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スプタン男のみんな違ってみんな良い。ご機嫌よう、スプタン男のTsuNです。 この番組は、みんな違ってみんな良いを基本に世の中のアレコレを考えていく番組です。
気楽に聴いてくだされば幸いに思います。 えっと、なんかね、
とりあえず、新しいお話でマイクをね、 新しいマイクにしたんですけど、いまいちね、なんか設定方法とか、なんだろう、
微妙な設定が、まぁ、どんな感じなのかなとか聞こえ方にもよると思うんですけど、
どうでしょうね。少し音質良くなったのかな。 ぜひね、聞きにくいとかあったら教えてほしいところではあります。今日は、
コンプレックス。人と違っても、まあ、 いいじゃないって、俺が思えるようになったっていうね、お話をね、していこうと思います。
コンプレックスの話ですね。そう、あんまりね、もうね、俺はね、全然平気なの。もう人と違うことも平気だし、
むしろ人と違くありたいまで思う人間なんだけど、そう、あんまり人と比べても、比べないし、あんまり人のこと羨ましいなって思うこともないんだけど、
そう、やっぱりね、それでもコンプレックスっていうもんはあって、 ってか、ずっとあって、そう、まずね、
一番最初はね、俺は人見知りだったし、 うーん、そう、あんまりね、母親の
半径3メートル以内にずっといる子、みたいなね。 どっちかというと引っ込み事案で、おとなしい子だったんですけど、
そう、それをね、 そう、まあ、身長がとても小さかったんですよ、私。
うーん、本当に小学校5年生までは、 前ならえって言うと、あの腰に手を当てて一番前にいたぐらいなんですけど、
身長がね、低いことはとても、 うーん、
コンプレックスでしたね、っていうか悩んでましたね。 うーん、で、そう、男の子社会、特に小学生とかまでになると、身長が高い低いとか体力があるないでさ、
結構男の子の友達のヒエラルキーじゃないけど、変わっちゃってさ。 で、俺はおとなしいタイプだったし、
うーん、身長も小さかったから、結構なんだろ、粗暴なタイプ、元気元気な男の子タイプ?
と張り合うっていうか、なんだろうな、あんまり喧嘩とかになることもないし、張り合うこともなくて、
かといっていじめられるとかはなかったんだけど、 そう、全然ね、なんだろ、
その代わりといってはなんだけど、勉強頑張ったっていうのはあって、小学校の時はとてもね、成績が案外良かったですね。
ただその、クラスで一番元気? うーん、なんだろうな、友達と喧嘩になっちゃったり、
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なんだろうな、人にいたずらをしたりっていう、 ほんと一群も一群みたいな
子がすごい親友でいたんですよ、小学校の頃。 だから、なんか俺はあんまりいじめられなかったっていうか、あんまり嫌々しされなかったのかなーって、
今考えるとね、結構ね、彼が守ってくれてた気がしますね。 そう、でもほんと身長がね、低いことも
悩んでましたね。中学校に入学した時も150センチなくて、 148センチで入学したんですけど、もうほんとこのまま身長伸びなかった
らどうしようって、すごく思ってましたね。 結果ね、中学2年生ですごくグーッと伸びたんですけど、
そうほんと、小学生までは もちろん女の子の方が身長高いし、結構ね、なんだろう、
遊びの延長線上でさ、まあなんだろうな、 ケツ蹴ったりさ、あのー、ビンカしたりさ、
するじゃん。わかんないけど、なんかそういうのをよくされている側ではあったと思いますね。
まあで、結構土器を払うんだ 乱暴さっていうのはすごく苦手で
まあなんだろうな、育った環境が女社会だからっていうのもあるんですけど、まあ父親はいましたけど、
まあ仕事だし、普通に関わる、自分の中の世界で関わる人間が母親と姉と妹だったので、
結構ね、男らしくしろって言われるのがね、すごく苦手でしたね。 今、
今でも男らしくしろって言われるのすごく嫌いなんですけど、 今言われても別に全然もう平気なんですけどね。
いやもう男の子らしさより自分らしさ、あたしらしさ、みたいなところがあるんで、もう全然平気なんだけど。
そうですね、それでなんだろ、人見知りだし、なんだろうな、 ちょっと強い男の子が土器を払うんで、
おいお前やれや!とか、おいこれやれや!みたいな、おいこれやってみろや!みたいなこと言われると、結構断れないっていうか、
なんだろうな、推しに負けちゃうタイプではあったんですよ。 まあそれをね、やっぱり父親も懸念したんでしょうね。
そう、習い事を、私はピアノをちょっとしてて、 ピアノはすぐ辞めちゃったんですけど、そんな長くやってないんですけど、
あとは苦悶をやっててって感じなんですけど、 だからね、勉強は本当に問題なく、
絵本も当時から読んでたし、漫画もずっと大好きで、漫画はずっと読んでましたけど、
そう、それで人見知りで気が弱いっていうのを治そうと思って、父親はね、 私を空手に通わせたんですよ。
もうね、本当に嫌だった。 そう、格闘技をやれば強くなる?とか、精神的にタフになる?とか、そんなことは、
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やっぱなくて、それはね、ある人ももちろんいるんだろうけど、俺にとっては全くなくて、
で、なんだろう、それでもまあ、 続けたっていうか、辞めさせてくれなかったが正しいんですけど、
そう、やってたんですよ。
なんか、肩、肩ってわかります? 空手ってね、肩っていうのもあって、肩はね、結構ね、覚えるのが好きだったんですけど、
結構なんだろう、
組手、言ってしまえば、極真じゃなかったので、手袋、サポーターをつけて、
ふかふかのサポーターをつけてやるっていうね、 まあね、小学生クラブ、小学生だったんで、
中学生から2部っていうね、その後にまたさらにやるっていうのもあったんですけど、 90分だったのかなぁ。
2時間やってたのかなぁ。 うーん。
でも当時はすっごく嫌で、本当に行きたくなくて、 それでもね、3年間、
やらされてたんですよ。
帯の商談試験も受けたり、組手もやったり、大会も出たんですね。
一応ね、なんか上手いこと勝ち残って、試大会まで出たんですよ。 で、試大会のどこかで負けちゃったんですけど、
その時に泣いたんですよ。 僕が。もうそれで、
そう、負けて泣いてっていうので、 本当、父親と、父親じゃねえか母親が見に来てて、
もう本当悔しくて泣いてるの?って。 悔しかったの?って。
でも頑張ったじゃんみたいなこと言ったけど、 痛いから泣いてるって私言ったらしいんですよ。
もう痛い!って。もうなんかそれを聞いた時に別に全然悔しさとかない。
もうすごくなんか肘が当たって痛かったみたいなことで泣いてると。
もうその時に、ああもうこの子はダメだって。 もう空手をやらせても強くならないみたいな。
本当に嫌なんだなっていうのがすごい母親にその時に伝わったらしくて。
それで父親がとりあえず3年はやれみたいなことを言ってて、 まあもうちょっとで3年だったんですよ。
だから丸3年で、ああもう今月で終わるってすごい思ってましたね。
いや3年間やった。3年間週2回通ったって思ってましたね。
もうそれが、空手をやってるとまた、なんだろうな、身長も低いし線も細い子だったから、
なんだろうな、意気がってる小学生じゃないけどさ、
がさ、お前空手やってんだろうお前って言って喧嘩しようぜとか言ってくるんですよ。
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もうそれがね、また嫌で嫌で嫌で、ほんとね、全くいいことはありませんでした。
空手をやっていられた者は私はありません。
だから気が弱い子なんだろうな、合う合わないか、やっぱり合うし、
格闘技をやったからって精神的に強くなるとは全く限らない。
本当に思う。もうね。
精神的に強くなったのってね、結局友達たちの環境が大きいんですよ。
小学校、途中で転校したんですけど、転校した先の小学校が、
結構、なんだろうな、街で評判の悪い、治安の悪い小学校だったんですよ。
まあでもそれで、なんだろうな、髪の毛染めてる子がいたり、
襟足が長い子がいたりっていうさ、わかりやすい感じの小学校だったんですよ。
その中で育って、それでも友達になっていくわけじゃないですか、小学生だし。
小学生なんか普通に。それで、なんだろうな、みんな粗暴なんですよ。
なんだろうな、基準が。そこに慣れてって、俺は変わったんですよね。
だから決して空手のせいで変わったわけではないって。
すごく中学校とかになって、結構元気ハツラツしてたんですよ、僕は。
運動部だったし。で、運動部の後はちょっとグレたしね。
で、その父親がなんだろう、やっぱり空手をやらしといてよかっただろうみたいなことを言うんですよ。
いや全然関係ないって言って。
もう俺の人生に一番無駄だった習い事は空手だからっていう気持ちが今でも残ってますね。
そう、今だって男らしくしろってさ、よくわかんないのに、
なに、男らしくってなんだよってすげえ思ってましたね。
赤が好きだっていいじゃん。
赤が好きだったんですよね。
そう、なんかね、キムタクが、あ、すっごいキムタクが好きで、俺。
そう、で、小学校の時に、なんかかっこいい人イコールキムタクみたいな感じだったんですよ。
それでキムタクが、なんか赤が似合う男はかっこいい小子だからみたいなことを言ってて、
すごくね、あ、赤いいなって思って、そっからね、今でもなんか知らないけど赤が好きなんですよ、僕。
残っちゃって。
だからね、粗暴であることとか、力が強いこととかって自信になるかもしれないけど、
精神的にどうかっていうのは全く別じゃないですか。
なんだろうな、そう、今になったらすごく思うけど、
なんだろう、格闘技やってたってさ、気が弱いやつだっているし、
もうなんか絶対お前怒ったら、ね、俺のこと半殺しにぐらい余裕でできるでしょみたいなやつでもさ、
気が弱かったら、いやいや、もうなんかタトゥー怖いしみたいな、ヤンキー怖いみたいな格闘家だっているんですよ。
もうフィジカルでは絶対にお前の方が強いのにっていうね、やつがいるんですよ。
だからね、そうやっぱりね、生きやすさっていうのは環境、環境とあれですよ、
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精神的なもんですよ。
精神が強かったら、あんまりね、日本の中で、
なんだろうな、力の強さとか喧嘩強さっていうのはいらないと思うんですよね。
どうせカルテやってたって、何してたって、喧嘩になったら勝つか負けるかなんていうのは、
もうね、中学生ぐらいのレベルだったらぐちゃっとしてますから、もうそんな、テンションですから、テンション。
あとはね、ほんと舐められたくないとかね、そういう気持ちのもんですからね。
だからね、ほんとね、男らしくしろとかっていうのはね、今でもね、ありますね。
なんか普通、普通、男の子はこうじゃんっていうのが当時から苦手でしたね。
なんか、ほんと図鑑開いてるのも好きだし、本読んでるのも好きだし、
縫い物とかもすごく好きだったんですよ、家庭科で。
あ、俺縫い物好きだなーみたいな、そう思ってましたね。
ボタンつけるのとか、よくつけてましたね。
そうだけど、男のくせにって言われて、なんかね、まだあったなー。
今だとね、もうちょっと少ないのかなーって思いますけど。
そう、で、やっぱりもう今は全然ないけど、
高校卒業してフリーターだった期間があるんですね。
私は専門学校に3年遅れかな?で入ったんで、3年間フリーターだったんですよ。
その時もね、コンプレックスがすごかったですね。
なんか、なんとなーく働いてる奴は、もうちゃんと職人として働いてるし、
大半の奴は大学行ってるし、みたいな。俺だけチューブラリンだなーみたいな。
その時やってたのが塾の先生で。
塾の先生は本当に楽しかったんですけどね。
中学1年生、2年生、3年生と小学校4年、5年、6年生っていう。
全部持ってたわけじゃないんですけど、その4年生から中3までっていうのをなんとなく見てたんですけど。
それはね、すっごい楽しかったですね。
本当に、塾が潰れちゃって辞めたんですけど、塾が潰れてなかったらもしかしたら私はまだ塾の先生をやってるかもしれないぐらい楽しくて。
もうなんか、そうですね、個人でやってる子もいたんですけど、
その子がね、初めて受け持った個人の女の子が志望高校に受かった時は本当に嬉しかったですね。
その子にもらったボールペンをね、今でもね、中の芯を替えて使って持ってますよ。
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そうだなー。塾の先生、あの思春期の時に勉強をすることってやっぱり大事で、
勉学も自信になるだろうなーとは思いますね。
やっぱり常識とかマナーとかモラルっていうのって、基礎的な学力がないと得られないものだし、
あとそういう世界観に生きていないと無理じゃん、多分。
スラムで育ったらきっと、俺たちの常識とかモラルっていうのは守れないんですよ、どうやっても。そこで生活しちゃったら。
だから自分の中のモラルを高めて、自分の中の常識を高めてコンプレックス打ち消すっていうのは、
やっぱりある程度いい人たちで囲まれた状態にしとくと、自分もいい人になるっていう効果があると思うんですよね。
だから兄ちゃんとかガルちゃんとかタヌキとか、そういうところに入り浸っていて、友達が一切いないみたいな人たちは心配だよね。
でね、長いことあったのはサラリーマンコンプレックスもありましたね。
結局今は自営業と自由業という感じなんですけど、
まあみんなスーツ着て、マイン電車に乗って会社に行ってっていうのが、一回はやったんですよ、ちゃんと就職して。
まあ服のデザイン系のお仕事なんですけど。
サラリーマンもやってたんですけど、やっぱり無理で苦しくて、ちょっと鬱っぽくなっちゃって、何なんだろうと思って辞めちゃったんですけどね。
結局そのまんま生きてきて、自分が生きやすいように生きてきたんですよ。
だからコンプレックスがなくなってしまったっていうのは大いにあると思います。
自分がやりたいように生きるってやっぱ大事なんですよ。
人と違ってもいいじゃんって思うのって、大多数の人と同じようには生きられなかったけど、別に俺は幸せだって思えてるから、
何だろう、全然平気なんですよね。
あとは羨まないことですよね。諦めること。
どう考えたって、スーツ着て会社行って仕事して頭下げてっていうのが、多分俺はやっぱりできないんですよ。
自分の仕事は自分で取ってきて、自分でやって、そこで値段つけてっていうほうが正に合ってるんですよ。
これは本当に合う合わないの問題だと思うんですけど、だから本当にコンプレックスはもうないけど、けどサラリーマンは尊敬してますよ。
偉いな、俺には絶対できないなって思うから、サラリーマンの友達たちは俺は本当に偉いと思います。
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できないことはできないから、そこはもう自分の中で割り切るしかないと思うんですよ。
できないことはできない。 できるできないことはできる人に頼めばいいんですよ。
コンプレックスをなくすっていうのは自分がより良く人生を楽しく生きればなくなってきますから、
そのより良く生きていくには、友達を増やすとか環境を増やすっていうものになると思うんですよ。
やっぱりね、あの幼少期とか思春期の頃の苦しさって、やっぱりね俺はね人見知りだったし、ちょっとコミュ力…
虚ろ獣だったって感じですかね。友達はたくさんいたけど場の空気を読んで、
代多数派に迎合するように生きてた。それは違うんじゃないかなって思ったとしても、自分の中でね。
でもみんながそれでいいよって言ってるからその輪を崩さないように。
ああ俺もそう思うって。
今だったらその…なんだろうな。俺は全然そうは思わないけど、まあみんながそう思ってるんだったらいいよ全然って言えるんですよ。
ただそこでなんだろう、俺は違うからそれは絶対間違ってる、やんない方がいいとは絶対俺は今でも言いませんけど。
そうですね、だからコンプレックスとか生きやすいようにするっていうのは、できないことができないって諦めることと、自分の人生を楽しく生きること。
男らしくないのはもうしょうがないと。しょうがないんですよ。もう女で挟まれてるんだから俺は兄弟が。
そうだし、どんなに頑張っても強くならなかったんですよ。筋トレもしたし、悪いやつと筋トレもして、ジムとかも行って、でもそれでも強くならなかったから。
だからできないことはできない。努力が足んないっていう言い方もできますけど、そこに咲くまでの努力も必要がないぐらい心が強くなったから。
自信を持って生きる。無駄な自信結構大事だと思いますよ。うぬぼれとかね。そういうもので言ったっていいと思いますけど。
あと私は自分が好きですね。自分が好きですね。
自分のことを好きになれなんて思いませんけど、けどね、自分のことをいたわるのって大事ですよ。
こんなに頑張っててもダメなんだ私って思ったって、でも頑張ってんじゃん私って。私のこと嫌いだけど。
でも頑張っている人間は報われていく世界になってほしいって俺は思ってるんですよ。
だから失敗しても頑張っている人間は私ぐらいいたわってあげよう。頑張っている自分を私ぐらいいたわってあげようって思います。
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なんかねそんな感じですね。次は人見知りについて、明日は人見知りについて喋ってみようかなとか思います。
ハッシュタグミンチガでつぶやいてみたり番組の概要欄のリンクからお便りも待っています。
またねー