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この時間は、音楽プロデューサー・松尾潔のCatch Upです。
さあ、松尾さん、今日は。
はい。福岡市博多区のご出身ですね。大村雅昭さんという、1951年生まれの作曲家・編曲家の方がいらしたんですが、
もしくは97年に46歳の若さでも亡くなりになっているんですが、
もしご健在だったら、今日72歳だったと。
今、改めて大村雅昭さんの奇跡と功績、時間の許す限りお話してきたらなと思います。
この間、福岡のキャナルシティ劇場で、去年の9月ですかね、
大村雅昭さんが亡くなって25年ということで、メモリアルスーパーライブというのが開かれたんですね、大村雅昭さんの。
そうだったんですね。
僕、同じ事務所でもあります。佐八義役さん。あと亀田誠二さん。この2人が音楽監督で、
2日間にわたって、それこそ渡辺美里さんですとか、南吉田さんとか小野沙佑介さんとか、
そういった育る面々が集って、
あとやっぱり大村雅昭さんを弟のように可愛がっていて、実際コンビでの作品も多かった松本隆さんがトークゲストに出たというイベント。
もしかしたらこれはお気になっているリスナーの方で明日会われた方もいらっしゃるかもしれませんが、
亡くなって25年経ってもそれだけ大きなトリビュートのイベント開かれるぐらいの方で、我々音楽業界の内側にいると、
80年代大村雅昭の時代だったなんてこと言う人さえいるネームなんですが、意外とね、
ご存じない方も多いんじゃないかと思って今日振り上げる次第なんです。
以前に松田聖子さんを番組で。
夏に松田聖子を聞くっていう特集をお送りした時に大村さんの名前は出ましたね。
そうなんですよね。
松田聖子さんがね、まだキャリアの浅い時にレコーディングでナーバスになったりした時に、
そのアレンジを手掛けていた大村さんが聖子さんと言って、
散歩でもしようかって大阪の地元の言葉で語りながらリラックスさせたなんていい話も聞いたことあるんですが、
松田聖子さんのお仕事で有名ですし、さっき流れてたスイートメモリーズに関して言うと、
作曲も手掛けているので、台風曲ということでスイートメモリーズ上がること多いんですが、
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もともとヤマハ音楽振興会の研究生っていうところで音楽キャリアをスタートさせた人なので、
ヤマハ関係のね、当時ヤマハでポピコンとかポピポップっていう番組とかイベントとかあったんですが、
その関係の仕事が多くて、その中の一つでこの八神純子さんの水色の雨ですとか、
当時のヤマハ関連アーティストの作品をたくさん手掛けていらっしゃいます。
これが水色の雨1978年の曲ですから、
大村さんまだ20代の時にもこんな当時の第一曲を手掛けていたっていう、
早熟のアレンジャーだったんですが、
僕、今55歳ですが、僕ぐらいの世代で、松田聖子さん、あとは木川浩二さんのね、
初期の頃は大村さんが手掛けてたんですね。
ほとんど大村さんがやってらっしゃいましたね。
僕は、あの、
基本的に洋楽を聴くことが多かった僕でさえ、タイトル聴いて、あの曲って言えるような、
それぐらい、あの、なんていうのかな、
歌謡曲っていうシーンの中で、洋楽の香りの強いアレンジでもありましたし、
単純かっこいいなってポイントが必ず入ってて、
僕、そんなにあの、
新曲のクレジットを細かくチェックして聴いてたはずではないんですが、
かっこいいなと思って、
確かめるとそこには大村正明っていう四字熟語があったみたいな感じですね。
僕にとって決定的だったのは、これから次に聴いていただく曲ですね。
大澤由悠季さんの、そして僕はコウホーにぃくれる。
これはまたいいですね。
これはね、なんかね、新しい景色を見せてくれたような、そういう印象はありましたし、
テレビのね、CMソングでありまして、
あの、この映像との、
この神話性の高さっていうのかな、
これ、あのカップヌードルのCMソングだったんですけど、
カップヌードルがちょっとおしゃれな食べ物の感じのような、
エモーショナルな感じですね。
そうですね、そういう効果もありましたね。
これはプロデュースを手掛けていた秋崎賢治さんっていう、僕大変お世話になってる、
音楽業界の大立て者の方で、
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沢田賢治さんが、
手掛けてきた方でありまして、
こういった、なんて言うんでしょうね、
音楽業界にこの人ありっていう人がみんな認めちゃうアレンジを、
連発してたのが大村さんって言い方もできますね。
アーティストからの信頼も厚かったけれども、業界人からの信頼も厚いと。
つまり、この人にアレンジを委ねると、
アーティストのステージが一つ上がるような、
そうですね、やっぱり安い言い方になるかもしれないけど、
時代の最先端、もしくは新しい時代を切り開くような音の力をお持ちでしたね。
今、バックに流れてるこれ、アグネスちゃんさんの一つだけっていう曲で、
これ、矢野明子さんが作曲されてるんで、
矢野明子さんのバージョンでご存知の方も多いかと思うんですが、
矢野さんのセルフカバーが出る前に、
アグネスちゃんのようにいっぱい出てまして、
今の意味で聴いてみると、
こちらもいいなーって感じなんですよね。
そうですね、こういった、いわゆるYMOファミリー、
矢野さん含む坂本隆一さんとか、
小野さんとかのお仕事に対しての、
もっとこう、もうちょっと軸足が歌謡曲の方にある、
当時はアーティスティックと見られることは、
やっぱりそんなに多くなかったかもしれない、
大村正明さんの音作りっていうのを、
今、フラットに比べてみるのもいいのかなっていう気がします。
どうしても、当時はYMOの域がかかってるかどうかで、
イメージでかっこいいか、
そうじゃないかっていう評価もあったように思うんですね。
音セキュリティじゃなくて、住民票をどこに出してるかで、
あの人はおしゃれな人、そうじゃない人って決めてるみたいだね。
大村さんってあれでしょ?歌謡曲の人でしょ?みたいに、
見られた傾向が当時あったかなと思うんですが、
今ちょっと、そういうところで、
ジャッジするっていう風潮が一回なくなったところで、
フラットな目で聞いてみると、
これこそかっこよかったんじゃないの?なんて思わせてくれますね。
今、バックに流れてるこの、渡辺美里さんのマイレボリューションが
86年の作曲者の小室哲哉さんの名前が一人歩きしたってますが、
これのうちに、このアレンジの大村正明さんが
付加的に施したアレンジ、
小室さんの元のジェムテープになかったコード進行っていうのが、
実は僕の大きな印象を形成していたんじゃないかという、
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そういうような分析も今なされてまして。
後の小室さんのプロデューサーとしての実績にも影響を与えた方ですよね、小室さんは。
そういうことですね。
僕はちょっと今、いろいろ躊躇して言えなかったことが、
田畑さんの口によって語られました。
そうなんですよ。
ちょっと本当に貴重なく言うと、
縁の下の力持ちである小室さんの仕事まで、
小室さんのお手柄になってしまったようなことは、
実際あったと思うんですよね。
小室さんご本人が演者さんでもあったんで、
TMネットワークスのメンバーもあったんで、
やっぱり表に出てくる方ではなかったんで、小室さんは。
だけど、やっぱり時間が炙り出した、
彼のおねぶとな仕事ぶりと先進性っていうのが、
2023年、
こうやって情報として共有されるっていうのは、
いいことじゃないかと思いますし、
こういう形で華やかな音楽の世界に広がることができるよっていう、
一つのロールモデルにもなる人かなっていう気がいたします。
小倉本大輝さん、偉業を称えました。
しかも、本当に我らが福岡の出身ということで誇るべき方ですよね。
この番組のスタッフには大堀高校の出身の方がいらっしゃるんですが、
あなたの学校の先輩ですよって言ったら、
これから花丸さんの後輩って言わずに、大村さんの後輩って言うようにするって。
感化されやすいですね。
お二方の後輩でいいと思いますよね。
いいと思います。
いやでも本当に素晴らしい功績をね、
今日は松尾さんの言葉で振り返っていただきました。
松尾さんありがとうございました。
ありがとうございました。
音楽プロデューサーの松尾清さんでした。
数学教師芸人の高田先生だよー。
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