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#83 【六大事業】みなとみらいの生い立ちに迫る!〜都心部強化事業 前編〜
2023-05-23 22:57

#83 【六大事業】みなとみらいの生い立ちに迫る!〜都心部強化事業 前編〜

「みなとみらいっていつ呼ばれ始めたか知ってる?」「当時は"情報"がバズワードだったんじゃないかな」

今回は六大事業シリーズの最後を飾る都心部強化事業編です!予想通りではありますが、内容盛りだくさんだったので前後編に分かれています。


水と緑と歴史に囲まれた街...いい響きですね。まさにその恩恵を受けている身としても、当時のまちづくり設計に感謝しかありません...!!!


◆今回のお酒◆
鶴田:横浜ビール 横浜ラガー
村田:グリーンスポット


◆今回のキーワード◆

ウイスキーは喉で味わう / 横浜はかつてベッドタウン / みなとみらい21の名前の由来 / 横浜博覧会


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00:05
こんばんは、港町レイディオへようこそ。つるたです。むらたです。
この番組は、争いになって山根故郷の横浜に帰ってきた二人が、アルコールを片手に、浜ダンギア趣味の話に花を咲かせるレイディオです。
はい、今日は六大事業のラスト、都心部強化事業について話していきます。
ということで、つるぽん、今日のお酒は何ですか?
今日は、横浜ビール、横浜ラガーです。
おー、いいね。
みなとみらい!
いや、よい。
むらたくんは?
えーと、みなとみらいは関係なく、一口ウイスキーよりグリーンスポット。
グリーンスポット。
もう、何なのか、あんま分かってない。
おー、じゃあちょっと味わいながら、探ってみますか。
はい。
じゃあ、乾杯!
はい、乾杯!
おー、なんだろう、臭みがあるというか、ウイスキーのその臭みがあるタイプ、しっかり。
アイラウイスキーみたいな。
うん。
おー。
いや、でも美味しいよ。
おー。
うん。
でも、ロックで飲んでるけど、よいね。
ハイボールじゃ満足できなくなってきた。
うん。
むらたくん。
できません。
舌が、こうやっていきましたね。
舌なのかな?
これね、ウイスキーは喉だと思うんだよね。
おー、なんか、
あれ?
なんかちょっと、
ペンポットで言い出しちゃった。
これ、ちょっと、
喉ですか?
いや、喉なんじゃないかな。
舌で、
いや、なんかその、舌で転がすとか言うじゃん。
うんうんうん。
あんま舌で転がすビールとかって、
でもビールこそ喉越しじゃない?
あんま喉越しなので。
それはあれか。
僕は結構舌でコロコロしたいタイプです。
なるほど。
あれか、喉越しは単純にあれなのかな。
仕事終わりでグイッと行くみたいな時は、
スカッとするって意味だね。
そうかもしれない。
喉で何か味わえるの?ウイスキーを。
舌かもしれない。
なんで?
もう一回一口入れたけど、ちょっと舌かもしれない。
なんで?なんで?
いや、なんかこういうこと言いたいなって思ったさっきちょっと。
いやー、いいね。
うん。
はい。
じゃあ、ちょっと一瞬、
家系ラーメンの話とかしちゃってましたけど。
そうね、家系の愛がちょっと溢れたからね。
戻ってきましたね。
6台授業ですか?
そう、6台授業。
はいはい。
6個あってね、
ラスト置いといたから。
いやー。
なんで置いとかれたんだろうね。
それはもう準備期間でしょ。
あ、まあそうね。
そう、ピナーリを迎えるために。
ピナーリを迎えるためにね。
そうね、授業的にはさ、だって順次元はこの、
まあ今回都心部教科授業はね、
港未来よ。
港未来編。
港未来。
うん。
一番。
一番もう大事。
大事というか、あれだね、身近にあるというか。
身近だし、でももう大事なのは間違いないよ。
覚えてる?だって6台授業を、
そもそも考えた時のその時代背景。
覚えておりますよ。
覚えてる。
横浜市民の暮らしをもっと豊かにするみたいな。
そうそうそうそう。
確かあったね。
03:00
うん。
その当時高度経済成長で、
東京がもう爆発的にその雇用とかを生み出していて、
横浜って若干ベットダウン、ベットタウンチックになっていて、
なんか通勤も大変だし、
なんか横浜市民ちょっとなんか大変な暮らしをしてるみたいな。
はいはい、あ、そうか。
雇用を作るとかもあったよね。
そう、雇用も大事。
町としてもちゃんと活性化させるんだけれども、
その住環境も良くしつつも、
横浜にそもそも雇用を創出してあげるっていうのも大事だよねっていう話があって、
今回の都心部教科事業が一番ダイレクトに雇用創出の話かなと。
じゃあ早速ね。
ぜひ。
ありがとうございました。
当時の時代背景ね。
さっきも言ったけれども、
1965年に六大事業構想っていうのが発表されて、
行動経済成長の最中にありましたよと。
で、横浜の都心部って呼ばれるところは、
戦後もアメリカによる接種が続いていて、
復興、再整備が遅れちゃっていましたっていうのがあって、
その横浜がこの復興が遅れたが故に、
商業的な機能とかいわゆるビジネスの中核っていうのは、
割と整っている東京にガンガン持っていかれちゃってたんだよね。
横浜でビジネスするのちょっとやりづらいなみたいなっていう状況があったんだろうね。
ゆえに東京に行っちゃおうっていう。
企業もいたし、東京が盛り上がっていますよっていう。
ゆえに、横浜って戦後の復興が遅れてるエリアで、
東京が先んじて発展していっちゃうから、
さっき言ったようにベッドタウンみたいな形になっちゃってて。
で、それを解消していきたいよねっていう流れから、
この6大事業っていうのが打ち出されました。
この事業、都心部強化事業なんだけれども、
港未来21事業っていうのが、
この都心部強化事業の中核をなす事業。
で、この港未来21ってさ、
そういえば、いつ頃呼ばれるようになったんだろうって。
港未来で来た、平成元年とかだっけ?
だから、そのちょい前ぐらいに決まったのかな。
あのね、1981年までは、
横浜都心臨海部総合整備計画っていう名前だったの。
臨海部総合整備計画ね。まあまあ、確かに。
こっちの方が、実は単語的には分かり易いというか。
まあ、名前からは分かるよね。
なんだけど、あまりにも堅苦しい名前だから、
覚えづらいね。
愛称を募集したんだって。
キャッチーに呼びやすい名前っていうので、
募集したら、すごい当時2292点も応募があって、
気になるわ、その候補たちが。
他に何があったのかって、全然分かんないんだけども、
06:01
その中から、港未来21っていう名前が選ばれた。
そこまでは、港未来って名前なかったし、
いや、すごいだから、ひらがなで書いてて、
ね、港未来だからさ、
これが当時漢字で書かれてたら、
また別だ、別な印象だったわけよ。
そうだよね。
なんかもう、港未来ってあのひらがなで、
あれしかないみたいな、今感覚がやっぱあるから。
すごいよね、それを選んだというか。
21、そっか、ついてたね、そういえば。
うん、ついてる。
オリジナルはというか、当時やっぱり21世紀みたいなっていう、
そこに対しての思いみたいなのがあったと思うから、
それで21入ってんじゃないかな。
そうなんだ。
今はもう普通に港未来って呼ぶけれども。
いや、でもやっぱりひらがなしかしっくりこないよね。
見慣れてるってのもあるけど。
そのセンスはいいね。
そう、だからそれがついたのが1980、
だから1年まではこの名前だったから、
2年とかそれぐらいなのかな。
1980年代に港未来っていう名前になったよっていう。
そうなんだ。
で、じゃあね、この授業。
目的は何ですかっていう3つあって、
すごいしっかりしてんの。目的が3つあり、
それをベースに目指した都市の姿を
3つ定義するっていう、
もうしっかりした、
市の仕事だからね。
成功しそうな雰囲気感じるよね。
そこまでちゃんとしてる。
行政がしっかり考えたんだなっていう、
匂いがプンプンするんだけど、
目的3つあるうちの、
1つ目が横浜の自立性の強化。
さっきもさ、東京のベッドダウンみたいな形になっちゃってる、
なっちゃってるとかなっているとかさ、
当時の時代の状況も含めね。
ともあって、
ちゃんと自立した街、横浜を
強化していこうっていうのが、
その目的の1つ目になりましたよ。
で、これ一番最初かな、
イントロでも喋ったかなと思うんだけども、
横浜って旧来中心部と呼ばれていた、
関内伊勢崎町地区と、
新たな中心部として発展し始めていた、
横浜駅周辺の、
この2つのエリアに、
この横浜の都心と呼ばれるところは、
2分されてしまってました。
ゆえに、これをつなぐ、
新都心、港未来地区を開発するっていうのが、
この自立性強化のために、
まず必要だと思われて、
思われているというか、当時の人たちが考えたこと。
そこに対してネックとなっていたのが、
例えば三菱造船所が間にあって、
あるいは、都心内部に工場がいろいろ、
点々とね、
いるがゆえに、町をつなげることができない。
09:00
町、工業地帯、町みたいになっちゃってて、
結果この工業地帯を、
どかしてあげないと、
1つのつながった町、
今で言う港未来っていう場所を、
作ることができないよねっていうのが、
この1つ目の目的のところ。
この工場の移転とか、
金沢地先事業にね、
つながってくるところ。
そこで、
いわゆる港未来地区を作って、
つなげようっていうのもありつつ、
もちろんそこのエリアで何をするのっていうのも大事じゃん。
ここは、都市計画で一般的に言われることなんだろうなと思うんだけども、
企業誘致したりだとか、
人々がショッピングをできるとか、
文化的な施設をそこに集約させる、
集めるっていうことで、
市民の働く場所が雇用の創出もそうだし、
あとは自由環境っていうことで、
にぎわいの場を作っていって、
横浜を自立した町にしていこうっていうのが、
1つ目の目的。
まあ、
うんって感じだよね。
そのようになっているしね。
イメージがつくと思うんだけど。
2つ目の目的。
単語だけでいくと、
いろんな資料でこの単語が、
繰り返し使われていて、
パッと入ってくるかっていうと、
今回初めて聞いたワードだったんだけども、
公安機能の室的転換、
っていうのが目的の2つ目に言われていて、
公安機能っていうのは、
港湾で、
公安機能の室的転換っていうので、
これ何を言っているかっていうと、
この中で取り組もうとしたことが、
例えば海辺に、
今だと臨港パークとか、
港望むパークね、
あと日本丸のメモリアルパークとか、
あったりすると思うんだけども、
公園とか緑地、
緑のエリアね、
を整備して、
市民が親しめる、
ウォーターフロント空間を作ろうっていう。
これね、後でもちょっと話出るかな?
出るんだけれども、
横浜って海辺あるじゃん?
海辺都市というか。
なんだけれども、
当時はあまりその海辺に、
人々が近寄ることができなかった。
っていうのがあって、
ウォーターフロントな、
この横浜っていう町を、
しっかりと活かそうっていう、
そういう質的な転換なのかなと、
特に読み解いてるけれども、
そういう、
ちゃんと海辺があるんだから、
うまく使おうぜっていうお話ね。
質的なんだっけ?
転換。
ちゃんとその、
うまく活用できてなかった部分を、
変えたいという質なのかなと。
3つ目の目的が、
これが首都圏の業務機能の分担。
首都圏の業務機能の分担。
具体的には東京って思えばいいから、
さっきも言ったけど、
東京にやっぱり、
横浜の復興が遅れたがゆえに、
東京でビジネスを展開した方が、
いいよねっていう。
企業も思うよね。
今もそうじゃん。
ビジネスをするんだったら、
例えば、
都心部にいた方が、
12:01
進めやすいだとかっていう事情は、
今でこそ引き続き続いてると思うけれども、
当時は当時で、
東京と横浜っていう、
この隣接したエリアで見ても、
東京の方が優位性があったのは間違いないだろうから、
そこをちょっと変えていきたいよと。
東京に集中している首都機能を、
いって分担するというか。
なるほどね。
横浜も一大都市として、
しっかりと機能を発揮していこうっていう。
その結果、
この首都圏エリアの中で、
横浜も一つ大事な役割を担おうみたいな。
ことが目的として掲げられたもの。
なるほど。
言い方悪いかもしれないけど、
東京からいろんなお仕事を持ってこようぜと。
なるほどね。
しかも横浜の観点で言えば、
取り替えそうだと思うよね。
そっか。
確かにね。
昔を考えれば、
開港当時はめちゃくちゃ栄えていたわけですから。
そうなのよ。
我々は、
接収されちゃったの、アメリカに。
土地を。
ゆえにだから。
取り返してやろうと。
そこまでじゃないかもしれないけど。
というのが、目的が3つ。
さっき言ったじゃん。
3つの目的があり、
その目的を果たすための、
都市の姿というのを3つ思い描きましたよと。
これ3つ喋ろうと思うんだけど。
まず1つ目が、
24時間活動する国際文化都市。
なんかちょっと、
ブラックかな?みたいな。
いや、そういうことじゃない。
そういうわけではない。
そういうわけではないんだけど。
歌舞伎町みたいな。
いや、やばい。
それはもう本当に眠らない街だから。
そっか。周りは深夜に起きてる街か。
日中も稼働します。
これどういうことかっていうと、
国際文化都市だからさ。
国際交流みたいなのって、
当時からすごい大事だし、
いろいろと取り組んでいかなきゃって言われてたものもあって、
パシフィコ横浜を中心に、
オフィスとか文化施設、商業施設とか、
いろんなものの機能を統合して、
世界各地の動きに常時対応する。
ここで24時間活動するって意味だと思うんだけども、
時差とか考えるとね、
日本で寝てる時に、
めっちゃ活動してる国もあるわけでっていうことから、
そういった世界各地の動きと密接に連携していく、
魅力的な街づくりをしたいっていうのが、
まず目指した姿一つ目。
改めて聞くと、そっかって思ったけど、
パシフィコ横浜って、
そういう機能を重点的に期待されてたんだね。
そうなんだね。
大きな展示会とかやる場所だよね、パシフィコ。
あとはインターコンチネンタルホテルがあったりとか、
展示会場に久しぶりに行ってきたけど、
15:02
何の展示ですか?
赤ちゃんグッズの、
いろんなメーカーが商品紹介するみたいなのに行ってきた。
国際文化感じられた?
日経企業だったかな。
そのイベントは?ってことか。
それが一つ目の国際交流とか、
国際的な都市にしていきたいっていう姿が一つ目。
二つ目が、これはそっかっていう感じになるかもだけども、
21世紀の情報都市。
情報都市ですか。
情報ってのはあれかな、IT的な?
のも含め、様々な領域で活躍する企業とか、
あるいは国の行政機関とかの機能を横浜にも行って集めることで、
情報発信機能を持つ都市。
それでいくとあれなのかな、横浜市が先行して、
例えば日本国内の他の都市ではやってないような取り組みを
先んじて試してみて、その結果がどうだって、
国内外に発信していくだとか、
モデル都市としても役目を担えるように。
何でもかんでも二番煎じじゃなくて、
追っかけのスタイルじゃなくて、
横浜ってやっぱり新しいこと取り組んでるよね。
うちも真似してみようかなとか、横浜これはこの前やったけど失敗してたから、
どんどん先にチャレンジしていくような都市っていう意味も含んでるんじゃないかなと。
各機があっていろんな企業が来て、いろんな情報交換とか発生するみたいな。
そういう感じかな。
でも情報都市ってわからない。
当時この計画が立てられた頃だと、
きっとバズワードだったんじゃないかなっていうイメージもあるよね。
今で言うDXじゃないけど、DXはもうだいぶ擦られてきてるからさ。
まさにDXのモデル都市みたいな。
情報情報って言ってた時代だと思うから、それを目指しましたというのが姿の二つ目。
最後三つ目が、これやっぱいいなーって。
このメリットというか、この目指した姿の良さを享受してるなって思うんだけども、
水と緑と歴史に囲まれた都市。
めっちゃ良くない?
なんかわかるね。
住んでる人間、生活してる人間が一番この、さっき言うのさ、二つはさ、国際交流でとか情報都市で、
結構ビジネス的な面も強いかなと思うんだけども、
普段生活するっていう観点においてはさ、この都市として水と緑と歴史に囲まれてるみたいなさ、
18:04
もうめちゃめちゃ恩恵を受けているからさ。
いやわかる。
これね、個人的にはまじで歴史ってのが重要だと思うんだよね。
歴史が重要?
水と緑に囲まれてる都市は結構ある。
最近新しい、例えば悪いかもしれないけど、豊洲とか新しい、すごい綺麗で公園もあって、
気持ちいい感じの場所なんだけど、歴史要素、歴史とか昔らしさというかさ、
地元に根付いてる感とかがやっぱこの横浜の魅力だなといつも思ってる。
ちゃんと歴史的な建造物がね、あるもんね。
結構やっぱ地域に根付いて長年やってるさ、お店とかもすごいたくさんある。
ところが新しい感じ、綺麗な感じもあるけど、古きみたいなのもある。
やっぱ魅力だなといつも思ってるから、いいね。
そうなのよ。やっぱりこのウォーターフロントってさっき言ったじゃん。
やっぱこの貴重な特性だというのはね、ちゃんと横浜自身は理解をしていて、それを活かそうっていうこと?
やっぱ歴史でいくとさ、それこそもう建物レベルでいくとさ、赤レンガ倉庫とかさ。
そうだよね。
あんなさ、いろんなフェスとかイベントとかやってさ、なんか最近感めちゃめちゃプンプンに出してるけどさ、
めちゃめちゃ歴史的な建造物だからね。
あとはドッグヤード?昔に日本丸が。
ドッグヤードね。
あれ?日本丸じゃねえのか。船が普通に泊まってたところ?
そう、作ってたところね。
あそこってなんか浄養文化祭かなんかに認定されてるよね。
そうなんだ。結構インパクトあるよね。なんだこれっていつも知らないと思うよ。
でもそことか、いろいろ歴史的なね、ものもありますよねっていう。
そうなんですよ。
で、やっぱりこの水戸っていうところも、やっぱり当時の人たちからすると、水辺行けないんだが、みたいな。
っていう感じだったから、やっぱりその憩いの場としてね、ちゃんとその市民が水辺に、海辺に寄っていけるようにみたいなっていうのは、
当時考えた姿で、パシフィコのふもとというか、ビアガーデンっての知ってる?毎年。
インターホテルでやってるやつ。一回来たことある?
あれ、うちの家族毎年行ってて。
そうなんだ。
毎年なのかな?最近かわかんないけど、なんか恒例イベントみたいな感じで。
ダウンショットすごい。
あれいいじゃん。
ああいうのこそ、まさに当時の横浜が生み出したかった、この海辺で憩いの場があるっていうのの、たとえば一つの姿だったりするわけで。
21:05
なるほどね。今はたくさんあるもんね。
他にもね。
ああいう感じのものって、当時はなかったから、まさにこの計画を目指した姿の恩恵を受けまくっているなっていう。
いいですね。
そんな姿がありつつ、港未来の計画、港未来21計画っていうのが進んでいったわけなんだけれども、
当時、この港未来計画って、1989年に横浜博覧会っていうのがあって、知ってる?あんま知らなかったんだよ、調べるまで。
開催されたということだけは知ってる。内容はあんまり知らない。
内容はね、当時だとバブル期の博覧会みたいな感じだからさ、パビリオンがいろいろあって、人がたくさんわーっと訪れてみたいな感じだったんだけども、
その博覧会がね、1989年に行われて、それの後から本格的にこの港未来計画っていうのが推進されていきましたよ、というところで、
知ってたけど都心部長いから、一旦この辺でね、前半パートということで、区切りを入れて、
次回、博覧会。博覧会後っていう話をちょっとしていきたいなと。いいですね。
じゃあ今日は一度満開ということで、おしまいしますか。
はい、港町レイディオでは皆さんからのお便りを募集しています。
概要欄のフォームもしくはTwitterでハッシュタグ港町レイディオをつけて投稿お願いします。
ではまた次の港町レイディオでお会いしましょう。さよならー。
22:57

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