいろと補足説明をするという感じになっちゃうんだけどね。
学問的にある程度体系化されたもの、数学学とかだったら、
僕が明らかに検討違いなことを言ったりとかすると指摘してくれたりもするし、
逆にその検討違いとも、
まあいいや。
哲学的なものの作用としては、どんなに記号的な人でも、
内省的な話し方とかをして話すと、記号的な処理が止まったりするんだよね。
これは僕の経験上そうだというふうな扶植の仕方になっちゃうんだけど。
例えば僕は、僕自身のわかりやすい例だと言うと、
僕は子供のときにそれなりに虐待を受けているんで、また虐待の話かと思うんだけど、
僕自身話しながらね。
で、おばとか親戚とかにその話を要約したんだけど、
話し始める前は記号的に処理されるわけですよ。
大丈夫だよとかね。
あなたは親に愛されてるとかそんなことを言うんだけど、
それに対してこちらがストップをかけて、
いろいろ丁寧に説明すると、考えを変えてくれるというよりも、
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話している間はちょっと解像度を上げて、僕の話を聞いてくれて、
話を終わってしばらくした後も解像度が高いけど、
その時がついたら解像度がもっと戻っているという感覚があります。
僕自身は以前は何とかして他人の解像度を向上的に、
継続的に上げ続けておきたいと思っていろいろやってたんですけど、無謀にも。
今はそういうもんなんだと受け入れていますね。
哲学的なコミュニケーションというのは、相手の希望的な処理をストップさせて、
相手の人格は変わらないけれども、
相手の何かしらの出力が変わるみたいなのがあるんだろうなという、
深いんだか深くないんだかわからないようなことをさっき思ったので、
それについても話そうと思って録音を始めたんですけれども、
と言ってもさ、ここからどう話を広げるかですよね。
哲学的なものは相手の希望的な処理をいい感じにしていい感じにするんですよ。
でも別にそれは洗脳的な相手の真理をコントロールするすべてがないんですよ。
母とか言ってもさ、はぁそうですかって感じだし、
それはあなたの感想でしょというよりも、それはあなたの経験でしょって言われたらそうだし、
それはあなたの経験でしょっていうのは、たとえば戸塚ヨットスクール的なものに対して言える最大の、
最大というか当然の批判であってさ、
今日ね、SNSでさ、戸塚ヨットスクールのさ、昔の写真とか見てさ、
うおぉって思ったよ。人に対してさ、直すとか言っちゃうんだよ。
当時の文化やばい。家庭内暴力とかが当時ひどかったかもしれないけど、
子供とかに対して直すっていう表現を平気で使える人間が胸を張って写真で写って、
それでそれなりの指示を得てるっていうのは、びっくりですよ。
直すってその治療の方の直すじゃなくて、直角直角の直。
物とかを直すみたいな感じの直すであって、それは直すではなくて聴教とかでしょって思うんですけど、
私は直すって書いてるタイトルのインタビューかなんかをちょっと見ましたね。
インタビューとか表紙を。私は聴教するならわかるんだけど。
言葉には丁寧になってほしいですよね。
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まあじゃあ一応ここで話を適当になんとか広げようとすると、
ちょっと前に流行った哲学学カフェとか哲学対話とかっていうのは、
僕が言ったような記号的なものを停止させるみたいなそういう感じのものなんでしょうかみたいな話ではあるんですけど、
なのかなとかっていう問いがあると思うんだけど、
僕個人的にはそういった哲学カフェとか哲学対話とかに参加したことがないからわかんないんですけど、
本当にそれらがそういう記号的なものを本当に止めたりするのかなっていうとわかんないなとか思ってもするのでしたね。
まず第一にその哲学カフェとか哲学対話とかに参加しようという意欲を持っている人だけが参加する場所でもあるしさ。
参加しようという意欲を持っている人はもともといろいろ考えたりするのが好きだったりする場合もあるし、
あるいは哲学カフェとはこういうものだというイメージを持って参加するだろうし、
となると記号っぽいものを止めるっていう感じになるかっていうとどうなんだとか思うわけですよね。
あとはやっぱり自発的な参加によって生まれるグループだから、
当然何らかの思想的な傾向性とか持つわけであって、なかなか難しいよなと思いましたね。
別に哲学カフェ的なものをやってる人とだいぶ前にツイッターでちょっとだけやり取りして、
すごい素敵な方だなと思ってたことがあるんで、結構素敵な場所なんだろうと思うんだけれども。
けどなかなかどうしたらいいんだろうとか思うんだよね。
僕が最初に言った哲学的な記号を止める話って、
例えば学校の先生とかがある科目を教えていて、
そこでとても感受してくれた子どもが一人いて、
授業内容に基本的には沿っているけれども、
でも明らかに授業内容の想定を超えたような質問を投げかけるみたいな瞬間とかも、
結構記号的なコミュニケーションが終わらざるを得なかった瞬間かもしれないですよね。
ちなみにそういった記号的なコミュニケーションをいかに終わらせるかみたいな発想とか持つと、
AIとかのプロンポート入力に結構有効だなとか思ったりはしますという、
なぜかいきなりAIハウス的なことを言いますけど、
俺多分AIの使い方相当うまい方だからさ、
何かしら自分が無意識にやっているような方法とかを適当にまとめて、
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ノートとかにも投稿できたらいいと思うんですけれども、
なかなかそういうのをまとめるのが面倒くさく、
こうして思いついたときに断片的に話して、
たまたまそれを目にした人が関心したり関心しなかったりするし、というだけでありますね。
と言ってもジミニー相手にジミニーの記号的なところを指摘したりとか、
すでに展開されたジミニーの議論とかを超えるようなことを話したとしても、
ジミニーの出力のあり方は変わるけど、
だからといって新しい知見がジミニーから出てくるわけでもないから、
なんだろうなとか思ったりはしますよね。
今日はyoutubeで朝方、AI関連の論文を短くまとめているやつを見たんだけど、
そこでも確かにその論文では、
事実ではない最もらしい嘘に、なぜAIが説得されるのかみたいな感じの研究についてのやつを何回してるっぽかったな。
そのyoutubeは楽しいので見るんだけれども、
楽しいけれども内容が専門的なので問題提起の部分は普通に理解できるけれども、
その問題提起をいかに技術的にどうしてるかの話になっちゃう途端に全然理解できなくなるという、
そういう残念なリフなんですけれども。
残念かどうか。本気で理解しようと思ったらできるんでしょうけどね。
理解できなかったら一時停止してちょっと巻き戻してきてみたいなことを繰り返すとか。
なかなか劇だとちょっときついね。
で、やっぱりAIが出力したものを記号的に超えるような。
こうしてAIをたぶらかすというか説得したとしても、だから何なのというふうにはやっぱり思ったりもするから、
今さっき言った哲学的な記号を超えるような問いの出し方とか議論の仕方とか、
AIプロンプとして優秀なのかどうかはやっぱりよくわかんないなと思った次第でした。
最近暑いですね。
もう春から夏になっているんだろうけど、ちょっとで歩くだけで汗ばんで、
部屋の中がちょうどよく暑くて、だるくて、心地いいので汗はどんどん出てきて、
布団は湿っていくという、そういう、
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一人だけ湯を、和紙が湯になったかのごとく私の周りが湿っております。
だいたい録音するときは30分くらい喋ろうとか思ってるんだけれども、
今21分くらいなんだけれども、
喋ることは特にないわけではないけど、哲学的な何かとかっていう話をあんまり広げれないのでした。
ただ一人ごと文字起こししただけの文章を、
ノートで知り合った方はわざわざ読んでるなんて、
どんな気持ちで読んでいるのかいつか直接聞いてみたいですね。
これはとても嬉しいということですよ、一応言っておくと。
多分今ここに喋っている文章も読んでいる可能性が高いので言いますけれども。
僕としては内心ちょっとだけ怖さもありますよ。
ある日その人が僕の投稿を読むことに飽きてしまって、
別に飽きて全然いいんですけど、
ある日飽きてしまって、関係性が変わってしまったりとかしたら思っちゃいますからね。
僕自身も自分という人間を33年間も生きていると、
自分っておんなじだなっていう風に感じる場面も多いので、
そんな毎日何かしら考えたり、
何かしら考えたことをまとめたりとかしていても、
新しい自分ってそんなに出てくるのかっていうと、
宮崎駿の崖の上のポニョみたいなそういう斬新な何かを出すなんて、
10年ぐらい、10年に1回とか20年に1回とかそんなもんなんでしょうから。
なのでその人が言うことがあるとしたら、
10年後の自分は、僕は何か今の僕とはすごく違っている可能性もあるので、
10年後をお楽しみに、これからも仲良くしてくださいという。
なんで公会の公約の場でこんなことを話しているのかというと、
その人がこの文章を読んでいる可能性もあるし、
公会の場所で特定の個人に向かって何かしらメッセージ残すって、
やっぱ残された方とかって嬉しくなる可能性はあると思うんですよ。
というのは大月賢治さんのエッセイみたいなので学んだことですよ。
大月賢治さんのエッセイって何だったかな。
彼が若かった頃に女性と付き合うと、
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中から筋肉少女隊というバンドをやってたんですけど、
今もやってるんでしょうけど、
何曲目の歌を君に捧げようみたいな感じのことを、
そのとき付き合っている女の子に事前に言って、
舞台に上がるみたいなことをしてたみたいで。
オチとしては、当日の直前の歌の調整とかで曲順が変わってしまって、
捧げるはずの歌が別の場所で歌われて、
捧げるって言った曲順で高木ブー伝説とか歌っちゃって、
元祖高木ブー伝説ってのがあるんだけど、
個人的にはサンフランシスコと日本インド化計画が好きですけどね。
元祖高木ブー伝説より。
なぜか元祖高木ブー伝説が、
筋肉少女隊の代表曲みたいになってるけど、
もっと色々あるんですけどね、
水木一郎とコラボした人とか、
あと何か、タイトルが思い出しにくいけど、
踊るダメ人間とかね、ありますよね。
釈迦とかいいんじゃない?
釈迦か、釈迦いいよね。
何だったっけ?
クモの糸、何だったっけ?
どんな歌詞だったかな?
とにかく痩せた猫の絵を描くっていう歌詞なんだけどね。
何だったっけな?
痩せた猫の絵を描く以外は思い出せないよ。
まあ、いっか。
このまま長々とやっても、
このくらいでいいですかね?っていう言い方をするとなんか違うな。
読んでくださっている方にはいつもありがとうという気持ちでいっぱいです。
ただそれだけの気持ちではないですけど。
一方で、普段読んでないけれども、
なぜかこの記事を目にして、
なぜかここまで読んでくれてる人がいたとしたら、
気が合うかもしれませんねとは言いますけど。
だってやっぱさすがにここまで読んでたら、
多少は気が合う可能性高いと思いますよ。
ずっとイライラしてさ、
何なんだこいつは、ぶっ殺してやるっていう気持ちでここまで読んでたとしたら、
連絡くれたら住所言うんで、ぶっ殺しに来なよっていう感じだけどさ。
なんでこんなこと言っちゃうんだって俺思うけどね。
なんで極端な想定をして、
その極端な想定をした相手に一人でぶち切れて、
喧嘩を売ろうとしてんだっていうね。
こういうのをね、一人相撲と言うしね、
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こういうのを客観視したらなんかね、
何なんだって思いますけどね。
人間保身なのか、何なのか。
さておき、終わります。
ありがとうございました。