余剰を確定できてない感覚について、しょーまさんの自覚のお話しの続きで
解像度が高過ぎて、シュウとしてはそれはもう悟った人だと感じます笑
そのまま話は流れていって…
収録日:7月10日
シュウの個人Podcast:シュウの放すラジオ( https://anchor.fm/sakashushu )
しょーまの個人Podcast:父のたわごと( https://anchor.fm/82933 )
「シュウとショウの未知の理への道のり」への感想・ご質問等はこちらへ
Gmail : shu.sho.michinori@gmail.com
LINE OPENCHAT「シュウの放すラジオ兼シュウとショウの未知の理への道のり」
感想
まだ感想はありません。最初の1件を書きましょう!
サマリー
このエピソードでは、境界線の有無という二元論を超えた「ハイブリッド」な生き方について議論されています。まず、時間のゆとりがないと感じる状況から、認識次第でゆとりは手に入れられるという理想論に触れ、それを実践できる人は「悟った人」であり無敵だと語られます。しかし、悟ろうと意識するとかえって到達できないというジレンマも指摘されます。そこから、認知学の概念である「境界(境界線)」の有無が、精神を守るための境界設定と、仏教的な境界をなくすことで全体を捉えるという、相反する二つのアプローチとして提示されます。現代社会では境界を引くことが自己防衛や合意形成に有効である一方、究極的には境界をなくす考え方も重要であるとし、この両方をハイブリッドに目指すことの意義が探求されます。後半では、境界線を引くことの具体的な意味合いとして、他者との合意形成の重要性が強調され、境界がない状態とは、互いの共通認識や以心伝心によって、わざわざ確認しなくても心地よい距離感が保たれている状態ではないかという考察が展開されます。最終的には、境界線を引くこととなくすことの両方が、状況に応じて、あるいは同時に、人間関係や社会の中で生きていく上で必要であるという結論に至ります。