松尾潔のCatchUp
2023-05-29 13:55

松尾潔のCatchUp

音楽プロデューサー 松尾潔

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感想

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毎週月曜日のこの時間は、松尾潔のCatchUp。 さあ今日は、日本のDivaをこの時間に紹介してくれると。
そうですね。大物中の大物でした。 番組でご紹介が遅れましたという反省も含めて、
ミソラヒバリさんを今日満を持していますね。 月曜日彼女の誕生日が重なりましたので、いいタイミングかなと思うんですが、
いいタイミングって言いましたけども、考えてみますと、 ヒバリさんが亡くなって34年経とうとしてるんですね。
そうですね。平成元年でしたからね。
そうなんですよ。だからすごくわかりやすく言うと、 ヒバリさんって80年代の終わりとともにもう亡くなってしまったんですね。
平成元年で89年なんで。
それでもこんなに名前が取り沙汰される人って、 日本の女性シンガーって珍しいんじゃないかなと思いますね。
今もその名前が出てきますからね。
その人が忘れられるまでは死んだことにならないという考え方はありますけれども、
まさにヒバリさんの歌声っていうのは、 永久的に残っていくのかという気がします。
ミソラヒバリさんは言わずと知れた戦後歌謡界の女王ですが、 簡単に彼女のキャリアを振り返ってみますと、
1937年、昭和で言いますと12年の5月29日に横浜の磯子ってとこでお生まれになって、
少女時代から天才少女と言われて、まだ10歳にもなる前から、
ステージママの代名詞ともなっている彼女のお母様がいらして、
お母さんがメインマネージャーとして二輪三脚で、 日本の芸能界にどんどん入っていくわけですね。
何しろ娘の才能に惚れ込んで、
娘のための楽団を作るんです。青空楽団って名前のずっとした事務所を作って。
最初は、今の順列じゃないですけども、
戦闘とかそういうところで、ちょっと欲強として歌うみたいなところから始めたらしいんですけど。
今でも続いているNHKののどじまんという番組をやりますけども、
あれを9歳の時ですかね、8歳か9歳の時に出て、
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まず爪痕を残すんですね。
その時有名な話で、合格はしてない。
落とされた理由っていうのが、
上手いは上手いけど、少女らしさに欠けるとか。
もっと言うと、大輩的で、教育のためによろしくないとか。
つまりね、天才少女っていうのを僕に言わせると、2つタイプがあって、
子供の佇まいで、子供の声で、大人たちが望む少女像っていうのを完璧に演じる。
天才少女、天才子役っていうのがいるとしたら、
ひばりさんって年齢に見つかわしくないような成熟さっていうのがあって、
ちょっと年齢不詳なぐらいの大人びた歌声だったんですね。
グッと最近で言うと、スピードの島袋ひろこさんがデビューしたとき、
ほんと小学生って感じありましたけど、
あの感じですよね。
それのもっとアダルトな色合いが強いのが、ひばりさんだったっていうことですね。
だんだんひばりさんの実年齢も上がっていくし、
その魅力で世の中を比例伏せさせるだけの力があって、
どんどん名作曲家小川雅夫との連携っていうのもあって、
どんどん彼女を知らしめていくわけですね。
世に出ていくにあたって、時代のことで戦後間もない頃、
今の時代だとありえないことなんですが、
暴力団山口組の組長の田岡さんという伝説的な昔のヤクザの方がいましたけど、
その人に見染められて、
日本の芸能の興行っていうのは、
そういう今でいう暴力団の人たちが仕切ってた時代なんで、
ここでまず興行の世界でどんどんひばりさんの存在感が高まっていくっていうのがあって、
あとはテレビじゃなくて映画の時代ですから、
映画ともうまくリンクしていくっていう。
また彼女は少女シンガーであると同時に、
少女映画スターでもあったんですよね。
いろいろなお出会いになってますね。
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さっきのティナターナーの時にちょっと話し遅れましたけども、
ティナターナーっていう人も、
マッドマックスでしたっていう人も。
映画きっかけでってことですね。
そうですね。
やっぱり音楽と映画の理想的な関係というかコラボレーションっていう、
それを体現した一人がミスラヒバリさんでもありますね。
ミスラヒバリさん、さっきお話ししましたように、
常に、今でいうと反射勢力との付き合いっていうのも取り沙汰された方で、
歌手としてステータスがどんどん上がって、
NHKの小枠駄菓子さんの顔になったりしていく一方で、
戦後の日本社会がどんどん落ち着いてくると、
ああいう反社会的な勢力とのつながりがあるミスラヒバリってどうなんだとか。
あとミスラヒバリの実の弟さんが、
一時は歌も歌ってた人なんですけども、
反射勢力の一員になって逮捕されたりすることもあったんで、
そういう人を家族に持つミスラヒバリがテレビとかに出るのはけしからんみたいな、
世論の高まりもあって、
結局しばらくテレビとかに出なくなっちゃった。
芸能界追放とまで言わないけど、テレビに出ない人になってた時期があって、
僕は1968年生まれですけれども、
子供の頃テレビにミスラヒバリが出るとザワザワっとする感じがありましたね。
その時父親とかに、ミスラヒバリってすごく有名なの?って言ったら、
最近はいろいろあってテレビ出てないけどな、みたいなことを父親が今考えてるとすごい意味深なことを言ってたな、
そんなヒバリさんがNHKに本格復帰していくっていうのは1970年代後半でありまして、
どんどん復元していくわけですね。
今よく歌われる曲で言うと、1986年小倉圭さんが曲を提供した、
愛さんさんっていう曲。
これでミスラヒバリさんの復元っていうのは割と決定付けられた感じがあるんですが、
それと前後して、
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ビョーマと戦っていくんですよね。
福岡の人はよく覚えてらっしゃると思うけども、
1987年、昭和62年のことですけども、
転陣再生会ってありますよね、病院がね。
あそこに3ヶ月半ぐらい入院されそうですよね。
福岡で公演してるときに体調がよろしくないってことになって、そのまま入院されて。
1990年代とかに、僕も再生会に何回か行くことがありましたけど、
よく看護婦さんから、あの時のヒバリさんはねーなんて話を聞くことがありましたけど、
ヒバリさんは福岡の再生会病院でちょうどかなり50歳になるぐらいだったんですけど、
それから退院されて、復活して東京ドームで公演を行うんですが、
秋元康さんが提供した「川の流れのように」とかっていう、
大復活印象付けるようなキットも出たりもするんだけれども、
病前に不死してしまった1989年に亡くなったということなんですが、
このミソラヒバリさんの人生を駆け上げてご紹介したんですが、
ミソラヒバリさんの演歌の女王みたいに言われることが多いんですが、
ジャズですとかポップスとか、アメリカ由来の音楽をすごく巧みに、
彼女は素晴らしく耳が良かったんでしょう。
英語が達者なわけでもないのに、英語の歌を完璧な発音とイントネーションで歌っていたっていう、
その中でも僕の好きな曲を今日いくつかバックでご紹介してもらいましたけど、
今からミソラヒバリさん弾くんだったら、
こういうジャズとかポップスのカバー、時に日本語の歌詞で歌ったりもしてるんですが、
そういったものから入るのも必要かなと思います。
改めてミソラヒバリさんの歌唱力、
どんな音楽ジャンルも歌い分けてしまう、表現してしまうというすごさを感じますよね。
そうなんですよね。仮にジャズだけ歌っていたら、ジャズのトップになっていたであろうし、
もしかしたらお芝居に専念したら、それはそれで、
俳優として特別なステータスを築かれたんじゃないかなっていうのは、
芸事の特大でしたね。
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今日は、もしご存命ならば、ミソラヒバリさん誕生日ということで、
今日は松尾清さんにミソラヒバリさんを取り上げて、
いろいろとこれまでの功績や、そして、
ジャズをぜひヒバリさんのジャズを聴いてみてほしいという思いで、
楽曲をいくつかご紹介しました。
松尾さんありがとうございました。
音楽プロデューサーの松尾清さんでした。
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