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松尾潔のBrush Up 曙太郎さん54歳で死去
2024-04-15 12:40

松尾潔のBrush Up 曙太郎さん54歳で死去

音楽プロデューサー 松尾潔
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毎週月曜日のこの時間は、松尾潔氏のBrush Upです。
さて、松尾さん、今日のテーマは?
はい、昨日締めやかに葬儀が行われたと、先ほど番組の中でも取り上げておられました。
明暮さんですね、明暮太郎さんと言えばいいんでしょうか。
今日は彼の活躍ぶりを振り返りながら、
外国人力士のお話、外国人初横綱だったわけですよね。
そうですね。
そういったことを振り返ってみたいと思います。
昨日の葬儀にも参列して、久しぶりに僕もお話しされているところを見ましたけど、和歌野花。
ライバルですよね。
ライバルでしたね。
ご存知の通り、和歌野花、そして弟の高野花、この兄弟横綱。
そしてこの明暮。
特にその中でも明暮と高野花っていうのは、二教とされてまして、
明高時代なんて呼び方もありましたね。
この三力士ってのはみんな1988年の同期なんですよね。
そうですね。
やっぱり平成の大相撲ブームっていうのが、今となってはそれ自体が昔話みたいになってるんですけど、
そういう時代があったんですよ、橋行さん。
今なんかけげんそうな顔して。
そうなんだ。
ズームの画面を覗いていらっしゃいましたけど。
今となっては信じられないくらいのアイドルみたいな扱いだったんですよね。
特にこの三力士っていうのはね。
当時の相撲ブームを牽引しましたからね。
で、今はもうモンゴル力士っていうのは、外国人力士といえばモンゴルという感じになってまして、
朝霜流、白雲、横綱、核流とか、晴山富士とか、寺野富士とかどんどん排出してるわけですけども、
その一方でね、この間記憶にあったらしいと思いますけども、
先月か、引退した白聖保っていう、まだ22歳だったモンゴル人の力士がいましたね。
2月に引退勧告されたんですけども、
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彼は暴力日常化してたなんていうふうに言われてますし、
その親方である白雲宮城の親方の責任問題っていうところまでいって、
改めて異文化に接することの難しさっていうのも、受け入れる側の国の我々も感じてるわけですけれども、
明物さんは、そういった外国人歴史の中でも、永遠に歴史に刻まれる、何しろ初めての横綱ですから、
でけど、彼の前にも歴史があったということも知ってる方多いと思います。
なんといっても高嶋師匠ですね、明物の師匠にあたる人。
僕も一度だけ高嶋さんとお食事ご一緒したことあるんですけども、
ハワイに帰れないようにパスポートを当時の親方が若い高嶋から預かって隠して、
実家に逃げて帰らないようにパスポートを預かられたなんて話とかを、笑って話されてましたけど、
これも今の時代だとコンプライアンス的にありえないですね。
っていう時代を経ての、その後の小西紀っていう、実際には小西紀は二人目ではないんですけど、
この人は横綱がほぼ視野にたまっていたわけですけど、
当時マスコミに言わせた話で、やっぱりその大相撲協会が、
外国人横綱の誕生を心よく思ってないんじゃないかみたいな。
ちょっとこれで日本人力士だったら横綱に昇進していたんじゃないかという成績を収めても、
なかなか昇進できないように素人目には見えましたね。
少なくともそのことに関してちょっと釈然としない思いが当時あったんじゃないかと思います。
その時によく横綱の品格という言葉が使われて、
土俵上での振る舞いが伝統競技、日本で国技と呼ばれることも多いこの横綱、相撲にそぐわないんじゃないかと、
小西紀の場合よく言われてまして。
その後に出てきた明け物っていうのは、
当時の言い方で言うと、
強さは小西紀、心は高見山ってこういう言葉があったんですけど、
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これずいぶんと、
大相撲協会にとって都合のいい言い方なんですが、
別に協会が言い出した言葉じゃなくて当時のマスコミが作った言葉なんですけど、
強さは小西紀、心は高見山。
これって今の時代に聞くと、不適切、極めないという感じがしますね。
一向の人格を何だと思ってんだっていう気もしますが、
そんな時代にあって、
アメリカのメジャーリーグで初めて活躍したアフリカ系の選手、
ジャッキー・ロビンソンになぞらえる方もいらっしゃいますけれども、
やっぱりパイオニアゆえの苦しみとか葛藤ってのがあったと思います。
ただやっぱり人生っていうのは、
短いなんて言いますけども、そこそこ長いもので、
特に相撲なんていうのは若い時にぐわっと20代で、
周りの人がみんなお辞儀をするような環境に行っちゃうわけで、
引退した後のキャリアっていうのが、
人それぞれっていうのもまた我々ずっと見ていくわけですよね。
しかも江戸時代なんかと違って、
今は引退後の生活っていうのも、
メディアがずっと追っかけてますから、
我々は古錦のその後も見てるし、
明け物のその後も見てるし、
同じように若野原のその後、高野原のその後ってずっと見てるわけですが、
さっき産業小綱の時代があったって言いましたけど、
この3人いずれも相撲協会に残らなかったんですよね。
ご存知のように明物さんは格闘技のほうに行きまして、
若野原さんはタレント活動ですとか、
一時アメリカのフットボールにチャレンジした時もありましたね。
高野原さんは相撲の道っていう、
ひとりストイックなイメージがあったんですが、
そのまま最年少の理事になったりっていうのがあったんですが、
伝え聞くところによると、
年功序列っていう考えが支配的な境界にあって浮いてしまったっていうのと、
その後ろ盾だった元北農民とかが亡くなったっていうのもあって、
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ちょっと居場所を失ってしまったようなところもあるんじゃないかと言われてますね。
本当に横綱を取るところの先が長いなってことを教えてくれるこの3人の生き方なんですけれども、
何やともあれ、僕も今回平成の盛り上がった頃の相撲会っていうのを久しぶりにじっくり思い出して、
相撲好きなもんですからね、僕はね。
本当にいいライバル関係だったなと思って、
改めてその2人の対戦っていうのを記録とか見れる限り動画とか見てたんですけど、
あの2人って現役のときに42回場所でぶつかってるんですよ。
この対戦成績ってどっちの難勝だと思います?
鷹野花が勝ち越してるのかなっていう印象はあるんですが。
答え、21勝21敗なんですよ。
もう完全勝ちライバルですよ。
見事に分け合ってるんですね。
本当にすごい時代があったんだなというふうに。
もちろん秋物が最初勝ち先行してたんですけどね。
年少の鷹野花がどんどんどんどん体も大きくなって力もつけてきて、
最終的にはね。
けど秋物は本当にもう引退かって言った後にも頑張って長跳びとかして優勝あと2つ積み重ねたっていうのはね、
これ相撲ファンの間では有名な話なんですが、
この記憶とともに今の相撲協会に新しい未来があることを僕は楽しみにしております。
ここまで松尾清志のブラッシュアップお送りしました。
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