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🌋ロボ、マジョリティ論
2026-07-19 27:30

🌋ロボ、マジョリティ論

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サマリー

このエピソードでは、自閉症スペクトラム(ASD)などの特性を持つ人々を指す「ロボ」という言葉を使い、彼らが本当にマイノリティなのかという問いについて考察しています。がん細胞が健康な人にも存在するように、病気や特性の境界線は曖昧であり、グラデーションとして捉えるべきだと主張します。イラストのグラデーションに例え、完全に定型発達(100%)でない限り、誰しも何らかの特性をわずかに持っている可能性を指摘します。さらに、小学校で足が速い子がヒーロー視されるように、社会が特定の能力を過度に重視する傾向があり、それが特性を持つ人々にとって生きづらさを生んでいると分析します。肉体的な特性と異なり、精神的な特性は努力不足と見なされがちですが、これも個々の特性に応じた努力が必要であり、社会は多様な特性を理解し、それぞれの能力を発揮できる環境を整えるべきだと提言しています。最終的に、特性はグラデーションであり、多くの人が何らかの特性を持っているとすれば、「ロボ」こそがマジョリティなのではないかという結論に至ります。

連休の終わりと映画の予定
連休の中身が終わりまして、残すところあと1日ですね。
明日は映画を観に行こうと思ってます。
前にね、もともと買っていたチケットというか、
うーんと、今なんて言いますかね、あれ。
えっと、ルビーチ系じゃなくて、
まあ、何にでも使える割引券みたいなやつね。
保険会社の会員サイトとかで、
ちょっとだけ値引きされた券を購入できたりしますけど、
うちは大体、車の保険屋の会員クラブのところでチケットを安く、
今コードでね、24時間前に発注かければ、
24時間後に使えるコードっていうのが取れるので、
それの大人券がどうしてもちょっと余ってたんで、
使わないといけないなっていうのもあって、
まあでも、夏休みはね、観たい映画もいっぱいあるんで、
とりあえずトイストーリーを明日観に行こうと思ってます。
「ロボ」はマイノリティか?グラデーション理論
さて、最近ずっと考えてることがあって、
それをね、喋ってみたいです。
うまく言語化できるかちょっとわからないんですけれども、
話はですね、ロボの話ですね。
いわゆる自閉症スペクトラムっていうことで、
AD、HD、ASDとか言ったりしますけど、
我々はそれを装置でロボという言葉で表現しておりますからね、
我々チャージグループは。
一応マイノリティということで、
という立場でよく我々は言ってるんですけど、
最近思うのは、これは本当にマイノリティなのかっていうことを思っています。
それをうまく言語化できるかということでやっていきたいと思います。
気になる方はお付き合いいただければと思います。
もちろん、それはもう専門家のリブラ先生とかいますから、
それはおかしい、間違ってるよっていうのはあるかもしれないですけど、
できるだけ今考えていることをね、
喋ってみて、また何か答えというか、
まとまればいいかなみたいな感じで思って喋り始めております。
例えばですね、
やっぱ病気っていうのがよくよく考えたら、
境界線は本来ないよねっていう話あるじゃないですか。
例えば、がん細胞。
がん細胞っていうのは健康な人でも持ってるわけですよ。
毎日数千個がん細胞っていうのは発生するんだけども、
免疫システムがそれを駆逐して回っているということで、
がん細胞が増えることもなく、
健康体として一応暮らしているんだけれども、
がん細胞自体はあるわけですよね。
で、どこかでこの免疫とのバランスっていうのが狂って、
がん細胞がどんどん増え続けると、
ある一定のラインで、
そこら辺は僕もよくは分からないですけど、
例えば素人考えて言うと、
肺に影が映るとか、
影が映るというぐらいがん細胞が大きくなったら、
これは肺がんが進行してますね、
言われるのかな、なんて思ってますけど、
その時に、あなたがんですよという風に診断されますが、
元々がん細胞はゼロではないわけですよね。
ある一定の量、色位置みたいなところを超えた時に、
それを発見した時に、
あなた病気ですよって言われるんですけど、
だからがん細胞があれば、
病気なんじゃないかというね、
いい考え方もできるかもしれないんですけど、
でも基本的にはあれはあると。
これもグラデーションの量の問題みたいなことじゃないですか、
病気と言われたりするためにはね、
とかなわけですよ。
グラデーションっていうのが我々の界隈で、
よくキーワードとして出てきますけどね。
いわゆる老房特性、自閉症特性っていうのもグラデーションであると。
ここでね、グラデーションっていうのを考えた時に、
我々イラストレーターとして、
デジタルでグラデーションのカラーを載せる時に、
グラデーションバーっていうのがあるんですけど、
0から100までの数値があって、
グラデーションをパンって引いた時に、
例えば白と黒のグラデーションだとしましょう。
0の位置に真っ黒があります。
00000ってやつですね。
で、一番100のところに真っ白があります。
FFFFFFってやつですね。
で、この間にグラデーションがかかってくるんだけれども、
100の数値から99の数値に移った時点で、
すでに黒の成分は1%混ざってるわけですよね。
で、そっから99から0に向かって、
徐々に徐々に黒成分が増えていって、
0という数値のところで全部が黒になる。
グラデーションってそういうものじゃないですか。
これをね、じゃあ0のところに自閉症、
これも判断難しいですけど、非常に重いものと考えましょうか。
重い自閉症があって、
100のところにいわゆる定型発達っていうのがいたとして、
いたとして、じゃあ99は、
自閉症のスペクトラムのグラデーションの要素を
1%持ってるわけですよね。
で、70ポイントのところには30%違った。
70ポイントのところには70%違うわ。
え、わかんない。
ちょっとむずいな。
言いたいことはわかりますけどね。
要は、完全に100じゃない限り、
自閉症特性0ではないわけですよ。
100だけなんですよ。特性0っていうのは。
で、グラデーションでそういうものだと考えるとですね、
むしろ自閉症特性を持ってる人の方が99%だと。
あとはその個差が違うよって話ですよね。
だとすれば、むしろマイノリティじゃないですか。
みたいなことを思ったわけですよ。
っていうのがまず一つですね。
社会における特性の評価と生きづらさ
もう一つ思っているのが、今の世の中が、
そういう特性持ちが生きづらい世の中っていうのは、
結局は小学校の時にみんなが思う憧れるここ、憧れるいいところみたいなのが
社会もそのまんま来てるんじゃないかなっていう感触。
はっきり言うと、小学校の時って足が速いという特性を持っている子がヒーローじゃないですか。
で、誰しもが憧れるわけですよ。
足が速いっていう特性があれば、
それだけで男の子からは尊敬され、女の子からはモテるというね。
これが、この感覚がそのまんま、
社会のこっちが善であり、こっちが足りてないよっていう、
そういう価値感覚がそのまんま世の中にはいってるんじゃないかっていうね。
そういうふうにちょっと考えてみたわけですよ。
で、足が速いっていうのは言えば特性ですよね。
で、絵が上手いっていうのもいるでしょうよ。
そして、例えば水泳が得意とかね、鉄棒が得意とかね、
足は速くないけども、鉄棒とかみたいな、
あれはダンスとかマット運動みたいなバランス系が得意とかさ、
あるわけじゃないですか。
で、そういうね、フィジカル的なものっていうのは非常に目に見えるのでわかりやすくて、
で、一番足が速い人がいて、
みんなから認められる存在になるには一番足が速い人になる。
あるいは、一般的にトップ5人ぐらい、
全校生との中のリレーのアンカーになるような人たちっていうのは、
いい存在みたいな、人としていいみたいな立ち位置になるわけじゃないですか。
小学生の感覚ですよ。
で、それに対して努力をしてそこになれればいいなみたいな。
でも、そういう足が速いとかいう話って、
努力をみんなが同じようにしたとて、
そこに到達できる人と到達できない人がいるってはっきり、
それって結構はっきりわかるじゃないですか。
で、上位5人に入れない人に対して努力が足りないって思わないじゃないですか。
というような感じで、
肉体的に目に見えて数値化しやすいとかいう特性っていうのは、
みんなが納得ができないとしても納得がいくんですけども、
こと、性格というか精神面における特性においては、
やっぱり努力が足りないっていうのが、
どうしても誰しも見えない部分だからこそ、
いや、俺は努力してできるようになったよと。
だからあなたも努力すればできるようになるでしょ。
挨拶できるようになるなんて、挨拶すればいいんだからできるようになるでしょとかですよ。
遅刻しないようにするなんて、
それは僕も苦しいよって遅刻しないためには結構努力してますよ。
でも努力してできるようになったんだから、
そんなもん、あなたができないってことは努力足りないってだけでしょみたいな、
そういう風にやっぱり捉えがちなんだけど、
この遅刻してしまうっていう特性もグラデーションなので、
30%遅刻しやすい人と70%遅刻しやすい人がいて、
その人が遅刻しないようにするための努力っていうのは、
30%の人と70%の人じゃ違うわけですよ。
同じレベルに達するためにはね。
でも走るとかそういうことに比べて、
そこを努力しなさいよみたいなっていうのは非常に見えにくいし、
どうやっても測りようがないっちゃ測りようがないんですよね。
でも測りようがないんだけども、
今この時代に至って精神医療みたいなので、
いろんな研究が進む中において、
どうしても忘れ物をしがちとか遅刻しがちとか、
そういうのも言えば精神的な特性、
肉体的な特性は足が速いとか持久力があるとか、
バランス感覚がいいとか音感がいいとかあるけれども、
精神的な特性も精神的なエテフエテも同じように、
人によってある程度どうしても固定されたものがあるんだと、
いうのが今分かってきた段階において。
だから努力も人それぞれ、
もともとちょっと足が速い人が上位5人に入るためにする努力と、
もともと鈍じりの人が上位5人に入るための努力って、
全然違って、何ならそれも努力じゃどうしようもないよねっていう壁が、
みんなが理解できたりするのに、
精神的なそういう特性によってこれができないということに関しては、
やっぱり永遠と努力を求められる、
あるいは努力不足だという評価をされがちっていうところが、
なんかやっぱ辛いなっていうか、
まだ社会が精神的な特性というものがあるんだっていうのがやっと分かってきて、
それがそういう肉体的な特性と同じように扱うべきものだっていうのが、
全く社会になかなか浸透しないんだなって。
でも僕はやっぱりするべきなんだろうなって、
一緒じゃないかと思うわけですよね。
ウサインボルトって短距離100メートル何秒ですか、
ちょっと知らないですけど、
いるじゃないですか。
ウサインボルトは足速いねって言って、
短距離の選手になって世界記録になったっていうのは事実だとしてですよ。
もしかしたら長距離の選手にさせられてたかもしれないんですよ。
そうすると、君あんなに速いんだから、
42キロ、長距離って42キロ、マラソンか。
長距離だったら400メートルとかですか。
400メートルとかだったら100メートル速い人が速いのかな。
じゃあマラソンで少々分かりやすい。
42キロ走る選手になった時に、
1位になれないんじゃないかなと思うんですよ。
ウサインボルトは。
それは同じ走るという競技であって、
足が速いっていう人よりも優れた特性があるんだけども、
あくまで短距離に向いた特性だからこそ世界チャンピオン。
結構記録、今でも抜かれてないのかな。
わかんないですけど、すごいですよね。
すごいはずですよね。
たまたまもしかしたら長距離の選手になっていたかもしれない。
そうすると世界一になったのかというと、
多分微妙に特性が違うから、ずれてるから、
ならないと思うんですよね。
でもそうなった時に、
本人に課せられる努力っていうのは、
何なら多分絶対に到達しない世界一に対して、
すごい殻を壊すような過劣な努力を求められたり、
プレッシャーとかで与えられて、
どっかでか潰れてしまって、
そういうこともあったかもしれない。
何が言いたいかわからなくなってきたな。
肉体的な特性で想像すると、
非常に努力が合ってるか合ってないかっていうので、
無理の壁とか、
あるいはやっぱり方向が違うよね、
得意分野が違うよねっていうのが、
非常にわかりやすいのに、
こと精神的な特性については、
これがどうしてもやっぱりわからない。
わからないけども、そういうものがあるんだという過程、
過程というか、あるんだという想定をすれば、
想像する範囲で、
やっぱりこの人には大変なんだろうな、これっていう。
じゃあこの人にはこの人に合わせた環境というか、
協議を与えてやらないといけないなっていう風になってしかるべきだなって、
改めて思って。
現に、ガーファムとかの企業では、
特性持ちの人だけを集めたチームとかを編成して、
研究とかに特化させてやらせたりとか、
その特性に合わせた部署に配属して、
存分にその偏った特性を発揮してもらうようなことを、
実際、今やってるらしくて。
こういう考え方とか、
そもそも特性はグラデーションなんですよ、
ロボはグラデーションなんですよっていう感覚が、
このガーファムとかの企業のように、
もっともっと世界中全人類に共有されるときに、
やっと人類は次の進化というか、
次の成長段階に行くんだろうなって思ったりしました。
ちょっとここで一回止めてみます。
特性を持つ人々がマジョリティである可能性
さて、本題というか、
最初に言いたかった結論の話に戻すと、
そういう意味で考えたときに、
やっぱり見えないし測れないし、
ロボ特性、ゼロの数値のところがロボ特性ものすごく重い。
100の数値のときに、いわゆる定期発達って見たときに、
その間のどこかにか必ず人間は収まっているというのが常識として
とらわれたときに、
50%のあたりというのが、
たぶん我々の感じというのは、
ひょっとして50%くらいのところにいるんじゃないかなという気がするんですよね。
我々を見てて、
ロボだな、極端だな、酔ってるな、抜けてるな、こだわり強えなって思っている人も、
そこからほんの20%しか変わらないというね。
ところから見ているだけということもあるだろうし、
むしろそういうもんじゃないかなグラデーションというのはって思うんですよね。
だから定期発達、これが正解ですというのは、
やっぱり100の数値でしかなくて、
その100の数値なんて本当に奇跡というか、
一般的に考えるとありえないラインなんだろうなって思う。
言葉は難しいなと思って、
発達障害という言い方がもともとそもそもなんですけど、
例えば僕がロボ特性50%だとして、
50%だったら、たぶん診断は受けないですよね。
まあ受けないでしょうね、診断は受けないでしょうね。
僕も診断は受けない。
今現にたぶんADHDとかの診断を受けても、
たぶん出ない、いわゆる認定される感じじゃないと思うんです。
でも間違いなく特性は持っていると思うんですよね。
僕のエピソードでよく言われているのが、
袋に当たりと書いてある当たりの合図の合図、
棒には何も書いてないけど袋に当たりと書いてあるので、
当たりだと思って棒を洗っていたというエピソードがありますけど、
そんな奴でも診断はされないんですよね。
要はがん細胞が指揮値を超えてないからなんですよね。
でもこんな奴間違いなく特性持っているじゃないですか。
みたいな。
そういう人、やっぱり多いと思う。
実際は多いと思うんですよね。
あの、潔癖症とかもそうだと思うし、
なんだろうな、と思うんですよね。
なんならアレとかもどうですか?
あの、絶対音感とかどうですか?
絶対音感とかも、
それがもし病気だよみたいなことになって、
数値的には診断を与えるとしたら、
たぶん絶対音感病みたいなことできると思うんですよね。
とかさ。
だから絶対音感を持っているは足が速い部類だから、
ああいいな、すごいな、ああなりたいな、みたいな。
風な評価に今の社会でなっていると。
でも、数字にとらわれすぎて、
数字がめちゃくちゃ得意だけども、
おかげで文章が、言語がよくわからないみたいな人は、
日常生活が大変だと思うんで、
そうなると診断をいろいろした時に、
あなた病気ですねって言われてしまったりとか、
いうことが起きているんですよね、きっとね。
サバン昇降群みたいなのがあるじゃないですか。
一回見た風景を細部まで完璧に焼き付けられるノリに
焼き付けられて、絵に再現できるみたいなね。
音楽でもありますよね。
一回聴いただけで、すぐピアノで再現できるとかね。
でも、そこまで特筆した能力を持っている人は、
他のところで絶対的に抜けているところがあって、
ダメなところがあって、
ダメなところっていうのは今の社会規範からすると。
要は、速い人がヒーローというこの社会において、
一瞬見ただけで緻密な細部まで絵が描けるという能力があっても、
足が遅かったり、言葉がうまくしゃべれなかったり、
字がうまく書けなかったりするから、
社会意識不適合者だっていう楽評をされているみたいなね。
それをね、いわゆるデコボコって言い方をしますけど、
デコボコはみんな持ってるでしょと。
最初に言ったグラデーションの説明で言えば、
デコボコの具合のボラテリティが高い。
落差が大きいか、滑らかにより近いかっていうだけであって、
完全な滑らか、いわゆる数値100の人はいないんであって。
多少なりともみんなデコボコしてるでしょ、特性はね。
それを健康体みたいなね。
眼細を持ってるでしょ、でも健康体みたいなね。
デコボコありますよ、でも健康体みたいなね。
そこまでデコボコが大きいともう不健康だ、みたいな。
そういう境界線の引き方で今の社会が成り立ってて、
なんかなーって思います。
足が速い人がヒーローであり、
まともな人だという価値観が、
やっぱり今、社会にはずっと根強く残ってて。
特に日本ってそれ強い気がするんですよね。
やっぱり多様性を認めにくい。
単一民族だからっていうのが非常に大きいと思うんですけどね。
おかげで、民族さによる差別心っていうのもあんまりないっちゃないんだけども、
差別心がない代わりにみんなが同一じゃなきゃおかしいよねっていうのが非常に強いのが日本人だなって思うんで。
だからこそ、こんだけね、世界で、もうどちらかというとまだまだ裕福な国ですよ。
だけども、自殺率が群を抜いて高い。
そんなに生きづらいと感じる人が多いっていうのは、
みんなが定型発達なのが当たり前みたいな常識が他の外国より強いのかなって思ったりしますね。
だから、いろんなところ抜けてもここが突出してればそこで認めてあげれるよねっていうのが、
海外の欧米とかの方が感覚としては強い気がしますね。
日本ではそれができてもこれができないんじゃダメでしょみたいなのが感覚として強いのかなっていう気がしちゃってます。
ということで、特性持ちがグラデーションだとしたら、実はひょっとしてほとんどが特性持ちだよねと。
言えばほとんどロボだよねと。むしろロボじゃない100の人なんていないでしょ。
逆にどっちがマジョリティなんですかねっていうね。どっちがマジョリティでどっちがマジョリティなんでしょうかと。
あれ、最初に言葉ちょっと間違った気がするな。まあいいや。
ということで、ロボこそマジョリティじゃないかのんっていうのを思ったよという話でした。
夜か深夜、誰も聞いてないというテンションの中で、しかも深夜というテンションの中でこんな話をつらつらとスタイルの流行に戻らず話してみました。
言いたいことを思いついたときに言いたいように言うでおなじみのミヤケンでした。またお会いしましょう。バイバイ。チェスト。
27:30

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