以前にシュウがしょーまさんに話した光回線キャッシュバックのお金の話は、
インプットでいただくお金と全然違うってことが言いたくて
今回の財布を落とした時に感じたことも…
収録日:7月10日
シュウの個人Podcast:シュウの放すラジオ( https://anchor.fm/sakashushu )
しょーまの個人Podcast:父のたわごと( https://anchor.fm/82933 )
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感想
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サマリー
今回のエピソードでは、お金を失う経験を通して、物質的な価値とお金は別物であるということに気づいたという話から始まります。そして、人はなぜ幻想を追い求めるのか、その幻想が実体を傷つけているのではないかという問いかけに進みます。さらに、自分の感情に正直に生きること、そして「無理やりやらない」という生き方について深く掘り下げていきます。最終的には、問題の原因を外に求めるのではなく、自分の内面に目を向けることの重要性を説き、人生をより豊かに生きるためのヒントを探求します。
お金と価値観の再定義
シュウとショウの未知の理への道のり。
この番組は、文字通り、シュウとショウの気が向いた時に、
適当に好きなことを話しながら、未だ知らないことわり、
つまり、未知の理を探していく道のりを描く番組です。
下手をしたら、二人の道を探すだけの気のままな旅。
ゆる〜くお付き合いいただけたら嬉しいです。
前回からの続き。
払ったお金だから、それが戻ってくるって意味では、
必要なお金と言えなくはないけど、
マジで困った時に、大変だって言って、
それをせめて少ないけどみたいにして送ってこられる、
僕で言うとインプットとかが、
すっごい心にしみる、みたいな時のものとは全然違うんですよ。
今回もお金を落としたんですけど、
それが、僕自身が本当に何かを失ったのかなって思った時に、
僕自身の中で何か価値があるって思うような、
僕と呼べるものがあるとしたら、
その僕の中から何かが減ったかって聞く自分がいたんですよ。
何一つ1ミリも減ってないっていうのが結構即答で返ってきたんですよね。
その価値のある何かっていうものとお金は本当に完全に別物だっていうのが、
今回、財宝として得られたんですよね。
だから、キャッシュバックの時に僕が素直に喜びきれてなかったのにも、
それがあるって思ったんですよ。
本当に嬉しいことが起きたわけではないってどっかで言ってる自分がいたから、
何言ってるかわかんないようなモヤモヤとちょっと嬉しいみたいなのを混ぜて話しちゃって、
今やっとわかりました、言わんとしてたことが。
なるほど。ありがとうございます。
これが、あの時しょうまさんに伝わらなかったことがずっと残ってて、
めっちゃ嬉しいです、今。何かしら伝わって。
だから、そうっすね。
結局、物質的なものとして得たかもしれないけど、
実際その自分の価値だとか、周りの人、自分が大切にしている人たちの温かみみたいなものの、
がそもそも価値があって、そこ自体に触れる機会を逃したっていう意味合いですね。
機会を逃したっていうことが。
その表現からするとそうですね。
でも今のもね、すごいめっちゃ細かいんですけど、
物質的な何かを逃したかもしれないけどっていうふうにしょうまさん言ってくださったんですけど、
それも何にも逃してないっていう今、そんな感覚なんですよ。
物質としては何もっていうとあれだな、紙を逃しました、紙だけ。
お金っていう紙だけを逃した。
キャッシュバックに至ってはもうデジタルデータなんで、何パケットか逃しました。
違うな、違う気がするけど。
幻想を追い求めることへの疑問
そこはあれですね、ただ僕自体は俗世の人間なので。
なんていうかな。
それはそういう言い方をすると変な感じになっちゃいますけど。
そこの感覚自体はなかなかいけないところだと思いますね。
それがだからこそ話としてつながってくるんですけど、僕の中で急がなきゃっていうのが、
みんなその幻想を追うのをやめないとって思ってるんですよ。
それマジで偽物だからって本気で思ってるんですよ、今。
それやってる間に実体がどんどんどんどん傷つけられていってるし、追い詰められていってるよって。
まさに僕の状態ですね。
すいません、そういう意味で構造っていうのをね、序盤に。
これは収録前ですけど。
言ってたんですよ。
それはもう、まさに自分でも感じてるところではありましたね。
そこからどう抜け出すかというか。
しょうもさん早く伝わりすぎて、聞いてる人はそこまで伝わってるかな。
って思っちゃいました、今。
伝わるなあ。やっぱりしょうもさんすごい伝わりすぎ問題が発生しちゃうんですよ。
全部が全部ですね、わからないし。
それが当然じゃ当然だったんですけど。
俳句にみる伝達と共感
この前ちょっとノートでリライトしてましたけど、俳句の話をちょっと僕リライトしてたんですけど。
あれ、しゅうさんいいねしてくれてませんでしたっけ?
リライトってもう一回。
もう一回書き直して。
あれ自体がちょっとさっきのと絡んで、さっきの面白さの話をしたじゃないですか。
あれ理論化して、その理論で書き直したんですよ。
なるほど。
確かにだいぶ前に見た記憶がうっすらみたいな、すいません忘れかけてはいたんですけど。
で、この内容面白いからちょっと書き直してみようみたいな。
で、書き直してみたやつで。
一応ちょっと僕がうまく説明できないんで、概要だけ聞いてる人がちょっとあれかもしれないんで。
で、なぜ今の話したかというと、しゅうさんが僕が結構伝わるっていう話を今されたところで。
僕がそれが完全に伝わってないかもしれないし、それが当然だと思いますけどっていう話をしたと思うんですけど。
そもそも人と人とで話すときにその内容が完全に同じものかなんて分かりようがないっていう話からですね。
で、僕がちょっと変に突っ込んじゃいましたけど。
いやいや。
書いたノートの内容の作品なのは俳句。
俳句とかっていうのもいわゆるそういうものだよねと。
俳句自体が言葉を圧縮したもので。
で、それから相手にその俳句の内容がどう伝わるかどう見えてるかみたいなのは全く同じじゃない。
同じじゃないからこそ。
同じじゃなくてそれが伝わったって思えるところがすごく心地いいよねみたいな。
そんな話で。
話が似てたんでちょっと話し上げましたけど。
そんな内容。
まさにですね。
でも全然違う解釈ってことは多分ない気がしてて。
そこ自体が多分僕らにルールがあるわけでもないし、でも伝わった感じがするっていうのがあるから嬉しかったり楽しかったりする。
そうですね。
だからそういうもんだったよなっていうのがあるんですよね。
そうなんですよね。
人生の最大幸福と自己欺瞞
なんかこういろいろ一人で考えてて、これ面白いって思ったとき。
で、それがさっきの話で言うとこう圧縮、ギュッとされたような状態で。
これを人に話したときに、人がギュッとなったときに、だよね!みたいなのが僕の人生の中で一番の最大幸福なんですよね。
これはいろいろなんかちょっと話また脱線しちゃう。
全然です。
最近はずっと教育とか子供たちの好奇心を育ててあげたいとか、それ自体はみんな好奇心持ったら絶対人生幸せだからっていうのは確かに思っているんですけど、
それを絶対みんなに絶対伝えたいのか、絶対伝えたいんだって思ってるかって言ったら、
そこにはなんか自分に大義、名分を自分が自分で持たせてるなっていうのにちょっと最近気づいて。
自分が生きてきて何かやるっていうときに、何か社会に対していいことをしたいだったりとか、そういう思いがあったときに教育とか子供たちに使ってどういうことがいいと思ってるからこうしたいとか、
自分でストーリーを作り上げてるなって思って。
実際本当にいいとは思ってるし、だから子供たち、自分の子供たちとか好奇心がどんどん出たらいいと思うし、そういう話し方とかはしてるんですけど、
本当に世界みんなが大人も子供関係なくそうあるとみんな絶対楽しい、楽しいだろうなっていう確信はあるけど、それを絶対伝えたいかとかそういうふうなことをやっていきたいかというと、
それをやった自分が社会に貢献したみたいなそういうところがあって、ある気がして。自分を騙してるというか。
例えばそういう好奇心に関して本を書いて出すだとか、そういうことで社会に対していいことできたとか、影響を与えただとか、
多分そういう大義名分みたいなものを自分が欲してるだったり、あるいは人生の意義とはとかそういうところからストーリーを組み立てたときに、自分で無意識にそれをやりたいんだって思ってるなっていうのに気づいて。
で、なんなら違うと思って、俺が一番楽しいときってなんだっていうのを考えたときに、それをやりたいじゃなくて、さっきの話なんですよ。
なんか自分が面白いなって思った話を人に話して、面白いってなったときに、だよねっていうのが僕の人生の中で一番の最大幸福だなっていうのが分かって、それが感情的に絶対これが一番楽しい。
で、これをみんな味わってほしいとは思うわけですよ。思うんだけど、別に押し付けするわけでもないし、それをやり遂げるとか、みんな絶対そうすべきだっていうのをやりたいわけでもない。そういうことをべき論になっちゃいますし。
で、それを無理やりそっちに持っていってたけど、本来自分がただそれで楽しめれば一番いいか。それがだって僕の幸せだもん。ぐらいの感じの方が正直だなと思って。
そしたら、これ面白くね?みたいな話をしゅうさんにしたり、しゅうさん以外の人たちにも共有をしたりっていうだけで楽しいし、そのこれが面白くね?っていうのはそういう話だけじゃなくて、僕がさっきの銀河みたいなの作ったり、自分が思ったこんなの面白くないかっていうのが絵本だったり、この曲よくないとか、
いろんな分野で面白いなって思うやつを、ただ単純に見て、出して、作って、話して、共感してほしいだけ。だからそういうふうに素直に生きようと思って。で、ちょっと少しパラダイムシフトがあったような。
「ただ生きる」ことへの共感
いや、それは僕にもすごい共感するところが多いですね。もうそれこそ僕は若い頃からですけど、20歳ぐらいの頃からなに夢がない、やりたいことがないっていうのに気づかされる、気づかされたときに一瞬悩んで、無理やり出したときがあったんですけど、
それは違うって気づいて、どっちかっていうと別に何も求めてなくて、ただ生きれればよくて、それがでも今の世の中全体がそれをなんでしょうね、許さないじゃないけど、
ただ生きるっていう望みを持った人間が、ただ生きるのがすげえ難しそうな状況だぞっていうことをただ意識するだけの人間に過ぎないみたいなのに行き着いたっていうので、ちょっと通じるところはあるかなってさっきの話聞いて思いましたね。
うん。僕はそういう、すげえ一つのことに対して情熱がある人とかがずっと羨ましかったり、やりたいことっていうのが一つに絞れなかったり、そういうのでずっと悩んでたりもしてたんですよ。
だからそういう教育文脈で一つ、どちらかというとこれまでより一番興味があるようなことだったり、そもそもいろんなことに興味があるっていうところで逆に一つに絞れないみたいなところでの悩みだったりとかから、そしたらそもそも好奇心自体テーマにしたらよくないみたいなところから、一番のテーマはやっぱり好奇心ではあるんですけど、
それもやっぱりなんかですね、そういう何か一つのものをみたいなところにかなり縛られてるし、何か自分の感情にただ向き合うっていうことができてなかったし、それが一番大事だなっていうのが最近やっとって感じ。
いやいやいや、めっちゃいいですね。
そうなんですよ。
そうなってくるとあんまり変にいろんな活動とか、何かを成し遂げようとか、何者かになるとかっていう文脈もあったりすると思うんですけど、そんなのだったり気にしなくていいし、
途中まではそういう何かやりたいことを時間を費やすにはそれでお金を得ないといけない、今の世の中みたいなところとかもあって濁っちゃってたんですけど、もうただやりたいことをやるみたいな形にシフトをもう完全にしたので、
そうしたらこういろんなことが、彩りが出てくるなという形で。
折り紙に学ぶ奥深さと人生の豊かさ
最近、子供たちが折り紙を折ってくれっていうので、めっちゃ折ったら、何かわかってきたというか、折り紙の性質というか。
あー何か言ってましたね。
それ羨ましい。
やっぱりやるだけやったら見えてくると思うんですよ。ここをこうやるからこういう風になるのねとか、ということは、やっぱりいろいろやるだけ見えてくるものがあるので、そうするとオリジナルでいろいろ作れて、多分僕も今ドラゴンとかその辺だったら何も見らずに折れる感じになったんで。
めっちゃいい。
それはもう本当に何かこう、それだけで子供たちヒーローになるじゃないですか。いろんな子にもうちょっとドラゴン折ってあげるとか。
まあそれはまあちょっとおまけみたいなところですけど、そういう何かこう一つの折り紙っていうテーマのその奥深さとか、そのすげえそこに触れられるっていうのは人生ですげえ豊かなことだなと思うので。
しかもそれ自体は普段の生活の中では絶対得られなくて、子供たちが折り紙折ってくれって言われて、もう普通の大人だとしたらただ折り紙を折るっていうのは何て言うんですかね、なかなかやらないじゃないですか。
もう何かこう暇つぶし家のような何か頼まれないとやらない。
だからそこの豊かな状態とかそういう折り紙の一面に触れられたっていうのは本当に子供たちのおかげだなっていうのがあって。
そういったものってこうだからいろいろいっぱいあると思うんですよね。
そうですね。
そういうのにただ触れて、なんか面白いなとか、いかにそういうのをいっぱい人生で感じられるかだけでいいんだなみたいな。
なんかちょっとそんな感覚に今なってきているようなところがありますね。
「無理やりやらない」ことの探求
めっちゃいいですね。
僕もそうですね、遊びに行かせてもらった時に自宅で折り紙折って練習しようかなとかその時だけは思うんですけどね、なかなか結局やらないっていう。
だからそこ自体も本当に何かしらの強制力というか、それがあったがゆえにそこに行けたので、それはすごくよかったなというか子供たちに感謝だなというか。
そうですよね。
難しいですよね。無理やりやらないなんて僕言ってるけど、途中で触れたというか、長男の話出して自由に自分で動けるみたいなのができないから、その時には何かしらのちょっとした強制力があった方がありがたいっていうのがあるんですよね。
それはありますよね。
自分の中からそれが自由に出せるか問題もあるし、もう一個じゃあ無理やりやらないって僕言ってるけど、どっからはダメな無理やりなのかみたいな、その線引きは自分にとってはどこなのかっていうのもまだまだ答え出てなくて。
そうですね。何か二軸あるのかな。無理やりやらないっていうのは無理やり人に強制しないっていうのもですし、自分が無理をしない、無理やりやらないっていうのもありますよね。
それ自体は何て言うんですかね、やっぱり無理っていうのが理にかなってないというか、それはこれをその先にやりたいっていうものがあって、それを成すべき時に自分の求めるものが先にあって、
それをうまくいかせるためにある程度外力を加えてほしいって思うのは、全然無理やりっていう話じゃないのかなと思って。そこの先求めてるからですね。
でもまあ、違うな。何かそこにあっても無理やりやらないってことだもんな。
うーん、いやいや。
何かちょっと難しいな。
難しいですよね。そうなんですよね。
めっちゃうまく言えない。これ朝の精神状態、目覚める時の精神状態というか、めっちゃ眠くてまだ寝てたいけど起きて動き始めたらもうその自分はどっか行ってるみたいな話と僕の中では繋がってて、
一瞬無理やりにでも頑張って起きたら、その先には自分のむしろ望む動きがあるみたいな。
だからその日その瞬間によって無理やりが変わってきちゃうみたいなのも混ざってきちゃうからこれうまく言えてるのかな。
全然自分の中で整理しきれてないんですけど。
そうですね。まあ確かにその無理やりの基準自体は移ろうからですね。
そうなんですよ。
そう。だからそれは。
だからそういう意味からすると無理やりやらないっていうのは、感情に正直になるってことかもしれないですね。
難しいなあ。
そう、いろいろ混ざっちゃってるんですよね。
内面に目を向けることの重要性
本当はそれを大きく僕が言いたいのは、自分の外側に矛先を向けないみたいなイメージが結構無理やりやらないで一番言いたいことだったりするんですよね。
うん。
攻撃、誰かに対して攻撃してもいいみたいなのってなんとなく今、暗黙の了解としてある気がしてて、世の中に。
なるほどな。じゃないと傷つきませんもんね。
傷つき。
そういう暗黙の了解みたいなのが、仮にないとすれば傷つかないですもんね誰も多分。
違う?
ないとすれば。
僕の理解力が遅いだけのような気がするけど。
外側に対して誰かを傷つけてもいい、攻撃してもいいという暗黙の了解があるっていう話ですよね。
ある気がしますね。
暗黙の了解が仮に、仮に逆説です。仮にないとすれば誰も傷つかないはずだなと思って。
ん?傷つかない?
傷つかない。
ちょっと、ちょっと待って。攻撃してもいいっていう暗黙の了解ですよね。
うん、そう。それがある気がしてる。そこまでオッケー。
それがあるっていう話をしてますよね。
はい、ある気がする。
それがあるなと思ってます、僕も。
で、そのあるなと思っているのは仮にそれがないとすれば、ないとすれば誰も傷つかないですよねってことで、
現に僕は傷ついてるし、みんな傷ついてるから、それはありますよねって話です。
なんか変なこと言ってるかな。
いやいや、変化はわからないけど、僕は理解できてないのかな。
今言った暗黙の了解はあるっていう風に僕は言いたいんですけど、あるっていう風に思ってます。
その理由は、僕が示す根拠としては、それが仮になかったら誰も傷つかない世界だなと思ってるって話です。
文章としてはね、何回も同じ文章が入ってはきてるんですよ。でも意味がわかってない。
えっと、中山的にその暗黙の了解が今世界に社会にあると思ってると思うんですけど、
その了解がなかったら、なくても誰か傷ついちゃうとは思います?
それはあり得ると思ってますね。
あ、じゃあそこで多分繋がった。
その傷つかないの話とはどうだろう、繋がる部分もあるけど、
攻撃すると自動的に相手が傷つくことが可能性が高いから、関連性はありがちだと思うんですけど、受けてが勝手に傷つく場合もあるわけじゃないですか。
まあまあまあ、確かに確かに。
だからちょっと話が飛んで聞こえちゃうんで、さっきのやつだと。
なるほどなるほど。
被る部分はあるんですけど。
そうですね。僕はその、何て言うんですかね、
そもそも誰かが傷つくっていうのは前提として絶対攻撃性が相手にある。
攻撃性がないのに勝手に傷つくっていうのは思ってないでしょ。僕としてはですね。
その片鱗が何かしらハイコンテクストに伝わっているから傷つく。
ただ意識を相手がしているかどうかっていうものは分からないですけど、
相手に傷ついている人がいたら何かしらその人は攻撃性を絶対感じていると思っていて、
っていうところからの論理展開だったかな。
なんかちょっと雑だったでしょ。
いやいやいや。
あれだったんですけど。
その側面はあるとは思うけど、
そうですね。
何だろう。
自分の中で分けて細かく考えちゃってるっていう感じなのか。
いやいや。
だと思います。
僕がちょっとそう感じたんで、ちょっとそういう表現になっちゃっただけです。
修さんが痛いところは多分そこと厳密に違ってるんだと思ってて。
話戻すと暗黙の妖怪があるっていう話ですよね。
そうですね。あると僕は思っているんですけど、何が言いたかったんだっけな。
何の話からそっちに行きましたっけ。
別の流れですか。
今の話に僕が。
今の話にその前に暗黙の妖怪があるっていう話が。
僕がその話をし始める前って何の部分。
折り紙の話から言ったんでしたっけ。
そこまで戻らない。
ではないか。
いやいや。でも無理やりやらないですよ。無理やりやらないから。
あ、そっかそっか。無理やりやらないか。
あ、そうだ。ありがとうございます。
無理やりやらないっていうのを僕が言いたい理由の一番はそれっていう感じなんですよね。
外に対してその、っていうことですよね。外に対して。
問題の原因を外に向けるっていうのが流行りというか、みんなそれが当たり前のように行われすぎていると思っていて。
お互いが攻撃し合う構図になりやすすぎるから。
それが気になる。そこを無理やりやるみたいなのが問題の結構いろんな環境問題、戦争全ての根っこにありそうな気がするから。
外側を無理やり変えようとするんじゃなくて、目を向けるのは自分の内側なんじゃないか。みたいなことを言い慣れて。
次回へ続く。
31:07
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