2021-04-29 10:07

真理と法則

この世の中には絶対的な正解は存在しません。


ある人にとって正しいことは、

別の誰かにとっては正しくないということはよくあることです。


○○の法則が100%すべての人に共通して当てはまるかというと、

絶対にそんなことはないわけです。


正しい・正しくないで議論することは無意味なわけです。



00:01
ファンを生み出すコンテンツがビジネスを加速させる
アポロオフィシャルポッドキャスト
超ブログ思考
こんにちは、アポロです。
今日のテーマはですね、真理と法則という話をしていきます。
この2つの言葉ですね、真理・法則
まずですね、真理から考えてみたいと思うんですけど
世の中の絶対真理
なんていう風に言ったりしますけども
これは何を意味するのか
そして、どこが法則と違うのかということですね。
何々の法則とかって言ったりしますけども
ここの違いをですね、ちょっと明確にしておきたいと思うんですけども
一言で言うとですね、真理は例外がないもの
法則は例外が存在するものですね。
例えば真理ってどういうものかって言うとですね
太陽は東から昇るとか
あるいは人間は必ず死ぬとか
もしくは重力とかね
重力ってのは絶対真理ですね。
物を落とせば絶対に重力に引っ張られて地面に落ちますよね。
少なくとも地球上ではそれが絶対真理になっているわけです。
一切例外が生じないんですよね、これに関して言えば。
法則って何かって言うと
例えば、偏方性の法則なんてね、ビジネスの世界では言われますけども
基本的にはですね、それに基づいていけばですね
正しい結果が得られるという風に思われているものですけども
ただ、法則に関してはですね
例外が生じるということを理解しておく必要があるわけですね。
例えば偏方性の法則なんかもそうですけど
基本的に誰かにギブすればですね
そのギブがお返しとして返ってくるみたいなことって
言われているわけですが、それが偏方性の法則と呼ばれるもので
大抵の人はこれに当てはまるんですね。
何かをあげればやっぱりお返ししないとって気分になるから
お返ししてくれるっていうのがこの偏方性の法則ですけども
中にはですね、ギブをしても一切お返しをしてくれない人もいるわけですよ。
ラッキーって言うとね。恥ずかしい話ですけど
昔の僕自身もそんな人間だったんですね。
もらったらもらったらでラッキーで終わっちゃう人。
特に相手にお返ししないといけないなっていう気分にはならない
ような人もいるわけですね。
だから、それが絶対的な正解っていうわけではないんですよ。
他に○○の法則っていうと、パレートの法則なんていうのもありますよね。
2×8の法則とか2対8で必ず構成されているっていう法則なんですけど
03:04
この1×8の法則も大抵のケースは当てはまると思うんですけど
厳密に2×8に分かれているかっていうと
全てのものが必ず2×8であるとは限らないと思うんですね。
1対9になっているかもしれないし、3対7になっているかもしれない。
だけど大体2対8になっているってことですね。
つまり今回の話から僕が何を言いたいかっていうと
基本的に人生とかこの世の中に正解っていうものは存在しないんですよってことですね。
真理を除いて言えば。
だからこれが正しいとかこれが間違っているとかっていうのは
そこを議論すること自体はもう無意味というかね。
っていうことになるわけですよ。
ある人にとってはそれが正解だけどもある人にとっては正解ではないってことは普通にあるわけですね。
人間にはそれぞれですね、個性とか強みとかそういう違いがあるので
自分にとってはそれがうまくいく方法であっても他の人にとってはうまくいかない可能性もあるわけですね。
だからこれが正しいんです、これが間違いなんですっていうことは本当に意味がないというか。
なんでそれが言えるのって話じゃないですか。
絶対真理なのであればこれが正しいですっていうふうに言うことはできるけども
さっきも言ったみたいに〇〇の法則っていうだけで
これが絶対に正解なんですとは必ずしも言えないと思うんですね。
なんでもですね、善悪でジャッジするっていうことをしているとですね
自分にとってもすごく弊害があるわけですよね。
ものすごく視野が狭くなってしまう。
これは正しいんだと、これ以外は全部間違いなんだっていうふうになると
それ以外のものがもう見えなくなってしまう。非常に視野が狭くなるわけですね。
野球をイメージしてもらって
ストライクゾーンが極めて狭いっていうような状態をイメージしてもらうといいんですけども
そのすごく狭いストライクゾーンにですね、ボールを投げないといけないわけですよ。
めちゃくちゃ大変ですよね。
でも視野を広げてストライクゾーンがパッと広がれば
そこにボールを投げるのってそんなに難しくないと思うんですね。
だからなんでもこう善悪でジャッジして
これは正しい、これ以外は全部間違ってるっていうふうにやるってことはですね
まあそもそもそんなことはね、断言できないわけだし
かつ自分にとっても損することが多いわけです。
僕自身もすごくですね、めちゃくちゃ頑固な人間で
まあそれこそ今でもその傾向はね、結構残ってますけど
本当にもうそのまさにその善悪でジャッジするタイプの人間だったんですね、過去は。
もう絶対にこれが正しいんだ、自分の考え方が絶対に正しいんだっていうことで
まあたくさん衝突もしてきましたし、敵も多いし
でもやっぱりですね、これが正しいんだっていうのが必ずしも言えないと思うわけですよ。
つい最近もですね、いろいろ学びを深めていく中で
06:03
ちょっと自分の考えが間違ってたかなって思わされるような出来事があったんですね。
出来事というかそういう学びがあったんですよ。
ずっと自分が信じてきてたこと、これが正しいんだって思わされるような出来事があったんですね。
ずっと自分が信じてきてたこと、これが正しいんじゃないかなって思ってきてたことが
なんかちょっと違うかもしれないなみたいな風に思ったことがあったわけですよ。
だから僕のストライクゾーンはすごく狭くなっていたわけですね。
これが正しいに違いないということだけども、いろいろ話を聞いていく中で
どうやらあっちも正しそうだぞみたいな感じで
どうやらあっちも正しそうだぞみたいな。
確かにそれも一理あるなみたいな風になるわけですね。
そうすると視野が広がって、いろいろ答えって一つじゃないと思うんですよ。
答えが一つしかないんであれば、すごくその答えを見つけたりとか
ピンポイントにそこにたどり着くっていうのは難しかったりしますけど
答えがいくつもあるんだったらその中の一つだけでもですね
見つけることができればOKなわけですよね。
ってなると非常に難易度も下がったりするわけですね。
この視野を狭くするっていうのはですね、もう本当に
人生にとって大きくマイナスをもたらすようなこともあるので
なんでもこうね、これは正しいんです、これは間違いですっていう風に
ジャッジするっていうのは本当にもったいないというか
本に書いてあったから、じゃあそれが絶対に正しいのかというと
そういうわけではないですよね。
本を書いた人にとってはそれが正解なのかもしれないけども
世の中全ての人にそれが共通して正しいと言えるかというと
必ずしもそういうわけではないということです。
なので本当にもしあなたがですね、そういう何でも
善悪でジャッジして正しい正しくないで
このことを決めてしまうのであればですね
もう少し視野を広げてみてほしいんですね。
非常にこう、自分の人生にとっても視野が広い方が
何かと得することが多いので
もちろんその軸はぶらさないでほしいですよ。
自分の人生というか信念とかね
そういうところはぶらさないでほしいんですけど
その手段の部分ですよね。
自分の願望を実現するための手段っていうのは
一つじゃないといけないってことは絶対にないと思うんですよ。
状況によっても変わるでしょうし
自分自身の生き方とかそういうものが変わったりすれば
当然手段も変わってくるだろうし
だから最終的な目標とか
目標も変わってもいいんですけどね。
信念というかね、自分の軸みたいなものは
変えないでほしいですけど
それ以外の部分ですね。
別にもうちょっとフレキシブルに考えるのもいいんじゃないかな
09:04
というふうに思います。
自分の世界において絶対的に正解と呼べるものは
真理だけで、それ以外のものは答えは一つではないということです。
この真理に自分の生き方、マインドセット
そういうものを近づけていくと
もう究極の人生を歩むことができるというか
結局マインドセットって
真理、自然法則とか
そういうものと合致すれば
うまくいくようになるんですね。
なので真理って何なのかとかね
そういうことを見ていくと
すごくそれがマインドセットに生きてきたりします。
あまり正解不正解にこだわらず
広い視野で物事を捉えてですね
人生の中にチャンスをたくさん増やしてみてほしいと思います。
10:07

コメント

スクロール