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こんにちは、やすです。今日もお聞きいただきありがとうございます。
このチャンネルは、このままでいいのかなと感じているあなたへ、
自分に向き合い、国家公務員を早期退職した経験と森の力を手がかりに、これからの生き方を描くヒントをお話ししています。
今日はですね、私は前職が公務員なんですけれども、昨年の秋に早期退職しています。
これまでの反省的なことを、私の来た道ということでお話ししてきました。
今日はですね、その続きということで、前回は、
労災保険で長く療養されている方に、労災がそろそろ終わるという区切りをお伝えする担当だったときの4年間のお話をしました。
その4年が終わった後のことについて、
労働局に昇進をし、40代の半ば、局係長級ポストということで、いわゆる管理職の手前のポジションにいたときに、私がついにメンタルダウンをするという、そういうお話をします。
この労働局の係長級ポストというのは、この係長級ポストをやって、その後にですね、現場の監督署に戻ってきて、通常は課長職になるという、言ってみると課長職、管理職手前の修行ポスト的な感じかと思います。
私はですね、この移動のない時を3月に見たときの気持ちを今でもすごく覚えているんですが、もうめちゃくちゃ憂鬱でした。
うわーって思いましたね。
移動先というのが労働局の聴取部の適用事務組合かというところで、労働保険、この事業主さんは、労災保険、雇用保険、雇用保険は一定の制限がありますけれども、
労働者の方を雇い入れたときに勧誘していただく国の強制保険、この労働保険の勧誘、それから保険料徴収に関する仕事を、これをひとまとめにしてですね、労働局で諸々処理していくんですけれども、そこの統括部門の役職だったんですね。
で、すっごく憂鬱でしたね。うわ、大変なところにまた行くんだっていうことで、それで案の定、引き継ぎの連絡とかも3月の後半になっても本当になかなか来なかったんですよね。
で、3月の終わりにですね、やっと引き継ぎの日とかが決まっていて、本当に話を聞いたり現場の様子を見ても、これ自分にできるのかなっていうふうにものすごく不安になったっていう、そういう記憶です。
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で、4月の1日に着任ということで行ったわけなんですけれども、出勤をしたら、まず机の引越しが終わっていないっていう状況で、机を移動するみたいなところから始まって、同じ役職の方はですね、もう前日がおそらく大変すぎたみたいで、朝お席にいらっしゃらなかったっていうね、そんな記憶があります。
で、もろもろですね、未処理案件みたいなものが、もう4桁の単位ですね、確かもう1000件とか千何百件みたいな単位で残っていて、で、もうすっごくあんたんたる気持ちになったっていう。
あと、その役職でやらなくてはいけないことっていう概略とかを聞いている中で、もうなんか自分がとてもじゃないけどこなせそうもないっていう、そういう気持ち、それからシステムとかを見ても、なんかすごく自分が理解するのにとっても苦戦するという感じで、
何かですね、正直もう頭の方でですね、なんかこれ無理っぽいっていう、すごく黄色信号が早々に灯った記憶があります。
で、もう意外と早々にですね、私は上司の方に、ちょっと私には厳しそうですっていう話をしぎった記憶があるんですけど、それをね、上司の方が、下のものにね、あんまり弱い姿を見せるとついてこないよっていうことを言われて、
で、それをすごくね、またドーンと重い気持ちで引き取った記憶があります。
もうなんか弱い姿見せるって、見せるなって言われたって、こんな状況下で自分が弱い姿を見せないでいられないっていうかですね、全く自信ないし、全くやれる気がしないっていう気がしました。
そこの課はですね、とても大きな部門でして、それで、その局内の中でもですね、人数はかなりいるんですよね。
当時は5つの係、それからあと指導班っていう、適応指導班っていうのがあって、本当にざっと見積もっても非常勤職員の方入れても数十人、もしかしたら100個入ってたかもしれませんけれども、そのぐらいの単位で、そこに課長、それから課長補佐の方がお二人。
それから、局係長級ポジションがあるみたいな感じで、あとは比較的若手の職員の方が多いみたいな、そういう部門なんですよね。
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なので、残業とかもすごい多いですし、基本的に電話がもじゃんじゃん鳴っているような、慌ただしい部門なんですよね。
その職場の雰囲気も、とっても私は正直苦手でした。
若い頃にですね、いたことあるんですけれども、その若手の頃とはもう全然役職の重みが違って、若手の頃に本当にまだ何の役職もついてない時、それから初めて主任になったぐらいの時がそこにいた時でしたが、
ある意味、兵隊部隊としてですね、たくさんある業務をとにかくひたすらこなすみたいな、そういう時代と、
それからこの混乱した部門を、いわゆる上の立場というか、ある程度、係長級ポストとして、この混乱した状態を立て直すフローを作っていかなければいけないみたいな、
そういう役目にどうやら当たっていたっていうことを、だんだんと日ごとに分かっていって、本当にこれは無理っていう、もう私の中で、なんかどんどんアンタンたる気持ちになっていきました。
この頃、本当に私初めてなんですけど、眠れないっていう症状が出始めて、その眠れないっていう症状もどんどん悪化していって、
夜中に目が、なんか結局本当になんかもう覚醒してしまって、なかなかこう寝つけないまま、そのまま朝を迎えるとかですね、
それからもう不安すぎて、それでもう不安感をじゃあノートに書き出してみようと思って、それでなんかノートに書こうとするんですけど、
もうなんかやめたい、やめたい、やめたい、みたいな言葉しか出てこなくなってきて、
それを書いてても、オラチが開かなくて、それで職場に何かこうした、厚生系の相談を受けてくる健康ダイヤルみたいなのがあるわけなんですけれども、その教材組合員対象の、
で、それがなんか24時間ダイヤルみたいに多分なっていたんですが、でもなんかあまりにももう眠れないし不安なので、
本当にそういうところに電話をするみたいなこともあって、電話して話聞いてもらうんだけど、もうなんかオラチが開かなくて泣きながら電話するみたいなね、
なんかもういよいよ、いよいよちょっとまずい感じになってきたんですよね。
で、もちろんそんな状況下で出勤するので、頭も働いてないし、で、パソコン見てもぼーっと何かこうね、作らなければいけないフローとか、何かこう流れみたいなのがあるんだけども、全然思い浮かばないし、
あまりこう自分がはっきり言って苦手な業務だったっていうこともあって、そうしたよく自分が把握してない仕事を上の立場ということになって形作っていかなければいけない。
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なおかつ現場はめちゃくちゃ混沌としていて、それでこう新しく来たものがですね、たくさんの非常勤職員の方とかに、さあ私は今日どうしたらいいんでしょうかみたいな感じで、
指示待ち状態になっているのを、誰さんはこれをやっていただき、誰さんはみたいなことを、ある程度こうね、何かお膳立てをしたりとか、何かまだ形が整っていないにもかかわらず、日々日々それをどうしたらいいかみたいなことを指示出ししなきゃいけないみたいなことになっていって、
ものすごい不安になっていったんですよね。その仕事を先にやっている先輩とかにもちろんご相談するんだけど、その方だってめちゃくちゃ忙しいので、なんか私も申し訳なくてすごい声かけにくいみたいな気持ちにもなったり、
もちろん上司の方も相談のりよとは言ってくれていたけれども、だけどそこも私がなんかゼロからわかりませんっていう、そういうあれでもないよねとか思ってしまったり、とにかくとにかくもう心身がだんだんですね、どんどん弱っていったんですよね。
で、なんかもう本当に無理かも、本当に辞めなきゃいけないかもっていう時に、初めて思ったのがここの部門の時だったんですけど、今まで大体昇進とかですね、配置替えとかがあって、4月は大体いつもつらいんですよ。
仕事がわからないとか引き継ぎしたものがこなせないとか、こんなのできるのかって、それは毎年のように思ってきたんだけれども、
この部門の時にはもういよいよ本当に私無理かもっていう、初めてもう黄色から赤信号に行く状態になったんですよね。
で、私はもう週末になっても全然休めなくて、もう覚醒しちゃう感じが続くというか、休みだからもう寝てもいいはずなのに、夜とかやっぱり眠れないみたいな。
そんな話になっていて、私はシングルなので、これに関して相談できる方っていうのもそんなに限られていて、
福祉系の仕事をしている妹にですね、実はもうちょっとこんな状況で、すごいもう仕事辞めたいんだけどみたいなことを電話で話をしたら、妹がまずメンタルクリニック行ってみたらっていう風に言ってくれたんですよね。
で、その時に私はメンタルクリニックってこういう時に行くんだって、初めてなんかそこで自分事として結びつくっていうことがあったのをすごく覚えています。
なぜなら私は仕事の中でですね、労災保険の業務の方だとか、過重労働とかですね、それからいろいろなハラスメントとか、それから職場のトラブルとかで、
いわゆる精神的に病んでしまって、それで給食をするとか療養される方の労災認定の仕事っていうのはやってたんですよね。
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なので自分が認定する立場で精神疾患の労災認定っていうことはやってたんですけれども、自分自身が当事者としてこういう風なプロセスをたどっていって、こういう時にはメンタルクリニックに行くんだっていうことが、最初は実は自分事としては思わなかったです。
週末にメンタルクリニックに行くことにしたんですよね。緊急性が自分の中では高くて、なぜならば月曜日から丸腰で行ける気が全くしなかったっていう。
週末でも見てくれる病院を探してですね、それで電話をして、見てくれる予約を取れるところを見つけてそれで行って、
で、ドクターに話を聞いてもらって、聞いてもらっているうちに泣きながら話すみたいな感じになり、
で、もうね、ドクターから休みした方がいいですと、休職を勧めますと言っていただき、
いやいやいや、そんな休職なんてすごい迷惑かかっちゃうから無理ですみたいなことを言ってですね、
なんかいや、でももう休んだ方がいいですみたいな感じで、押し問答的な。
で、まあとにかく書いてもらうことにしたんですよね、診断書。
なんかすごい自分の中では、周りで休んでいかれる方とか見たことあるし、
一番はやっぱり労災認定で、そうした休んでいかざるを得ない方の症状の経過とかもずっとカルテ上とかね、見ることとかあったんですけれども、
なんか自分自身が当事者としてこういうプロセスをたどっていくっていうことを、
なんかすごく何か、私もそういう状況になってしまったのかっていうね、
こっち側の人になってしまったみたいな、そういう気持ちがすごくあったっていうのを覚えてます。
で、そのね、書いてもらった診断書をどうやって説明して出したらいいかわからなくて、
で、もうパソコンでね、言葉に出して上司補佐に説明できる気が全くしなかったので、文章で書いたんですよね。
それでこういう状況でっていうようなことを、自分の症状とか状況とか受診した結果とかを何か文字に起こしてですね、
で、それを診断書と元にですね、朝、実はこういう状況ですって言って見ていただいたっていう。
で、そこからバッと人を集められて、それでですね、もう鈴木さんは明日から来なくてよしみたいな感じでお休みしたっていうのが、
私のメンタル病急、初発の時の状況でした。
このことはね、これまでもいろいろな形でお話したことがあるので、すでに知っている方もいらっしゃるかもしれませんが、
改めて考えると、私はこの過去配信でですね、私が自分が上司の時にもう無理ですって言ってやめられてしまうのがすごく怖かったので、
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何かね、そこで手書きの研修資料を作ったり、それから声かけしたりとかお菓子配ったりとかして、何度かやめないでいていただきたいっていうことをね、
何か思ってやっていた、初めての自分が上司になった時の立場の時のことをお話ししたことがあるかと思うんですけど、
私、今回はですね、自分の方が結局もう無理ですっていう風に言う人になったわけなんですよね。
結局、一番最初にやっぱりもう無理そうっていう話を上の方とか周りの方にちょっと漏らしていた時、
それからですね、もうそれだと無理しないでやってっていう話になるわけなんですけど、
結果やっぱり診断書という形の紙で渡すとですね、これは組織としても受け止めざるを得ないという話になるので、
ここで初めてですね、自分でも自分の無理を認めるというか、無理している私を受け入れるというか、
もう限界ですっていう自分を受け入れるっていう、何かそれがすごい悔しかったし、
みんなを集められて、こんな状況なので、鈴木さんは明日からお休みしますみたいなことを係長級の職員が集めて何か話した時に、
すごいそこで泣きながら本当に申し訳ありませんとか言って、
本当に申し訳ないって何かもう何かうつっぷしながら何か言っていった記憶がありますね。
何か本当に何かどうどうしていいか、こんな繁忙期のこんな一番最初に潰れてしまった自分、
みんなだってめちゃくちゃ大変なのに、何かもうさっさと白旗を挙げてしまう自分が情けないし申し訳ないし、
もうだけれども本当に無理だしみたいな感じで、何とも本当に言えない気持ちで家に帰り、
それで何かそこからどうやってしばらく過ごしたか最初の頃の記憶はあんまりないっていうね、そんな感じです。
ちょっと長くなりましたが、今日は初めて診断書をもらってお休みした時の話をお話ししました。
お聞きいただきありがとうございました。
皆さん体調大丈夫ですかね。
もう何か思えばそんなこともあったなっていう、あれから5年ちょっとですかね、初発で休んだ時からすると、
今はあの時のことをこうやって振り返っている、そんな私になってます。
お聞きいただきありがとうございました。ヨシでした。