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はい、みなさん、おはようございます。本日は1月4日土曜日、9時…10時か、っていうところになってます。
現在、とある場所で、外で…家ではなく外で収録してるところになってますよ。
ということでね、退屈なので収録しようかなと思って原稿を家から持ってきてます。
はい、ということでいってみましょう。本日は、引退選手名鑑の第4弾でございます。
第1弾、上原浩二。第2弾、安倍晋之助。第3弾、スコットマシソンに続く第4弾、森福正彦について喋ってみたいなと思います。よろしくお願いします。
昨年12月24日、クリスマスイブに元読売巨人軍森福正彦がユニフォームを脱ぐ決意を発表しました。
この回はメイリリーバー森福正彦を振り返ってみたいなというふうに思ってます。よろしくお願いします。
森福選手、1986年7月29日生まれ、現在33歳という年齢です。
愛知県豊橋市出身、左投げ左打ちの選手でした。高校時代は豊川高校にてですね。
三河のDr.ケイトナオハセですね。ナオハセル名投手でした。
2005年ですね、野村克也時代のシダックスに入社するわけですね。社会人のシダックスに入ります。
伊豆ハムの武田勝とか、当時は野間口とか、元ジャイアンツの野間口とかいた球団ですよね。
2006年、大学社会人ガラフトにてソフトバンクホークスの40名の指名を受け入団しました。
同期入団は希望枠入団で大隣。
高校生ドラフトは福田周平、この度FAでロッテに席が決まった福田周平ですね。
他には大学社会人のドラフト、他には高谷という保州、それから長谷川という外谷市、これは衆院選手も獲得した名選手ですね。
などなどと同時期に入団をしました。
翌2007年3月31日に一軍に初昇格です。
同日のロッテ戦に初登板。9回6点リードの場面での登板を無視点デビューを果たしました。
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2007年はプロ1年目ですね。7試合に登板防御率は1.50でした。
2年目2008年は不調を極め1軍での出場はゼロでした。
週期キャンプにて本格的にサイドスローへの同級フォームの改造に取り組みました。
2年目は6試合登板防御率6.75です。
3年目2009年は一軍二軍は行ったり来たりでしたが、クライマックスシリーズファーストステージ、これはシーズン2の落点と戦いました。
クライマックスシリーズファーストステージ2.2試合に登板をしました。
2009年の成績は13試合に登板2ホールド防御率4.91という数字になります。
4年目ここから大きく羽ばたいていくことになります。
2010年8月26日ロッテ戦でプロ初勝利を挙げますと、この年セッツファルケンボーグマハラカラナウルSBM48に次ぐ存在として一軍ブルペに定着していきます。
4年目36試合に登板3勝1敗5ホールド防御率2.59という成績を収めてみせました。
5年目です。2011年5月1日ロッテ戦初セーブを達成します。
これがパリーグ26人目の一球セーブ。一球を投じただけでセーブを果たしたという記録を出しました。
7月からは20試合連続無失点。
SMB48からセッツが先発に転向しました。
マハラの不調もありセットアッパーに定着しました。
リーグ制覇にも貢献しましたよという森福選手です。
11月16日に行われた日本シリーズ対中日製の第4戦。
6回1点リードノーアウト満塁で登板しました。
中日の小池を3進、平田をレフトフライ単一色をショートゴローに抑えて0点に抑え込みました。
この日本シリーズの活躍は森福の11球と言われて、
伝説?伝説じゃないだろう。調べるまで知らなかったけど、
多分フォークスファンの方に言えばお馴染みなのかな、森福の11球と言われたコートを見せました。
またこの年、パリーグ中継部門にてファン投票1位を獲得しましてオールスターに出場。
2011年の成績です。60試合に登板4勝2敗1勝34ホールの防御率1.13と大変素晴らしい成績を抑えてみせました。
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6年目です。2012年開幕時点からゲーム終盤8回を担当するようになりました。
16試合連続無失点。キャリア範囲の65試合に登板2勝5敗17セーブ24ホールの防御率1.39。
65試合になると防御率1.39すごいですよね。
このオフには侍ジャパンとして招集されます。
侍ジャパンマッチ2012という大会というか、練習試合みたいなもんかな。
対戦相手はキューバでした。グリエル、デスパイネ、セペザなど応用するキューバに対して侍服は侍ジャパンに招集されております。
出場もしたんでしょう。そこまでちゃんと確認してないです。すいませんね。
オフ2はついに1億円プレイヤーになりましたよって書いてますね。
グリエル、ベイスターズ活躍しました。デスパイネ。
ホークスで今でも4番打ってますね。
もともとはロッドやったのかな。最後に出たキャラセペラです。
これがジャイアンス取ったんですけどね。全然でしたね。
懐かしい外人さんですね。
7年目です。2013年WBCに出場しました。
シーズンでは先発予定の大隣が急な腰痛によりプロ200試合の試合で初の先発マウンドを経験しました。
森福選手、初の先発マウンドを経験しますね。
多分これがプロ生活で最初や最後の先発だったのかな。
まだショートスターターとかブルペンデーとかないような時代だったのでそうだったと思いますよ。
この年は前年に比べホールドは減少したが相手の勢いを要所で止める役割を全うしました。
シームに貢献しました。
57試合の当番です。3勝2敗15ホールド防御率2.58でしたね。
8年目2014年です。
5年連続となるWHIP1未満を達成します。
4年連続50試合以上の当番が評価され年望1億6千万まで上がりますね。
2014年は58試合に当番。2勝1敗15ホールド防御率3.02。
3点から上がるとちょっと高いかなといった印象になりますね。
9年目です。2015年は不審でございました。
当番数が減少します。
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フォークスは日本一に輝くもポストシーズンでの当番機会はゼロでした。
32試合に当番し0勝2敗14ホールド防御率5.82という数字になってますね。
10年目です。2016年は主に対左打者へのワンポイントリリーフという役割で2年ぶりの50試合当番を達成しました。
国内FA権を獲得します。
オフには巨人と残留交渉をフォークスとしますね。
1対1の戦いという形になりましたが、2016年12月1日に巨人への移籍を発表しました。
森福選手Cランク11位ということもありまして、人的保証ゼロでの移籍になりました。
この年は確か4億円の松坂がいたのでね。
あと他にもお高い選手いっぱいいますもんねフォークスはね。
ありがたい限りでしたね。
2016年は確かヨーダイカもそれから今口春も取ったんじゃなかったかなという記憶がありますね。
2016年は50試合に当番しまして2勝1敗16ホールボーイズ2.00という数字になってます。
11年目の成績を見ていきましょう。
2017年ジャイアンスでセットアッパーとして期待されましたが不審を極めます。
左のワンポイント寄与へ変更しましたがやはり不審は続きました。
ジャイアンス1年目です。
30試合当番1勝3敗6ホールド防御率3.05度。
12年目の2018年2試合当番防御率13.50。
13年目2019年。
ここでですね。
昨年ですわね。
記憶に新しい昨年2019年です。
交流戦で対フォークス戦です。
森福選手2軍での校長が認められて1軍に呼ばれますがフォークスの福田選手にですね。
同期入団の福田選手に万類ホームランをくらってしまいます。
これがきっかけでまた2軍で戻ってしまいます。
それ以降2019年シーズンは上がってこなかった記憶がありますね。
10月には戦力外通告を受けトライアウトを受けるも12月24日に現役の引退を発表いたしました。
最後の今年2019年は7試合当番3ホールド防御率6.23という数字になりましたね。
森福選手です。
ニックネームはチョメ。
闘球開始までの静止時間の長い独特の闘球フォームがおなじみです。
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スライダーカーブを武器にその一時帯を作りサムライジャパンにも貢献しました。
オフにはねファッションとかね服装それか髪型メガネもね見た目でもね相当注目されました。
変なの?っていうファンの方が多かったような印象がありますね。
巨人時代にはファンサービスのハイタッチ会でお客さんが来ないと。
二軍時代若手保守の頭をマウンドショーではだいたりホームランを打った対戦台下に指を立てるなど
巨人ではねストレスと余裕がないんだなといった印象を我々に与えたのも覚えてますね。
記者会見でのコメントです。
後悔をあげるとすれば巨人で自分の力を発揮できずファンの期待を裏切ったことそこは申し訳ない気持ちがでいっぱいです。
ただ自分の中ではやり切った。
プロ入り当初170戦してるしかない自分がこんなにも長くプロの世界で野球ができるとは思っていなかった。
巨人ホークスと人気球団でプレーできたことは一生の財産ですとコメントしてます。
2019年はオフシーズンにはトライアウトにもチャレンジしましたが
台湾やオーストラリアからのオファーは来ていましたが
NPPからのオファーはありませんでした。
野球界の風潮として1ポイントリリーフは禁止ということは悪影響を与えたかもしれません。
1ポイントではなく1イニングを任せてもらえる状況を求めてのFA遺跡だったのに対し
1ポイントでの起用ですら機能できない事件以上に何しに来たと後悔を抗げる巨人ファンも少なからずいました。
少なからずいましたが結構いっぱいいました。
森福正彦プロ2-3 423試合357.1イニングの投球でした。
17勝17敗18セーブ134ホールド防御率2.59ウィップ1.03以上の成績は
小柄な体格の森福にとっては素晴らしい成績だったと言えるのではないでしょうか。
33歳での引退は早いかもしれませんがリリーフという過酷な仕事もあります。
小柄という体験もあります。
まずまずじゃないのかなと思うんですよね。
社会人時代のシダックス時代の野村勝也監督からですね
外角低めのストレートを磨きシュートを身につけろとアドバイスがありましたが
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外角低めのストレートを掘っているところとかシュートを掘っているところをあまり目にしなかった記憶がありますね。
きっと上手に身につかなかったんだろうなというふうに思います。
野村さんもね小柄な森福選手です。
プロから声がかかるとはとても思わなかったとコメントしておりましたね。
ということですわ。森福選手13年間お疲れ様でした。
今後の予定は未定ということですわ。
どっかの講師とか解説とか言う予定はないみたいです。
でもねおしゃれさんですよということもあって
もしかしたらね今流行りのユーチューバーなんかねやってたりするんじゃないかななんていうふうに思ってますよということです。
はいということで引退選手名刊第4弾森福政彦編を切ろうと思います。
はいどうもありがとうございました。