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みなさん、こんにちは、こんばんは、ゆかです。
そうですね、ちょっとお久しぶりになりました。
えー、なんかですね、今日なんか撮っておきたいなぁと思ったのが、
どうですか、みなさん、人生、唐突に。
えー、私はですね、なんだか、なんか自分の人生がすごい良い意味で、どんどんわけわかんなくなってんなぁ、みたいな。
最近です。今日この頃です。
えー、なんかまず起きたことといったら、
あの絵を描き始めました、この秋。
もちろんあのきっかけっていうのはあって、それがあるプログラムへの参加、アート系のプログラムへの参加ではあったんですけど、
あの実は、もともと、というか、絵は描いてはいて、
それは10年弱ぐらい前に、
人からヒントももらって、
なんかずっと感情整理みたいな、
そういうことのために、
なんかこう自己流でね、アートセラピーじゃないですけど、
やってたんですよね、ずっと描いててひたすら、
描いて吐き出し、描いて吐き出し、
ちょっと落ち着け、ちょっと落ち着けみたいな感じでやってきていて、そういう絵の描き方は、
してたんですけど、
もうね、近年そこまでして、
なんか絵で、
排出するようにして、吐き出さないとやってられないみたいな感情ってほとんど、
わかんないなーっていう風になっていって、
で、じゃあなんかどんな風に私絵描けるんだろうと思ったら、
なんかね、わかんないんですけど、
1個ずつ、
こうかな、こうかな、みたいなのが、
なんかポッ、ポッ、ポッ、みたいな感じで、
なんて言うんでしょうね、なんか浮かぶじゃないし、
なんか目の前にちらつく、ちらつかされる、ん?でもないし、
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でもなんかわかんないけど、なんか、
ピンクかな、すっごい色の、みたいな、
んー、なんか、ぬぐっとく?ここの絵の具、みたいな感じの、
訳もわからないままに、ただ、
なんかこう、提示される一歩一歩を、
ただ重ねていくみたいな、そういうなんか感覚で絵を描くっていうことが、
なんか、できるかも、そして楽しいかも、
みたいにして、なんかこう、
また再び描けるようになったというか、
描くようになったっていうのがあります。
だからなんかすっごい描いてるんですよ。
今も描いてました。
夜も、
更けてから、
大風呂に。
なんなんでしょうね、なんか止まらないというか、なんか描いちゃう、
描い、描いておきたいって気持ちもあるような気もするし、なんかでも、
描いちゃうみたいな、
ちょっとわかんない、感じで。
んー、なんか、
よくわかんないし、なんかこう、ちょっと前の私だったらそういうこと、
言う人を見たら、
ぶっちゃって、みたいに思ってたかもわかんないけど、
なんか思うんですが、
なんか見つかっちゃった、みたいな感覚、
を覚えた時もあって、
なんかこう、
絵に見つかっちゃった、みたいな。
なんなんでしょうね、別に絵に限らずだと思うんですけど、
なんかこう、流れに今、
んー、
なんか乗せられてるみたいな感じもあって、
で、
そう、それについて今日もすごく思ったんですね、流れに乗る、あるいは、
運ばれるみたいなことについて。
なんか私はこれまで、
なんか、流れに乗るっていうことがすごい大事だと思ってたんですね。
なんかインスピレーションみたいな、ひらめきに従ってとか、
なんかいろんなこう、タイミングがいいとか、なんか、
なんて言うんだろう、すごい物事がスムーズに展開していくみたいな、
なんかそういうものに運ばれていくっていうのが無理なく、
なんて言うんでしょう、他の人間であったり、他の生命であったりを邪魔せずに、
なんか最善に運ばれていくみたいな、なんかこう、
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自然の流れに逆らわない、無為自然みたいなものが、
なんか、ある種最上のものじゃないか、みたいに思ってたところがあったなぁと思っていました。
で、それもある意味では、
なんか別に間違ってはないと思っていて、
でまぁ、正しいか否かっていうのはそう、重要ではないと思うんですけど、
なんかそれに加えて、流れに乗るということに加えて、やっぱり何かこう望むとか意図するっていうこともすごく大事だなっていうふうに、
改めて気づいたっていう、なんかそういうことがありました。
なんかね、いや、叶うもんだなっていうふうに思うんですよね、こう願ったことっていうのが。
その、なんか流れに身を任せるっていうことを、ゼーとしてきた私であっても、
この数ヶ月を振り返ったときに、
5月に、なんかそういうふうにどっかで書いてたこと、
叶ってんじゃん、
っていうことがあって。
でも、なんて言うんでしょうね、
本当に望んでいたかとか、望む形だったかみたいな、
どういうことかというと、
なんか私はその頃、
割と順調だなっていうことを感じていて、自分のやっていることに対して。
順調なのは、
いいことですと。
だけど、なんかもっと、
行き当たりばっちりなことをしたいなぁ、みたいなこと、
書いてたんですね。
で、忘れてました、ほとんど。
そんなこととは、そんなこととはというか、そんなことを書いていたとは。
それがですね、今月に入って、あるちょっと自分で企画を立てて、
それに向かって準備する、運営するっていうことをやったんですけど、
なんかすっごい、もう予想を超えた、
展開というか、集客がほとんど伸びなかったんですね。
で、
なんかずっと集客のことを考えている、みたいな状況だったり、普通にその採算の部分だったりで、
どうかな、どうかな、みたいなことをちょっと心配したり、不安になったりっていうこともあったんですけど、
でも最後は絶対終わった時には、やってよかったっていうふうに思えるっていうことだけはピン止めして、
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糸を都度都度設定をしてっていうふうにやっていて、
本当にですね、そうだったんですよ。
終わってみたら。
私一人じゃなくて、一応ゲストの方も招きして、実施した、開催したんですけど、
そのゲストの方とも、
まあなんか人数のことはいろいろ、
心配もしたし、思うところもあるかもわからないけど、
でもこの人たちに来てもらえたっていうのがすごい意味がありますしね、みたいな。
でもなおかつ少ないとはいえ、この人数だからこそ良かったですね、みたいな。
って思えることもたくさんあったし、なんか本当にこう、
そういうシンクロニシティみたいなものもたくさん感じられ、
なんて言うんでしょうね、
こじつけができるようなこともたくさんあり、
なおかつもちろん本当にリアルの周囲の皆さんがすごく心配したり、
よくしてくださったりして、
本当に開催も破られたけども、なんか良かったね、みたいになったんです。
本当にどうにかなってるかっていうのはちょっとわかんないんですけど、今の時点でも。
まあでもこう、一旦今の感じなんとかなっちゃったな、
みたいな、当日とかその後に関しては。
っていうことがあって、
途中まで全然思い出してなかったんですけど、
そのだんだん当日が近づくにつれて、私はその5月ぐらいに、
ああ、なんか行き当たりばっちりなことしたいな、みたいなことを書いてたことを思い出して、
あ、いや待てよ、まさかあの時の私の願いが何かこう、
野に放たれて、というか天に放たれてかなってしまったんじゃないか、この状況は、みたいな。
そんなことを思うに至ったんですけど、
じゃあ私はその時、行き当たりばっちりなことしたいなっていうのは、
何を意図してたんだろうかっていうふうに思ったんですね。
なんか行き当たりばっちりなことをしたいっていう意図は放ったけれども、
私はそこに何を望んでたのかっていうことが、
なんか自覚できてなかったなっていうふうにも思ったんです。
で振り返ると、もちろんそういうことを書くに至った理由っていうか背景っていうものも当時はあったので、
そこから思い出してみると、
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あの当時はやっぱそこまで認識してなかった、あの意識に昇ってはいなかったんですけども、
それは今にして思うと、
もっと、その時は結構順調な状況があったので、
いやいや、もっと混沌として困難な状況であっても、私はこの自分のある種こう、
流れだったりとか、
なんて言うんでしょう、
うんうん、なんていうかこう、自己を信頼できるかとか。
なんか、ある意味その、
真なる自分のやりたいこと、
真なる自分を、
信頼したい、
っていうふうなことを思って、
そういう書き込みをしていたんですね。
だけど私はやっぱそこまで意図して、あの、なんて言うんでしょう、明確に、自覚的にはしてなかったから単になんか、
今結構順調だから、なんかもっと、なんかもっと熱い展開欲しいみたいな、なんかそれだけのノリで、
多分その当時は、
自覚して、そういうことにしかなんかこう、意図できてなかった、自覚してなかったっていうところがあったなっていうふうに思って、
気づけて。
であれば、別に、なんか好き好んでこんなヒーヒー、ドキドキハラハラ、
したいかと言われると、そんなしたいわけではないので、やっぱり私も、
なんかあの、もっとね、その違う価値もあると思うんですね、その自己を信頼するとか、
なんか流れを信頼するみたいなインスピレーションだったりとか、そういったものを信頼していく、
信頼するっていうことを考えるには別に、もっといろんなシチュエーションだったりとか、
あの場面があってもいいと思うので、
ならばね、別に、
なんかそこをきちんと意図するっていうことで、
いいんだなっていうふうに思いました。
わざわざね、その困難な、混沌を選ばなくても。
っていうので、なんか改めてすごく自分の意図っていうのを今日、
なんか猛烈に、なんかこう書き出していって、
なんかまだ全然そこまで綺麗な言葉っていうふうにはなってないんですけど、
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なんかずっと、
その絵を描いてることとか、絵を描くことについてとか考えて、
考えてというか、こういうことかな、もしかして私が今描いている、
意図とか意味は、みたいな、なんかそういうことをずっと描いてわいたので、
なんかそれらも含んでの、私のこう生きていくっていうことが、
なんかちゃんとセットされてもいいなっていうふうに思っています。
すごいいろいろそう、今ちょっと目も見てるんですけど、
なんかいろいろ描いてはいるんですけど、
なんか一言、一つなんかこう、あるとしたら、
なんかやっぱりこう、私はすごく自分の身体感覚みたいな、
身体性だったりとか、無意識とか、
あとはこう、命全体、それは種を超えた、
なんかこう生命みたいなものと一緒にいたいなとか、
なんかあるいはその無意識や、ある種のそれは混沌だったりするかもしれないんですけど、
なんかそういうものを、
なんなんでしょうね、なんかちょっと自分で言いかけながらわけわかんなくなったんですけど、
なんかちょっと違うかもしれないけど、いくつか言葉にすると、
無意識や混沌のそばにいる、
あるいは隣に無意識や混沌を感じている、
あるいは無意識や混沌がこの世に現れる通路になる。
どういうことかっていうと、
我々現代人がどうしても社会であったりとか、
思考であったりとか合理性であったりとか、
そういったものはすごく大事で必要で、私はそういったものをすべて否定して、
なんかすごく昔の生き方に回帰したいというわけではないんですけど、
でも、それらだけではやっぱり生きてはいけないなっていうのは、すごく私個人的にもすごく思います。
具体的には何か一つあるとしたら、
やっぱり私は土とか草とか水の匂いっていうのが、
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もう何回も出てゼロ歩、むしろ出なくてもパッと感じられるような、
そういったものの近くじゃないと暮らしていける自信がなかったりとか、
なんかいろんな小さな、時に煩わしくても小さな虫とか命とかっていうのが、
傍らにあるみたいな、なんかそういう場所で生きていきたいっていう気持ちがあって、
なんかそういうものの通路でありたいみたいな、
そういったものがこのついつい見過ごされがちな現代社会に降り出れるような、
ついついその合理性とか社会とか思考っていうものに、
なんか囚われすぎてしまう私たちに、もう一度ハッと自分の体や自分の命、
繋がり合うすべての命とのリレーション、関係性みたいなものに、
ハッて思い出してホッとするとか、よかった生きてたとか、
なんかそういう安堵感だったり幸福感だったり、
もしかしたらもう本当に子供の頃感じてたようなよくわかんない喜びだったりとか、
そういったものに目が開かれるための職場であり、なんか通路でありみたいな、
なんかそういうものでいたいなっていうふうに思っています。
なんでそう思うかっていうと、
やっぱり私はこうすごく身際という言葉で私の中に捉えてるんですけど、
さっきもちらっと言ったように、
社会性合理性思考だったりとか、
そういうものだけで生きていくっていうことは多分難しいとも思っている。
一方でじゃあ身体性感覚、あるいはもしかしたら伝統みたいなものとか、
そういったものになんか前振りっていうのも、
なんか前振りしたくなる気持ちっていうのは自分の中にあるなっていうのはすごく感じるんですけど、
もういっそ着物を着てなんか昔の暮らしができたら、
なんかいろんなことが解決するんじゃないかみたいに思いたくなる気持ちっていうのが自分の中にあるっていうのも、
なんか感じはするけど、多分そうじゃないっていうことも感じている。
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いかにそこをハイブリッドさせるか、あるいはバランスさせるかっていうのが、
私の中の水と陸の間である、なんか身際。
で、それははっきりとした境界があるわけでもなく、混ざり合いながら揺らぎながら存在しているっていう、
そういったものがすごく象徴的に自分の好ましく思うところに突通するんじゃないかと思っていて、
なんかそれを、それはなんか新世紀だと思うんですね。
ある種、作能的な合理性とか思考言語、社会性みたいな、
そういったものプラス、ただ過去回帰するのではなく、いかにして身体勢や感覚や命とのリレーションシップみたいなものを重ねるか、
あるいはこう融合させるかっていうのは、やっぱり新世紀だと思っていて、
私はその新世紀を歩いていきたい。
身際をキャラキャラ笑いながら歩いていきたい。
時に水の方に足を浸したり、時に丘の方、砂浜だったり、丘の方に足を置いたりしながら。
でも私はその間の身際を味わって生きるっていう道を歩いていきたい。
そのはっきりしないどこが水か、どこが砂浜か丘かの境のわからない、そここそが新しい道じゃないかって思うんです。
そういうものを歩くっていう行いの一つが、私にとっての今の絵かなっていうふうに思っている。
そんな感じでした。
ちょっと最近の気づきと、糸と身際の話でした。
今日はそんなところで。
ではまた皆さん、次のラジオでお会いしましょう。
それでは。