これからも応援しております。 とお便りいただきました。
mofumofuさん、 ありがとうございます。
誰かに話を聞いて欲しかっただけなのかもしれないですっていうね。 それでいいんですよ、ほんと。
今回、こうやって、
お悩みを送ってきてくださって、 ありがとうございます。
本当に、昔の自分を見ているようで、 私もmofumofuさんと同じように、
苦しくて、 生きづらかったなぁっていうのを、
思い出しました。
なんていうかね、本当に友達と、 こういうことがあって悩んでますとか、
大学で、 これがうまくいってなくて悩んでますとか、
彼氏とこういうことでうまくいってないですとか、 そういうんじゃないんですよね。
何っていう、 悩み、問題があるわけじゃないんですけど、
ずっと苦しくて、 それを誰かに、
分かってほしいけど、 でも何っていう悩み、何っていう問題があるわけじゃないから、
誰に何を辛いって言ったらいいか、 分からなかったんですよね。
そうやって、自分の中で思い悩んで、 抱え込んでいるうちに、私はこじらせてしまって、
誰かに分かってほしい、 この苦しさは分かってほしいけど、
誰かに話そうとしたら、言葉にしたら、 自分の苦しさの10%も伝わらない気がして、
自分がこんなに苦しいのに、 その苦しみを10%で受け止められてしまったらと思うと、
なんかもう誰にも話せなくなってしまって、 なんかすごく苦しかったなぁと思うんですけど、
もふもふさんは、 自分で人を遠ざけてしまうくせに、
そばにいてくれる誰かのぬくもりが欲しいって、 お便りに書いてあって、
本当にね、私もすごく誰かに気づいて、 助けてほしいって思ってたんだけど、
でも誰に対しても、 社交事例で通しちゃうというか、
理解者を求めているのに、誰にも心を開けない、 っていう矛盾、葛藤があったなぁって思います。
同じレベルで苦しんでいる人を求めてたというか、 自分の苦しみの深さのところを全部受け止めて欲しかったんですよね。
でも今私がそこから違うのは、 その自分の苦しみを全部わかってほしい、
みたいなのはなくなって、 直々、
自分の辛さとか、弱さとか、 そういうのをいろんなところに出して捨てていくようになりました。
でもふんもふさんと同じ年、同い年ぐらいの時は、 私も完璧主義で、理想が高くて、
自分の思う完璧な自分でいようとしてたんですね。 自分の思う完璧な自分をやっている時と、
それをやるのしんどいなって思っている自分がいて、
表と裏みたいな、 スイッチのオンオフがあって、
その完璧を演じるために、 裏側にポイって捨てたような、
ゴミ、無理に動かしたから壊れてしまった、 なんかの部品とかそういう裏の部分、
表はなんとか綺麗に作ろうっても、 裏はもうぐっちゃんぐっちゃんな感じで、
その裏はあまりにもひどいから、誰にも見せられない。 だけどこの裏を知ってくれる人がいなかったら、
誰も自分のことを知らない、理解してくれない。 一人ぐらいは、
自分のことを知ってくれている人が欲しい、 みたいな気持ちがあったんですけど、
なんか今はあんまり、表も裏もない感じで、 あるにはあるんですけどね。
そんなに自分がそうやって、表裏って分裂していないっていうのかな。
思ってた裏で全然違う、全然違うことを思っている、 みたいなのなくなったから、
誰かにこの裏の自分まで理解してほしいって思うことがなくなって、 ちょっと生きやすくなったのかなって思います。
私はなんていうか、
今も昔も、 ずっともふもふさんと同じ、
完璧でいたいタイプの人間で、理想が大きくて、 でも完璧主義な割にいろいろ足りなくて、
自分で行き詰まっている感じがあって、 完璧とは程遠いんですけど、
でも自分のその完璧主義っていうのは、
そう簡単に変わらないじゃないですか。 できないからといって、やめれるものでもなくて、
でも変われたのは、
私のその理想だと思うもの、 完璧だと思うものが変わったからだと思うんですよね。
自分が素敵だと思う人、 いいな、こうなりたいなって思う人に変化があったんですよ。
昔は明るくて、元気で、勉強ができて、運動できて、センス良くって、誰にでも優しくって、
誰からも好かれて、いつも笑顔で、弱音なんて吐かなくて、みたいな、 そういう何でもできる人、何でも持ってる人に憧れてたんですよね。
全方位完璧、みたいな。
でも、今私がなりたいなって思う人は、
こう、なんかいいなというか、なんかあの人いいよねって思う人。
誰から見ても、あの人素敵っていう感じじゃなくても、
あの人ってなんかいいですよね、みたいな。
そういう人間臭さを持っている人が素敵だなぁと思うようになってきて、
その欠点とか弱いとこがあっても、共感できたり、
欠点とか完璧じゃないとこがあっても、いいんだって思えるようになってきて、
自分のなりたい姿が変わって、私も変わってきた気がします。
社会に出てから変わりましたね。
結局、完璧って無理なんだと思って。
そういう優しくて、気遣いができる人ほど潰れていくのを見てきて、
そう、優しくていい人で素敵な人ほど、会社を辞めていってしまったりして、
完璧を続けるってすごく難しいんだなぁって思って、
もう今、私が目指すのはSDGsです。
持続可能な自分。
そう、学校とかだと、
1年とか、3年とか、
ギリ続けられるスパンが設定されてるじゃないですか。
1年でクラス替えして、
高校とかも、3年頑張ったら卒業できて、みたいな。
そういうのでね、
なんか、嫌なこととかあっても、なんとか私は人生のエスカレーターを登っていけてたんですけど、
社会人になったら、その1年でクラス替えみたいに、ガラッと働く人変わりますよとかもないし、
3年経ったら、別のなんかね、小中高みたいに、明確にステップアップしていけますよとか、
そういう、明確な区切りってなくって、
ずーっと続いていくんですよね。
途中で異動があったりとか、転職することもできるんですけど、
なんていうか、私の中では、社会人の生活って、ずーっと続いていくんだなーっていう感じがして。
そうなった時に、持続可能な自分でいないと、続かないなーって思ったんですよ。
完璧な自分でいようとしても、続かなくって、
自分が疲れない、続けられる方法を模索しないとなーと思って、
それで、表の自分、裏の自分みたいなのを、だんだんなくしていけるようになった気がします。
ガチガチに取り繕うことをやめて、自分が大変な時には、誰かにちょっと助けを求めるとか、
心配事を自分の中でため込まずに、
心配を感じた時に素直に、それを言葉にして出すとか、本音を裏に隠さなくなりましたね。できるだけ。
その完璧主義、理想主義は簡単に変わらないけど、
その作り込む系の自分はやめて、
なんか人間らしくて、いいなーっていう、自分が続けられそうな素敵な人を目指して、
いくようになったっていう感じ。それでちょっと、今人生が楽になってきたかなっていうところです。
だから、何でしょうね、アドバイスというか、結局私の話ばっかりになって申し訳ないんですけど、
生きるのが疲れるほど、完璧に頑張らなくてもいいのかなって思います。