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みなさん、こんばんは。内省るうむ🇫🇷のお時間です。
このチャンネルは、息をするように内省している私、もみじが、
今、自分の内側にある思いを言葉に出してみようという試みで発信しております。
さてみなさん、なんか寒い日が続いてるんですけれども、
みなさんのお住まいの地域はいかがでしょうか?
先日ですね、パリは雪が降りまして、
基本的にね、パリって冬でも雪は降らない土地なんですよ。
デフォルトとしてね。
ただたまに、なんかこう、チラチラって一瞬、
あ、雪だ!みたいになって、またすぐなくなるみたいなね。
一瞬そんな時もたまにあるよね。
さっきなんか雪チラチラ降ったよね、みたいなとこはたまにあるんですけど、
先日はね、もう多分結構長い間、
多分2、3時間ずーっと結構大粒の雪が降っていて、
で、降り始めの頃ちょうど私ね、外出しててその帰り道だったんですね。
もう家に帰る頃にはね、なんかもうビッシャビシャ、
髪とか、まあコートとかもビシャビシャだし、
髪とかもビシャビシャみたいになったくらいになっちゃって。
で、私は雪国育ちなので、雪がね、シャーベット状になったりとか、
多少積もっても滑らない独特の歩き方っていうのがあるんですよね。
リスナーの中の方にも、もしかしたら雪国で生活された経験のある方はわかるかもしれないんですが、
なんかね、ちょっと歩き方が違うんですよ。
滑りやすい道の時と、何もないところとね。
大丈夫、私はね、そういうので慣れてるし、
その時はスニーカーだったんで、大丈夫だったんですが、
普通の革靴だったりとか、
あとはヒールの人とか、
多分全然歩けなかったんじゃないかなって思います。
やっぱりこちらの方は雪が降ったとしても、
路面がね、雨降ったみたいに濡れるだけって言うんだったらもちろん大丈夫なんですけど、
この積もって滑る感じっていうのがね、やっぱりみんな全然慣れてないので、
ちょっと大変だったんじゃないかなって思います。
いろんなものがね、その雪が降ったことで、
その時の予定とかイベントとかそういうのを全部キャンセル、キャンセルみたいな。
夫とかも仕事とかで、仕事とかあとなんかで打ち合わせのなんとかっていうのも、
その社内だけだったらもちろん大丈夫なんですけれど、
他からも来る人が集まるとかそういうの全部キャンセルになったみたいなので、
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結構ね、パリとかはプチパニックになったんじゃないのかなって思います。
もうぐっと寒くなりましてね。
その時は0度とか上がっても1度とかめちゃめちゃ寒いですよね。
もうなんか、夏めちゃめちゃ暑くてびっくりっていうのもですけど、
この寒さにもちょっとびっくりしているこの頃です。
っていうのはちょっとね、雑談から入ったんですけれどもですね。
今日のテーマは、
みんなそうだよと言わないでという話をしてみようかなって思います。
なんでこのテーマ突然みたいなね、と思われるんですか。
何かの方とお話ししている中でね、たまに聞くんですね。
誰かがちょっと悩んでるって大きな問題とかまで言わなくて、
ちょっとこれどうしようかなと思ってとか、これちょっとしんどいんだよねみたいな話をした時に、
みんなそうだよとか、そんなの普通だよみたいな解消する場面っていうのを目にすることがあって、
多分皆さんもあると思うんですね。
たまたま私もここ最近そういう機会がね、ちょっと重なってありまして、
あーこれって、言ってる方としては何気なく言ってる。
そんなに対話ないんじゃないかなって、その表情とかね、そのやりとりを見てたら、
なんとなく感じたんですけれど、
でもこれ、それを言われた側の方の表情を見てると、やっぱりね、ものすごく微妙な表情になるんですよね。
で、もし自分がそう言われたら、やっぱりそこは気持ちよくはないよなーっていうのを感じた。
結構ね、日常生活で何気なく言っちゃう言葉なんですよね。
例えばもしかしたら、あなただけじゃないよ、大丈夫、他にもそういう人いっぱいいるから、
そんなに特別なことじゃないんだよっていうのは、
ある意味慰めだったりとか、勇気づけるっていう意味合いにも通れるというか、
使えないことはないっていうのはわかるんですが、
でもね、結構やっぱりモヤっとした気持ちが残る人は少なくないんじゃないかなって思います。
みなさんいかがでしょうかね。
みんなそうだよって、自分がね、ちょっとこれどうなんだろうってなってる話を言葉にした時、
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みんなそうだよ、大丈夫だよとか、そんなもんだよとかっていう感じで言われた時って、
みなさんはモヤっとしませんか。
ということで、このモヤっとした経験、モヤっとせずに逆にちょっと安心したっていう経験、
いろいろあると思うんですが、今回はね、たまたま私がそういう場面に遭遇したっていうのもあり、
この言葉がどうしてモヤっとするのかとか、そしてそこからちょっと思ったこととかをお話ししてみようかなって思います。
で、そうですね、やっぱりこの自分が感じている悩みとか困り事を話している時、
うん、でもみんなそうだよ、大丈夫だよって返されたこと、あ、私もあったなーって、
その様子を見てた時に、なんかちょっとふと思い出したんですね。
やっぱりその時の相手は、きっとね、私を励ましたかったり、共感を伝えたかったのかなーなんていうのも、
振り返ったら思う。そうかもしれないなとも思うんですね。
ただ、その言葉を聞いた瞬間っていうのは、なんだかね、私の気持ちっていうのが軽く扱われたというか、
そんな、なんだろうな、気にやむほどのものでもすらないみたいなように感じてしまったんですよね。
で、ああそうなんだ、みんなもそうなんだって思う一方で、
同時に、みんながどうこうっていうことじゃなくて、今私はこの瞬間の気持ちが、
こういう気持ちになってちょっとしんどいなっていうことを話してるんであって、
他の人がどうこうっていうことじゃないんだよなーって思ったんですよね。
なんとなくね、私の気持ちは置いてきぼりで、
うーん、なんかその、そうだな、置いてきぼりになった感じがしたのかなー。
皆さんはどうでしょうかね、こういう経験はありませんか?
話してる自分としては、その瞬間の感情っていうのを誰かにわかってもらいたいだけなのに、
すごい簡単に片付けられたというか、取るに足らないことのようなリアクションをされてしまったように感じることっていうことですね。
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で、このみんなそうだよっていう言葉は、実は使う人の意図に関係なく、
意外と相手に大きな影響を与える言葉なんじゃないかなって、ちょっと思い始めています。
例えば何か悩んでる時に、みんなそうだよって言われると、自分だけじゃない安心する部分もあるかもしれないけれど、
でもみんなもそうなんだから我慢しなきゃいけないのかなとか、
みんなもそうなのに、そこで思い悩んでる、ちょっとしんどく感じてる自分っていうのは、
わがままを言っているということなのかなとか、
なんとなく寂しさのような孤独感みたいなものに近いんでしょうかね。
そんなものがちょっと入ってくるような気がするんです。
特に私たちが辛い時に本当に求めてるっていうのは、
あなたは今そういう辛さを感じてるんだねっていうことだったので、
それがみんながそうだとかみんながそうだとかみんながそうじゃないとかっていうことは、
ちょっとピントがずれているというか的外れなんですよね。
だけどその言葉で流される。
そうするとなんとなく話した方としては分かってもらえなかったというか、
自分の今感じている感情というものを出したのにそこに向き合ってもらえなかったっていう疎開感が生まれる。
だからこうなんかモヤモヤするものが残るのかなーってちょっとね今話しながら感じています。
ちょっとね、冷静に考えてみるとですよ。
自分も言ったことは絶対にあるんですよ。
いやーみんなそうだよ、そんなの普通だよとか、絶対私言ったことあるよなこれまでに何度もって思うんです。
あのー、ここ最近いつそれを言ったかっていうのはわからないけど、
言ってないと言い切れる自信は全くないですね。
ほぼ確実に言ってますね。しかも何度も。
でね、ちょっと面白いなって思ったのが、
例えば誰かが悩みを話している時にどう返したらいいかわからなくなって、
思わずみんなそうだよみたいに言ってしまったことって絶対あるだろうな自分って思うんですよ。
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ちょっとね私は記憶力があまりよろしくないので、記憶なし子なのでね。
本当にいつとか誰とか申し訳ないけど思えてない。
でも絶対に言ったことは何度かあるはずだと思います。
その時は多分ね、やっぱり相手を励ましたいとか、
自分も同じ気持ちだよみたいな、そういうのあるよねみたいな、
感情から出てきた言葉だったんじゃないかなって思うんですよ。
あなたのその悩みなんか、
っていう気持ちがなかったということであってほしい。
ちょっともう言葉が出てこなかった。
そんな意地悪な自分はいなかったと信じたいというね、
まあわかんない、そういうこともあったかもしれない。
少なくともね、やっぱり相手を励ましたいとかね、自分も同じ気持ちだよとか、
なんとなくわかるよみたいなことを、そういう感覚から言いやすい言葉してみんなそうだよみたいなことは言ったんだと思うんです。
言ってたんだと思うんですね。
でもそこにはやっぱりその場の空気を軽くしたいとか、
なんかやっぱり、
なんだろうなあまり深く踏み込みたくないという自分のエゴっていうのもあったんじゃないかなって思います。
それはね確実にあったと思う。
人間の心理としてもね、
うってしんどくなった時に、
言ってしまう言葉っていうのは全然あり得ることなので、
難しいですよね本当ね。
でも本当はそういう自分のエゴっていうのはね、人間のは必ずあるんだけれども、
それは一旦、その時だけでも一旦横に置いといて、
相手の今感じている気持ちっていうのを受け止めるっていうのを、
やっぱりしていくこと大事なんじゃないのかなってすごく感じます。
ちょっと苦しいな、しんどいなっていう思いをね、
言葉にするって結構勇気のいることだと思うんですよ。
それをポロッと言葉にした時に受け止めてもらえない時の悲しさっていうのは、
先ほど言った、聞いてる側がその言葉の空気軽くしたいとか、
自分の言葉で何とか場を埋めてしまいたいっていうちょっと焦った気持ちとかっていうなんかよりも、
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もっともっと大きな負荷がかかっている状態。
で、そこにその方の気持ちを受け止めないで自分の笑顔を通してしまった瞬間、
結構、なんかなんだろうなぁ、
二次被害的なお話、せっかく打ち明けた方っていうのは心の中ではね、
二次被害みたいな状態になってるんじゃないかなって思うんですよ。
ねぇ、それって悲しいですよね、それはね。
これは避けたいなぁ。やっぱりこういう状況はやっぱりないようにしたいなぁって。
じゃあ今どうしたらいいんだろうって考えてみると、
やっぱり意外とできることっていうのはシンプルで、
ただ聞く。
特に聞くっていうのは聞こえている状態の聞くじゃなくって、
まあ、形状の聞くの方ですね。
もうそれに尽きるんじゃないのかなって、そう感じます。
私たちが誰かの話を聞いている時、
必ずしも解決策を出したりとか、すぐに励ましたりする必要はないんですよね。
それこそ下手するとアドバイス、
求められていないアドバイスにもなりかねないことになってしまいますしね。
やっぱり話している側としてはそこじゃなくて、
まずは、あ、そっか、そうなんだね、今そういう気持ちでいるんだねっていうことを
一旦受け止めてもらうだけでね、
まずは一旦十分だったりするんじゃないのかなって感じます。
私もまあ形状だったりとか、コーチングとかね、
やってる身でかなりのね、時間を聞くということに使っているではありますけれども、
やっぱりこの聞くって本当に簡単なことじゃなくて、
こんなに練習しても何度何年経ってもやっぱりね、失敗しちゃう時はあるんですよ。
自分の心に余裕がない時とか、
例えばちょっと焦ってる時、ちょっと疲れてる時とかっていうのはね、なかなか聞けないんですけれどもね、
聞くって言ってもまあいろんなね、深さがあるとは思うんですが、
やっぱり少しだけ相手の気持ちに時間をかけてみる。
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それがね、なんか相手にとっては、
あ、なんかわかってもらえたとか、
例えば今のこの気持ちを受け止めてもらえたっていう感覚につながるんじゃないのかなーなんていう気がします。
何かの時にぽっと出てきた誰かのちょっと苦しいっていう言葉、
やっぱりね、そこはね、余計な自分から何かっていうことではなくて、
そうですね、その方の気持ちに時間をかけてみる。
自分の時間をかけてみるっていう、どうかな、この表現だとわかりにくいかな。
今そんな表現がちょっと出てきたのでここに出してみました。
今日も気付けはもう18分、19分になってしまいましたが、
最後になんか私皆さんにもね、聞いてみたいんですね。
なんかこう、みんなそうだよって言われた時にもやっとした経験とか、
具体的に何がどうこうでこうでこうだからっていうところまでね、言語化はできなかったにしても、
なんかこうもやっとする、なんか違うんだよなーって思った経験ないでしょうかね。
あるいは逆につい言ってしまったことがある人もいるかもしれませんよね。
まあね、今日このお話、今日のお話で自分の言葉が相手にどんな影響を与えるのか、
何かしらこう考えるきっかけになれば嬉しいです。
それではまた次回の配信でお会いしましょう。
ありがとうございました。お相手はもみじでした。
おやすみなさい。