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今日誰のために生きる?〜余剰の確定も奥深い
2026-08-25 36:55

今日誰のために生きる?〜余剰の確定も奥深い

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しょーまさんがちょっと前に読まれたという「今日、誰のために生きる?」

それが、日々生活に追われている状態に引き戻してくれたっていうことでしたが、

その本の概要と、読んだ時に感じたことを話してくださって…


収録日:7月10日


#樋口塾

#シュウとショウの未知の理への道のり

#未知のり


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サマリー

このエピソードでは、しょーまさんが最近読んだ「今日、誰のために生きる?」という本について語られます。この本は、アフリカのブンジュ村を舞台に、日本人が本来持っていたとされる豊かさや生き方、そして現代社会における効率化の追求がもたらす問題点を浮き彫りにします。特に、日本人が自然の音色などを感じ取る繊細な感性を持つ一方で、現代ではその感性が失われつつある現状に触れ、AI時代における生産性向上の盲点について考察します。 また、コテンラジオで語られた「余剰を確定させる」という概念が、お金だけでなく時間や決断といった様々な側面で重要であることが議論されます。サラリーマン、経営者、自営業といった働き方の中で、それぞれがどのように時間、お金、決断のバランスを取り、自分なりの「余剰」を確保していくかについて、自身の経験や考えを交えながら深く掘り下げています。最終的には、自分自身がどうありたいかという解像度を高め、バランスを見つけることの重要性が語られます。

番組紹介と「今日、誰のために生きる?」の概要
シュウとショウの未知の理への道のり、この番組は文字通り、シュウとショウの気が向いた時に、適当に好きなことを話しながら、未だ知らないことわり、つまり、未知の理を探していく道のりを描く番組です。
ヘタをしたら二人の道を探すだけの気のままな旅。 ゆるーくお付き合いたっていただけたら、うれしいです。
思いますね。一種のですよ。
絶対読みます。
で、それ自体、それはその
アフリカのある村の話なんですけど、そこがもうなんかそういう話で、そのなんかいろんな3歳の女の子とかが
それこそその、今日誰のために生きる?みたいなのがそもそもこう
挨拶みたいな形になってるし、そこではすごく
なんか、日本人はその世界を救う?救う?というか、そのなんか
キー民族みたいな感じの位置づけというか、なんかもともとそこに、なんかこう概要を話そう、その
なんかヒョウゲンさんっていう画家の人が、ヒョウゲンさん。ヒョウゲンさん。ヒョウゲンさん。日本人の方。うん。
他の人が、そのティンガティンガっていうその、そこのアフリカのもう、ペンキの色がこう決まってるやつで描くペンキ画の
勉強をしに行って。ティンガティンガっていう、絵ですか?
そうですね。ティンガティンガっていう。ただそのティンガティンガっていう風に名乗れるのは、あの
一部の人らしいんですけど。え?え?え?ちょっと待ってください。ティンガティンガは何なんだろう?まだ、名乗れる?ティンガティンガはそういう
アフリカの、えーと、絵は色々なんですけど、そのペンキの使える色とか決まってて、そこの
ある技法というか、そういうルールの中で、こう描くアフリカのその文化の
ペンキを使った絵画、絵画の種類っていう風な形で。絵画の種類でそれを名乗れる?ティンガティンガ画家を名乗れる?
ティンガティンガアーティストを名乗れるのは、ただ、はいはいはい、わかりました。ごめんなさい。いやいやいや。で、がその一部の人で、その証言さん自体はあくまでペンキ画家みたいな形で
おっしゃってる感じなんですけど、まあそこで、そういう、そこにこう行って、いろんなことがあったというお話がこう、つらつら
あるんですけど、そもそもそこのアフリカでの暮らしとか、そこの豊かさ、生き方の豊かさとかっていうのは
そこの源流はもともと日本から来てると。昔の。でもみんなそこの人は日本人なのにどうしてそうなんだみたいな感じのリアクションをされるんですね、その方が。
なんかその方自体が、自分主義的というか、私なんか、なんていうかね、何をそんなにこう追われてるんだみたいな。追われてたり、そういうふうな
ところですね。今どこまでどう喋っていいかちょっと迷ってますけど。実際はそれを本当に読んでもらうとすごくいいので、結構僕はこの今のタイミングで結構救われた感はあって
なんかそこに立ち戻ることというか。で、そこで述べられていること自体が、やっぱその元々の、元をたどると日本から来た文化。昔の。で、昔の日本っていうのはみんないろいろペリーとかが来た時にも、すごくみんな顔が
こう、はつらつとしてるというか、なんかすごいそういうのに驚いたみたいな、文章というかそういう記録とかがあったり。アメリカ人から見て日本人はすっげー顔はつらつとしてるけど、何それみたいな感じだった。
でもまあ今はそうじゃないっていうところからですね。昔の日本人はすごくなんかそういう心とかにもゆとりがあって、豊かだったような話がある。
で、そこの村の長の人は、なんかその日本人っていう種族が、今後このままいったら世界はやばいと言ってて、それをどうにかできるのは日本人だみたいな話を、あのそこの長老みたいな人がしてるらしくて。
でもそういう意味で日本人としての誇りみたいなのも感じるし、そういったところで、そこでのいろんな出来事と考え方とかをいろんなところで話しまくってる。
今どっちかというとそのアーティストっていうよりも、そっちの方がこう自分の使命みたいな形でいろいろこう話されてる人が、まあその商業さんって方がですね、今そういう活動とかされてて。
いやーめっちゃ気になる。もう今よみたいな。
本当にこれは。
良かったですね。
その中で少し解説なんていうと、なんかやっぱりゆとりがあるというか、心に。でその日本人が、そしてその何て言うんですかね、虫の声とか、なんかすごく風流とかなんかこう音色というか、感じ取れるみたいな、そういう感性があるじゃないですか。
あれは日本人と、何だったかな、あともう一つ地域的なものがあるんですけど、アメリカとかその他の海外の人たちにはノイズしか聞こえないらしい。
マジですか。
うるさい。そういう風に感じ取れるのって、日本人とあとなんかもう一つどこかだけらしくて。
知らんかった。
面白いと思って。
面白い。
そういう風に感じれる感性だったりとか。だからその虫と話せるっていう風に、そこのブンジュ村っていう、アフリカのブンジュ村の人たちは日本人を虫と話せるって思ってるらしくて。
とんでもない誤解されてますね。
そうそう。だけどそこに行った障害者さんは、日本人を虫と話せるんだろうみたいな。で、肩にテント虫とかが止まって、ほら見ろみたいな。テント虫が、カフェ止まったぞみたいな。
で、子供たちとか虫と話せるんでしょうみたいな。話してみせるって。ごめんみたいな。すっごく子供が悲しんだりとか、泣いてるおばあちゃんがいたりとか。そんな感じらしくて。
日本人に対してのすごい期待と、逆にこんなんじゃないみたいなのでも泣いてしまうようなおばあちゃんがいたりとかっていう話とかもちょっと。
そっか。ちょっと行き過ぎてるけど面白いですね。
そっか。
なるほどな。
現代社会における効率化の盲点と「余剰の確定」
みんなのこの生活とか、ゆとりの申し方とか、考え方、関わり合い方っていうのが、ほんといいなみたいな感じで。
ただそこで暮らすってなると、いろいろとですね、そこで暮らしたいかって言うとそうじゃないんですけど。
そこでその村でってことですか?
うんうん。やっぱその、今ここで暮らしてる中でいきなりそこに行って、暮らすっていうのの大変さとかっていうのはそんな甘いもんじゃないとは思うので、そうじゃないんですけど、
そういった、そこでのその生活とか、さっきの挨拶だったりとかっていうのも、家庭の中に取り入れたいなみたいなものが結構いっぱいあってですね。
めっちゃいいですね。
誰のために生きるか。
今日誰のために生きるっていうやつね。
なんでその話になったかというと、その中にちょっと出てきてたある女性の方がいて、その人がすごい集計かな、裁縫とかでいろいろやってるのに対して、
ミシンとか買えばいいのにみたいな感じので、それを買ってもまた仕事が増えるだけだと、その人に対して。
自分はこれをやって満足で、みたいなところにその仕事をやる意味とか、ただそれを効率を上げていっぱい作ったとして、ただそこへが仕事がより増えていくみたいな、ちょっと説明が。
全然わかりますけど。
そんな感じのニュアンスのことをすでに気づいてるんですよ。
すごいですね。
すごいなと思って。
そういったのが今、AIでより加速してるから、よりやばい状況にあるなっていうふうなのをちょうど感じてるんですね。
ミシンとかそういうレベルじゃなくて、みんなそこに気づいてなくて、生産量をガンガン上げて、本来もっといろんなことがAIで豊かに生きれるけど、生産性面だけで無駄に生産量を上げて、
実は効率は良くなってるけど、絶対的な仕事量が増えて、それって本当に意味ある?みたいな状態になってるんじゃないかなっていうのをちょっと思って、ちょっとそこら辺に懺悔して思い出したんで、今の話になったんですけど。
いやいや、めっちゃいい話。いい話っていうか、僕にはわかりやすい話でした。
しょうまさんと話したかとか忘れちゃったんですけど、これもさっきのコテンラジオにりゅうげんさんがゲストに出られた回で、余剰を確定させるっていう話されてて、その話でしましたっけ?
いや、分かんない。余剰確定っていう言葉があんまり聞いてないかもしれない。
余剰って、お金稼いだりして、これは必要なお金、これぐらいが必要なお金っていうふうに、自分の中で、式市を決めておかないと余剰はずっと出ない。
どんなに稼いだとしても、その式市を決めてない人は、いやでもこれを貯めておいて、お金なんていくらあっても困るもんじゃないんだから、何かの時のために貯めておくんだって言って、永遠に貯め続けるみたいなことになって、いつまで経っても余剰が出ないみたいな話があって、
僕の中でさっきの話の答えは、まずそれが一つなんですよね。AIでどんなに便利になって、大量のデータを処理できて、スピードも速くなろうが、自分の中での余剰を確定させるための式市が決まってないと、もう永遠にその便利なツールを使い続けるしかないっていう、
そのループから抜けられないですよね。
そこは僕は余剰を確定できていない状態にはあるので、
そうなんですか?
ちょっとそこが多分不安定になってますね。
たださっき紹介した本だとか、そういうのでちょっと引き戻されて、
だからもうなんというか、できるけど無理やりやらないみたいな。
無理やりやらない、いいですね。
ちょっと意味違いますけどね。
無理やりにはやらないっていう意味じゃなくて、無理やりやらない。
あー、そっかそっか。
無理やりの方です。
やらないってことを無理やりやる。
そういうことか、なるほど。
すいません。文脈が都合のいいように聞いてしまうようにできてる人間ってね。
切り替えが苦手なので、あそこで無理やりやらないようにして、
あるいはもう本当に意識しないような仕組みを作ってみたいなところでですね。
本当に自分の不安を消すために何かやろうと思ったらどんどんキリがないので。
その中の本の話ばっかりあれですけど、
諦める幸せみたいな言葉もあって、
みたいな感じですよね。
それだけで。
そうですね。
しみるわーって感じ。
僕もあれですね。
それこそさっき言ったともきさんと哲学対話の中で、
ちょっと前後の文脈うまく説明できないですけど、
ともきさんが絶望してしまう今の世の中に対してみたいな、そんな話をされて、
その文脈とはちょっと僕の言ってる意味は違うんですけど、
一旦その絶望、
その想定し得る最悪の状況、
僕、滝坪に向かう船が心配心配言ってるけど、
まあ最悪そうなっちゃうよねって思っていて、
それもやむなしってどっかで思ってる。
だから一旦絶望をちゃんとくっきりむしろイメージするっていう、
一旦絶望の進めみたいな表現したんですよ。
なんかそれもちょっと諦める幸せみたいなのにちょっと一部通じるかなみたいに僕は思って、
そっから初めて、初めてじゃないけど別に初めてじゃないけど、
それもやむなしって思った時に、でも人生まだ今んとこ続いていくから、
そっからまた自分なりの動きを、最善と燃える動きを繰り返していくのって幸せでしかないんですよね、僕の中では。
みたいなのにちょっと通じるのかなーってまだ本読んでないけど予想で思ったりしてますね。
まあそういう、その本の中ではまた違う時空ではあるんですけど、多分そういう時空でも捉えられますよね。
ちょっとネタバレになるかもしれないですけど、具体的な話から言うと、
松原さんがずっと絵を描いて習得するために頑張ってそこまで仕事してるんですけど、
そこの村の人たちはきっかし3時には辞めるんですよ、仕事を。
仕事辞めて、なんでかというとそもそも電気自体がないというか、夜とかいけないから、電気ないのかな。
だから実際は家族と過ごしたりする時とか無実な人と過ごす、顔とかも全然見えなくなる、暗くなったり。
その時間をちゃんと取らないといけないから、最悪この3時には辞めてっていうところで、
仕事自体をここまで行ってもそこで諦めるっていうことである幸せっていうものが、その文脈ではなくそういうような感じでしたね。
余剰確定の難しさと働き方の選択
ふじさん、せっかくふじさんいらっしゃるから、ふじさんにも振ったほうがいいかなと思ったんですけど、すいません。
猛烈に眠くてですね。
すいません、無理に逆させちゃって。
全然あれです。しょうまさん家で泊まられるからあれですね。僕、どうぞ寝てくださいっていうのもあれかなとか今思っちゃった。
ちょっと布団準備しましょうか。
2人でお話ししたのと、さっきからあくびを我慢するので。
すいません、申し訳ない。
どうします?一旦止めてお布団準備タイムに。
僕が準備するんで、お話してもらったら準備してきます。
いいけど今収録してるんじゃないですか?
してますけど、全然あれですよ。だってその状態で言ってもらうのも申し訳ないし、布団ない状態で床に寝といてくださいっていうのもあれだし。
ちょっとだけ、余剰を確定するな話があって、しょうまさんは余剰確定できてないみたいなご自身でおっしゃってたんですけど、
僕の印象はしょうまさんは全然余剰は確定してるっていう感じで、
要するにりゅうげんさんのコテンラジオの話の余剰なんだとすると、
自分が生きていける最低のラインを決めるっていう感じだと思うんですよね。
そこはもう徹底的に危機管理が高いので、
危機管理?
先々先手先手で、自分が自分に起こりそうな危機というのを全部先に予測するというか、
シミュレーションして、自分がダメージを受けないように考えちゃうんだと思うんですよね。
自分の生活のことに関しても、お金のことに関しても、
多分そういうシミュレーションされてると予想するので、
そういう意味での余剰を確定するということは、
多分もうできていると思い合ってると思うんですよ。
端的に言うと仕事が忙しすぎるだけというか、
それは間違いなかりそうですね。
そこが結構しょうもさんの今の精神の状態を狂わせている。
シンプルに考えるとそういうことなのかなっていう気がする。
その意味では余剰を確定したとしても、
自分一人が決定権を持てるかどうかによって、
確定したところでそれが発揮されるかどうかがちょっと変わってきそうなイメージに持っちゃいましたね。
僕なんか勝手に決められる。
全部一人の世界なんで今。
何でもその指揮地を自由に決められるけど、
普通はそうじゃないんだよなっていうのもちょっと思って、
申し訳ないような気分に。
それはそうなんで、どういうふうに判断して、
どういうとこに身を置くかっていう話ですし、
そういうことだからそういう意味で僕は、
サラリーマンは無理だっていうふうに思ってたのそこなんですよね。
自分で自由に決められない。
もともとサラリーマンじゃなくて、
自分でいろいろ決められる。
そしたら全部自分に責任はあるけど、
それは全部自分で決めた責任だから逆に楽なんですよ。
自分の範疇を超えたところで何かしらいろんな人に迷惑がかかるかもしれないっていう責任の方が重いし、
その中で自分で好きに決められないっていう状態だと歪むので、
だからそれだったらサラリーマンは無理だってずっと思ってて、
ただ状況的にはサラリーマンをやらないと人間生活はできなくて、
かといって最近思ったのは、かといって経営者じゃないなと思って。
経営者は経営者で他の人の生活も含めたところで、
そこを守る義務があるってことを考えたら、
いやいやそんなん絶対無理やと思って。
そんな責任のもととできん。
僕もです。
だから俺は一人で生きていくしかないのか。
なのでいわゆる一匹狼として経営でもなくサラリーマンでもなく、
一人で何かしら生きていくっていうのが一番楽なんだな。
ただそういうことでちゃんと今の社会の中で生きて、
どう生きていけるかは別なんですけど、
僕はそれが一番合ってるんだなっていうのを再認識はしましたね。
いやめっちゃわかります。
なんか今の話を聞いて、
古典ラジオのリュウゲンさんの余剰っていうのは、
多分かなりお金でフォーカスされてたと思うんですけど、
あー確かにあの文脈はそうでしたね。
今、昌磨さんの話を聞いていると、
その余剰っていうのが時間だったり決断だったり、
っていうところの余剰っていう風な意味に捉えられるなと思って、
それらも同様に大事なことだなっていう。
実際、そうですよね。
モモっていうミヒャエル・エンドの本は、
あれは本当はお金のことを書いてるつもりみたいな話を聞いたことあって、
エンドはお金の危険さみたいなことを表現するために、
時間泥棒っていうキャラクターを作って、
悪役として出したみたいな話聞いたことがあって、
だから、龍原さんの中ではお金に対しての敷地の話があったけど、
それはもう時間に諸に直結したりするよなっていうことは、
容易に想像ついちゃう話でもあるなと思いましたね。
なんかその経営者とかサラリーマンとかっていう話が出てきたんですけど、
お金と時間と決断のバランスっていうのが、
多分その辺を決めるんだろうなっていう。
どれに重きを置くかっていうか。
時間とお金と決断のバランス、そして自己理解
ごめんなさい、ちょっと声がやっぱりすごく遠くてごめんなさい。
めっちゃ小っちゃいです、すいません。
僕のMacのマイクが少し悪い。
ああ、そうなんですね。
右だけ生きてるんですかね。
大丈夫ですか、聞こえますか?
ちょっとだけ大きくなりました。
本当ですか。
聞こえますか?
だいぶいいです、すいません。
はい、大丈夫です。
時間とお金と決断の話。
それらの余剰っていう話はあって、
しょうもさんがサラリーマンとか経営者とか、
自営業みたいな話をされてて、
時間とかお金とか決断をどれぐらいの比重でやりたいかっていうか、
どういうバランスで生きていきたいかっていうのが、
サラリーマンで生きていきたいかとか、
自営業者とか経営者で生きていきたいかみたいなのを決めるのかなっていう、
思ったっていう感想です。
あれ、あんまり言いたいことがわからなかったかも。
どういうバランスで生きていきたいかっていう話をされたなみたいな話ですかね。
そこの比重が変われば、
あそこっていうのは、
すごい決断したいとか、
あんまり決断したくないとか、
時間がすごい欲しいとか、
あんまり欲しくないとか、
すごい仕事がしたいとか、
自分はものすごい会社を経営したいんだとか、
とかっていうので、
決断とか時間とかってだいぶ変わってくるじゃないですか。
性格によるみたいなことかな、
言われたいことが。
そうですね、性格もあるんでしょうし、
ご自身の意思もあるんじゃないですか。
どういうふうにしたいかっていう。
どういう生き方に、
どういうふうに生きていきたいか。
めっちゃお金欲しいですっていう人だったら、
経営者を選ぶのかもしれないんですけど、
そういったところの考えが、
余剰にも関係すると思いますし、
どういう生き方、職業、サラリーマン、
どういうふうに縛られるか縛られないかみたいな。
サラリーマンとか自営業とか経営者とかっていうところにも
かなり関わってくるのかなっていう感じで。
やっぱマイクの調子なのかな。
途切れちゃって。
なんですか。
すみません。
いやいやいやいや。
しょうまさんらしさが出てるなみたいな話ですかね。
ちょっと途切れた部分推測で。
たぶん僕らしさとかっていうんじゃなくて、
たぶん余剰の話から来てますけど、
結局そこの余剰っていうのが軸が何個もあって、
お金だったり、決断とか時間とかいろんな軸がある中で、
余剰を確定するっていうところで変に暴走していかないっていうところを考えると、
どこをどれだけどういう余剰で確定させるかっていうものを含めて、
自分がどうありたいかっていう解像度を高める。
高めることでそういったところがどうするかっていう、
どういうバランスでどうするかっていうのを決めていけるような話なのかなと。
そういうところにバランスとしていろんな軸がありますよねっていう話なんじゃないかなと思います。
藤井さんあってますね。
すみません。声の質でなのかな。やっぱり途切れないんですよね。
松本さんがしゃべったときって。
マックのあれかな。
すみません。途切れに弱くて僕、耳がですね。
ポコンって細切れであってもポコンって抜けたときに、
そこの間の推測がすげえ変らしくて僕、前元上さんにも言われてたんですけど、
なんでそういう推測になるみたいな。よく言われてたんで、
多分それもあってすごいちょっとごめんなさい。ちゃんと解釈できなかったんですけど。
そうかそうか。軸が。
でもまさにそうだと思います。いろんな軸の話を、
りゅうげんさんはお金に、分かりやすいから多分お金って選ばれたんだと思うんですけど、
それは本当にどんな軸にも当てはまる話なのかなって僕も思います。
だからそれをめちゃくちゃ解像度高く意識してらっしゃる気がするんで、
僕もさっきしょうもさんがご自身で四字を確定できないっておっしゃったときに、
えー、そんなことないよなって思っちゃったっていうのはありますよね。
なんか自分の中でどれぐらいかっていうのはあるんですけど、
さっきうちさんがおっしゃってくれたように、
シンプルに仕事が忙しいっていうのであれば、
余剰とかっていうのが自分でコントロールできない範疇だからっていう意味合いとすると、
しっくりくるなっていうのもあったし、
そうじゃないにしても、そこは自分が受け入れるかどうかも含めの話だとするなら、
そういうところでいうと、どれをどれだけにするかっていうところで、
そのバランスでいうところの自分がどうありたいかがまだ自分の中で完全に確立できてない。
あるいはイメージはあっても、何かしらの問題というか課題があって、
そこを自分でコントロールできづらい状況にあるみたいなところですかね。
そういう意味で余剰が確定しないというか、
僕的にはそこがうまく自分のコントロール範疇じゃない感じがあって、
確定できていないという表現にはなっているところはありますね。
具体的に言うと、皆まで言わなくていいかもしれないんですけど、
時間っていう余剰のところだと思うんですよ。
時間がたぶん仕事にかなり食いつぶされているので、
本来しょうまさんはもっと自由な時間が欲しいはずなんですよ。
でもそれが実現できていないというところが、たぶん今の最大のネックなんじゃないですかね。
そうですね。
時間の枠差が大きいので、自分のほかにやりたいこととかもそうですけど、
子どもたちと普通に遊ぶ時間とかに、それだけに集中できないときがある。
そうですね。
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