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スピーカー 1
みやけん🌋パッチマンガアートでお馴染みのです。
今日はですね、有名なやつ、
般若心経というものをちょっとお話ししてみようかと思います。
般若心経というお経、お経か、お経でいいですかね。ご存知ですかね。
スピーカー 2
般若心経とは物語!?、がんじざいぼうざぎょうじん、般若心経じ、しょうけんごううんかいくど、
スピーカー 1
これね、お釈迦様の教えを語っているんじゃないんですよ。
釈迦様が言っていたことでもないですし、ましてや死者の霊を弔うものでも、あの世に行くための言葉でもございませんでしてね。
これはですね、お話でございます。
何のお話かっていうのをちょっと今日はやってみようかなと思いまして、般若心経を題材にしました。
時は2500年前。
釈迦様にはね、弟子が何人もいましてね。
ご自分が悟りを開いてからというものを弟子たちがね、集まってきて教えてくださいって来るんですけど、
この前も言ったように体験体感するものなので、教えるというものでもないんですよね。
もちろんいろいろな角度から説明をしているんでしょうが、最終的には体験しなさいというものでございまして、
その一番の近道というか、メインの修行というのがね、やっぱり瞑想とかね、座禅。
当時で言えばやっぱり瞑想か。
というのをやっててね、瞑想会みたいなのをしてたんですよね。
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スピーカー 1
あの瞑想ってなんかね、僕もそんなにちゃんとしたのをやったことないからわかんないですけど、
どうやら大人数でやったほうがですね、感化されやすいらしいんですよね。
なんか知らないけど。
まあ、領事理学的に言えば波長が揃うみたいなことですかね。
波長が揃いやすいということでしょうか。
だからお釈迦様が瞑想をしていると同じ空間で一緒に瞑想をすることによって波長が揃いやすいということなのかもしれません。
で、お釈迦様はそういう瞑想会をよくやってて、ある日の瞑想会でですね、弟子の一人、漢字細胞察という人が、
これ後からついた名前ですけどね。
あの、波と、要はその悟りの境地に至るわけですね。
要は体感をするわけですよ。
で、お釈迦様がですね、すぐにそのことをやっぱり察知しまして、
お、漢字細胞君、今君悟っただろうと。
あ、はい、はい、これすか、みたいなね。
それだよっていうね、漢字の話があったかどうかわかりませんが。
で、そういうことが起きまして、
ああ、あわつまりの弟子諸君よ、と。
今ね、瞑想してたら、どうやら漢字細胞君は悟りを開いたらしいぞと。
おお、素晴らしいと。
えー、時に漢字細胞君は、君今体感したものをみんなに語れるかねと。
いうふうに言われまして、あ、わかりました。
じゃあ、ご静粛ながら話をさせていただきます。
という感じで話を始めた内容が、半夜心経でございます。
でね、シャリシーという弟子もいましてね。
シャリシーがね、いろいろ聞いたりもするんですよね。
その質問に答える漢字で、漢字にさえ答えてるっていうね。
っていうお話になっておりまして、
そのお話の中に空足絶式、色足絶空という言葉も出てまいります。
全てのものは空であり、空はまた全てのものであると。
我々は世の存在は全て一つのものであると。
全てがここにあり、また何もここにはないんだよと。
いうようなことをね、語っているというのが半夜心経の中身です。
だから意識もないし、感覚もないしとかね。
そういう話も出てくるし。
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スピーカー 1
それが体感として、実感として分かれば、
苦しみもないよねと、苦しみからも解放されるよねと。
これが本当の姿なんだよねと。
我々は自分があるというのが幻であって、
自分がないということは苦しみもないということを
体感の中で、こっちが本当かということに気づいたよという話を
漢字遺材がしているというのが半夜心経の中身で。
最後に面白いのが、
スピーカー 2
ギャテギャテハラギャテハラソギャテボジソアカーってね。
スピーカー 1
オチじゃないな、締めがあるんですけど。
あのあたりがね、解釈ちょっといろいろあるんですけど、
どうやらマントラと言われるね。
だから無になって唱えなさいみたいな呪文というかね。
ものだったりするらしいですね。
マントラって言ってね。
パテパテハラハテダダパテハラハラみたいな音波みたいなやつ。
その音波を浴びると。
いや違うな。
最後なんかそんな感じみたいですね。
要は言いたいことはですね、半夜心経というのは物語であると。
でね、大事なことがここにありまして。
お釈迦様はですね、やっぱり悟りは体感だから、
言葉につればするほど遠のくっていう考えを持ってらっしゃって。
というかそれが真実なんでしょうね。
それこそ僕みたいにですね、頭で理解しようとすればするほど
本当の体験とかには遠のくとおっしゃっておりまして。
頭で理解しようとかね。
言うのは自我の作用だから。
自我を無くなった先にあるのが悟りだから。
自我が頑張ってやり続ければ続けるほど自我というものは
どんどんどんどん存在感を大きくしていくので。
自我が無くなる世界というのは遠のくという理屈なんですよね。
だから、とにかく瞑想しなさい。
とにかく瞑想しなさいと。
そして体験をしてくださいと言っていて。
私の言っている言葉を決して文字に残さないでくれと。
経典など作らないでくれと言っております。
そして私を神様みたいに崇めないでくださいと。
何かにすがったりすると無の境地には遠のくし、
言語化しようとすると無の境地には遠のくので
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スピーカー 1
経典は残すなというのが教えの注意点であったんですが、
現実には仏像みたいなものをこしらえてみたり、
お経というのにまとめて社経といってみんなでコピーしてもらったり、
それそのものをありがたいものと思ってみたりとかね。
お釈迦様は分かっていたんですよね。
そういうふうにどんどん誤解が広がっていくだろうなというのがね。
なんですが、やっぱり人間はそれをしてしまっているわけですね。
その挙句ですね。
その教えをもとに人々を団結させて
国とかをまとめようという動きに利用されたりとかね。
していったわけですね。
そもそも日本に仏教が広まったのも、
あっと忘れちゃった。
誰だったか忘れちゃった。
時の将軍が仏教を通じて人心を人の心をまとめようとしたのが
仏教を広めた始まりですね、日本においてね。
海外におけるキリスト教とかもそういう歴史があるわけですね。
なので、あれはローマ帝国だったかな。
ユダヤ教、キリスト教をしていきましょうと言ったら
なんか葛藤があったんですよね。
その辺は中田あっちゃんのYouTube大学でも言ってた気がしますけど。
そういうことなんですよ。
宗教というのはやっぱり利用されてしまう。
利用されるのが分かっていたからこそ、
偶像垂派というか、
キリストは禁止していたし、
教典とかも残さないでくれと言ってたんですがね。
聖書とかもそうですね。
キリストが編纂して書いたわけじゃないですもんね。
弟子たちがいろんな話をまとめて作り上げたものですね。
仏教における仏教も一緒です。
はっきり言って、
ネシマ教というのは、
結構時代が進んでもやっぱり、
宗教の中の派閥、
宗派とか派閥争いによって、
ますますネシマがあって、
カッコたるものになっていっていると。
カッコたるものになっていっている時点で、
もうズレてるんですよね。
お釈迦様の教えとはですね。
ということでね、
宗教というのは、
宗教というのは、
宗教というのは、
宗教というのは、
世界の宗教というのはですね、
そういうことによって、
悟りを開いたマスターの思惑から、
彼らにとっては、
わかっていたことではあったんでしょうが、
結局そういうことになっておりますと、
結局そういうことになっておりますと、
いうことでございます。
とはいえですけど、
僕自身もですね、
僕自身もですね、
読学で調べているうちに、
あ、そうだったかなぁと思って、
調べてるうちにあそうだったんだということにねたどり着けたのでですね うーんと
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スピーカー 1
まあまあ人柄にねさらにそれがさらにねインチキに何か儲け 詐欺っぽいものに利用されたりもしてるのも
まあいえばでかい宗教だって詐欺みたいなこと言ったら大変だこんなこと言ったら大変だな 実はでもねここだけの話ですが
そうなんですよ 世界3大宗教4大宗教とか言われているものもですねまあ1点もしまえばインチキ
ですよ詐欺みたいなもんですよ はいもうたまっておきましょう私は
というところもねちょっとそういう見方もしてみたら面白いんじゃないかなと思います まあ終わりましょうかね今ここを見つめよう
では