1. シュウとショウの未知の理への道のり
  2. 余剰の閾値〜問題を解く?消す..
余剰の閾値〜問題を解く?消す?〜必要と大切
2026-09-13 1:46:07

余剰の閾値〜問題を解く?消す?〜必要と大切

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しょーまさんの最近のテーマとしては余剰の閾値!

今、それに関して児童文学を書いていて、出来上がったら読んでみてもらいたい

っておっしゃってくださってメチャクチャ嬉しい!

それを入り口に話していきたいってことで…


収録日:9月11日


#樋口塾

#シュウとショウの未知の理への道のり

#未知のり


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しょーまの個人Podcast:父のたわごと( https://anchor.fm/82933


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感想

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サマリー

今回の「シュウとショウの未知の理への道のり」では、「余剰の閾値」をテーマに、問題解決と消滅、そして「必要」と「大切」の違いについて深く掘り下げています。しょーまさんは現在、このテーマで児童文学を執筆中であり、その創作過程やテーマ設定の背景が語られました。一方、シュウさんは自身の生き方や社会課題への向き合い方について、AIの進化を踏まえつつ、問題解決ではなく「消滅」という視点や、東洋哲学、仏教の教えから得た「関係性の変化」や「無駄」という概念について考察を深めます。 特に、「必要」と「大切」の違いに焦点を当て、人は「必要」なものほど手放せるが、「大切」なものは手放せないという洞察が示されました。これは、個人の生き方だけでなく、社会課題へのアプローチにも通じる普遍的な考え方であると述べられています。また、コミュニケーションエラーが多くの問題の根源にあるという視点から、個々人が自身の「コンパス」を持ち、本音で関わることの重要性が強調されました。最終的には、これらの議論が、現代社会における様々な課題への向き合い方や、より豊かな人生を送るためのヒントへと繋がっていきます。

番組紹介とポッドキャストツールの活用
シュウとショウの未知の理への道のり、この番組は、文字通り、シュウとショウの気が向いた時に、適当に好きなことを話しながら、未だ知らないことわり、つまり、未知の理を探していく道のりを描く番組です。
ヘタをしたら、二人の持ち、不審な道が無理を探すだけの気のままな旅、ゆるーくお付き合いいただけたら嬉しいです。
言っとくとあのあれちょっとですねあのはい 収録前バタバタしてしまってあのトムキさんから聞こうと思ってたんですけどご無理ないように
っていう話だったんでちょっと聞いてないですごめんなさい いいですいいです全然いや僕あれなんですよその富士山島の時にも言ったみたいに
AIに食わせてようやくとかで大丈夫って思ってはいたんですけど まあまあ空気感伝わるのかどうかそこらへんもわかんないなぁと思ってたのと
あとAIに食わせなくても今ポディ あポディあのケンスさんでしょ
そうそうあれ僕一応登録しまして でもあれ有料なんで
記事化するのに 文字起こししたり記事化するのに有料なんですよ
そうなんだ まあでも最初にサービスクレジットみたいなのがあっていくら分だったかわからないけど
でそれで一応文字起こしだけそのトムキさんゲスト回の 2時間が2回の4時間分
文字起こししてで記事化もしたいなと思って記事化しようとしたらもう サービスクレジットでは足りなくなってあらーと思ったら
こう 人を誘うと
自分の招待リンクから誰かが入るとまた入ってくるんですよクレジット じゃあ送ってください
いやいやでそれで2人ぐらいちょうどまたこうくださいって招待リンクくださいっていう人がいらっしゃっ
たから直接僕に依頼が来たから僕はもうみんなにこれ使ってくださいみたいに広める の本当あんま好きじゃないんでそういう風なのはダメでも依頼が来た人だけ
2人にこう出したらそのクレジットでトムキさんゲスト回だけは記事化できたんで えーよかったし
なんかポディの手法を探してもらったらトムキさんゲスト回だけ 記事化もされてるんでまぁもし次回まぁでも旅でちゃうか
どうしてだったら聞こうかな それが一番嬉しいは嬉しいんですけど
了解しましたちょっとどの辺から今使ってるかなポディのとこは特に 言わなくてもいいかなどうかな
この辺からかもしれないんですけど
シュウさんの発信活動とケイジさんとの番組
とりあえず僕もですね相変わらず頭の中で こう
あーでもないこうでもない道のりで道 道のりでこの番組で導き出したいみたいなその未知の断り道のり
相変わらず追い求めて考える日々なんですけど 僕の中でこの週の話すラジオでもそれみたいなことを
発信しているつもりでいてで大きく言うとこの道のりと あとは大輝くんとやってるご収賞ラジオ
続ご収賞ラジオ その3つでなんとなくそういう
今後こうしていったらいいんじゃないか的なアイディアみたいなのが出していけ たり抽象的な普遍的に健全なことみたいなものを出していけたらなぁみたいに
思ってるのがその3つだったんですけど 最近ケイジ君とも番組みたいですね
あーご存知ですかありがとうございます ケイジ君とあともう一方いらっしゃいませんでしたっけ
えーと何も言うことなんてないなんてないかなんかあれちょっとはっきり覚えてない 話すことなんてないなんてない
あの初回のタイトルかな あーそれは初回のタイトルなのか
多分 手触り感探しっていう番組を英子さんっていう方と始めたんですけどね
ただ英子さんの方はそのさっき言ったみたいなあの断りを探す的なコンセプトじゃ全くなくて
英子さんがポッドキャストにすごく向いてそうなのにやってないから 聞き手として僕がやることで英子さんがこう始められるようなポッドキャストに慣れてもらいたいなーみたいな
全然違うコンセプトでやってるんですけど でちょっとごめんなさいなんでその話をしたか
英子さんのはちょっと別としてケイジ君とポッドキャスト始めたっていうのが ケイジ君が僕の生き方を深掘りたいみたいな好奇心持ってくれてるから
これ幸いとそうケイジ君に手伝ってもらいながら 僕が言語化下手だからその僕が何を求めてるかみたいなことを言語化してもらうみたいなのをやっていく中で
ケイジ君はすごい道のりもそうですけど僕の番組をほぼ全部聞いてくれてるみたいな
そのくらい興味持ってくれてるんですよ ケイジ君は道のりも聞いてくれてるんですか? 聞いてますよ
この間もねしょうまさんとのやつを聞きましたとか言ってなんだっけな ちょっと話題忘れちゃったけどすぐなんかねメッセージ来て
なんかその回の中で僕がわかんないなーって言って あっディスコードで
あれだ あのしょうまさんが友樹さんと喋ってるのを見えてましたよって あーあれか
あそうそうごめんなさい でえー後でちょっと収録終わったら試したいですって言って結局忘れてたんですよ
そしたらケイジ君からLINE来て僕からも見えてますよーって
来たっていうね 今時原因わかんないんですけど ちゃんと調べられてないけどもうすぐ聞いてくれてんだーって思ったっていう
感じなんですけどね 早い
でそんなケイジ君が道のりとか 修法は別なんですけど道のりと続語収集ラジオ
聞いてくれてはいるけどケイジ君との番組集計時代っていうタイトルにしてるんですけど それはちょっと違うスタンスにしたいっていうふうにおっしゃってくれて
とりあえず1回収録したら基本的にそれを全部もう一気に出す っていうスタンスがいい
でもし長くなりすぎて分割するとしてもまあ楽曲工房とか 新型みたいにここで終わりましょうってちゃんと区切って
でその日のうちに2本目撮るなら撮るみたいな形にしたいって言って 今まではまあ2回しか撮ってないからもう丸まま全部出すってやったんですけど
それによって僕の満足度もすごく高くなることが分かって ちょっと道のり
ねあの1年ぐらいゆるーっと休んでたみたいなところがあるじゃないですかそういうのもあるし 今までは毎週通うみたいな感じでやってたけど
で撮った音源も分割して出してたけど 基本的にこう一気に出したいなーって思い始めてて
ショーンが良ければあ僕は全然一緒なん なんですかこの道のりかしたらあの集さんのそういう編集負担だとか
そういうのもあるしまあそれはどういう形で出したいかという集さんの あの
ご希望に添えてればいいと思っているので僕はどういう形でも大丈夫ありがとうございます じゃあちょっとこれから今まで毎週通って楽しみにしてくださった方いるかもしれないけど
番組配信スタンスの変更と満足度
もう撮ったら編集終わり次第出すみたいな スタッフにしたいと思いますなんかね
僕のその満足度もそうだし なんていうのかなぁ
あの週報では話しちゃうんですよね道のりでとか 終章でこういうことを話したんですけどとか言ってああでも流れるのは1ヶ月後ぐらい
なんですけどねみたいな 確かに確かにそのリアルタイム性がですね
リアルタイム性ですごく あの刑事君とのやつはほぼほぼ編集終わり次第出してるから
その意味ではの僕のあの満足度プラス心の健全性が違うなぁと思ったんですよ そういう意味であーごめんどうぞ
いや僕なんて言おうとしたかな 健全性が違うなと思ったぐらいかな
なんて言おうとしたか忘れちゃいましたごめんなさい こっちはごめんなさいそういう意味ではあの
まあもちろん後配信でもいいですけどもちろんその 今よりもちょっとあの気をつけないところはあるにしても
あのライブ配信してもいいかもしれません あー確かに確かに
うんうんそれもありかもしれませんその時間帯に誰がどう聞くかはわかんないですけど そこが多分目的ではないので
うんうん確かに確かにいやそれはめっちゃいいな僕も一時期週報で やってた時あるんですよね
週会議っていう名前にしてた時期 あーいいかもそれもちょっと次回あれですね
次回行こうやってみましょうか ただあのその時にはちょっと画角が僕がこう上半身が
そこらへんのも居たわ それぐらいかな
それはなんか入れれば リアルタイムで入れられるものなんですかね
リアルタイムでyoutubeどうなんですかね今なかなか出来そうですけどね あのズームとかであれば今僕ほらリアルタイムで今ぼやかして
確かに確かに あーまあなんか人みたいのあんま見たことないですけど
確かに
Tシャツ着てないところはそこをぼやかす みたいな機能はさすがにあんまり見たことない
ぼやかしても意味ないですからね
着てないんだっていうのはもう
まあ別にこれもあれですけどね 愛説物までは行かないとは思ってるんですけど
別にそのだってテレビでプロレスとか 別に常連とかだったりとかあるから
たぶんその方に触れなければ問題ないんじゃないですか
確かに確かにそうですね
ちょっと僕は気にしすぎでした
すいませんそんな前置きがあって今日はちょっと
シュウさんの最近のテーマ:死生観とマナー式
なんとなく満足するみたいなところまで話すのを 基本的には一本みたいにしてそれを出せたら
区切りたくなったら区切っててするかもしれないけど
って思っててで話題としては僕としてはですね
集計時代っていうケイジ君とやってるのも
大は死を意味する大なんですよ
時代との掛け言葉にもなってるけど
死を意識するというか死から目を逸らしすぎないというか
目面ともりの意味合いがあるんですよね
で僕のお袋も今結構弱ってて
いつ何が起こってもおかしくないなって本当に思ってたりして
それに対しての意識みたいな方向性がついつい出てきちゃうかなとか
あとはリュウゲンさんゲスト回で何回も僕を繰り返し聞いてて
それに関わるみたいな関係性の哲学的なところから
でも僕が今一番気になっているのが
マナー式って前回も話しましたっけ藤井さんとか
うんなんか少し出てきてた気がしますね
はいはいはい
僕自身がマナー式をしっかり覚え切れてないですけど
あーいやいやそうですね
なんかまあ要は分かっちゃいるけどやめられない的な
自分は意識してないけどこうついついそうなっちゃうとか
自分は記憶にないけど犬が怖いとか
どんなにちっちゃくて可愛い犬でも
まあ幼少期自分の記憶にないぐらいの頃に例えば噛まれて
とにかく犬が怖いっていうのは誰からどう説得されようが
本当にこの犬は噛まないって説明されようが怖いとか
僕はキュウリが嫌いとかそういうこと
あーそうそうその話題になったんだ
はいはいはい
ですねはいはい
であのあの時にはまだそこまで意識してなかったんですけど
まあ日々いろいろ考えてたら僕
これそれさえ解決できれば社会課題ほぼ解消されるんじゃねみたいな
ほうほうほうほうなるほど
感覚にちょっとなってきてたりして
そういう方向性の話とかぐらいな僕としてはざっくりそんな気分があるっていう
今バババーって出した感じなんですけど
しょーまさんのテーマ:余剰の閾値と児童文学
しょうまさん的にはどうでしょうこれ一方的に僕が今出しちゃったから
いやいや僕的にはもう全然何でもウェルカムというか
なるほど
なんか最近それこそこの前しゅうさんといろいろ話す中で
最近気になってたというかその一番のこの自分の中の最近のテーマとしては
この敷地
はいはいはいはい
敷地っていうものがテーマで
ちょっとそれを
余剰の
余剰の
あああってことですね
余剰の敷地っていうのがテーマで
ちょっと今それに関して自動文学を書いてるので
おーなるほど
その辺をちょっと出来上がったらちょっと読んでいただこうかなとか
わー嬉しい
あといろいろですね読んでみたいという人たちに
こう一回こう読んでみてもらおうかなって感じで
はいはいはいはい
考えてるぐらいですね
あーいやめっちゃいいですね
ちょっとどういう感想を持たれるのか
ちょっとそこの部分にそこをテーマとして
ちょっとあの物語を
ちょっと執筆中です
えーじゃあそれ
いやそれもめっちゃ気になるから話せたら話したいけど
ネタバレになったりしますか
あーどうだろうな
まあそうですね
どんな話をするかですけど
その余剰に関して
皆さんがどう考えるかっていうところを
ちょっと一つの物語としてるんですけど
ちょっとリアルな現実世界っていうよりも
ちょっとファンタジーでもないのかな
ちょっと違うフィクションというか
なんて言ったらいいかな
現実にはないような世界でのお話ではあるんですけど
ネタバレになりますかねっていうのは
内容を聞きたいですっていう意味では実はなくて
今日それについてしょうまさんの考えを
僕が聞いたりしちゃうと
物語を読む前に
それは全然ないですね
それ自体は例えば考えを
僕がこう思うとか
そういう考えを押し付けるものではないので
なんというかどうそういうものって
どうそれぞれ感じるかっていう話のだけなので
多分大丈夫じゃないかなと思うんですけど
ちょっと状況に応じて言葉を選ぶと
せっかくだからそれから
どう転んでも僕多分
初っ端に話したみたいな意識とかいうのは
話に絡めてきちゃうと思うんで
最初それ余剰の敷地も
僕もめちゃめちゃ気になるテーマだし
なんかそれにしょうまさんが
それを書こうと思われたきっかけだったりとか
どういうふうな感覚で
いつ思いついたのかな
なんか単純に
自動文学を書いてみようっていうところは
なんか前々からそういう文章を書くっていうのは
間違った視点の物語とか含め考えてて
あれはちょっと短めだし
なんかこう長めの童話をちょっと書こうと思い
何に書こうかなって思った時の
テーマとして一番気になってた
気になってたのがそこの余剰の敷地だったので
そこの余剰の敷地っていうのは
僕が今こう実生活で
結構大きな部分
仕事とか含めて
考えないといけないところだったし
突き詰めると今のこの資本主義社会だとか
世界的にそこの余剰の敷地っていうものを
大なり小なりいろんなレイヤーで
みんなが意識するといい内容だなと思ったので
それを一つの題材として
描いてみようかなというところからですね
でもざっくり僕もそういう意識がすごい近いから
余剰の閾値と人口問題、限界への考察
めちゃめちゃわかるなーっていうすごいアバウトな
感想になっちゃうんですけど
僕はもう本当に単純なんで
限界まで引き下げるみたいに
思って今の暮らしをしてたりするんですよね
敷地はもう
どこっていう基準をどう決めたらいいかみたいなのが
それを下げられる限界みたいに
パッと思っちゃうタイプなんですよね
だからそれをどう深掘るかっていうのは今
アイディアが何もないんですけど
僕の直感でまたすぐ大きな話になっちゃうけど
世の中全体に現れている社会課題
戦争環境問題を含む社会課題っていうところを
日々意識しながら生きていると
人間がそれを作り出しているってした時に
人口が増え続けているらしい
正確な統計とか僕分からないですけど
体感的にそう感じた時に
なんかそれを敷地を決めない限り
その増大が止まらなかったら
それはいつかは限界が来る
今ももう限界過ぎている状況なのかもしれないんですけど
そう思ったら
人口的に一番いい人数みたいなのが
本当はあったりもするのかなとか思って
人が意識して操作すべきとか
そういう話じゃないですよ
まるとシステムとして捉えた時に
バランスする点っていうところですね
そういうのを客観的に見ることができたとして
そうなった時に一人分として目安こんなもんですよみたいなのが
出てればそれは分かりやすいんですけど
多分そういうのが出るのって
そんなすぐにはないかなみたいに今のところ思ってて
こうなったら今個人ができることって限界まで引き下げることかなって
多分直感的に思って僕はこの暮らしに来てたなって
そうすると大きな世界的な問題を解くという意味合いに立てば
できる限りのっていう振り切ったところでしかも行動が
その行動が問題を解くことに関して言うと最適解
のかなっていうのは思うんで
だから習慣的にはそこに振り切られてるんだと思うんですけど
結局そこの目安がないとか
余剰の敷地っていうのが明確にないっていうのが
さっき言った僕のやつでもなんかテーマなんですよね
そこは明確にそういうものがなくて
決められてないし誰も知らないっていうようなところで
そういったところをテーマにしたものでありますね
だから僕としてはそこってやっぱり
それぞれがそれぞれのアレで決めざるを得ないことだと思うので
あとはまずそれに気づくというか
そういうところからかなと思うんですけど
メタ認知とマナー式の壁、危機感の共有
そうですねそこ自体がやっぱり意識しないと再現がないし
逆に習慣みたいに振り切れるっていうか
体をみんながみんな食べとれるわけじゃないはずなので
その辺ってどう考えたらいいのかなっていうのがあるんですけどね
なんかいい感じでマナ式の話が僕の中で浮かんできたから
そうですか
ちょっと無理やり紐づけるになるかもしれないんですけど
僕がそのマナ式が大事だなって
マナ式を意識するのが大事だなっていうのは
今まではメタ認知が大事だって僕言ってたんですよ
社会全体のことを意識した上で
自分の生き方のちょうどいいところを探さないと
土台が崩れていっちゃう中
個人の動きにしか目を向けてないと
いつか突然土台が崩れるみたいなイメージなんですよね
だからそのために僕
敷地がいるって思ってるような感覚なんですよ
でもそのみんな僕みたいな動きができるわけじゃないっていうので言うと
そのメタ認知というか
社会の全体の状況を意識することができないというよりは
意識した時には
なんかそれはそうなんだよねって
分かる人がほとんどだとは思ってるんですけど
分かっちゃいるけどになってるように僕見えるんですよ
もう僕この生き方を始めるきっかけ
きっかけっていうわけじゃないな
始めるタイミングでちょうど
ギチの青雪たかやさんをゲストに呼んで
いまだにエピソードの詳細欄にたかやさんゲスト回を毎回リンク貼って
今僕が完全に雇われをやめるっていうのを発表したのがあの回だったんで
大事な回として
ずっと最初に聞くときにあれをお勧めしてるんですけど
あそこでたかやさんが言われた言葉が僕ずっと残ってて
コテンラジオでゲストに出られたボーダレスの代表の田口さんが
2050年っていうタイムリミットがもう
どういう期間でだったか
世界的な期間で発表されて提示されてますみたいな話をしたのが結構衝撃で
温暖化がもう2050年までにある数値を達成できないと
数値目標を達成できないともう二度と取り返しつきませんっていう風に
発表されちゃってますみたいな話をされていたから
ちょっとうまく説明できないからあれだけど
直感的にそうだよねって思ったし
そういう危機感が僕の中では常に働いている
そういうビビりなんですよみたいな話をしたんですよね
たかやさんにそういう危機感ってたかやさんの中にはありませんって聞いたんですよ
そしたらたかやさんのお答えが
頭では分かってますって言われたんですよ
だから分かっちゃいるけど
それを意識しない瞬間の方が多いみたいな
その回の中でも日々なんかもう
うわーってなっちゃっててみたいな
なんかそんな感じの表現されたんですよ
ちなみになんですけどちょっと打線しちゃうかもしれないけど
こうやさんも僕ゲストに呼んだことあって
実は
それも随分前たかやさんゲストに呼んだ1年後とかかな
なんとなくいいかねパレットで
勢いで呼んじゃって
そこから何ヶ月かして
オンラインで収録させてくれたっていうのが
あったんですよ
ちょっと2時間作ってくれるって約束が当日ドタバタしちゃって
1時間ぐらいしか収録できなかったんですけど
みたいなのがあってちょっとそんなに深掘りはできなかったけど
同じような質問僕投げたんですよね
言っても気になってるのもあったしたかやさんにも聞いたしなと思って
言ったら対照的な答えで
こうやさんはもうなんかその辺は世界に任せてますみたいな
なんかそんな感じだったね
でも好きにしてみたいに思ってる
好きにしてって思ってるからそこを課題として自分が個人で捉えるみたいな
感覚じゃないですねみたいに
言われたんでそれはそれで
なんていうかある意味悟りの境地っていうかなんていうか
潔いっすね
のがあるからそれはそれでそういう役割の人がいて
叱るべきと思ってるんで
全員がこの危機意識持つべきみたいな話ではないんですけど
でも一部やっぱ高谷さんみたいに頭では分かってるんだけど
みたいに思う気持ちをお持ちの方も多いのかな
僕はなんかそれの最たる例って思っていて
僕はなぜか偶然
社会課題への向き合い方:解く vs 消える
あっちあっちに気を使いこっちに気を使いってした時に
なんか表現がなんじゃそれって感じですけど
もうその世界全体にも意識を
日々向けながらじゃないと生きていけないになぜかなっちゃったっていう
偶然性がここに
偶然性のなせる技で今の生き方になってるっていう
感じなんですよね
感覚的に生きてきてこうだったんで
マナー式みたいなものを
ちゃんと意識してこれたわけではないんですけど
リュウゲンさんゲスト回でマナー式の話聞いた時に
まあそういうのあるよね
わかんないけど犬が嫌いみたいなものあるよね
ぐらいに最初思ってたんですけど
日々考え巡らせてたら
もしそれがこう自分で
その点を意識し続けることで
消えるまでいかなくてもなんか緩んでいく
日々意識し続けてたら犬が苦手だったけど
だんだんそうでもなくなってきたとか
そういうことがありえるんだとしたら
こう社会の課題についても
自分個人が考えたところでどうしようもないしなみたいな
のではなくなんかやれることがあるかもみたいなのを
日々瞬間瞬間感じられる割合が増えていったら
実は社会課題って
解決というよりは消えるかもみたいに
思ったんですよね
そういうふうに意識する人が増えたら
あまり全体を考えずに行動する割合も減るかなと思ったんですよ
まあまあまあそうですね
その四条の敷地としては下がる方向だろうし
まあそこはちょっと飛んでるかな
飛んでないかも
飛んでるかもしれないけど
社会全体を考えてより敷地が上がるって人は
まずあまりいない気がしていて
よっぽどちゃんとその辺がちょうどいい
それこそちょうどいい人口はこれぐらいとか
しっかり把握できて
もうちょっと自分は世界全体の中で
四条の敷地上げてもいいかもってなる人って
なんかほぼイメージできないなっていうぐらい
ほぼほとんどの人にとって
敷地は下がっていくんじゃないかなみたいに
思うので
そうなっていくだけで
もうすでに社会課題は減少方向に進むんじゃないかな
みたいなことを思って話したかったから
なんかちょうど敷地の話と
マナ敷の話がつながるかなと思って今
ちょっと長々しゃべっちゃったんですけど
そうですね
自体はやっぱりそういう
いわゆるなんかさっきのやつOSみたいな
表現を使われたりする中に
そこのマナ敷っていうのがそこに組み込まれてるような
感じがしますけど
そういうところが確かにできればですね
そうなんだろうなって僕も思うんですけど
それぞれが環境課題とか全体的なのに対して
アンコントローラブルなものだっていう風に
思っちゃってるところはあると思うんですね
コントロールしてない制御できないものっていう風に
自分一人じゃっていうか
これがみんなでやればっていうところだと
全然意味は違うけど
みんなで足並みが揃うっていうのもありえないっていう風に
多分思ってるから
だからそこの
実際に人間が本質的にコントロールしようとするから
例えば問題を解く
そういう問題社会課題を解くっていうのも
結局問題解決っていうコントロールを
しようとするところになりますよね
そういう風に
実際それはコントロールしようとするというか
コントロールを
社会問題を解くことが
さっき吉祥寺さんが言われた表現で消えるとかっていう形じゃなくて
そういう風になったら自然と消えるっていう方向になるんだろうなと思うんですけど
今ある社会問題を解くっていう視点で見てるがゆえに
コントロール感があるじゃないですか
それを解くっていうことはコントロールしないと解けないんだとか
解くことはコントロールする
何かをコントロールして成し遂げることなので
そういう視点に立っていれば
そのコントロールがいかに難しいかっていうのが
みんなもう実感できてるんで
もう他の誰かに任せようっていうスタンスだったり
分かっちゃえるけどしょうもないよねみたいな
あとは自分のこともいっぱいあるし
優先度的にもやっぱり思考の優先度が低いところにどうしても行ってしまう
っていう感じだと思うので
何言いたいかっていうと僕今整理はできてないんですけど
それを解決しないといけないっていうスタンスに立つところでも
捕らわれちゃうのかなっていうふうにはちょっとふわっと思ってて
こういうスタンスに立つと自然と消えるぜみたいな流れが
生み出せるとなんかうまくいったり
結果的にですね
するかもなっていうのはあるんですけど
解かねばならないとか解くべきみたいなスタンスでいると
なんかよりそこの障害が大きくて
その思考から外れていっちゃう風な
悪循環が真剣に考えれば考えるほどですよ
そういう悪循環が起きる変なループがあるような
効かないとふわっとしてるっていう話でした
なるほどなるほど
「解く」から「消える」へ、原因の内在化
ちょっと僕なりの解釈になっちゃうと思うんですけど
意識的にさっき解くではなくて消えるっていう言い方をしてまして
それがですね話飛んだように聞こえちゃうかもしれないんですけど
社会課題を作り出しているのは人間っていう言い方僕したんですけど
要は自分が作ってるっていう原因を内側に求める視点なんですよね
自分の内側に求める視点
解くっていう風になってくると自分の外側に原因があって
それを何とかする
それで言うと僕も普段から人のことは変えられない
変えられるのは自分だけって言ってるのにも
まさにその内側に視点を向けることも意識として現れてるんですけど
中途半端にその意識でいると
外側のことだから変えられないから何もできない
ってもう終わっちゃうと思うんですよ
でもそもそもマナ式で解決するって思ってるっていうことは
自分の内側に意識を向けることで
自分が生き方とか認識を変えることで
目の前に現れている社会課題が結果として消えていく
その減るでいいと思ってるんですけど
一人分減るで十分なんですけど
まずはっていうのを言いたかったのかなって思いました
本当はそれで十分でそれぞれがそういうスタンスで
それが全体に広がったり自己組織化していくことで
大きなムーブメントになるだと思うんですけど
どうしても社会課題とかっていう言葉が示すように
人間にとって都合が悪いことだから
自分の外の課題として捉えてる感じはありますね
本当は自分のそれぞれの内面の話だけ考えてれば
そこが最終的にそこに繋がるときに
自分だけがそれをやってて一人分でもいいんだという話をされてますけど
自分だけやっても結局そこが解決されなかったら意味ないじゃん
みたいな感じの意識とかあると思うんですね
僕どっちかと言ったらそっちのタイプで
そうですか
問題を
だからそれはタイプというか
そういう社会課題を解決したいっていう風な志があったとして
そういう風な目的を設けちゃってると
ちょっと考え方的に
ちゃんとその目的に達成するようにはどうしたらいいか
現実的にどう風にすべきか
みたいなそういう考えになっていっちゃいがちなので
そうなんだなるほど
なので
僕だけじゃないのかなってそういう感じの
結局自分だけやっても結局そこの
僕は先のゴールがあったときに逆算をしちゃうので
なるほど
それがこれならいけるっていうのがなってないと
行動に移せないタイプなんですよ
でもこの問題でそれの逆算定絶対できなくて
そこのリアリティがないからみんなとは言えねえっていう感じになっちゃってるのが
現実かなと思ってて
でも実際それ自体が本当に消えるっていう状態っていうのは
一人一人が自分の中だけでいい
自分の中だけでその一人分でもこれが解決されればOK
っていうスタンスで初めて一人一人が動くことで
それが集積してでしかそこに行けないと思ってるんですよ
だからじゃあ自分の中だけでもやんなきゃとかやろう
っていう風な感じのところの落ち着きで
自分でやれることとか自分の中だけでっていう風な考えには
なったりはするんですけど
何か言いたいこと伝わります?
課題解決への手詰まりと運任せのスタンス
僕なりにちゃんと理解してるつもりではいるんですけど
しょうもさんの中でちょっとあれですかね
難しくて伝わらないだろう誤解されてるだろうなみたいな
そんな感じではなかったのさっきその
そうなんですかって結構意外な
しょうもさんがそのタイプってあんまりこう
直感的に感じてなかったんですよね
でも今の話聞いてても全てを理解しているように感じちゃうから
要はでも解決できるイメージが持てないけど
原因は結構くっきり見えられてるじゃないですか
そうなんですよ
そんな言い方するとちょっと困るんですけど
自分の中ではそういう構造だなっていう風に思ってて
だからこそ自分のやれる範囲でそれぞれが
やったらいいよね
それでそれがこう
うまくいったらおんなじだよねっていうスタンスにしか立てなくて
じゃあいざ本当に課題としてそれを何とかしなければっていう
考え方になると
その手詰まりになっちゃうというか
結局その例えば
仮にこのしゅうさんと僕が極限まで
敷地を下げて
そういう生活を送っている人たちがその限界が来るまでに
最終的に2人だったらっていう
もう一種の話ですよ
2人だったら最終的には
あったらよかった未来っていうのがないわけじゃないですか
なるほど
そこがただそこの活動が無駄とは思わないんですけど
なんかこう課題解くべきものっていう風に外で捉えちゃった時に
それを達成するための
何かをコントロールしようとしますよね人間が
そういう風に思考が回るなと思って
でもそのコントロールしえない
だから詰まるところそういう行動自分一人一人とかそれぞれがするしかないし
それでどういう結果になるかはもう運任せ
でしかないからもうそういうのをこう
率先して実践して
あとはもう他の周りの人たちが自然とどう思うかで
やられてるのが秀さんだと思ってて
なんかもうその方法論しかねえなって思ってるんですよ
だからそのなんかそういう
その欠陥した課題とかっていうのを
必ず解決するっていう手段道筋っていうのは
やっぱ全然見えないなっていう風に思ってる
それは今の段階で予測できないっていうだけでですね
そういう道筋として
これでいけるこういう風にしたらいけるっていうところが
例えば秀さんとして描けない
だけどもうそれはもうなんかこう
ワンチャン頑張ろうしかないのかなっていう風に思ってる
なるほどなるほど
どうですか今の話聞いて
生き方のベクトルと心の健全性、アウトプットの先
でもなんだろうなあ
僕は生き方として成功するかどうかは気にせず
ベクトルオブどっちに向けてるかで
別に自分の生きてる間に実現できるとそもそも思ってなかったり
そこに対してどういうスタンスで
心を健全に保ちながらこの個体を維持するか
世の中全体のバランスがいいっていう
今はその架空の理想状態かもしれない
でもそれにぴったりフィットするような
その世界の中での個体のあり方として生きられれば
それで十分でそいつがなかなか死なないだと
説得力もちょっと増えるかなとは思ってるけど
でもなんか最近だいぶなんか僕自身も体調がえらい悪いなと思って
早くやっぱり死にそうだなとか思ってるんですけど
随分前に
それこそアウトプットが先っていう単語を初めて
この道のりの収録の中で出した回が
自己組織化検証の話をしてた回だと思うんですけど
なんかこう心臓が
鼓動を打てる回数みたいなのが決まってるみたいな話を
決まってるみたいな話あるじゃないですかみたいな話を
ふとしょうもさんでしてて
僕すごいビビリだから多分鼓動いっぱい打って生きてきてるから
早く死にそうって言ったらしょうもさんも
なんかねそのビビリとまた別で
症状的なものでいっぱい心臓に負担かけてる
2人とも早く死にそうですねみたいなことを
思い出したんですけど
だからちょっとごめんなさい
脱線しちゃったんですけど
でもさっきのしょうもさんの話から
感じたことがいくつかあって
1個はその課題解決っていうのをついついしちゃうっていうのが
西洋的な思想になっているのかなって感じるところがあって
やっぱり東洋の考え方がやっぱ好きだなと思っていて
医療とかでも西洋の医療は
なんていうあれでしたっけね
西洋の方忘れましたけど
対象療法が西洋かな
対象療法
対象じゃなくて対症らしいですね
症状の症らしいですよね
対象療法
で東洋医学的な漢方とかは
原因療法って言ったっけな
原因の方をこう何とかするみたいな
予防医学的な感じなのかな
整体とかですね
整体もそうなのかな
そんな感じがしますね
今ちょうど言ってますけど
川の上流を治す視点と因果の考え方
ちょうど今整体とか始めましたけど
自立神経とかって
やっぱりもうかなり
体から来てるっていうのもあるし
なるほど
あとは僕の弟がですね
神経死だけどちょっと変わった
遠絡療法っていう療法で
僕も1週間か2週間に1回
治療してもらってるんですけど
よく話するのが
川で言うと上流の方を治す
って言うんですよ弟は
上流治さないと意味がないから
末端で現れてる症状に着目しても
振り回されるだけだみたいなことを言うんですよ
実際僕弟の治療でいろいろ
改善してるところが多いから説得力があって
そうだよなーってイメージするときに
僕のイメージでは
社会課題も川の上流に
僕らが実はゴミを捨て続けてます
ゴミによって川が汚染してますっていうのが
例えとしてその社会課題だとしたら
まず僕が捨てなくなる
しかないって思ってるんですよね
僕が捨ててましたと今までは
今も捨てる人捨てない人いるし
人のことはコントロールできないけど
自分のことだけはコントロールできるんだとしたら
そこだけは自分にはできる
それをやりながら生きて
それを人に見てもらう
生きてるだけでその存在が何かを感じさせるって
思ってるんで
僕はそういう風に生きて
生きることしかできないしそう生きます
それによる影響がゼロとも思ってないんで
早く死ぬかもしれないけど
そうやって生きて死んだ人がいたっていうのが
感じられることによって
そういう人がもしかしたら
その人なりの形として現れるかもしれないな
っていうところで言うと
仏教では因果
原因と結果が
連綿と続いていくみたいな
原因がないと結果が存在しない
その結果がまた次の原因になる
みたいにして考えていくと
その結果に対して課題解決をするっていうよりは
その原因になったものを取り除くっていう
発想になるんですよね
僕の場合は
関係性の哲学と社会課題の捉え方
だから課題を解くじゃなくて
消える
これは最終的なだから僕一人分が消える
だから減るっていうことに繋がるんですけど
古典ラジオの
ごめんなさい僕長く喋っちゃってるな
今ちょっと話題ですか
古典ラジオのリュウゲンさんゲスト回の中でも
深井さんが
なんだっけな
コミュニティーナースさん
わかりますかねコミュニティーナースっていう
ファットですね
企業さんの名前ですか
そうです
島根の
島根の方が代表の会社だと思うんですけど
いろんな県に
コミュニティーナースとして
会社の支社的なものがある
支社なのか活動拠点なのかわからないですけど
ある気がするんですけど
それの例を出されてた時に
クーの概念っていう
関係性の哲学をコミュニティーナースは
体現してるみたいなこと言われていて
その話をされてる時に
コミュニティーナースと他の
ソーシャルビジネス的な
社会課題を解決するっていう風に宣言してる
会社との違いみたいなことを言われてて
社会課題が絶対にある
だからこれを解決するんだっていう風に
言ってやってるけど
ないよねって言われてたんですよ深井さんが
実態としての社会課題はない
でも
関係性としてはある
そう思った時にその関係性っていうのは
いくらでも変えられる
コミュニティーナースを例に出されてて
もう深井さん自身が
言い直されようとして言い直さなかった表現だから
僕もそのまま使っちゃうと眼光ジジイみたいな人が
いて
ニッチもサッチもその眼光ジジイに
何を伝えてもどうにも動かないなって思ってるのに
第三者がポッと入ってきた時に
ひょっと肩の力が抜けて
ガラッと変わるみたいなのを見てきた
っていう風におっしゃるんですよね
だから眼光ジジイっていう絶対に
解用のないファクトというか
そういう真実があるわけじゃなくて
そこには関係性があって
ある人と対峙してた時に眼光ジジイみたいな表れ方を
してたけど関係性が変わった時に
それは全体が変わっていくみたいなことになるから
社会課題も絶対的なものとして
そこに存在してるわけじゃなくて
そういう風に現れてる関係性が今はそう見て取れる
じゃあその関係性をどう変えていくかだけだ
みたいな表現されてたんですよね
僕もどっちかっていうと
そのスタンスなのかなと思って
社会課題っていうのが
僕との関係性の中で現れてるんだとしたら
僕のその関係の持ち方を変えることは
できるから
個人としてはそれをやることが
その社会課題を減らす結果として
消えるイメージのアクションになる
穴みたいなことを
さっきの翔太の話聞いてて感じたかなっていう
そうですねまさに本当に
個人の生き方と社会課題への向き合い方
行くつく先がやっぱそこで
翔太は今そこに行き着かれてるんだろうなっていうのは
自分なりに理解しててですね
そういう
生き方をしたいっていうことで
翔太が生きられてて
それで影響を受ける人がいるもいないも
最終的にそれが広がって
実際に今の社会課題と呼ばれてるものとの
関係性が変わったりして
人類史としていい方向に進むのかどうか
っていうのも何も確約はないけど
結局詰まるところ
コントロールを周りはできないし
自分が今の世界と社会との
一個体としてできることは
これでしかないから
だからそういう生き方を
されてると
そういう風には思ってて
そういう風な生き方が
今の社会課題と呼ばれるものに対して
向き合うには個々人がそういう
向き合い方をしていくしか
おそらくないので
なのでそういう意味では
個人的にそういう
生き方をしたいなっていうところで
自分が許せる敷地の中で
そうありたいっていうところ
あるんですけど
そういったところで
結局それを解決するというか
そもそもそれ自体が
存在をする
さっきの話だと
存在をするって絶対的にあるものだ
っていう風にも言えないし
解決をするという表現で
コントロールしようとすることも
できないので
だからそれぞれが
そういう
心持ちになるといいよね
その中で自分は
そうだからそうしようってぐらいしか
やりようがないかな
そういう意味でさっきの
ワンチャンそこが
どうなるか分からないけど
っていう風なスタンス
かなっていう風なのは
表現がちょっと微妙ですけど
自分の
まるとこの自分の中でしか
やっぱりこう
向き合うことが
できないこと
なんだろうなっていうのは
ありますね
そうですね
僕はさっき自分が長々話しちゃいましたけど
それが
ロジックとしては
それこそ高谷さんが言われてたみたいな
それを意識して説明されたりとか
自分で考えてもいいんですけど意識したときに
頭では分かる
みたいになったとして
まずはそこまでも本当はもうちょっと
道のりあると思うんですけど
そうなったとしてもそこから先に
マナシキが立ちふさがると思ってる
っていう話なんですよね
うんうん
なるほど
なんかしないけど僕はマナシキが立ちふさがる前に
「分かっているけど」の壁と行動への転換
もうこの生き方しかない状態になったけど
それは本当偶然だと思っていて
大概マナシキが立ちふさがって
止まっちゃうんじゃないかな
話としてはそれはもう分かりますっていう人が多い
気がするんですよ
それは
僕はその
しゅうさんと話す機会が多くて
しゅうさんが考えられてるのが
どういう感じかなっていうのがある程度
思い分かれる状態にはある
と思ってるんですけど
もうちょっと前のというか
そういうしゅうさんと話す前の
以前の出会う前の僕とかが
そういう質問を受けた時に
頭では分かってるんですけどって
多分僕も言ったと思うんですけど
多分その時の僕は
分かってはないと思うんですよ
なるほど
何というか分かってるっていうのは
これは別に頭では分かってるっていう人たちを
否定するわけじゃないんですよ
ただしゅうさん
これも比較するわけでもないんですけど
多分そこまで
本当に本気で向き合うっていう人の方が
少ないと思うんですよそこに対して考えを巡らす
今多分考えを巡らせた結果
しゅうさんは今のスタンスに
おられると思うんですけど
ほとんどの人が環境問題として
やばいよね何かしないとね
ぐらいの解像度では
思ってるけどそれぐらいで分かってるって
言っちゃってる
ところはあるかなっていう気は
してて
まずはそこを深掘って
自分の中で哲学していった時に
やっぱり自分の中で
自分がやらないと
他がでもやってないから
結局それが達成できないっていう
さっき言った問題を解くもの一つで捉え出すと
無理だってなっちゃうから
でもその哲学していった先に
自分の中でしかどうしようもないから
そこに対して
自分がそういう生き方をしたいよね
っていう風に思うなら
そういう行動しか取れないなってなって
それぞれが
行動をそれぞれで
するにしか多分なんないかなって思って
だから
本当だったら
僕も含め
そこが分かってるんですけどっていう風なことを
仮に発言するとするなら
多分そこまで考えた上で
言わないといけないなって
いけないってことはないですけど
言いたいなっていう風には思いましたね
だから結果今の僕の心境としては
分かってるんですけどっていうよりも
そこまで考えを深めたら
じゃあちょっと自分の身の回りで
できることを
結果どうなるか分からないですけど
やるしかないですよね
そうですよねみたいな感じの会話にしか落ち着かないかなと思って
なるほど
そういう風になっていくと
いいのかな
いいっていう風な表現もあるんですけど
だからこれは
僕自身が環境問題とかに関して
そういう
解くべきものとか
社会全体としてどう
行動していくべきかとか
ルールとか仕組みとかそういう構造的な
もので
どう解くかっていう風な感じでしか
今まであんまり考えてきてなかったので
しゅうさんと会っていろいろ関わる中で
そこに対しての
哲学っていうのが自分の中で進んだからですね
だから今でこそ
だからそういう風な思い持ち
ではあるんですけど
分かってはいるんだけどとかって言ってた
自分に対しての
客観的な意見
今締めも含めてですけど
何回も言いますけど
分かってはいるんだけどとか
世界に任せるとかさっきの話もありましたけど
いろんな発言が
いろんなそれぞれの
思いのもとされてるから
それぞれをそういったところを
決して否定するわけではない
ということだけ
伝えておくと
ビビリなもんで全然そういう意味じゃなくて
自分が
分かってはいるんだけどっていう表現を
これまで使ってた
自分の行動として
とはいえみんなでやらないと意味ないから
自分一人でやってもなみたいなとか
そういったところとかを振り返った上で
自分への
今締めとして言うんであれば
そこの環境に対する
個人個人のアプローチの哲学っていうのを
やって
もっと早くやってきたほうがよかったなと
偶然それがやれて
自分の中で整理できてるところがあるんですけど
環境問題とかそういう
そういったところでの
問題への向き合い方として
って感じですかね
そうですね
抽象化された普遍的な問いと東洋哲学
なんか僕と
ご縁があってこうやって番組も一緒に
やらせてもらったりということで少なからず
影響があって嬉しいなみたいな
ちょっと思ったりはしてるんですけど
でもそれの要は程度が
ちっちゃいかもしれないけど
僕と松本さんはこうやって直接話をして
他の方よりも影響がもしかしたら大きかったかも
しれないけどこうやって道のりを配信
してることを
道のり以外にも僕いろいろ配信してますけど
それで影響を受けてくれる方も少なからず
いるなっていうのを感じながら
生きてるので
なおさらそれが社会課題っていうと
大きいんですけど
うーんこれうまく言えないな
うーん
なんだろうな
分かっちゃいるけどっていうのは
社会課題はでかすぎて分かっちゃいるけど
っていう言葉の表現になったとしても
うーん
それの解像度が低いというか
そんな感じのこともさっきの松本さんの表現の中に
ちょっと含まれてたかなと思うんですけど
この道のりをのタイトルに
含ませてる意味合いにもそれがあるなと
僕は思ってるんですけど
本当はその抽象化したときにはめちゃくちゃシンプルなんじゃないか
っていう気がしていて
僕が今日話した社会課題に対して
の自分なりのスタンスというか
うーん
そのスタンスって
どの課題にも当てはまると思っているところが
あって
社会って言っても
今はその社会課題って戦争とか
環境問題含むって言っちゃってるから
地球全体のことを言っちゃってるんですよね
でもそれが国単位だったり
会社だったり僕は会社所属してなくて
いうのもなんですけど会社だったり
そうですね
地域のコミュニティだったり地域じゃなくても
友達同士が集まってるコミュニティ
家族全部にその構図は
当てはまるんじゃないかって考え方
しちゃうんですよ
その全部に上流から
解決しないと
上流にゴミが置かれ続けてたら
いくら下流で解決しようとしても
解決されないし
その時に変えられるのは自分だけだし
っていうのが
伝われば
その話自体にも分かっちゃいるけどっていう
リアクションもそれぞれの理解度に応じて
ありそうだなって思って
分かっちゃいるけどにすら
ならない人もいや違うでしょっていう人もいるとは思うんですけど
全然違うでしょみたいな
逆でしょみたいな人もいるかもしれないけど
でもなんかその辺の
理というか真理みたいなものってもう
僕はその仏教哲学っていう
意味での東洋哲学から知って
共感したっていうところなんで
学習したというよりは
僕自身の中にあるものと同じだって
僕の心の形とのアナロジーを見つけたみたいな
感覚なんですよね
だから僕瞑想合宿で
ブッダが2500年前にこういう風に言ってたっていうのを聞いて
衝撃受けて
瞑想合宿10日間全然苦しくなく過ごせたみたいなのが
あったから
本当にそれって普遍的な
ものだと思ってるんですよね
その
余剰の式一っていうのも
現代でしか当てはまらないことでもないし
国によって違うことでもないし
時代が
ブッダの時代の頃にそもそもその考え方が出てきたんでしょうから
そこを
理解するというか
意識するというか
それが伝わりさえすれば
いろんな問題にちょっとずつ当てはめていけるんじゃないかな
っていうのが僕の基本的な考えで
そうですね
そうですね
マナ式の話はそれの延長みたいなところなんですよね
まずはそれが意識できて反論できるところってないな
確かにその通りだなって思ったとしても
そこからマナ式の大きな壁が立ちはだかってるなって
僕個人としては思ったもんで
そういう意味合いで
言いたかったのかなって思いました
ぶっちゃけ
「必要」と「大切」の違い、手放すことの本質
修正を大輝くんとの俗語修正ラジオの方でも
喋ったんですけど
ここまで深ぼらずに喋ったから大輝くんには
伝わってなかっただろうなって今思ってるんですけど
そうですね
私も本当に
突き詰めれば突き詰めるほど
本当にこう
自分の何か行動を起こす
それで社会が
それぞれの答えが関係性がある中で
社会が作られている
という中で生きていく上において
自分のコンパスを持つことと
他の答えと
どう関わるかでしかないんで
そういう意味では今その関わり方として
発信だったりとかそういったところが
できてきてるから
ローカルにとどまらず
いろんな関わり方
アクセスの仕方があるので
いろんな人といろんな
関わりができる
地下かろうが東かろうが
何にしてもそこの
健全な健康的な
生き方をしようと思ったら
自分の軸を磨くことと
関わっていたいなという
思う人たちと
本音でコミュニケーションを取る
ところだけかな
そこに尽きるなと
それだけで人生
満足なところがありますし
そういったことができるのが
今のところ人類だけなので
未来の人類もそういう
関係性の中に存続して
いこうとしたときに
いろんなところでの
関係性だったり
根本的なところが
コミュニケーションエラーだと思うんですよね
コミュニケーションエラーが
起きる前提として
人とお金とかあったりすると思うんですけど
そういったところから
おかしな質味が生まれて
大きな
持続性が
担保できないような問題が
出てきているとしたときに
そこの
根っこの部分の
ただ
それぞれがそういう
在り方を
実践する
っていうところで
それが周りに
電波する
市内に
関わらずというか
あばよくば電波して
存続できる未来が
あるといいですね
そうですね
「必要」なものは手放せる、「大切」なものを増やす
コミュニケーションエラーですよね
全てそれに尽きると思ってるんですよ
全ての問題が
その
なんというか
構造も全部関係性
でできているので
コミュニケーションエラーから
いろんなひずみが
たまってどっかに負担が
きたりとか
すると思うんですけど
本当に
そこのコミュニケーションエラーの原因が
何かですよね
そこが潰せていくと
それぞれが意識しないと
いろんな流度もありますし
意識しないと
いろんなところでコミュニケーションエラーが
あると
今まで苦しんできたの
コミュニケーションエラーばっかりですもんね
全部
結局のところ
だからやっぱアイメッセージが大事だし
うんうん
やっぱ哲学
哲学っていう風にくくらない方がいいかもしれないですけど
うん
なんか
やっぱ無駄なこと考えるっていうのが大事ですよね
なるほど
無駄なことって言ったらなんかあれですけど
僕は伝わってきてる気がするけど
聞いてる人が確かに急に飛んだように感じるかなって
一瞬ちょっとビビったけど
もうちょっと深掘ったほうがいいかな
無駄なこと
なんか別に
本当に生産性とか
そういったところに関係ない
本当に
それ考えなくても
いいよねっていう風な
問いを考えるほど
僕は豊かになるんですよ気持ちが
いいですね
そういうのほど
欲があるんですよ
最近それこそAIが
すごい状況になってるので
特に僕はスキル的に
問題を解くことを
得意としてきたんですけど
問題を解くことは
AIの方が得意なので
それをコントロール
コントロールする側になってきたんですよ
問題を解かせるという
位置づけになってきて
前はそういうAIがなかったから
問題を解ける自分っていうのが
いわゆる一つ価値だったわけですよね
生産性の資本主義社会でいくと
そこで価値提供があって
感謝されたりだとか
何か良くなったら
何か人のためになるとかがあれば
それが考えるモチベーションになってたんですけど
ここはAIの方がもはや賢いから
そこの具体的に問題を解くとかっていうところの
考える欲っていうのが全くなくなっちゃって
へー面白い
それこそ単純に
解けるっていうのは人間好きなようにプログラミングされてるのか
謎解きとかクイズとか
そういうのは好きなんですよね
相変わらず好きではあるんですけど
複雑な問題を解くとか
そういったところをAIがちゃちゃっとできるなら
任せればいいやみたいな
なんならそのAIが案を出してきて
それで自分の知識を超えてきてる部分があるんですよ
そしたらもうそのAIが提案しますけど
どうですかって言われたところで
推奨でお願いみたいな
へーあなたが推奨することに任せますみたいな
あんまりそこを考えても
仕方ないなと
判断できるところは判断すべき
というか判断したほうがいいんでしょうけど
そこに対して
やっても面白くないというか
なんか疲労感があって考えることに
それはちょっと最近の僕の疲労感にも影響してるかもしれないですけど
ちょっとそういうのがあって
なんか考えるのが楽しくないと思って
考えることが楽しくない
なんなら自分が考えた
これだと思って作ったものが
一瞬でAIが作るんだったら
あんま考える意味ねえなっていうふうにも思うし
全然その辺は解くこと
何かの問題を解決するために考えることっていうのは
なんか問題が起きたときに
じゃあ直しといてぐらいの感じで
進む世界になってきてるので
なのでそこは全然楽しくないというか
なるほど
それより本当に答えのない問いだったり
どうでもないどうでもいい問い
を余剰の敷地が
どう決めたらいいんだとかですよね
これはでも僕の中では超大事な問いになっちゃってるけど
いやいやそうですよ
大事な問いですよ
だからそこが
すいませんどうでもいいって言っちゃったとかあるんですけど
そこのどうでもいいっていうのは
それを考えなくても
とりあえず生きてはいれるっていう意味なんですよ
でもそれはさっきの大事な問いっていう意味のは
自分の人生観としても
人類全体としても大事な問いだと思うんですよ
僕がその
生きてはいけない問いなんですけどね
僕からはそう見えちゃう
そこが多分結構
どこまでそれが見えてるかによって
いわゆるそこの
なんていうんですかね
周参ほど解像度が高まってなかったり
普通一般に
余剰の敷地を
ことを決めたらいいんだっていう問いは
結構その
大多数においては
どうでもいいっていう風に表現される
問いだという意味でのどうでもいいですよ
あくまでそれもそれぞれ
それぞれでいい
だからそういうのの方が楽しい
考えるのが
コミュニケーションエラーと無駄なことの価値
っていう風なのに最近は
気づきましたね
そういうどうでもいい問いに
自分なりの考えが出てきて
それを喋って
共感してもらえた時に
かなり幸福度が上がるので
そういう意味ではやっぱり
ポッドキャストをみんなで最初
最初というか
ちょうど樋口塾とかで結構
お互いに発信しててそれを聞いてお互いに感想を言って
それに対してまたポッドキャストを出してたりだとか
あの時間がやっぱりかなり幸福度が高かったなっていう風に
いい時期でしたね
あの時期が
ポッドキャストは
ああいう世界観が
僕は一番素敵だなと思うんですけど
そうですね
そういう風なことは最近
考えてたりしますね
なるほどですね
コミュニケーションエラーがね本当に
最近ちょっとおふくろの調子が悪くって
一週間に一回見舞いに行ってるから
親父ともまあ久々に
ちょっと親父が2年くらい前に大噴火しちゃってからは
距離をとってたんですよすごい距離とってたんですけど
さすがにおふくろが悪すぎて
一緒に見舞いに行くみたいにもう親父とも一緒に住んでないし
施設まで一緒に見舞いに行くっていうのを一週間に一回してるんですけど
ずっと連絡とってなかったから
あの親父も最初はすごく
それだけでいいってなってたんですけど
やっぱこう頻繁に会うようになるとまた親父の
が欲が出てくるなーみたいなのを感じてたりして
そこでやっぱりね
根本的にこう話が
噛み合いようがない
まあそれは僕がある意味
「問いの場」アプリの紹介と匿名性
さっきみたいな
さっきみたいになってる
今日話した全部ですね僕が話した考え方みたいなのを
もう全てに当てはまるような
心理みたいな
心理というか断り的なものだって
それを一生懸命考えて今の生き方してるから
親父が
86歳かな
80何年生きてきて
これが正しいって思っていることと
合わないことの方が多いわけですよね
だから本当になんか
食べ物がどうとかそういう本当に日常的な
会話以外はマジで気を付けないと
どこにでもエラーというか
火種がある
って思ったり
あとはそのお袋が本当に
これマジでいつ何があってもおかしくないなーみたいな
先々週も施設で夜中に
実はベッドから落ちてたんですよみたいなこと聞いて
うちどころ悪かったら分からなかった本人も
落ちたこと覚えてないとかそんなのあったから
これは本当にいつ何があるか分からないなー
なんて思って
お袋の兄弟とかにですね
まだ連絡してないんだみたいなこと聞いたから
連絡僕入れてみたんですよねすごい久しぶりだったんですけど
その状況全然知らなかったから
そのことについてありがとうって言ってくれたんですけど
でしゅーちゃんは今何をしてるんだねーみたいな
風雷棒かねーみたいな
よくご存知でーみたいな
もうねコミュニケーション取れる気が
1ミリもしないんですよね
今のはちょっと
僕のただの恥ずかしい話ですけど
でもその時に本当に感じたのが
さっきの話とちょっと
やっぱしょうまさんがコミュニケーションエラーの文脈から
無駄っていう表現だったのがさすがだなーって
僕は思ったんですけど
親父にしても
僕のおじさんにしても
無駄というよりは
これは絶対に大事で
ここから外れてることは良くないことだ
みたいなのに僕が若干該当してるから
そういうスタンスで
来るわけですよね
だからその何か
正しいものみたいな
固定されたものっていうのかな
何かを決めつけて
それこそあれですね
途中で話したみたいな関係性はあるけど
絶対的なものはないよねっていう
のを決めたら
それがコミュニケーションエラーの
原因になるなって僕
僕からはそう見えてて
それを決めつけずに
コミュニケーションを僕と取ったとしたら
問いになるんですよね
僕に対してのスタンスが
どういう考えでそういう生き方されてるんですかって
本当にシンプルな素朴な疑問
なんでそんなおかしなことやってるんだっていう
正解からもならないんですよ
否定から問いに変わりますもんね
だからそういう何かを
決めつけてしまったところからエラーって起きるなって思った時に
無駄ってそれの対極じゃないですか
何も正解がない
正解っていうようなものから見たら
無駄になる
正解以外というか
決めてないけど
よくわからないというか
っていうあれですね
そんな意味合いですよね
それ自体は
何かこう
大切なもの
何かこう
最近ある人の表現で
あったのが
必要とする
っていうことと
大切っていうのが
違うと
必要なものっていうのは
いずれいらなくなる時がある
必要っていうのって本当に
絶対いるみたいなこういう絶対正解みたいな
意味合いも含むじゃないですか
必要なものって用がなくなったらいらなくなる
だから
そんなに重要なものじゃないというか
でも大切なものって別に
かけない
いらないじゃなくて大切っていうだけだから
これでかいなってこの違いと思って
なるほど
だから僕は大切っていう表現を
使うようにしたんですけど
この
ドラマとかで知らないでしょ
ドラマとか
例えば恋愛ドラマとかで
君が必要なんだみたいな
あれって
超浅はかやなと思って
言われてみれば確かに
必要かって
必要と大切って全然違うぞと思って
確かにな
必要って言ってる時点で
なんかこう
その
人格っていうより
物扱いじゃないですか
いるみたいな話になってるし
極端な話ですね
変に上げ足を取るとそういう風にも
聞こえるし
だからちょっと
必要っていうのはやっぱこう
利害関係の言葉だなと
確かに
意識してなかったけど
そう意識してないけど
そうでしたね
そうだなと思って
だから大切っていう言葉を
使おうって思って
なるほど
で特にあとはその
必要と思ってるものほど
実はそのどうでもいいというか
あのなんという
逆になんか必須ではない
必要ではない
けどあったらいいなって思ってるほど
本当に望んでるかもしれないみたいな話があって
えー面白い
あーでもそうかもみたいなのは
これちょっとすごいふわっとした話なんですけど
あまりこう深くは今
考えてはなくて
確かにその必要っていう風に
必ずいるんだって自分が
これが絶対自分の人生にいるんだって
思ってるものほど
実はそうでもなかったり
その逆にこれは必須じゃないけど
ちょっといいかもとか
これあるといいよなーみたいな
でも絶対いるわけじゃないんだよなーって
思ってるものが実は
本当はすっごく
求めてるものだったり
結構かなり全然真逆だったり
するかもなーっていうのをちょっと
最近ふわっと
こう考えたりしてますね
なるほど
ちょっと意味合いが
一致してないかもしれないんですけど
思い出したことをそのまま言っちゃうと
けいじくんと
ポッドキャスト番組始めて今2話まで
配信したんですけど
1話目でけいじくんが
僕の手放すについて
言ってくれて
あれ2話目かな
後半はやっぱそれかな
2話目で大きく手放すについて
2時間くらい触れたけど
1話目の最後でも多分手放すに
触れてくれてっていうか
僕が出したのかな
僕が独自の生き方をしてるから
どういうワードがあるかっていうのを
インデックス的に出してっていう回になって
アウトプットが先とか
人のこと変えられない変えられるのは自分だけ
とか
無理やりやらないとか出してる中で
後半になってそういえば手放す出してなかった
みたいなそんな流れだったから
じゃあ全部手放せば
いいって
訳ではないみたいな
話をした時に
手放した方がいいって
言った時に極端に捉える人は
じゃあ何も持たない方がいいってことか
みたいに突っ込まれちゃう不安を感じちゃうタイプだ
みたいな言い訳を僕が挟んだ時に
全部手放せばいいってことか
っていうのはそうではない
って言った時にケイジ君が
じゃあ
手放せないものって何ですか
みたいなたぶんそんな聞き方を
してくれた気がしてて
だからもう
経緯をずっと喋ってたんで少なくとも
もちろんお金とかではない
もちろんゼロにはできないけど
手放せないものとして
お金ではないし
それで言うと
物質とかじゃない
みたいな
その時に浮かんだのが
番組タイトルにも絡むし
おふくろのこととかもあって
メメント森的な
感覚
山田五郎さんのこともあったりして
山田五郎さん亡くなられたから
youtube
知らなかったですかごめんなさい
山田五郎さんが亡くなられて
youtubeチャンネル
チャンネル名忘れましたけど
大人の授業的な
そういう番組やられてたんですよね
いろんな絵画とかを
紹介してたりとか
ずっと見てなくて
亡くなられたきっかけですごい
やっぱポッドキャスト
仲間の中でも話題になってたから
見てみたんですよ
最後の
配信
山田五郎さんが
亡くなられた後に
その前に収録してた
最後の収録がこれでした
ちょうど
テーマが
メメント森だったんですよ
だからすごい苦しそうにしながら
喋られてたんですけどね
その中で
もうその
山田五郎さんも
あの世にはもっていけないぜ
みたいなこと
多分お金のことかな
っていうような流れで確か
そんな風におっしゃってたのを思い出して
だから僕が
手放せないものがあるとしたら
その
具体的には出ないけど
死ぬ時になって
こう
これは要らなかったなって
思わないようなもの
みたいな
なんかそんな表現したんですよ
うん
死ぬ時になって
これじゃなかったなって思うようなものは
手放せないものじゃない
うん
だから具体例は出せなかったけど
そういう表現を
自分がしたなーって
思ったんで
それが
なんかこう
必要なものじゃないかもしれないけど
大切なものに該当するのかな
ってちょっと思って
僕も今その話聞いてそう思いましたね
あー
そんな感じだと思いますやっぱり
だから必要は手放せるんですよ
うーん
ただそこどれくらい
手放すかっていうのはですね
極端な話
多分全部
状況によっては
全部手放せたりとかっていう
形にもなり得るもので
そういう意味ではやっぱ
人生を豊かに
生きて
まあ
自分の中だけでもだし
それ以外のところにも
波及することも
踏まえた上で
あの
必要なものは
手放せると思う分だけ
手放して
いかにこう大切なものを増やすか
っていうところ
なんだろうなっていう風には
思いますね
うんうんうんうん
今まさにその
必要なものって
生きていくためのエネルギーがどうしても
いるからそれは必要とも
言えてしまうから
それもその意味で
余剰の敷地にも
絡む話なのかなと
思いました
どれくらいこう
例えばですね
食べれば最低限その生命活動を
維持できるのかっていう
話にも
なりますしね
そこ自体も
なんかこう
肉体
肉体の維持という意外
からいけばですね
そこ自体は
そのベースに
自分っていう
おそらく一番大切なもの
その上に他の大切なものが
成り立つ
わけですから
精神性という
自分を
維持する
ための
意外関係として
だからそこの
手放せるだけ手放した
ところでの食料
とかっていうところ
で言うと
そのベースは大切なものに
なるのかもしれないんですけど
その
移民愛的にもその大切
だからこそ必ず取るし
感謝をする
食べる生き物に
っていうところがそこにちゃんと
フォーカスすればそういう風に感じれるし
ただ余剰に
暴飲暴食っていう
ところには
命に対する
大切
さとか
尊敬みたいなものは
多分薄れてる
だろうし
その分は
どう言っても
やっぱりこの
自分を維持するっていう意味では
余剰だから
でもその欲
食欲とか欲
という意味では
必要だったりするのかもしれないですけど
だからこそ
削れうる
部分だったりですね
そういった
表現とかは
できる
かもしれないですね
手放す
僕も結局手放したんですよね
これはいいのか
危ういか
ある種
あるもの手放したので
手放したので少し
心が
落ち着いてると
なるほど
手放すことで余裕が生まれますから
何にしても
手放すって大事ですね
なんちゅう雑だまとめ
いやいやいや
それも大事だと
思うんで
再現なくいってしまうのも
あまり良くないと思う
ちょっと状況的なことがあって
そろそろ
締めたいと
思います
あんまりまとめるみたいなのも
いらないかなみたいに最近
思ってるんで
このまんま終わっていこうかな
って思ってるんですけど
言い残したこととか特になければ
異論はないです
わかりました
じゃあ
今回はまとめて
火曜日でもないのに出しちゃうと
思いますけど
今日も
最後に
最初冒頭だったかな
こんなの収録入ってるか分かんないんですけど
僕はいろいろ
個人的にそれこそ
無駄なことが楽しいので
問いの場っていうアプリを
自分の中で作ってて
それこそ道のり聞いて
くださってる皆さんは
興味あるかなと思うので
もし興味あるぜっていう方
言ってくれたら
招待するので
ご連絡くだされば
問いの場の話はここで
してましたっけ
してない
問いの場っていうのが
僕の趣味で
作ったアプリで
根本は
僕の問いのメモアプリ
でその問いが
星になって宇宙が
形成されていくような形のアプリで
それ自体は
招待制で気になる人は
公開されてる問いを見て
そこから問いを自分で
出てきたら
そこに星を
追加したりとか
みんなの問いの共有メモアプリ
みたいな
完全匿名性の
SNS
じゃあ
SNSになるのかもしれないですけど
そういうなんか
いいねとかは全くない
みんなで問いを
共有して遊びましょう
みたいな感じの
アプリなんですけど
もし気になる人いたら
招待するので
お声掛けいただければ
ってとこです
僕もあんまりちゃんと
書き込めてないけど
ありがたいこと招待いただいて
あれでも誰とか
わかんないですもんね書いた人が誰とか
自分がわかるように
する人がいない限りわかんないですね
匿名に名前を書くことは
できるので
匿名
できるんでしたっけ
基本的に
ランダムで
例えば
カシオペア座の観測所とか
そういう形で
観測所として
匿名の名前が付くんですけど
あそこの観測所の名前は
自由に変更
できるので
パッと見たら
この人なんじゃないかなっていう人が
わかる人もいるかもしれないですね
さらそうと思えば
さらせちゃうんですね
なるほど
気づいてませんでしたすみません
いやいや全然
さらしたければ全然
さらしてもいいですし
全然そこは制限はかけてないんですけど
基本的に誰が誰か
っていうのはわからず
問いしか見えない
っていう風な感じの
場所ですね
これも完全に
別にそこに
人が集まらなくても
僕だけの
問いメモとして
聞いたことするので
全然
他の人の問いが
僕が興味があってそこからいろんな
問いが出てくると僕が嬉しいので
だから勝手に
招待を
してるような形で
そういう人が
集まるっていうのは
僕的には嬉しいので
興味があれば
それこそなんでしゅうさんがさっき申し訳なさそうに
してましたけど
そんなことはなくて
全然
招待して入ったけど
全然使ってないとか
そんなことは全く気にする必要はなくて
そういう
コンセプトのものなので
全然気軽に
見てもらったらという感じです
ぜひぜひ
皆さんも
動きを見る方は連絡していただければと思います
じゃあ
今日も長い時間収録
ご一緒していただいて
しょうもさんありがとうございました
こちらこそありがとうございました
またよろしくお願いします
お願いします
01:46:07

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