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447_教員は「見たことない授業」ができない?~高等学校国語選択科目再編成問題~
2026-05-19 13:27

447_教員は「見たことない授業」ができない?~高等学校国語選択科目再編成問題~

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高校国語の科目が2032年度に再編されるんですけど、これがね、なかなか複雑な話なんです。2022年度にできたばっかりの科目をもう変えなきゃいけない、という短期間での変更も問題だし、そもそも「科目を変えても中身が変わらない」という根本的な課題があるんですよね。実は、国語総合という理想的な科目ができたときも、看板は変わったけど、現場では相変わらず現代文と古典を分けて教えられたのです。なぜそんなことが起こるのか。教員の「見てきた授業」から脱却できないこと、大学入試へのプレッシャー、そして教員養成からの構造的な問題が見えてきます。

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サマリー

高校国語の選択科目が2032年度に再編成されるが、現場からは批判の声が上がっている。過去の「国語総合」のように制度変更だけでは授業内容が変わらず、教員が「見たことのない授業」に挑戦できない構造的な問題や、大学入試へのプレッシャーが根本原因である。教員養成の段階からの変革や、教員が学び合えるコミュニティ形成が、未来の生徒に必要な教育を提供するために不可欠だと論じている。

高校国語の科目再編成問題とその背景
皆さん、こんにちは。今日も明日も授業道ス黒瀬直美です。この番組では、中学校・高等学校の国語教育、働く女性の問題、デジタル教育についていると配信しています。
今日は447回、教員は見たことがない授業ができない、高等学校国語選択科目再編成問題というタイトルでお届けしたいと思います。
今日は、高等学校の国語教育の選択科目がどう変わっていくのかというお話をしていきたいと思います。
最近、新聞とかSNSで話題になっていることなんですけれども、実は現場の先生たちからすごく批判が出ている、そしてちょっと複雑な問題なんですよ。
その背景なんかをちょっと紐解いてみまして、私自身が国語教育の問題についてちょっと語りたいと思います。
今の高等学校の国語、高校1年生では現代の国語と言語文化の2科目を習っています。
高等学校の筆利集科目なんですね。
現代の国語というのは、実社会で必要な論理的思考力とか情報活用能力、表現力というものを育成する科目ということになっています。
評論文だけではなくて、新聞記事とか公的な文書などの実用文も広く扱って、ディスカッションしたり、それからレポートを書いたり、小論文を書いたりという言語活動を重視するという、そういうふうな科目になっています。
一方、言語文化の方は、上代から近現代に渡る私たちの国語の歴史、そういった言語文化への理解を深める科目になっています。
古文とか漢文はもちろんのこと、近代の文章も扱っていって、やっぱりそういった言語文化への関心を高めて、自分たちの伝統文化というものを受け継いでいくような、そういった科目になると思います。
現実的にどのような単位数で設定されているかというと、だいたい現代の国語が2単位、1週間に2時間、言語文化が1週間のうちに2単位、つまり2時間という配置がだいたいのところだと思います。
ところが、やっぱり2単位ものの中に文学的な文章と古典の両方を入れるという、そういう設定の言語文化というのは、実は実際時間数が2時間、週に2時間では全然足りないんですね。
特に大学入試を考えると、古典だけでも膨大な文法の時間が必要となってきて、とてもとてもこの2時間、週に2時間の中に文学的な文章と、それから文語文法を学習しながらの古典の授業というのは、本当に現実的ではありません。
だから現場ではこれは実態に合っていないという批判がものすごくあります。
そして2年生になると、論理国語と文学国語、それから古典短期という3つの科目から選ぶことになるんですね。
これもまた大学入試に対する対応のために古典短期は絶対に入れなきゃいけないわけで、その結果単位数の制限で残り論理国語か文学国語かどっちかを選ばざるを得ないという、そういう状況になっているわけです。
大多数の学校は論理国語を選んでいます。大学入試で評論文が出て、その評論文というものに対する対策が必要だからという判断ですね。
結果として文学国語を選ぶ学校が少なくなったり、特に理系の生徒は文学国語に触れないまま、つまり小説に触れる機会が激減した状態で高校を卒業するという、そういう状況が発生しているわけです。
これが文学離れと言われている問題になっています。
つまり現行の科目、これは受験対策に追い込まれて、本来は学ぶべき多様な文章に生徒たちが触れられていない、そういう状況になっているわけです。
こういうふうな現場の状況で、この現場に立っている先生方はものすごく批判的なわけで、この批判的な声を拾って再編成案が出ました。
再編成案の内容と現場の混乱
これは2032年度から変わるという、そういうふうな立て付けで再編成案が出てきたんですけれども、1年生では今の状況と同じで言語文化と現代の国語を学びます。
その上で2年生で現代の国語2と言語文化2というのをやって、その上に発展科目として論説と批評、対話と表現、文学と叙述、古典と文化という、そういう4つの科目を用意するという立て付け、それを発表したんですね。
これは学校の実情に合わせて選べるようにという狙いです。
ただここで問題が出てくるんですけれども、2022年度に今学んでいる論理国語や文学国語を古典探求という科目ができたばっかりなんです。
それが2032年度にはもう廃止され統合されるという話、つまり10年も経たないうちにまた科目構成を変えなくてはいけないということなんです。
だから私たちの授業のそういうストックもすぐ変えないといけないし、教科書の検定採択、教員研修、授業の準備すべて、もうモデルチェンジ、全部やり直しになるわけです。
現場からはまた変わるのかっていうそういう声が出るのは当然ですよね。
そういうことで現場は混乱して疲弊するっていう風な流れは予想できると思います。
「国語総合」の事例から見る制度変更の限界
でもね、またさらに問題がありまして、実はいくら科目を変えたって、やっぱり実質教員が授業で何をやるかっていうそういうところが変わらないと意味がないと私は思っているんです。
昔々、国語総語という科目ができたことがあるんですね。
これはその国語総語という科目ができる前、現代文、古典でバッチリ分かれて教えていたわけですけれども、それを分けずに現代文も古文も総合的に読みましょう。
複数教材を比較しながら、新しいものの見方考え方、そして批判的なものの見方考え方を養っていこうという、そういう意味で総合的に国語を教えようという流れでできた科目だったんですけれども、
国も全力を挙げて全国で全達講習会という大規模な研修会も開催し、私も思いがあるんですけれども、半日かけて他校に行って午後の先生が集まって、それで講師の先生から学習指導要領の改定についての講習を受けるという、そういうことをやりました。
まあこれやっぱり予算も相当かけられていたと思うし、時間もかけていた。
まあでもたった半日でそんなに変わるとは思えないんですけれども、大規模な研修会を開催しました。
で、2022年に現代の国語とそれから言語文化が改定になった時にはこんな大掛かりな研修会はなかったんです。
でも国語総合では30年くらい前やったんですけれども、その後どうなったと思いますか。
国語総合っていうそういうような科目はできたんだけれども、結局蓋を開けてみると、4単位を一人の先生が教えるんじゃなくて、
その中で2単位、2単位と分けて、現代文2単位、古典2単位、合わせて国語総合4単位っていうように、結局分けて教えるという状況が発生しました。
つまりあの総合化っていう狙いが全然実現されなかったっていうことなんですよね。
看板だけ変わって中身が変わらないという状況、こういう状況が発生し、国語総合の間ずっとそれが続いてきました。
なんでそんなことが起きるんだろうと考えてみたところ、やっぱり教員っていうのは自分が見てきた授業をイメージして授業します。
見たことがない授業は再生できません。
だからどんなに制度を変えても、教員のイメージとしてこういう風な授業をしよう、こういう新しい授業をしようっていう、そういう風なイメージが湧いていなくて、チャレンジすらできないという、そういう状況だと思うんですよ。
だから国語界隈では、現代文の先生ですか、古典の先生ですかっていう風に一般の人も分けて見ているわけです。
そういう教育感っていうものがものすごく強く根強くあるわけですよ。
そういったことで古典は文法をがっつり教える、現代文は評論文や小説を中心にやるという固定観念がずっと続いていて、
いくら国語相互をやりましょうとか、複数教材を読み合わせましょうとか言っても、現場の教員の教育感そのものが変わらないということで実現しなかったっていう、そういう風な現実問題があります。
それに大学入試っていうプレッシャーもあります。
根本的な解決策としての教員養成とコミュニティ
科目を変えてしまったら、教え方を変えてしまったら、うちの生徒が受験に不利になるんじゃないかっていう、そういう風な大学入試というものへの懸念、
そういうものがあって従来通りのやり方を踏襲する方が進学実績もやっぱり出やすいから、安全だっていう判断になりやすいんですよね。
だから私は前からずっと言ってきてるんですけど、いくら科目を作り直しても教員研修をしても、一時的にはいいかもしれないけど根本的な解決にはならない。
だから本当に変えるなら、もうガチの教員研修をしっかり組んで、時間的にもそれから予算的にも補償して、教員研修をしっかりやって、時間をかけて、
そしてもっと言うならば、教員養成、つまり大学の段階から変えていかなくちゃならないんじゃないかと思っています。
教員になる前の大学の教員養成の段階で、新しい国語教育とはどうあるべきで、これから未来を生きる生徒に何を教えて、
そしてそのために授業をどういう風にデザインしていくか、バージョンアップしていくかっていうところからやり直す必要があるんじゃないかと、そういう風に思っています。
だからせめてね、私がやらなくちゃならないなと思っていることは、見たこともない授業にチャレンジするために、こういう風な授業がありますよとか、
こういう風に私やってみたんだけどどう思われますか、一緒にチャレンジしてみませんかっていう実践例を示して、そして継続的に先生たちが学び合えるコミュニティを作る。
今やっている今日も明日も授業堂オンライン交流会というのがそうなんですけれども、そういった場を継続的に開いて、現場の先生たちと一緒に未来の生徒たちに何を教えるべきか、
そのために授業のあり方をどう変えていくか、バージョンアップしていくかということを考え続けるコミュニティの形成が本当に大事だと思っています。
SNSとかを見ると教員を責めている人もちょっといたりなんかして、教員がいつまで経っても古い授業をしているから新しい教育に対応できていないんだとか、
そんなことを言う人が多いんだけども、私はやっぱり仕組みが変わっていないというところが大きな問題だと思っています。
先生方は実際に現場に立って生徒を目の前にして一生懸命やっているわけですよ。
見たことがない授業にチャレンジするというのはものすごいエネルギーがいるんです。
だから先生を責めるんじゃなくて、教員要請の仕組みから、教員研修の仕組みから、現場の先生への支援というところに構造的に変えていくということが求められているんじゃないかなと思いました。
ということで、私自身は引き続き現場の先生たちと勉強会をやって、コミュニティ活動を充実させるということで、こういった問題に立ち向かっていきたいと思っています。
それでは今日の配信はここまでです。聞いてくださりありがとうございました。またお会いいたしましょう。
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