読書とシンクロニシティ:日の鳥と持続可能性
読書してると、あれ、これ、今僕が考えてることとか、さっき思ったことと似たようなことを言ってる、みたいなこと起こると思うんですけど、起こりすぎなんですよ、最近。
昨日か? 昨日、朝と夜のダラダラとで、日の取りの話を少ししたと思うんですよ。
要は、もうそれ聞いたばかりの人は、あれかもしれない、しつこいかもしれないけど、要は、もう勝手な自分の考えで、要は、資本主義の話をコテンラジオさんで聞いたときに、その中の話で、持続可能なんてない、みたいなことを言ってる人がいるっていう紹介があったと。
で、それを聞いたときに、持続可能っていうのは、僕は持続可能なことを目指して、持続可能って言っていいのかわかんないけど、これさえ作ったら、もうずっと楽して仕事できる、みたいなことを、AIじゃないんだけど、AIよりもっとチャッチーなものなんだけど、そういうことを仕組みで作って、便利に使えて仕事も楽になる、みたいなことを目指してたわけだけど、
それをすごい究極的に言うと、それがものすごくうまくいって、すごい便利なものができて、全然メンテナンスもしなくてよくなる、作れば勝手に後は放置すればいいだけっていうものをむしろ目指してたから、今もそうかもしれないけど、でもそれがすごい高度に完璧に完成されちゃったら、
それの行き着く先っていうのは、適当にそれを使うようになる。便利だな、いいなっていうのを使うんじゃなくて、もっと雑に使うようになる。日常的にあるから、使うっていうことさえ気にせずに使うようになる。
だって何もしなくていいんだし、何も改良する必要もないし、何のメンテナンスもしなくていいし、別に使ったってなくならないんだから、いいじゃない。ずっとそれが持続していくんだよ、持続可能だから。完全に持続していく。何したってなくならない、減らない、壊れない。便利じゃないですか。
それが完成されたら絶対みんな雑に使うと思う。僕だったらそうなのね。だって何も気にする必要ないし、何ならそれを気にするっていうめんどくささから解放されたくてそれ作ったんだから。
で、それは使われても当たり前になって、もう使うことさえ意識しなくなってっていうようになった時の状態と、持続可能なものとか関係なくて、とりあえず今使えばいい、今あればいいっていう切な的なある意味対局、持続可能の対局。切な的に今これがあればいい、これが解決すればそれでいいっていう態度と、究極的には同じような姿になるんじゃないのかな。
って思ったの、考えようによっては。っていう中で、それって日の鳥の話に、日の鳥に特に未来編っていう話があるんだけど、日の鳥って永遠の命を手に入れることができるんですよ。生き血を飲むとね。日の鳥の生き血を飲むと。
で、実際に手に入れたやつの話が未来編って話の中にあるんだけど、別にその中に出てくるのがどうだっていうことじゃないんだけど、なんかそれとか思い出して。もしかすると、それでも憧れはあるけど、永遠の命みたいなものは実際はなくて、あるんだけど手に入れられないっていう状態がもしかしたら健全なのかなって思ったの。
富士山と文学:捉えられない本質
昨日、教育の話とちょっと重なったなみたいな話して、富士山っていうものがあった教育学者の中に須貝さんっていうね。須貝さんしか名前覚えてないからたまたま須貝さんの名前を出すんですけど。
その人が言うには、すごい難しいこと言ってるから僕がちゃんと説明できてるかどうか怪しいんですけど、富士山がありましたと。で、富士山があってそれを見るんだけど、富士山そのものを捉えること僕たちはできないと。
富士山を見るって言ったときに見たときそれは、その光が僕たちの盲膜に映って、それを富士山だと認識しているっていう状態なわけで、それを盲膜とかいろんなことを通してのことなので、実際にあるそのものにある富士山そのものを捉えるっていうことが実はできてないっていうふうなことを言ってて、でも富士山は確かにそこにある。
で、文学も同じようなことが起きてるんじゃないのか、そういうことができるんじゃないのか、それぞれの自分が捉えようとしているもの、文学作品を読んでいろいろ感じたこととか捉えようとしていることとかを交流させるっていうことに意味があるんじゃないのかまでは言ってないのかな。
それは俺の研究が勝手に言ってたのかな、なんかそういうようなことと繋がりました。なんかちょっと繋げちゃいました、自分の中でみたいな話をしたんですよ。
「読書会という幸福」と偶然の一致
で、それももうもうもう繰り返しのようなこと言っちゃったんだけど、そしたら昨日、この間ね、読書会という幸福っていう本を手に入れたまで行ったんだっけ、探しに行ったんだけどなかったって話だけしたんだっけ。
アマゾンで注文しちゃって届いちゃって、読んでたんですよ、昨日一昨日ぐらい。まだまだ全然読み終わらないんだけど、ちょっとずつだからね。
そしたら、もうページを言っちゃいますけど、75ページに日の鳥が出てくるんですよ。
あのー、昨日に録音した時にも日の鳥の話ちょっとした?してない?なんかその夜読んでたのちょっと。夜あのー、あのー、夜、夜か?夜ちょっと読んでたのかな?
なんかね、もう最近いろいろ、いつだっけ?とかってよくわかんなくなっちゃうんだけど、日の鳥が出てきたわと思って。
で、そういうことがめちゃくちゃ最近すごく起こってて、そんな驚くほどのことじゃないっていうか、それはそうだわ、今みんながその話してるんだからそうだわって思うんだけど、
AIの出現と多角的な繋がり
AIの話がめっちゃ出てくるんですよ、最近。で、AI、あのトクブックスさんのご近所の野寺さんって方が、AIについて勉強する会みたいなものをトクブックスさんが開いてくださって、
あのー、面白かったんですよ。そこで集まった人たちもなんか面白かったけど、まあその会自体も面白かったよね。AIについてちょっと考えたなーみたいな。ノートにもちょっと行ったのがね、ちらっと。
で、その後、この間もトクブックスのカウンターでAIのこととかをちょっと話したんですよ。
で、あのね、その前に職場でもAIについて、AIの活用の仕方じゃないけど、なんかこういうふうにAIに相談してみたいなのをちょっと話してて、そんなことまでできるようになったんだねとか、なんかちょっと話してたのよ。
で、この間職場の人に東京都同情党っていうのを連休前に何かお勧めないかって、もう完全に信頼してるからさ、その人の反省みたいなものを。
あー、何も知りもしないのに信頼してるんだけど。で、読んでみたら面白かったやっぱりそれは。で、それにもちょっとAI出てくんだよ。
で、あの、無理矢理繋げる?無理矢理じゃないのか、たまたまなのか。あの、火の鳥にもAI出てくるのよ。
火の鳥の未来編で戦争が起こるんだけど、その戦争ってAIのせいで起こるからね。
なんか、それだけ言っちゃうとよくありがちな物語な感じになっちゃうけど。
AIが良い悪いは置いておきます。あの、良い部分もあります。最近なんか、あの、誤解を恐れずに言うなら、あ、これは良いAIの使い方だなって思うこととかもありました。
で、むしろこれはAIに、AIが作ったものだっていう風なものを通した方が、これは逆に味わいがあるみたいなことを思ったりした機会もあって、面白かったんですけど。
いろいろなことと繋がるなっていうことが、本読んだり、ポッドキャストとかラジオとか聞いたりっていうことと繋がってる。人との話とも当然繋がってるっていうのが、めちゃくちゃ最近起こりすぎてて、すごいなっていう話です。
理想の読書会を求めて
振り返っちゃうけどね。で、あの、読書会っていうことを考えてて、なんかいつかはやりたいなと思ってるんですよ。
いや、あるんだけど、既に。あるし参加してるし、リアルでも最近参加させてもらってるし、ネットでもね。ネットの方がさっき逆に最近出てないんだけど。でも面白そうだなと思ってて。
どういう形がいいんだろうなって思ってるんですよ。わかんないよね。全然そういう本だと思ってなかったけど、読書会っていう幸福っていう本が結構ね、読書会のいろんな形、作者さんが自分で主催したり、あるいは参加しに行ったりみたいなことがいろいろめちゃくちゃ書いてあるの。面白!と思って。
でも面白って思うけど、なんか余計、なんでもありだなって思って。どういうのがいいんだろう。どういうのがいいんだろうって、ジンと同じでさ、なんかとりあえずやってみるのがいいんじゃないっていう気持ちも当然あるんだけど。でもせっかくやるならな、みたいな。これもまたジンと同じような気持ちがあって。
でもなんかちょっと考えてますね。どういうのがいいんだろう。みんな、むしろなんかどういう形がいいかっていう読書会を最初、初回に持ってこようかとか。みんなでそれを話し合うみたいな。メンバーもまだ確定してないのにみたいな。
いや、そんなんじゃなくて、会じゃなくて、もうふっとなんか急に、なんかその場にいた人がなんかについて語り合うっていうのがもうすでに読書会なんだみたいな考え方もあるから、無理に形として整えなくてもいいか?みたいなこともちらっと思ったり、思ったり思わなかったり。
未知の言語と異文化理解への関心
でもなんか、ちゃんとなんかやることしたいなって思うのと、これこそできるかわかんないんだけど、なんか興味を持ってんのが、全然全くやらないし今後もやらない恐れもあるぐらいあやふやなんだけど。
なんか、日本語でも、僕全然喋れないし使えないけど、それでもちょっとだけ勉強した、普通のあれだよ、普通の学校の勉強よって勉強してた英語とかじゃなくて、なんか違う言葉、違う言葉勉強しようかなって思ってる時があって。
で、それはなんか、ベトナムとか新原とかタイとかなんか全然違う、なんだろうね、ポルトガルとかフランスとかじゃない、なんかあんま使ってる人がいるけど、日本語だったらそうじゃん、日本人は使ってるけど、全然使ってないじゃん全国的には、全国って世界的には。
それ、そういうなんか、せっかくだったらそういうことの方を勉強して、よしんば使えるようになったら面白いんじゃないか?みたいなことをちょっと考えてるだけで、結局、でもそれってさ、ちょっとニッチだから、何選ぶかってめっちゃ重要な感じするじゃん、別に何選んだっていいのよ、これもジンと同じで、とりあえずやればいいじゃんって話なんだけど、思ってるだけでやんないでよ、結局ね。
めんどくさいのもあって。やりたいって言いながらめんどくさいって言うんでね、失礼な話なんだけど。
うーん、とか、それを勉強するとか誰かに習うみたいなことは面白そう。コーヒー一杯とかご飯一杯奢るからその間ちょっとその国の人とご飯食べていろいろ習うとか、わかんないけど。
下妻の外国人から学ぶ異文化
あとは、これも今、さんたくさんに教わった固定ラジオの影響を色濃く受けてると思うんだけど、国のことを教えてもらうの面白そうだなと思って。
あのー、なんだ、今下妻にはどれくらいの外国の方いるのかわかんないんですけど、まず下妻のこともまず知れやって話なんだけど、それも大事なんだけど、でもさ、ビンフィールド定だっけなんだっけ、わかんない。
で、めっちゃ貢献してくれた外国の人いるじゃん、下妻にも。それと同じでさ、色々考え方あると思うけど、あえて言うけど、来てくれてる外国の人、下妻に今もたくさんいるわけで、
なんかそれの国のことを、その国のことをちょっと知るっていうのは、知らないからさ、全然。なんか面白そうじゃないかって思ってる。で、それはできるなら、これもたれき本願なんだけど、日本語とかちょっとわかってくれてるその国の人に聞いて、その人に聞くのが良さそう。
もしくは、この本面白いぜみたいなのを紹介してもらうとかでもいいし。なんかそういうこと、これもう本屋さんとかトクブックさんとか全然何も考えずに言ってますけど、なんか知るって大事だなって思って。
で、もう知らない、もう自分は知らないじゃん。日本人だから、何が自分が日本人として前提になってるかとか、もうわかんない。わかんないぐらいもう日本人だから。日本にしかいないし、出たこともないし、僕は特に。本州と四国しか行ったことがない人間ですから。
なんか知るのいいんじゃないか。で、どうせだったら別にポッドキャストとかでも聞けるのかもしれないし、なんか勉強するうまい方法とかあるのかもしれないし、いろんな本とかもあるのかもしれないけど、それもいいけど、結局、人に聞いて、いい奴いるじゃん。いい奴いるじゃんって知らないけど。
でもいい人たちいるじゃないですか。仕事の関係でちょっと関わりがあったりとか、もっと言えばコンビニで対応してくれる外国の人も優しい人いるじゃないですか。優しい人ってあんまり変な人いないじゃないですか。
で、僕の友達の中に韓国語めっちゃできる人いるんですけど、別にその人すごく勉強できるわけじゃなくて、自分で自己流で、自分でも言ったのは勉強とか嫌いだし全然できないって。
でもそれは、韓国語はいろいろあってめっちゃできてるし、なんか韓国語の教育みたいなのがあってめっちゃすごいスコアらしいのよその人は。で、その人すげえなって思ってて。
で、その人はさ、実際に留学っていうか、その国行っちゃったりするから、その経験もあったりするから余計そうだと思うんだけど、そこまではできるかどうかわかんないけど、せっかく逆に日本にいる人いるんだから聞いてみようかな。
もしくはそういうのでできれば、そんな全部網羅的にさ、詳しくはできないけどさ、ある程度知って、で違う国のことも知って、みたいなことをちょっとやれば、すごいずるい考えだけど、行けやって話だけど、日本わざわざ出て旅行するってことしなくても、ある程度自分をもうちょっと相対化できるんじゃないか。
交流を通じた多角的な世界認識
みたいなことをちょっと最近考えます。考えるんだけど、まあ考えるだけでやらないこといっぱいあるから、あえて残しておこうかな。
これも別に聞き返すか、もうこれ撮ったこと自体忘れるかもしれないんだけど、なんか、あのー、残しておくこと大事だなと思ったので。うちの父親がね、そういえばもう英語なんか大好きなんですよ。なんか英語のそういう、なんか外国の人のなんかボランティアしようかみたいなこと言ってたぐらい。
わかんない、そういう影響ではないと思うんだけど、そういうこともあるのかな。ちゃんと僕はその日本語以外の言葉を熱心に習得もしませんし勉強もしてないんですけど、なんかちょっとそういうことを考えました。
読書会と同じよ。いろんな人の、そこにあるけど捉えられないものを交流させて、一人では捉えられないけどみんなでちょっと迫っていこうっていうことと同じで、もう俺らわかんないけど、地球もわかんないし、世界もわかんないし、日本もわかんないし、俺ら自身のことも隣の隣人のこともわかんないけど、
でも、いろんな人の目を合わせて、しかもその偏った日本人だけじゃなくて、いろんな国のことを知っていけば、なんかもうちょっとその交流でよりお互い良くなんじゃないかみたいなことを、ちょっといろいろなことの影響もあって思ったよという話です。
読書と繋がりの再確認
読書会という幸福っていうのは多分読んだ。あとは古典ラジオさんとか聞いた。あとはこれちょっとつながりだと思うんだけど、東京都道場と、東京都道場とかね、AIと本当に犯罪者をどうするみたいな、あと建築の話とかなんですよ。
あとAIとかなんですよ。なんでそれが一緒になるのかよくわかんないんだけど、一緒に、まあわかんない。その言葉をたまたま僕が選び取っちゃいましたけど、そういう違う切り取り方もたくさんあると思います。今言った以外にもいろんなテーマがあると思います。
でも、それの影響もあると思う。そもそも、読書会という幸福っていうのを読んでいるのは、その後の2人だけの読書会っていうことに全然違う理由で惹かれて、ちょっと興味持ったからっていうのがスタートだしね。
読書の本の話のような本の話でないようないつもの感じでした。今日お仕事すれば僕はまた明日お休みになるので、頑張ってきます。皆さんも頑張ってください。もしくは頑張らないでください。