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この時間は松尾潔のCatch Upです。
さあ、松尾さん。
この時間はどんな話題でしょうか。
今日は、アン・ルイスさんの誕生日です。
アン・ルイスさんは、今年は何歳ですか?
80年代に絶頂を迎えていたので、50、60代くらいですか?
そうですね。67歳です。
67歳。
アン・ルイスさんのイメージがあるところで、
止まっているんじゃないかと思うんですね。
実際、エリアに寄せにならなくなって長いですよね。
21世紀に入って、テレビに露出したのは数えるほどしかなくて、
90年代の後半くらいは、活動休止でしたから、
90年代の半ばにパニック障害を患うことがあったらしいです。
彼女は人生の中で、いろいろと万丈な人生を過ごされている方だから、
スバナ・マサヒロさんという、
同じく人気歌手で、アン・ルイスさんと同じく
歌謡ロックというジャンルを築いた人だと思うんですが、
セクシャル・バイオレット・ナンバーワンで知られた
スバナ・マサヒロさんと夫婦だった時期があるんですけど、
スバナさんもいろいろ激しい人で、
逮捕されたりとか、いろんなことがありましたからね。
その度に、アンさんどうしてるのかなーなんて思ってましたけど、
アン・ルイスさんは1970年代に歌手デビュー、
1971年ですから最初歌手デビューしてから、
80年代は本当に人気シンガーとして駆け抜けたという感じですよね。
でもね、世の中に出たのが早いんですよ。
アンさんが1971年に、
白い週末っていうデビュー曲なんですが、
これが出た時、まだ14歳だったっていう話なんですよね。
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今、
ハーフタレントって言葉も時代とともに言わなくなりましたね。
ミックスって言ったりだとか、いろんな言い方ありますけれども、
これが初期のヒット曲で、
グッバイマイラブって1974年のヒットですね。
この頃なんかアン・ルイスさんは、
芸名が示す通り、
アメリカ文化と日本文化の
それぞれのいいところを
わかりやすく言うと、きれいな英語ですとか、
容姿も華やかな、
当時の1974年としては49年ですけれども、
まだアメリカに対しての見上げるような眼差しが日本に強く残ってた頃でしょうか。
どういう海外観、アメリカ観の中で出てきたスターという感じがしますが、
アン・ルイスさん、僕に言わせると、普遍的な歌の上手さと、
声の良さ、あとはキャラクターの愛嬌ですね。
周りの人たちは惹きつけるような魅力がある方で、
その彼女が歌謡曲フォーマットのように出てきたものの、
描画フィーリングをどう取り入れるかっていう命題とずっと向き合ってきて、
一つの答えになったのが、
1982年のラッセゾンという曲ですね。
これ、引退して間もない頃の山口桃江さん、
三浦桃江さんですね。
彼女が作詞をしてるんですね。
これはアン・ルイスさんからのたての願いということで。
作曲の澤田賢治さん。
本当に共和を代表するスターの方々で、
アン・ルイスさんに影響した曲は、この歌謡ロック。
これ、僕は1982年のヒットですが、よく覚えてますけど、
歌謡曲としてもかっこいいけど、ロックとしてもかっこいいなっていう。
歌い方もグッバイマイラブの頃とは変わりましたよね。
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ロックサウンドより負けない力強さが出てきましたよね。
アン・ルイスさんと言うと、慕ったるい、慕ったらずとも言われるような、
甘えるような歌い方。
すごいスイートな印象だったんですけど、
このラッセゾンは、割と毅然とした感じで。
ここから、彼女自身でもおっしゃってるけど、
振り切ってロック路線に行くんですよね。
この後、ラビアっていう曲があって、
やっぱり決定的だったのは、
2年後の1984年に出したロッコン・ギッシンジュですかね。
最初に流れた曲ですね。
これ、世の中に絶対40年近く経とうとしてるんですけど、
未だにカラオケで歌う方多いですよね。
愛の手入れたくなるんですよね、またね。
いわゆるホールっていうのね。
伝統芸能みたいになってきましたもんね。
この路線で、ピンクダイヤモンドですとか、
アームジョーとか。
あとは、もうちょっとテンポ落とした感じで、
ウーマンっていう曲とかね。
未だにカラオケの古典、カラオケクラシック、
定番と言われてる曲がたくさんある方で。
歌謡曲っていうのは、
今どういう形で生き延びてるかっていうのは、
いろんな定義があるかと思いますけれども、
アン・ルイスさんがやった頃は、
悪魔の歌謡曲、歌謡界っていうのがあって、
そこにロックを入れたって感じだったんですけど、
今考えてみると、アン・ルイスさんのような人が、
歌謡曲とロックの高い目をなくしたんだなという。
ロックを歌う人がテレビの歌番組に出て、
にこやかに話してても違和感がないっていう状態を
作り上げた。
これやっぱりアン・ルイスさんの独自的な宝石というか、
彼女のキャラクターがなければできなかったことなのかなって。
80年代の初頭のアイドル前世の頃は、
男が望む女性像みたいなものを体現して歌われる
女性が多かった中で、アン・ルイスさんの対等っていうのは、
力強い女性っていう、新たな女性像を打ち出した感じが
ありましたけどね。
やっぱりロコン・ギシンジュの歌手というか、
れいこさん、大作詞家でありますけども、
れいこ先生はやっぱり海外の
ロック評論なんかでも一世風靡した方でありまして、
やっぱりアメリカですでにそうなりつつあった
音楽業界にも押し寄せるフェミニズムっていうのを
いち早く取り入れたってことなんですよね。
男性に依存しない女性、自立した女性像っていうのを
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体現するにあたって、アン・ルイスさんは
少なくともその1980年代当時、
物資の発行の代弁者だったという人もいてですね。
だからやっぱり女性の支持者、
同性の支持者っていうのが多かったですよね。
そうですね。アン・ルイスさん、ご記憶でしょうか、
よくテレビに出た時に自分のことを
アンさんはって言ったりとかしてたんですよね。
覚えてます?
なんかうっすらっていう感じですね。
どうなんだろう。
なんかそういう言い方っていうのが後の小泉清子さんが
小泉はって言ったりだとか。
つまり、私はではない一人称っていうことですけれどもね。
男性が求める傀儡というのを演じるんじゃなくて
一つの子として、インディビジョンとして
自分で言葉を発信するっていう役割や
そのあたりから
こういった人たちがいて、今の小泉清子さんに至っていると言っても
決して過言ではないかなっていう気がしますね。
そうですね。
今日はアン・ルイスさん67歳の誕生日ということで
アン・ルイスさんについてお話をいただきました。
松尾さんありがとうございました。
はい、どうも。
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