イントロダクションと収録の背景
えーとね、あの5回目なんですよ。もうさすがに時間もなくなりました。 仕事に行かなければいけません。
えーと、とりあえず言っておくんですけど、あのま、あのー、5回になっちゃったのは、あのー、あれです。
すぐやろうと思って、忘れたくない。今のこの気持ち忘れたくないと思って、あの、さぬまから走って、さぬまから走ってる途中にサンタクさんに紹介された
えーと、資本主義の話を、コテンラジオさんを聞いて、ポスト資本主義の話を聞いてるうちに、めちゃくちゃ自分の今までのいろんなことと重なって、今のこととも重なって、面白いなと思った気持ちを忘れたくなかったから、自転車で帰ってくるときにそのまま録音しようと思った、やったんだけど、
えーとね、なんかね、道行く人に聞かれるのはやっぱり恥ずかしくて、すれ違う自転車とかに聞かれるのが恥ずかしくて、恥ずかしい割にはここに公開しようと思ったのは一体何なんだろう。
ってのはちょっとまだ解明されてないんですけど、やめて、で、2回目3回目4回目はなんかシステム的な問題でうまくできなくて、あ、2回目はなんか僕の操作ミスで、ね、よくわかんなくて、で、なんかもう、ねー、4回目まで行きたいと思ったらなんかダメで、えーと、でも、とりあえず記録だけはなんとかしておこうと思って、一応言います。
持続可能性と地元コミュニティへの気づき
うんとね、えーと、とりあえずいろいろ聞いたんだけど、一つだけ言っておきたくて、あの、持続可能な社会はない、持続可能ってことはないってことをポスト資本主義を考えてる人の中で言ってる人がいるらしくて、
あ、あと、地元大事、地元のコミュニティ大事、復活させよう、復活イコールなんだ、一回死んでんのかっていうのも含めてのことだと思うけど、あの、それ大事っていうのとかが引っかかりました。で、それが僕の今までの仕事のことと、今の、あの、特務副さんのことといろいろ関わりました。僕の中で繋がりまして、っていうことですね。
システム構築への情熱と故郷での再発見
で、えーと、順番バラバラなんだけど、とりあえずいくと、持続可能なことがもし実現したら、えーと、こうすればずっとそれが持続していくってことが実現したら、恐ろしいことだな、っていうふうに思えるかもしれないってことを思いました。
僕はあの、仕事でめちゃくちゃ好きなんですよ。あの、ずーっと細かいことを人がやるんじゃなくて、この仕組みさえ乗っ取れば、あとは自動的にこれが回っていく。だから、あの、考えずに普通に、あの、仕事をしっかり回していけばいいっていうシステムを作るのがめちゃめちゃ好きで、システムとかの知識ないんだけど、あの、本当に擬似的にそういうのを作ったりとか、あの、使えるシステムをなんか適当にいろいろ、えー、
自己流になんか使って、それを、そういうことをやる。で、労力を減らす。えー、間違いをなくす。っていうことの営みがとても好きで、まあ、実際にそれがうまくいったり評価されたりもして、で、移動もして、みたいなこともあると思うんだけど、まあ、好きなんだけど、あのね、この間、
えーと、久しぶりに地元に、あの、地元の、ね、あの、もともと転勤先、転勤の前の転勤の、さらにその前の、もともと、あの、自分が勤めていた事業所、まあ、それが自分の地元なんだけど、
に、遊びに行ったら、なんかね、すごい良かったのよ。あの、俺が作ったっていうか、そこまで大げさなことじゃないんだけど、そういうの仕組みを独自に発展させて、えー、もっと便利なものを作ってたの。
で、俺それ見に行くまでにチラッと聞いてたのが、なんかあそこだけは標準的なシステム入れようと思ってるのに、あそこだけはそれがうまく使えないんだ、みたいなこと言われてたわけ。
で、なんか責任感じたのよ。なんか頑張って、俺は多分それちょっと俺のせいあるかもみたいな。
自分で勝手にいろんなものをアレンジして使いすぎちゃったから、それじゃないとできなくなっちゃったんだ。ごめんって思ってたのね。
ごめんって思う気持ちが強かったんだけど、それ見るまでは。実際にその事業所に行って遊びに行って、自分でそれを目の当たりにすると、大したもんだなと思って。
これはこれでいいじゃんと思ったの。標準化のものがどこまでのものか知らないけど、これを、それをできるのはすごいぞと思ったのよ。
だからごめんっていう気持ちも持ってるけど、だからこそやっぱりやっといてよかった。それ以上にそれをみんなで回収したのすごいっていう気持ちがあって、なんかね、どっちなんだい?ってなっちゃったの。
持続可能性の裏側:刹那的思考と火の鳥の永遠の命
で、それも関わるんだけど、持続可能ってさ、本当に持続可能で、何のメンテナンスもしなくていいです、ずっと続いていきます、だったら改良しようとか変えようとか、こういう風にしていこうとかも思わないじゃん。
本当になんかただ使えるシステムだったら。で、それ便利じゃん。それ使えばいいじゃん。でも便利だから何も変える必要もないし、改善もしなくていいし、ずっとそれ使い続ければいいじゃん。
ってなっていった時の関わり方。要は適当に使うと思うよ、そのシステムを。で、適当に仕事すると思うのよ。だって別に適当に使えるシステム作ったんだから。ろうなく使えるシステムを目指してそれで作ったんだから。
でもさ、それ本当にやってって使ってってブラックボックス化して扱うのが当たり前になって、ってなったら、その先に行き着く姿と、その先のこととかどうでもいいや、今良ければこの1回がちゃんとできればいいや。
っていう姿、システムとか使うとか関係なく、とにかく今ここの部分が過ぎればいい、解決できればいい、っていう時の刹那的な瞬間的なことの姿と同じじゃないかなと思ったの。
本当に持続可能でずっと続いていくって、それ日の鳥の永遠の命と同じだと思ったのよ。日の鳥って手塚治虫さんの漫画で、その日の鳥の血を飲むと永遠の命を得られるし、実際に得た人もいるんですけど、
永遠だったらさ、今日やることも今日やらなくていいし、明日やることは明日やればいいし、別に明日やらなくたっていいじゃない。だっていつだってできるし、今日やったって明日やったって同じなんだから。
っていうことと、悪い意味で言ってるけど、そういうことと、持続可能なシステムを作る、完全な持続可能なってことが実現するっていうことを言ったら、本当にそこの部分だけを部分的に見ての話かもしれないけど、なんかそれって全然何も考えないでやることと同じだなって思ったのよ。
危険というのかな。なんか同じ、なんかすごい進化した姿じゃなくて同じって思ったの。っていうことがもう発見だったの一つ、今日はお話を聞いて。
トクブックスにおける「手間」と「循環」の価値
で、トクブックスさん、このポッドキャストはトクブックスさんの紹介をするあのポッドキャストなので、あえてトクブックスさんの棚で表現したいんだけど、僕は棚オーナーとしてトクブックスさんで本棚を借りてるでしょ、借りてますね。
で、それってもちろん本を紹介して、本をそこで売ってもらってっていうことの営みの中にあるんだけど、それがシステムとして確立して置いた本が自動的に売れて、それが自動的に補充されて、またそれは誰かが消化して、それをまた補充してっていうことが自動化されたら便利じゃん。
だって僕、棚を借りて本を売るっていうことをやってるんだから、それが本当に労なくできたら便利じゃないですか。いいじゃないですか。いいはずですけど、つまんないですよね、マジで。
だって僕、誰よりも棚に行ってると思うんですよ。売れたなと思ったら補充もするし、そんなにたくさん売れるわけじゃないから、それ必要ないんだけど、でもたくさん行ってたくさん眺めるんですよ。
で、それが面白いんですよ。それが僕が関わらなくても持続して良くて、本棚行かなくても大丈夫で、その隣の本棚の人とか、いろんな本棚の人とか、オーナーとかと話さなくても良い感じで持続することに何の意味もないんですよ。
で、その手間をかけることに意味があるの。それをやりたいからわざわざ棚を借りて、そして引っ越しもして、いろいろあるけどやってんの。持続可能くそくらいってことなのよ、ある意味言っちゃえば。
で、循環はあるんだって。循環はあるよ。循環はしてほしいよ。だって僕が買ったものをそこの棚に置いて、僕が手に入れたものを棚に置いて、それをまた違う誰かが買って、それですごいなって思っていいなって思ってくれる人がいて、またそれを違う、関わるか関わらないかわかんないけど、それをまた違う本かもしれないし同じ本かもしれないけど、それをまた置いて、それをまた違う誰かが。
っていうのがあって、それを支える場所としてトクボクスがあって。っていうのが循環だし面白いの。それが手間かけなくてよくて、っていうことのシステムとして確立されるんだったら、そこは便利だけど何の意味もないんだよ。何の意味もないんだよ。
っていうことを思ったんだけど、そこに気づいたの。持続可能なことって僕が大好きなそういう仕事を究極的に確立させたことのその先って、そういうことに繋がる可能性あるんだ。で、それって今あればいいよねっていう形と同じだ。今あればいい形っていうのもいい意味もある、それも。でも悪い意味としても、悪い意味として言ってるけど今は。
仕事と農業的労働への回帰、そしてSDGsへの考察
何かそれと同じだと思った。っていうことを三沢さんに教えてもらった、その資本主義のお寺城さんの話聞いてたらめっちゃそれを思った。で、売上げの、仕事の話になっちゃうけど、売上げの計算方法変える話になってて今。
で、それがね、先取りのものを売っちゃう仕組みになってるから、それをその日その日の売上げにするようにしましょうっていう、これまあいいな。これもうちょっと詰め込みすぎちゃうっていうか、駆け足になりすぎちゃうからいいんだけど、それも悪い感じのことを思ってたけど良い感じもあるのか。
なんか農業はさ、貯めておけないじゃん。貯めておけるけど、毎年毎年のことじゃん。
その時その時で収穫があるわけじゃん。で、そのための準備があるわけじゃん。それと同じようなことにする、形あるものじゃなくても、擬似的にそうするみたいなこととして、だったら良いことなのか?それは。
なんか目先の売上げだけを余裕追い求めることになるんじゃないかっていうことを思ってたけど、そうじゃない良さもあるのか?みたいなことも思ったり。
まあいいや、ちょっといろいろあるんだけど、まずはこの間オーナーとカウンターで喋ったんだな。なんかそれをよく話聞いてて、とんじんかんなこと言っちゃったなと思ったけど何か覚えてて。
ホッシー市の話してて、ホッシー市の話を、ホッシー市長っていう奴の話をオーナーがしてくれて。で、なんか怖いなーって話でそれが。オーナーと話してみんな。まだ聞いてないことだったら。
その時になんか日の鳥の美術展みたいなやつ、なんかのやつを高輪ゲートウェイ駅でやってるんだってそういえば。それも興味あるんだけど。それもね、三宅さんと竹下さんという人でやってるTBSクロスディグっていうYouTubeで見てて、その間面白かったんですけど。
それもあって、日の鳥の話しちゃったんだけど。なんかそれSDGsの持続可能をめっちゃ意地悪に見た場合と、めっちゃ意地悪な悪い意味での日の鳥の永遠の地位は同じだな。
で、それは刹那的なSDGsっていうかのものが本来否定しているはずの、あの刹那的な今あれば良いみたいな感じのことと同じだなっていうことを、おーっと思ったので忘れたくなくてやりました。なんかもっといろいろ違う話をしたりもっとやってたんですけど、あの5回目なので疲れたのでこれです。
エピローグ
今日僕はお仕事なので頑張ります。あー水戸にも行かなくちゃいけません今日は。でも頑張ります。今日お仕事お休みの方もいらっしゃると思うので、言われるまでもなく有意義にお過ごしになるでしょうが、頑張ってくださいし頑張らないでください。はい、おはようございました。