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毎週月曜日、松尾潔氏のCatch Upです。
さあ松尾さん、どんな話題テーマでしょうか。
はい、今日は3月4日ですが、1945年の3月4日にこの世に生を受けた音楽人村井邦彦さんの、
今日は79歳の誕生日ということで、村井邦彦さんの功績について、
駆け足ではありますが、ご紹介したいと思います。
村井邦彦さんといっても、一般的な知名度・認知度はどれくらい高いかというと、
残念ながらそこまで知られている方じゃないかもしれませんが、
今バックに流れておりますユーミンは、もちろんみんな国民的な存在としてご存知かと思いますが、
このユーミンを世に送り出した人、その功績が今となっては一番わかりやすいのかなという気が致します。
村井さんはどういう方かと言いますと、もともと作曲家として世に出てきた方でございまして、
学生時代から音楽活動をやっていて、東京生まれで有福なお家に生まれ育って、
音楽が身近にある環境だったという村井さんなんですが、
学生時代は後に人間国宝にまでなる中村吉江門さんという歌舞伎役者の方いらっしゃいますね。
3年前にお亡くなりになりましたけど残念ながら。
彼と一緒にジャズバンドを組んでいたというような、本当にこういう関係にも恵まれていた方でございまして、
慶応大学の学生時代に、今でもありますライトミュージックソサイティというジャズのビッグバンドのサークルの所属メンバーとして、
だんだん当格を表して、大学生の時にはレコード屋さんを東京の赤坂という都心で開いていて、
大学卒業した後に作曲家という所にどんどん行くんですけれども、
当時グループサウンズなんかが流行っていた時期でありまして、
萩原健一さんがいたテンプターズのエメラルドの伝説というヒット曲がありますね。
君に会いたいって歌われますけど、あれを村井さんは23歳の時に作曲家としてヒットを出してますね。
あとはピーターさんの夜と朝の間にっていう、このエメラルドの伝説と並んでこの2つは中西玲さんと組んで作った曲なんですが、
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今語り継がれているのは赤い鳥の翼をくださいじゃないですか。
これはもう日本のサッカーファンにとってのアンセムという風になってますけれども、
そんな作曲家としてキャリア花々しいスタートを飾っている村井さんなんですが、
音楽ビジネスに乗り出していくんですよね。
アルファミュージックという音楽出版社を作って、アルファレコードというレコード会社を運営していくわけなんですが、
そこで世に送り出したのがユーミンであり、そしてイエローマジックオーケストラYMOなんですね。
村井邦彦さんの人生、この時はいくつだったのかっていうのを考えてみると、すごい早熟すぎてびっくりしちゃうんですけれど、
アルファレコードを設立したとき、その時点でまだ32歳とかなんですよね。
そしてこの駆け足の人生というのは、彼自身の居場所にもかかわってきまして、
40代のうちに拠点はアメリカに移されまして、もう30年くらい前ですかね。
それからロサンゼルスを本居にされてますね。
村井邦彦さんが成し遂げた仕事のいくつかの中で、
さっきちょっと音楽出版社って言い方しましたけども、
そこで特筆すべきは、フランク・シュナトラのMy Wayっていう曲。
この曲好きな方は、すごくお年を召した男性にすごく多いようなイメージがあるんですが、
フランク・シュナトラを思い出したり、葛飾太郎を思い出したり、
成功した男性が自分の人生にいろいろあったけれども、
もう一度人生を読むとしたら、私はもう一度この人生を選ぶなっていうような、
そういう内容の曲ですが、この曲の出版権というのを、
いち早く手に入れて、その話をするとそれだけで一冊の本を書けちゃうぐらいなんですが、
これは世界的なヒットになっていく前からこの曲に目をつけていて、
ポール・アンカーっていう人が書いた曲ですけど、
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作曲家としてまずは印税を手にして、それを種銭のような形にして、
どんどん音楽事業、音楽ビジネスっていうのを展開させていて、
後進を育てていったという、ざっというとこういう人生なんですが、
もちろんアルファレコード、ユミはMOを繰り出したんだけども、
最終的には破綻してしまったアルファレコードとか、いろんな失敗も経験されているんですが、
それでもずっと作品は残り続けたということと、
ご本人がその度に別のことに活路を見出して、
今も音楽業界でやっぱり他に代わりのきかない存在感を発揮されているっていう。
そういう人が上の世代にいらっしゃるっていうのは大変心強いことですし、
僕は2005年だったかな、松東谷夫妻と一緒にグラミー賞に僕行ったことがあって、
その時にユミが、僕はプロデューサーとしてちょっと前くらいからいわゆるミリオンヒットみたいなのを出して、
そのご褒美みたいな形で発祥する機会を得たわけなんですけど、
その時にユミがこういうふうに言ったんですよ。
村井さんを紹介してくれたんですけど、その時に、
松東さんさ、松東さんってプロデューサーやろうと思ってプロデューサーやったでしょって言って、
まあそうですねと、別に自分ミュージシャン目指したり歌いたいというわけじゃなくて、
プロデューサーっていう仕事があるからいいなと思って、
その道を進んだんですが。
ユミに言わく、村井さんのすごいところはね、
こんな形がないときにそこに進んだことなのよねっていうふうにおっしゃってたのがすごい印象的ですね。
村井邦彦さんの代表曲といえる赤い翼をくださいを聴いておりますが、
これはもう今ね、スタンダード化しておりまして、
あれだっけ、日本の歌100選っていうのも選ばれてるのかな、教科書にも載ってますからね。
歌い継がれている名曲の一つですよね。
それを作りになった村井さんが今日79歳という話でございました。
ここまで松尾清志のキャッチアップでした。
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