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松尾潔のCatch Up テレサ・テン生誕71年
2024-01-29 11:35

松尾潔のCatch Up テレサ・テン生誕71年

音楽プロデューサー 松尾潔
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毎週月曜日のこの時間は、松尾潔氏のCatch Upです。 松尾さん、この時間のテーマは何でしょう。
今日1月29日が誕生日の、もうお亡くなりになって親しいんですが、テレサ・テンさん。
アジアの歌姫という言葉がついてまわる方ですね。 もしご存知でしたら、71歳だったと思います。意外にお若いなという印象になりますが、
彼女の素晴らしい歌声と、そして彼女の人生というのをちょっとお話してきたらなというふうに思います。
テレサ・テンさんは、中国語で気になる方は、この呼び名よりも、デン・リージュンという名前で記憶されている方もいるんじゃないかと思いますが、
台湾のご出身なんですね。台湾中華民国で1953年にお生まれになって、活躍された時期は70年代、80年代、そして90年代。
亡くなった95年5月以降も、その歌声というのは、ほぼ深刻化されているというか、言動入りしたような感じで、いまだにテレサ・テンさんのファンという人にたくさん出会うことができます。
活動のエリアというのも、お生まれになった台湾はもちろんのこと、中国本土、そして香港という、いわゆる中華文化圏、どこでもくまなく愛された方ですし、
そしてもちろん日本でもね、日本語の歌もたくさん歌ってらっしゃったんで、日本語の一曲だけでもたくさんあるし、スタンダード化した曲が多いので、
日本で活躍される外国人歌手の中には、本国ではさほど有名ではないが、日本で花開いたって人ももちろんいらっしゃいますけど、
テレサ・テンさんは違いますね。
端的なところで、1つこんな話ありますよってことで言うと、1996年、彼女が亡くなった翌年に作られた映画で、ラブソングっていう香港映画があるんですね。
これはピーター・チャンという監督が撮って、レオン・ライマー・ギー・チャン、エリック・サンという、中華圏の大人気スターのメロドラマですけれども、僕も大好きな作品で、日本では98年に公開されたんですけどね。
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この映画っていうのは、1980年代半ばに中国大陸から香港に渡ってきた男女が、当時中国の人からすると本当にイケてる場所、香港のマクドナルドで男女が出会って、
2人ともタフな香港の社会で生きていくために真相を舐めてるんですけれども、2人ともテレサ・テンが好き。
本土にいた時から大陸に行った時からテレサ・テンが好きだったってことで、生きて応募して思い寄せるんだけれども、この2人のラブストーリーっていうのはなかなかまっすぐには進みませんで、ということで舞台はニューヨークに移ったりとか、
本当に僕の大好きなお話なんですが、テレサ・テンが好きっていうところで分かり合えるっていうぐらいの存在ですよ、テレサ・テンさんはね。
その時、映画の中で何回も流れるのが、何回もっていうか印象的に流れるのが、K.Mimiって曲なんですが、この曲ですとかホーリー・チューン・サイライとか、もう中華圏で生まれ育ったじゃなくて、
ちょっと、例えばなんだろうな、生活っていうのかな。仕事で1ヶ月住んだことありますとかっていう人とかでも、テレサ・テンの歌声はどっかでテレサ・テン以外の人が歌ってるところを聞いてるんじゃないかっていうぐらい、みんな口ずさめるっていうことを言いたいんですけど、
テレサ・テンさん、僕ここでなぜ取り上げたかっていうと、もちろん今日はお誕生日っていうのもあるんですが、彼女はね、日本で時の流れに身を任せ、愛人償い、こんな一曲たくさんありまして、なんか宴歌のイメージが強いかもしれませんけど、
英語でポップスもたくさん歌ってますし、曲調的にも、宴歌だけの人じゃないんですね、なんでもござるのポップシンガーでありまして、ちょっとだから1回、テレサ・テン、昭和歌謡、宴歌いいよねっていうちょっと安直な図式を1回リセットしていただきたいなっていうのが1つと、
あとはね、やっぱりテレサ・テンさんの歌声が、どれぐらいその中国の近代化のBGMとして既にあったかっていう話をしたいんですね。
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天安門事件っていうのが1989年にありましたけれども、この時も彼女の歌声というのは、社会的に大きな注目を集めることになりました。
香港で民主化でも弾圧への抗議集会っていうのが何度も開かれるわけですけれども、そこにテレサ・テン、人気絶頂ですね、大スターのテレサ・テンはそこに参加して、みんなの前で歌を披露してね、中華人民共和国の民主化っていうのを願って。
ただまあ、中国共産党を指定したっていうことで、ちょっと彼女の安全な生活っていうのも危ういものになって、パリに移住したりとか、この頃もう大人になってる人はご記憶あるかもしれませんけど、テレサ・テン死亡説みたいなの当時何回も出たりもして。
ああ、ありましたね。
今国会議員になって、その後ジャーナリストとしても大変有名な方で、有田芳生さんって方がいらっしゃいますけど、有田芳生さんがテレサ・テンさんの表伝をお書きになってて、これは大変読みごたえがありますので、もし興味持たれた方は読んでいただければなと思いますけれども、
歌う人が、歌を超える存在になったときに、その本人は、そして社会はその人にどんな動きと言葉を与えるのかっていう、ひとつのサンプルになりますね。悲しいサンプルかもしれないですけども。
有田芳生さんの、私の家は山の向こう、私の家は山の向こうっていう本。これ、割と手に入りやすいので、ご興味ある方は読んでいただきたいです。
そしたら、少なくともテレサ・テンさんが、「時の流れに明かせの、声の綺麗な中国系の昔流行った歌手いたよね。」みたいな、こんな軽薄なコメントできなくなるはずです。ということを申し上げたいです。
駆け足気味にバーッと話しましたけどね。とはいえ、やっぱり他言語でヒットを出してるっていう、なかなか普通にできないようなことを、80年代ぐらいにたくさん叶えてたっていうことで。
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今、例えばBTSが、韓国語、日本語、英語でそれぞれヒットを出したりしてるような時代ですが、その前にテレサ・テンみたいな人もいたっていうことをね、今の時代に即して考えてみるっていうのも、一つの新しい見方を提示してくれるんじゃないかなと思います。
話してる時、後ろでずっと償いが流れてるんですよ。そっちの方に耳傾けると、なかなか集中してお話もできないんですが。
改めて口ずさんじゃう、このメロディの良さと、そしてテレサ・テンさんの声とですね。
声がいいんですよね。
素晴らしい歌手ですよね。
素晴らしいですね。
僕も本当にこういうシンガルに巡り会いたいって、よく思います。彼女の声聞いてるとね。
生きていれば、今日71歳を迎えていたという、テレサ・テンさんについて今日はお話いただきました。
音楽プロデューサーの松尾清さんでした。
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