はい、どうも、こんにちは。
こんにちは。
夏でございます。
夏ですね。もう7月、もう終わりますね。
終わりですね。まだ7月ですね。
まだですか?
まだ。暑いのに。まだ7月。
まだ7月。
なんか、暑いと夏になって、だいぶ時間が経ったように感じますけど、時間の流れがゆっくりになるんですかね。
暑いとですか?
暑いと。そんなことはないのかな。
まあ、あの、まだこの暑さが続くんだっていう。
お元気でしたでしょうか。
そうですね。暑さに負けず元気にはやってます。
元気に。そんな中、今月も順調にというか、月末にいつものとおりになってますが、ポッドキャストやりましょうか。
そうですね。なんか、この時間ちょっと不思議ですよね。月に1回、この時間だけなんか、ちょっと涼しい午後を過ごせる感じがするんですけど。
そうですね。
なんか、普段の生活の中からちょっと離れてみたいな。
ちょっと離れて、落ち着く時間を。
浮いた時間って感じがします。
なんか月に1回ぐらい、あの、静かに過ごすという。
はい。
世の中、いろいろやかましいこともありますからね。
そうですね。忙しいですしね。
静かに過ごしたいと思いますが。
はい。
まあ、こういうメリハリがあるときっといいんでしょうね。
そうですね。
みなさんはどうでしょうかという感じですね。
で、今日今また曲をかけながらいつものごとく話しているんですけど、
えっと、なぎらさんのプレイリストというやつが、ライクザウィンドウで毎回ありまして。
はい。
それの、ちょっと後でお話にも出るんですけど、
それの最新号、8月に出るんですが、
その最新の号に向けて作ってくれたプレイリストからかけてますね。
で、Spotifyで。
検索だと出づらいのかもしれないんですけど、
1曲目がSo It Goesという曲ですね。
はい。
そんなもんさっていうような意味の。
訳すとそんなもんさみたいな感じですか。
何はともあれ進んでいくわっていうような。
続いていくみたいな。
そんな英語ですね。
カート・ボネガットという人の小説にも出てきたりするんですけどね。
そういう曲から始まって、
2曲目がDaylight、今始まった曲ですけどね。
その後がFever、熱いですね。
熱いですね。
そんな曲がいろいろと順番に収録された18曲全部であるんですけど、
熱い、なつい、なついだって。
熱い、涼しい含めてプレイリストもみんな聴いてくれるといいかなと思います。
ちょうど1時間くらいなんで、ランニングにも。
ちょうどいいですね。
なんかちょっと涼しげに感じますね、これを聴いてると。
季節ごとテーマごとにいつもプレイリストを作ってくれているので、
音楽は常にそこにあるということですね。
このタイトルはあれですか、Like the Windと同じタイトルなんでしょうか。
プレイリストの。
そうですね、後で出てくるんですけど、
プレイリストの最後にTravelって書いてあって、
次のテーマが旅ということで。
シンプルですね。
旅というテーマに関連して選んでくれているというプレイリストですね。
夏休みなので。
ということで今日もいきましょうか。
いきましょうか。
今日はまず最初から最近あったことをニュースについて話しますか。
そうですね。
清さんはそれこそアメリカに行かれたりしてましたよね。
そうですね、バタバタと行っておりまして、
そういうわけで今日読者のお便りを持ってくるのを忘れたんですけど、
すいません。
時差ボケかな。
すいませんって感じなんですけど、
お便りはまたちょっと次の回でじっくりご紹介をするとして、
7月の前半ですね、アメリカに行ってまして、
ちょっといろいろとお仕事もあり、それに関連して行ってたんですけど、
コロラド州とLAとサンフランシスコですね。
ぐるっと回って行ってきましたね。
コロラドでちょっといろいろと写真を撮影したりとか、
そういうことがメインだったんですけど。
そのお仕事で写真を撮影しにコロラドに行かれた。
そうですね、フォトグラファーの方と、
伊原智一選手と皆さんと行っていろいろ撮影したりしてたんですけど、
その前後で予備日とか、あと乗り換えとか含めて、
LAとサンフランシスコっていうのがあったので、
イースタン・オブザーバーを本屋さんに知ってもらいたいなと思って、
いくつか本屋さんに行ったりとか、
ジョギングしたりとかしてきましたね。
コロラドの様子はLike the Windでまた出るんですけど、
一言で言うとすごく景色がやっぱりものすごく、
ロッキー山脈の一番南側に近いところになるんですかね。
どんなことを打って有名な地域なんですか?コロラドって。
コロラドはやっぱり内陸の方ですよね。
ニューメキシコとかのちょっと上のニューメキシコは
リッキー・ゲイツが住んでるとこだけど、ちょっと内陸の方で、
基本的にはやっぱり山とかアウトドアとかがすごく盛んな場所で、
コロラドすごくいろんなところあると思うんですけど、
例えばアスペンとかボルダーとか、デンバーの空港があると思うんですけど、
他にもいっぱいそういうスキーとか、ランナーでもボルダーだと、
有森裕子さんとか昔のオリンピックのマラソン選手が高いところ、
高地ですね、酸素が薄いところでトレーニングするために行ったりとか、
割とアウトドアスポーツとかランニング含めて、
いろんなアクティビティができるというのはすごくイメージはありますね。
その通りだったんですけど、行ってみたら。
ロッキー山脈の南の側にあって、
ロッキー山脈ってカナダからアメリカの下の方まで4800キロぐらいあるんですかね。
長い。
日本が2個ぐらい。
4800キロ。
4800キロぐらいある、一番下の端っこの方のさらに右側っていうのかな、
西側っていうのかな、にあるサンファン山脈というところがあって、
そこに行ってきましたね。
サンファン、スペイン語っぽい名前ですね。
さすが、昔、歴史のお話になるんですけど、
1600年ぐらいですかね、間違ってたらすいませんなんですけど、
スペイン人が旅をした時にそこをよく通過したということで、
そのゆかりの名前でスペイン語がまだ残っているということで、
サンファンっていう地名なんですけど、
そこでシルバートンという街があって、
ハードロック100という100マイルのトレールランニングレースがあって、
平均標高が3500メートルぐらいあるんですかね、
すごい高いところで走るレースなので、
富士山。
富士山は3770メートル。
富士山よりちょっと低いぐらいが平均。
おかしい。
スタート地点が2800メートルとか900メートルぐらいあるんですかね、
最高地点が4200メートルまで行くので、平均すると3500メートルぐらいで、
富士山級の山々がずっとあると。
サンファンのシルバートンから25キロ以内ぐらいなのかな、
富士山級の山が何十個もあるっていう、
そういう場所で走るレースがあるんですけど、
そのレースの雰囲気は味はいい。
レースは走らなかったんですけど、
すごく有名な選手とかたくさん走ったり、
すごくいいコミュニティのレースなんですけど、
そんなような土地に行きましたね。
やっぱりアメリカらしいというか、とにかく広大で、
ちっちゃい街はところどころにあるんですけど、
その中を進んでいるといいですよね。
そういうようとされた状態で、
だんだんサンファン山脈と一体になるような感覚に、
長い間走っているとなってくるという感じで、
そんなドラマチックなことを考えているのは自分だけかもしれない。
普通に近所の人が犬を連れて散歩していたりとか、
丸越しで登ってくる子どもとかもいっぱいいる。
もちろん慣れているんですね、その地域の人たちは。
そうですね。
なのでちょっと駐車場があって、ちょっと登るとすごいところに行けるので、
皆さんハイキングコースとしてもすごく歩いているんですけど、
突然そんなところに行くと、そんなドラマチックな気分には。
なりますよね。
ハードロック100っていうレース自体もそうなんですけど、
150人ぐらいしか走らないと。
自然環境保護とか、安全面とかいろんなことを含めて。
そんなに人数的には大きなレースではないんですけど、
なので走ろうと思うと、
抽選でなかなか当たらなくても5年10年ずっとかかるっていう、
そういうことがよく言われているんですけど、
みんな、居原智一さんも含めてみんな結構やっぱり同じことをおっしゃるのは、
レースを走るっていうよりもその5年10年ずっと関わり続けていくっていうこと自体が、
そのハードロックっていうことなんじゃないかっていうことはすごく言っていて、
当たっても当たらなくても毎年戻ってきて、
みんなに会って、山とかトレイルを歩いたり走ったりしながら、
一つになっていくという、
そんな時間自体がハードロックなんじゃないかなというようなことを言っている。
走っていない時も、考えている時も。
その片鱗を少しだけ感じさせていただいたのかもと思ったりしますね。
私はランナーじゃないので、詳しく知らないんですけど、
でも何かハードロック、いろんなレースがあるじゃないですか、世界中に。
でも何かハードロックだけちょっと違う雰囲気を帯びている感じがしますよね。
何でそんなに少ない人しか出れないのに、
そんなに人から好かれているというか出たいって思われている人が多いんですか。
やっぱり何かそういうふうなコミュニティとして、
街にいる人もそうだし、来る人もそうだし、
やっぱり何か一回関わったらずっとみんなでやっていくっていう、
そういうスピリットがきっと多分いいんだと思いますけどね。
レース自体もランナー一人に対して江戸ステーションで、
コンシェルジュみたいに一人どころか二人三人が水を入れ替えてあげて、
何食べたいのかとか、何を持っているかとか、
みんなでどうしてもこいつを乾燥させるというのをやったりするっていうのはレースでもあるんですけど、
レースじゃなくてもその街とか地域全体で、
みんなで何かをするっていうスピリットがすごく強いんじゃないかなと思いましたし、
あとは相変わらずブリュワリとかパブにも行ったんですけど、
窓にポスターが貼ってあって、
ハードロックの寄付金とか多分レースエントリーフィーの一部とかを使って、
中学生とか高校生かな、地元のに奨学金を出してるっていうようなポスターがあって、
今年のハードロック奨学金みたいな、当たった子たちはこの子たちみたいな写真とともに載ってたりとかして、
いろんなことに繋がって活動がすごくいいなと思いましたね。
本当にトップ選手も走るし、何年も待ってようやく走る我々のようなランナーも走るし、
いろんな人が同じスタートラインに混ざってるというのもまた面白いなと思ったので、なかなか面白かったですね。
そのハードロックのレースの当日じゃなくて、前日とか1週間前ぐらいから勝手にそのコースを走るっていうのをソフトロックっていう、
ハードじゃなくて。
ソフトロックっていうキャンプしながら行く人もいれば、2日ぐらいで行っちゃう人もいれば、いろいろだと思うんですけど、
ソフトロックっていう風に呼ばれてて、それをやってきたという。
ソフトロックをしてきたんですか?
そうですね。全部は走らなかったんですけど、みんなで3回に分けてちょっとずついいところ取りというとあれですけど、走りましたね。
ソフトでした?
ソフトじゃなかった。
名残も長いしね。
きつそうですよね。
なのですごくいいお話でしたね。
いはらともかず選手とか、チームの方々とか、フォトグラファーの方とか、あとは一部取材ということで、サラモンジャパンが入って取材をしたりとかして、
いろんな方がソフトロックはソフトロックで関係してる時間だったなと思って、その時間しか体験できないようなこともいっぱいあったし、
消えてなくなるわけではなく、記憶にも残るし、なかなか良かったなと思いますね。
一部その模様はLike the Windでも8月に記事になるんですけどね。
最新号でですね。
そうですね。ぜひ見ていただいて。
コロナといった後にサンフランシスコとかも行ってきたんですか?
そうですね。行く乗り換えがあったので、行きにLAに寄って、ザ・ラストブックストアという大きな本屋さんがあって、そこに行って入った瞬間に棚があって、
ガレアノのサッカーのスタジアムの神と悪魔の英語版がワールドカップ中だったので、サッカー特集ってことで一番前に版と英語版が置いてあって、思わず写真撮ったりして。
なんか運命感じちゃいますね。
そうですね。スペイン語版が一番ガレアノがなくなるまでずっと書き継がれてたやつで、何回かエディションが更新されてるんですね。
スペイン語から英語に訳されている英語版はエディションがちょっと1つか2つ前までで止まってたバージョンだったんですけど、
よし勝ったなと思って、日本語版は全部最新のエディションまで更新したやつだから、よしよしと思いながら、日本語版をみんな読んでくれるといいなと思いつつ帰ってきたんですけどね。
LAは本当に大きな街だなとは思いつつ、大体アメリカの人に聞くとワールドカップ興味ないっていう人は多かったですね。
同じく野球の試合もやってるし、大谷さんのユニフォーム来た人もいっぱいいるし、メジャースポーツといえばっていう感じでしたね。
ただ一部サッカーすごい見てる人もいましたし、スポーツパブとかでもワールドカップは流れてたりはしましたけどね。
あとアルゼンチンのユニフォーム来た人たちが大量に来て見てたりとか、移民というか、結構いろんな国の人がここぞとばかりに。
そうですよね、アルゼンチンの人はもう。
見てましたね。
そんなLAの滞在を経て、ラストブックスターン、すぐ横一本挟んだ横の道とかがスキッドローって言って結構、いわゆる危ないと呼ばれてる通りがあるんですけど、
そこ車で行きに通って、車で通る分には昼間だと大丈夫かもしれないんですけど、
本当にもうサッカーの光と影じゃないですけど、アメリカの光と影のような、本当に全然違うというか。
どういうふうに危なそうなんですか。
とにかく家がない人たちがもうずっと続いている、その道沿いにいるっていう。
ホームレスの方々?
そうですね。
あとは、本当にもう今問題になっていると思いますけど、ドラッグですね。
マリファナどころじゃないやつ、なんとかっていうのが今すごい社会問題になっていると思うんですけど、
もう完全にその状態の人たちがもうずらっといるっていう地域で、
やっぱり格差というか、と言ってしまえば言葉で済んでしまうんですけど、
本当にやっぱり全然通りごとに違うというか、そういうことも感じましたね。
よくテレビとかニュースで見たことある人もいるかもしれないですけどね。
アトランタの様子とか、サンフランシスコもそういうところあると思いますけど。
日本でもそういうのって結構報道されてるんですかね。
ちょいちょいでしょうね。
っていう目の当たりにしつつ、本屋さんに入る時にそもそもセキュリティの防弾書記が来たセキュリティがいて、
本屋さんなのにみたいな。
全部荷物預けて、そういう地域の横にあるからかもしれないですけど、
その引き換えの鍵みたいなやつをもらって、丸腰で本屋さんに入るんですけど、
やっぱりちょっと雰囲気危なさそうな人がバーッと入ってきたりとかして、
その瞬間にカウンターの下でセキュリティがクマスプレーをパッと手に取って対応したりとか。
結構、つくなりいろいろラフだなと思いながら。
日本で本屋さん入る感覚じゃないですよね。
っていうのことを感じつつ、行ってきましたね。
サンフランシスコです。
LAですね。
サンフランシスコは帰りによって、シティライツブックセラーズ&パブリッシャーズという、
ビートの世代からずっとあるサンフランシスコの有名な書店兼文芸出版社もやってる。
あとトークセッションとか、あと朗読ですね。
ギンズバーグとか、みんな詩人が朗読した2階にそういうスペースがあるんですけど、
未だにそこはあって、
残ってる。すごいな。
当時のままの雰囲気で残ってて、今もそういう朗読のセッションとかをすごく頻繁に。
受け継がれてるんですね。
やってるところで、そこでイースター・オブザーバーの話をして、
ディストリビューター経由一緒にやろうねとか、そんな話をしたりしてきましたね。
本屋さんのラインナップ的には、LAでもう1件スモールワールドブックスっていうのがあって、
ベニスビーチの偉い繁華街というかにあるんですけど、
そこでも老舗ですごくいい本屋さんで、そこも取扱いをしてくれるということで、
行ってきて、そこは20ドルぐらいで読書会やってて、
手書きのリーディングクラブって書いてあって、
これ何やんですかって言ったら、ただ来るだけでいいんだよみたいな。
読みたい本を持って来るだけですみたいな、シンプルストレートみたいなことを言ってて、
みんな持ち寄って本を紹介するんだと思うんですけど。
結構アメリカはそういうのが学校からありません?リーディングクラブっていうと、
何かを題材にするんじゃなくて、自分が好きな本を語るみたいな。ありますよね。
ありますね。その流れでやってましたね。
サンフランシスコは、そんなわけでシティライツに行ったりして、
コロラドが標高高くて心肺機能が鍛わった後にサンフランシスコに行ったので、
例の坂道とかも楽でしたね。
すぐ効果が出てる。
楽でしたね。全然息が上がらず。
でもサンフランシスコもやっぱり、タクシーのうんちゃんとか、
道中にいろんな様子を聞いたりしてたんですけど、
サンフランシスコの空港から乗ったうんちゃんは、
ずっとサンフランシスコ地元で、すごく好きな町だけど、
もう全然昔と違っちゃったっていうことはすごく言ってましたね。
とにかく物価も高いし、
値上がりとか、家賃が。
昔はストリートごとに行きつけのお店があって、
行くと大体みんな友達がいてっていう感じだったけど、
今は行くたびに全然知らない人ばっかりがいるようになって、
みんないなくなっちゃってっていうようなことは言ってましたね。
もともと住んでた人が住めなくなっちゃうっていうのは、
すごい聞きますよね。
なんかすごくそういうことはみんな言ってて、
確かに一瞬しか行かなかったですけど、物価は高いなと思いました。
そうですよね。
私もこないだハワイの友達に会って、
家賃いくらとかって聞かれて、そっちは家賃いくらなのって言ったら、
だいたい4,000ドルとかが平均?
みたいですね。
だから50万、60万とかですか?
そうですね。ものすごくやっぱり。
日本だったらもう、すごい人が住めると思うんだよね。
すごい人が住めますよ。
やっぱり買わせとかもあるけど、
全体的にインフレしてるというか、
本当に必要なのかなと思うぐらい、
いろんなことが高くなってたりとか、
っていうのはやっぱり肌身で感じますし、
カリフォルニアだとかって思って、
やっぱりカリフォルニアはワインだとかって思って、
ワインでも飲もうものなら、
ワイングラスで、日本で例えば飲むと、
1,000円とか前後ぐらいで、
そこそこおいしいなと思えるやつを飲めると思うんですけど、
結構びっくりしまして、
サンフランシスコに行って、
最後の晩にクラムチャウダー食べたんですけど、
有名な酸っぱいさ。
美味しかったなと思いながら、
ちょっといい気分にもなって、
坂の途中にワインバーみたいな、
気軽な角に誰でも入って、
いっぱい飲めるようなお店があるのを知ってたので、
帰りにちょっとフォトグラファーの人と一緒に、
2人で最後だし、
ワインでも飲んで帰りましょうかということで、
いっぱい飲みに行って帰ったんですけど、
グラスがですね、
20ドルとか24ドルとかになっていて、
レストラン価格で高級レストラン価格ですね。
ワンパイントのビールってだいたい、
ブリュー割りで飲むと9ドルぐらいだったんですよね。
日本と同じぐらいかなと思ったんですけど、
その倍を超えてくるかと思って、
かつ日本円に直すと、
エンに直すとひどいですね。
グラスワイン一つでこんなにいくかと。
全部ビンテージものみたいな。
たぶんね、ものすごい値段だなって、
改めて衝撃を受けて、
お土産にカルフォルニアのワインでも買って帰ろうかなと思ったんですけど、
なかなかちょっと手が伸びなかったですね。
ちょっとやめとこうかな。
っていうぐらい高い。
そうですね。
そういうのをいいとこだけじゃなくて、
そういう変わってしまったなとか、
こんな物価なんだみたいなとこを感じるのも、
旅って感じはしますけどね。
危ない雰囲気とかも含めて、
その国じゃないですか。
そうですね。だから肌身で感じるというのは、
すごく改めて大事だなと思ったし、
いろんな意味で改めてショートカットはないなと思いましたけどね。
あとあれだ。
中華街ですね。サンフランシスコの。
すごく大きくて広くて、みんな元気なんですけど、
やっぱり中華街は強いなと思いましたね。
すごく活気があるし、美味しかった。
中華街も一回焼きそば食べましたけど。
行きました。
なんであんなに、私ずっとこれ10年ぐらい疑問に思ってるんですけど、
どうして中華街はどこの国でも生き残れるんですかね。
本当にアフリカとかもね。
あるんですね。
私もベネツィアでお店入って、
ここ空いてるよって言われて入ったら、
中国人経営のイタリアでみたいな。
本当すごいですよね。ロンドンとか横浜とか神戸もあるし。
中華街すごいなと思いましたね。
見習うところがありそうですよね。
そんなことをいろいろ感じながら、いろんな本屋さんに行き、
人と会い、コロラドの山を走り、という怒涛の時間を過ごしてきて。
一番思い出したことがあって、
サンフランシスコ国際空港に久々に降り立ったんですけど、
初めて海外に降り立ったのがそこだったなと思って。
関西国際空港から。
初海外ですか?アジアとかも含めて。
含めて。
初めて日本の外に出て降りたのがサンフランシスコだったなと思って。
そうなんですね。
遥か昔のことですけれども。
祖父が昔アメリカに住んでいたことがあって、
わりと高齢になってから、時間もあったしということなのかどうかわからないですけど、
アメリカのイントロダクションとかということで、
ちょっと連れて行ってもらったというか、
カバ持ちで祖父の昔の友達とかに会いに行くというのが多分メインだったと思うんですけど、
自分は特に何もわからず行って降りたのがその空港だったなっていうようなこともちょっと思い出したりして、
懐かしかったので。
空港を見てわかりました?
なんとなく雰囲気、その後も何度か仕事とかで大人になってから行ったことはあったんですけど、
なんとなく今回はその時の雰囲気っていうのをすごく思い出しましたね。
なぜか。
面白かったです。
それタイミングですよね。そういうのを思い出すっていうのもね。
必ず行ったから思い出すってわけじゃないんですね。
そうですね。
その時は祖父の友人の日系、何世になるのかちょっとわからないですけど、
日系人の方がサクラメントに住んでいて、サクラメントからサンフランシスコまで何時間も車で行ったらかかるんですけど、迎えに来てくれていて、
着いて3人でハンバーガーを食べて、その後にサクラメントまで行ったというのをよく。
覚えてるんですね。そういうのはね。
覚えましたね。
しみじみといい思い出。
そんなようなことがあったりという。
すごい夏休みっぽいですね。
っぽいですね。まだ7月の最初なので夏休みも始まってないのに。
子どもが夏休みそろそろなってきた。学生さんとか夏休みの方が。
7月の後半になると。
なんか今早いですよ。結構夏休みの人多いですよ。
本当ですか。
私たちの時って7月後半、やっと夏休みみたいな感じだったと思うんですけど、結構私、もう夏休みだよってTikTokの配信とかやってると聞きますね。
そう?じゃあちょっと早いのかな。
ちょっと早いみたいです。
いいですよね。夏休みが。
それはもうね。
長いとね。
夏休みの友もゆっくりとできますし。
夏休みの友っていいですね。
よく考えると友とか意識せずに言ってましたけど、いい名前つけましたね。全然友じゃなかったですけどね。最終日の友ぐらいでしたね。
最終日の友。
そんなアメリカの様子ということで、今年は珍しくアメリカは1月にハワイに行って、今年だけで2回になりましたね、アメリカに行ったのね。
なかなかアメリカ本土に最近はコロナ以降は全然行くことはなかったんですけど、やっぱり行っていろんなことも感じて考えましたし、また行けるといいなと思います。
帰ってきてから、あれ?帰ってきてから書店イベントですか?
行く前日でしたね。
前日に大歓山の蔦谷書店でイベントを開かれてましたよね。
そうですね。7月1日から15日までポップアップをやらせていただいて、山田明さんの写真の古典ですね。リミナルっていう名前で明さんが古典を2週間やられて、それの横というかそこでちょっとご一緒する形で
イースターオブザーバーのポップアップを同じく2週間やって、7月の2日ですね。期間が始まった2日目に大歓山の蔦谷書店で渡辺美津子さんと含めて3人でトークセッションをやって、その翌日から飛び立ったという。
なるほど。
そんな流れでしたね。すごくみんな来てくれて、僕がちょっとね、アメリカでそんなことを感じている間に、明さんは基本的に毎日会見ショーということで。
私も写真店をお邪魔して、最終日だったんですけど、毎日いたっておっしゃってましたし、イースターオブザーバーも何枚も手寄りしたんで。
僕がいなかったんですけどね、ちょうど明さんがいるので雑誌も紹介してくれて。Tシャツも実は明さんと一緒に作ったんですけど、実はそれは完売ということで、また作れるといいなと思いますし、
あと明さんの展示自体はまた北海道でやられたりとか検討されていると思うので、大鎌で見れなかった方も実際にまた見れる機会が来ると思うので、あと実際に買えるので。
そうですね、買えるみたいで、その場で説明もしてくださったんですけど、タイトルがリミナルって私、意味もともと知らなくて、それ聞きに行ったんですけど、
間のこととか中間の曖昧で名前がつかない部分っていうふうにおっしゃってて、なんかすごい木星社っぽいとすごい合いそうなタイトルであるなと思ったんですけど、
すごい面白かったです。今私が知っている明さんの別の顔がすごい見れて、ニューヨークにいた頃とかって、知っている方はもしかしたらそっちのイメージで知っている方も多いかもしれないんですけど、木星社の本とかを見られている方はどちらかというと自然の中の方が多いじゃないですか。
だからニューヨーク時代の写真はまた全然違って見えました。
そうですね。なかなか本当にやっぱり実物を見る、触れるっていうのはなかなかやっぱりまた違ったいい感触になるかなと思うので、またぜひ皆さん見てもらえるといいですね。
そんな大歓山を経て、
そうですね。トークセッションもされて。
7月はそんな感じで過ごしてましたね。
盛りだくさんな7月でしたね。
春ちゃんは7月というか6月から忙しかったわ。
話したか忘れちゃったんですけど、1ヶ月前の記憶がもうなくて。
そうですね。完成したバイバイミーの映画の試写会をやりますというのは話してくれて。
試写会やりましたよを話してないって感じなんですかね。
やりましたよは多分話してないかもしれないですね。
映画を作って、今ちょうど映画祭にいろいろ出してるんです。国内の例えば下北とか、あとはその国外の一番最初に出したのはスペインなんですけど、国外の映画祭にも出してるところなんですけど、
映画祭に出していても、その試写会というか関係者内では試写会自体は行われるので、豊洲のララポートの映画館で試写会をやりました。6月に。
初めてだったんですよね。オフラインで人を集めて何か場を設けて作品を発表するって、私にとってはすごく初めての経験で、でもなんかありがたいことに一応完売で100人以上の人が見に来てくれて、それもすごい嬉しかったんですけど、
すっごいびっくりしたのはやっぱりこう、自分が一人でパソコンで見ている自分の映画とみんなで見る自分の映画って全然違うなと思って、なんかその映画館に何人がいてとかっていうのは温度とかでも変わってくるのかなと思ったんですけど、
100人が座ってて自分も一番後ろにいて、全員と今同じ時にこの映画を見てるんだっていう感覚が、しかも自分の作品を初めてだったので、それが一番熱かったですね。
やっぱりそうですね、そういう場の強さとかみんなで見ることによって、さっきのハードロックの話じゃないですけど、作った人とか見る人とか出てる人とか含めている場で何かが起こるっていうのってやっぱりなんかあるんでしょうね。
いやそうなんだと思います。自分も今までは、私別に映画業界の人って結構映画館絶対みたいな人って多いんですけど、私そうでもなくて、時代的にも配信とか携帯の中でいろいろできるっていうことがすごい身近なので、配信で見れるんだったら配信でもいいじゃんとか、絶対楽なのは臨国で配信で見てもらった方が楽だよね。
たくさんの人に見てもらえるよねって思ってたんですけど、だから映画館絶対ではなかったんですけど、今回やっぱり一番目、映画館で社会をしたことによって、その時じゃなきゃいけないとか、その時じゃなきゃ感じられない見方とか感情みたいなのがあるんだなってことをすごくつかんで、
だから読書の会とかね、木星社でもやってたりだとかすると思うんですけど、7月に来たのか8月に来たのか、でも絶対感じ方変わるじゃないですか。人も違うし、っていうのがあるので、これだけいろんなものが普及して、全部が携帯の中で完結する時代に、あえて場を持って集まってできたってことがすごいいい経験だったなと思いました。
そうですね、本当にそういうのはありますね、きっと。わざわざやるというのが面白いという話は各所でしておりますが、
はい、でも大変ですね。
忘れ得ぬ経験になりますね。大変すぎてね。
本当に一つの物事を、映画を完成させるってことだけじゃなくて、人が集まっていただくための場を作り上げるっていうのも本当に大変だなと思ったんですけど、やった後はやっぱ忘れちゃいますね、大変さ。
そうですね、まあでもそういうこういろんなことが関わって何かが自動的にあるいは反自動的に起こっていくっていうのはありますよね、昔からね。
そうですね、なんか対面で関わった方がやっぱり背中を押してもらえるし、
そうですね。
なんかそれがあったからこそ、今いろんな人に作品を前よりも自信を持って話していけるなっていう感覚があります。
なんかそういうイベントとか映画とか社会とかいろんなこう結構時間もかかると思うんですけど、映画作るとこから考えると、
そうするとこうやってるうちにこういう風な想定だったのにって思ってたことじゃない人が現れたりとか、
全然違うことが起きたりとかそういうことって結構ありませんか?
ほぼそれです。
例えば撮影当日も、脚本上では私は間違えてお父さんに電話をかけちゃった、指が当たって電話を投げたときに何かに当たって電話がかかっちゃったっていう設定にしたかったのに、
現場ではそれできないね、その表現ってなって脚本変更とか、完成品を見てる方はね、それが脚本に書かれてるって思う方多いと思うんですけど、
全然そんなんじゃなくて、一瞬一瞬あれできないね、こうしようみたいなのとか、
試写会もどうするってなったときに、この子に頼んだらいいやってしたら物事が動いたりとか、想定できないことばかり。
そうですよね。だからそういうことにいかに対応していくかっていうことですもんね。
そうですね。
こっち側がね。
でももともとそれは言われてました。やっぱり何かがあったときに、これなきゃダメですってなると何も進まないから、
受け入れてその上で考える準備だけはしてはいてねっていうふうに言われてて。
そうですよね。
でもいろんなお仕事もそうなんじゃないですかね。
すごくありますよね。チャットGPTもそうだし、例えば辞書もそうだし、調べると答えは書いてあることも多いしよく使うんですけど、
ちなみに辞書大好きだから辞書いっぱいあるんですけど、辞書読んでると面白いですよ。
調べたい言葉の横とかに全然違う言葉で面白いことがあるとそっちが読んじゃうとか、いろいろあるんですけど、
そういうことも含めて答えがあることはそれはそれですごく便利なんだけど、そうじゃないふうに対応しなきゃいけないことがいっぱい出てくることのほうが多いから面白いですよね。
そういうもんだなって思いますよね。いろんな人とかね。
そのシチュエーションを楽しんでいる人はすごい憧れますね。ああなりたいなっていう。
だから、ああでもない、こうでもないってなるから、楽しいと思えばそれをずっとやり続けるんでしょうね。
ちょっと余白がないとね、余裕がないと楽しめないので、余裕を持ちたいですね。
そう、余裕を持ちつつね。
心の余裕を。ってな感じで、この後はニラサキとか地元とかでの試写会もしていこうかなと思っていますっていう感じですね。
また決まったら教えていただいて。
ぜひ、もうちょっと山に近いほうでできたらなと思っています。
そうですね、映画祭とかも海外とか含めて行けるようになるといいですね。
ブックフェアもそうなんですけど、うちのイーストンオブザーバーもいろんなアートブックフェアとか海外の本屋さんでトークセッションをやったりとか、いろんなことを今考えたりいろんな人に話したりしてるんですけど。
そうですね。海外の映画祭行きたいんですよね。
そういうのもやれるといいですよね。
そうですね。俳優は招待してもらえないんですけど、監督とプロデューサーは招待してもらえるんですよ。
それだといいですよね。
そういう場のつながりですよね。
映画祭もレースみたいに、ここはこういう歴史があってとか、ここはこういうことを大切にしているとかっていうのはすごい。
やっぱりカラーがありますよね。
人間みたいに性格があるので、そういうキヨさんのコロラドの話みたいに、そういう人たちに出会えたらいいなと思ってます。
そういう場を巡り続けるということで。
旅ですね、まさに。
旅ですね。その場がなぜいいかっていう話はまた話すと長くなるので、また次回以降に小説をネタにしながら話せればと思うんですけど、キーワードはカーニバル理論ってやつがあって。
知らないです。それ何ですか?
ミハイル・バフチンという昔の学者がいて、ドストエフスキーとかフランスのラブレイの文学とか古典があるんですけど、それをすごく分析していて、カーニバル祝祭ですよね。
カーニバル祝祭ある場所とかある時期に何かが、人々が集まって何かをやるっていう、そういうことがなぜこんなに面白いのかっていう。
それはやっぱり思っても見なかった人が出てきたりとか、いろんな価値観が変わったりとか、いろんなことがあるからだっていうお話があるんですけど、
それを小説で表現されているのはこういう作品だとか、いろんなそういうお話があるんですけど、すごく面白いですね。
その小説の解釈の仕方としてカーニバル理論っていうのがあるってことですか?
そうですね。日本のお祭りとかもそうですもんね。ちょうどお盆の時期もこれからきますけども、
例えば京都のおくり火とか、日本全国いろんな火祭りとか、藤吉田の火祭りとかね、いっぱいいろんなのがあると思うんですけど、
やっぱりあれって人間っていう世界だけじゃなくて、あの世に行っちゃった人とか、あの世のことも含めてそこに存在するっていう一時を過ごすっていうことだとすると、
それもある意味カーニバルというかお祭りというか祝祭だったりするので、
それってやっぱり今ある人間だけではない、過去の人とかこれからの人っていうのも含めて世界だって捉えるような捉え直し方の話だったりすると思うので、
そういう場の力とか、その中でどういうふうにダンスをしていくのかということっていうのは非常に面白いお話だなと思うので、
映画の社会とか読書会とかも、ある意味そういう場だったりもするし。
そうですね。なんかこのカーニバル理論を今調べたら、決まりきったルールや権威を笑い飛ばし緊張をほぐすとか、
2分の高い人と低い人が入れ替わるから面白いみたいな。
そうですね。特に昔はそのやっぱり王様が一番偉くてとかね。
そうですよね。
そういう時代が。
カックスさというか。
そう。中世からずっとあったと思うんですけど、そのお祭りになった瞬間に王様にみんなお酒をかけてとかトマトを投げてとか、
誰が選んだかよくわかんなくなっちゃうけど、それが逆にすごく新しい別の世界の在り方として、
日常を見えている世界ではないけれども、祝祭の日にそういう場所が出現するという面白さっていう、
それもある一つの別の現実であるということは言えると思うんですけど、
だからカーニバルって面白いっていう、そんなようなことかもしれないですね。
確かに。こないだ盆踊りに行ったんですけど。
はい。盆踊りも列になって丸く囲んで踊るじゃないですか。丸く。
私盆踊りとか振付も知らなかったんですけど、入ってしまえば一員みたいな。
隣が知らなくても手繋ぐし振り返ればみたいな。
その日はそれがしても許される普通のことになる。踊ることとか。
そういうもんだってしてくれる時間って確かに貴重だなって。
知らないものとか人とかに触れるとか、存在のことを考えるっていう。
そういう要素も強くなってくるんですかね。
普段は人見知りなのであまり人にしゃべりかけたりしないんですけど。
もうちょっとカーニバル理論を読んでこういうことかと。
カーニバルになったら別ですからね。
ちょっとこうね、いろいろ面白そうですね。
面白いですね。カーニバル理論。
そんなような映画も読書もトレールランニングレースもある意味そういうことがちょっと関係した。
そうですね。役割を果たしてくれてるのかもしれないですね。
そういう要素もあるかもと思いましたね。
そうですね。レースだって泥んこになっていい日ですね。大人がこう転んで。
短パンで。
短パンで具合悪くなったり。
リュック背負って。
していい日ですもんね。
小学生のような子供のような格好をしてね。キャップ被って。
ただ赤白帽じゃないだけで。
そんなような最近のニュースで。
ニュースが思ったよりもいっぱいあって話すと。
そうですね。7月まだ終わりなので、まだまだ夏が来ていろんなお祭りが、カーニバルがこれからどんどんどんどんあると思うので。
皆さんもね、皆さんの周りであったカーニバルっぽいものについて教えてもらいたいですよね。
ぜひぜひ。
これはカーニバルだなと思ったものとか。
ですね。
ということでアレに入りますか。読んだもの。見たもの。聞いたもの。
今回は私と紀夫さんは同じ題材を読んでみました。
珍しく。
珍しいですね。
珍しく。前回ちょっとだけ紹介した五道を待ちながらですね。
読みましたと。
そうですね。で、便乗して。私もたまたま友達とそれを稽古しようってなったので。便乗して読ませていただきました。同じ。
これ白水舎から出てるやつですよね。
最新の現代語訳というか、新訳ベケット議局全集1、サミルベケット五道を待ちながらというやつですね。
岡室先生という方が翻訳全体を監修されてるやつですね。
岡室美菜子先生というベケットの専門家ですかね。
実際にアイルランドの大学のダブリン校でも勉強されたというベケットのひざ元ということで。
そんなような本があって、本屋さん行くと全然売ってる本なので手軽に入ると思いますし。
そうですね。
手に取りやすい感じかなと思いますしね。
とても有名な議局ですね。
全部読みました?
そうですね。一応全部読んで、これ何回も読めるなと思って、何回も読みたいなと思いながら、五道という人が来ると言われて、男の人が二人待ってるっていうお話ですね。
そうですね。
ある意味それだけのお話といえば、それだけだけどその中にいっぱい色んなことを考える要素が入っているという。
あらすじとしては、二人の男の人が待ってて、ずっと話してるんですよね。
話してますね。
登場人物が少年とか、ちょっと偉そうな人と飯使いが現れたりとか。
たまにそういう人が通りかかるというか、出てくるというかね。
通りかかって帰っていって、また次の日来てとか。
ただでもそれだけですよね。
だから、初めて上演された時はそんなに評判良くなかったっていうね。
初めてがパリだったらしい。私が調べたところによると、パリでの上演はすごい賛否両論で別れた。
議局。
アメリカで初めて上演された時は、その後ブーイング鳴らして一週間で打ち切りっていう。
でも分かりますよね。アメリカで評価されない感じがすごく分かる。
エンターテイメント性とは真逆の。
真逆ですもんね。
ドラマチックとかじゃなくて、何を一体やってるんだっていう中で、人間の真理を描いていくみたいな作品ですもんね。
描き出すような、不条理劇の一番研ぎ澄まされた感じのものですもんね。
最初フランス語で書かれて、ベケット自身が英語が母国語だけどフランス語で書いて、その後自分で英語にしてっていう、そういう本ですよね。
非常にベケットは文学的に20世紀の大作家と呼ばれるようになった人だと思うんですけど、それの代表作ということで。
どうでしたか?
これ、読み終わって一番感じたのは、めちゃくちゃこれ好きって人と嫌いって人に分かれるだろうなって思って、
分かるって人と全然分からないって人に分かれるなってすごい思ったんですけど、私は分かる派なんですよ。
何というか、別にずっと二人話してるんですけど、全く会話の意味はなくて、例えば今何て言ったとか何も言ってないよとか、
俺たちはハッピーかとか、なんかその会話自体には意味ないんですけど、所々の文章で、もう何やってもダメとか。
リアリティがあるフレーズが突然すごく迫ってきますよね。
ポンって出てきて、別にそれが何かの意味を成してるんじゃなくて、多分自分と重ねてしまうからだと思うんですよ。
そうですね。
私と清さんでこれがリアリティあるねって感じるセリフって多分違くて、その人自身の、自分自身のある程度生きてきたらやっぱり嫌な時期を経験してるじゃないですか。
ってなった時の、基本的にこの二人は人生にすごく悲観的というか、もう死にたくても死ねないしとか、何もやってもダメだし、誰も来てはくれない、来て待ち望んでる者も来ないしっていう、なんだと思うんですけど、
だからその二人が言ってるセリフがポンって自分の人生に重なった時に、何についても話してないのに何かわかるみたいな感覚。
なんかこの漢字知ってるとか、ちょっと私だって思うとか、だからこそ見終わっても何の話かわからないけど、すごく心に残ってしまうなって印象がありました。
そうですね、本当に何だろうね、セリフは本当に劇局なので、セリフがずっと続いていくからいろんなセリフがすごくいっぱい書いてあるんだけど、読むごとに引っかかるところが結構違いそうですよね。
違うと思います。
わけもわからなくとにかくある世界の中にポンと二人だけ置かれて、ある意味これもいろんな読み方ができると思うんですけど、人間がある意味世界にポンと生まれてきてっていうような中で、
いつ死ぬかもわかんないし、例えば誰が自分のところにいつ来てくれるのかもわからないままに時間が過ぎていく。人生100年時代だったら100年過ぎていくっていう。
来るのか来ないのかもわかんない状態で生きていく時に交わす言葉っていうのときっと似てるんだろうなとは思うんですけど、その時ってやっぱり筋道だってないですもんね。
そうなんですよね。
今までの過去の流れを踏まえて今がこうで次がこうって常に考えながら会話とか生きてるわけではないことの方が多いので、それをそのまま描くとこんないっぱいわけのわかんないセリフがいっぱい書かれることになるんだろうなと思うんだけど、
ある時はこのセリフが心に響くし、ある時はすごく嫌だなって感じるし、そういう全体、何を描いているというと、人間の気持ちとか精神の運動そのものを描いているとするとものすごいことだなと思うんですけどね。
だからいろんなセリフごとに本当に解釈もいろいろできるだろうし、いろんな読み方が本当にできますよね。
今ね、ちなみにパッとパラパラとまたこの本をページを開きながら話してるんですけど、例えば118ページに、
昨夜何してたっていうセリフが出てくるんですよね。何してたって言われて、思い出してみなよって言われて、おしゃべりかなって答えるんですよね。
で、どんなってさらに聞くと、いろいろだよ、これといったことは〇みたいなセリフが続くんです。これってもうすごくリアリティがあるというか、突然聞かれるとなんだっけなって、やっぱり僕もそうだけどなっちゃうことの方が多いんですよね。
で、それってこう、今我々がこう話してるのも何か確信を持ってすごく話してればいいんですけど、そうでもない言葉も含めて話しているとすると、これって明日もしかしたら全部一字一句、僕たちも覚えてない会話になると思うんですよね。
これ録音してるから後で聞き直せば、もちろんわかるんですけど、そうすると人間の会話とか記憶ってこんなに頼りなかったものなのかなって思っちゃうなって、この文章だけでも思ったりもするし、
だけどその中でも、大前提として五度を待ってるんですよね、この二人は。だけどそういう記憶とか何を話したかすらがわかんなくなっていくような状況なんだけど何かを待つっていうのは、またどういうことなんだろうっていうふうにも思いますし、そんな絶対的なことを待ってるのかなとか。
ちょっとキャラクター的には誇張されたりしてる部分もあるじゃないですか、一人のエストラゴンの方は、昨日誰かに会っただろうって言ってもそうだったっけなみたいな、本当に何も昨日のことは思い出せないみたいな、本当にちょっとおバカキャラみたいな感じにズボンとかも下がってても気づかないとか、
おバカキャラってイライラしてる子なんですけど、でも、そうやっておバカだなって見てたら急に清さんが言ったみたいに、この部分で昨日何してたか覚えてるって言われたらわかんないとか、太陽とか月とか覚えてないのって言われても、私も昨日どこに月があったかとか、自分の周りの世界がどんなんだかって覚えてないなんて実際。
ね、そうですよね。
だからどうせそこにあったんだろう、いつも通りってエストラゴンは答えてるけど、そのぐらいなんですよね。どうせそこにあったでしょ。いつも通り昼は太陽が昇って、夜は星があって、でもちゃんと見てないしっていう、なんかハッとした瞬間に本当に私たちじゃんって思えることが。
思うことありますよね。
いっぱいあるし。
あとね、156ページの最初にいろいろいろんな会話が引き続き続いてきて、突然エストラゴンっていう傍れが、きっと未来は見えるんだって言うんですよね。
そうするとウラジミールっていうもう一つの相棒が、いつからって言って、ちょっと冷たく言う。いつからって言って。やっぱりこれもこの2行だけでもすごくすごいなって思うんですよね。
こうあるべきだとか、未来はこうだってよくいろんなところでも聞くし、いろんなこと言う人はいっぱいいるんですけど、いつからって、そんな見えんのっていうことを一言で言っちゃうっていうようなことも、この2行もすごいなと思いますし、
なんかね、もう一文一文がすごい面白い。考えるっていう感じがしますよね。
これをどう解釈するかって、これはもう多分、それこそいろんな研究してる人とかがもう何十年かけてやってる。
いろんな説があると思うので、なかなか答えはもちろん出ないし、出そうとしなくてもいいと思うんですけど、すごくやっぱり面白い。もうなんか全てが面白いという感じがしましたね。
はい。後半の方でラジミールってもう一人の方が、長税夫で熱を帯びてというか、ちょっと強めに語るところがあると思うんですけど、確かなことは五道を待ってるしかないみたいな。
いろいろワーって言っていく中で、だんだん自分も自分の語ってるリズムに乗っていって、ワーっていろんなことを語った最後の文が、確かなことは五道を待ってるってことだけだって言って。
だから今までのおしゃべりも、今自分たちが議論していることも、全部不確かでわからなくて、で五道待つことだって言ってて、なんか五道自体は多分読み手のそれぞれに、それぞれの五道がいると思うんですよね。
なんかわかんないですけど、オリンピック選手だったらずっとそのオリンピックで優勝していることを求めているとか、
刑務所で上演したこともあるらしいんですけど、やっぱり刑務所の人たちだったら救いを求めているとか、でもなんか私たちも今生きてるしか、っていうこと以外に確信はないじゃないですか。
そうですね。
っていうのはすごい感じたんですけど、なんかそのアメリカでの公演がすごい不評だった後に、刑務所で上演して、なんかみんな泣いたって、それに逆にアメリカの人が驚いたみたいなことがあったみたいで、
神は来ないんだって、俺たちに神は来ないってことを言ってるんだろうっていうその五道と神を置き換えるっていう人もいると思うし、
刑務所での上演はやっぱりすごくずっと増えたみたいですよね。
いろんな国とか場所で。
戦地でもやってたみたいですけどね。
この作品が書かれた時期というか時代自体が、戦争が終わっていろんなことが荒廃してっていうヨーロッパの中で書かれたっていうこともあるので、
そういう状況の中で何を待ち望めばいいのか、何が救いになるのかっていうことももしかしたら作者としてはあったのかもしれないですけど、
そこは絶対本人五道というふうに一応書かれてはいるけど、絶対姿を現さないんですよね。
それを想像するしかないっていう状況っていうことがあって、
刑務所もそうだし、日本でも震災の後に東北の方なのかな、ちょっとわかんないですけど、東北でこれ上演して、
どういうふうな五道が来るのかっていうのを上演されたりとか、今でもいろんなところで上演されていると思うんですけど、そういうのはすごくありますよね。
よく考えると今も何かを、今のこうじゃないって思っていることが多い人もいると思うので、何かを待つっていうのはすごく自分たちも含めて、
そういう感覚は本当は人間にはずっとあることなのかなっていうのは思いますよね。
そうですね。
待つっていうね。何かわかんないけど。
五道っていうのが何かっていうのもサミュアル自身も語らなかったっていうのがその通りだって思いますよね。
そうですね。だから本当に待つっていう、まさにそれがやっぱりタイトルもそうですし、やっぱりそこに行き着くとするとそれをどう解釈をしていくのかというのが、
ここから時間が始まるんだと思うんですけど、究極的にやっぱり人間という存在が何を待っているかっていうとやっぱり死ぬことを最終的に、
みんな200年生きる人は今のところいないと思うんですけど、みんなその最後の日を待つっていう状態にあるというのは平等にみんなあるとして、
その中でどういう会話を交わしていくのかという、どういう風な経験をし、それを待ちながらいかに充実してやっていくのかっていうことは、
この五道を待ちながらっていうものを深く研究していくと、やっぱりそういうところに行き着くというお話もすごくあると思うし、僕もそうだなと思いますけどね。
待つじゃなくて待ちながらがいいですよね。
そうですね。
死をずっと私たちは待っているわけじゃなくて、待ちながら何をするんだろうみたいな。
待ちながらっていうね。
何々の話をさて今日はするみたいな感じですもんね。
そうですね。だから168ページにまた出てくるんですけど、少年が伝語に来るんですよね。
五道さんが来られないって今日はっていう風に言いに来ると。
明日は来る。絶対にって書いてあるんですよね。絶対に来るって書いてあるんですよね。
でもこの物語の中では絶対に来ない。来なくて終わるんですけど、セリフの中では絶対に来る。はいって書いてあって。
それもものすごく予感させるというか、感じさせられますよね。
よく絶対っていうことはないっていうことはよく言われると思うんですけど、絶対に来るっていう風にここには書いてあったりするというのも、そうかって。
絶対を信じてこの二人は今日も泊まるんですね。
そうですね。っていうことだったりとか、すごく深くいろんなことが入ってくる議局ですよね。
これ実際に上演したとこ、僕見たことないんですけど。
私もまだ見たことないんですよ。でも上演してる稽古風景の映像とか、一瞬一瞬の切り抜きで見たことあるんですけど。
えもと兄弟のお二人とか。
なんかいい上演で見てみたいなと思いましたね。
そうですね。これ何組か見てこういうパターンか、こういう解釈かっていうのを比べるのも楽しそうですね。
そうですね。本当にこの新訳の言葉もそうですけど、やっぱり本当に現代に置き換えた時にどういう風なセッティングでできるのかとか、そういうのもね。
コロナを経験してからの私たちもまた多分なんか違うと思うんですよね。
そうですね。
コロナっていうその動けない時期みたいなのがあって、それを知ってる私たちが今どうこれを解釈するかって多分また違うじゃないですか。
6年前とは。
確かにコロナいつ終わるんだろうなって待ってましたもんね。
待ってましたね。待ちながらじゃあ今仕事どうしようとか。
思ってましたもんね。
緊急事態宣言が解除されて、やっとまた大丈夫と思ったらまた来てみたいな。
それこそ少年の伝言で、もう悪いって言ったけどまた来ちゃうみたいな。
そうですね。本当にいろんな意味で本当に待ちながらっていうことですね。
さっきのハードロックに戻るとハードロックの抽選が当たるのを待ちながら、それにずっとかかり続けていくっていう時間そのものが実はハードロッカーになっていくっていうことだっていうことにもある意味当てはまりますし。
そうですね。どうしても出来事が注目されがちですけどね。
生きてるとこれを経験しました。ここでこの年にこれになりましたみたいな。そういうことじゃない世界の見方ですよね。
そうですね。本当にね。
もっと広いスパンの待ちながら何をするかっていう考え方って。
本当に。
この2人が出てくる登場人物全員、すごいドン臭くないですか?ドン臭いというか。
そうですね。靴を上手く履けないところから始まるからね。
覚えてられないとか、自分の話が上手くできたか気になっちゃってどうどうって聞いちゃうとか。
待ってるだけだったらもうちょっとちゃんと自分の意見が言えるキャラクターでも成り立ったはずなのに、
たぶんこのキャラクター全てがちょっと痛いところがあるとか、ちょっと哀れんでしまうようなキャラクター設定というところも、
サミュエル・ビケットが描きたかった人間らしさみたいな。
そうですね。
滑稽な人間みたいなメッセージがあるのかなって思っちゃいました。
靴を履けないところから始まって、ズボンが下がってたりとか。
あとこいつは口が臭くて俺は足が臭いとかね。どっちも臭いんかいみたいな。
目が見えなくて口が聞けないとか。
あ、耳が聞こえないか。
いろいろ出てきますよね。
足りない人間たちがいかに暇を潰してみたいな。
本当そうですね。
なので本当にこれは何度も読めるし、フランス語ちゃんと勉強しとけばよかったなと思いますね。
フランス語の最初の上演されたやつとか読んでみたいですね。
どう書いてあるんだろうとかね。
英語で読めるかもしれないけど。
タイトルも気になるんですけどね。タイトルとかもこの待ちながらっていうタイトルなのか。
そうだね。
そうですね。英語のタイトルどうなっているんだろう。
フランス語だとunattendant godotって書いてありますね。
やっぱりgodotが来ることを待ちながらみたいなことなんでしょうね。
英語もwaiting for godotですね。
やっぱり待っているっていうことなんでしょうね。
そうですね。
そんな感じで。
よかったですね。
これはもうみんな言ってると思いますけど傑作。
本当ですね。
傑作ですね。本当に。
逆にここがこの作品嫌でしたとかね。楽しめなかった人側の意見も聞いてみたいですね。
面白い。
もう何度か夏の間にこのgodotを待ちながらは読んで、夏が終わるのを待って、
ちょっと気温が下がるのを待とうかなという感じですかね。
文学談義みたいになってきて長めに話しましたけど、
ぜひ皆さんの感想を教えてください。
そうですね。感想を聞きたいです。
ということで、読んだもの。
godotを待ちながら読みましたね。
これは次回僕の方からまた機会があれば、
次回以降に読んだものとして話そうと思ってるんですけど、
久々に村上春樹さんの新しい新刊が出て、
カホっていうタイトルの女性が主人公の第1章から4章まで入って、
これもともと慎重に1個ずつ連載されてたやつが1個にまとまった本なんですけど、
これをちょっと今読んでて、これはこれでまたちょっと面白いので。
ちょっと楽しみにしています。
村上春樹さんのドライブマイカーにもgodotを待ちながら出てきますね。
練習風景とか。
なんとなく関連してるかもしれないですね。
ある意味godotを待ちながらに似たようなシーンも、
こっちの小説の方にも出てきたりするので、夏の穂って書いて。
夏に読むのがいいですね。
いいですね。夏休みの読書。
ということで、これはこれでまた次回ご紹介いたしますので、
先に読んだ人がいたら、ぜひ。
聞かせてください。
村上春樹さんの本なので、だいたいどこでも本屋さん行くとあると思いますし、
先にもし読んだ人がいたら、
podcast経由読書会ということで、お便りをお待ちしています。
ぜひ。
映画の方とかは何か見たものとか。
最近、映画で面白いなって思った映画で、
2つあって、1つはショーン・ベイカー監督のアノーラっていう映画がありまして、
A-N-O-R-A。
これロシア語なんですよね。
ロシア語か。
アノーラっていう、ニューヨークでストリップダンサーとして働く、
ロシア系の地が入った女の子がアノーラっていう、その女の子の名前なんですけど、
ショーン・ベイカー監督自身は、結構マイノリティーの、
トランスジェンダーの男の子2人の物語とか、
あと、ポルノ男優として働いてた人の映画とか、
そういうのを結構マイノリティーの映画を作ってきて、
このアノーラっていう作品が多分規模的にも一番大きいと思うんですけど、
2024年に出て、そのストリップダンサーの女の子のお話なんですね。
これ自身はいろんな映画祭ですごく賞を取ってて、
何の賞を取ったんだっけな、アノーラ。
最初これスペイン語かと思いましたね。
響きはそうですよね。
ロシア語なんですね。
ロシア語で光。
スペイン語だとエスペランサですね。
エスペランサ。
全然違う言葉ですね。アノーラってロシア語そうなんですね。
カンヌでは最高賞のパルムドールを獲得してて、
アカデミー賞では5つぐらい、主演女優賞とか、
マイキー・マリソンっていう結構若い20代の女優さんなんですけど、
が獲得したり監督賞とかいろんな脚本賞とかも取ってるっていうので、
あらすじとしてはそのストリップクラブで働く女の子が、
ある日一人のロシア人の若い男の子に気に入られて、契約彼女みたいになる。
実際この男の子はすごいお金持ちのロシアの家族の恩蔵師でみたいな。
結婚した子が家族にバレて、男の子が逃げ出して、
その男の子を探す旅になるみたいな。
前半の結構ラブストーリーと、後半はロシアの女の子が旦那さんを追いかけたり、
その恩蔵師で大きいお金持ちの家族なんで、
ツキ人みたいな見張り番とかがいるんですよね。
見張り番と一緒に彼氏を探すみたいな。
お母さんたちが来るまでにみたいな話で、
あらすじだけ聞いた時には結構コメディーというか、
コメディっぽいドタバタ。
ドタバタコメディーみたいに聞いてたんで、
私もだからちょっと敬遠してたんですよ。
そういう作品みたいなって感じの気分じゃなかったんで、
でも見た時に全然印象が違って、
アメリカ的なドタバタコメディーみたいなのじゃなくて、
すごい登場人物一人一人の心情とか、傷ついてる表情とか、
会話しないでもかわされ視線とかで物語を伝えていくっていうのがすごく上手で、
だからドタバタになりそうなあらすじなのに、
全くドタバタになってない。
面白いところもあるんですよ。
ちょっと転び方が面白かったりとか、
ドン臭いような要素が入ってて面白いところもあるんですけど、
一人一人の痛みとかシチュエーションとか状況の中で感じていることが、
すごい繊細に描かれている作品なので、
私もすごい感動したんですよね。
なるほどな。
そういうテーマ的に社会的なものが多いけれども、
それにさらにクロースアップしている。
感じですね。
その人の動作とか表情とかっていう、
どんどんそれを具体的に撮ってそうな感じの印象ですよね。
そうですね。
多分最近ってマイノリティがトピックとして、
映画のトピックとして選ばれることが多いので、
やっぱりそういう方が映画祭に有利だったり、
やっぱり今の社会を切り取っているって評価されやすいからだと思ってて、
でもそのトピック自体をメインにしちゃうと、
今だから受けるものになってしまうと思うんですけど、
この監督が描いているのは、
もちろんそういうロシア系だったり、
インビインっていうことだったり、
ちょっとしかロシア語が話せないアノーラだったり、
階級の格差、ストリップダンサーとすごいお金持ちっていう格差だったりとか、
っていうのも入ってるんですけど、
それを全面に出してない。
それよりもすごい清さんが言ったみたいにクロースアップしてるっていうことが、
すごく上手に描かれてるから、
別に自分がロシア系だとかインビインだとか、
格差を気にしなくてもすごい感情移入できる作品だなって思ってて、
とってもいいのが、
この映画に出てくるユーリさんっていう、
ロシア系の俳優さんがいるんですけど、
ユーリ・ボリソフさん、
この映画を見た人絶対この俳優さんに惚れてるんですよ。
ほとんど。皆さんもぜひ見て欲しいんですけど、
セリフが少ないんですね。
アノーラの役どころとしては、
ロシア系に雇われてる一番下っ端の、
つき人っていうか見張り番みたいな感じで、
彼は一応ロシア系の家族に雇われてるから、
こっちの家族として、
彼女を引き離すように動くんですけど、
でも最終的には彼女を守ってくれる存在になっていくっていう役どころで、
すごくこの作品の中で、
彼が見せる、
彼も一応お金持ちに雇われてるけど、
自分自身はあまりお給料がなくて、
乗ってる車もおばあちゃんのもので、
最後にラストシーンで女の子に、
この車、おばあちゃんのなんだよねって言ったら、
ダサって言われる。この車ダサいよって言われて、
おばあちゃんなのだよねってシーンとしちゃうところとか、
そういうのが描かれてて。
なるほどね。やっぱりそういう具体的な、
だけどドキュメンタリーではないんですよね。
ドキュメンタリーではなくて、完全に。
それがまたいいんでしょうね。
やっぱりドキュメンタリーって、
社会問題とかそういうことに対して、
ある程度ストレートに、
現実を作っていく、映していくっていう。
現実を知ってもらいたいからみたいな人が。
作品ってなると逆に、
そういう世界をものすごく感じさせながらも、
見られるものにしていくっていう、
ある意味いい作為が入るし、
それが監督の作品のスタイルになっていくんだと思うんですけど、
エタテメント、映画っていう領域の中で、
そういうことをやるっていうのがまた、
やり方として、すごく作品として完成度というか、
高くていいものになっているということなんでしょうね。
役割的には見えないですね。
この人が階級社会のここを引っ張っててとかじゃなくて、
一人一人のキャラクターを愛せる作品になっているから、
すごくいいなって感じですし、
このユーリさんがキャスティングされるきっかけになった、
コンパートメントナンバーシックスっていう映画もあって、
それがすごい五道を待ちながら似てるんですけど、
コンパートメントナンバーシックス。客室ですか?
客室ですね。ロシアの雪道を、
シベリア鉄道。
シベリア鉄道、泊まりながら進んでいく列車って何て言うの?
寝台列車とか。夜行列車。
何泊かして何日もかけて、こういうロシアの雪道を進んでいく列車。
同じ部屋になってしまった、2人の男女の物語なんですけど。
2021年の映画ですね。ロマンス・スリラーって書いてありますけど。
そうですね。スリラーっぽくそんなにないんですけど、
これこそ、これはヨーロッパの映画なんですけど、
それこそこっちの方が、これもずっと定白して、
ちょっと野生っぽい、荒っぽい男の人に話しかけられちゃう女の人。
面白そうですね。
最初は嫌だなって思ってた2人が、ずっと話したり、
寝台列車で同じ時間を過ごすにあたって、
最後ちょっと気持ちが通じ合ったりするんですけど、
別れ方とかすごいあっさりなんですよ。
それぞれの人生を歩んでいくシーンみたいな。
そうですね。そういうのも逆にリアリティが。
これフィンランドの監督なんですかね。
フィンランドの方って。
今年フィンランド行こうと思ったけど行けなかったんで、
これ来年行く前に見ようかな。
ぜひ見てください。これめちゃくちゃおすすめです。
特に五道町ながらみたいなのが好きな方はすごくおすすめで。
モスクワに留学中のフィンランド人学生、ラウラっていう人が主人公なんですね。
フィンランドとロシアって横同士ですもんね。
国境がずっと何百キロも続いてて、
そこのフィンランド側の横でトレーニングレースがあるんですけど、
ラップランドっていう北の方の。
そこに行こうと思ってたんですけど、ちょっと行けずに今年あれだったので、
来年行くときにこれ見ようかな。
これ見たらロシアの雪道の風景とか、最終的にペテログリフでしたっけ?
古代の文字を女の子が見たい。
男の子は自分でビジネス立ち上げたいから稼ぎたい。
これしかお互い持ってなくて、ただ過ごすっていう感じで。
たわだよこさんの容疑者の夜行列車の話、
ポッドキャストいつだったか忘れたけどしたんですけど、
3個前ぐらいかな。
その時もロシアで鉄道に乗って行く話が後半に確か出てきたんですよね。
それもシブリア鉄道だと思うんですけど、
ずっとロシアを行くときにちょうど似たような風景かもしれないですね。
冬の原野が出てくるんですけどね。
暗くて、ずっと暗い。
明るい家一枚もないぐらい、ずっと暗い、狭い。
なるほど、これもちょっと見てみよう。
ロシアの話がいろいろ今出てきましたけど、
今、戦争とか政治とかいろんなことを含めてロシアはっていうことはすごく多いと思いますけど、
一方でこういう映画とか小説とかに限らず、
すごく考えさせられるもの、いいもの、
何かのインスピレーションになっているものっていうのは昔からずっとありますよね、ロシアのものっていう。
ドストエフスキーとかもね、もちろんそうだし。
ワーニャーおじさんとかも結局とかでもそうですけど。
チェイフホフですね。
すごい上手だなって思うのが、やっぱりロシアって大きい単位で捉えてしまうと遠いものだし、わからないしってなるんですけど、
ワーニャーおじさんとかも、一人の中年男性が抱える葛藤みたいな、すごく個人の単位まで落としてくれるから、
愛せるし、近いと感じられるしっていう感じで。
このコンパートメント、ナンバーシックスとかアノーラも、
すごく小さい単位で、隣にいるような一人の人間として描いてくれるっていうのが。
そうですね。すごく具体的なところで語られる物語っていうので、やっぱり入り込んでいきやすいんですかね。
具体的であり本質的だから、みんな共通して感じられるのかなって思いますね。
ねえ、葛藤を待ちながらも。具体的すぎてよくわかんないですけど。
そんな長くは長い話でもないですもんね、葛藤も。
結構読めました。まだまだかなって思って、途中一回あれだったらどれくらいあるんだろうって思うんですけど。
割とバッと読めますもんね。
読めますね。
ちょっと別の観点ですけど、チェイホフの話も今出ましたけど、やっぱり短編小説の名手ってチェイホフ呼ばれてて、
トモシビって昔学生時代に読んだんですけど、学生の話なんですね。学生が人生で悩む話なんですけど。
大体悩んでますからね、チェイホフの話は。
学生時代にチェイホフのトモシビ読むといいと思うんですけど、それも短編だし、あと何だっけな、カモメの話とかあったかな。
カモメがありますね、カモメっていう。
そうですね、カモメのやつとかも。
舞台女優の。
本当にすごくいい話だし、なんか短編とか映画とかもやっぱり1時間2時間で見れるものだし、後藤も2時間あればもしかしたら読めちゃうかもしれないし。
そんな中で揺さぶられるというかね、ものってなかなかいいなと思うし、すごいなと思いますね。
ルシアは昔からそういうふうに人の心理とか心情を描くっていうことが結構得意とか受け入れられるんですかね。
かもしれないですね。
そういうのを大事にしている国なのかもしれないですね。
かもしれないですね。
なので、やっぱりそういう語られることということの力というか、そういうものも含めていいですね。
さっきの映画に関連するんですけど、
良くも悪くも今すごく言葉を選んで話すんですけど、例えば去年の三島のトークセッションの最初でもちょっと話したんですけど、
例えば愛が大事とか、さっき言ってた多様性が大事とか、すごく大切なことなんですよね。
だけど、それ自体って本当は別に言わなくてもいい当たり前のこととしてみんなが持たなきゃいけないものを言わなきゃいけない悲しさというのはあるんですけど、
逆にそれを言っていればいいというわけでもないので、そうするとやっぱり、
例えばその人にとっての愛っていうのは、お金が欲しいかもしれないし、食べ物が欲しいかもしれないし、
誰かと一緒にいるだけでいいかもしれないしって、やっぱり全部違うし細やかなんですよね。
だからそうするとやっぱり語ったり言ったりした方がいいことって、
愛は大事っていうことをイデオロギーとして言うんじゃなくて、
例えばお味噌汁美味しかったよねって、お味噌汁が好きな人と一緒にお味噌汁の話をずっとすることの方が多分その人にとっては、
心に響くことだったりもすると思うので、やっぱりそういう映画とか小説とか含めて、
どういうふうに何を語っていくのかっていうのはすごく大切だなっていうのを改めて思いましたね。
そうですね、どういうふうにが抜け落ちてしまうと、多分すごい大雑把な括りで愛が大事になってちゃうと。
言葉とか理想とか観念だけが先行してしまう状況になると、
やっぱりそれだけが繊維化していっちゃうし、そのために何をやってもいいみたいな話になっていっちゃうと、
やっぱりだんだんおかしくなっていくので、
あえてそれを語らずに別の言い方で語るという天の弱なことをやり続けるっていうのが本当は今はいいんだろうなと思いますけどね。
そんな感じでのことをいろいろ考えたりしております。
それはじゃあ結構長い間心にあるテーマですね。去年から語ってるってなると。
そうですね、やっぱりすごく大切なことだから言わなきゃいけない時もあるので、
もちろんそういうことを表明しなければいけないということは確かなことだと思うんですけど、
それによって抜け落ちてしまう細やかなことっていうのがわかんなくなっちゃうようになると、
よくないなと思うので、何も言わないみたいな。
しばらくじっと観察して何も言わないっていうのがある意味、必要な時もあるだろうなと思いますけどね。
だから何かを言わなきゃいけないことっていうのがすごく求められる時代でもあると思いますし。
そうですね、言語化っていうのがすごいテーマになってますからね。
だけどそこからすら逸脱していく中で何を待つのかという、
何を本当に差し出せるのかというのを具体的に沈黙してやり続けるということの方も、
世界にはもうちょっとあった方がいいだろうというふうに思いますけどね。
バランスを取りに行きましょうか。
取りに行きましょうか。