1. むらスペ
  2. 私たちはどう学んでいるのか
2022-10-31 21:22

私たちはどう学んでいるのか

今日は知識の構成主義についての「私たちはどう学んでいるのか」という本についてご紹介しました。積み上げ式や一斉授業について再考するきっかけになるんじゃないかと思います。

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今日お話ししたいのはですね、私たちはどう学んでいるのかっていうね、こういう本のことなんですね。
でね、この本、これちょっと話そうと思ったのは、先週ご紹介した、今井夏実さんのね、「学びとは何か?」っていう本があったんですよ。
で、これを読む前に実はですね、こちらの、私たちはどう学んでいるのかっていうね、この本を読んでいたんですよね。
この本を一冊読んだ時にはまだね、あんまりピンときてなかったところがあったんですけど、それがね、今井夏実さんの本の方を読んで、
なるほどねっていうふうにいろんなことが繋がり始めて、それでもう一回この本を読んでみたら、これはやっぱり結構すごい良いことを言っているなと思って、それでちょっとご紹介しようと思ったわけです。
ちなみにですね、今日ご紹介する本ね、これは鈴木先生という人が書いているんですけど、こちらの方が新しい本で、
この本にもご本人がですね、今井夏実さんのその学びとは何かと重なっている主張がたくさんあるということもお書きになっています。
こうやってですね、同じ内容のことを2人の人が別々の本で書いていることを通してみると、それが立体的に見えたりしてくるんですね。
でね、それがまさにちょっとこの本に書いてあることなんですよ。その学び方の一つとしてですね。
なんですけど、まず最初にはですね、この本の具体的なところからご紹介しておきたいと思います。
もう一回言いますと、本のタイトルは、私たちはどう学んでいるのか、創発から見る認知の変化という本ですね。
創発の創はそのクリエイティブの創造するの創に、発は発見の発ですね。
いわゆる印刷版だと新書ですね。ちくまプリマー新書、印刷版だったらサイズは新書だし、本のシリーズとしてもこの新書シリーズとして出ているので、
特にこういう本について全然読んだことがない人でも理解できるものですね。いわゆる専門書ではないです。
著者は鈴木博明さんという方ですね。今のところですね、今年の6月に出たばっかりなんですけど、
もう67個の評価があって、そのうちの5つ星のうちの平均が4.6ですから、これはかなり評価が高い本だと言えると思います。
本の長さは176ページなので、かなり読みやすくて、しかも読むのが大変という本ではないと思います。
さっきも言いましたけど、2022年の6月9日が発売日ですね。今年の6月です。今から4ヶ月くらい前ということですね。
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ここからは実際にその本の内容をご紹介しておきたいんですけど、
まずね、今井夏美さんの本ともすごく重なっている、特に重なりが多いところが、第2章の知識は構築されるというところですね。
知識は構築される。これが第2章のタイトルになっています。
これを一番端的に言っている文を引用しますが、こんな感じですね。
知識は伝わらない。なぜならそれは主体が自らの持つ認知的リソース、環境の提供するリソースの中で創発するものだからだ。
はい、これで引用終わりです。
ここがまさにエッセンスなんですね。
知識が伝わらないということで、つまり先生が教えようとしても、情報は伝えることができるんですよ。
伝えた情報が相手の記憶になることはある。忘れちゃうこともあるけど、記憶として残ることもある。
だけどそれは知識ではないわけですね。
知識というのはここにも書いてあるように、主体が自ら創発するもの、つまり作るものだからということですね。
ここに2つのリソースが書いてあります。
1つは認知的リソース、もう1つは環境の提供するリソース、つまり状況ということですよね。
認知的リソースというのは要するに記憶のことです。覚えた情報のことですね。
ここまでは先生は、特に今の中心的な教育のスタイルでやっている場合は、記憶させるところまでは先生も協力できるわけですよね。
だけどその環境というのが、実際に知識が使われるときに知識が必要になってくるところの環境というのは、そこは教室ではない場合が多いですよね。
もちろん教室の中でも実際にロールプレイとかして、それが実際に使える環境を作ることはできますけど、
それが実際にマクドナルドのハンバーガー屋さんに行ってメニューを注文したりとか、そうするときには全く環境が違うわけですね。
なので教室とは全然違う環境の中で実際にその知識を作らなければいけない、つまり文を作ったりそれを発音したりということですね。
それが難しいということですね。だから知識は伝わらないというふうに書いてあります。
この本では伝わるということが、転移という言葉で書かれています。転は転ぶですよね、自転車の転。移動するの移るの移です。
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これも僕も今年に入ってからかな、教育とか認知の面、文脈でこの転移という言葉を聞くようになって、
少なくとも僕が注目して意識的にこの言葉を気にするようになったのは多分今年ぐらいになってからだと思うんですけど、
知識が伝わらないというときのそれが、こういう認知科学とかの分野ではあるいは教育の分野でも言うのかな、転移というわけですね。転がるに移るで転移。
これについてこの鈴木先生は書いています。ちょっと引用しますね。
やや乱暴だがまとめると以下のようになる。学習場面で用いた事柄と似ていれば転移は起こりやすいが、それと似ていなければ転移は生じない。その確率は低い。
何度も例題を解けば転移の可能性は高まる。つまり人間の知識、学習の転移は極めて限定的である。
ここまでで一つの引用ですね。
まだいっぱいあるんですよ。このところがね。ちょっとまた別のところ引用しますよ。
私は幼稚園児から大学生までいろいろな年齢層の人たちに様々な分野の問題を解いて知識学習の転移を研究してきた。相当に努力したし時間もかけた。
しかし転移は滅多に生じない。これは私の能力のせいではない。国内外の多くの研究者が行った研究もほとんど同じである。
これがここまでが引用ですね。転移は滅多に生じない。しかもそれが学術的にも研究例としてたくさんあるということなんですね。
それをまとめて言うと知識は伝わらないという言葉で表現されるんだと思います。
ではどういうふうに知識は知識を持っているのかというと、
それがその創発という、この本のタイトルにも創発って書いてありますけど、これがまた別の言葉では構成主義という言葉でもあります。
あと知識観としては、先週の今井夏海さんの本でご紹介したドネルケバブというモデルの知識観ではない現代的な知識観。
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ドネルケバブというのがすごくインパクトがあって、要するに今の正しい知識観について何か名前があったかちょっと今は思い出せないんですけど、多分あったと思います。
今井夏海さんの本でね。
それとその構成主義というのは要するに同じことなんだと思います。
創発するという知識の創発、知識は創発されるものだという、それも僕は同じものだという、同じことを別の側面から表現しているだけだというふうに思っていますけど、
それもちょっと以下引用してみますよ。
このように知識を捉えると、ある事柄が伝えられた途端、知識として定着するということは原則的にないことが容易に理解できるだろう。
伝えられた事柄、本で読んだ事柄がどのような範囲をカバーするのか、
それは他の知識とどう関係するのか、そしてどこで使われるのか、
そうしたことを考える作業を行わない限り、その事柄は単に記憶としてしか存在せず知識とはならないのだ。
こういう考え方を構成主義、コンストラクティビズム、と言う。
相手からの情報、その記憶が知識となるためには、それらの素材を用いて知識として構成していかなければならないのだ。
構成するのはもちろんあなただ。あなたのこれまでの経験は人と異なるだろうし、
これから出会いそうな場面も異なるだろうから、構成される知識は人によって少しずつ異なってくる。
はい、ここまでが引用でしたね。
こういう感じですね。なので、知識は伝わらない、かつ個人の一人一人の中で作られていくということですよね。
これもこの間の今井夏美先生の本と非常に重なるところもあるんじゃないかと思います。
こういうことを考えると、学校教育というのが非常に問題であるということが書いてあって、
特にこの第6章のタイトルが教育をどう考えるかというタイトルになっているんですけど、
ここも今の学校教育の問題点というのが非常に書かれています。
今日のこの本の紹介の最初のところでご紹介しましたけど、
要するに知識というのは認知的リソース、つまり記憶ですよね。
記憶と、でもそれだけではなくて、状況とか環境のリソース、状況とか環境として提供されるリソースのその2つを使って、
それで知識というのは創発されるんだということを申し上げました。
要するに学校教育の授業というのは、記憶とかの方はとても重視されているけど、
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教室ではその環境とか状況を整えることができないから、だからそれが本当の知識にならないということなんですね。
ここはテストに関してはこんなふうに書いています。
いいか、引用です。
学校教育で行われているテストは、知性の重要なパートナーである環境を剥奪することが前提となっている。
はい、これで引用終わりですけどね。
テストに限らず、教室の色々な勉強しやすい場所というのは、
実際に記憶という情報が使われる環境とは全然違う環境なので、
そういう、それがうまくいかないということなんですよね。
知識としてうまくできないということなんです。
あともう一つは、スモールステップというのもあります。
これ一つは、スモールステップについて次にご紹介しますね。
まず引用しますね、鈴木先生の本を引用しますけど、
いいか、引用です。
要素分解して、要素というのはエレメントの要素ですね。
要素分解して、個々のスキルや能力を鍛えていけば、
最終的にはちゃんとした学習がなされるという話は成立しない、
というふうに書いてあって、その後にですね、
スモールステップにすればいいのかというと、
そうでもないということを書いて、こういうふうに言っています。
スモールステップはですね、これは融通の効かない、
転移の可能性のないものになる。
はい、このようにそこまでですね。
ここで言っていることはですね、一つ一つの、
例えば日本語とか英語でも語学、
今ここにいらっしゃる皆さんは語学教育に関わっている方がいらっしゃいますから、
語学に関して言うと、一つ一つのスキルね、
例えば文法とか語彙とか漢字とか、
そういうものを要素分解して、つまりそれぞれに分けてですね、文法とか、
そういうものを分けて、スモールステップで簡単な方から一つ一つ並べていけば、
習得できるというのね。
それがいわゆる積み上げ式の授業ですよね。
なんだけど、それだとダメだということがこの本を読むとよくわかります。
もちろんね、あれなんですよ、初級の段階をすっ飛ばして、
いきなり上級の教材とかをやったら、
ちょっと難しいというのはわかりますけど、
だけど、そういうレベルというのは確かにあるとは思うんですけどね。
例えばA1レベル、A2レベルというのは。
だけど、それ以上に細かくして積み上げ式にしていくと、
かなりスモールステップにしてもそれは学習の定義が起きないということは、
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ここからもわかるんじゃないかと思いますね。
それを言うと、積み上げ式ではなくてスパイラル形式ですね。
モジュール型とかスパイラルで何回も一つのスキルが何回も出てきて、
それが少しずつ同じスキルを何回も経験してだんだん身につけていくという方が、
効果的だというふうに言えるんじゃないかと思います。
あとここから考えられることは、僕が思ったことですね。
この辺はもうこの本に明言してやることではなくて、
かなり近いことは書いてありますけど、僕の感想として申し上げると、
やっぱり一斉授業の限界というのもこの本から見るとすごくわかりますね。
何でかというと、文法とか言葉の意味とかそういうのはすごくエッセンスなわけですよね。
実際の使い方で逆に言うと、どんな場面でも分かるように、
一つの知識でそれが必要な場面ではいつも使えるようにするには、
とても純粋なエッセンスにしないといけないわけなんですよね。
だから、例えば聞き手と話し手の、例えばこれはとかそれはというときに、
コソワドのときに、コというのは聞き手に近い、ソというのは話し手に近い、
コがつくのは話し手に近くて、コソワドのソは聞き手に近いときに使う、
というようなことを言いますよね。
だけどそれが聞き手と話し手みたいなのが、そこがすごくピュアなエッセンスになってしまっているわけなんですよね。
聞き手と話し手というふうに、そういうエッセンスに、純粋なピュアなエッセンスにしたら、
それが他のどこの場面でも通用するようになりますよね。
だからそれ自体は文法の研究とか、研究としてはそれはとても良いことだと思います。
それなしには、再現性のある学術的な考え方にはならないから、それはとても良いんですけど、
だけどそれを知識とか能力として教えるときに、
もう本当にね、
すみません、じゃあぶっちゃけ言っちゃうと、
例えばインドの先生とかも、聞き手と話し手という言葉をたくさん使って、
だけどそれが具体的な場面を全然使わない、そういう教え方がすごく多いんですね。
なので、でもそうじゃなくて、
例えばね、今すごく皆さんが話題にしているRRRというインドの映画があります。
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そのインドの映画のラーマとビームという二人が出会うシーンで、
ラーマがビームに対してこういうふうに言いますとかね、
そういうふうに言うと、それもすごく、
その場面もあるし、文脈もあるし、
その人の置かれた環境とか、置かれた環境というのはその人が持っている使命とか、
その人はどうして今デリーにいるのかとか、そういうことが全部つながっているので、
文脈として非常に豊かなわけですね。
環境とかそういうものがそういうふうにつながるわけなんですけど、
だけど、一斉授業にすると皆さんがね、
必ずそのRRRという映画を見ているとは限らないわけです。
普通は見ていないですよね。
みんながその同じ映画を見ているなんてことはあんまりないので、
だから話してと聞きてというね、
そういう抽象的なエッセンスにしなきゃいけないんですよ。
でもこれは、さっきも言いましたけど、
文法の研究の時とかにはとても必要なことだけど、
それをスキルとして転移させるためには、
これは非常に大きなデメリットだというふうに思います。
なので、それができるようにするには、
一人一人の状況に合ったね、
例えば、食べ物を注文するにしても、
もうマクドナルドでしか注文しない人もいればね、
スーパーマーケットで野菜を買って家で食べる人もいるでしょうし、
そういうのが、一人一人が全部違うので、
だからそういう状況に対して、
その状況に対して教えるというのは、
逆に言うと一斉事業だと、
そんな多様な状況を全部取り上げることができないわけですよね。
なので、そういう意味でもこの一斉事業というのは非常に、
こういう構成主義的な知識を
創発するには向いていないんじゃないかというふうに思います。
まだまだ言いたいことがたくさんあるんですけど、
この本でもすごくいい本です。
もう一つだけいいことを言っておくと、
これが何章まであるのかな、
章が10個くらいあったと思うんですけど、
その章の終わりに、
その章で扱っているトピックのおすすめの本が、
各章の最後についているんですね。
これが専門書じゃなくて、
新書などの初心者用の本が中心に紹介されているので、
それも含めてここからどんどん色々な勉強を
広げていくことができるんじゃないかと思います。
それでは、今日は私たちはどう学んでいるのかという本を
ご紹介しましたけど、
もし、この本を購入するまでするかは分からないけど、
少なくともサンプルをダウンロードしてみたいという方が
いらっしゃいましたら、
ハートのマークでリアクションいただければと思います。
それでは、本日もむらすぺにご参加くださいまして、
ありがとうございました。
ハートのマークありがとうございます。
21:00
今日の私たちはどう学んでいるかという本の感想について、
僕が言ったことについて、
皆さんのご質問やコメントがありましたら、
ぜひ、むらすぺのハッシュタグ付きで
ご共有いただければと思います。
今日は月曜日ですので、
今週も良い一週間をお過ごしくださいませ。
そして、冒険は続きます。
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