オンライン合同礼拝の開催
今日は初めての試みで、オンラインで第二ブロックの教会をつないで、一緒に礼拝を捧げています。
前のスクリーンをちらちらと見ながら、皆さん一緒に礼拝しているんだなと思いながら、この礼拝に臨んでいただければと思います。
例年ですと、講談交換という形で、それぞれの教会の牧師が他の教会に行って、メッセージを取り継ぎ、礼拝を捧げるという形をとってきました。
けれども、もっと本当にお互いの教会が一つになっていくようにという願いを持ちながら、このオンライン合同礼拝という形に取り組みました。
オンラインで交わりを持つ、礼拝を捧げるというのは、新型コロナウイルスの世界的な流行を通して広く広がっていった方法ではないかと思います。
もちろん顔と顔を合わせて、お互いの熱気を、対応を感じながら一緒にいるというのが一番いいことですけれども、
それでも離れていても、一つの神様の恵みの中に共に礼拝を捧げるということができるようになったというのは、
神様が今の困難な時代の中にあって、私たちに与えてくださった新しい方法ではないかと思います。
今日は6つの教会ですが、それぞれ違う歴史を持ち立てられた教会です。
教団は今年75周年を迎え、私たちの教会は創立80周年を迎えています。
けれども、この第二ブロックの教会だけでも、100周年を超えた歴史の長い教会もあれば、数十年という若い歴史の教会もあります。
けれども、同じイエス様によって一つとされた教会として、
今日このような形で、共に主を見上げ、礼拝の時を持てる新しい恵みに感謝したいと思います。
教会の多様性と一致
それぞれに建てられている教会は、神様の本当に深い、計り知ることのできない身旨と御計画によって、それぞれの地域に建てられています。
教会の名前に地名を取り入れているところが多いと思うのですが、
それは本当にその地に神様が建てておられる教会という、その氏名を感じさせるような思いがしています。
地名が入っていない教会でも、その教会に与えられたビジョン、氏名を表すような名前になっていると思います。
それぞれに氏名を与えられ、それぞれの地域に建てられている教会ですが、
キリストにあって一つであるということを、今日はもう一度感謝を持って受け止めていきたいと思います。
教会とは建物、教会堂のことではありません。
また、教会という場所のことを指しているわけでもありません。
教会の本質と成長
それは神様によって招かれた一つの主によって、一つの体のように結び合わされ、建て上げられていく、それが教会です。
唯一の神様がその御心に従って計画され、一つの教会として始められ、建て上げられてきました。
そして教会は聖霊が与えられ、聖霊によって一つとされて、キリストの体として成長していきます。
このエフェソの神徒への手紙1章のところでも、「教会はキリストの体であり、すべてにおいてすべてを満たしている方が満ちておられるところです。」とあります。
イエス・キリストの体のように一つとされ、そこに神の霊が満ちて一つとされている、それが教会だというのですね。
そしてこの教会は成長していき、成熟していく教会です。
教会が建てられた、交わりができた、ああよかった、で終わりではないんですね。
そこに与えられた命は常に成長し、成熟した教会となることを目指しています。
そのために教会に導かれた一人一人に、それぞれにふさわしい恵みがイエス様によって与えられているんですね。
この恵みの賜物が一人一人に与えられ、それを用いて体全体が成長していきます。
成熟した教会がどんな教会かというのがここにも挙げられていますが、
人の悪巧みや惑わしに振り回されることがない教会と言っています。
この世のいろいろな考えや、いろいろな習慣の影響、価値観の影響を受けて迷ったり、
惑わされたり、振り回されたりすることがないと言うんですね。
成熟した教会は揺らぐことのない信仰を与えられ、その歩みを歩みながら成長していく、
そして成熟していくというのです。
一人では難しいことです。
ですから教会は多くの人々が集められ、一つの教会となっています。
キリストの体という表現をパオロは何度もしていますが、体にはいろいろな部分があります。
そしてその部分がそれぞれの役割を果たしていくときに、
全体が命を豊かにいただいて成長していくことができるのです。
精霊によって一つとされている、一つの体となっているとここで挙げられています。
それは一体どんなことなのでしょうか。
オーケストラのような教会
去年の塩江聖会でのメッセージで、
主講師の横畑先生がお餅の教会とオーケストラの教会という例えを話されました。
お聞きになった方もおられるかもしれません。
お餅の教会というのは、お餅が米粒が打たれてその粒々がなくなって、
一つのきれいな塊になったような、そういう教会だと言うんですね。
全部が同じものになっていく。
けれども私たちの教会はこのような教会ではなく、
オーケストラのような教会であってほしいというメッセージでした。
オーケストラというのは、いろいろな楽器が集まって、
それぞれの楽器がそれぞれのパートを演奏していきます。
それによって一つの曲が演奏されていくんですね。
教会は一人一人、体の部分のように違う人たちが結び合わされて、
全体が成長し、神様の祝福のために用いられるのだというのですね。
それはパオロが言っている、教会はキリストの体であり、
私たちはその部分なのだというたとえにも当てはまるものだと思います。
このたとえがすごいなと思いながら、いろいろと思い巡らしていました。
たとえですから、その本質を完全に表すものではありませんが、
理解するための大きな助けとなっています。
私はこのお餅の教会という形は教会としてはふさわしくないのかもしれないけれども、
教会がお餅のように一つになっているということも素晴らしいなと思うのですね。
私たちは神様によって招かれ、イエス様を信じて神のことされ、
キリストの体の一部分とされました。
私たちが与えられている永遠の命は同じものであり、
同じ精霊によって一つのものとされています。
それまでつぶつぶがいっぱいあったり、違う穀物であったりするような塊ではなく、
お餅のようにきれいになめらかに一つの命で生かされている、
そういうことも言えるかなと思わされています。
どちらがというよりも、私たち一人一人がこの一つの教会に導かれ、
教会における奉仕と役割
結び合わされているということを心に留めたいと思います。
そして、それは神様が私たち一人一人を愛していてくださり、
愛に思って招いてくださり、イエス様による永遠の命の救い、
罪からの許しと清めを与え、精霊を与えて、
神の教会、キリストの体としてくださっているということです。
そして私たちは精霊によって守られ、教えられて、
教会の中で成長していきます。
教会が成長していくために、いろいろな部分があるように、
それぞれの部分が分に応じて働いていくように、
教会のためにいろいろな働き人、奉仕する人を必要としています。
ここでは使徒や預言者、牧者、教師という指導的な立場にある人たちが挙げられています。
この人たちも神様によって召され、賜物を与えられ、
教会に使えるものとなりました。
そして聖なる者たち、教会に導き入れられた一人一人を整えて、
教会のために奉仕の働きをする、そのような役割を担っているというんですね。
そして私たち一人一人は、違う賜物を与えられ、
その賜物を用いていくときに、このキリストの体、教会を作り上げ、
成長させ、成熟に向かっていくというんですね。
それは完全な神様の恵みが満ち溢れるところを目指しているということができます。
そのためにいろいろな奉仕が必要です。
奉仕というとき、目に見えるものをすぐに思い浮かべるかもしれません。
礼拝のためのいろいろな奉仕があります。
けれども教会がキリストの体として成長していくためには、
目に見えないような小さな働きも必要なのです。
私たちの体も目に見える部分と、そうでない部分があるのと同じです。
そして一つの部分も欠けてはならない大切な存在だということです。
どんな小さなことしかできない、なくてもいいだろうと思うときがあるかもしれません。
けれどもそれは全体のために必要な大切な役割を与えられ果たしていくのです。
私たちは自分がどんなふうに神様に愛され、どんな賜物を与えられ、
教会の中で何を任されているのかということを考え、心に留めたいと思います。
そして神様がそのあなたの働きが必要なんだと言ってくださっていることを心に留めたいと思うのです。
キリストの体としての教会
イエス様によって一つに結び合わされ、神様の愛の中に生きるものとされました。
またキリストが私たちを愛し、その愛が心に注がれているのだとも教えています。
神様との愛の交わりの中に命を与えられ歩んでいく、教会全体が成長していく、
私たちはそのためにこの教会に結び合わされています。
そしてキリストの教会というときに、それは一つの場所に建てられた一つの教会のことだけを言ってはいません。
なぜなら神様は唯一でありイエス様もお一人だからです。
このイエス様に結び合わされた私たちは、場所は違ってもそれぞれ違うところに建てられていたとしても、
私たちは一つの教会であり、互いに支え合い、使い合いながら一緒に成長していく存在として建て上げられていると言うんですね。
第二ブロックは六つの教会です。けれども兵庫教区にはさらに多くの教会があり、教団にはもっとたくさんの教会があります。
今私たちが生きている社会は少子高齢化という大きな課題を抱えています。その課題は教会にもあるといえます。
礼拝に来ることのできない方々、高齢や病気のために集まることができない方が増えていくとき、教会が弱っていくように感じるかもしれません。
けれどもキリストの体である教会は成長し続ける教会なのです。そして成熟に向かって成長しています。
私たち一人一人も今日もう一度、自分に与えられている賜物と自分に与えられている役割を神様に教えていただきたいと思います。
それは時には年とともに変わっていくものであるかもしれません。けれども必要とされている一人一人なのだということを心に留めたいと思います。
そして今自分の教会だけではなく、この第二ブロックの六つの教会がイエス様を頭とする一つの教会だということをもう一度覚えながら
お互いのことに目を止め、お互いのことに心を向けて祈り合い支え合うところから始めていきたいと思います。
そして一つ一つの教会はいろいろな事情があって必要も違うかもしれませんが、
互いの必要を覚え、足りないところを補い合いながら、キリストの体である教会として共に成長させていただき、成熟を目指してこの世のどんなことの中にあってもしっかりと立っていきたいと思います。
そして教会に委ねられているこのイエス様による救いの恵み、神様の愛と祝福の中に生きることを表し伝えるものでありたいと願います。
いろいろ足りないこと、弱いことに目が行くかもしれません。
だからこそお互いのことを思い、覚えて祈りながら支え合いながら成熟を目指して共に進んでいきたいと願います。お祈りをいたします。