#17 モンティ・ホール問題と人生|その扉、誰がハズレって言った?
2026-09-01 12:04

#17 モンティ・ホール問題と人生|その扉、誰がハズレって言った?

電車の液晶広告で見た「モンティ・ホール問題」。

その数分後、渋谷で高校時代に僕をハブった同級生と偶然すれ違いました。


人生の選択、SNSで見える他人の成功、

そして「正解を知っている人がどこかにいる」という感覚。

でも、その人は本当に答えを知っているんでしょうか。


今回はモンティ・ホール問題から考える、

「当たりの人生」と僕らが勝手に作っている“司会者”の話です。

感想

まだ感想はありません。最初の1件を書きましょう!

サマリー

このポッドキャストでは、モンティ・ホール問題を通して人生における選択と「正解」について考察します。電車の広告でモンティ・ホール問題を見た直後に、高校時代に自分をハブった同級生と偶然再会した経験から、他人の成功や人生の選択肢を見て「正解」を無意識に決めつけてしまう心理を探ります。誰もが人生の参加者であり、司会者のように「当たり」や「ハズレ」を断定できる人はいないという結論に至り、自分の選択を信じて進むことの大切さを説いています。

モンティ・ホール問題との偶然の遭遇
こないだ、電車のモニター広告でモンティ・ホール問題をやってたんですよ。 それを見た数分後、渋谷で高校時代に僕をはぶっていた同級生とすれ違いました。
向こうはYシャツにスラックス。 僕はパイナップル柄のアロハシャツに地上丈のショートパンツ。
そして丸眼鏡。 何なら、今から窓巻の最新作ワルプルギスの開店公開初日を見に行こうとしている。
朝から電車の広告でモンティ・ホール問題を出題されたと思ったら、その直後、実技試験が始まりました。問題を出した直後に実技試験始めるのやめれる?
ハオー!あなただけのゲートも豆腐亭ウルフです。 この番組未定で結構は恋愛家族孤独将来のこと
生きていく中でまだ答えの出ていないことや名前のないモヤモヤを少しずつ言葉にしていくポッドキャストです。 うまくまとまってなくて大丈夫
結論が出てなくても大丈夫。 未定のままで結構です。
ここで改めてモンティ・ホール問題について説明をします。 あなたの目の前にはA、B、C
3つの扉があります。 そのA、B、Cのうち1つだけが当たり
そしてあなたは仮にAの扉を選びました。 すると答えを知っている司会者がBはハズレですというふうにBの扉を開けてくれる。
残ったのは最初に選んだAとまだ開いていないC。 そのままAにすべきかそれともCに変えるべきかというような問題です。
モンティ・ホール問題の解説と確率
確率論で言うとこれは変えた方が当たりやすくなります。
いやいやいや待てよとその理屈はおかしないかと。 確率で言うたら全部3分の1ずつやったから同じやろというふうに思うじゃないですか。
ところがどっこいこれ変えた方が当たる確率は高くなるんです。 Aのままなら3分の1の確率で当たり。
しかしCに変えることによって3分の2の確率で当たりを引けるんですよ。 これちょっとなんかこれだけ聞くと違和感ありません?
いまだにねこれ答えしててもなんかムズムズするんですよね。 でもねこれね扉の枚数を増やすとめちゃくちゃわかりやすいんですよ。
例えばABC3つじゃなくて扉を100枚にするととてもわかりやすくて100枚の中からあなたが1枚適当に扉を選びました。 当たる確率は1%です。
しかしその後当たりの扉がどれかを知っている司会者が残り外れ98枚全部開ける。 同じように2択の状態にするわけですよ。
そしたら最初にあなたが選んだ1枚と最後まで残っていた1枚どっちの扉選びますかっていう話なんですよ。まあ変えるでしょう。
さっきまで自分で選んだ扉もその扉が当たる可能性も両方とも1%ですって聞いたとしても最初の扉への信頼が消えませんか?
これ言わずもがな変更しようと思う人が多いはずですよね。
でもこの問題で大事なのは扉を変えるっていうことじゃないんですよ。
要はこれは司会者が答えを知っているっていうのがモンテホール問題のミソなんです。
この答えを知っている司会者は必ず外れの扉を開ける。
だから司会者がBの扉を開けたこと自体に情報としての意味があるんですよ。
偶然の再会と人生観の変化
そんなことを考えながら僕は渋谷に到着しました。
映画館へ向かって歩いていたら向こうから見覚えのある顔がやってきたんですね。
あっ!って思いました。それは高校の同級生でした。
高校時代に僕のことを省っていた側の人です。
まあ諸半角の人ですね。
この人との昔の話については以前このポッドキャストでも話しているので詳しくは第7話を聞いてみてください。
今日はまさかのその後日談です。
今年の頭。成人の日の三連休。
フェイスブックで彼を見つけたとき彼は都内にマッションを買っていたという報告を載せていました。
その彼が今SNSの中ではなく本物として目の前から歩いてきた。
Yシャツを着て。
で僕が何を感じたかというとほんまに何も感じなかったんですね。
あっ!あいつやん!なんかめっちゃ髪伸びてるし!くらい。
当時彼は坊主やったんですね。
あーこれからご出勤なんですね。ご苦労さんですとかいうふうに思ってそのまま声をかけることもなくそのまますれ違ったんです。
昔あんなに嫌いあった人やのに全然胸も痛まず腹も立たず懐かしいとすら思わなかった。
ただもう一つだけこれはねかなり負け惜しみっぽい感想なんですけど
なんかつまんなさそうな人生っていうふうに僕は思ったんですよ。
もちろんYシャツを着て歩いているだけで彼の人生がつまらないなんてわかるわけがない。
僕は彼の人生のことなんて何も知らない。
ただ数年前に彼がマンションを購入していると知った僕は彼はちゃんとしてるなというふうに思ったんです。
安定していて会社員を続けていてマンションを買ってそれに比べて僕は何をやってるんやろうなというふうに思ったはずなんです。
いやのにですよ。実際にYシャツ姿の彼を見たときに僕はつまんなさそうというふうに思ったんです。
どないやね。どっちやね。
彼の人生が変わったというよりも変わってしまったのは僕の物事への見解の付け方、見方なんですよね。
無意識の司会者と他人の人生
そこでさっき見たモンティホール問題を思い出したんです。
あ、僕無意識に司会者やってるやんって。
しかもどの扉が正解なんて知らへんのに。
彼が家を買ったらその道は当たりというふうに決めていた。
しかしYシャツ姿を見たら今度はつまんなさそうハズレというふうに判定をしたんですね。
僕彼の人生の扉を開けてもないのに勝手に当たりなのハズレなの楽園を押してるんですよ。
そして逆にですね時々僕は他人や世間をも司会者にしてるんですね。
自分の人生の扉に対しての司会者に他人や世間を当てがってる時があるんです。
誰かが結婚した、家を買った、精進した、稼いでいる。
そういうものを見るとあ、そっちの扉が当たりあったんですね。
自分が選べへんかった扉が急に良さそうに見え始めるんです。
会社に続けた方が良かったかなとか、もっと普通に生きた方が良かったんかなとか。
特に自分が上手くいっていない時ほどそう考える傾向があります。
僕は今キッチンカーをやって、ポッドキャストをやって、TikTokライブをやって、
もっと経過が欲しい、もっと生活安定させたい、もっともっと上へ行きたい。
でも思ったように行かないことも多い。
そんな時に誰かが順調そうに生きてるのを見れると、
その人が先に人生の答えを見つけたように感じるんです。
人生の正解ってそっちやったんですねって。
でもその人モンティーじゃないんですよ。
答えを知っていてハズレだけを開けてくれているわけじゃないんですよ。
その人勝手、自分の扉を開けてる途中なんです。
SNS時代の「正解」感覚と不安
でもね、これって今の時代結構ややこしい話だと思うんです。
SNSを開けば誰かが結婚した、誰かが家を買った、誰かが転職をした、誰かがいっぱい稼いでる、
昔ならそんなこと分からへんかった知らへんかったようなことが、
他人の人生の途中経過までいくらでも見えるんですよ。
だから正解が分かるようになったというより、
どこかにこれが正解なんじゃないかというふうに、
どこかにそういう答えがあるような気がしてしまうんですね。
誰かがもう当たりの扉を引いているように見える。
だから自分の扉が急に不安になる。
僕もそうやったんですよ。
誰かがうまくいってるとちょっと聞きたくなる。
僕が選んだこの扉あってます?当たりですか?って。
むしろそっちに変えたほうが良かったりしますか?って。
でもみんな参加者なんです。司会者じゃないんです。
誰も舞台裏を知らないんです。
どれが当たりかなんて分かってないんです。
保証への渇望と人生の不確かさ
その時僕はもう一つ思ったんです。
僕が欲しかったのは会社員の人生そのものではないのかもしれない。
誰かに大丈夫そっちの扉もハズレじゃないよって
言って欲しかっただけなんやと思うんです。
自分の選んだ道がほんまにあってんのか。
このまま進んで大丈夫なんか。
保証が欲しかった。
モンティホール問題なら司会者がハズレを消してくれる。
でも人生に用意されている扉は
ハズレがあったとしても誰も消してはくれないんです。
どの仕事が正解か、
誰と一緒に過ごすのが正解か
夢を追うのか、諦めるべきか
誰も答えは知らないです。
これって結構怖いことよね。
「ハズレ」の確定は誰にもできない
でも逆に考えると
答えを知っている司会者がいないのであれば
僕が今選んだ扉を
それハズレやでっていう風に
確定できる人もいないということなんですよ。
僕自身も含めて今結果が出ていない。
今うまくいっていない。
それとこの選択が間違いでしたっていうのは
イコールじゃないんです。
僕そこをちょっと混同してたんじゃないかな
っていう気がするんです。
結果が出えへん度に
扉間違えて生きてきたんかなって
思ったりもしました。
でももしかしたらその扉は
まだ開けてる途中なのかもしれない。
そして朝渋谷ですれ違った彼についても同じ。
僕がワイシャツ着てる彼を見て
つまんなさそうって思ったところで
彼の人生がハズレになるわけじゃないじゃないですか。
そんなん分からへん。
彼も僕も違う扉を選んだ参加者でしかないんです。
映画鑑賞と人生への示唆
誰も司会者じゃない。
そんな思いを抱えながら
その後魔法少女窓かまきか
ワルプルギスの回転を見てきました。
超難解でした。
人生には答えを知った司会者はいない
とか考えた直後に映画を見たんですけど
これまた映画の内容が難解すぎて
完全に映画についても司会者不在でした。
運命とか選択とか何が正解か分からへん。
うろぶちさんも支給解説をお願いしたいと思いました。
もうマジでこの映画については有識者がいてほしいんですけど
ネタバレ解禁に2週間かかるらしいんで
考察班が現れるのももう少し先かなと思っております。
マジでこれについては有識者がいてほしかった。
でも人生については有識者がいなくてもいいのかもしれません。
自分の選択を信じて進む
全部答えを知っている脚本家や司会者がいるなら
その人に従った方がきっと楽です。
でもその代わり自分で考える必要もなくなる。
僕はまだ自分の人生の正解が何なのか分かりません。
だからこれからも人を羨ましく思うことも
ネタましく思うこともあるやろし
逆にあっちの扉は僕には合わへんなと思うこともあると思う。
でもその度に少しだけ思い出したい。
その人は本当に答えを知っている人なのか
本当に扉を選んだ人の先の世界を苦しみや痛みを知っているのか
そして今開けている自分の扉を
まだ途中なのに勝手に外れにしていないか
正解がまだ分からへんから
まだ考えられる
まだ選び直せる
まだそのまま進むこともできる
もしかしたらそれぐらいいいのかもしれません。
だってこの番組は見ている結構ですから。
最後に一つあなたが今そっちの扉の方が
当たりあったかもしれへんと思っているもの
それは誰があなたにそう教えたんでしょうか
その人は本当にその答えを知っている人なんでしょうか
12:04

コメント

スクロール