というわけでですね、まあ大まかにはこのような企画をさせていただいたんですけれども、
ちょっと後書きに変えてというか、すべてを終わりまして、
まあなんかこれは記録的なものとしてちょっと残しておきたいなということで、お話をしているんですけれども、
実はですね、本当に
今回もそうなんですけれども、このSA朗読科の稽古期間というものがあるんですね。
例えばお笑いライブみたいに、それぞれがネタを作ってきて、本番小屋に入って、
それをやることをやって帰っていくみたいな、
そういう、各々がスタンドプレイをしているみたいな、そういう企画ではこれはなくて、
私が、
朗読者が今回は6人、私を外した6人いるんですけれども、
その人たちと一緒に原稿を作っていく。そしてその人たちが書いてきてくれた原稿に対して、
私が朗読の稽古をつけるということがワンセットで行われているんです。
で、なのでですね、
本当に稽古期間というものがあるというのが、
すごいこの企画の特徴だなとは思っているんですけれども、
どんどんですね、ある出演者の一人の方が、
やるたびに原稿がどんどん変わっていくんですよ。
で、少し私心配になったんですね、それが。
なんかこう瞑想しているように、私が一瞬受け取ったんですけれども、
本人の本人ですね、聞くと、
なんか私の書いていることを、他の出演者の人がもう書いてくれているので、
私はその部分はいいかなというふうにおっしゃってくれたんですね。
なんかそれが、すごくこう、
みんなで稽古している意味というのを、その人が見出してくれたなというふうに思っていて、
本来書く、エッセイを書くということは、やっぱりこう一人でお家で黙々と書いたりとかしているわけで、
ぶっちゃけ他の人が何書いてこようか、何だろうか全然関係ないんですよ。
自分とそのエッセイとの向き合い方の話なので。
でもいざ、稽古場で朗読の稽古に入った段階になると、
私が書いてくれていること、何か書きたかったことが、
他の人が似たようなことを書いてくれているのであれば、
私はじゃあそこを外して、もっともっと自分の言いたいことを書いていきたいなというふうに
おっしゃってくれたときに、
なんかすごくこう、
こういう期間をとっていてよかったなというのは、本当に純粋な感想と、
なんかこういう場面に出会わせてくれて、
本当に嬉しいなという気持ちがグッとここで湧いてきました。
そうだし、やっぱり共同作業をしているということは、僕はすごく好きなんですけれども、
なんかそういうものの面白さというのの発見も、またさせてもらったなという感じになりました。
本当に今回2回目で、
エッセイ朗読って一体何なんだろうみたいな、まあそもそもあまりやっている人もいらっしゃらないし、
あの、こうステージと言いますか、お客様の前で、
えっと朗読するという機会もなかなか皆さん前例がないことなので、
新しく参加される方にどういうふうにお伝えしようかなというふうに、
いろいろ本当に言葉を尽くしたというか、
言語化をして、
どういうふうに
伝えていけばいいのかなというふうに私は思ったんですけれども、
あの、要はフリートーク
にもあまりしたくなかったんです。やっぱり、これは前回も話したかもしれないんですけれども、
なんかフリートークって、
まあ、いわゆる漫談と言ってもいいかもしれません。
まあそういう形式をおそらく取っているだけだと思うんですね。芸人さんとかは。
おそらく何を言いたいのかというのは、もうあらかじめネタという言葉がある通りに
決めていたりとか、どういうふうに伝えようとか、
決めていらっしゃると思うんですけれども、
やっぱりフリートークって、
原稿がない状態で、その場で話すってなると、なんかね、ある程度ごまかせちゃうと思うんですよ、私。
自分が、まあ思っていないようなことも、おそらく話せてしまうと思うし、
まあ、大きな声や
大きなリアクションで、ちょっとごまかせてしまうような感じがしたんですね。
なんですけれども、本来こう、エッセイ朗読の
持ち味としては、こう、編集されている文章、
まあ言ってしまえば整理されている文章。
自分がこれを言いたい、これを伝えたいっていうのが、
もうほとんど完成されている文章に対して、
編集されていない感情が乗っかることで、
何かが滲み出てくるものがあるような感じがしているんです。
で、編集されていない感情っていうのは一体何かっていうと、
やっぱりその文章を声に出したときに、
人事ではなくて自分事になっていることだと思うんですね。
なので、まあこれはちょっと演劇やっている人しかわからないかもしれないんですけれども、
案内者プレゼンテーションとかで、
いや、このシリアル絶対お前が書いてないやろう、みたいなプレゼンされている人に、
なんか言いたくなるような瞬間があったりするんですけれども、
絶対に自分が書いていたらそんなとこで使えないし、絶対噛まないし、
案内者はそんなに力間ないしとか、
なんかいろいろこう、
目には見えないんだけれども、わかることって多分たくさん声ってあると思うんですよ。
そういったもので、
明らかにこの人は自分がこの文章をちゃんと完成させてきて、
皆さんの前で読んでいるっていうような、要は、
その借りてきていない声、
作られていない感情、
いわゆるそれが編集されていない感情なのかなというふうに私は思っていて、
そういったものを、
なんかぜひそういった声を聞きたいなというふうに、
思っていたんです。なので、ある程度出演者側のサイドに立つと、