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2026-02-20 16:40

(16分)古文単語に秘められた平安人の身体感覚 1-5

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古文単語に秘められた平安人の身体感覚

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あの、あなたはこんな経験をしたことありませんか?
ずっと前から知っているはずの友人が、自分の全く知らない別の顔を持っていたことに気づいて、ハッとするような瞬間。
あー、ありますね。なんだか少しドキッとするというか、自分の認識が揺さぶられる感覚ですよね。
ええ、まさにそれです。実はこれ、私たちが日々使っている言葉についても同じことが言えるんですよ。
現代で毎日使っている言葉と同じ形をしているのに、千年前のテキスト、つまり古文を開くと、その意味が全く違う。そのギャップに頭が混乱したこと、あるんじゃないでしょうか?
なるほど。日常的に使っている言葉だからこそ、私たちは無意識のうちに、現代のフィルターを通して過去のテキストを読んでしまいますからね。
言葉の表面的な形だけを捉えようとすると、言語の迷路にすっかり迷い込んでしまいます。
そうなんですよね。だからこそ、今回の深掘りでは、単なる古文単語の翻訳リストとして資料を読むんじゃなくて、もっと言語人類学的なアプローチで迫ってみたいと思います。
いいですね。ただ暗記するのではなく、当時の人々のメンタリティーそのものに迫るわけですね。
はい。手元にある1番から25番までの例文資料を通してですね、驚く、罵る、おかしといった8の重要単語の原義を解読していくのが今回のミッションです。
当時の人々が世界をどう近くしていたかという根底にある感覚を徹底的に炙り出していきましょう。
非常にエキサイティングな試みだと思います。
なぜ同じ単語がある時は気づく、ある時は目を覚ますと、まるでカメレオンのように役を変えるのか。
言葉が生まれた背景とか、人間の心理的メカニズム、つまりなぜそうなるのかという理由の部分を読み解くことで、千年という時間の壁を越えて彼らの息遣いが聞こえてくるはずです。
ええ。では早速、最初のテーマである外部からの刺激と発散から見ていきましょうか。
まずは驚くです。
はい、有名な和歌ですね。
そして例文に、物に襲うはるる心地して驚きたまいればとも消えにけり、では目を覚ますと訳されています。
えーと、現代の私たちは驚くと聞くとサプライズパーティーみたいな感情的なびっくりする状態をイメージしますけど、どうやら違うベクトルですよね。
その通りです。ここが非常に面白いところなんですが、現代の感情的な驚きというニュアンスを一旦取り払ってみてください。驚くの本来の姿は極めて生理的な反応なんです。
生理的な反応ですか?
ええ。無意識あるいは意識が別の場所に向いている状態から、外部の刺激によってはっと意識が現実に戻る、つまり覚醒するというメカニズムそのものを指しているんですよ。
ああ、なるほど。すごく腑に落ちます。例えば高速道路を運転していて景色が単調で少し意識がぼんやりしているハイウェイヒプノシスみたいな状態から、隣の車のクラクションではっと我に変える、あの感覚ですよね。
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まさに完璧なアナロジーです。0分1なら季節の変化という無意識の状態に風の音という外部刺激が加わってはっと秋の訪れに意識が向いた、だから気づくになるんです。
ということは0分2の方は睡眠という究極の無意識状態に悪夢という刺激が加わって意識が現実世界にはっと引き戻された、だから目を覚ますになるわけですね。現象としては全く同じ動きをしているんだ。
そうなんですよ。驚くが外部からの刺激によるないたる覚醒だとすれば、今度は逆に自分たちのエネルギーを外側へ向かって発散させていくとどうなるか。それが次の単語につながります。
ノノシルですね。これも現代語とは全然イメージが違います。0分3の集まりノノシルうちには集まって大騒ぎする。0分5の皆同じく笑いノノシルは皆大声で笑って騒ぐ、です。誰も誰かのことを口汚く罵倒したりしていませんよね。単なる物理的な音の広がりというか。
ええ、その視点は非常に重要です。ノノシルの根源的な意味は大声や音が空間に向かってパーッと広がっていく、そのエネルギーの動きにあるんです。たくさんの人が集まってワイワイ騒ぐ声が空間を満たしていく状態ですね。
物理的な音が広がる。そう考えると、0分4のこの世に罵り給えふ広言詩がこの世で評判になっている広言詩と訳される理由が見えてきます。
どうつながりますか?
広言詩本人がメガホンを持って大声で叫んでいるわけじゃなくて、彼に関する人々の噂話という音のエネルギーが世間という空間にどんどん広がっていった。その結果が評判になるなんだと。
まさにその通りです。点と点が見事につながりましたね。
でも一つ疑問なんですが、なぜこれが現代では誰かを罵倒するというネガティブな意味に変化してしまったんでしょうか?もしかして集団でワイワイ騒いでいる音に対して、うるさいなあってマイを潜める人たちがいて、その不快感が特定の誰かを攻撃する言葉へと変質していったんでしょうか?
それは言語の変遷として非常に鋭い仮説ですね。実際に言葉というものはもともとニュートラルな現象を表していたものが、それを受け取る側の感情と結びつくことで意味が限定されていくことがよくあるんです。
受け取る側の感情、つまり想像しとか耳障りだというネガティブな感情ですね?
ええ。騒がしく言うことがやばて相手に向かって激しく言葉を浴びせるという攻撃的な意味合いを帯びていったのは、まさに人間の社会的なストレス反応が言葉に刻み込まれた結果と言えるでしょう。
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面白いですね。では、野の汁が外に向かって爆発するエネルギーだとしたら、今度はそのエネルギーを自分の内側にギュッと閉じ込める、圧力鍋のような言葉を見てみましょう。内なる精神の動きを表す念図です。
これも興味深い単語ですよね。
はい。例文6。常に天照らす大神よ念じ申せば、お祈り申し上げる。これは現代の念仏などともつながるのでわかりやすいです。
でも例文7の意味軸心をゆけれど念じて物もやはずは、ひどくつらいが我慢して何も言わないとなります。祈ることと我慢すること、全然違う行為に見えますが。
一見するとそうですよね。でもこの二つを結びつけるのは、人間の集中力のメカニズムなんです。念図の根底にあるのは、心の中で一つのことを極めて強く思い詰める、精神のエネルギーを一点に凝縮させる状態なんですよ。
なるほど。その強烈なフォーカスを自分を惚れた外部の神物に向ければ祈るという行為になる。逆にそのフォーカスを自分自身の内なる感情に向けたらどうなるか。
辛くて泣き叫びたい感情を精神の力でギュッと押さえつけて外に出さないようにする。それが我慢するということなんですね。
ええ、まさにそういうことです。紙にすがるのも歯を食いしばって耐えるのも、使っている心の筋肉は同じなんですよ。意識的な精神のコントロールと言えます。
心の筋肉ですか、すごくわかりやすいです。
しかし一方で人間の心は常にコントロールできるわけではありませんよね。自分の意思とは無関係にポンと湧き上がってくる精神の動きもあります。それが覚ゆです。
ああ、例文8と13の意と話しく覚えたりですね。とても話しく自然に思われた。この自然にという部分が鍵ですよね。スーパーで買い物をしているときにふと昔のヒット曲が流れてきて、急に中学生時代の気まずい記憶がフラッシュバックしてくるような。
ありますね、そういうこと。
あれは自分で思い出そうとしたわけではなくて、勝手に湧き上がってきた感情です。
まさにその無意識的、自発的な発生が覚ゆの本質なんです。視覚や聴覚などの感覚を通して、特定の感情やイメージが心の中に自然と立ち現れることですね。
そう考えると、例文9と14の少し似たるところこそあれが、少し似ていると訳されるのが完璧に理解できます。
と言いますと?
誰かの顔を見た瞬間に、自分の脳内データベースから別の誰かの顔が、あ、あの人に似てるって勝手にポップアップしてくる。だから自然に思われるから似ている、へと派生するんですね。
その通りです。自分の意思を超えた心の動きですね。そしてこうした内面的な心の動きの極致とも言えるのが、忍ぶという言葉です。これには当時の平安社会の美意識が色濃く反映されています。
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忍ぶは本当に多くが深いです。例文10、忍ぶれど涙落ちぬ。我慢しているが涙がこぼれる。例文11、忍びてお箸巻いたり。人目を避けていらっしゃった。
そして例文12、千屋の宿に昔を忍ぶこそ。粗末な住まいで昔を思い出すことこそ。感情を抑える。身を隠す。そして過去を懐かしむ。バラバラに見えますね。
でもこの3つを貫く哲学があるんです。それは、覆い隠す。表面出さないという美学です。
表面出さない美学。
ええ。当時の貴族社会において、自分の感情を剥き出しにして泣き叫んだり、大げさに振る舞うことは非常にピンがない野暮なこととされていました。本当の美しさや心の強さは内に秘めること。つまり、法眼や抑制にあったのです。
なるほど。感情という炎を心の布で覆い隠せば、例文10の我慢するになる。自分の身体そのものを社会の目から覆い隠すように行動すれば、例文11の人目を避けるになる。
そうですね。
そして、例文12は本当に美しい情景ですよね。口かけたちやぶきの屋根の下で一人静かに座っている。そこで心の中の秘密の小箱をそっと開けて、誰にも見せずに過去の記憶を温めている。記憶をひらけらかすんじゃなくて、心の奥底に大切にしまって味わうことこそが思い出す懐かしむなんだと。
ええ。本当にそうですね。
語られないことの方が大声で叫ぶことよりもずっと有弁であるというこの文化の成長度には本当に驚かされます。
まさに平安時代の精神性の感官に触れる部分ですね。そしてその精神性をさらに広げて、彼らが世界をどう評価していたのか、平安の価値観を除く窓へと進みましょう。ここで避けて通れないのがおかしです。
出ましたね。平安文学のスーパー万能ワード。
例文15から19を見渡すと、雨が降る風景はおもろいがある。思いがけない出来事は面白い。人の顔立ちは美しい。少しおどけた様子は滑稽だ。そして子供は可愛らしい。これ、現代の私たちが使うやばいとかエモいと同じくらい守備範囲が広すぎませんか?
ふふ、確かに現代のやばいに似た万能性を持ち合わせていますね。おかしというのは、論理的にこれが正しいから良いと判断する言葉ではないんです。
理屈じゃないんですね。
はい。対象が何であれ、それに触れた瞬間に心がふっと引き付けあれ、思わず顔がほころんだり、公的的なバイブレーションを感じたりする、その対象へ向かうポジティブな心の揺らぎ全般を指しているんですよ。
心があ、いいなって動く瞬間ですね。自然の風景であれ、ユーモアであれ、赤ちゃんの可愛さであれ、心が引き付けられるものは全てお菓子というエレガントなフィルターを通して世界を肯定していた。じゃあ同じ良いでも良きはどうでしょうか?
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良きですか?
はい。0文2順の良き日で出てきて、は良い日になってと転向の話ですが、0文21の良き人は怪しきことを語らずの良き人は身分が高く強要のある人と訳されていますが、これ道徳的に善良な人という意味ではないんですよね?
ええ、ここには当時の社会構造という厳格なヒエラルキーが言語に埋め込まれています。平安貴族の社会において、価値の頂点というのは道徳よりも美意識と強要であり、それは血筋、つまり身分と不可分なものでした。
ということは、社会的に最も良い状態というのは、高い身分に生まれ、洗練された強要を身につけていることだったんですね?
そういうことです。
言葉が社会の階級制度をそのまま映し出す鏡になっているんですね?だから0文22のよろしいは最高ではないが悪くはないという一段階下がった評価になり、0文23のわろきは良くないというマイナス評価になる。美意識や身分がそのまま良し悪しの基準になっている。
はい。現代の私たちの良い人という言葉のニュアンスとは全く違う社会を生きていたことがよくわかりますよね?
ええ。そして、そうした価値観の中で生きる彼らが何に対して強い好奇心を持っていたかを示すのが最後の単語、床詩ですね。
はい。床詩です。
まさにそこが確信なんですよ。英語のゴーにあたる物理的な移動を表す言葉から、知りたい、見たいという感情表現が生まれているんです。
つまり、ただ頭の中であれが見たいなって思うレベルじゃないんですよね。月の光があまりにも美しかったり、奥深い山の景色が未知で魅力的すぎたりして、心が強烈に引き付けられる。その結果、自分の身体が文字通りそっちへ行きたいって物理的に引っ張られるような引力を感じている。
ええ。
好奇心というものがほとんど物理的な力として表現されているのが生々しくてすごく面白いです。
対象に対する並々ならぬ執着や心が前のめりになっていく状態が、行くという動詞を通して身体的に表現されている。彼らの美への探求心がどれほど強かったかが伺えますね。
ここまで8つの単語、20個の例文を通して、当時の人々のメンタリティーを旅してきました。驚くの、生理的な覚醒から始まり、忍ぶの奥ゆかしい感情の抑制、そしておかしや予期といった社会の美意識まで。これは単なる言葉の翻訳ではなくて、千年前の人々の心理構造をマッピングする作業そのものでしたね。
ええ、言葉は固定された記号ではなく、人間の経験や社会の歴史を閉じ込めた生きた化石のようなものです。表面的な訳語を覚えるのではなく、その言葉の根底にある感覚や、なぜその意味に派生したのかという人間の営みそのものを見つめること、それが過去のテキストを真に理解するということなのです。
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このアプローチは、現代のあらゆる情報を理解する上でも、本質を見抜くクリティカルシンキングにつながりますね。言葉を通して人間を知る、本当にスリリングな体験でした。
私も非常に楽しかったです。
さて、この探究の最後に、あなたに少し視点を変えた問いを投げかけたいと思います。言葉が時代とともに変化し、その時代の価値観を映し出す鏡だとしたら。
私たちの使っている現代の言葉も、いずれ未来の人々によって解読される対象になるということですね。
そうです。あなたが今日、メッセージアプリで何気なく打った、「やばい」や、「えぐい」あるいは、「草」といった言葉たち。
もし1000年後の未来の言語人類学者が、私たちが残したテキストデータを分析したとき、果たして彼らは、あなたがその言葉に込めた根底にある感情や時代の空気を正しく解読できるでしょうか。
彼らもきっと、今の私たちが平安時代の言葉に向き合ったように、あなたの言葉の奥にある本質を下ろうと頭を悩みながらも楽しんでくれるはずですよ。
次に誰かにメッセージを送るとき、自分が選んだその言葉がどんな人間の真実を隠し持っているのか、少しだけ想像してみてください。
そんな未来を想像すると、毎日使っている言葉がなんだか愛惜しく思えてきますね。
今回の徹底分析はここまでです。また次回、新たな死の世界でお会いしましょう。
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