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この時間は、日替わりコメンテーターが独自の切り口で多様な視点を提案するCatch Up。月曜日の担当は、音楽プロデューサー・松尾潔さんです。
さあ松尾さん、この時間の話題は何でしょうか?
はい、今日誕生日の方、今日誕生日の音楽関係の方、結構いらっしゃいまして。
僕が大ファンの、早見悠さんとか、笑うことじゃないですね。ですしね、ピンクレディーのKちゃんこと、松田圭吾なんですが、
今日ご紹介したいのは、作り手の方の大御所であります、作詞家の中西礼さん。
もう亡くなって4年が経とうとしてますけれども、中西礼先生はお誕生日1938年の9月、もしご存知でしたら86歳だったと思いますね。
今日は中西礼さんの奇跡を振り返ってみたいと思います。
今バックに流れております、彼の数ある代表曲の中の一つ、細川隆さんの北坂場ですね。
これ1982年の日本レコード大賞を受賞しています。
中西礼さんという方は、グッド曲が多かっただけではなくて、いろんな賞にも目立たれた方でございまして、
日本レコード大賞をなんと3回受賞されてるんですね。
一番新しい受賞曲がこの82年の北坂場で、第24回の日本レコード大賞ですが、
それに先駆けて第10回、1968年、個人的には僕が生まれた年ですね。
それに前谷隼さんの天使の誘惑、そしてこの2年後、菅原詠一さん、今日でお別れとするわけですが、
それに留まらず、80年代に入っては石川沙織さんの風の盆恋歌、日本作詞大賞。
そして2012年には、日川清志さんの桜で日本作詞大賞、これも2回目と。
それだけでもちょっともう恥ずいでしまうぐらいなんですが、ご存知の方も多いかと思いますが、
小説の世界でも成功されて、中西礼さんは長崎ブラブラ節という小説で、
何億章も輸送されてますね。
すごいですね。
これはライバルとされました悪友さんが唯一手が届かなかったところなんですね。
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悪友さん、この方は量産の効く方でございまして、
ヒット曲の数が売上枚数でいうと、そっちが悪友さんの方に軍配が上がるんですが、
その長崎章は2人とも目指してたと思われますし、
中西礼さんが長崎章を受賞された時の悪友さんが、
それをしみじみとライバルの受賞を祝いながらも残念があるというお気持ちっていうのが、
死後発見された日記から出てきましたね。
この辺り、昭和史、昭和の文化史をする人にとってはたまらない2人の心の一貫さまがあるんですが、
やっぱりこの中西礼さん、今ライバルとして悪友さんの名前を出しました。
これのさっきのね、オアシスの当時のライバルバンドブラートの関係と、
強引に引きつけるとね、ライバルがいてこそシーンが盛り上がるっていうのがあるんだなと思いますけど、
オアシスのゲラガラ兄弟の角質っていうのが、音楽、本当に名曲を作り出すっていうところに昇華されたように、
中西礼さんも年の離れたお兄さんがいらして、
お兄さんとの不和というのが、彼を創作に駆り立てていったというのは、やっぱり彼の人生の面白いところですね。
中西礼さんは、お生まれが、中満州の五潭甲子っていう、
今でいうところの国隆高所っていうところがありますよね。
本当に中国の中でも、北東の国境のところにありますけれども、
ロシアの国境のところにありますが、いわゆるハルビンっていう街の近く、五潭甲子の前で、
それで親御さんはもともとオタルの方で、オタルに引き上げてくるんですね。
終戦後に引き上げてくるわけですけれども、オタルで渡られて、
お酒を作って、大変経済的にも裕福な4年時代を過ごしたんですが、
戻ってきてから、そして引き上げの途中でも、本当に何度も人生の危機っていうのがあって、
やっと日本に帰ってくるんだけども、年の離れたお兄さんが学徒出陣で陸軍に行って、
特攻隊に配属されるんですが、生きて帰られるんですね、お兄さん。
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ですがその特攻隊に配属されたということが、やっぱり青春期にお兄さんに心に影を負わせまして、
ちょっと山っ気のある人生を過ごすんですよ、お兄さんは。
どんどん事業を打って、それこそ2寝寮に退勤を告げ込んだりとかね。
そういったことに弟のレイさん、レイ蔵さんっていうのが本名なんですが、
彼に巻き込まれて、本当に頼むから兄さん、消えてくれとか。
中西レイさんが作詞家として成功してから、弟にお前の今があるのは誰のおかげだって言って、
それでたかるんですね、お兄さんがね。
それ兄弟っていう小説になってます。これはぜひ読んでいただきたいんですが、
これは90年代の終わりに出た小説なんですが、
なんか受賞までは至らなかったんですが、当時ドラマになったことをご存知の方も多いかもしれません。
その放乱なお兄さんを演じたのがビートたけしさんで、
中西レイさんご本人の役を演じたのが豊川えつじさんですよ。
その時に僕の大好きな中西レイトリビアなんですが、
豊川君、僕の若い時に似てるねっておっしゃったっていうね。
今こう言うと、そんなこと言っちゃう人なのって思われそうですが、
実際中西レイさんは、私も何度かお目にかかりましたが、
男が見てもちょっとうっとりとするような、ヘロモン漂う男にも女にもてる人でございました。
今でいうとこのイケメンクリエイターの企画みたいな方で、
ご自身も大変花のある方で、もともとシャンソンの役師をやっていた時に、
ひょんなことで石原優次郎さんと知り合って、
役師なんかやめて、詩を書いてみなよって言われて、書いたらヒットしたっていう人なんですが、
吉田卓郎さんがね、一時フォーライフレコードっていうレコード会社の社長やってましたけど、
その時にシンガーソングライターである吉田卓郎さんが、
割とオールドスクールな職業作詞家の中西レイさんに、
曲も書いて自分で歌うアルバムをうちの会社から出さないかって持ちかけて、
で、アルバム出すんですよ。出せるのはすごいですけど、
作詞作曲してね。で、そのアルバムの中におせめられていた1曲が今バックで流れている、
時には勝負のようにっていう曲でございまして、
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この曲をご存知の方も多いと思うんですけれども、
ご自身のバージョンと、俳優の黒澤敏夫さんって方が歌ったバージョンが同時に出て、
黒澤さんのバージョンは特にオリコン2位のヒットだったので、
よくテレビでも見ることあったんですが、中西レイさんのバージョンも、
オリコンの記録を見ると26位っていう結構な人で、
20万ぐらい売れたとか言われてますね、当時ね。
40万売れたっていうのかな。で、歌手としても名声を貯めましたし、
この時には勝負のようにっていうものはそのまま映画化されて、
ご本人が主演するっていう、透明タイトルの映画だね。
原案、脚本、音楽、そして主演でラブシーンまであるという、
こういうのが全部お兄さんが作った借金の返済のために行われていたっていうのは、
別に明らかになっていくという、まあ壮絶な話でございまして、
ちなみにこのお兄さんが残したお嬢さんが、
後にシンガーソングライターとして有名になる森田童子さんだったんですね。
なんですよね。
ちょっとこれ朝語るにはちょっと、
なかなかのヘビーなテーマで終わりましたけども。
なんですが、今日中西レイさんが生まれた日ということを皆さん、
記憶していただければと思います。
ここまで松尾清志のキャッチアップでした。
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