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はい、DATSU二酸化炭素でお馴染みのイラスト講師でイラストレーター、NFTクリエイターのみやけんです。
あのスタイフのコミュニティっていう機能の使い方がよくわかっておりませんが、
あれはどう使えばいいんでしょうかね。
えっと、ツイッターQX、逆だ、XQツイッターのタイムラインみたいな感じで使えばいいんでしょうか。
と思っております。
今日もですね、一日、かごしもべんスポンサーついておりますので、スポンサーコールさせていただきたいと思います。
その前にですね、昨日スポンサーコールいただいたイージーさんなんですが、内容を変えてコールさせていただきました。
最初に依頼いただいた時の内容はですね、ちょっと時代に合わないということでですね、
最新情報ということで、イージーさんがやろうとしているRCBグランプリの案内ということをさせていただきました。
11月25日の25日にスタイフのライブでリハーサルをするので、皆さん来てくださいねという内容でしたけど、
もともといただいていたのはですね、
キタちゃんにパンナコッタと言わせたいイージーですみたいな内容だったんですが、もうね、言っちゃってたんで、変えましょうということで変えました。
というのをね、ちょっと昨日言い忘れていたので、改めて案内させていただきました。
では今日のスポンサーコールですね、今日の1日スポンサーになっていただいているのは、
あしなさんです。ありがとうございます。
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はい、ということで、あしなさんからはスポンサーコールいただいておりますので、
鹿児島弁のスポンサーコールさせていただきたいと思います。
いきまーす。
みやけんどんにトトシンのスタンド能力丼発動しもらったら、
わざいかよかふちゃった。
ほんのこて、あいがともさげます。
はい、という感じでよろしいでしょうか。
はい、また標準語言っておきます。
みやけんさんにトトシンのスタンド能力を発動してもらったら最高すぎた。
ほんとにありがとうございます。こちらこそありがとうございます。
はい、ということで、本日もさつまなまりの耳どくだちをよろしくお願いします。
今日ですね、精神のパンティーラインというね、
精神科医部長のリブラ先生と、
ヒーロー志望のスカンクさんがやられているラジオ、皆さんおなじみですね。
こちらの方でテーマに上がっておりました。
それこそイージーさんがゲスト会で来てお話をしておりました。
祈りのパンティーラインということでね、
祈りをテーマに扱ったお話をされておりました。
この話自体がそもそも、
僕とチカラさんとリブラ先生とスカンクさんの4人でやった
魂のパンティーラインという放送のコメントを
イージーさんが書き込んでくれていた
祈りってどう思いますか?みたいなね、
お話から始まった企画のようだったので、
こちらね、私の方でも回収しないといけないなと思って、
今日のお話したいと思います。
そうですね、僕にとっての祈りというお話をしたいと思うんですが、
祈りのパンティーラインの放送を聞くことが前提での話になるかもしれませんが、
なのでこちらリンクを貼っておきますね。
僕もですね、祈りっていうものをそんなに真剣に思ったことは
毎晩ね、仏壇にナマンダ、ナマンダ家という風に家でも育てられていたので、
手を合わせたりとかね、してましたが、
物をほろつく前からね、
自分の中で祈りのパンティーラインの放送を見ることによって、
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自分の中で祈りのパンティーラインの放送を見ることによって、
物をほろつく前からなので、ほぼポーズという感じでしたし、
思春期の頃とかはちょっと真剣にお願いとかしてましたけど、
今思えば仏壇に手を合わせてお願いするは全然おかしな話なんですけどね。
でも何かどこかその真剣見えなくて、
そういうのはやっぱり、僕は霊の存在は昔から信じてたんですが、
神様の存在みたいなのはやっぱり全然本気で信じることができなくてですね。
だからそういう神社でのお祭祷とかもほぼみんながやってるから、
ここに来たらこれするからみたいな感じでありまして、
その祈るという感覚はなかったですね、お祈りっていうのはね。
あと応援とかが祈りにつながる、道銀じゃないかとかいうような意見もありましたが、
何かそれも希薄というか、変わんないっちゃ変わんないですね。
部活でテニスをしてたんですけど、僕全然スポーツ苦手なんで、
試合とかで勝ったことが一度もなかったんですが、
1回だけ年に1回のテニスの試合で、1回戦の初戦で初めて勝てそうになった時があって、
その時にあとは1ポイントで勝てるってなった時にドキドキしてきて、
このままあと1点取りたい、取れてくれ、取れてくれみたいなのをすごく思ったのは、
あれが祈りだったのかなって思うけど、多分一般的にはそういうことなんでしょうね。
だとすればその時が今でも覚えている祈りということなのかもしれませんが、
それとは別に、はっきりこれが祈りかって感じた出来事が僕にはありました。
それはですね、2012年の3月11日ですね。
私鹿児島なので、もちろんこの日付は東日本大震災が起きた日なんですが、
会社に行って食堂をお昼食べている時に、1時40分くらいかな、
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メールでそのニュースを見て、地震が起きましたと、その後津波が発生しましたというニュースを見て、
1時とか3時とか、3時過ぎに仕事が上がったんですけど、
いつも行っているカフェに行って、その話題になって、今どういう状況になっているんでしょうみたいな話をしていたりしたんですけど、
その時にですね、本当にあの時間帯、今まさにリアルタイムに何千人という人が亡くなっているかもしれない、
おそらくもう亡くなっているんだろうなってね、津波の映像とか見て思った時に、
僕が住んでいる地方は全く関係ないのに、全く関係ないからこそ何もできない、何かしたいというすごい気持ちだけはあるんだけど、
何もできない、できようがないってね、今この瞬間何もできないって思った時に、
あーあーみたいな気持ちだけが湧いた時に、これが祈りなのかな、祈りってこういうことかなって思ったんですよね。
もうちょっとでもどうにか助かってほしいってのもおかしいけど、けど何もできない、何もできない、祈るしかできないみたいな時に、
あ、僕今これ祈ってるなって感じたんですよね。
これはねはっきり自分の中でこれが祈り、祈りってこういうことかって感じた出来事でございました。
もう何にもね、どうしようもできない時に気持ちだけがこう浮かってるっていう、なんかそういうような不思議な感覚でしたね。
それはすごく覚えております。
はい、まあそんな感じかな。僕はね、やっぱり祈りっていうワードを見た時にやっぱりそのことをすごく思い出しました。
子供ができて子供にこうなってほしい、ああなってほしいっていう話もそこもそんなにね、気迫は気迫ですね。
手を合わせてこうとかないですよね、本当に。
だけどね、やっぱり311の時はね、なんかそう思いましたという話です。
僕自身の祈りということ、そしてそれを聞いて思うことっていうのを話しさせていただきました。
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以上でございます。
さあ、せっかくですね、魂のパンティーラインの中でこの話題出たので、
この祈りっていうことについてですね、あさって土曜日に配信予定しております、悟りの学校というね、僕土曜日企画があるんですけど、
そこでですね、僕の今の個人の話じゃなくて悟りという観点からこの話ちょっとやってみたいなという気持ちも湧きましたので、
そこでまたね、悟りの学校の観点から見る祈りとはというのをやってみたいと思います。
はい、思ったより長くなりました。以上です。
それではね、またね。バイバイ。