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#21 『明治から戦前へ、日本初の鉄道と野毛』酒飲みの聖地 "野毛" の歴史 - 第3回
2021-07-24 14:20

#21 『明治から戦前へ、日本初の鉄道と野毛』酒飲みの聖地 "野毛" の歴史 - 第3回

「いまの桜木町駅って実は初代横浜駅だったんだよね」「日ノ出町・黄金町エリアの活気に野毛の発展が支えられたらしい」
野毛シリーズの第3回は、明治時代から戦前にかけての野毛について語りました。

◆今回のお酒◆
村田:オリオンビール
鶴田:オリオンビール

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00:06
こんばんは、港町レイリオへようこそ。村田です。
鶴田です。
この番組は、荒沢になって生まれ故郷の横浜に帰ってきた二人が、
アルコールを片手に、浜談義や趣味の話に花を咲かせるレイリオです。
さて、今回、野毛シリーズの第3回になるんですが、
ちょっとお酒を足しますかね。
うん、足しましょう。
手元にあるのは?
えー、オリオンビールです。
オリオンビール。
沖縄が誇る。
沖縄なんだね。
沖縄なんですよ、オリオンビールは。
あの、アサヒケイレさんだね。
アサヒケイレさん。
そうなの。
はいはいはいはい。
沖縄、この軽い口当たり、飲み心地が特徴で、
やっぱり暑いとこ行くとね、こういう軽いビール飲みたくなるよね。
あ、そうすると夏に合うビールになるってことね。
うん。
ということで、じゃあ本日も。
乾杯。
バイバイ。
あー。
あー。
いいね。
口当たりがいいっていうのがすごいよくわかるわ。
うん。後味もすっきりめで。
うん。
ちょっとアサヒウクと比べると甘みがあるかな?そんな感じが。
うん。
しますと。
覚えられそうだな、多分沖縄のってやっと。
なんて言うんだろう、その。
うん。
いや、もともとビールそんな得意じゃないからさ。
あー。
なんて言うの、その、今の口当たりがいいとか、
うん。
なんかその、暑い国、っていうか暑い地方だと、
うん。
こういう夏に合うような、
うん。
なんかその、すっきりとしたビールが作られるんだよみたいなエピソードも踏まえると、
はいはいはいはい。
オリオンビール、あ、沖縄ね、みたいな。
はいはいはいはい。
正直ね、その、
うん。
オリオンって書いてあってさ、
オリオンって書いてあったかな?
一瞬なんか北海道とかだったっけみたいな。
あー。
なんとなくなんかその、北国感みたいな。
いや、ないんだけど多分、勝手に感じちゃってたんだけど。
あれでしょ、オリオンって星とかを、
あ、そうそうそうそう、なんかその、それで、
確かに。
北の方から感っていうか。
そう、勝手に感じちゃってたけど、
今みたいなこの味と、味わいに対しての、
うん。
なんか、情報も踏まえると、
沖縄っていうのね、今後はもう、
しっかり覚えられそうな気がする。
えへへ。
いやーちょっとオリオンビールも、
はい。
ちょっと飲んでいきたいなと。
ふふふ。
じゃあ、
えーと前回は、
まあ開国して江戸時代が終わるっていう、
ところまでお話したんだけど、
うん。
なので明治時代の野芸について話していこうと思います。
はい。
はい。
明治あの、1868年に、
1868年。
明治時代に。
前回では、まあ横浜道ができて、
うんうんうん。
開国がきっかけで、
うん。
道ができて、どんどん発展していったっていう。
その道にたくさん人が通って。
うん。
っていう話をしていったんだけれども、
うん。
明治時代もいくつかの出来事がありつつ、
うん。
発展していきますと。
うん。
結構主要なのは、
明治5年、1872年に、
うん。
あの、日本最初の鉄道が開通します。
おー。
えっと新橋と、
うん。
横浜を結ぶ鉄道で、
03:00
教科書でもよく見るやつだね。
そうだね。
横浜っていうのが実は、
今の桜木町駅が、
うんうん。
かつては横浜駅と呼ばれていて、
それなんかよく聞くよね。
うん。
実はみたいな。
うん。
確かね、今の横浜駅は3代目とかな。
あ、そうなんだ。
横浜駅だった気がするんだよね。
で、それで鉄道ができたことによって、
うん。
東京から海外に向かう人が多くが、
こう、のげを訪れるようになりますと。
あ、新橋から、
うん。
電車に乗って、
うん。
まあ、今でいう桜木町駅。
でも当時は横浜駅っていう名前なんだよね。
そうだね。
横浜駅に来て、
そのまま港に来てっていう感じなのかな。
うん。
で、そこで道中のげを通るみたいな。
そうそう。
で、まあ逆に言うと、
その、海外から来る人も、
うん。
当然あの、桜木町を使って鉄道で東京に行く人が多いから、
まあ、のげのところで泊まったりとか、
はいはいはい。
そこで買い物をしたりするっていうような、
そういう意味で、
ここもあの、のげ道と同じように、
うん。
交通の要所という風になって、
うん。
発展をさらにしていくっていう、
はいはいはい。
あの、
まあ横浜が当時その国際都市だったんだけど、
まあその入り口の、
うん。
日本人下町として、
発展していきますと。
うんうん。
で、明治時代とか、
まあその後の大正時代とか、
うん。
その日かけては、
このエリアはこういう人たちが住んでるとかっていう風に、
区画が分かれたような街づくりになっていたみたいで、
ほうほう。
あの、のげ山は高級住宅街、
うん。
お屋敷とかがたくさんあって、
あー。
うん。
で、のげ坂から、
うん。
今ののげ野宮街とかあるような、
うん。
あの、都橋とかにかけては、
まあ商店街とか立ち並んでいて、
うん。
で、ちょっと裏通りには、
労働者の人が住んでるとか、
はいはいはい。
もしくはその、
これから海外に出発するための、
うん。
ちょっとした宿があったり、
うん。
そこに泊まっている人がいるっていうような、
そういった街並みを形成しながら、
うん。
発展していきましたと。
はいはいはい。
ちょっとネットで調べて、
すごく明治の街並みを表していて、
分かりやすいなと思ったところをちょっと引用してるんだけど、
うん。
昔、明治から昭和時代の作家で、
おさらぎ二郎という人がいて、
おさらぎ二郎。
おさらぎ二郎さん。
どなた?
いやー作家らしい。
初めて聞いた名前は。
多分有名らしいけど、
ちょっと恥ずかしながら僕は、
勉強大塚で、
この人の作品は何も知らないんだけど、
その人の、
何か言ってたのか、
のげについて。
そうそう。
もう少し引用すると、
うん。
商店街がぎっしりと並んだり、
上着いたっていうに嫌かさは全然なくて、
うん。
どこかのんびりとした静かな街でした。
うん。
当時ののげね。
うん。
旅人相手の宿屋とかが残ったりとか、
しもた屋、
一般の住宅っていう意味なんだけど、
が結構多かったと。
うん。
今ののげの飲み屋街っていう感じのイメージとは、
程遠い、
うん。
穏やかな、
普通の人が住んでるっていうような、
街並みだったみたい。
うん。
06:00
これがなんか、
明治ののげの雰囲気かなと。
なんだ完成な住宅街?
住宅街でもないのか?
さっきの感じだと。
うん。
あの商店街も多分あるだろうから、
そこそこお店もあるし、
でもそこに住む人も普通にいるし、
うん。
飲み屋街がバッと立ち並ぶっていう感じでは、
全然なかったみたいだね。
なんだろうな。
鎌田の駅前の商店街からその先の、
家が立ち並ぶエリアぐらいのイメージかな。
ははは。
ほどほどに、
華やかで、
いや華やかではないや。
まずいな。
ははは。
まずいな。
福屋さんとか八百屋さんとかが並んでたりとかして、
そこを抜けていくと、
なんかその人が住む家があって、
みたいなそんな感じなのかな。
どうなんだろうね。
交通の要所の周りエリアっていう形だから、
やっぱそこそこ人の出入りも多かっただろうし、
港で働く労働者とかも住んでたから、
そこそこ書き終わったんじゃないかなってことは、
推測できるかなという感じですかね。
なるほどね。
はい。
で、大正の時代に入っちゃうんだけど、
またここで大きな転機があって、
1923年、大正12年の関東大震災。
天災が。
はい。
で、野毛もほぼすべて倒壊。
消失します。
おー。
この街並みたちがね。
うんうんうん。
またこれも野毛の街を構成するというか、
作り直す一つのきっかけにはなっていて、
この過程で色々区画整理が行われて、
その区画が今の野毛の大体、
街の区画になってる。
そのタイミング、大正時代とかその、
あれ?
関東大震災。
関東大震災。
1923年。
1923年、もう900年代。
うん。
じゃあもう100年ぐらいが、
当時の区画をベースにしながら発展してきてるんだ。
そうだね。確かに。
うん。
100年ぐらいになるね。
うん。ちょうどね。それぐらいだね。
そうだね。ちょうどね。
そうそうそう。
で、ちょっと面白い話があって、
お。
野毛の、
うん。
なんだろう、今の1丁目2丁目の宮街を
うん。
グーグルマップとかで見ると、
うん。
なんか一箇所ね、ちょっとこう曲線になっている、
曲線。
区画があって、
普通さ、区画ってその長方形とか、
長方形とかじゃない。
そうだよね。道路で綺麗に区切るもんだよね。
そこはね、実はその復興の過程の一案で、
うん。
今の桜木町駅から、
うん。
小戸ヶ谷駅に鉄道の線路を伸ばすっていう、
小戸ヶ谷駅?
そう、案があって、
おー。
それの鉄道用の、
うん。
線路を確保するっていうために、
うん。
確保した結果一部の区画が曲線になるっていう設計をしていたのね。
桜木町から小戸ヶ谷駅を結ぶっていうところで、
多分斜めな感じのこう線引きになるから、
うん。
それによってその、
うん。
線路が途中間に、
街の区画の中に入るから、
09:01
うん。
ちょっと曲がった形でこう設計される。
へー。
線路用のルート確保っていう。
っていうのがあったんだけど、
うん。
この案はもちろん今そんな線路がないから、
ないよね。
通らず、
復興計画の中で、
うん。
湘南電気鉄道。
湘南電気鉄道?
そう、今のね、
京急線。
京急線です。
で、こちらの新しい線路の案が出てきて、
うん。
日野出町、小金町を作ろうと。
で、1931年かな。
うん。
だから復興から8年ぐらいか。
うん。
に、日野出町、小金町ルートっていうのができて、
うん。
そこに駅ができたからまた、
野木の活気を後押しをしていくと。
あ、そうか。
今で言うJRの県品特選の桜木町駅と、
今で言う京急の、
うん。
当時湘南電気鉄道って言ったのか、
うん。
小金町、日野出町。
まあ、正確にはたぶん桜木町と日野出町の間みたいな感じだもんね。
うんうんうん。
だから各線路を行き来する人とかも、
うん。
一定数いたはずだろうし、
うんうんうん。
人通りがあるエリアって言う、
うん。
ことでたぶん野木が発展したのかな。
そうそうそうそう。
うんうんうん。
結構僕すごい面白いなと思ったのが、
うん。
もともとその裏側の方から小金町までっていう線路を作ってあって、
うん。
一方、下側の方から神奈川の方に伸ばしていって、
うん。
日野出町まで行くっていうルートがあって、
うん。
小金町と日野出町が結ばれたのって最後なの。
へー。
そうそう。
あ、そうなんだ。
そうそうそうそう。
海側ルート、海から内陸ルートと東京から神奈川ルートっていうのが、
うん。
一緒にこう作って作っていって、一番最後に日野出町、小金町結ばれたの。
へー。
そんな感じだったんだ。
ね、そうそう。そんな感じだったの。
え、もともと両方とも湘南電気鉄道だよ。
ってわけではない。
小金町までの裏側から小金町が湘南電気鉄道?
裏側から小金町が湘南電気鉄道かな。
で、品川と神奈川の辺りが景品電気鉄道かな。
それがじゃあ、ルール。
あれかも。
京急。
一緒に資本が同じになって景品急行になったのかもしれないね。
湘南電気鉄道。
ちょっとまた別的になるから調べたいね。
そうか、そこ繋がってなかったんだ。
なんなら景急のさ、お箱というかさ、特徴はさ、三崎口とかさ、あっち側にガンガン伸びることじゃん。
だけど、オリジンというか由来でいくと、そっちは湘南鉄道っていう、なんなら景品、あれ?景品電鉄だっけ?
景品電気鉄道かな。
あれはもう電気鉄道は品川から日野出町までぐらいが元だったんだもんね。
そうそうそうそう。
本当にあれなんだね、東京と横浜?だよね?景品だから。
を、まあ繋ぐぐらいの日野出町ぐらいまでの。
12:01
でもそれが当時の横浜ってそこだったから、最初は本当にそこを繋ぐのみだったんだね。
ね、そうそう面白い。
1年ぐらい小金町から日野出町までルートがない時期があって、
その時だけ横浜と小金町の間って乗り合い自動車みたいなのが臨時的に運行してて、人を運んでたらしい。
まだ電車がないから。
っていう歴史があったのがすごく面白かったかな。
いや面白いね。
ここが最後に繋がったんだって。
っていうのが震災から復興していく過程の現地周辺のお話で、
ここから第二世界大戦のちょっと手前ぐらいまでお話すると、
だんだん1930年代、戦争が弱くなってくるにつれて、
野毛のエリアって要塞地域の一部として歩き回ることとかも許されなくなってたらしい。
要塞地域?
うん。
野毛山に公車砲って砲台みたいなのが設置されたりとかしていて、
だからそこが要塞の地域の一つとして指定されていて、
そこに住んでる人たちっていうのは、
商店街とか住宅地とかに防空壕とかを掘って、
結構だいぶ緊迫した雰囲気というか、
自由にそんなに歩けないっていう風に、
戦争の手前ぐらいでなってたらしい。
なんか軍事特区じゃないけど、そういう感じのエリアだったのかな。
高台に砲台とかを置いてたっていうところだから、
そこに近しいエリアだとすると、
あんまり自由はなかったんだ当時は。
そうそう、そうみたい。
という感じで、明治と大正と第二次世界大戦の直前ぐらいもちょっと話したんだけど、
次回は戦後からのげがどういう風に発展していったかっていうようなものを話したいなと思います。
次回がラストになるのかな、のげシリーズは。
そうだね、次回か次々回かぐらいかな。
ちょっとボリューム次第ってところですかね。
ではまた次回の港町レイドでお会いしましょう。
さよなら。
14:20

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