過去の白黒思考と数学への安心感
はい、みなさんこんにちは、もこです。 えー、お元気ですか?
良いお盆を過ごされましたでしょうか? 私は通称ウンテンです。
ということで、今日は 自分のことなんですけど、ちょっと淡々と
お話ししてみようと思います。 以前の私は
世界を黒か白かでしか見られない人だったのかもしれない。 黒い服を着るのが好きだったのも、きっとその延長だったかもしれない。
黒なら黒、白なら白。 なんとなく、
物事もそんな風に はっきりしている方が安心できた。
なぜなら、わからないっていうことが不安になったから。
そういえば、私は国語より数学が好きだった。
数学って、答えがわりと明確にわかるから。
これをこうして、こう計算すれば答えが出る。 これが正解。
そういう世界が、私は心地よかったのかもしれない。
国語での作文や、美術での作品で、点数化されるのがあまり好きではなかったかもしれない。
私は自分の気持ちや考えていることを、言葉にするのがあまり得意じゃなかったから。
そんな問いには、すぐに答えが出てこない。
数学なら、答えはちゃんとそこにある。
自分の気持ちを説明しなくても、正解にたどり着ける。
だから、答えがある世界に、安心していたのかもしれない。
今でも、何か思うことがあると、言葉が出てこなくなることがある。
無視ではない。
でも、いないわけじゃない。
むしろ、自分の中では、いろんなことを感じて考えていて、
それを言葉にして、一つの形にするまでに、少し時間が必要なのかもしれない。
自分の考えを整理するのに、4時間かかった。
ちょっと長かったけど、ちょっと早まった。
前だったら、イコール、わからない、って片付けてしまったかもしれない。
でも今は、答えがすぐに出ないことも、悪いことじゃないと思える。
記憶とフィルターを通した世界の見え方
私たちが今を見ているときって、本当に今だけを見ているんだろうか。
人の記憶って、過去の出来事をそのまま保存しているものではなくて、
思い出すたびに、少しずつ形を変えながら、残っていくものなんだそうですよね。
そして、過去の経験や記憶から、
これは怖い、これは嫌だ、こういうものだ、って、
自分なりの判断の癖ができていく。
つまり私たちは、目の前の出来事だけじゃなく、
過去の経験から作られたフィルターを通して、今の世界を見ているのかもしれない。
だから、同じことが起きても、人によって感じ方が違う。
世界が変われば、自分の見え方も変わる。
でも、もしかしたら逆もある。
自分の見方が変われば、同じ世界でも見えるものが変わる。
そう考えると、嫌い、正しい、間違っているって、
すぐに白か黒かを決めなくてもいい気がしてくる。
グレーのままでいることの受容
ふーん、そうなんだ。
ふーん、そうなんだって。
一旦、グレーのところに置いておく。
戦法。
昔は黒い服を着るのが好きだった。
今でも黒は嫌いじゃない。
もちろん、白も好き。
でも、もしかしたら今は、黒だけじゃなくって、白だけじゃなくって、
その間にある色も楽しめるようになったのかもしれない。
人のことも、出来事も、自分自身のことも、
白か黒かじゃなくって、
今日はグレーでいいかって、
今日はグレーでいいかって、
大事なことは2回言う。
そんな風に思えるようになったのは、
過去の経験があったからなのかもしれない。
そして、過去の記憶から作られた自分の見方に気づくと、
同じ世界でも、今まで見えていなかったものが少しずつ見えてくる。
世界を変えなくても、自分の見方が変われば、見える世界は変わっていく。
世界を変えなくても、自分の見方が変われば、見える世界は変わっていく。
よっ!ねっ!
もこさんって気づいたのは、いつだったっけかな?
だから今日は、白でも黒でもなく、グレーのままで。
それでは、素敵な一日を。
もこでした。
まるっ!