ダビデの罪と家庭に広がる暗闇
それでは、お祈りをいたします。
恵み深い天の父なる神様、
尊い皆を心から賛美をいたします。
私たちを、あなたの恵みによって、この礼拝の場へと招いてくださり、
今一度、主を仰ぎ、あなたからの力と命を得るようにと、
また、この場所で、私たちに臨んでくださることを覚えて感謝をいたします。
あなたは、限りない愛を、変わらない愛を持って、
私たちを愛し抜いてくださり、愛してくださっています。
イエス様の十字架の流された父よ、
それにより私たちの罪が許され、神のことされ、
三日目に甦えられた復活の命、永遠の命を私たちに与え、
今、私たちが、永遠なる死と結ばれた新たな命に生きていることを覚えて、
心から感謝をいたします。
それゆえに、あなたは自分の足だけで立つのではない、
永遠の身腕が、私の恵みがあなたを支えるのだから、
私の恵みによって歩めと、あなたの招きに、
私たちはいつも驚きながら、それに応えていきたいと願っております。
どうか、主よ、御言葉を今日も開いてくださり、
あなたのことを知ることができますように、
そしてまた、ここから勇気を持って、
身体も支えられて立ち上がることができますように、
どうか導いてください。
ここに来たくても来れないお一人一人がいることを覚えています。
御自宅におられる方、病を負っておられる方、施設におられる方、
お一人一人にとっても、今日があなたを仰ぐ日ですから、
主がどうか、お一人一人望んでくださいますように、
お願いいたします。
全世界において本当に、祈られたように、
異性者が振る舞っておりますけれども、
ただ主よ、この世界の王はあなた御自身です。
そのことを覚え、そのことに祈りながら、
神様、世界を正しく治めてくださいますようにと、
人の命が本当に道具のように使い捨てられることは間違っていますと、
そのことを思いながら、あなたの身業を得ることができるよう、
祈ることができるよう、帰りみてください。
お願いいたします。
御言葉を開いてくださいますように、あなたに期待をします。
イエス・キリストの皆によってお祈りをいたします。
アーメン。
続けて、第二サムエル記を御一緒に見てまいります。
先週、私たちが目を止めたのは、
ダビデの人生における暗部です。
思い出していただきたいのですが、
彼はこれまでの彼の姿から、
思いもよらないことをしてしまいました。
夫抜いた女性バテシェバに、
自らの権力を乱用して襲いかかってしまいました。
その女性の夫であり、誠実な部下であったウリアを、
まさに自分の保身のために、
彼は戦場に送り、殺してしまいました。
改めて見るときに、ダビデの署業は悪魔の署業です。
幸せな、何の罪もない家庭を破壊したのは、
彼の罪です。
強姦と殺人というのは、一般的に立法では死刑です。
しかし、神様は憐れみによって、
ダビデを死刑にはしません。
ただし、神様は、
ヨエンシャナタンを通して、
彼の罪を、彼の前に暴き出すわけです。
そして言います。
十二章の十節に、
今や剣は常しえまでも、
あなたの家から離れない。
今や剣は常しえまでも、
あなたの家から離れない。
悔い改めたダビデですが、
この罪の結果、
そしてその罪によって投げ放たれた剣は、
もう戻らない、というのです。
彼の言葉、彼の行ってしまった行為は、
なかったことにはできない。
この時のダビデは、
青年ダビデではもうありません。
壮年ダビデと言われる年齢であろうと思います。
人生の夏を、その夏の盛りを過ぎ、
秋に差し掛かるような、
そのような時であったかもしれません。
ただ、その時期に彼は足元を救われる。
確かに家庭がある、仲間もいる、
仕事もある、富もある程度持っている。
でもそこに不穏な空気、暗闇が覆っている。
そしてその原因の一端は、
明らかに自分自身にある。
刈り取りを迫られるわけです。
過去は変えられません。
過去は変えられません。
しかし、今は目の前の暗闇に向き合うしかない。
そういう時が私たちは互いにあります。
この暗闇に向き合うしかない。
でもどのように向き合えばよいのでしょうか。
今朝は、ダビデの苦闘と行き着いた視点を
ご一緒に見ていきます。
そしてその中で、この暗闇というのは
絶望だけではない。
暗闇の中でしか知ることのできない
神様の真理があるということに
ご一緒に目を止めていきたいと思うのです。
2つのポイントで見てまいります。
今日は13章から15章を見ますが、
2つのポイントで見てまいります。
1つは、ダビデが目の当たりにした暗闇であります。
ダビデが目の当たりにした暗闇です。
アムノンとタマル、アブサロムの復讐
今朝見ていくこの13章から15章というのは
先ほども読みました。
今や鶴際とこしえまでも
あなたの家から離れないと言われた
神様の言葉の成就が描かれています。
13章において描かれているのは
ダビデの息子長男アムノンが
妹であるタマル
自分の妹に対して
恋をしたということが描かれています。
ただし、アムノンがタマルに抱いた思いは
純粋な恋というか
ヘブル語の言葉からそう使われているのですが
欲情に任せた情愛みたいなことです。
欲情に任せた愛です。
アムノンは戦略を用いて
タマルを自分の部屋に一人で呼ぶことに成功します。
そしてその場所で
自分の妹に暴力を働こうとする。
その出来事が書かれておりますが
その中で13章の12節というところを
見ていただきたいのですが
タマルが襲いかかろうとするアムノンに対して
言う言葉があります。
13章の12節というところ
お読みしますとこういう言葉です。
彼女は言った
行けません兄上
乱暴してはいけません
イスラエルではこんなことはしません
こんな愚かなことを
しないでくださいと言います。
イスラエルは神様を中心とする国
そのように心がけて
ダビデは主を愛し
そしてダビデの子供たちも
主を信じていたことでしょう。
ですからイスラエルには神様の立法の秩序が
通っているはずである。しかし
こんな愚かなことをしないでください
愚かなというこの言葉は
これはナバアラーと言いますが
旧約聖書の使い方では
神の秩序をおろそかにする愚かさ
という使い方をします。
神の秩序をないがしろにする愚かさ
こんな愚かなことをしないでくださいというのは
このことによって
神様が私たちの家庭に
この国に立ててくださっている秩序を
壊さないでくださいという訴えです。
しかしこのタマルの訴えもむなしく
この愚かなことは
実行されてしまいます。
これはダビデの家の内部で
神様の秩序がないがしろにされ始める
下げすまれ始める。
ダビデが神様を下げすんだその結果
ダビデの家で神の秩序が下げすまれていく。
ただですね
ここで異様なのは
ダビデなんですね。
13章の21節を見ていただくと
ダビデはこうなっています。
13章の21節
ダビデ王はことの一部始終を聞いて
激しく怒ったとあります。
ダビデは一時始終を聞いて
怒るのです。
しかしここで注目すべきは
ダビデはアムノンに対して
裁きを下さないという
裁きを下さない。
イスラエルの王というのは
立法と秩序の番人です。
自ら立法を守り
そして民に対して
立法を右にも左にもそれないように
守らせなさいよというのが
新明紀17章に書いてある
王様の責任でした。
しかしダビデはここで
明らかに立法に踏み外した
自分の息子に何もしない。
なぜでしょうか?
おそらくそれは
アムノンの犯した罪
無理やり自分の妹に
性的暴行を働いたその罪は
かつて自分がバテシェバにした罪と
全く同じ内容だからです。
ダビデは
自分の罪の影をここに見ます。
彼はどう思ったでしょうか?
おそらくこの件に対して
私は裁きを下すには
不相応しくない人間であると
自分のことを思ったのかもしれません。
もしくはバテシェバの事件というのは
ダビデとヨアブと
一部の人間しか知りませんから
そんなことはもう終わったことだから
もう私はその罪に関しては
思い出したくもないと言って
彼はそのことを知りづけたのかもしれません。
ダビデは何も言えない。
しかし
私は少しここで思うんですが
罪を犯した人間は
罪を裁けないんでしょうか?
私はそう思いません。
人間は失敗します。
必ず人間は失敗します。
けれども
その罪を悔い改めて
自分の罪の結果に
真摯に向き合いながら生きるならば
上から裁くことはできなくても
横から裁くということは
可能ではないでしょうか?
彼は言えたかもしれません。
アムノン、お前のしたことは
許されないことだ。
しかし神の前に
悔い改めよう。
神は私を許してくれたように
お前のことも許してくれるはずである。
そして神が私を
償いの道へと導いているように
アムノンよ、お前も
自分の傷つけてしまった
相手に対して
償いの人生を歩み始めるべきだ。
そういうことを
ダビデが真摯に
自分の罪の結果に向き合っていたなら
言えたはずです。
しかし十二章の彼の姿を見るならば
彼は自分の
罪の結果をあまりにも楽観視しています。
神様に悔い改めた。
裁きとして自分の子供は死んだ。
さあ次に行こう。
もうこのことは終わった。
新しく生まれた子供には平和と告げよう。
さあ新しくスタートを決めよう。
罪を裁けないこのダビデの沈黙は
実はこのダビデが
沈黙するがゆえに
次の悲劇を見ます。
実はこのタマルと
同じ母親を持っている
兄でアブサロムという人物がいました。
タマルとアブサロムの
お母さんは一緒なんですね。
そしてアブサロムは
この一見を聞いて
アムノンを憎みます。
ただもしもダビデが
ここで裁きを下してさえいれば
アムノンの
憎しみはすすがれたかもしれません。
誰かがちゃんと
処罰をしてくれたら
周りは許せるわけですよ。
しかしダビデが
何一つアムノンに裁きを下さないときには
アブサロムは思ったかもしれない。
父ダビデが何もしないから
私が妹の雪辱を
果たすしかない。
かくしてアブサロムは2年間
その憎しみを募らせ
2年後、祝いの席で
アムノンを殺害をいたします。
13章の
28節というところに
こういうことが書いています。
13章の28節
アブサロムは自分に仕える
若い者たちに命じて言った
よく注意して
アムノンが酔って
上機嫌になったとき
私がアムノンを打てと言ったら
彼を殺せ
恐れてはならない
この私が命じるのではないか
強くあれ力ある者となれ
ダビデの息子の間で
兄弟殺しが起こります
カインとアベルの罪が繰り返されます
そしてこの結果
アブサロムは国外に逃亡をいたします
ただ
この時にもダビデはどうしたか
実は
ここでもダビデは
動けないのです
アブサロムの罪は兄弟殺しです
立法においてそれは極刑ですし
ダビデは王の権威をもって
アブサロム
国外逃亡したアブサロムを呼び寄せて
裁きを下すことは多分できたでしょう
彼が逃げた先の
ゲシルという国は
アブサロムのお母さん型の
おじいちゃんの国です
でも友好国です
罪を犯した人間を追うことは可能だったでしょう
しかし
ダビデは長男の死を
嘆くだけで彼は動きません
ここにもダビデは
自分の罪の影を
見てしまうのです
アブサロムが
兄弟アムノンを
撃った
しかしそれは
あたかも
自分が
ウリアを撃ったことと
同じではないか
自分が犯してしまった
罪の結果も
これはもう終わったと楽観視していた
ダビデの目前に実は
まざまざと自分の犯した
罪の影が現れてくるのです
もう終わったと思った
けれども我が子たちがしている
あの行動、あの悪、あの姿は
あの時の
醜悪な私自身のコピーではないか
もしかしてこれらの原因は
私が原因なのではないか
そのように
彼は思ったかもしれません
ダビデは自分の罪の闇深さに
気づいていきます
アブサロムの帰還と父子の断絶
さて
ただこの後ダビデは動けずに
3年ぐらい動けないのです
とうとうしびれを切らして
将軍ヨアブがここで動き始めます
14章からそのことが描かれていますが
将軍ヨアブは
アブサルムをどうにか
イスラエルに戻そうとする
なぜそうしたか聖書に書いていませんが
おそらく
アブサルムという人物は
ダビデの子供の中で
最も優秀で
最も美しい男でした
ヨアブの頭の中では
ダビデの後継者になり得るのは
アブサルムしかいないと思ったのかもしれません
しかしここで
関係が割れているのはおかしい
よくない だからヨアブが
ひと芝居を打ったのは
テコアという町の知恵ある女性に頼んで
彼はダビデの前に
行って彼女に
話してもらうわけです
この女性の話は実に
知恵にあふれています
知恵ある女性と
他で書かれるのは
ダビデの妻アビガエル
それと同じような知恵ある女性として
この女性は出てくる
この女性は一体
ダビデに何をするのか
14章の5節から
彼女はダビデの前に
行ってひとつのたとえ話をします
14章の5節から
お読みしますと こういうことを話す
王は彼女に言った
一体どうしたのか 彼女は答えた
実はこの私は
やもめで
夫は亡くなりました
この端ためには
二人の息子がおりましたが
一人が野原で
喧嘩をして 誰も二人を
仲裁する者がいなかったので
一人が相手を
打ち殺してしまいました
するとお聞きください
親族全体がこの端ために
詰め寄って 兄弟を
打った者を引き渡せ
彼が殺した兄弟の命のために
彼を殺し
この家の四次も消し去ろうと
言います
残された
私の一つの火種を消して
夫の名だけでなく
残りの者までもこの地に
残さないようにするのですと
何を言っているのか
自分には夫がいない そして
自分の二人の息子の間で
相互いする喧嘩があって
結果 片方が片方を
打ち殺してしまった
自分にはこの一人息子しか残っていない
しかし町の人たちは
こんな人を殺すような息子は
殺してしまえと言う
そうすると私の家から
四次がいなくなってしまいます
王よどうか
取り計らってくださいと言うのです
王よどうか この私のために
取り計らってくださいと
この話は
私たちにはよくわかる
これはアブサルムの話をしているのです
アムヌを殺したアブサルム
そしてその者が
死んでよいのかということを
話を通して訴える
ダビデはそのことに
気づきませんで
ダビデはこのことに了承します
わかった あなたの話を取り計らおうと
すると彼女は言います
14章の13節から
ここが彼女の知恵です
女は言った
あなた様はどうして
神のために対して
このようなことを計られたのですか
王様は先のようなことを語って
ご自分を戸があるものとしておられます
王様は追放されたものを
戻しておりません
簡単に言うと王様
あなたがさっきそう言ったのであれば
アブサルムを戻さないとだめですよね
そして14節です
私たちは必ず死ぬものです
私たちは地面にこぼれて
もう集めることができない
水のようなものです
しかし神は
命を取り去らず
追放されているものが
追放されたままにならないように
ご計画を立ててくださいます
14節は
金言のような言葉ですね
彼女は言います私たちは必ず死ぬものです
王よ
私もあなたも
私たちは皆必ず
人生は終わります
必ず死ぬものです
限りがある人生を
私たちは生きています
そしてそのような限りのある人生の中において
私たちがやってしまったこと
私たちが言ってしまった言葉
私たちが犯してしまった愚かなこと
それらは
もう地面にこぼれて
集めることができない
水のようなものです
いわば
地面に注がれた水を再び
集められないように
私たちがしてしまったことは
もうなかったことにはできない
ダビデオあなたは終わったと
思っているかもしれないが
前町はなかったことにはできない
しかし
しかし
14章の後半
しかし神は
命を取り去らず
この言葉が
彷彿とさせるのは12章の
ダビデに向かって主が言われた言葉です
あなたは死なない
あなたの罪を
許そうあなたは死なない
本当は死刑になるような罪だけども
あなたは死なない
神は
あなたの命を取り去られなかった
その理由は何か
神様は
今追放されている
ものを追放されたままに
しないように
ご計画を立てて今も
働いておられる神です
であるならば王様
あなたがもしも命を取られずに
あなたが今
神によって生かされているその理由は
あなたが止まるためではない
あなたが黙っているべき
時ではない
王よ
神がそのように動いているならば
立ち上がって
神があなたの命を奪わなかったのなら
あなたが今
成すべきことがあるのではないでしょうか
と言っているのです
あなたは今
成すべきことがあるのではないでしょうか
息子アムロンと
アブサロムの罪を見て
ダビデは
自分の罪が引き起こした
闇の深さを
まざまざと見せつけられました
そしてその闇は
彼が沈黙すればするほど
彼が目を反らせば反らすほど
目を反らせないほどに
大きくなっていきました
そんな過去
なかったことにしたい出来事
それと
同居して生きるために
彼は感情を麻痺させるかのように
倦怠と無気力の中で何一つ動けない
男になっていきます
しかし
過去は変えられずとも
今できることがあるのではないですか
あなたから
アクションを起こしてはいかがですかと
この女性は
ダビデに訴える
これは
今の私たちに対する知恵です
ダビデは
この言葉を聞き入れます
彼はこの後ヨアブの策略と聞いて
苦々しい思いもしたでしょうが
重い腰をやっと上げて
アブサロムを
国へと帰還させます
ただし
アブサロムを
自分の都に戻した後も
ダビデはアブサロムと向き合うことはできません
14章の24節
24節
王は言った
あれは自分の家に行ってもらおう
私の顔を
見ることはならない
ダビデはここでも明確な裁きを避けます
ただただ
越見を禁止して
アブサロムを礼遇するわけです
後にこの後ヨアブによって
アブサロムは
ダビデとの越見を回復しますが
和解のシーンが実に奇妙です
33節
14章の33節
ヨアブは王のところに行き
王に告げた
王はアブサロムを呼び寄せた
アブサロムは王のところに来て
王の前で地にひれ伏して礼をした
王は
アブサロムに口づけをした
しかしこの二人の間には緊張感がある
自分の息子のことについて
向き合うことを避け続けてきた
父親ダビデと
そして跪きながらも
ダビデに対する
屈辱への憎しみがある
アブサロムの姿がここにある
それらによって
実に最悪な状態が起きてしまう
アブサロムのクーデターとダビデの逃亡
15章から描かれるのは
アブサロムによって
イスラエルでクーデターが
起こされるということです
二つ目のポイントをここから見ていきたいと思います
ナビタとともに知った
主がであります
アブサロムという息子は
先ほども言いましたが
彼は14章の25節にもありますが
実に美しかったわけです
実に美しい人物であり
そして恐らく
恐ろしく優秀な人物でした
15章の1節から見ますと
彼は少数ながらにも
自分の戦車や馬や銃車を手にします
少数ながらにも
自分のチームを作る
そしてその彼がしたことは
エルサレムの門前で
人々の訴えを
代わりに聞くということを始めます
王様に訴えを持ってきた
人たちの話を
いやいやちょっとこっちにおいで
話してごらんと聞くわけです
当時の門というのは
裁判所の意味も兼ねていましたから
その裁きを求める人たちを
ちょいちょい私に話してごらんと
言っているわけですね
そしてアブサルムはそこで
見事に人々の訴えを
裁いていくのです
彼がこう言うんですね
15章の3節
アブサルムは彼に
聞きなさい
あなたの訴えは
良いし正しい
だが
王の側にはあなたのことを
聞いてくれる者はいない
これはものすごい皮肉がかかっています
あなたが訴えを
持っていったとしても
王はあなたの訴えを聞く余裕なんか
ありませんよ
なぜなら息子である私にすら
彼らは向き合えないのですから
王のところに裁きを期待していったとしても
そんなことできませんよ
だって王は罪ある者たちを
裁くことすらできないのですから
そうやって
ダビデが躊躇した裁きを
彼は見事にこなします
そして15章の6節
というところで
こう書いてあります
15章の6節
アブサルムは裁きのために
王のところにやってくる
すべてのイスラエルの人に
このようにした
アブサルムはイスラエルの人々の
心を盗んだ
盗んだ
盗んだという言葉は
人さらいということです
誘拐した
実に
犯罪的に天才的に
彼はイスラエルの心を
見事に裁き
そして奪っていった
そしてこの後7節以降
アブサルムはダビデに
ヘブロンに遠出したいです
私の誓いを立てるために
と言って嘘をつきながら
彼はヘブロンに出ていきます
そしてそのうちで彼は
自らが王であるということを
宣言してしまいます
15章の10節
アブサルムはイスラエルの
全部族に密かに人を使わせていった
角笛が鳴るのを
聞いたらアブサルムが
ヘブロンで王になったと
言いなさいと
7節に4年経ってとあります
実に彼は4年の歳月をかけて
用意周到に
イスラエルの全部族の
心を盗んでいきました
そしてヘブロンと聞いて
私たちが思い出すのは
これは第二サムエル記の5章で
ダビデが
全部族から王として任命される
場所がヘブロンです
かつてダビデが全ての民から
あなたが王ですと承認された場所を
狙ったかのように
アブサルムはそのところで
自らが新しい王になったと宣言をする
実に用意周到です
そして王子の一人でしかない
このアブサルムの
クーデターを万尺なものにしたのは
実はダビデの
相談役である助言者である
アヒトフェルが裏切ったという
12節に
アブサルムは
生贄を捧げている間に人を使わせて
ダビデの助言者
ギロ人アヒトフェルを彼の町
ギロから呼び寄せた
この無本を強くアブサルムに
組みする民が
多くなったとありますが
アヒトフェルという人物は
これはダビデの相談役
王に直接
宣言することのできる人物
今でいうところの
大物政治家みたいなものです
大物政治家です
そしてこのアヒトフェルの
影響力はものすごく強くて
16章の23節というところ
ちょっと飛びますと
16章の23節というところに書いてあるのは
当時
16章23節に
当時アヒトフェルの
宣言する助言は
人が神の言葉を
違って得る言葉のようであった
アヒトフェルの助言は
全てダビデにも
アブサルムにもそのように思われた
神のような影響力を持つ男
アヒトフェル
大物政治家アヒトフェル
それが単なる弱敗のアブサルムに
組みした理由はなぜか
アヒトフェルはバテシェバのおじいちゃんです
自分の孫娘の
家庭を壊した
ダビデに対して復讐をしたい
と思って当然でありましょう
そのような
ピースが重なってしまって
万全の
準備によって運ばれたクーデターは
成功するのです
クーデターを聞いたダビデは
14節ですね
15章の14節
ダビデは自分とともにエルサレムにいる家来全員に言った
さあ逃げよう
そうでないと
アブサルムから逃れる者はいなくなるだろう
すぐ出発しよう
彼が素早く追いついて
私たちに害を加え
剣の刃でこの都を撃つといけないから
ダビデは即座に逃げます
牢状せんもしません
これは戦略的撤退でも
あったでしょうが
それ以上におそらくこれはダビデにとっては
ねみみに水だったはずです
まさか
しかし息子から
自分の過去から
目をそらし続けたダビデが
王として
父親として
アブサルムの行動を一切
感知できていなかったということがここに現れています
まったく子供の
気持ちがわかっていなかった
ダビデとその家臣は
涙とともに知る主の憐れみ
嘆きながらオリーブ山を登る
というのが今日読んでいただいた最後ですね
ダビデはオリーブ山の坂を登った
彼は泣きながら登り
その頭を覆い裸足で登った
彼と一緒にいた
民も皆
頭を覆い
泣きながら登っていった
ここにかつての英雄
ダビデの姿はありません
あるのは
我が子からも
自分の罪の結果からも
目をそらし続けた
臆病者ダビデの姿です
ダビデの家を襲った
剣というのは実はこれは
外敵ではありませんでした
それは
ダビデ自身の弱さでした
自分の暗闇に
家族の暗闇に
向き合えない弱さに基づく
沈黙と放置
それこそが
ダビデの家の中で
暴れ回る剣となった
全てはダビデの責任です
しかけしこの悲しみの中で
ダビデの言動に変化が
起こる
それは
先ほど読んでいただきましたところです
エルサレムを去る際に
サイシ・サドクとレビビトが
神の箱を都から
担ぎ出そうとする
しかしダビデはそれを制して
このように言います
25節から26節
王はサドクに言った
神の箱を都に戻しなさい
もし私が
主の恵みを
いただくことができれば
主は私を連れ戻し
神の箱とその住まいを
見させてくださるだろう
もし主が
あなたは私の心に
かなわないと言われるなら
どうか
主がよいと思われることを
この私にしてくださるように
ここでダビデの
主語が変わります
私はではない
ここでダビデが繰り返し言うことは
主がです
主が私に恵んでくださるなら
私は帰れるし
主が私を
退けるならば私は
祝々とその事実を受け入れよう
このダビデの姿
それはこういう姿では
ないでしょうか
全てが私の
罪の結果であることを
今やダビデは言い訳をせずに認めた
そのダビデの姿です
そして
自らの愚かさを
認めるがゆえに
自分の願望を言い出すことすらも
はばかられる
自分を覆い隠そうとする虚色すらも吹き飛ぶ
出てくるのは
王である自分ではない
一人の人間として神の御前に立つ
ダビデの姿がここに出てくる
全てを失い
何者でもなくなった
罪人ダビデに
なおも希望が残されているとすれば
その希望は何なのか
それは
ただ主の憐れみだけである
ただ主の
ヘセドだけである
神の約束
だけである
もう主の憐れみの中に
全く自分を委ねるしかない
そのような
彼の信仰の言葉ではないでしょうか
しかし計らずも
そのような彼の信仰は
幼い頃に彼が抱いていた
素朴な信仰に重なるのです
思い出していただきたいのは
悔い改めとは方向転換である
あの日何者でもなかった
羊飼いの少年ダビデ
何も持ち得ないダビデ
しかしそのダビデが
ゴリアテに向き合った時に
彼は何と言ったでしょうか
ちょっとその言葉だけ見ますと
第一サムエル記の17章の47節
第一サムエル記の
17章の47節
第一サムエル記の
17章の
47節
ゴリアテに相対した時
一粒手一つを持ってゴリアテに向き合った時に
彼が言った言葉
それは
ここに集まっている
全ての者も
剣や槍がなくても
主が救いをもたらすことを
知るだろう
この戦いは主の戦いだ
主はお前たちを
我々の手に渡される
ダビデはこの後
剣も富も何もかも
手にします
しかし彼が失ったのはこの信仰でした
しかし自分のその
愚かさに向き合った時に彼が
行き着いたところはここに戻るんです
全部を失った後でも私に今何が残されているのか
剣も槍もなくなった
しかし主の力が
主の憐れみが
私にはまだ残されている
主こそが救いである
全てを失ったダビデは
そこにまた戻っていく
王は
あなたです
私はただあなたに従います
このダビデの
26節
25節26節の言葉こそが
私は
本当の悔い改めの姿だな
と思います
本当の悔い改めです
ごめんなさいもう裁きも終わったさあおしまい
ではない
本当の悔い改めそれは方向転換です
自分の願い
自分の保身
それを守るために神に祈るのではない
方向転換というのは
自分の願いを神とするのではなく
神を神とすることです
神を神とすることは
主がそうなさるのであれば
私はそれに従います
そして
聖書を通して私たちが知っていることは
悔い改めるならば
人はどんな
悔いからでもどんな絶望からでも
どんな後悔からでも
立ち上がることができるということです
悔い改めるなら
なぜなら
神は悔い改める
悔い改めることができない
沈黙して放置をしてしまっている
闇は何でしょうか
過去は変えられません
なかったことにはできない
けれども今
主は
あなたにできることがあると
言っておられる
私がともにいるから
あなたの暗闇に迎え
さあ立ち上がれ
言葉を紡げ
自分の願いを自分のこだわりを神とするのではなく
私を神として立ち上がれ
私たちの応答はただ一つです
どうか主がよいと思われることを
私にしてくださるように
主よ
王であるあなたに従います
私たちの暗闇の中に
自分の願いではなく
主の願いがそこに実現するように
そのために
私の震える足が
一歩は歩み出すことができるように
ご一緒にお祈りをしていきたいのです
お祈りをいたします