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2026-03-06 10:27

ささやかだけれど、役にたつこと

レイモンド・カーヴァーの短編集(村上春樹訳)を読んだ感想を話しました
#読書 #本 #読書感想 #村上春樹 #レイモンド・カーヴァー
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こんにちは、midoriです。 今日はですね、最近読んだ小説について話したいと思います。
先日ですね、アメリカの作家のレイモン・ノカーヴァーという方の短編集を読みました。
2冊読んだんですけども、1つがテスト作戦で、もう1つが愛について語る時に我々の語ることという短編集です。
このレイモン・ノカーヴァーという人について簡単に触れておくとですね、レイモン・ノカーヴァーはアメリカ文学史において大きな影響を与えた作家の一人と言われていて、ミニマリズムと呼ばれる文体で知られている人です。
このミニマリズムというのはですね、言葉を極限まで削ぎ落として、状況とか登場人物の心情とかほとんど説明しないんですね。
読んでいる人がギリギリ意味をつかめるかどうかというところで物語が進んでいくというタイプの話なんですけれども、なので、ものすごく大胆に余白を残すという書き方がその通り非常に斬新で、
ミニマリズムは他にも同時代に同じような作家がいたみたいなんですけれども、そのミニマリズムを代表する作家の一人として知られていて、高く評価されている作家だそうです。
このレイモンドカーヴァーにすごく影響を受けた作家として挙げられているのが村上春樹なんですけれども、村上春樹がレイモンドカーヴァーの作品をほとんど翻訳していまして、この2冊の短編集ももちろん村上春樹が翻訳をして、どの短編にするかというのを選んで編集しているんですね。
私はノルウェーノ・モリーが読んだことないのでわかりませんが、チャットGPTで調べたところによると村上春樹の初期の作品だとレイモンドカーヴァーの影響がすごく色濃く出ているので、村上春樹の作品も特に初期の作品から読んでみたいなと思いました。
今回この本を手に取ったきっかけとしては、友達から結構前に勧められていまして、この手作戦の方に入っているささやかだけでも役に立つことという短編をその時紹介されたんですね。
内容については詳しくはその時説明されなかったんですけれども、スルスルと読めてさらっと読めるんだけれども、最後に重たいものを鼻に残されるような、そんな作品と言われたのがすごく印象に残っていて、村上春樹の文体も美しいし、翻訳の方がすごく評価されているよという話も聞いたので、ちょっと読んでみたいなというのが気になっていたんですね。
紙の本しかないのでなかなか手に取る機会がなかったんですけれども、今回は図書館に置いてあったのを見つけたので借りてみました。
このささやかだけでも役に立つことを読んだんですけれども、これはレイモンドカーバー初体験としてはわりかしわかりやすい話だったと思うんですけれども、こういうタイプなのかというところが衝撃で、最初ミニマリズムという文体だとか全然知らずに読んだので、どう解釈したらいいのか正直わからなかったんですね。
ただすごくほんわか心が温かくなるようなラストの話でもありました。
ただいい話とも表現できない、むしろどちらかというと悲しい話なんですよね。
簡単に説明すると、とある家族にささやかな日常の中で突然衝撃的な出来事が起こってしまうんですよね。
その出来事について家族は静かにその状況を受け入れるというか、それに向き合って日々を過ごしていくんですけれども、
そこに特にドラマチックな救済もなければ奇跡も起きないし、状況も最後まで定期的に変わることはないんですけれども、ただそういう暗い日常の中にほんの僅かな光が射すというようなラストだったんですよね。
私のイメージとしては、骨幹の真っ暗な道をただひたすら歩いている中で遠くの方に小さな明かりが見えたみたいな感覚に近いような話でした。
出来事に関しても全然大げさに書かなくて、かなり衝撃的というか、これが自分の身に起きたらもう本当に絶望で立ち上がれないなと思うようなことだったんですけれども。
さらにその先の話も本当に救いがないというか、状況も肯定しないし、本当に単純にいい話と言えるような展開ではなかったんですけれども、
ただその中で見えたささやかな温もりみたいな、その静かな救いの部分がこの作品の角なのかなというふうに感じました。
もう一つ取り上げたいのがカセドラルという短編なんですけれども、これもレイモンド・カーヴァーの作品の中では傑作として名高い作品でして、
内容としては主人公の奥さんの古い友達、奥さんがもともと仕えていた相手なんですけれども、その方が盲目の男性なんですね。
その盲目の男性のサポートをするという役割で奥さんはその方の下で仕事をしていたんですけれども、
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単に上司部下という関係だけではなくて、二人の中にはすごく強い友情があって、奥さんがそのお仕事を辞めて、主人公と結婚してからもずっとやりとりを続けていたんですよね。
文通ではなくて、カセットテープに音声を吹き込んでお互いの近況をやりとりし合うみたいな、そんなやりとりを十数年やっていたみたいな描写が確かあったんですけれども。
その古い友人が家に遊びに来るという話になって、主人公は奥様の友人をもてなすという話になるんですけれども、
ただ主人公は決して人格者じゃないんですよね。どちらかというと盲目の方に対しての偏見もすごくあったし、どこか面倒だなという風にも感じていて、
かなり面倒くさそうな対応を取るんですよ。俺に盲目の友人はいないからなみたいな、ちょっと悪戯見えたことを奥さんに言ってしまったりするんですけれども。
ただ盲目の男性が実際に家に来て、一緒に時間を過ごしていって、最後に奥さんが途中で寝てしまって、二人で会話をするところがあるんですけれども、
そこでのあるやりとりを通じて、主人公にほんの些細な変化が起きるんですよね。
この変化を描き出しているところがすごくいい作品だなと思うんですけれども、大事なところはその変化が一切言葉では説明されていないんですよ。
主人公の心情として、俺は盲目の人に対してこんな偏見があったんだとか、この人に対してはこんな感情があるとか、そういうことは全く説明されていなくて、
ただ二人のやりとりを淡々と描いていて、最後にとある描写でその主人公の些細な変化というのを何となく描き出しているんですけれども、
本当にそれも読者が読み取れるかどうかというギリギリのレベルで描かれていて、そこが本当にうまい余白の作り方だなという風に感じました。
なので、単純にこの主人公が考えを改めたとか、こんな心情になったという風に描いてしまうと、ここまでの余韻は残らなかったと思うんですよね。
だから、そこをあえて描かずに説明を省いて、ただ主人公に何かプラスの変化が起きたというのを感じさせるようなラストで締めるところがミニマリズムの到達点なんだなという風に感じました。
他にも、私個人的に好きだったのはダンスしないかという短編なんですけれども、この短編も状況は全く説明されないのでどういうことという感じなんですけれども、
内容としては、とある中年の男性がガレージセール、使わなくなったものを出しておいて、それを売りに出すというのをやっていたんですけれども、
それが単品じゃなくて、家の中にあるものをそのまま出しているみたいな感じなんですよね。
例えばレコードとかテレビとかを電源させて、そのまま生活できるような状態でガレージセールに出していると。
そこをたまたま通りかかったカップルがその売り物を買うんですけれども、中々その中年の男性が投げやりな形で、最初はそれをいくらでもよかったと言っていたんですけど、
もういくらでもいいよみたいな、好きな値段で買っていけよみたいな感じで投げやりでやり取りをするというような話なんですね。
その理由は一切説明されないんですけれども、話を通してきっとこういうことなんだろうなというのが、なんとなく読者に想像できるような形で進んでいって、
最後の締めのところもカップルの彼女側がこの出来事について回想するというか、友達に話すみたいな場面で終わるんですけれども、そこの締めの部分もすごくいいなと思っていて、
それも状況を細かく説明するとか、彼女がどう思ったかみたいなことは全く説明されないんですけれども、
何とも言えないこの切なさであったりとか、でもその中でのカップルと中年の男性とのやり取りの中で生まれた交流の温かさみたいなところがかすかに伝わってくるという、
この話の作り方がすごくいいなというふうに感じました。
このレモンのカーバーの作品を読んで思ったのは、人生の大きな出来事って一般的なフィクションみたいにドラマチックには起こらないというところ、
それをすごくリアルに描いているなというふうに感じました。
ささやかだけれど役に立つことは、結構大きな出来事というかかなり衝撃的な出来事なんですけれども、でもそれを大げさに言わないんですよね。
本当に静かにそういうことが起きてしまって、間の部分も家族の心境としてはすごく複雑だったりとか、本当に絶望的だったりとか、いろんな心境があると思うんですけれども、
でもそれも大げさに書かずにどんどん静かに過ぎていって、その後の話も日常が続いていくんだよというようなところが、本当にずっと静かな調子で描かれていくんですけれども、
だから外から見ると何も変わらないんですよね。
その家族の中に大きな出来事が起きているというのはあるものの、ただ外から見てもそれは大きく変わらない。
だけど当事者の内側としては言葉にできない、奥の方に何か異物が残ったみたいな変化が確実に残るというような話なんですよね。
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他のカセドラルとか、あとはダンスしないかとかもそうだと思うんですけれども、それぞれの人の中にはやっぱりその人なりにいろんな思いがあったりとか、大きな出来事だったりはするんですけれども、
ただそれを大げさに言わないし、そんなドラマチックな展開にもならないんですけれども、でも何か確実に言葉にはできなくても変化が起きているよということをリアルに書き出しているんじゃないかなというふうに感じたんですよね。
この感覚は私自身も感じたことがあって、一つその経験を話してみると、中学生の時に祖父が事故で亡くなったんですけれども、
病院に行った時には意識がなくて、普段に繋がれている状態だったんですけれども、病院に行った時に最初は低い心電図の状態で一定のリズムでピッピッピッとなったんですけれども、
とある瞬間に心電図が大きく跳ね上がって、その場にいた家族だったりとかも、どうしたの?というふうになって、あわあわしていたんですけれども、
そのうち急に止まってしまって、そのまま亡くなってしまったんですね。
それを見た時に、表面としては何も変化が起きていないんですよ。心電図は確かに激しく動いていましたけれども、
でも祖父自身は目を覚ますこともなかったですし、私たちも突然の出来事で何か言葉を交わすとかもできなければ、別れの挨拶をするとかもできなくて、
あっという間に死の瞬間が訪れてしまったという感じだったんですけれども、ただ、その瞬間に体って意識がなかったとしても、最後まで生きようとする意識ってあるんだなというふうに感じたんですよね。
それはその時にすぐにそう思えたかというと、あまりにもあっという間の出来事すぎて、そんなふうに考える暇もなかったんですけれども、
今その時のことを思い返すと、何とも言えない感覚が残ったなという出来事でした。
その時に思ったのが、死というのがもっと劇的なもので、ドラマチックなものというふうになんとなく思ってたんですよね。
だから最後の瞬間というのは、もっと慌ただしくなったりとか、感動的な言葉のやり取りがあるとか、そんなことをなんとなくイメージしてたんですけれども、
実際には驚くほど静かで、その後はすぐに葬儀の準備だったりとか、すぐに日常に戻らなきゃいけないとかで、
そのことをいつまでも悲しむ暇もなく日々が過ぎていったという感じでした。
なので表面的にはそんなに大きな変化はないように見えるんですけれども、
ただ確実に自分の中の何かが変化したなというのがその時の出来事だったんですよね。
あとは出産も結構同じような感覚があって、もちろん出産そのものはすごく痛かったし、結構大変だったというのもありますし、
その後育児にすぐ入るので、育児も静かなものじゃなくて、本当に慌ただしくて余裕なんて全然なかったんですけれども、
ただ出産したその子と、自分の体から新しい命が生まれたみたいな実感があんまりなかったんですよね、出産しても。
本当に痛い思いもしたし、そもそも妊娠期間から自分のお腹の中に子供がいて、
その様子を通じて見たりとかして、命が育っているという感覚はあったはずなんですけれども、
未だに自分の子供を見て、この子が自分の中から生まれてきたんだというのが不思議になるんですよね。
だから大きな出来事であるのは間違いないんですけれども、その意味が一気に自分の中に明確な言語として腹落ちするわけではなくて、
後から実感を伴ってくるというか、むしろ実感になってくる時もまた感覚が変わってくるような、
いつまでも掴み切れないみたいなそんな感覚なんですよね。
人の死の瞬間に立ち会うとかもそうですし、自分から命が生まれるという、
どちらの瞬間も個人としてはすごく衝撃の大きい出来事だったんですけれども、
ただ想像していたほどドラマチックでもなければ、バチッとその瞬間に何かを感じ取るとか、
何か言葉に言い表せるみたいなことではないんだなというのが、この2つの出来事から感じたことでした。
そういうのをリアルに感じるのがこのレイモンド・カーヴァーの作品の特徴。
リアルな質感というのを限りなく削ぎ落とされた、
その文体の中で表現しているのがこのレイモンド・カーヴァーの作風なのかなというふうに感じました。
最後にこのレイモンド・カーヴァーの作品を読んで、
私の今までの読書と全然違う感覚を得たなというのが最後の感覚としてあって、
ここ最近その読書の振り返りをこうやってスタンドFMで話したりとか、
それをノートに書いたりとかしているんですけれども、その時は、
これはこういう話でここが学びだったよとか、ここが印象的だったよみたいなことを言語化してきたんですけれども、
ただこのレイモンド・カーヴァーの作品は言語化してしまうと魅力が損なわれるような、
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言語化することを拒むようなところがあるような作品だなというのを感じたんですよ。
私の語彙力がないせいもあると思うんですけれども、
私の少ない語彙力でこういう話でこういうところが良くてとかというふうに単純に説明してしまうと、
一気に作品の魅力が損なわれてチンクなものに感じてしまう気がするんですよね。
だから余白のまま抱えて、本当に言葉少なに、
それもどこを説明したらこの作品の良さが伝わるかわからない部分もあるんですけど、
それが一番正直に魅力を伝えられそうな感想なのかなというぐらい、
わからなさをわからないというまま抱えた方が良さそうだな、
その方が美しいなって思うような作品でした。
これはすごい自分の中では衝撃的な体験というか、
新しい体験ができたなという感じで、
意味をすぐに確定しなくても良くて、解釈を急がなくても良いと、
その余白を味わっていくことで自分の中に小さな変化が起きるということもあるんだなというふうに、
改めて思い出させてもらったという感じでした。
この本もそもそも友達が勧めてくれなかったら手に取らなかったと思いますし、
友達に勧めてもらったものを素直に読んだことによって、
こういう新しい読書体験ができたので、
自分が思うものというか、自分の意向に沿ったものだけではなくて、
たまにはこうやって人からのお勧めを素直に読んでみることというのが大事だなというふうに感じました。
AI時代だからこそ、ようやくできるとか、
こういうものというふうに答えがすぐに出せないような作品というのは、
より価値が高まっていくんじゃないかなというふうに感じました。
私の拙い説明でどこまでこのレイモンド・カーヴァーの魅力が伝わったかわからないんですけれども、
村上春樹が好きな人とかは会うんじゃないかなと思いますし、
私みたいに海外文学にも村上春樹にも別にそんな大事な説明がなかった人でも楽しめた作品だったので、
ぜひ興味があれば読んでみてください。
聞いてくださってありがとうございました。
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