昭和の思い出と記念碑
夕焼けひとりきり始まりました。昭和。
二桁生まれのパーソナリティー。ミッキーロンリーがご案内します。昭和レトロ。
今は懐かしい思い出。明日の心配もせず駆け抜けた昭和の時代。温かく優しい昭和の情景。
心のままにお話しできればと思っています。どうぞお付き合いください。今日は居酒屋時代。
素敵な名前のこの店。温かく柔らかな明かりが店内を灯す。カウンターの奥に味わい深くしみじみとお酒をたしなむ。
彼の名はホープ。希望の人。また会えました。カウンターの中には上品な和服の入れ立ちのお上さん。
灯台の明かりを灯すかのように人々を慈愛と慈悲の心で見守り続ける。
私ミッキーが今日もどんな愛と温もりでお上が迎えてくれることだろう。
そばにいてお酒を組み交わしたいと思います。お付き合いください。
ホープさん、こんばんは。
そばにいてよいですか。
やあミッキー。また会えたね。どうぞ。
何考えていたって。生きる証。自分のモニュメント。人は誰しも記念碑を持っているという話だ。
ミッキー、我々は昭和のあの時の記憶。
少年時代、学生青春時代を経て大人になった。
時代環境も変遷して巡り行く。その流れに自分自身も変わってきたのではないかと思う。
あの頃持った夢や希望。色褪せてしまった。
そんな思いに変わられる人もいるかもしれない。
そして今、大人になった人たちは何を生きる証として記念碑を立てていることだろう。
折り返しを過ぎて人生はまだ続く。
生きる幸福感、雇用感を尊き者として感じること。
そして今に至るまでの上、曲説を誰しも持っていた。
人に対する心の痛みを優しく感じ取り、自分自身も支え、支え続けられてきたということは、
多くの人が何気ない日常を暮らしていたとしても、思い出して、
時を隔てて今、あの時の友の顔、目あう刻をかけた人の顔を思い出す。
怒りに震えて喧嘩別れした人もいるかもしれない。
ただし、喧嘩別れするまではその仲が良かったかもしれない。
そして、思わぬことでの別れ、中には家族との別れも経験した人もいるかもしれない。
そして、出会いから続くであろうその関わり方を時として想像して、
失った時に対して心の痛みながらも、その今を必死に生きている人もいるかもしれない。
明るく思い悩むのは、もちろんつらいこと。
楽しく生きるのは大事である。
人を前で楽しくしている人も、見えないところで涙していることもあるかもしれないし、
自分一人で戦っている人もいるかもしれないという話だ。
ふと感じることがある。
その人々の人生は大げさかもしれないけれども、
皆物語となって一冊の本、いやむしろ何冊もの本が、
誰かがその人に取材すれば書けるような内容ともなっているものである。
そんな気がするんだ。知る人にはわかる。わからない人にはわからない。
ただふと感じる時には、人は世の価値観に形のあるものと形のないものがあるということを時として思い出すことがある。
ふと感じてみると、形のあるものよりも形のないものの方が、この世には到底に多いかもしれない。
美しい、悲しい、喜ばしい、楽しい、いずれもそうだ。
人は思い出に至るのも良し、これからのことを思い描き夢や希望につなげるのも良いかもしれない。
ホームさんありがとうございます。
人生は記念碑を誰しも持っているという話。
居酒屋での出会いと別れ
何か記念碑。英雄たちだけが建てるものでなく、誰しも記念碑を建てた道。
労働を奇跡として持っているという話。
それは、分かろうとする人には見えるもの。
分からない人には見えない。そんな記念碑だという話ですね。
オフさん、オカミさん、乾杯してください。
乾杯。
居酒屋時代、人は様々な出会いがあり別れがある。
今日も新たな人が出会える。
居酒屋時代のカウンターでは様々な人が入れ替わる立ち変わる。
一日を早く終えたいと思う人、今日の楽しさを感じたいと思う人、悲しんでいる人、様々な人がいます。
ただ、その人たちの生きる証、これからも道は続く。
その記念碑を時折見える人には見えるかもしれない。
そんなカウンターにお立ち寄りください。
夕焼け一人きり、この辺りで終わりたいと思います。
お付き合いしていただき誠にありがとうございます。
次回の番組、お楽しみに。